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1)「知覚の予科」とは、分かりやすく云えばどういうことなのでしょうか?
2)「知覚の予科」と「内包量」とが結びつく、まさにその連結点でのメカニズムが理解したいものですから。

よろしくお願い致します。
 

A 回答 (3件)

想いとは記憶を先取りする準備作業とありますが、先取りしようにもないものは先取り出来ないのだと想います。

原因=結果。原因の前に原因となる想いが存在すると書きました。ではその想いとは。すべては同じことのくり返しです。物質という概念のプログラムが私たちの宇宙を作り出す一番小さな世界としています。そして、それはすべてに共通する原理ともしています。物質が概念の世界に生まれ出るならば物質を必要とする想いが原因の前にあります。では私たちが存在し、生命を生み出す宇宙を必要とする想いがあるならば、それは私たちの宇宙を創り出した神ともいえます。根源的な生命という形態の存在が自身という生命を維持するために自身の想いの内部に新たな生命を生み出す。私たちという生命が辿り着く答えは私たちを必要とする想いに帰ることです。必要=目的=原因=結果=認識。過去の想いが概念の世界に生まれ出るとは、必要という過去の想いに生まれ出ることと考えます。では原因という前の記憶を先取りするということは過去という想いが答えに到達する一部として私たちはもう有している。存在=答え=さらに大きな答えに向かう途中。人間雄細胞=細胞が創り出すあらゆる機能と形=その総体が人間です。存在こそ過去の想いの記憶であり、私たちはその一部なのだと考えます。
時間の役割については、物質という概念を生み出す原理世界を考えると。仮に距離1=速さ1=時間1というすべてが同じ存在という世界の中で、想いの量=加算の量=質量=距離を仮に0.5有していたとすれば。原理世界の一辺という1の距離の中に物質という概念(質量の総体)は0.5という距離を有し、残りの原理世界が0.5という距離を残す。1という原理世界の距離の総体を同時に認識して私たちの感じる世界に距離と速さと時間があるならば、一つの物質発生という概念の世界で物質は速さを有すると思え、そして時間は小さくなると考えます。不変として存在するものは加算という質量=距離であり。速さと時間は相反する生まれ出た結果なのだと考えます。
資料を何度か送りましたが、削除されてしまい、私の考えをうまく伝えられないようです。近いうちに退会いたします。私のような素人の考えを読んでいただきありがとうございました。
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この回答へのお礼

知覚を構成するセンサーは、対象の物質系が発するエネルギー群に感応して対象に関するセンサー出力系が生じ知覚が得られると思いますが、これらセンサー群を励起するための信号はやはりその物質系が発するエネルギーをトリガーとして使っているのかな?という疑問でからでした(字を間違えておかしなことになり申し訳ありませんでした)。
>>根源的な生命という形態の存在が自身という生命を維持するために自身の想いの内部に新たな生命を生み出す<<というご回答に接し、もう少し考えてみます。

お礼日時:2006/12/06 14:24

すべてはひとつの原理上に存在すると考えています。

すべては物質発生というプログラムとその加算の量なのでしょう。ではその量とは、すべての存在はそこに継続して存在するのではなく、物質が生まれ出るための原理世界の積み重ねと考えます。物質は生まれ出る連続でそこにあるように思え、認識という意識の積み重ねの総体が継続して存在する。だから私たちには記憶があり、物質は常に存在しないものだと思うのです。物質は移動するものではなく生まれ出る連続であり、過去の積み重ねという、現在は過去と同時に存在するということなのでしょう。想いの量により認識される強さが変化する。それは加算の量という距離なのだと考えます。仮に私が1本の鉛筆を手にとろうとします。そこに想いという原理世界の量が生まれ出る。次の原理世界に物質として概念の世界に連続して認識される総量、その総量に到達して過去の鉛筆を手にしようという姿が概念の世界に認識される。想い=加算=物量の行動=結果=認識。それでひとつの想いという原理世界の総量です。手に取ろうとする鉛筆までの距離が遠いほど想いの量は増えていきます。すべては同じことの積み重ね。物資発生というこの世で一番小さな原理世界があり、新たな想いの量を得て大きな原理世界となる。その発生形態は、一点という頂点(根源的な物質という概念=1次元=私たちの認識する前の前の物質=1点の中にが増幅するための量が存在する=1に1をかけても1にしかならない=相互に関連を有する存在=演算)が三角錐の底辺という2次元目に生まれ出る(私たちの認識する前の物質=プラスの質量=静止する想いを有しない存在=計算機能)。そして相反する認識というマイナスの質量を加算して2次元面が螺旋状の距離となり生まれ出て、認識という一点に帰る。意識の量が物量の世界に生まれ出て加算という物量=質量の存在が距離=空間となり認識される。意識という認識の存在は相反する物量という距離=空間は見ることも触ることもできない。相反する認識と認識を生み出す距離の総体という質量=体積が私たちの感じる3次元+時間(必要=目的=加算=距離=原理世界という距離の中に生まれ出た質量の量=物質の得た距離=速さ=時間)という存在するとなるのだと考えています。前にも記しましたが。まったくの素人考えです。

この回答への補足

ご丁寧なご回答有難う御座います。
「想い」とは、対象についてそれを記憶に累積する先取り的準備作業(認知的な)のようなものと解してよいのでしょうか? そこでの時間の役割はどうなっているのでしょうか?
 よろしくお願いいたします。

補足日時:2006/12/02 16:47
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知覚の予科という言葉は始めて知りました。

インターネットで調べましたがあまり詳しくわかりませんでした。どうも哲学上の考え方のように思いますが。私は哲学も科学も専門に学んだものではないので。見当違いの意見であれば、ごめんなさい。その上で私はこのように考えます。私たちの宇宙を作り出すもの、それはたった一つの原理、そして、その原理とは物質発生プログラムです。原因があり結果が出るのであれば、その前に原因となる想いがなければならないと思います。想い=原因=結果。そして結果を認識する想いです。すべての存在は、想いの量=物量の行動(物質発生というプログラム稼動に必要なの加算の量)=加算の結果=概念の世界に生まれ出た認識(想い)です。そして、その積み重ねの連続という総体なのだと考えます。想い(無)と物量(有)という相反する存在で一対。それが私たちが見て触れるものと、見ることも触ることができないものという世界となるのだと考えます。まことに単純であり、正しいか間違っているかもわかりません。

この回答への補足

申し訳ありません、字を間違いました。科→料、Antizipationen der Wahrnehmung, 知覚の予料です。
 たしかに仰るように、「認知」、クオリア?が、それを与えた原因としてのヒトの認知機構、これに固有する想いに先取りされて、そのクオリアの強度が決まってくるようなことではないかと思うのです。お手数をおかけいたしますが、再度、よろしくお願いいたします。

補足日時:2006/12/01 22:36
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