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旧制女学校について調べています。
いままで十分な学資と本人の意志さえあれば、だれでも進学は可能なのだと思っていました。
しかし母の知り合いに伺った所、「入試がむずかしくて入れなかった。周囲にもそういった方が何人かいる」というではありませんか。
その方曰く、私立はともかく、県立や市立といった公立校はむずかしかったと言うことですが、本当でしょうか?
学費のことはしばしば取り上げられますが、入試については寡黙にして知りません。
ご教授していただけると助かります。

*現在85歳以上の方のケースを想定していますので、その条件でご回答願います。

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A 回答 (13件中1~10件)

私はまだ85才になっていませんが姉二人が女学校に行っていたので若干戦時中の受験競争の事情も判りますのでお答えします。

女学校も中学校もシステムは同じです。当時住んでいた神戸市の場合公立は県立と市立があり県立は第一から第四まで、市立は第一、第二(記憶に自信なし)神戸市で一番成績の良い順番に県立第一から第四を受験します、もし第一を受験しておちれば私立中学を選択して受験します。現在有名な灘高校は県立第一を落ちた者達が受験した中学校です。
女学校も県立、市立、も中学校と同じで成績の良い者から順番に県一、県二を受験して、もし落ちれば私立女学校へ行く事になります。
私立は公立より授業料が高いので貧乏人は行けません。だから貧しい家庭の子供は勉強して県立か市立に合格する必要があった。昔は公立が国立、県立、市立の順番で学力を測る物差しになっていました、貧しい家庭の子供で学力のない者は中学校、女学校には行けません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

おかげさまで大分ディティールが分かってきました。

しかし、疑問も湧いてきました。
旧制中学・女学校には「学区」はなかったのでしょうか?
通える距離(あるいは寮に入るのであれば、距離さえも関係なく)、どこでも受験できたのでしょうか?

お礼日時:2006/11/28 22:49

>現代と戦前とでは社会のシステムがまったく違いますから、比較するのはむずかしいですよね・・・


 仰せの通り、戦前と今では変わったところは多くあります。
 話が方々に飛びますとややこしくなりますので、陸大の難しさに限ったところで申し上げますと
(1)戦前においても、教育の機会均等は相当程度確保されていました。勉強ができれば、どんな貧乏人でも月謝の要らない師範学校や陸軍士官学校、海軍兵学校などへ試験で入ることができました。
(2)戦前と現在と大きく違うところは軍の存在です。軍は現在のシビリアンコントロールとは対極にある存在で、政治にも大きな力をもっていました。軍人の値打ちは今の自衛隊員とは全く違います。尉官などの下級将校でもエリートのうちですし、将官でも中将ともなれば席次では並みの県知事よりは上といった感じであったらしいです。この大将、中将、少将などの将官のエラサ加減(権威権力)については、お近くの80歳以上のご老人に聞けばよくわかると思います。

 こういうことから、陸士・海兵は恰好のよさもあいまって大変な人気があり、難関の学校でした。
 一方、一般の学校の最難関は第一高等学校(一高)であったことは誰もが認めることで、エリートコースの典型は 一高→東京帝大 ということでした。
 陸士海兵と一高とどちらが難しいかは、よくわかりませんが、一高の方がやや上ではなかったかと思います。
 しかし陸大などはその陸士を通り、大尉前後の階級になった軍人から
さらに50人程度選抜するわけですから大変です。文字通りの超々エリートです。先は将官が約束されている天保銭組です。
 わたしは会社の先輩で、中学校の4年から(中学校の修業年限は5年)一高→東大出 の文字通りのエリートの人と陸大の難しさについて話をしたことがあります。
 その人の話では「そりゃ問題なしに陸大だよ、一高生がいくら勉強しても半分は陸大に落ちるな、陸大生は100%一高には入れるよ。」とのことでした。
 その他、陸大(海大)最難関説は他の先輩や親・親戚からも聞いておりますし、これを否定する人には、今まで出会ったことがありません。
 質問者さんもお近くの高学歴の80歳以上のご老人に聞けば、実感らしきものが掴めると思います。
 現在の最難関大学に比べてもその超エリート振りから陸大の方が上というのが当たり前のようです。現在の自衛隊にも陸大同様の幹部養成機関はあると思いますが、詳しくは知りません。
 まあ、進学、入学試験のシステムは、戦前も戦後も大きな違いはありません。ただ、戦後大きく変わったのは軍人のエラサですね。ここが大きなポイントだと思います。
 ただ今までの話は、試験の難しさについてであって、陸大出の仕事ぶりがよくできたかどうかについては、別の話になります。
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この回答へのお礼

何度も回答していただきありがとうございました。

入試に関連して戦前の学校における中退率も知りたかったのですが、長くなったので、一旦回答を締め切らせていただきます。

皆様、ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/04 23:11

陸軍幼年学校・士官学校、あるいは海軍兵学校については面白いことに


「落ちた人は例外なく『オレは身体検査で落ちた』と言う」
という事実があります。
大平正芳 元首相 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B9%B3% …
島野武 元仙台市長 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E9%87%8E% …

既に故人となりましたが、陸軍幼年学校に身体検査で落ちたと証する人を身近に二人知っています。それぞれ
「**帝国大学卒の、旧帝国大学医学部の名誉教授」
「**帝国大学卒の旧制中学・新制高校の先生。県立高校の校長で退任」
でした。

彼らが本当に「身体検査で落ちた」のかは確かめる術がありませんが、幼年校(このように略します)への入学はよほど難しかったのだな、と想像がつきます。
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この回答へのお礼

幼年学校で身体検査ですか……。
個人的にはナンセンスだと思いますが……。
子供の頃身体が弱くても、成長して頑強になる人もいますしね。
当時の価値観が窺えますね。

何度も書き込んで下さり、ありがとうございます。

お礼日時:2006/12/03 09:24

No10さんの言われる「専門部卒」の話ですが、私学のみならず官立大学でも多数ありました。


例えば
大阪帝国大学(現 大阪大学)附属医学専門部:手塚治虫が卒業。戦時中に、とりあえず使える医師を量産するために設立。
東京商科大学(現 一橋大学)附属商学専門部:渡辺美智雄が卒業。

一橋大学の関連企業のHP内では、渡辺美智雄は「一橋の誇るOB」の筆頭に挙がっています。在学中は、天下の秀才を自認する東京商大の学生からは「専門部?あいつらは一橋の偽者だよ」と後ろ指を指されていたと思うのですが。世の中、出世した者の勝ちのようです。
http://www.hit-plan.com/hit-s/t-2-1.html
大平元首相は、東京商大を経て大蔵官僚になった一橋出身のエリートです。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

専門部情報が充実してきました。

お礼日時:2006/12/03 09:27

No.2、8です。

たびたびシャシャリ出てきてすみません。
 戦前の旧制のとき私大には「専門部」というのがありました。ここを卒業しても本物の学士さんではないわけですが、卒業された方は雑談等の場では「自分は○○大学卒業だ」といっておられる方が多いようです。
 わざわざ○○大学専門部卒と専門部をことさらいれる人の方が少ないように思います(もちろん履歴書とか結婚の釣書などの場合はキッチリ書き入れますが)。
 別に専門部をけなすつもりは毛頭ありませんが、学士と専門部卒とは大きな差がありました。
 私の居た会社では、専門部は旧制大学の1ランク下の高専卒扱いです。初任給や入社後数年は給料の面でもハッキリとした差がついていました。私の居た会社では完全実力主義でしたので、専門部卒でも大学卒を追い越して役員になった人もいれば、平社員で終わった人もいます。

 ふたたび陸大(陸軍大学校)についてですが、これは明治以降一番難しい学校であることには間違いないでしょうね。
 なにしろ将来将官(最低でも勅任官)になることが約束されていましたから。中将ともなれば並みの県知事より席次は上だったと古い人から聞いたことがあります。
 私の会社員駆け出しの頃、陸大出の元参謀少佐の方が同じ部にいらっしゃいました。
 ある酒の席で(このとき参謀殿は不在)、「会社の中で誰が一番頭がいいか」という馬鹿話になったとき、東京帝大(一高)卒の大部長さんが、「○○さん(元参謀殿)には、我々が逆立ちしても何してもかなわんよ。」といっておられたのが印象に残っています。
 こんな古い話がいつまでも脳味噌のメモリーにバン居していますので、新しいことが頭に入りません。今日また古い記憶をリフレッシュして入れ直したようなもんですから、これは死ぬまで抜け切らないかと・・・(笑)。お邪魔しました。
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「専門部」、初めて聞きました。
陸大も、すっかり忘れられてしまったのですね。

お礼日時:2006/12/02 13:39

 No4です。



No6・No8の回答者の方、有難うございます。

 女専・女子医専があったというのは、昔聞いたことがありましたが、戦争が激しくなって国内の男子の不足を補うために、女子教育を始めたようなことを聞きかじっていまして、これらの学校が出来たのは1940年以降と思っていました。

 福岡県立女子専門学校・大阪府立女子専門学校は、大正初期に設立されているのですね。

 東京・関西以外の場所での、最初の女子高等教育機関設立、流石に、九州は教育熱心な土地柄ですね。感心しました。

この回答への補足

書き込みありがとうございます。

>戦争が激しくなって国内の男子の不足を補うために、女子教育を始めたようなことを聞きかじっていまして、これらの学校が出来たのは1940年以降と思っていました。

アメリカも似たような事情らしいです。
戦時中はあちらでも兵役による男不足のため、女性の社会進出が進みました。
(女性兵士の登場も第二次大戦中です)

しかし戦争が終わり復員がはじまると、女子は職場から追い立てられました。
それまでの反動から社会が保守化し、アメリカでも良妻賢母が求められるようになったそうです。
(1950年代の赤狩りも社会の保守化の一潮流で、「非アメリカ的なものを排除する」という島国根性的な心理が根本にあったようです)
戦争花嫁でアメリカに行った人たちは「自由と豊かさと男女平等」を夢見ていたそうですが、(生活習慣の違いなどは別として)実態は思っていたような理想社会ではなかったそうです。
とくに日系人社会は、日本以上の保守的な社会だったとのことです。

補足日時:2006/12/01 23:38
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 NO.2です。

私の叔母は明治末年生まれですが、女専の英文科を出て、女学校の先生をしていました。師範学校や高等師範、文理大学のように教員系学校以外にも、一般の学校出身の先生が多くいました。
 卒業した学校よりも1ランク下の学校(高商→商業学校)であれば、そこの先生になれたんじゃないでしょうか。教職課程の単位云々についてはよく知りません。
 わたしの新制高校時代は高等師範や有名大学出の先生が多く、皆さん学者で立派な先生が多かったです。
 ただ私が教わった小学校の先生は、商業学校の出身で(それもチャンと卒業していたかどうか怪しい)、このままでは首になるということで、私はその先生の単位取得のためのレポート作成の代筆をしたことがあります。教え子のお陰でその先生も最後は校長に出世されました(笑)。
 話がそれてきて申し訳ありませんが、NO.7さんの回答で「陸大」「海大」が出てきました。これは本物の大学ではありませんが、日本においては最難関の学校であったと思います。一高、東大よりもはるかに難しいと古い人から聞いています。
 私の親戚で飛び切り優秀といわれた人でも陸大はダメで、大佐止まりでした。
 佐藤三兄弟(長男・市郎・海軍中将) (二男・岸信介・総理大臣東京帝大)(三男・栄作・総理大臣東京帝大)のなかでも長兄の市郎さんが、勉強が一番できたという話です。
 まあ地域の違いや時代の違いはあるにしろ、戦前であれば、国公立>私立 という大筋は変わらないんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

小学校の先生の話、なんとも人間味あふれるというか、なんというか。
現在のカッチリ画一的なシステム下では考えられないほほえましいエピソードですね。
本には載らない貴重なお話だと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/30 23:25

NO3で回答したものですが神戸市では戦時中たぶん昭和18年頃に学区制が布かれて県立第一は東地区、県立第四は西地区になったとおもいます、当時先生がお前等は配給の菜っ葉だとぼやいている先生がいたそうです、それまでは学区は全くなく通学出来れば本人の選択に任されていました。


他の方が回答されていますが学費のない者達は軍関係の学校が沢山あり陸軍では陸軍幼年学校とかあったようです。戦前は海軍兵学校とか人気があったようです。家が貧しくとも軍関係の方に進めば授業料は全く掛からず最高は帝大と同程度の陸大、海大まで学費なくとも進めますがたた学問がしたいだけのものには救済策にはなりません。韓国の朴大統領が家庭が貧しかったが学問が良く出来たので日本人の教官に陸士を受験しろと進められて陸士に行ったことを自身で語っています。
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この回答へのお礼

学区制、岡山では昭和19年1月だそうです。

軍関係の学校に進めば……平和な世の中から見れば良いような、悪いような、ですね。
「富国強兵」が国是で、是が非でも軍事大国化せざるを得なかった当時といまを同じ物差しで測ることはできませんが……。

お礼日時:2006/11/30 23:20

No1の者です。



「良妻賢母を求める社会のニーズにより、師範学校系以外は公立高等教育機関は多分存在していません。(もしあれば、知っている方教えてください。)」

師範学校の系列以外に、女性に高等女学校より上の教育を授ける官公立の学校として「女子専門学校」がありました。高等学校、高等商業学校、大学予科と同じレベルの「旧制専門学校」の一つです。ただ、女子専門学校を卒業した者にどんな資格が付与されたのかは分かりません。

例:福岡女子大学の前身の福岡県立女子専門学校(文科、家政科)
http://www.fwu.ac.jp/guide/guide_history.html

ウィキペディアの旧制専門学校 女子 の欄に一覧があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%88%B6% …

ちなみに、県立の高等女学校を卒業した私の一族の女性は、頭の悪そうな人も含めて「全員」が上記一覧の中にある「県立女子専門学校」に行き、卒業後すぐに嫁に行きました。教育内容は、今の女子大の家政科のような感じだったようです。生徒は、県下の裕福な家の娘しかいなかったようです。

No3さんの言われる「良妻賢母教育=花嫁修業=資産のある家庭の子女が進学、という状況であり、女子教員の需要も数がわかっているため、志望者数が定員とほぼ同じ(事前に当落が、かなりわかったようで、試験を受ける前に断念する場合が結構多かったみたいです。)でした。」は、私の一族の進学状況を見ると、地方都市の県立「第一」高等女学校、県立女子専門学校のいずれにも当て嵌まったようです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>女子教員の需要も数がわかっているため……
たいへん興味深い指摘だと思います。

No1回答への返信、もし気分を害されたらすみません。

お礼日時:2006/11/28 23:00

うちの母親が市立第二高等女学校で、小学校で一番出来の良い女子が第一高等女学校、2番目が第二高等女学校という順番で、当時母親の家は手広く商売をしており、広い家に従業員も50人ほどいましたから、家の離れに進学する近所の子供たちでグループを作って集まり、退職した先生が家庭教師として受験勉強をしていたそうです。


他の方もいわれるように、今も昔も有名校は難しく、無名校は生徒を集めるために簡単だったのではないでしょうか。
姉の嫁ぎ先の祖父は早稲田大学を卒業していますが、当時は先方から入学しないかとの勧誘がきて、質問者が考えてるように、十分な資力と意思があれば入学できたそうです。
友人の父親も早稲田を出て教育関係の仕事をしていましたが、やはり簡単に入学できたので、現在の入試とは比較できないと言っていた記憶があります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど興味深いです。

お礼日時:2006/11/28 22:56

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Q女学生(明治ー昭和)

古い話で恐縮ですが、
女子学生の場合、一つの経路として
尋常小学校→高等女学校→女子高等師範学校
などとありますが、
とりあえず、
尋常小学校入学時の年齢と卒業時年齢
高等女学校入学時の年齢と卒業時年齢
を教えていただけないでしょうか?

一応、自分で調べたことによれば
高等女学校は4年制と5年制のとこがあるらしいです。
     

Aベストアンサー

尋常小学校(国民学校)初等科入学 6歳
             卒業 12歳

高等女学校入学 12歳
     卒業 16歳

1992年文部省の「学制120年史」にはこのように記載されていました。
高等女学校は4年制のようですが、多分おっしゃっている5年制というのは、
青年学校の女子部だと思います。

予断かもしれませんが、国民学校卒業後、高等科に2年通い、
高等女学校に入学するケースもあるようです。

Q戦前の学制について

NHKの朝のドラマを見ていると、中学校、師範学校、女学校、八校、上野の音楽学校、帝大などの学校が出てくるのですが、戦前の学制について詳しくないのでよくわかりません。
どなたかわかりやすく説明してください。

Aベストアンサー

戦前の教育制度は、上から見たほうが分かりやすいです。

官立(国立)、公立の学校を基準にしますと、

大学ランク:帝国大学、東京商科大学、医科大学など
高等学校ランク:高等学校、大学予科、高等専門学校、高等師範学校、女子高等師範学校、陸軍兵学校など。
中学校ランク:中学校、師範学校、高等女学校、専門学校、陸軍幼年学校など。
義務教育の尋常小学校

となっていました。

戦前の学業優秀、学資十分な子供は、例えば下記のコースをたどりました。
東京市立 麹町尋常小学校→東京府立 第一中学校→官立 第一高等学校→官立 東京帝国大学
高等学校から帝国大学に進学するのは、原則として無試験でした。

一方、家が貧しくて小学校に行くのがやっと、という子供は、例えば下記のコースを経れば、最終的には前記の裕福な子供と同じ学歴を得ることができました。
尋常小学校→高等小学校→師範学校→高等師範学校→帝国大学
師範学校は授業料が無料でした。戦前の貧しい少年は、師範学校に行って小学校訓導になることをまず目指していたようです。小学校教師になれば、少なくとも「食って行けない貧困」とは絶縁し、自分の子供にさらに上の教育を授けることができますから。2代かけて社会的上昇を果たした親子を何例か知っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%AB%E7%AF%84%E5%AD%A6%E6%A0%A1
師範学校卒業者が高等学校を受験し、エリートに合流することも可能だったはずです。

陸軍将校を志望する子供は、下記のコースが理想でした。
尋常小学校→中学校→中学1年修了で陸軍幼年学校→陸軍士官学校→陸軍将校に任官
この場合、幼年学校に入った時点で官費となり、貧しい子供にはやはり魅力的だったようです。

20年ほど前に法務大臣を務めた秦野章氏は、警察官僚のトップの警視総監から政界に入った人ですが、家が貧しかったために下記の経歴を経ています。
小学校→今で言う大検に合格→私立 日本大学の夜間部卒業→今で言う国家公務員一種試験合格→内務省官僚→戦後に警察官僚
まともな学校に通えなくても、努力すれば帝大卒のエリートと同様に扱われることが可能だった、という実例です。

戦前の教育制度は、上から見たほうが分かりやすいです。

官立(国立)、公立の学校を基準にしますと、

大学ランク:帝国大学、東京商科大学、医科大学など
高等学校ランク:高等学校、大学予科、高等専門学校、高等師範学校、女子高等師範学校、陸軍兵学校など。
中学校ランク:中学校、師範学校、高等女学校、専門学校、陸軍幼年学校など。
義務教育の尋常小学校

となっていました。

戦前の学業優秀、学資十分な子供は、例えば下記のコースをたどりました。
東京市立 麹町尋常小学校→東京府立 第一...続きを読む

Q戦時中の修業期間について

日本の現在の基本的な学校制度は、

・小学校(6年制):6~12歳
・中学校(3年制):12~15歳
・高校(3年制):15~18歳
・大学(4年制):18~22歳

となっています。勿論、個人によって違いはありますが。

この制度はおそらく戦後に設定されたものですよね?戦時中は今とは修業年数も違い、学校の呼び名も違っていたと思います。
そこで質問なのですが、太平洋戦争中の日本の学校制度はどうなっていたのでしょうか?それぞれの修業年数と、年齢が知りたいです。
在学途中で徴兵、出征させられた大学生達の年齢は、今の大学生より上でしょうか?下でしょうか?
ご存知の方、教えて下さい。よろしくおねがいします。

Aベストアンサー

こんにちは.

ご質問者さまと同じ疑問があったため,
教育委員会~文部科学省に問い合わせました.

文部科学省ホームページ→白書→その他→
学制百年史→資料編→
三 文部省局課変遷・学校系統等図表→
学校系統図 

結果が下記アドレスです.
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198102/hpbz198102_2_185.html

ご質問の趣旨を含めて全ての情報が記載されて居るので,
詳細な解説は必要ないしていたしませんが,
ご質問に関連する部分は,
『第6図 大正8年』と,
『第7図 昭和19年』が,
ご質問に該当する時代の図表と思います.

このご質問は私の疑問解決にも,本当に役立ちました.
ありがとうございました.

なおこの回答が,
ご質問者さまの参考の一助になれば幸いです.

参考URL:http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198102/hpbz198102_2_185.html

こんにちは.

ご質問者さまと同じ疑問があったため,
教育委員会~文部科学省に問い合わせました.

文部科学省ホームページ→白書→その他→
学制百年史→資料編→
三 文部省局課変遷・学校系統等図表→
学校系統図 

結果が下記アドレスです.
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198102/hpbz198102_2_185.html

ご質問の趣旨を含めて全ての情報が記載されて居るので,
詳細な解説は必要ないしていたしませんが,
ご質問に関連する部分は,
『第6図 大正8年』と,
『第7図 昭和1...続きを読む

Q戦前の師範学校について

戦前には、教員を養成する師範学校がありましたが、師範学校は、旧制中学校を卒業した後に入学したのでしょうか。

Aベストアンサー

残念ながら数的データを持ち合わせないので伝え聞く範囲でお答えします。

戦前の師範学校は、第二次世界大戦中の学制改革までは高等小学校卒後に進学するのが基本ですので、中学校からは普通進学しませんでした。
田舎の自作農やあまり大きくない地主の長男は地元を離れることを許されなかったので、高等小学校卒後農業学校か師範学校へ進むことができれば幸運だったようです。

高等師範学校というものもありましたがこれは主に中学校教員の養成機関で、中学校卒か師範学校卒の学生を受け入れていました。類似するものに農業教員養成所や工業教員養成所があり、それぞれ農業学校や工業学校の教員を養成していました。

ただし戦時中の学制改革によりNo.1さんの回答のように、予科3年を経て本科3年に進むようになりました。
このため戦後、教員養成学校は新制高等学校相当ではなく大学相当になった経緯があります。
(なので戦後かなりの長期にわたり、文学部など伝統のある大学学部の教官は、同じ分野の研究をしていても教育学部の教官や教養部(旧制高校相当)の教官を見下していたところがあります)

残念ながら数的データを持ち合わせないので伝え聞く範囲でお答えします。

戦前の師範学校は、第二次世界大戦中の学制改革までは高等小学校卒後に進学するのが基本ですので、中学校からは普通進学しませんでした。
田舎の自作農やあまり大きくない地主の長男は地元を離れることを許されなかったので、高等小学校卒後農業学校か師範学校へ進むことができれば幸運だったようです。

高等師範学校というものもありましたがこれは主に中学校教員の養成機関で、中学校卒か師範学校卒の学生を受け入れていました。...続きを読む

Q旧制中学を卒業すれば大学に行けた?

戦前の日本では、
旧制中学を卒業すれば大学に行けたのでしょうか?
高校の立場はどうなりますか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>旧制中学を卒業すれば大学に行けたのでしょうか?

戦前といっても太平洋戦争末期とそれ以前では制度が違うため微妙ですね。
ただ「大学の本科」に限れば答えはNoでしょう。

戦前は数多くの学校(種別)があり、現在と比較するのは難しいです。
単純に「小学校⇒中学⇒高校⇒大学」というようなストレートな順番だけでなく、多岐にわたる選択肢があります。
小学校(国民学校)卒業後だけを見ても以下のように多岐にわたります。(太平洋戦争末期)
国民学校高等科:2年制(12~14才)
実業学校:4年制(12~16才)
青年学校普通科:2年制(12~14才)
青年師範学校予科:3年制(14~16才)
師範学校予科:3年制(14~16才)
高等女学校:4年制(12~16才)
中等学校:4年制(12~16才)
高等学校尋常科:4年制(12~16才)

大学(本科)に行くための進路だけに限定すれば以下の2ルートが正規ルートでしょう。
・旧制中学→旧制高校→大学
・旧制中学→大学予科→大学

なお旧制高校の定員は帝国大学の定員とほぼ同数だったため、専攻を選ばなければ帝国大学への入学は約束されたようなものだったようです。
逆に言えば一部の一部の帝大に人気が集中すると定員割れを起こす帝大や公立大学が出てしまうようです。

その対策として各大学が大学予科を新設して学生の確保に力を注いだとのことです。(大学予科は特定の大学の付属学校のため、他の大学には進学できません)

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%88%B6%E5%AD%A6%E6%A0%A1

>旧制中学を卒業すれば大学に行けたのでしょうか?

戦前といっても太平洋戦争末期とそれ以前では制度が違うため微妙ですね。
ただ「大学の本科」に限れば答えはNoでしょう。

戦前は数多くの学校(種別)があり、現在と比較するのは難しいです。
単純に「小学校⇒中学⇒高校⇒大学」というようなストレートな順番だけでなく、多岐にわたる選択肢があります。
小学校(国民学校)卒業後だけを見ても以下のように多岐にわたります。(太平洋戦争末期)
国民学校高等科:2年制(12~14才)
実業学校:4年制(12...続きを読む

Q旧帝大ってどんくらいすごいですか?

旧帝大ってどんくらいすごいですか?
私の祖母はめっちゃ旧帝大信者です
姉が私立大なのですが 実家帰るたび嫌味を言われていてかわいそうです
信者はうちの祖母の世代に限るんでしょうか?
皆さんは「旧帝卒」って聞くとどう感じますか?
教えて下さい

Aベストアンサー

国立大の話をすると、各県に教育学部と医学部が必ずあります。学校の先生とお医者さんは、各県に必ずいる大切な職業で、しかも高等な教育が必要だから、地元に養成機関を作ったんですね。また、ほとんどの県で、工学部か農学部、希に水産学部があります。これも地元の産業を担う人材を育てたい、ということですね。
旧帝大は、これら各県の枠では収まらない優秀な人材を集めて地元の産業の枠を超えた、国として産業や学問を発展させよう、という研究機関となります。北海道、東北、関東、中部、近畿、九州の各地方(なぜか中四国にはないんですよね)にあります。
特徴としては総合大学として、文学部、商学部、法学部、理学部、工学部が必ずあり、各分野の進歩を担う人材の育成を目的としています。
要は、「研究者」つまり「学者」を養成することが大きな目的です。

対して私立大の両雄、早稲田、慶応の例で書くと、これらは、社会に実際に役立つ人材を広く育成することが目的で、「実学」(実際の社会活動に役立つ学問)を教えることが主になります。
たとえば、建築の話ですると、
旧帝大は建築学の権威を育てたいと考え、私立大は優秀な建築家を育てたい、と考えているわけです。

ここでのポイントは、学者さんと技師さんとで、どちらを尊敬するか、ということですね。
昔は多くの人は中学にも行かずに職人や商売人になりました。職人は技師と同じ職場にいますし、経営者も商売人と直接関わる間柄になりますよね。技師さんや経営者さんは大学を出ていても身近な存在なんです。大学を出たばかりの設計技師さんよりも、現場で腕を磨いた頭領の方が優秀なことも多かったでしょう。
でも、身近に学者さんはいなかったでしょう。

で、回答になりますが、「旧帝大卒」と私が聞いた場合、研究者になるための一通りの作法を学んだ人だ、という認識を持ちます。実際に研究者になっていなくても、学んだ、つまりそういう考え方を習ったというところがキーになります。お茶の師匠になっていなくても、その作法を習った人は、茶道とは、というところを知っているだろう、というのと同じです。

これ、言い換えると、「私大卒」と私が聞いた場合、社会に実践的に役立ついろいろなことを知っている、身についている、と思います。

上下がある話ではなく、社会に貢献するやり方の違い、だという認識です。

国立大の話をすると、各県に教育学部と医学部が必ずあります。学校の先生とお医者さんは、各県に必ずいる大切な職業で、しかも高等な教育が必要だから、地元に養成機関を作ったんですね。また、ほとんどの県で、工学部か農学部、希に水産学部があります。これも地元の産業を担う人材を育てたい、ということですね。
旧帝大は、これら各県の枠では収まらない優秀な人材を集めて地元の産業の枠を超えた、国として産業や学問を発展させよう、という研究機関となります。北海道、東北、関東、中部、近畿、九州の各地...続きを読む

Q昔の短大の偏差値は高かったの?

ごく普通の大学を卒業し一流企業とやらに運よく勤めさせていただいている者です。

勤務先には35歳前後~それ以上の女性社員の方々が大勢おられ皆さん優秀なのですが学歴が案外高くない(短大卒の方がちらほらいる)ことに理不尽さを禁じえませんでした。

彼女らが言うには「わたしらが出たころの都内短大は偏差値55~60が普通だったし四大受かっても蹴って短大にいく女の子が多かった」と。

偏差値56~ってきちんとした大学並みですよね?
そんなわけないと思うのですが・・。

なぜ彼女らはこんな見栄をはるのでしょうか。
偏差値が本当にそれくらいあれば大学いくでしょ・・。

Aベストアンサー

No.2の回答者です。
いただいたコメントについて。

>>>今年の青学・学習院・明治等の普通の大学(四大のほう)の偏差値を調べてみたら55前後ですね。
>>>昔の短大の55~60が本当なら現在の四大よりも優秀だった、ということになりますが・・。

はい。一部の短大は、そうだったと思います。

>>>ああ、やはり信じられない・・(すみません)けど、就職率や縁談(?)に有利という理由で短大であっても人気が集中した結果入学が難化したということですね。

そうだったと思います。

>>>おっしゃるとおり、今は偏差値40でも35でも入れる四大がごろごろあります。
>>>昔はよかったとはいえ、今は短大卒の肩書が足かせとなっていませんか?
>>>(どんなに優秀でも短大卒として扱われるという点で)
>>>若手には私のように昔を知らないで勘違いしている人も多いので。

前回も書きましたけど、18歳の時点で、ライフスタイルとして短大卒として扱われる道を選んだのです。

有名短大の秘書科を出て一流企業で一般職として勤めるのが、女学生達の憧れだったのです。
そして、男子社員をつかまえて結婚し、結婚退職するか、あるいは、1~2人目ぐらいの子供が生まればほとんどの女子社員は退職するとか、そういう図式でした。

現在は、女性が四大を出て男と同等に社会進出するのが当たり前ですよね。
家の留守を守り、学校から帰ってくる子供に「おかえりなさい」と言って迎える母親が減少しました。
保育園の先生が、自分の子供をほかの保育園に預けるというケースさえあります。(私の家の近所)
そしてまた、当然ながら、仕事を求める人の総人数が多くなります。
すると、どうなるでしょうか?
求人数が変わらずに、仕事をしたい人が増える。
それはつまり、失業率が高くなることを意味します。

短大が隆盛を誇っていた時代というのは、「良妻賢母」がいた時代だったのです。

そして、私大の乱立により、わが子を大学に押し込めたいという馬鹿親が増えました。
塾や家庭教師などの教育産業も大流行り。
その結果、どうなったか?
子供1人にかかるお金が異常といっていいほど増えました。
すると、夫婦の心理としては、産む子供の数を少なくし、かつ、ある程度貯蓄をしてからそれを学資とするため、年を取ってから子供を産むということになります。
つまり、少子化が進みます。

また、企業を退職していったん専業主婦になった人が学資のために働くとなると、パート社員として薄給でこき使われます。
これによって、さらに失業率が高まります。

以上のことからわかるとおり、私大の乱立は今の世の中を悪くしている元凶なのです。

これにて演説終わり。
失礼しました。

No.2の回答者です。
いただいたコメントについて。

>>>今年の青学・学習院・明治等の普通の大学(四大のほう)の偏差値を調べてみたら55前後ですね。
>>>昔の短大の55~60が本当なら現在の四大よりも優秀だった、ということになりますが・・。

はい。一部の短大は、そうだったと思います。

>>>ああ、やはり信じられない・・(すみません)けど、就職率や縁談(?)に有利という理由で短大であっても人気が集中した結果入学が難化したということですね。

そうだったと思います。

>>>お...続きを読む

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q大正時代の高等女学校の英語教科書

大正元年生まれの祖母が、四国のナントカいう
高等女学校に入学した時に
初めて英語の授業を受けたのがカルチャーショックだった、
という話をしていました。

最初の1文が

 This is a king.

だったそうです。

とても懐かしそうに話すので、是非もう一度見せてあげたいと思うのですが…
尋常小学校の国語の本などは、復刻されていたりして
比較的手に入りやすいのですが、
教科書の題名も判らない(覚えてない)らしくて
調べようがなくて困っています。

この教科書の題名の判る方、いませんか?
また、詳しいサイトなどがありましたら、教えてください。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 該当分がありました。本文に「This is a king.
」があります。

書名 : Girls' new crown readers book one
著者等 : 神田乃武編者 長岡擴校訂
版事項 : 修正6版
出版・頒布等 : 東京 三省堂 1925(大正14)
形態等 : 2,1,7,111,2,12,1p,図1枚 20cm
検定 : 大正14年2月3日 文部省検定済

Q20年前と比べて全体的に大学の偏差値が下がっているのでしょうか?

20年前と比べて全体的に大学の偏差値が下がっているのでしょうか?

1990年代前半に中堅どころの大学に入学したものです。
最近母校の偏差値を見ていたところ、私が入学した当時よりも下がっていてショックを受けました。
当時同じランクの大学の中でも上下の入れ替わりがあり、母校は人気がなくなっているようです。
母校以外にも昔からのお嬢様学校として有名だった比較的難関だった女子大なども偏差値が下落して三流大学の仲間入りになっていました。
逆にこの20年で以前は評判が良くなく低迷していたのに今は人気が出て盛り返した学校もあるようです。

第二次ベビーブーマーだったので、当時は競争率も高くそれなりの偏差値だったはずなのに、子供が成長して受験を考えるとき(10年後)に、胸を張って出身大学のことを言えるのだろうか?と少々気がかりです。
少子化の今、難関大学以外の大学は入りやすく、偏差値も下がっているのでしょうか?

ベビーブーマーの私の子供の世代(10年後受験)になると、また子供の数が多くなり、偏差値などもまた盛り返してくるものでしょうか?
どの大学も学部を増やしたり、いろいろ対策を練っているようですが、偏差値の上下変化にはどのような要因があるのでしょうか?

20年前と比べて全体的に大学の偏差値が下がっているのでしょうか?

1990年代前半に中堅どころの大学に入学したものです。
最近母校の偏差値を見ていたところ、私が入学した当時よりも下がっていてショックを受けました。
当時同じランクの大学の中でも上下の入れ替わりがあり、母校は人気がなくなっているようです。
母校以外にも昔からのお嬢様学校として有名だった比較的難関だった女子大なども偏差値が下落して三流大学の仲間入りになっていました。
逆にこの20年で以前は評判が良くなく低迷していた...続きを読む

Aベストアンサー

偏差値って、単純にその年の受験者の中でのその成績を取った人の位置(上位何%など)鋸とを表した数字です。大学の偏差値は、その大学に合格した人が、センター試験や予備校の模試で採った偏差値の平均ということです。数学的には間違った使い方ですが、ご質問者さんの意図に沿って偏差値という言葉を使いますね。
なので、子どもの数が減っているのに大学の数が増え、合格者数が増えているので、相対的に下がったんです。単純にその大学を志望する人が減って、人気が無くなったから、全体の順位が低い人でも合格できるようになって、偏差値が下がったんです。
少子化というか、大学受験をする人の数は増えない限り、全体としては回復できません。今は、浪人するのは頭のいい人ばかりです。上を目指して失敗するんですね。昔のように、最初から下を狙って失敗する人の数はグッと減りました。
今は、受験者の減少は一段落していますが、このあと、さらに少なくなります。また、日本の大学進学率は近隣諸国の半分程度です。で、進学できない理由は、学力と経済的な事情が半々です。
で、少子化対策に成功する、高校生の親御さんが子どもを大学に行かせられるほど豊かになる、大学の学費を国が面倒みる などでも起きない限り、偏差値が上がる大学は一握りのはずです。

偏差値って、単純にその年の受験者の中でのその成績を取った人の位置(上位何%など)鋸とを表した数字です。大学の偏差値は、その大学に合格した人が、センター試験や予備校の模試で採った偏差値の平均ということです。数学的には間違った使い方ですが、ご質問者さんの意図に沿って偏差値という言葉を使いますね。
なので、子どもの数が減っているのに大学の数が増え、合格者数が増えているので、相対的に下がったんです。単純にその大学を志望する人が減って、人気が無くなったから、全体の順位が低い人でも合格...続きを読む


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