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歴史の素人です。わかりやすく教えてください。

寺の中に神社があったり、うまく共存しているようにみえます。
神道のほうが仏教より先にあったのに、仏教の力が強すぎて
抵抗できなかったのでしょうか。それとも、もともと両方とも、慈悲と恵みの魂なので、争いを好まなかったのでしょうか。

もう一つ、寺の中に神社があるのはよくありますが、
神社の中に寺のある場所もありますか?

よろしくお願いします。

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A 回答 (7件)

本地垂迹思想は、法華経の本迹二門(本体の教えと仮りの教え)説や、密教の本地身・加持身(本源の姿と、救済のための具体的姿)説などの影響を受けて、表層的には相反する姿でありながら、本源は同一であるという思想を、仏教の仏・菩薩と神道の神祇との関係を語る際に用いられた理論です。

つまり、仏・菩薩(本地)が日本人を救済するために、日本の地で現れた姿が神祇(垂迹)である。
 この思想の片鱗は日本ではかなり早い時期に見られましたが、具体的な理論展開が進んだのは、平安中期以降。飛躍的に発展したのは鎌倉期です。
 特に鎌倉・室町期の仏教説話では、日本の神々は本地は仏・菩薩である。そして仏は日本人を救済するために(仮の姿として、申し子として)人間となりこの世に現れる。そして俗にまみれた人間となり、そこでさまざまな艱難辛苦を受けて、神仏の力で苦しみを脱し、最終的には自身も人々を救済する神となる。それが日本の神祇であるという筋書きが多いです。

 俗世より解脱した仏・菩薩のままでは威光が強すぎて、俗にまみれた日本人は救済できない。だからこそ、光を和らげ俗にまみれた姿となり、そして現実世界で苦しむ人間同様に、仏も人間となって悩み苦しみ、より日本人に身近な神の姿で救済する。これを和光同塵(わこうどうじん:威光を和らげ、俗塵に等しくなる)といいます。

 ではこの本地垂迹説はだれが始めたのか。正直分かりませんが、少なくとも民衆に身近な修験者(山伏)や下級宗教者などが、日本人が古来持っている神観念と、仏教との整合性をつけ、より身近に仏の教えを受け入れやすくするために説かれ、また同時に中央の寺院も、布教を行う上でそれをより具体的に理論展開していったのでしょう。

本地垂迹については決して上から下へと押しつけられた物でなく、それを受け入れる素地が日本人側にも存在していたと見るべきでしょう。

具体的には以下の神仏が本地垂迹の関係となります。()内が本地仏。ただし時代や地域によって別説があるので、一定しているわけでもありません。

天照大神(大日如来<或いは観世音菩薩>)
八幡大菩薩(阿弥陀如来<或いは釈迦如来>)
熊野三社大権現(阿弥陀・薬師・千手観音)
住吉大明神(薬師如来)
日吉三社大権現(薬師・釈迦・阿弥陀)
稲荷五社大明神(如意輪・千手・十一面観音・不動尊・毘沙門天)
天満大自在天神(十一面観音)
八坂大明神(薬師如来)
富士浅間大権現(大日如来)
愛宕大権現(地蔵菩薩)

明治までは大半の神社には、当該の祭神の本地仏を祀る「本地堂」などがありましたが、前述通り神仏分離で破棄されました。
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この回答へのお礼

「本地垂迹については決して上から下へと押しつけられた物でなく、それを受け入れる素地が日本人側にも存在していたと見るべきでしょう。」

この一句に興味を覚え、大変勉強になりました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/09 13:59

日本に『神仏習合』を持ち込んだのは遣唐使たちです。

 特に9世紀に中国から当時流行した密教を導入します。 

この新しい仏教は輪廻の思想を基本としています。 『天皇はお釈迦様の生まれ変わりである』と説いて、国家権力と結びつきます。 これを『本地垂迹』(ほんちすいじゃく)といいます。 

これによって、神道と仏教がひとつになったのです。 
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この回答へのお礼

すごくわかりやすい説明でした。
だんだんわかってきました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/09 13:49

 日本人が仏教を受容していく過程で、中央的な視点と民衆側の視点とを考慮する必要があるでしょう。



 ただ気を付けなければいけないのは現代人的感覚の宗教観で、当時の信仰世界をとらえることが妥当であるかどうかです。
 つまり日本の神祇に対する信仰を「神道」とし、それを現代人的思考で「宗教」としてくくりますが、当時の日本人にとっては、神を祭祀する行為は生活の一部ではなかったでしょうか。
 であれば、中央の仏教側からすれば、神祇信仰は批判の対象にはならない。つまり神祇信仰は仏教の教理・教学そのものを否定する存在ではないから、ことさら対立する必要性もない。僧侶も日本人ですから神祇信仰で日常生活の平穏を祈り、日常が平穏だからこそ修行や学門に打ち込むことができる。

 また神祇を信仰する民衆側も、日本人の信仰する神々のパンテオンのなかに新たに、「ホトケ」という信仰対象が加わったととらえたのではないでしょうか。それは『続日本紀』や『日本霊異記』などに山で修行する仏教者の活躍がみられます。日本古来のカミがまつられる神聖な場所だからこそ、仏教修行者はその地で修行を行い、また人々に新たに伝えられた仏の教えを説く。教えを受ける側はその絶大なるホトケの利益を求め信仰する。ことさら仏教・神道と明確にする必要性もない。重要なのはいかに“平穏な生活が行えるかどうか”です。

 仏教伝来当初は、日本の神祇は霊験はあるが仏には及ばない存在で、仏の力を求めている存在だとされ、時代がたつにつれ奈良・平安期は仏教の守護神と、中世には仏が日本人を救済するにふさわしい姿として神祇となって現れるという「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」思想が起こります。神祇信仰は仏教思想の影響を受けるに従い、神道という立場を明確にしていきます。先の本地垂迹思想では、本地である仏は威光が強すぎるが、日本人を救済するために、あえて俗にまみれた姿となり垂迹した神祇こそ、日本人にふさわしい信仰だという思想にまで(それも仏教側から)発展し、そのことが現在あるような「神道」を生み出す基盤ともなりました。

 ただ、いわゆる近代的な「宗教」という概念が、極めて西欧的・ユダヤ・キリスト教神学的でもあります。だからこそ、信仰の対象は「ひとつでなければいけない」的固定観念で日本の信仰をとらえて「不思議な宗教観」と見てしまいがちではないでしょうか。でもそれは本来は不思議でも何でもない行為でしょう。

>>寺の中に神社
これは鎮守社といい境内や寺内の安穏を祈るための寺院の堂宇の一つです。仏教系の守護神(毘沙門天・大黒天・鬼子母神など)がまつられる場合や、日本の神祇が祭祀されます。寺院によってはこの鎮守に対する信仰が大きくなって、本堂よりも有名なものもあります。豊川稲荷(妙厳寺)や最上稲荷(妙教寺)、秋葉権現(可睡斎)などは、鎮守社への信仰が大きくなった寺院です。金刀比羅宮も本来は松尾寺の鎮守社「金毘羅権現」でした。明治の神仏分離で寺院が廃されて神社になったものです。

>>神社の中に寺のある場所
明治までは大半の神社には、神社を維持管理する「神宮寺」や「別当寺」、神社で仏事を執り行う「法楽所」や「本地堂」などの、仏教によっての神祇祭祀場が存在しました。しかし明治の神仏分離で神社内の仏教施設の大半は分離、あるいは破棄されました。修験系統の寺院はほとんどが神社となりました。
 現在も神仏習合時代の名残をとどめ、神社境内に仏教施設が残っているところは、ほんのわずかにある程度です。また仏教施設から仏像・仏具などを取り除き、そのまま神社の施設として流用しているところもあります。出羽三山神社や談山神社、金刀比羅宮や英彦山神宮など修験系に多くそれは見られます。
 神宮寺と称する寺院も現存しますが、それらもかつては神社に所属していましたが、現在は神社とはまったく別の宗教施設です。
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この回答へのお礼

日本人の宗教観を根底から考え直すきっかけになるアドバイスでした。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/09 13:48

「もともと神社だったところで, お寺も作った」というのは, 「神宮寺」としばしば呼ばれますね. まあ, 地理的に中なのか, 近いけど離れているのかはわかりませんが.


けっこういろんな神社が神宮寺を持ってました. 実は伊勢神宮も持ってた....
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この回答へのお礼

「神宮寺」って知りませんでした。無知でした。
教えてくださってありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2006/11/09 10:45

あまり詳しくは知らないのですが、(マンガ『日出る処の天子』を読んだくらいで、とほほ)


争いましたよ、神社派と仏教派。

聖徳太子のお父さんの頃だと思いますが、
豪族の物部(もののべ)氏が神社系(というのも大雑把な言い方ですが・・・)で勢力を誇っていました。
仏教が大陸から入ってきて、仏教を支持した蘇我氏と権力争いになりました。
結局のところ蘇我氏が強くなりまして、仏教に帰依していた聖徳太子なども協力して、仏教系の国家を作ります。

仏教が神道を取り込むような感じになったのは、うまく日本に仏教を根付かせるためだったんじゃないでしょうか?
キリスト教も、たぶんイスラム教もだと思いますが、広まるときにそこの土地にもともとあった風習や宗教と融合することがあります。
権力者または宣教者がそのようにして庶民に受け容れやすくするのか、自然に混ざっちゃうのか・・・両方かもしれませんが。


日本では明治時代までずっと神仏習合していましたので、お寺と神社は共存していました。
明治時代になんだったっけ、社会科でやったんですが・・・・は、はいぶつきしゃく。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E4%BB%8F% …

廃仏毀釈でなくて、「神仏分離令」のほうが元でしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%8F% …

関連付かせて一緒に拝んでいたものが、途中で分離させられて、今日に至っているので、「どうして寺と神社がこんな近くに」みたいなことがあるのでしょう。
同じ山に、仏教系と神道系の修行があったりして。

でもウィキペディアの「廃仏毀釈」に、一部の過激な人々がお寺や仏像破壊をしたが、一般にはそれほど普及しなかった地方もあり、現代でも神社と寺院の違いが判らない者も多いというような話が書いてありますが、たしかにそうかもしれません。
仏壇と神棚が両方ある家も珍しくありませんから。うちの周りなんかみんなそう。
大晦日にお寺に行って、初詣は神社だし。
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この回答へのお礼

なるほど、生き残るためにうまく立ち回ったかんじがしますね。
アドバイスありがとうございました。
参考になりました。

お礼日時:2006/11/08 17:48

宗教の問題は表現が難しいのですが,もともとは#1さんが書かれているように,神と仏を一体化するように日本の宗教観は育ってきた経緯があります.


例えば,天照大御神(神)と大日如来(仏)は,同一であるとされています.
このような考え方は,全ての神の本当の姿は仏であるというような思想から始まっています.日本人の宗教感は,生活の全てに神性を見出す傾向にありますから,それを上手く利用して説明をし,合理化してきたわけです.
一方で,明治以降には天皇家の宗教(実際には,天皇家にとっては宗教ではなく,自らが歩まれた系譜の一部ですね.天照大御神は天皇家の祖神です)を,国家宗教として位置づけるために,神仏分離策がとられるようになって,神と仏が人為的に分離されるようになります(もともとは別のものなので,意図的なものを除けば原点回帰したということでしょうか).
この辺りのことについては,「国家神道」のキーワードで検索してみてください.

以上のようなことで,そもそも別のもの(仏教は日本の宗教ではありませんから.歴史の年号を覚えるときに,仏教伝来というのがありましたよね)が,仲良く,都合良く理解され,利用しあって,民間に根付いて今日一般に理解されるような,神と仏の不分離の宗教観が形成されてきたのです.
このような考え方というか,言葉を選ばずにいうと,目の前にあるもののいいとこ取りのようなやりかたは世界でも類を見ないものだと思います.
結果として,日本人には宗教というものの感覚がうすれてくるわけですね.
日本人で寺に墓参りに行くことを宗教活動だとは思いませんし,年末年始に寺や神社を訪れること,クリスマスを祝うことなどを宗教活動だと思う人は,ほとんどいないでしょう.
長い日本の宗教の歴史の中で,明治から昭和の初めにかけての一時期を除くと,仏教伝来からのおよそ1000年は,神と仏が同一視された時代なのです.
このことが,今日見られる不思議な光景に行き着く理由です.
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この回答へのお礼

日本の不思議な宗教観を見直す機会になりました。
アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2006/11/08 17:46

 もともと仏教は土着の神々を取り込んで拡大していった経緯があります。


 その日本独特の形が神仏習合なのではないかと思います。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%8F% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そのようですね。このあたりがなんだかはっきりしないんです。
URLも参考にします。

お礼日時:2006/11/08 17:44

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Aベストアンサー

かみ砕いて書きますね。
平安時代に、神仏習合という動きがあって、神と仏は姿を変えているだけで、本質は同じものである、と言う考えが広まりました。
明治時代の廃仏毀釈(仏教は外来宗教なので、神のみを信仰すべきだという、政府主導の仏教破壊)により大部分は切り離されましたが、全国にはまだまだ残っているところも多いです。。

また、欧米人には別の宗教が共存するなんて、信じられないでしょうね。
ご存じのように神道は日本の土着信仰、基層信仰です。そもそもは山の神、海の神など、自然崇拝がもとで、それこそ八百万の神々がいました。現在のような神道として体系化される前から、日本人の信仰としてありました。
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かみ砕いて書きますね。
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>日本の国民性はいつごろから生まれたのか気になります

たぶん、ずーっと昔からです。

>神道の神社と、仏教の寺は、歴史の中で互いの教徒を敵視したり焼き討ちしたりといった事件はなかったのでしょうか?

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二度目は明治維新による廃仏毀釈運動だろうなあ。このときは神道が巻き返して各地で仏像が壊されたりしました。ただ面白いのは、このとき廃仏毀釈でお寺がどんどん潰された一方、神社は勢力を拡大したので人手が足りない。そう、解決方法は失業したお坊さんが神社に再就職するというものだったそうです。特に説法が上手な浄土真宗のお坊さんは歓迎されたんだとか・笑。

あとは戦国時代には宗教戦争もありましたけど、これはまあ時代がそういう戦争の時代だったというのもありますし、そうねー、あとは鎌倉時代には曹洞宗や法華宗なんかが起きて仏教運動が活発でしたから、それぞれの宗派の間で活発な宗教論争、つまり叩き合いがありましたことはありましたね。でもこんときゃ仏教vs神道じゃなくて、仏教同士の論争だったから、質問者さんの考えとはちょっと違いますかね。

現代でも、生まれたらお七夜で神社に行って、結婚するときと冬至(クリスマス)はキリスト教式にお祝いして、死んだら坊さんが来るみたいな「住み分け」をしてるじゃないですか。それは今に始まった話じゃなくて、日本人のDNAの中に刻み込まれているある種の知恵なんでしょうね。
ちなみに現代の天皇家とアマテラスが中心となっている統一神道みたいな考え方は、明治維新で明治政府によって作られたものです。それまでは特に天皇家も神道の中心というわけでもなくて、各地で土着の神様を自由奔放に祀っていたのです。
ついでについでに蛇足ながら、日本神道では、神様フリーで誰でも神様になっていいのです。有名なのはお稲荷様で、狐が祀られていますよね。どこぞの神社では作家の阿佐田哲也氏(バクチ打ちで有名)がギャンブルの神様ということで祀られているそうです。「大魔神神社」なんてのもあったので、生きててもオッケーなのです・笑。まさに「なんでもあり教」。

>日本の国民性はいつごろから生まれたのか気になります

たぶん、ずーっと昔からです。

>神道の神社と、仏教の寺は、歴史の中で互いの教徒を敵視したり焼き討ちしたりといった事件はなかったのでしょうか?

大きく分ければ2回あったでしょうね。一度目はあの聖徳太子が若いときに仏教を導入するかどうかで戦いがありました。ただこれは宗教戦争というより、物部氏と蘇我氏の権力争いにちょうど神道派の物部氏と仏教派の蘇我氏がぴったりハマったといったほうが近いんじゃないかな。だって、最終的には仏教派が...続きを読む

Qお寺に狛犬は存在しますか?

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もしなければ、なぜ神社にしか
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>狛犬は神社にしか存在しないんでしょうか?

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明治政府の「神仏分離令」までは、お寺の中に神社がありました。
(江戸時代既に、寺院・神社が分離している場合もあります)
この場合、多くは「神宮寺」と呼んでいます。
四国の「金毘羅さん」も今は金刀比羅神社ですが、明治初期までは金光院松尾寺で神職は存在せず僧侶が山を管理していました。
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今でも、山岳寺院に行くと神仏習合の風習が残っています。
神主はいませんが、鳥居・狛犬・拝殿・本殿が存在し、同時に鐘楼・本堂・仁王門・庫裏などが存在しています。

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Qお寺の名称の「山」と「院」と「寺」はどういう意味ですか

 お寺の「山」と「院」と「寺」はどういう意味ですか。
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Aベストアンサー

○○山○○院○○寺というな名前をそれぞれ山号、院号、寺号と言います。この中で実は院号だけは少し別枠で考えていただくとして、普通は寺の正式名称は○○山○○寺という形で表します。

#2の方の言う通りですが
寺号はその寺の名前です。建立者や開祖が名前をつけるのが普通で、その寺を造るにあたっての気持ちがこめられます。

山号はその寺院のある場所を示すことが原型です。昔の中国では仏教寺院は山の中に立てられるのが普通で、その山の名前をとって山号としました。やがて平地に建てられた寺院も山号をつけるようになります。

で、山号+寺号が正式名称となる場合が多いのです。しかしまあ、日本では成田山など特別な場合を除いて寺号だけで寺を表すのが普通ですし、法隆寺・興福寺・東大寺など奈良時代以前に建立された寺に山号はありません。

さて、院号ですが、「院」というのは大きな寺などの中にある付属した施設や建物の名前です。本山など大きな寺だとその寺の系列の末寺があったりするわけですが、その中で本山と同じ境内の中にあるものを普通は院と言います。その寺の住職などが引退したあとに暮らすためのものであったりするわけで、山号+寺号+院号とするか、寺号+院号でその院を示します(ご質問の場合は人の名前を元にしているので順番が少し異なるようですね)。

なお、法隆寺については上にも書いたように山号はなく、#1の方のお答えになっている
「聖徳宗総本山」というのは山号ではありません。

○○山○○院○○寺というな名前をそれぞれ山号、院号、寺号と言います。この中で実は院号だけは少し別枠で考えていただくとして、普通は寺の正式名称は○○山○○寺という形で表します。

#2の方の言う通りですが
寺号はその寺の名前です。建立者や開祖が名前をつけるのが普通で、その寺を造るにあたっての気持ちがこめられます。

山号はその寺院のある場所を示すことが原型です。昔の中国では仏教寺院は山の中に立てられるのが普通で、その山の名前をとって山号としました。やがて平地に建てられた寺院も山号をつ...続きを読む

Q異なる宗教の共存は可能なのでしょうか

過去から現在にかけて宗教対立は無くなることがありません。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教はそれぞれの唯一の神を信じ、聖書から読み取れる歴史に基づき他教徒を憎んだり恐れたりしています。
異なる宗教が共存することは可能なのでしょうか。
どう思いますか。
ご意見のほう、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

『可能です』

 ただし、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は不可能です。これは基本一神教ですが、それぞれ教義が近いが居ます。その教義において解釈が異なるだけで他社は忌むべき存在になります。基本一神教の共存は不可能です。

 しかし『可能』と答えたのは、教義において、お互いが多神教であり、又教義の一部が重なれば共存は可能です。
 たとえば仏教のシャカ(ゴータマシッタルダ)はヒンズー教において大切な主神の一人であるウィシュヌ神の化身と言われてます。
 つまり仏教徒が仏を拝むのは、ヒンズー教徒にとっては主神の一人であるウィシュヌ神に礼拝するのと同じことです。

 又日本においても神道は『八百万信仰』を基本にしています。これは万物の数だけ神が居るというのが信仰なので、仏教の神も神道においてはひとつの神なので、融合も比較的簡単です。
 基本多神教の共存は出来ますが、一神教の共存は不可能です

※後、質問者は勘違いしてます『キリスト教、イスラム教、ユダヤ教はそれぞれの唯一の神を信じ』とありますが
 その宗教は全部神は一緒で同一人物『ヤーウェ』です。
 違うのはその『ヤーウェ』の言葉を伝えた人物です
 キリスト教はヤーウェの教えをキリストが・・・
 イスラム教は  〃     マホメットが・・・
 ユダヤ教は   〃     モーゼが
 伝えただけの違いです

『可能です』

 ただし、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は不可能です。これは基本一神教ですが、それぞれ教義が近いが居ます。その教義において解釈が異なるだけで他社は忌むべき存在になります。基本一神教の共存は不可能です。

 しかし『可能』と答えたのは、教義において、お互いが多神教であり、又教義の一部が重なれば共存は可能です。
 たとえば仏教のシャカ(ゴータマシッタルダ)はヒンズー教において大切な主神の一人であるウィシュヌ神の化身と言われてます。
 つまり仏教徒が仏を拝むの...続きを読む

Qメニューバーやツールバーが 見えなくなりました。

メニューバーやツールバーが 見えなくなりました。

10日ほど前に新しくパソコンを買い替えました。 NEC の LAVIE です。うれしくて かちゃかちゃやっていたら メニューバーや ツールバーが消えてしまいました。 何か設定をかえたようですが覚えていません。
インターネット ワード エクセル の画面で メニューバー等が 消えていまして メール(Windows Live Mail) では メニューバー等が ちゃんと表示されているのです。
またペイントソフトでも ファイル とか 編集 とかの 項目 が 無いのです。

自分でも 質問集などでしらべまして ALT をおして Vキーを おしてみたりとか してみたのですが
全然表示されません。

どうしてこんな重要なものが消えてしまうような設定があるのかわかりませんが、とても困っています。

どうすれば表示されるか おしえていただけませんか。 OSは ウィンドウズセブン です。

なお初心者ですので 難しい用語はわかりません。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

参考URLがヒントになりませんか?

参考URL:http://win7.tk/2009/10/post_16.html

Qキュウリの下の葉の枯れと水やりについて。

キュウリの下の葉の枯れと水やりについて。

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原因を知りたくて、状況を明記した上でいくつか質問を投稿させていただきます。

状況:
水やりは1日2回ほど、雨の日以外は欠かさずにしている。
培養度はアイリスオーヤマの肥料つきを使用。
直径30cm、深さ30cmのプランターに植え付けている。
1回にやる水の量は底面から水が流れるぐらいまでしている。
本葉の裏に微小の黒いものがあって、先ほど除いた。

質問1:1回にやる水の量はどれぐらいの量がベストでしょうか(1~2リットル等)?
質問2:この下の葉が枯れた状況では、これ以上の生育は望めないでしょうか?
質問3:葉の下に微小の黒いものがあって除いたのですが、害虫でしょうか?

初心者なので、ほとんどわからず状況を明記した上で質問投稿させていただきました。
どなたかご指導ください、よろしくお願いします。

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一番下の双葉は、成長に従って枯れてゆきます。心配無用です。
本葉も成長と共に順番に枯れてゆくものもあります。
基本的に、下から5~6節目までは、徐々に取って行き、病害虫を防ぎます。
全ての葉の枚数が6枚以上あれば、下の葉を1枚取り除けます。
黒いもの・・・アブラムシかも知れませんし、ドロ跳ねかも知れません。

水遣りは、一日2回は多いかも…。土の表面が白く乾いたらあげる位が丁度。
水が多いと根腐れの原因になります。匂いも発生し易くするので害虫が寄ってきますよ。
水分の蒸発を防ぐために、枯れ草や切り藁・バーミキュライトなどで株元を覆うと
ドロ跳ねも防ぎ、病気になりにくくなります。水遣りを一日1回に減らせます。
プランターの下から水が流れ出るようなら、やりすぎです。
肥料分も流れてしまいます。ちょっと水が出そう???位が限界です。
何リットルと言うような換算ではなく
様子を見ながらあげると良いです。たっぷりの日もあれば、少なめな日もある。
前日が雨の日や曇りの日はごく少なめか、全くやりません。
畑の場合は、この時期からは殆ど天候任せです。

実がなり始めたら、肥料食いなので2週1回で追肥します。(1本あたりひとつかみが目安)
できるだけ、チッソ少・リン多めの肥料を選ぶのも美味しいキュウリにするコツです。
チッソが多いと苦いキュウリになりますので。
手に入るなら、オレガノの苗も寄せ植えにすると
余分な水分を吸い、害虫よけ(主に蟻)で風味も良くなります。

美味しいキュウリ沢山収穫できると良いですね。

一番下の双葉は、成長に従って枯れてゆきます。心配無用です。
本葉も成長と共に順番に枯れてゆくものもあります。
基本的に、下から5~6節目までは、徐々に取って行き、病害虫を防ぎます。
全ての葉の枚数が6枚以上あれば、下の葉を1枚取り除けます。
黒いもの・・・アブラムシかも知れませんし、ドロ跳ねかも知れません。

水遣りは、一日2回は多いかも…。土の表面が白く乾いたらあげる位が丁度。
水が多いと根腐れの原因になります。匂いも発生し易くするので害虫が寄ってきますよ。
水分の蒸発を防ぐために...続きを読む

Q堂宇とお堂の違い

寺院の説明などを読んでいると、私たちが一般にいうお堂のことを「堂宇」と記載されていることがありますが、違いがあるのでしょうか?
お教え下さい。

Aベストアンサー

どちらも同じ「堂の建物」を指します。
ただし、「お堂」は堂に「お」をつけて丁寧に言った言葉ですので外部の人間が使います。
お寺の関係者は自分自身のところに丁寧語は使わないので、「堂宇」と言うと思います。

Q無宗教なんですが神道と仏教どちらがいいでしょうか。

無宗教なんですが神道と仏教どちらがいいでしょうか。日本人なら黙って神道!!!ですか?

Aベストアンサー

文科省の調査によると、神道の信者は1億1千万で
仏教徒は9千万だそうです。
つまり、だぶっている人が多い、ということです。

神道は先祖を想い、自然が好きだ、というだけ
で信者になれる宗教です。
信者という自覚すら不要の宗教ですから、質問者さん
もすでに神道の信者である可能性が高いですよ。
だから、今更神道に入る必要も乏しいかと思います。

戦前、戦争をやるために造った神道はいわば人工的な
神道で、本来の神道ではありません。
本来の神道には教義も教典もありません。
自然は人間よりも偉く、自然と対立するのでは
なく共存、調和すべきもの、と考えます。
それだけです。

これに対して、仏教は教義も教典もあり、人間の生き方
モノの考え方など、色々勉強になります。
しかし、現実の仏教は堕落しておりまして、
葬式専門の、ハイエナ産業になっております。
独学するならともかく、入信してもお金を取られるだけで
得るものは少ないと思います。


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