プロが教えるわが家の防犯対策術!

 近年は名選手=名監督という図式にはならないことが実証されつつありますが、監督になるにはある程度チームの生え抜きであるかどうかや、選手としての実績なども採用に考慮される点ですよね、監督になった人の中にはまったく選手実績のない人もいますよね。
 これまで知っている監督の中で一番実績のない人は、やはり阪急の上田監督です。確か通算出場試合数が160試合前後しか無かった記憶があります。
 他にはどんな監督がいますか?。
 そして、上田監督が監督になれたのはどういう経緯があったんでしょうか?。何か監督に抜擢されるきっかけなどはあったんでしょうか?。

A 回答 (8件)

上田利治



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%94%B0% …

http://www.jrt.co.jp/tv/ohayo/2003/0131.htm

私も現役時代の実績がなくてどうして監督でこれだけの実績が残せるのかと疑問を持っていましたが、wikipediaを読むと概ねその理由もわかってくると思います。高校時代から文武両道で、生徒会長をやるなど高いリーダーシップ性を発揮していたし、関西大学にも野球推薦ではなく学力だけで充分な実力を持ち合格、弁護士を目指したことなど、知将の片鱗は随所に見られます。プロでは大成しないことは自分もわかっていて早くに引退、しかし、広島の松田オーナーからは将来の指導者と言われるほど野球理論に長けていたようです。

上田と同じように現役時代の実績があまり芳しくないながら名将となったような人物というと近年ではなかなか思い浮かばないですね。

日本の歴代監督(ちょっと重いです)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …

戦後すぐなどの古い監督のことはあまりわかりませんが、

荒川博・・・通算安打503,160打点など上田ほどではないが、決して現役の実績はいい方ではないと思う。しかし、ヤクルトで監督を務めたが、むしろ王貞治の一本足打法の生みの親、あるいは安打製造機榎本喜八を育てたことなど打撃コーチとしての功績が大きいと思います。

西本幸雄・・・上田の生みの親だが、選手成績は芳しいものではない。1度も日本一にはなれなかったが、8度のリーグ優勝は名将に値するのではないか。

根本陸夫・・・通算70安打。実働4年。広島、クラウン・西武、ダイエーなどで監督を歴任。監督としての実績よりもスカウト・球団経営・チーム編成などで大きな実績を残す。今のGM(ゼネラルマネージャー)として球史に名を残した。監督時代は広岡や王への橋渡し、新興チームの土台作りとしての功績が大きな役割を果たしたと思います。

トレイ・ヒルマン(現北海道日本ハム監督)
選手としてメジャー経験はないようですが、若いころからマイナーリーグのスカウトや監督として豊富な実績があるようです。今年の日本ハムを日本一・アジア一に導きました。

ボビー・バレンタイン(現千葉ロッテ監督)
メジャー経験はあるが、あまり芳しい成績は残せなかった。1995年千葉ロッテを2位に、また2005年には同じく日本一・アジア一に導く。2000年のメッツでも優勝に導く。

伊原春樹・・・2002年西武をリーグ優勝に導くが、三塁コーチャーとして卓越した相手チームの観察力など、しばしば相手の守備のスキをつく好走塁・得点を導く。監督というより、走塁コーチとしてのイメージが強い。王貞治が700号本塁打を打った試合に巨人の選手として出場したという興味深いエピソードがある。関本・玉井と加藤初・伊原のトレードが行われたが、個人的には選手としての印象は全くない。
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この回答へのお礼

根元氏も70安打とは上田氏といい勝負ですね。
それほどの選手成績でもある意味パリーグの神といわれるほどの存在のなれるんですね。
しかし、上田監督はすごいっすね弁護士にもなれるような人だったとは・・・。その頃は文武両道は有り得ない時代だと思っていたので意外です。
そりゃ一目置かれますよね

お礼日時:2006/11/24 02:39

♯1derekuです。


申し訳ありません。南海時代の古葉さんしか知らなかったものですから大変失礼致しました。お詫びして訂正させて頂きます。
何人かのプロ野球関係者とはよく飲む機会があるのですが、野球の話はあまりしないので今度その辺の話もしてみます。
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この回答へのお礼

プロ野球関係者と交友があるんですか
仰木監督と交友がある人もいるし、このサイトには本当にいろんな人がいて世の中にはいろんな人がいると実感します。
このサイトで本当に世界が広がりました

お礼日時:2006/11/25 06:08

仰木彬さんには個人的にもお会いしたこともあり、特別な思いがあります。

現役時代の実績の捉え方は人それぞれかもしれないし、もしかするとある程度数字などの定義づけが必要なのかもしれませんが、少なくとも昭和30年代前半を中心とした西鉄ライオンズ黄金時代のセカンドのレギュラーをはっていた仰木彬さんについては、申し訳ありませんが、質問者の言う現役実績のない名監督には当たらないと思います。野武士軍団の中心選手の1人です。1960年にはベストナインにも輝いています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B0%E6%9C%A8% …

おそらく、質問者の言う現役時代の実績は、投手で言えば敗戦処理中心、野手で言えば、守備固めや代打の出場が多く、せいぜい消化試合で試験先発程度で、つまり、チームの勝負ところでの活躍は少なく、その後レギュラーを掴むことなく球界を去ったレベルの選手を言っているのではないかと思います。(あるいは、もっとひどい場合は1軍経験すらなく球界を去った人もいます。)上田氏もおそらくその程度の実績しかないにもかかわらず、現役をやめてもユニフォーム組として監督という頂点で大活躍したということが、普通に考えれば不思議だということだと思います。
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この回答へのお礼

すごいですね~。
仰木監督に個人的にお会いしたことがあるとは、関西の企業の重役さんとかなんですか!?。もしくは古くからの旧友・応援団の団長さんとか・・・。
自分の実績のないという定義からすると確かに仰木さんは外れますね。
自分の定義では一度でもレギュラーを獲得したらまず除外されます。もちろん控え選手でもこなす役割によって評価は変わってきますが。
しかし、自分は所沢育ちで子供の頃の黄金期西武ファンだったので、仰木さんは憎くたらしい人でしたが、本当に名監督でしたね。
別に亡くなったからこういう事を言うわけではありませんが、少ない人材の有効利用する采配は歴代の名監督で一番優れていたと思います。

お礼日時:2006/11/24 02:27

おいおい、みんな亡くなったからって仰木彬さんを忘れてもらっちゃ困るよ。

現役時代の通産打率が.229ですから、選手としては決してすごかったわけではありません。監督時代の功績についてはいちいち書く必要もないでしょう。
監督としてはそれほど長い経験のない権藤博さんですが、投手コーチとしての手腕に疑問を持つ人はありますまい。現役時代としての実績は入団からわずか3年(実質的には2年)にしか過ぎません。
2006シーズン、ソフトバンクで監督代行を務めた森脇浩司さん。普通、監督が休養するとチームの成績はずるずる下がるものです。それをあそこまでちゃんとチームを率いた手腕は評価されてしかるべきです。現役時代は、レギュラーには定着せず、ほぼ守備固め要員として過ごしました。余談ですが、ソフトバンクは森脇さんを正式に監督にして王さんをGMにしたほうが王さんの寿命は延びたと思います。このままじゃ、王さん死んでしまいます。

逆に「名選手だったけど監督としてダメダメだった人」ってのも面白そうですね。鈴木啓示、堀内恒夫、中西太(打撃コーチとしては充分な実績)・・・長嶋さんをここに入れるかどうかでモメそう・笑。
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この回答へのお礼

確かに、仰木さんは地味目な選手だったようですね。
ロッテ・横浜で監督を務めた近藤昭仁さんも似たタイプでしたね。
しかし、自分も森脇監督に交代するのに賛成です。
王さん続投には驚きました。
長島世代の方はもう休ませましょうよ・・・。

お礼日時:2006/11/24 02:30

古葉竹識さんは長嶋茂雄と首位打者を争ったこともある名選手です。


たしか終盤戦でデッドボールを当てられその後欠場、そのまま長島が首位打者になったんですね。
デッドヒートでした。
その他にも盗塁王2回、ベストナインン1回、オールスター出場3回
これでは「広島で殆んど出ていない」とは言えないと思います。

名選手で無くて名監督とは、西本幸雄さんでしょうね。
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この回答へのお礼

古場監督は選手としては実績のある方だと思います。
いろんなチームでプレーした点は純粋な生え抜きではないと思いますが。
西本さんってそんな実績の無い人だったんですか。
とりあえず調べてみます。

お礼日時:2006/11/24 02:32

ヤクルトを初優勝に導き、西武を常勝チームに育てた、広岡監督って、いい数字は、残していますが、現役期間は、短いと思います。


日ハムはじめ、外人の監督さんは、本国で、実績を残してきたのだろうか、
とも思っています。
上田さんは、名監督ですね。
クールな戦略家という印象です。
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この回答へのお礼

上田監督の頃に日本ハムが優勝して欲しかったですね。
日本ハムファンの伊集院光も北海道で新庄が目だって優勝するより望んでいただろうな~
「ええで、ええで!」

お礼日時:2006/11/24 02:34

うーん…古葉竹識さんは、私の手元のデータでは


 1501試合、5427打数1369安打、263盗塁
 盗塁王2回(1964年、1968年)、ベストナイン1回(1963年)
となっておりまして、まぁ名のある選手だったと言っていいかと思います。どこで食い違いがあったのかな??

私も根本さんがその1人かな、と思いますね。
それと、濃人渉さんも含めてもいいかも。(反論あるかもしれませんが)

西本さんはプロに入った時点で32歳と既に峠を過ぎていたので、
プロでの成績はあまり残していないですが、アマでは名選手だったと言われています。

あと、もともとプロ選手としての経歴がない藤本定義さんや石本秀一さんはどう扱えばいいのか迷うところ。

上田さんは今でいえばヒルマン監督に近く、
早くから選手ではなく指導者としてのキャリアを積んで、
指導者としての実績を挙げて…というタイプですね。

これに近いのは伊原さんかな?
でも伊原さんは監督として成功したとは御世辞にもいえないと思うので…
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この回答へのお礼

確かに、根本さんはそうだったみたいですね、。
しかし、西本さんが32歳でプロ入りとは今では考えられないですね。
かなりの例外ですね。
伊原さんもコーチからのたたき上げですね。オリックスではうまくいきませんでしたが、自分は一応成功した監督だと認識しているんですが。
個人的に好きだから・・・

お礼日時:2006/11/24 02:36

他にはどんな監督がいますか?。


ズバリ!古葉竹織さんです。広島で殆んど出ていないし、南海にトレードされて2年くらいで2軍コーチ。その後、広島コーチを経て監督。
試合数131、285打数75安打(南海時代S45・46)
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この回答へのお礼

古場監督ってもっと成績残してませんでしたっけ?
1000試合くらい出ていたような。

お礼日時:2006/11/24 02:40

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