事前の宣戦布告なしの奇襲攻撃で戦争がはじまる例は戦史上いくらでもあるのに、なぜ真珠湾攻撃だけが「だまし討ち」として批難されるのでしょうか。

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A 回答 (14件中1~10件)

相手国との外交交渉中に奇襲攻撃をかましたのは、戦史上、日本が最初で最後です。


これは、まさに「だまし討ち」といえるでしょう。

ご存知だとは思いますが、おさらいのため当時の流れを記しておきますと、
当時の日本は、アメリカの経済制裁で屑鉄や石油が入らなくなり、ヒイヒイ言っておりました。このままではジリ貧の為、1941年初頭からアメリカと経済制裁解除のための交渉を始めます、日本側のぎりぎりまで妥協した提案(乙案、11月20日)に対する米側の対案(ハルノート、11月27日)が提示され、アメリカ側としてはその返答を待っているところでした。
本来であれば、日本は最低でも攻撃前に交渉決裂を通告しなければなりませんでしたが、それすら行なってません。真珠湾攻撃が問題視されるのは「宣戦布告が無かったこと」ではなく「交渉打ち切りの通告が無かったこと」が大きな理由です。

例えるならば、笑顔で握手をしようと手を差し延べながら、いきなり顔面パンチを喰らわすようなもので、こんなことをされればどんな相手でもブチ切れるのは当たり前な事です。
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この回答へのお礼

なるほど。長年の疑問が晴れました。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/27 23:16

当時 太平洋への侵略の足掛かりの欲しかったアメリカは


反戦ムードでいっぱいの世論を変える為に 真珠湾攻撃を騙まし討ちと称しました
アメリカは最初から 和平交渉などする気は無く 
経済封鎖、排日移民法など 日本と日本人を痛めつけ
最後まで譲歩案を出し続けた日本に対し
ハルノート(日本の外地における利権を全て放棄)を突きつけました
当然 そんな要求は飲めるはずも無く 日米開戦となりましたが
日本軍の暗号は筒抜けで 米軍はその主力を移動させていました
さらに 宣戦布告が手続きのミスのため 真珠湾攻撃の後となってしまい
戦意抑揚の為に まんまと利用されたわけです
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/27 23:15

確かどこかの本で書いてあったのをうろ覚えで書かせてもらいますが…。



☆日本が出した宣戦布告文(最後通牒)をアメリカ駐在大使陣が翻訳に手間取り、提出が遅れてしまったため、日本の機動艦隊が真珠湾に奇襲をかけた時間と宣戦布告受諾の時間差が生まれてしまったので、「宣戦布告前のだまし討ち」となった。
☆アジアの権益を欲しがっていたアメリカが「正義は我にあり」という大義名分を欲した為、難癖をつけた。

この2点が真珠湾攻撃がだまし討ちと言われた原因だったと思います。

まぁ…「歴史は勝者が作る」という言葉もありますし、何処までが真実かわからないですが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/27 23:13

そ~いえば, アメリカ海軍上層部は「真珠湾への戦艦の移動」に反対してたらしいです. 「なんであんな (防御がほとんど不可能に近い)

ところに戦艦をわざわざ動かすのか」ってことですね. でも, 最高司令官がそう命令しちゃったんです.
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/27 23:14

アメリカの昔からの手口です。



 リメンバー・ロスアラモス…アラモ砦を忘れるな!
メキシコ領テキサスにあったアラモ砦に米国人が立て篭もり玉砕
それの報復攻撃としてサン・ハシントで行われた戦いの時の合言葉

 リメンバー・フォートサムター
アメリカ合衆国から脱退したサウスカロライナの町チャールストンの沖にある砲台に米軍が撤収せず立て篭もり、南軍によって強制排除された。米国はこれを合衆国への攻撃として南北戦争を起こした。その時の合言葉

 リメンバー・メイン
ハバナ港に停泊していた戦艦メイン号が爆沈を起こした。これはスペインによるテロと勝手に断定し、スペインと戦争を行った。その時の合言葉。

 リメンバー・ルシタニア
1914年に米国移民船『ルシタニア』号がドイツ海軍によって誤って撃沈された。1917年に対独宣戦布告する理由として取り出された合言葉。

 リメンバー・パールハーバー
日本軍が宣戦布告の1時間前に空襲したことをだまし討ちとし、対日戦決議に持っていくための合言葉。

 リメンバー911
ご存知の通りです。

真珠湾攻撃をだまし討ちとしとかなければ対日戦争への正統性根拠がなくなるのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/27 23:14

「トラ、トラ、トラ」や、「パールハーバー」という、映画を見てください。


感情として、理解できます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/27 23:14

基本的に「宣戦布告の有無」はだまし討ち云々とは関係ありません。



簡単に言えば「最終的にアメリカが勝ったから」としか言いようがありませんね。これが逆(アメリカが攻撃した側)であれば、アメリカは何も言ったりはしません。それはハワイの占領政策を見てもよくわかる。

結局のところ「戦争などに正義はなく、勝った物の言い分だけが後で正義と定義される」だけなのです。それだけ。これはもちろん、アメリカと日本が入れ替わっても同じですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/27 23:14

NO,3同様、「正義の大義名分」が必要であった。


同じ事が、9.11テロで繰り返されました。
事件同時から、軍関係者の間で9.11テロの「やらせ」が噂されていました。
事件を未然に防げたのに、アルカイダ撲滅とイラクのフセイン打倒の「正義の大義名分」の為に見逃した、という風聞です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/27 23:14

いろんな説が出るのは仕方ないでしょう、アメリカ人の好きな陰謀説も疑ってみては?もし本当にアメリカ政府が真珠湾攻撃を事前に知っていて、それをわざと見逃し、日米戦争に持ち込む為わざと見逃したなら、それは必ずバレて戦争途中で死んだルーズベルトはともかく、トルーマンはその後とんでもない運命になったでしょう、ただ日本側にも問題はあります、在米大使の失態です、きちんと宣戦布告の連絡をしていたにもかかわらず、外務省職員の怠慢で連絡が遅れ、アメリカ側のだまし討ち説の根拠にもなったかもしれません。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/27 23:14

宣戦布告のない先制攻撃は当時においても条約違反です。



また、「だまし討ちされた」という事実が米軍のモチベーションにも繋がったのでしょう。

アメリカは自分の国の不正には寛容ですが、、、結局「勝てば官軍」というのが戦争なのでしょう。

ウィキペディアにはたくさんの戦争に関する記事が出ていますので、一度閲覧してみてください。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/27 23:14

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Q真珠湾攻撃について

真珠湾攻撃について学校で習ったのは日本が闇討ちをしたと教えられましたが、米国側は事前に真珠湾攻撃の事を知っていたと言うのは事実ですか?事実だとしたら何故、日本が奇襲攻撃をしたと教えられるのですか?

Aベストアンサー

回答は出てると思いますが、蛇足を。
奇襲とは、相手が防御体勢を取ってない場合で、取ってる場合は強襲となります。

トラトラトラの電文は、攻撃開始前に淵田指揮官から打たれています。米軍が防御体勢を整えているかどうかが、大きな問題となるからです。勿論、攻撃の順番も変わります。奇襲の場合は、雷撃、急降下爆撃、水平爆撃の順ですが、強襲の場合は、急降下爆撃を先に行い、相手の対空砲火の鎮圧、基地機能の麻痺させることになるわけです。
ですから、トラトラトラでは、どれだけ相手に被害与えたかは、艦隊も大本営も解かってませんでした。
ただ、当時の航空搭乗員の技量を考えると、奇襲だとかなりの戦果が期待できることは確かでしたが。

フィリピンの航空基地は、真珠湾の攻撃報告を聞いて、戦闘機が上空に上がって迎撃体制を整えてましたが、台南基地が、霧のため離陸できず、かなり遅れてしまいました。
米軍機は日本軍が来ないので、給油のため着陸した頃に日本機が現れ、地上で撃破されてしまったと言うのが事実です。

どうも、米軍は開戦を覚悟していたようで、フィリピンには、漁船に砲を1門積んだ偵察艇をしきりに動かして、これを日本軍が先に攻撃するのを期待してたようです。
しかし、真珠湾にあれだけの航空機で空襲されることは、予想外で、痛すぎる出血となったことは確かです。

回答は出てると思いますが、蛇足を。
奇襲とは、相手が防御体勢を取ってない場合で、取ってる場合は強襲となります。

トラトラトラの電文は、攻撃開始前に淵田指揮官から打たれています。米軍が防御体勢を整えているかどうかが、大きな問題となるからです。勿論、攻撃の順番も変わります。奇襲の場合は、雷撃、急降下爆撃、水平爆撃の順ですが、強襲の場合は、急降下爆撃を先に行い、相手の対空砲火の鎮圧、基地機能の麻痺させることになるわけです。
ですから、トラトラトラでは、どれだけ相手に被害与えた...続きを読む

Q真珠湾攻撃は奇襲かそうではないか。

真珠湾攻撃は,奇襲説とそうではなかったとする説と2つあります。学生のころは,奇襲と教えられました。しかし,最近,奇襲ではなかったとの言を耳にします。
奇襲ではないの根拠や資料は何によるのでしょうか。
ご存知の方,教えてください。

Aベストアンサー

・日本から米国に対する宣戦布告は手配していたのだが、米側に渡るのが予定より遅れてしまったので、予告ナシの奇襲のようになってしまった。
(在米日本大使館の手違いか怠慢?と言われています)

・でも実はどっちにしろ、米国側は日本側の暗号を解読して、知ってたんじゃないの?という説。

どの程度正確か分かりませんが、ウィキペディアに「真珠湾攻撃陰謀説」というページがあります。
保護されたり削除依頼が付いたり荒れてはないようです・・・・・
参考文献が掲載されているので、そこらへんの書籍を見てみたらいいのではないでしょうか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%E6%94%BB%E6%92%83%E9%99%B0%E8%AC%80%E8%AA%AC

Qもしも、真珠湾攻撃をしなかったら・・・

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 大東亜戦争(国際法上に於ける正式名称・East Asia War)の発端は真珠湾攻撃ではありません。ワシントンDC及びロンドンで米英蘭に対して日本が宣戦布告したのが発端です。
 この宣戦布告に基づいて真珠湾・フィリピン・マレーシアに同時攻撃を行いました。続いてインドネシアへの攻撃が行われます。
 もし真珠湾攻撃をしなかったらですが、米国太平洋艦隊が無傷だっただけのことです。米国国民が対日戦に賛同するかは微妙です。フィリピンを巡る戦いのために米国国民が2年も3年も戦争を支持するとは思えません。

> 何が理由で、大国と戦争をしたのですか
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Aベストアンサー

国際法では正式に戦争は宣戦布告を相互に行う事で国際的に認められる事に成っています。
ベトナム戦争はどこも宣戦布告を行った国はありませんので国際法上は内戦に成ります。

フランスの植民地であったベトナムで独立戦争が始まり北ベトナム人民民主主義共和国が勝利して独立を果たしましたが、共産主義国が拡大することを嫌ったアメリカが介入し南ベトナム民主義共和国を作りベトナムを南北に分割したのです。
アメリカは軍事顧問団と称してアメリカ軍を送り込みテコいれしましたが南ベトナムに解放戦線が結成され腐敗や弾圧がひどかった南ベトナム政府に反抗して内戦状態になりました。

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従ってアメリカには宣戦布告する大義名分はありません。 たまたま派遣していたアメリカ軍が危険に陥りそれを救済するためズルズルと巻き込まれてしまっただけです。 このような状態で宣戦布告を行えば激しく非難していた日本の日中戦争と同じ立場になり国際的非難をあびます。
あくまで内戦として処理するしかなかったのです。

国際法では正式に戦争は宣戦布告を相互に行う事で国際的に認められる事に成っています。
ベトナム戦争はどこも宣戦布告を行った国はありませんので国際法上は内戦に成ります。

フランスの植民地であったベトナムで独立戦争が始まり北ベトナム人民民主主義共和国が勝利して独立を果たしましたが、共産主義国が拡大することを嫌ったアメリカが介入し南ベトナム民主義共和国を作りベトナムを南北に分割したのです。
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Q真珠湾攻撃の資料について。

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どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

この辺りの事情から入っていけば、なぜ真珠湾攻撃になったのかがわかると思います。
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参考URL:http://www.tabiken.com/history/doc/N/N350R100.HTM

Q真珠湾奇襲攻撃

連合艦隊は、真珠湾奇襲時、真珠湾に米空母がいないことを知っていたのですか。
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また、この本には、真珠湾攻撃の数日前に東京からの指示で極秘文書を焼却したと書いてありました。
米空母が停泊していたか否かについて、連合艦隊は事前に把握していたかどうか、教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

知るすべは、なかった。
吉川予備役海軍少尉が駐ホノルル・日本領事館員森村正と称し、
連日、真珠湾の港内の様子を暗号電文で知らせた、最後の
12月6日の電文には、空母が入港しているとは書かれていなかった。
が、当時近海にいたハルゼーの機動部隊は、急行すれば
日曜には入港できる位置にいた。
(なお、この暗号電文は、外務省から海軍省・軍令部・
瀬戸内海の連合艦隊旗艦上の司令部には伝達されたが、
南雲機動部隊には、連絡されなかった。
機動部隊が、空母がいないことを知ったのは、
第一次攻撃隊からの報告による。)

Q真珠湾攻撃のアメリカ軍の正確な死者数

表題のものについて知りたく思っています。

以前、テレビを見ていたとき、
アメリカの各地にいって原爆の被害を訴えていた方に、アメリカ人の女性が泣きながら「私の兄は真珠湾攻撃の時殺された、そんなことを言うならばホワイトハウスに言ってくれ」といっておりました。
幼い頃から、「はだしのゲン」等のドラマをたくさん見せられてきて私にとって、けっこうショッキングな映像でした。(もちろん軍人と民間人の違いというのはありますが)


「真珠湾攻撃はなかった」
「真珠湾攻撃はアメリカ軍が知っていて、わざと攻撃させた」
「自虐史観はウンヌン」
という議論はナシでできるだけ正確な事を知りたいです、お願いします。
また、民間人もまきこまれたのか、それも知っている方がいれば教えてくださ。

Aベストアンサー

死者は約2400人。民間人を含みます。
http://www.geocities.jp/torikai007/pearlharbor/shipimage.html

> もちろん軍人と民間人の違いというのはありますが

軍人と民間人の命の重さが違うということでしょうか。
殺した人数の多寡が問題なのでしょうか。
戦争の評価ってむずかしいです。

参考URL:http://www.geocities.jp/torikai007/pearlharbor/shipimage.html

Q真珠湾攻撃の戦線布告について

この間 友人どうしで、真珠湾攻撃の時、日本がアメリカに対して戦線布告をしたとか、しないとか
議論」しましたが、結論が出ませんでした。したという人としなかったという人、とが意見を主張しあって 結論が出ません。したと言うひとは、丁度そのとき職員の送別会に参加していて、英語に翻訳するのに手間取ってしまし、戦線布告を通達したのは、攻撃が始まった、30分後だった、といいました。又別の人は、いや、攻撃前にちゃんと 通達しているといいました。どれが、本当ですか?

Aベストアンサー

#8です。
開戦時のタイムテーブル

〔日本時間〕 〔おもな軍事行動と外交手続き〕
12月 7日10時15(25)分…日本軍、武力行使(陸軍機、イギリス飛行艇を撃墜)
12月 8日 0時前後………シンガポール空襲部隊、仏印の基地を発進
1時30分………ハワイ北方250カイリ、第1次攻撃隊、機動部隊空母を発進
1時35分………英領マレー半島コタバル沖の上陸部隊、陸地にむけて発進
2時15分………日本陸軍佗美支隊5500名、コタバルに上陸(うち700人死傷)★
真珠湾外でアメリカ駆逐艦、日本軍特殊潜航艇を攻撃
3時00分……………対米覚書手交予定時刻(電報解読の遅れ等で間に合わず)
3時23分………ハワイ空襲部隊指揮官、「トラトラトラ」発信
3時25分………日本軍、ハワイで空襲開始(~4時ごろ)★
3時30分………南方軍総司令官、タイ進攻作戦の開始を命令
4時以降………近衛師団・第5師団、タイの各地に続々と進攻・上陸
~10時 陸軍機、タイ空軍機を撃墜、タイ領マレー半島では地上戦闘
4時20分……………ワシントンで対米覚書(交渉打切通告文)を手交★
4時32分………第2次攻撃隊、ハワイ空襲開始(~5時15分 3784名死傷)
7時46分………海軍機、フィリピン・ミンダナオ島ダバオを空襲
7時50分………海軍陸戦隊、ルソン海峡バタン島に上陸
8時00分………陸軍、香港攻撃を開始、陸軍機、フィリピン・ルソン島を空襲
8時30分………海軍機、グアム島を空襲
9時22分………機動部隊、全攻撃隊の収容を終わる
10時10分………海軍機、ウエーク島を空襲
11時45分……………宣戦布告書を在日米・英・加・豪各大使に手交 → 宣戦布告★
12時30分……………日本軍のタイ国内通過承認協定成立、調印(バンコク)
13時32分………台湾を発進した海軍機約200機、ルソン島を空襲
出典:佐々木隆爾・木畑洋一・高嶋伸欣・深澤安博・山崎元・山田朗編『ドキュメント・真珠湾 の日』(大月書店、1991年12月刊)より作成。

詳細は以上の通りです。★印注意
宣戦布告の解釈、戦闘開始の時刻等に誤解ある回答が多いようですので以上をご参考にして下さい。

#8です。
開戦時のタイムテーブル

〔日本時間〕 〔おもな軍事行動と外交手続き〕
12月 7日10時15(25)分…日本軍、武力行使(陸軍機、イギリス飛行艇を撃墜)
12月 8日 0時前後………シンガポール空襲部隊、仏印の基地を発進
1時30分………ハワイ北方250カイリ、第1次攻撃隊、機動部隊空母を発進
1時35分………英領マレー半島コタバル沖の上陸部隊、陸地にむけて発進
2時15分………日本陸軍佗美支隊5500名、コタバルに上陸(うち700人死傷)★
真珠湾外でアメリカ駆逐艦、日本軍特殊潜航艇を攻撃
3時00分……………対米覚書手交予定...続きを読む

Q真珠湾攻撃の奇襲表現は、報道規制がある?

真珠湾攻撃から70年が経ちましたが、真珠湾攻撃は「奇襲」というのが、殆どのマスコミの一般的な表現です。
米国の陰謀説、誘導説等、色々な説がありますが、「奇襲」とは「正当な作戦」、「すぐれた作戦」、など、プラスにイメージしやすいと私は思います。

国際条約を破った、卑怯極まりない騙まし討ち攻撃を、「奇襲」と報道するのは、日本国が報道規制しているのでしょうか?

Aベストアンサー

報道制限は無いと思いますが、諸外国に配慮した報道だと思います。「奇襲攻撃」という表現があっても米国が交渉のテーブルに乗らなかったという表現はしないとおもいます。
 これは、幾つかの説があり、どれが正しいか現代でも判断できないのです。よって、マスコミも事実関係の報道にとどめ、自国に有利な説をあえて記載しない。韓○や中○と比べて紳士的な対応です。
「日本国政府はぎりぎりまで米国を交渉を続けたが、帝国海軍の先走りで真珠湾攻撃が行われ、先の大戦に至った」という説もあります。
 現代のように情報インフラが発達していなかった時代、ホンの数時間差の行き違いで開戦に至ったとの説もあります。
 Hiroshima・Nagasakiへの原爆投下についても、昭和天皇も「国際法上の大量虐殺兵器の利用はは遺憾」と敗戦の勅語で述べられています。
 
戦後、日本国は民主化国家があるべき姿だと米国にその将来を委ねたのです。共産主義にしたかったのであれば、連合国の一員であるソ連に助けを求めたでしょう。


総括:報道規制は無いとおもいます。米国の勧めた民主国家によって色々な意見も事由に発言できるようになったのです。「真珠湾奇襲」を語るには、その攻撃に至る日米の交渉やいきさつが大きく関わってきます。奇襲というのはどちらかといえば日本側が悪いという表現だとおもいます。しかし、現代の日米関係を鑑みると、米国の第一の友好国であり、米国民に対しての配慮ある日本の表現だとおもいます。日本が悪いとか良いとかいう論議以前に、現在の日米関係を考慮した表現だと思います。

報道制限は無いと思いますが、諸外国に配慮した報道だと思います。「奇襲攻撃」という表現があっても米国が交渉のテーブルに乗らなかったという表現はしないとおもいます。
 これは、幾つかの説があり、どれが正しいか現代でも判断できないのです。よって、マスコミも事実関係の報道にとどめ、自国に有利な説をあえて記載しない。韓○や中○と比べて紳士的な対応です。
「日本国政府はぎりぎりまで米国を交渉を続けたが、帝国海軍の先走りで真珠湾攻撃が行われ、先の大戦に至った」という説もあります。
 現代のよ...続きを読む

Q太平洋戦争開戦時のイギリスへの宣戦布告について

太平洋戦争開戦時、在米日本大使館が、暗号の翻訳とタイプに手間取り、
日米の外交を断絶する文書をハル国務長官に渡すのが、
予定の時刻より1時間遅れてしまった事は有名ですが、
イギリスに対してはどうだったのでしょうか。

同じ方法、つまり在英日本大使館から文書を手交したのでしょうか。
(あるいはラジオでの宣戦布告や在日イギリス大使への通知?)

また、マレー侵攻は真珠湾攻撃より早かったのですから、
宣戦布告はその時刻に間に合ったのでしょうか。

ご存知の方がおりましたら、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 ハル国務長官に手交された「対米覚書」が「開戦に関する条約」第1条に定められた宣戦布告及び最後通牒のいずれの要件も満たしていないことは、すでに書かれているとおりです。ただ、「日本の同盟国であるドイツが英国と開戦した時点で、日英間も事実上交戦状態に入っていました」という意見は噴飯もので、悪い冗談というより他はありません。

 さて、「対米覚書」が宣戦布告としての効果を持たず、しかも開戦前に手交しようとして結局失敗したとは言え、一応日本はアメリカに対してはこのような形での事前通告を試みてはいました。
 しかし、イギリスに対してはなんの通告も行われないまま戦闘行動に突入しています。(日本軍がマレー半島に上陸してイギリス軍と交戦状態に入ったのは真珠湾攻撃の1時間半前でした。)
 これについては以下のような解釈が試みられています。
 すなわち、太平洋戦争の開戦判断自体に「イギリスはまもなくドイツによって打倒される」という観測があり、対英戦については完勝が見込まれていた。(参謀本部が1941.9.6に作成した「帝国国策遂行要領ニ関スル御前会議ニ於ケル質疑応答資料」による)一方、アメリカに対しては誰も米本土を占領して戦争を終えられるとは思っておらず、「開戦初期に大打撃を与えて継戦意欲を喪失させ、和平」というシナリオを描いていたので、米国世論を刺激しないために完全無警告攻撃でなく、対米覚書によって事前通告のようなことをして配慮しようとした…というものです。
 アメリカとの間には長々と日米交渉が繰り広げられる一方で、イギリスとの間には特に何も無かったのは、イギリスはまもなく舞台から消えるという判断があったわけですが、ドイツはすでに対ソ戦に全力を注ぎ込んでおり、この誤判断が日本を危険な対米英戦に踏み切らせることになったわけです。

 太平洋戦争開戦経緯については、
・日本外交史<23>日米交渉(鹿島研究所出版会)
・真珠湾奇襲論争(講談社)
などを読まれるといいと思います。

 ハル国務長官に手交された「対米覚書」が「開戦に関する条約」第1条に定められた宣戦布告及び最後通牒のいずれの要件も満たしていないことは、すでに書かれているとおりです。ただ、「日本の同盟国であるドイツが英国と開戦した時点で、日英間も事実上交戦状態に入っていました」という意見は噴飯もので、悪い冗談というより他はありません。

 さて、「対米覚書」が宣戦布告としての効果を持たず、しかも開戦前に手交しようとして結局失敗したとは言え、一応日本はアメリカに対してはこのような形での事前通...続きを読む


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