No.1ベストアンサー
- 回答日時:
島津家の例で。
具体的な前後の数値に関してはあやふやですが、検地後
1:島津本家の蔵入地の拡大
http://reimeikan.pref.kagoshima.jp/kgs02_s4_5.htm
島津義久蔵入分(10万石)
島津義弘蔵入分(10万石)
全体で57万石余
太閤検地前は30万石とか、増えた分がそのまま宗家の蔵入地+中央権力者関係者の領地になったそうです。それによって、数万石の有力家臣に対して、圧倒的な収入差を確保しました。
2:有力家臣の移動
島津家領内ですが、太閤検地前の禄高で移動させられています
3:差し出しから実際の検地
従来は、自己申告であった「差し出し」から現地調査になり、確実に把握しました。
以上から言えることは、中央権力である豊臣政権の力によって、地方政権の大名は、その地方において圧倒的な権力を把握することに成功しました。
それまでが、同輩中の最有力者でしかなかった大名が、ダントツの権力者になれたわけです。
なので、大名は中央権力に従ったのです。
当時の有力家臣の日記に書いてあったと覚えているのですが「殿様は、豊臣の力で 強くなった」というようなことが。
この回答へのお礼
お礼日時:2006/11/19 18:31
非常に興味深い回答ありがとうございます。島津ほどの大名でも国人の力が強かったわけですから全国的にも検地は大名にとって歓迎すべき事だったでしょうね。
No.3
- 回答日時:
質問者の受取かたが因果関係が逆なのです
全国の支配者である権威が認められなければ、検地など達成できないのです
近頃の話で、郵政民営化にどれだけの抵抗があったかを思い出してください
小泉総理が強権を発動し、それに逆らえないと大半の国会議員が判断したから法案が可決されたのです
いくら将軍なり、関白なりが命令しても、聞かなくても問題無いと受け取られたら何もできません
聞かないと命が無いと思わせるだけの権威が必要なのです
ですから、それが実行できたとことは、権威が認められたことの証明でもあります
この回答へのお礼
お礼日時:2006/11/19 18:42
回答有難うございます。よくよく考えたらそうですよね。「もともと絶大な権力を持っていた秀吉が、太閤検地を行った結果、大名知行制という支配体制が確立した」と考えるのがいいですね。
No.2
- 回答日時:
検地帳はそれぞれの領主が独立して行っており、基準もまちまちで例えば米の収穫を計量する桝の大きさもバラバラでした。
太閤検地はこれらを統一し、一定の基準に基づき全国規模で実施したので、爾後標準として適用されるにいたりました。
田畑の収穫量で等級を分け土地の所有者と年貢の算定基準を定めたので太閤検地帳は土地の権利帳と納税帳でもあり各領主の収入を図る基準でした。
従ってそれ以前の検地帳は使用されなくなったのです。
各領主はこれに基づき軍役の負担を課せられましたから支配構造の一部として組み込まれる事になったのです。
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