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武田信玄とか上杉謙信等は出家した後も
それまでと同じように武将として活躍して
ますが、出家とは俗世間と縁を切る事では
ないのですか?そんな事を寺が許したので
しょうか?

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A 回答 (6件)

 NO.3さんの>「その人物になりきって、ものを考える」の考え方や、その内容について賛成。

権力者は権力を維持するためにはなんだって利用します。
 最近でも、大東亜戦争(太平洋戦争)で大勢のお坊さんが出征されました。そして戦功を挙げた僧侶兵士も存在します。
 「殺生」を禁じている仏教の教えと、どう折り合いをつけるのか僧侶兵士の方は苦しんだと思いますが、「無益な殺生はいかぬが国民を守るためにはやむを得ない」として出征されたのだと思います。そして戦いながら毎日お経を唱え、自分の心を静まらせたのでしょう。
 仏門に入った戦国大名も同じことだと思います。支配者として、領民の庇護者として、領民の生活の安寧を守るため外敵とは戦わざるを得ません。また領土を拡大すれば、ますます領民の生活の安寧化は深まります。戦国大名も「無益な殺生はいかぬが」と整理したんじゃないでしょうか。理屈や折り合いは何としてでもつけられます。
 領内のお寺さんも、治安がよくなれば布教もやりやすくなりますし、仏教界が大名に物言いをつけることはなかったと思います。また実際問題怖くてクレームはつけられんでしょうな。
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戦乱の時代の武士は、何の恨みのない人を敵として殺したわけで、仏道に帰依したくなるのは当然でしょう。

  ××入道と名乗った武士は大勢います。 
 信虎は「釈信玄」と称し真宗ですから、彼が帰依していた快禅和尚とは宗派が違います。  一向一揆との友好を意識したものでしょう。 信仰心の篤い彼のしたたかさがわかります。
 謙信はちがうようです。  入道より在家出家?という所で多くの寺に参じ、大覚寺義俊の執奏により、法印大和尚に任ぜられ、のちに阿じゃり権大僧都になったそうで、帰依の深さがわかります。  謙信のような武士は例外のようです。
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質問者さんもほかの回答者さんも「出家」と「入道」を混同しているようです。

ウィキペディアなどでも、入道と書くべき所を「出家」と書いていますから無理ないですが。

鎌倉時代から戦国時代まで、俗人が在家のまま法体(僧の姿)となり、「入道」して「道号」を名乗るのはごく当たり前のことで、例が多すぎて挙げるのに迷うほどです。信玄も謙信も「入道」したのであり「出家」したのではありません。入道しても特に生活は変わらず、普通の武士として生活して妻(正室・側室)もいますし戦争にも出ます。信玄の場合、入道した後も側室から子供が生まれています。戦国大名にとって子供は多いほど良く、「入道したら女を近づけてはいけない」などという発想がないのですから当たり前すぎることです。

法皇というのも「入道した上皇」であり、僧ではなく俗人として生活します。単に僧の姿をしているだけです。
後白河法皇 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E7%99%BD% …
は、1169年に法皇になっていますが、1181年に子供の宣陽門院
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A3%E9%99%BD% …
が生まれています。これは、当時の「入道」の常識では当たり前のことです。

こういった「入道」の生活実態は、「僧が腐敗しきった生活をしていた」こととは直接は関係ないことです。僧は、実態はどうあれ禁欲的な生活を求められていました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
基本的な事ですが、しっかり説明されて
いる物がないですね(私が知らなかった
だけかもしれませんが)
とても丁寧な解説で、感謝しています。

お礼日時:2006/12/04 10:43

私は、歴史上の人物について、考えるとき、その人物になりきって、ものを考えることが、多いです。


このふたりについての出家を考えればいいのですね。
謙信は、武将としては、優れていましたが戦いをゲームを楽しむかのようにしていました。
義に弱く、欲がありませんでした。
本気で、不動明王に傾倒していたので、全てを捧げる代わり、「戦いに勝たせてくれ」と、願いました。
寺という、人間の組織には、興味がなかったと、思います。
信玄ですが、野望も欲も人並み以上にありましたから、それをオブラートにくるむ意味で、宗教を利用したのだと思います。
信仰心は、厚かったと思いますが、それを上回る、欲や野望があったということです。
そして、したたかに、仏教や、寺を利用しました。
潤沢な、寄付や、寄進をしていれば、寺も文句を言える筋合いでは、なかったと、思います。
このふたり以外に僧籍に入った大名は、おのおのそれぞれの思惑があったと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
他の方と違った視点で大変
勉強になりました。

お礼日時:2006/12/04 10:44

出家にもいろいろあります。



当時、寺社というのは今とはだいぶ違い「非常に口煩い」集団だったのです。しかも、僧兵という自衛組織・・・というよりもはや武家なみの集団を保有している寺社も多くありました。
旧仏教はともかくとして(それでも奈良とかはかなり強い基盤があるのですけどね。筒井なんかは僧兵出の大名ですし)、一向宗とよばれる浄土真宗本願寺派はさらにすさまじいです。加賀1国を一揆と言う形で完全に奪取したこともありますし、天下人信長と10年間も戦い抜きました。最終的には講和という形で敗北しましたが・・・
なににせよ、教祖の一声で日本中の信者が襲い掛かるわけです。まあ、一声掛けなくても年貢とかで不満たまると襲ってくるんですけどね。

こういう具合ですから、大名にとっては非常に厄介な存在なのです。また、仏教は腐りきっていたとはいえ、伝統があります。

信玄なんかはまさにこれを抑えて利用するための出家でして、寺社の武力を自分のほうに引き寄せ、他国への抑えに使用するとともに、寺社の権威を利用する目的もあったと考えられます。

謙信も近い行動と考えられます。ただ、あの人はほかの大名とは一線を画すほどの不思議な行動をする人物でして、やっていることは直情的な女性のように考えたほうがわかり易いです。行動的には思い立ったが吉日ですから。実際女性説も非常に強いですし。

また、当時の出家にはあと2つ大きな意味があります。
1つは跡取りの問題。跡取りというのは非常に大きな問題でして、信玄は嫡男を処刑していますね。
で、出家したら妻は原則もてませんし、そうなれば家を継ぐという概念から外れますので、「仏門にぶち込んでしまえば跡目候補では無い」という表明になるのです。
この場合、親(現在の当主)が無理やり寺に押し込みます。ただ、この出家の場合は還俗、つまり俗世に簡単にもどります。信仰に寄る出家ではないですしね。

今川義元なんかが有名です。彼はこの理由から仏門に入れられましたが、兄が死んだ後跡目争いが起きたため、還俗して争いに乱入。大名になりました。ほかにも、長男次男討ち死にしたので仏門の三男を還俗させて・・とか例には事欠きません。

なお、跡目(嫡男など)を仏門にいれる場合は、「お前はもう跡目ではない」という意思表示でもあります。羽柴秀次なんかはまさにこれで実質的な廃嫡です(彼はその後斬首となってしまいますが・・・)。

そしてもう一つの理由は、降伏とかの意思表示です。
たとえば、戦で負けた後に出家して降伏したという例は非常に多いです。
これは、「私はもう出家して政治などにはかかわらないから家は許してほしい」「もう出家して戦の意思はないからとりあえず命だけは・・」といった感じの意思表示です。
ほかには、明智光秀に味方しないと表明した細川のように「あんたとはもう手を切る」という表明でもあるのです。まあ、本来の出家とはかけ離れた使われ方をしていると考えてください。

なお、当時の仏教は文字通り「腐りきって」いました。
寺の坊主が酒を飲み、肉を食らい、女を抱くのは当たり前(本願寺はちょっと違いますけどね。あれはそういったのを禁止していないので。教祖も妻子もちです)。なかには強盗とかを行う僧も珍しくなく、もはや仏教とは名ばかりでほとんどが破戒僧だったのです。
許す許さない以前に自分たちが守っていないわけですから、文句が来るわけはありません・・・。
なので、兼好や長明のように本当の意味で出家をした人なんて、武家は当たり前として、純粋な坊主であってもほとんど存在しなかったのです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/武田信玄
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なにしろ権力者で大旦那(パトロン)ですから。


そんな例はもっと昔からあります。
院政時代にも出家して法皇になっても権力を手放さなかったような例もありますしね。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/12/04 10:46

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Q還俗って気軽にできるんですか

こんにちは。
質問:還俗は気軽にできるものなのですか。簡単に還俗している時代、逆に還俗などほとんど考えられない時代はいつですか。

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一方で、漫画の大奥(よしながふみさん作)を見ていたら還俗することはとても珍しいことであるかのように描写されていました。
そこで還俗する時のハードルの高さの変遷に興味を持ち、上記のような質問をさせていただきました。

Aベストアンサー

こんにちは。
還俗し易い時代・し難い時代ということですが、とても大まかに言ってしまうとやはりどんな身分であろうと変動が激しかった戦国乱世と,
身分がかなりかっちり分けられていた江戸時代では相当感覚に差があったと思います。
戦国時代は単純に家の当主や跡継ぎが命を落す確率も高い訳ですが、「血のスペア」である次男以降何人も兄弟を養っていくとなれば当然経済力が必要ですし、安全の面からも別に暮らすほうが都合が良いということでお寺さんなんかに預ける(=出家させる)訳です。跡継ぎの場合なんかは何人も家にいたらそれだけで争いも起きてしまいかねませんし、お寺さんなら色々学ぶこともあります。お寺さんのほうでもそうやって繋がりを持つことはいざという時の安全やら色々便宜をはかってもらったりとメリットがある訳ですよね。
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非常に大雑把ですが何かの参考にして頂けたら幸いです。

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Q出家??

高校2年です。
今、古典を学校で勉強しているのですが、「出家」という言葉が出てきました。
読書が好きなので、平安時代くらいを中心とした話を読んだりしたこともあります。
先生の話では、出家をした人は結婚が出来ないので子孫はいない。と言われたのですが、「あさきゆめみし」を読んだら、光源氏や御上とかは結婚してますよね?
子孫を残してから出家する。というのも有りだったのでしょうか?
また、「出家」をすると家族には会えない。と聞きましたが、「あさきゆめみし」に出てくる二の姫は、子供に会ってますよね?
女性だと「出家」の意味はまた違ったものになるのでしょうか?

回答、お願いします。

Aベストアンサー

出家とは、世俗を離れ家族を捨てて仏門に入ることを言います。
出家していない信者を「在家」といいますが、在家のときの縁は全て切って行きますから、それ以前に結婚をしていようが構いません。
有名な所では、源義経の一の谷の合戦に参加した熊谷直実は、浜辺で平敦盛を討ち果たしたとき、自分の子供と同じくらいの若者の死を痛み、世の無常を感じて出家し蓮生と名乗っていますし(史実はこれほど美しくは無いですけど)、現代では瀬戸内寂聴尼は、俗世では瀬戸内晴美という人気作家でしたが、夫の教え子と不倫して駆け落ちしたり、ポルノ紛いの小説を発表したり、かなり不道徳な女性でしたが、現在は法話など人気のある尼僧です。
このように良い事も悪い事も全て俗世に捨て去り、地位も名誉も名前さえも捨て去って仏弟子になります。
一部の宗派を除けば、師弟関係が俗世で言う親子ですから、法統は師匠から弟子に受け継がれ、血縁は無意味なものです。

中にはトンチ小僧の一休さんのように森侍者という女性を囲い、岐翁紹禎という実子を弟子にしたり、仏教の戒律を無視した僧侶もいましたし、浄土真宗の親鸞のように妻帯を認めた宗派も出てきました。
一休さんは僧侶だけが超絶して偉そうな顔をするべきでは無いという独特の考えを悟ったのでしょう。

女性の出家は、釈迦の母親(育ての親)、摩訶波闍波提に始まり、当初釈迦は女性の出家に否定的でしたが、熱意に負けて許したとされています。
僧侶が家族に会えないわけではなく、出家した時点で家族の縁を切っていますから、他の俗人と区別して親しく出来ないという意味ではないのかな。

尚、歴史を紐解くと、出家しても還俗して元の身分に復した方は多々います。
有名なところでは、足利義昭とか徳川家光の側室、お万の方(慶光院)などもいます。

出家とは、世俗を離れ家族を捨てて仏門に入ることを言います。
出家していない信者を「在家」といいますが、在家のときの縁は全て切って行きますから、それ以前に結婚をしていようが構いません。
有名な所では、源義経の一の谷の合戦に参加した熊谷直実は、浜辺で平敦盛を討ち果たしたとき、自分の子供と同じくらいの若者の死を痛み、世の無常を感じて出家し蓮生と名乗っていますし(史実はこれほど美しくは無いですけど)、現代では瀬戸内寂聴尼は、俗世では瀬戸内晴美という人気作家でしたが、夫の教え子と不...続きを読む

Q上杉謙信 生涯不犯の実情

上杉謙信は「生涯不犯」を称して一生正室も側女も置かなかったと言います。

実際、「謙信の正室・側室」や「謙信の実子」は存在が確認されていないようですが、「子供は多ければ多いほど良い」戦国大名が、女に生涯接しないとは極めて異常かつ損なことと思われます。現に、謙信の死後は相続を巡って「御館の乱」が起き、上杉家に著しいダメージを与えています。

ついては、

1. 謙信が「自分は生涯不犯を通し、婦人と接しない」と言明した手紙やそのように記した文献は存在するのか?「生涯不犯」という一般に流布している言葉は何が出典なのでしょうか?

2. 謙信は最初は仏門に入っていて、還俗して長尾家を継いだと記憶します。その後、「生涯不犯」を通したとされていますが、「謙信公が一度だけ当家の娘と懇ろになり、その結果のご落胤」といった伝承は存在しないのでしょうか?

3. 謙信はなぜ「生涯婦人と接しない」などという、戦国大名として極めて非常識なことを思いつき、実行したのでしょう?

宜しくお願いします。

Aベストアンサー

1.戦国時代の色々な話、及び文献・資料を収集・編集して1698年に成立したとされる「北越軍談」には、謙信について、「発願の趣旨有て女色を禁じ、一生不犯たる故、実の継嗣なし」と記されています。

2.ご落胤の話は聞きませんが、恋の話なら3人の女性の名前があがっています。
直江実鋼の娘と、関白近衛前嗣の妹の絶姫と、上野国の武将、千葉采女の娘、伊勢姫です。この中で特に伊勢姫との別れ(死別)は、謙信にとりショックだった為、この時、生涯結婚はしない事を誓ったという話もあります。

3.一般的には戦勝祈願の為に不犯の願掛けをしたと言われています。

私の考えでは、謙信は武将という立場だけでなく、僧でもあったから、不犯という考えが出たのだと思います。謙信は幼少の頃に一度仏門に入り、後に還俗しています。還俗はしても、仏道を捨てた訳ではなく、それどころか厚い信仰心を維持していました。戦にも神仏像を複数伴ったほどですし、陣中には護摩堂を作って祈っています。敵地にある神社仏閣にも詣でていたと言われます。
それどころか、27歳の時には、国主の座を捨て出奔し出家しようともしました。謙信は僧ではなくても、とても信仰心の厚い人だったのです。
結局、国主の座に就いたまま、1574年には高野山から法印大和尚に任じられ、正式に僧になって剃髪しています。これ以降、謙信は、侍女さえ身辺に近づけていません。
ちなみに高野山は女人禁制であり、開祖の弘法大師は生涯妻帯する事はありませんでした。
謙信は、そうした仏門、宗派の影響を色濃く受け、武将としてだけでなく、僧としても生きていた為、生涯不犯という考えが出てきたのではないかと思います。

上杉家の後継者については、実子がいなくても養子がいれば充分と考えていたのではないでしょうか。「御館の乱」は謙信が急死したから起こった結果に過ぎません。急死するような事がなければ、景勝か景虎か、きちんと後継を決めていたと思います。

1.戦国時代の色々な話、及び文献・資料を収集・編集して1698年に成立したとされる「北越軍談」には、謙信について、「発願の趣旨有て女色を禁じ、一生不犯たる故、実の継嗣なし」と記されています。

2.ご落胤の話は聞きませんが、恋の話なら3人の女性の名前があがっています。
直江実鋼の娘と、関白近衛前嗣の妹の絶姫と、上野国の武将、千葉采女の娘、伊勢姫です。この中で特に伊勢姫との別れ(死別)は、謙信にとりショックだった為、この時、生涯結婚はしない事を誓ったという話もあります。

3.一般的には...続きを読む

Q出家して尼になるための、心の準備

こんにちは。

29歳未婚女性です。
もうすぐ30歳、人生を半分、自分の思うまま、自由に過ごしてまいりました。仕事はしておりますが、自分が好きなことをやるんだと意気込み、農業を始めましたがそれだけでは生活できず、レジのアルバイトをしております。それだけではお金がたまらないので、あと二つ、アルバイトをしています。(笑)

目下のところ生活に不満はありませんが、やはりこのまま老いて、なんの役にもたたずに人生を終えることにむなしさを感じる日々です。

結婚し子供を産み育て、親を喜ばせることすらできておりません。

私は生まれてきたことを大変うれしく思いますし、私を育ててくれ、雇ってくれ、頼りにしてくれる社会に感謝しています。少し間違うと気持ち悪い偽善的考えですが、本当にそう思います。

ですが、私は周りに、何の恩も返せていないわけです。このまま老いるだけでは社会のお荷物、そんな思想にずっととりつかれております。

いつかご恩返しがしたい、でもそのやり方がわからないと思っていた矢先、図書館で仏教の本をよみました。外国人にわかりやすく日本の文化を紹介するための超軽い本でしたが、心の中にずしっと残るものがありました。それは二年前のことです。25歳あたりからこういうことを考えていました。べつに病んでるわけではありません。毎日元気です(^^;

まだ足を突っ込もうかどうしようか考えている途中ですが、もし、皆様方の中に、出家するにあたり読んでおいたほうがいい文献をご存じの方がいらっしゃいましたら教えていただけないでしょうか?サイトや、HPでも結構です。できれば浄土真宗がいいです。実家はそこの檀家(っていうのでしょうか、浄土真宗では)ですので。

これから数年かけて、自分に何ができるのか考えていきたいと思っております。なかなか今の快適な(自由すぎる)生活を変えられないかもしれませんが、長くて遠い目で人生を見ていきたいのです。

軽薄な意志で出家を望む、小娘への叱咤でもかまいません。


よろしくお願いいたします。

こんにちは。

29歳未婚女性です。
もうすぐ30歳、人生を半分、自分の思うまま、自由に過ごしてまいりました。仕事はしておりますが、自分が好きなことをやるんだと意気込み、農業を始めましたがそれだけでは生活できず、レジのアルバイトをしております。それだけではお金がたまらないので、あと二つ、アルバイトをしています。(笑)

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Aベストアンサー

今どき、出家と言っても「世を捨てる」というほどのことはありません。そこらの坊さんを見ていれば分かることです。
それに、浄土真宗は、「非僧非俗」と言って、最初から「世を捨てた坊主ではない」と宣言していますから、得度して僧侶の資格を取ってしまえば、あとは心の持ちようだけで、普通のサラリーマンと変わらない生活ができます。

しかし、得度して、坊主としての資格を得るために一定の修行をするについては、これは昔ながらの厳格な修行をします。
浄土真宗とて同じ。
浄土真宗の坊さんの多くは髪の毛を生やしていますが、出家時にはみなきちんと坊主頭になります。
ま、女性はそこまでしていませんが、形だけでも髪を剃る儀式をきちんとします。

そしてその後は、厳格な僧侶の生活が待っています。
それを数ヶ月から数年重ねて、ようやく坊主と名乗ることができるようになります。

お寺の出身者ではない質問者さんが、その先どうなるかはNo.1さんのおっしゃるように、未知数です。

で、坊さんになって、何がしたいのですか。
得度して坊さんになったからといって、社会にどんな貢献ができますか。
もう少し具体的なビジョンがあれば別ですが、質問を読む限りは坊主になって何がしたいか全く見えてきません。

出家さえすれば、私心がなくなって、慈悲の精神に溢れた人間に生まれ変われるわけではありません。
また、坊主だからといって、皆に喜んでもらえる社会奉仕がし放題にできるわけではありませんよ。

このことは、世の中の坊さんを見渡してみれば分かることです。
どれだけの坊さんが奉仕の精神、無償の愛(と仏教に使う用語ではないですが便宜上使います)を持って人々に接しているか。
少なくとも日本の坊さんを見れば、坊主になったからといって社会の役に立つ人間になれるとは、私は思いません。

社会の役に立ちたいというお気持ちは尊いものです。
ですが、そんなことは何も坊主にならないとできないことではありません。
坊主になったらできるようになると思ったら大間違いですよ。

ご自身のその役に立ちたいという気持ちを、そのまま素直に、今、表現すればいいのです。
困っている方は日本中、どこにでもいます。
特に今は、震災のために不自由な生活をしている人、悲しい気持ちで居る人など、助けを求めている人はたくさんいます。
そういう人のためにボランティアをすれば、それで解決するのではないですか。

今、そういう社会に役立つ活動ができないのなら、出家してもできないでしょう。
誤解を恐れずに言えば、出家のための修行は、ボランティア精神を養うための学校でもないし、社会の役に立つ人材を育てるための学校でもありません。

ちなみに体験修行のようなものは、あんまり参考にならないと思います。
金儲けのための客寄せですから。
永平寺あたりの禅寺で、数日泊まり込んでみっちり体験できるものは別ですが、一泊二日程度のものは本当におままごとみたいなものです。

浄土真宗の門徒さんだそうですが、別に永平寺で体験修行をしてはいけないということはありませんから、一度、永平寺へ行ってみては如何ですか。
あそこなら、修行とはどんなものか分かると思いますよ(それでも客寄せ用ではありますけれど)。

今どき、出家と言っても「世を捨てる」というほどのことはありません。そこらの坊さんを見ていれば分かることです。
それに、浄土真宗は、「非僧非俗」と言って、最初から「世を捨てた坊主ではない」と宣言していますから、得度して僧侶の資格を取ってしまえば、あとは心の持ちようだけで、普通のサラリーマンと変わらない生活ができます。

しかし、得度して、坊主としての資格を得るために一定の修行をするについては、これは昔ながらの厳格な修行をします。
浄土真宗とて同じ。
浄土真宗の坊さんの多くは髪の毛...続きを読む

Q仏門に入るには、どういう手続きを現代ではとるのか?

 タイトル通りですが、現代において仏門に入るには、何か特別な手続きがあるのでしょうか?
 例えば仏教系の学校を出ないと今は仏門には入れないとかあるのでしょうか?
 昔だと思い立ってお寺の戸をたたくとか、駆け込んでそのまま仏門にはいるとか聞いたことがありますが、今時はそういうことが通用するのでしょうか?
 漠然とした質問ですみませんが、広く知識として知りたいと思ったので、お聞きしています。どなたか教えて頂けませんでしょうか?

Aベストアンサー

私自身はそうではないので、参考程度にどうぞ。
(少々、修験道に関っております)
また、実状は違うかも知れませんので。

さて、一言で「仏門」と言っても「住職」「僧侶」「出家」「在家」・・、など様々な形態がありますが、何か特定の希望があるのでしょうか?

「信仰を持つ」という意味ならば、誰の許可も必要なく、ご自身で勉強し修行されても結構です。

ただし、いわゆる「社会的資格」として「僧侶」になりたいのであれば、それ相応の「宗派」に属し、その機関で研修(修行)や得度を受けます。
しかしこれも、宗派によっては得度を必要としなかったり、独自の制度を必要とするケースもあります。
ーーーー

では、具体的にどうするかと言うと。

まず、「駆け込む」ですが。
これは場所にもよります。
大きな寺院ではそのような事はありませんし。
個人のお寺などなら、「弟子」「小僧」として働かせてもらえるかもしれません。
もしそれで「師匠」ができたのなら、その紹介で宗派の「本院」に修行に行き、正式な身分を得る事になるでしょう。
ーーーー

もう一つは、「就職」する事です。
実は・・、現代では「僧侶」は立派な求人も出ているのです。
例えばこんな感じ・・
http://www.zuiganji.com/souryo.html
http://www02.so-net.ne.jp/~guhouji/zuishin.html
http://www.urban.ne.jp/home/tobikan1/souryo/index.htm
各種求人、転職雑誌でも募集が載ってますよ。

また、有名どころ「西本願寺」などともなると
専用の教育課程を事業化しています。
http://kyoto.cool.ne.jp/monto/tuusin/
情報交換の掲示板も・・
http://6302.teacup.com/bousan/bbs
ーーーー

・・・ってな感じで、「仏門」と言っても
「信仰」としてなのか、「職業」としてなのか。
また、密教系の得度をした後、在家で修行僧になるのか・・。
宗派をもたないフリーの「修行僧」となるのか・・。
その辺りのポイントを整理するといいかと思います。

基本的にはどれも「来る者は拒まず」の世界ですから、いろいろチャレンジして、自分なりの「信仰」を模索するのもいいでしょう。
まずは、各宗派・各教義を勉強し、どれが自分の進むべき道か見定めるのが近道かも知れません。
ーーーー

合掌。

私自身はそうではないので、参考程度にどうぞ。
(少々、修験道に関っております)
また、実状は違うかも知れませんので。

さて、一言で「仏門」と言っても「住職」「僧侶」「出家」「在家」・・、など様々な形態がありますが、何か特定の希望があるのでしょうか?

「信仰を持つ」という意味ならば、誰の許可も必要なく、ご自身で勉強し修行されても結構です。

ただし、いわゆる「社会的資格」として「僧侶」になりたいのであれば、それ相応の「宗派」に属し、その機関で研修(修行)や得度を受けます...続きを読む

Q「幕府」と「朝廷」の違いを教えて

中学校1年生の子供からの質問なのですが、

・「幕府」と「朝廷」の違いが分からない。
・そもそも「幕府」って何?「朝廷」って何?

と言われました。
お恥ずかしながら的確に説明できません。
教科書には説明が載ってないし、「先生に聞いてみたら?」と言うと
「先生は授業が終わるとすぐに職員室に戻ってしまうし、あまり質問しやすい先生じゃないもん!o(;△;)o 」
とのこと・・・(´_`;)

どなたか教えていただけますか?
私も勉強したいです。よろしくお願いします。<(_ _;)>

Aベストアンサー

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
これを端的にお子さんに説明するのは難しいかもしれません。
ただ、今の天皇陛下も政治的な実権はまったくなくて象徴として存在しているわけなので、それとちょっと似ているというような説明は、できるかもしれませんね。(今でも首相を任命するのは天皇と決まっています。ただし天皇が首相を選ぶことはできず、国会が選んだ人を形式的に任命するだけです)

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるという...続きを読む

Q公家とは?

武家は武士の家ですよね?
公家は何の家なのでしょうか?
小学生でもわかるレベルで教えてください。ご回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

武家はお侍さんたちです。ちょんまげで刀持って、どちらかと言うと「ござる」な感じの人達です。どちらかと言うと、幕府側の人たちになると思います。

公家は、天皇や天皇に近い人達などです。「~でおじゃる」なんかを使ってたりします。朝廷側の人たちですね。

Q最初の天皇はなぜ誕生したのか?

初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?
神武天皇は、国王(日本で一番偉い人)みたいなものだったのですか?

Aベストアンサー

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたのであろう。と予測する立場があるんですね。
ですから国家や天皇の成り立ち自体はよくわかっていない中で、神話などの古伝承から国家や天皇の成り立ちを整合性を以って説明できるのでは?と目下奮闘中といった人々もいる。とのあり方が現況では一番進歩が見られるスタンスであり、逆にそのような暗中模索な状況こそが、現在の学界における日本国家成立の研究、ないし天皇支配の淵源の研究などの現状だと思います。

そして天皇(大王)を中心とした国家といった概念が表れたであろうとされるのが、いわゆる4世紀の古墳時代と呼ばれる時代であったことは、考古史料から、特に前方後円墳などの規格性の強い墓制の出現で見当がつきつつあるのですが、そこの詳しい実態は、日本はもとより、3世紀段階における日本の国情を伝えた古代中国の史書などが4世紀時点ではないためよくわからないんです。いわゆる「謎の4世紀問題」ですね。

いずれにせよ『魏志』倭人伝などの記述から、卑弥呼が活躍する前後(3世紀)にあっては「倭国大乱」と評価できる内戦状態が、その規模は別として事実あったのでしょうね。もちろんその戦闘状態は天皇の出現と無関係であるとも思えないんです。その様な中、詳しい経緯はわかりませんが、倭国大乱と呼ばれる混沌とした戦乱の世にあって、統一的国家としてのヤマト政権を樹立するだけの武力ないし交渉力が、4世紀段階における天皇(大王)の祖先にあったことは疑う余地はないのかな?と思いますし、考古史料などが語る結果から帰納法的に糸を手繰りつつ明らかにしようと試みている、3世紀から4世紀にどのような経緯で歴史がつながるのか?といった問題は、識者はもとより僕に限らず古代史に興味を持つ者が一番知りたい部分なのです。

ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたの...続きを読む

Q目処(めど)と目途(もくと)

目処と目途の使い分けについて教えてください。
送り仮名に違いがありますか。
PC辞書で「めど」の変換を探すと目途が入っているのもありますね。
これは明らかに誤用ですよね。

Aベストアンサー

めどはやまと言葉ではないでしょうか。もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。

広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく
不親切です。朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。

解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、
ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です)

Q「右に出る者はいない」はなぜ右なのでしょう?

よく「彼の右に出る者はいない」等と言いますが、何故右なのでしょうか?

今日、国語の授業で日本人は本来物を右から左へ見て、
欧米人は左から右へ見る、と言う論文みたいなものを読みました。
しかし戦後の欧米文化の影響で日本人も左から右へ見る様になって来ているらしいのです。
ひな祭りの人形も実はお内裏様が向かって右側に置かれるはずらしいのですが、
西欧の王様・女王様の並び方がモデルになってるのか、昭和以降は左側になっています。
そこでその日本人の本来の右から左へ見る、という文化の上で
「右に出る者はいない」や「右に同じ」と言った言葉は何故右なのか?と思ったのです。

皆さんの意見・予想や、聞いた話・読んだ話など、色々お聞かせ下さい。
宜しく御願いします。

Aベストアンサー

中国(漢朝)の文化を取り入れて“右”に優位性を持たせたという皆様の意見でおよそ正解だと思います。
そこで私は余談程度に補足を。

宗教的な意味合いからも左(手)よりも右(手)に優位性を持たせるという見方もあります。南国等のヒンズー教・イスラム教・仏教を信仰する地域に多いのですが、左手は用便(大便)をすませた後処理をする不浄な手という発想があります。その意味からも、左よりも右が優位性を持つ訳です。

ひな人形の飾りかたについてですが、これは皇家をモデルに作ったものですから、皇室内での並び方に準じて配置されます。(以前は逆であったが)昭和天皇即位の時から向かって右(本人から見れば左)に上位の者が座るようになり、それをモデルにそのように配置されるようになりました。以前の日本の風習では、「天子南面」という言葉があるとおり、(本人から見て)左側が上位の者の位置するところだった訳です。(南に向いた時、左(方角的には東)が太陽のいずる方角であるために上座、逆に右(方角的には西)が日没の方角として下座とされてきました。皇太子を日継御子(ひつぎのみこ)と呼び、「春宮」や「東宮」と書くのはこの現れです。)

中世のヨーロッパでは家にはいる時には必ず右足から入らなければならず、左足からはいると悪魔が付いては行って来るという迷信もあったそうです。悪魔(サタン)の左足も山羊の足で、左足さえ見れば悪魔かどうか判断できるという迷信もあったそうです。

結婚指輪を左手の薬指につけるのにも意味があって、太古から女性の血は心臓から左手の薬指にかけて一本の導管が真っ直ぐにつながっているものだと信じられていたようで、女性の左手の薬指にリングをつけることが相手のハート(心臓)をつなぎ止めておく手段だと信じられていた頃の名残があるようです。

他にもいろいろと迷信とも言えるような“右”の優位性に関する話はありますが、多くは古き時代の女性差別を伴った思想に基づくものであるため、この辺りで終了といたします。
幾分かでも参考になれば幸いです。

中国(漢朝)の文化を取り入れて“右”に優位性を持たせたという皆様の意見でおよそ正解だと思います。
そこで私は余談程度に補足を。

宗教的な意味合いからも左(手)よりも右(手)に優位性を持たせるという見方もあります。南国等のヒンズー教・イスラム教・仏教を信仰する地域に多いのですが、左手は用便(大便)をすませた後処理をする不浄な手という発想があります。その意味からも、左よりも右が優位性を持つ訳です。

ひな人形の飾りかたについてですが、これは皇家をモデルに作ったものですから、皇室内で...続きを読む


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