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以前読んだ本(未発行の私家版)の中に、家康が小田原征伐後に秀吉から関八州に移るよう言われた時、内心嫌がったと言う記述があり、その理由として関東には夷荻(朝鮮人、ユダヤ人等)が多く分布しているから、と言う指摘がありますが、このような指摘をした書籍は他にありますか? 更に、戦国時代にユダヤ人が関東に広く分布していたと言うのは事実でしょうか?
ユダヤ人は流浪の民として、世界中に分布していると言われていますが・・・。

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A 回答 (7件)

私も頭の中が整理ついていないので、質問に直接は答えることができませんが、参考程度に。




「イスラエルには多くの白人ユダヤ人が住んでいるが、彼らはカスピ海周辺に住んでおり10世紀頃ユダヤ教に改宗した人々の子孫であり、偽ユダヤ人だ。」といわれておりますが、現在パレスチナに住むアラブ人も、イスラエルに住む白人ユダヤ人も、独特の共通な遺伝子を持っていると科学的に証明されました。
旧約聖書の記述に間違いは無かったというわけです。
エチオピアに住む黒色系ユダヤ人は虐殺寸前でイスラエルがチャーターした特別機で脱出し、イスラエルに入植したそうです。

ユダヤ教は旧約聖書で神に言われたことをまだ実行しており、アフリカの辺境地のシナゴークにおいて21世紀の今でも、祭司職は確実に父から子に世襲されていることがDNAの調査でわかったそうです。

さて、、、、
日本のDNAを調査したところ、確か7種類に分類できたと思います。
日本人は独特のパレスチナ出身の遺伝子を持っていませんでした。
これで疑問は消えたかというと、どれだけのサンプルを取れたのでしょう。
もちろん皇族や神官たちからのサンプルの提供は無かったと思えます。
財閥たちからのサンプル提供も無かったのではないかと推測します。
日本の中には自分はユダヤ人を祖先とすると言っている人たちがいますが、是非DNAを提供して、分析結果を公表してほしいものです。


日本は弥生時代に既に渡来人がやってきて住み着いています。
何度か津波のようにやってきたようですが、その中でも一番大きな波が秦氏一族。
今までに無いほどの数の秦氏一族が日本列島に押し寄せてきた。

蝦夷とは古代奥羽から北海道にかけて住み、言語や風俗習慣を異にし、大和朝廷にまつろわない(服従しない)人びとの総称だそうです。
平安初期には日本人と同化していくが、いわゆるアイヌ人ではないらしい。
連合国家であった大和朝廷は地方豪族との戦いと取り込みに明け暮れ、巨大な統一国家建設を目指していた。
789年3月、大和朝廷は征夷大将軍として紀朝臣古佐美を東北地方の蝦夷討伐に派遣した。
逆にやられてしまったそうです。

第二回蝦夷殲滅作戦は混戦状態になり、成果は不十分。

第三回は蝦夷を徹底的に殲滅する策謀の桓武天皇により、ついに制圧。
捕虜として保護観察つきのまま留め置かれることになった。
これが被差別部落の誕生の発端となった。
後に発生した部落問題とは別もの。

(これを読んで桓武天皇だって、元をたどれば実はそうじゃないの? と思いました。)


空海。彼も渡来人。
父親は讃岐地方最大の豪族秦氏。
母はあの鴨史氏。
(すごい血筋です・・・)
日本の仏教会に革命を起こした男は、本人はもちろんその周辺の渡来人で埋め尽くされていたわけです。

もしかして、神道・仏教も両方とも渡来人によって埋め尽くされていた???という疑惑が・・・・


徳川家康。
彼も怪しい。
系図操作したふしがある。
一説によるとですが、家康の出身地は現在の愛知県の三河。
松平氏の本家がある。
歴史家の村岡素一郎氏の研究によると、後に徳川家康と呼ばれるようになった男は、もともと松平氏とは関係のない世良田二郎三郎元信らしい。
この男が松平当主であった信康を暗殺し、息子と詐称して、岡崎城の城主となったという説なんです。
大阪の阿部王子神社の関係者によると、賀茂神社の伝承として、徳川家康は松平氏ではなく、賀茂氏だったといっているらしい。
しかも、家康は天下を取るにあたって、出身を知る賀茂神社の関係者を皆殺しにしたと。。。。

もしこれらが事実ならすごいですよね。
渡来人で同士で勝手にはしっこでやってください って感じです。
日本の中央に過去にいた人たち、現在いるひとたち、どうなってるんでしょうね。
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この回答へのお礼

天皇家の血筋の謎はまだ十分に解明されていません。
テレビで拝見してとても気になることは、現天皇陛下、皇太子のお鼻の形がどこか「アラブ系」に似ているようにも見えますが、私だけの印象でしょうか。
天皇家の解明に役立つと思うのは、「仁徳天皇陵」の徹底的な調査ではないでしょうか。
「蝦夷」に関する記述、大変参考になりました。ありがとう御座います。
そもそも、大和朝廷の確たる所在も分からないわけですから、日本史は歴史が長いだけあって謎だらけですね。

お礼日時:2006/11/19 22:09

NO.5.6です。




>鹿児島県東市来町の太秦神社のお祭神は秦の始皇帝である。
>こうなると、秦氏一族の先祖がガド族と言ってもおかしくは無いの
>ではないでしょうか

消えた10支族。
旧約聖書を読むと消えてなどいないことがわかります。
イエスが言った良き友人 サマリア人。
北王朝の人びとは、南王朝とは宗教方針が違いました。
だから南王朝は北王朝の人たちはサマリア人について話すとき、見下していました。
異邦人についてイエスが聞かれたとき、良きサマリア人を例え話として説明しました。
北王朝の人たちのことで、イエスはイスラエル以外にも広めて友好関係になれといったのではなく、同じユダヤ人である北と南が一緒に仲良く暮らそうという思想だったと思えます。

ミガド。
ガド族の王という意味だったかガド族出身という意味か忘れました。
ミガド→ミカド→帝 かもしれない。



>では秦氏と秦の始皇帝の関係は?

古代の豪族の出自を記した新撰姓氏録には、秦氏は秦始皇帝の末裔であると記録されているそうです。
富士山を御神体とする浅間神社ゆかりの古文献 宮下文書によると、秦氏を中国から率いてやってきたのは、秦始皇帝の命により不老不死の先約を求めて東海へ旅立った徐福。



>鹿児島県東市来町の太秦神社のお祭神は秦の始皇帝である。
>こうなると、秦氏一族の先祖がガド族と言ってもおかしくは無いの
>ではないでしょうか

今まで出なかったもう一つの説。
生前のイエスに会ったことも、使徒としてイエスと一緒に過ごしたこともないパウロが、イスラエル以外に布教をして今にいたるキリスト教を作りました。
イエスと密接な関わりを持った12使徒が本拠地としたのは、イスラエルのエルサレム教会。
パウロの西派はローマの国教になるなど、戦略的に外国に利用されてきましたが、東派のエルサレム教会は消えました。

12使徒の中にマタイという人物がいました。
マタイの福音書は稚拙でこの作者はギリシャ語が堪能ではなかったとか、言っている意味がよくわからないとかであまりマタイの福音書は重要視されていません。
宗教者も意味がわからないという箇所がいくつも出てくるそうです。
が、マタイの福音書をヘブル語に戻すと、、、、、
まるで日本のエンヤラヤーとか ヤーレンソーラン とか ヨイショをヘブル語に戻すと意味を成す言葉となるようなもの。


マタイの本名はレビ。
ユダヤ民族は12+1です。
その1がレビ族。
宗教職ができるのは、レビ族に限るというのは神からの命令です。
つまりマタイはただの徴税人ではなく、人々から神殿税などを徴収していた宗教関係者のレビ族だったんじゃないかと。
空海の父が秦氏系列、母がレビ系列。
<カモがネギしょってくる> どういう意味で言われたかわかってきます。


三笠宮殿下の件は知っています。
ユダヤ教のラビが書いた本に交流が書いてありました。


>家康の時代にユダヤ人(この呼称で呼ばれていたかどうかは不明)が
>いたとしても不思議ではない。

私が不思議に思ったのは、家康だって元を辿れば同じではなかったのか ということなんです。
なのにどうして蝦夷討伐をさせたのか。
天下を取るために、目的のためには手段を選ばずで、自分の出所を知る人たちを殺し、自分と血を分かつ人たちを殺していったのか。
南北朝時代が関係しているのか。
南も北もユダヤ系列の人が納めていて、統一するにあたって関東に住んでいた祖を同じとする人々を殺すしかなかったのか??
謎だ。。。


>ユダヤ人は今でも、見えないように日本の権力の中枢に関わっています。

というか、私は裏天皇説を知っています。
政治も宗教も、、、、
これが事実だとしても、日本人とは太古の昔 大陸から何度も人びとが移り住んできていて、単一民族ではなく、複合民族で、同化していっていると考えれば、昔から異民族に牛耳られているというわけではないことになります。

もののけ姫で「祟り神になってはだめ」とサンがイノシシのリーダーに言います。
イノシシとして表現されていますが、九州の人々のことのようです。
もしかしたら、邪馬台国の子孫のことかもしれない。
サンは渡来人が押し寄せる前から住んでいた人々(狼として表現されている)に育てられた渡来人の子として表現されているのではいかと。
アシタカは蝦夷一族の末裔。

圧力がかかったのか映画では曖昧に描かれていますが、宮崎駿は何を言いたかったのか、私にはなんとなくわかります。
「祟り神になってはダメ。神を畏れよ」

例え宗教も政治もある一定の人たちによって成り立っているとしても、共存する可能性があるので、今現在日本は息づいている。
一部の集団によって宗教も政治もコントロールされていても、それが治安を維持しているのであれば、その恩恵を受けて私たちは生きている以上、ありがたいと思います。

マッカーサーは昭和天皇に会ったことがある人ですが、「神に会った」と言っていたそうです。
昭和天皇がいなければ、日本は崩壊していたと思えますし、裏天皇が裏でガンバっていたので、日本は存続でき再び太陽が昇ったのだと思えます。
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この回答へのお礼

裏天皇=八咫烏漢波羅秘密組織の話も大変興味の或所です。
そもそも私が「徳川家康と夷荻」を質問したのは、今から40年以上前に自主出版された私家本の記述を読んだからです。
作者は勿論亡くなっていますが、この本を作者から直接頂いた知人からの話では、この作者は「霊能者」だったそうです。
作者の地元では当時、様々の人々が相談に訪れていたそうです。

話の展開として、「ユダヤ人」に触れると、どうしても「天皇の先祖」を語らなければなりません。そもそも「日本」の日=太陽、本の大の字を取って「十」=十字架ですか。
余談になりますが、栃木に伴久(ばいきゅう)ホテルがあります。秘境の温泉ですが、伴の人偏をとって、半。半は平の隠し字。つまり平家の平=落人。このような例は各地にいくらでもありますが・・・。

二回もの回答ありがとう御座いました。
大変参考になりました。(「もののけ姫」の事は知りませんでした。)

お礼日時:2006/11/22 07:01

NO.5です。




>お鼻の形がどこか「アラブ系」に似ているようにも見えますが、私だけの印象でしょうか。

秦氏系列の苗字をいくつか知っています。
私の知り合いにその苗字の一つに該当する人がいますが、どこから見ても日本人です。
ですが、もう一人の同じ苗字の人は、まさしくヨーロッパで言われる典型的なユダヤ人の鼻をしています。
肌の色も日本人のそれとはちょっと違い浅黒い。
息子も同様の鼻と肌を持つ。
外見は日本人ですが、肌の色と鼻が朝鮮系列とも中国系列とも違う。


日本は昔は関所が設けられ、許可書みたいなものが無いと、民は国から国に自由に往来できなくした時期があったようです。

(※ただし特権商人がおり、お上により保護されていたので、自由に往来でき、流れる商人の民は物資を流通させていたようです。 
この商人は異形の格好をしており、もののけ姫にも出てきます。
アブラム(のちのアブラハム:ユダヤ民族、アラブ民族の祖)もやはり遠征する軍隊に同行していた商人だったそうです。) 


戻って、、、えっと、そうなると渡来して住み着いた群落の血が濃くなりますよね。
渡来人の集団の中にも土着の民と同化できなかった、あるいは故意にしなかった集団があったのかもしれない。


>天皇家の解明に役立つと思うのは、「仁徳天皇陵」の徹底的な調査ではないでしょうか。

ガド族が持っていた神器マナの壷。
そういわれて見ると、この古墳の丸い方を下にして見れば、取手のついている壷に見えなくもないですね。

日本書紀・万葉集って、どんな集団が作ったのでしょうね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …

聖徳太子って、、、、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3% …
【つまり厩戸皇子は蘇我氏と強い血縁関係にあった。】
確か蘇我氏も秦氏系列だったような。


>そもそも、大和朝廷の確たる所在も分からないわけですから、日本史は歴史が長いだけあって謎だらけですね。

というより日本の古代史は、日本書紀とかそれらを参考にするしか形成できないのですが、その資料となったものをそもそも作ったのは誰なのか、、、、って掘り下げると奥が深いですね。

日本には文字が無かった。
文字が大陸からやってきて、日本書記を誰かがどういう思惑からかわかりませんが作って、現代ではそれを参考に日本の古代史を決定しているわけです。

日本の神話にしても、例えば過ぎ越しの日と同じ内容の神話が日本にあります。
遠く離れた西の果ての神話を、東の果ての日本の神話にしちゃったのは誰?・・・ですよね。
「日本に住んでいた人が、古代シルクロードを伝ってパレスチナに移り住み、日本の神話をユダヤ人の聖書に入れさせた」なんて説は誰も言いません。

日本人は祭りや民謡に出てくる語彙の意味を聞かれても知りません。
知らないのに歌ってます。
ですが、ユダヤ教のラビが聞けば、それらは意味のある言葉になるそうです。
中にはそっくりそのまま古代ヘブル語の言葉そのものの歌もあるのだとか。
ユダヤ人にどういう意味か教えられたら、私たちは唖然とするでしょうね。
CMでも流れていますが、その歌が流れるたびに 「これって洗脳?」とか思ったりします。



もう一個情報を差し上げましょう。
秦の始皇帝は幼名を政といい、荘襄王の子どもと言われているが、華南王家の出身でガド族の豪商呂不葦の実子。
しかし政略的見地で呂不葦に因果を含められ荘襄王の養子となった。
秦の始皇帝はガド族王家の血筋だった。 
という説があります。

こうなってくると、中国の古代史を調べないと事実確認がとれません。
ここで私はストップしています。

この回答への補足

再度の回答ありがとう御座います。
ガド族は確かイスラエル12部族の一つですね。
ガド族は約束の地カナンに行くことを拒否しヨルダン川を渡らなかった。

では秦氏と秦の始皇帝の関係は?
・「秦氏は、応神帝の時に来朝した弓月君の子孫である。姓氏録はこの弓月君なるものは、秦の始皇帝の五世の孫・融通王であるとする。」(梅原猛「聖徳太子」下巻)
・鹿児島県東市来町の太秦神社のお祭神は秦の始皇帝である。
こうなると、秦氏一族の先祖がガド族と言ってもおかしくは無いのではないでしょうか。とすれば、家康の時代にユダヤ人(この呼称で呼ばれていたかどうかは不明)がいたとしても不思議ではない。
私家本には関東地域にユダヤ人12支族がいたと記述されている(この真偽は不明)。

先に述べた三笠宮殿下の学友は、その後東京大学の教授となり、専門分野の一つに「旧約聖書学」を教えていました。その教授の言を借りれば、三笠宮殿下は、天皇家の一族。天皇家しか見れない「パンドラの箱」があるのではないか、と述べていました。
更に、天皇家の先祖生誕の地が古代オリエントであることも・・・。

卑近な例を一つ挙げましょう。
石原慎太郎が初めて都知事に立候補した時、鹿児島選出の代議士が餞別をを持って応援に駆けつけました。その餞別の出所は、ある富豪のユダヤ人です。その餞別の金額も中途半端なものでは有りませんでした。
ユダヤ人は今でも、見えないように日本の権力の中枢に関わっています。
これ以上お話しすることは出来ませんので、この件は終わりにします。

家康はいろいろな事件を経て、キリシタン禁教令を出しました。
当時、全国にキリシタンが37万人いたと言われています。
ユダヤ人と直接の関係は無いかもしれませんが、家康がキリスト教に無関心だった事は確かなようです。

補足日時:2006/11/20 23:47
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NO.3です。


>日本人とユダヤ人の関係を遡って行くと、秦氏一族にぶち当たります。・・・
 秦氏が渡来系であることは定説になっていますが、その「秦氏が西方のヘブライの裔であること」、「秦氏の裔が家康の時代に関東地方に一定の勢力を保っていたこと」を証明するのは大変なことでしょうね。
 また家康が「関東地方の夷狄(朝鮮人、ユダヤ人等)を内心で嫌がっていた」という証拠があるんでしょうか。
 これらの証拠集めは気の遠くなるような作業になりますね。
 いっそ、現在の秦姓を名乗っている人を集め採血し、現在のユダヤ人からも血を採って、ミトコンドリア・イブのような遺伝子解析をやった方が、話が早いかも知れませんね。

この回答への補足

秦一族は、日本全国に22士族が数えられます。
神奈川県の秦氏に由来がある秦野には唐子昨神社があり、青竹で十字に組んだ十字架にヤソ様なる仏様(坊さん像)をつけて担ぎ回すという不思議な雨乞い祭りがあります。武蔵国や関東近辺の場合、埼玉の男衾郡(現寄居町・嵐山町・小川町を中心とした地域)に幡々郷(幡多郡)があり、幡羅郡(現熊谷市・深谷市・妻沼町)には幡羅郷(現原郷)があり、東京では幡ヶ谷(渋谷)が有ります。
更に、秦氏は神社建立に力を入れました。松尾神社、稲荷神社、平野神社、白山神社、賀茂神社、八幡神社がその例です。八幡「やはた」は「多くの秦氏がいる」という意味です。
秦氏一族は藤原一族に多くの娘を嫁がせている(藤原氏と天皇家の密接な関係はご存知の通りです)。
以上、関東地方に秦氏の一族がかなり広い範囲に亘っていたことは分かりのですが、・・・。
 秦氏が関東地方に一定の勢力を保っていたかどうかは、定かではありません。
 また、家康が関東地方の夷荻を内心嫌がっていたかどうかも今の段階では、証拠はありません。
今後の研究が待たれます。

補足日時:2006/11/19 20:49
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>「関東には夷荻(朝鮮人、ユダヤ人等)が多く分布しているから」嫌がったという話は初耳です。


 この私家版の著者がなにを根拠にこういうことを言い出したのか、ちょっと推理してみました。
 関東地方には「狛江市」や「西武池袋線高麗駅」などでもわかるように、朝鮮渡来人由来の地名が結構あるようです。著者はこんなところからヒントを得たのかも知れません。
 しかしこれらの地に渡来人が移り住んだのは、戦国時代はるか以前のことで、これらの人々はすべて同化してしまい、家康が脅威に感じるとか嫌悪感を持つとかいうことはありえないと思いますね。
 ユダヤ人云々はNO.1さんご指摘の「日ユ同祖論」からヒントを得た可能性がありますな。あるいは生粋の日本人でも西洋人そっくりの顔立ちの人がいますが、そんな人を見て思いついたのかも知れません。
 私もついこの前このカテゴリーで珍説・偽説の類で質問したことがあります。
 これは偽説まではいかない珍説の部類に入ると思います。本の中身全部を読んではいませんので断定はできませんが、ご質問文を読んだ限りでは、そんな感じがします。

この回答への補足

日本人とユダヤ人の関係を遡って行くと、秦氏一族にぶち当たります。
秦一族の故郷は巨丹(コタン)[新疆ウイグル自治区ホータン]。
秦酒公が朝廷から太秦(うずまさ)の姓を与えられる。
中国がローマ帝国のことを大秦と呼んだ。
長安の大秦寺はキリスト教寺院。
ヘブライ語の「イエス・メシア」は北インドでは「ウズ・マシャ」と発音。
等々、いろいろ言われているようですが、残念ながらユダヤ人が古来から日本にいたという確たる証拠は有りません。
ちょっと気になるのですが、三笠宮殿下が東京大学で古代オリエント史を学ばれた時、学友に天皇の子孫はオリエントから来たと申したそうです。私はその学友から直接話を聞くことができました。少し余談になりましたが・・・。

補足日時:2006/11/18 12:29
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ここで、「夷荻」という言葉の意味ですが、高校の世界史あるいは


日本史の授業で、このように教わりました。

中国の王朝は自国を世界の中心であり、最高の文明を誇る国と考えて
自分のことを「中華」と称し、外国を夷荻(野蛮人)と呼んできまし
た。これを中華思想と言います。
特に、東には大きな弓を使う野蛮人「東夷」(日本のこと)がいて、
北には「荻」という野蛮人です。これを「北荻」といい、これをあわ
せて「夷荻」(野蛮人)とよんだとのことです。
ちなみに、南方の野蛮人は「南蛮」と呼ばれました。

よって、徳川家康の意図した「夷荻」の言葉使いは、単に「自分の命令
に従わない野蛮な抵抗勢力」がいる。といった意味合いではないかと
思われますが。いかがでしょうか。
以上

この回答への補足

「夷荻」の意味は、ご指摘の通りですが、問題は「自分の命令に従わない野蛮な抵抗勢力」のなかに朝鮮人、ユダヤ人がいたかどうかと言う事です。
ちなみに「蝦夷」の「夷」はアイヌ民族、尊皇攘夷の「夷」は外国人を意味しますね。

補足日時:2006/11/18 01:48
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私家版ならではの、トンデモ本です。


青森の戸来村にキリストの墓があるという話もありますが・・・
日ユ同祖論
とかで検索するといっぱいでると思います、その手の話。
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