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 今年も流行語大賞が選ばれるような季節になりました。私は言語学と考古学に興味があるのですが、例えば弥生時代頃(約2000年前)頃は人々はどんな言葉を使っていたのでしょう。
 「水」や「木」といった固有名詞は多分今と変化ないと思いますが、どういった訛りやイントネーションで会話していたのか興味があります。もし現代人が弥生時代にタイムスリップしたとして、彼らの言葉が理解できるほど現代語に近いのか、または同じ日本人でありながら2千年も経つと全く別の言葉のようになっているのか、その辺を知りたいと思います。
 ただ1000年ほど前の平安時代には優れた日本文学や和歌が数々あるし、現代でも十分読みこなせるので、1000年くらいのスパンではそんなに変わらない気もします。
 こういった言語学に詳しい方からの回答をお願いします。また、古代人の言葉を再現しているURL等が分かりましたら教えて下さい。

A 回答 (4件)

 下のURLには古代ではありませんが、キリシタン時代の話し言葉が出ています。

イソップ物語ですから読むと面白いです。発音の仕方もわかります。
 これがそこそこ読めれば、この時代までOKということになります。
これは、11月28日に私が「歴史カテゴリー」で「何時代の人とまで会話が通じる?」と質問した中で、識者の方に教えていただいたものです。
 質問者さんの今回のご質問と、11月28日の歴史カテの私の質問が非常によく似ていますので、私の質問の問答も参考にされたらいかがかと存じます。
 下のURL以外にも有益な資料が出ています。

 さて、どの時代まで遡れるかですが、カタコトに近い日常会話程度であれば、タイムスリップする現代人の居住地と同地域であれば、室町時代まではいけるという感触を持っています。
 他の識者の方も言っておられますが、方言とイントネーションがポイントです。それで同地域という前提を置きました。
 方言には古い言葉が沢山残っています。辺鄙なところは人の行き来が少ないから、古い言葉が残る傾向があります。
 昔、八重山の方言集を読んだとき、八重山の人は奈良時代の人とでも喋れるんじゃないかと感じたことがあります。
 たとえば、機械化になる前の農業の経験のある現代の老人を、ポイッと室町時代の同地域にタイムスリップさせ、当時のお百姓と会話させたら結構話が弾むんじゃないかと想像したりしてます。
 私も自分の古さとの方言を知っていますので、故郷であれば室町までいけると思っています。
 明治の文明開化以降にできた漢語を使わず、できるだけ「やさしいことば」で会話することがコツのような気がします。
 室町より前はちょっと自信がありません。ほんとのカタコトで後は手振り身振りでカバーし、度胸会話でやれば通じるかもしれません。質問者さんが若い人であれば1年くらいで慣れてペラペラになるかも(笑)。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/bookend/9563/Esopo/es …
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この回答へのお礼

詳細なご回答ありがとうございました。紹介していただいたURLも興味深かったです。昔の人たちが普通の生活の中で、どんな言葉でどんな会話をしていたのかを想像すると、古代の人たちが非常に身近に感じられます。言語学や考古学の魅力もそこにあるのかもしれませんね。ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/17 12:26

結論を先に言うと「2000年前なら限りなく不可能に近い」と予想します。


ただし、沖縄地方の古語が操れるなら微かな希望はあるかもしれませんが?

日本語と同じ系統とされるのは琉球(沖縄)諸島の琉球語のみ、これは文法・音韻・語彙も日本語と類似点が多く、紀元1世紀前後の「倭人」の会話は琉球語に近いものと推定します。ただし、日本建国の7世紀からは「日本語」に変化していきます。
なお、北方アイヌ語は文法・形態が異なる「抱合語群」というらしく?、音韻に有声無声の区別が無く、語彙にも関連が薄いので「倭人」の言語と考えにくいです。実際に東北地方(蝦夷地)は9世紀始めまで「日高見国」という言語・文化の異なる「外国」でした。(ただし、「アイヌ=蝦夷」という確証はありません)
日本語の「語彙はオーストロネシア系」でこれはマダガスカル・台湾・東南アジア・南太平洋に見られる系統、対して日本語の「文法・形態はアルタイ系」でトルコ・モンゴル・満州語と共通、日本語は奇妙な混合語でです。

815年の『新撰姓氏録』20巻は抜書きで江戸期の塙保己一の『群書類従』に残っています。それには倭国領内畿内諸国に住む1182氏族の起源が「皇別(歴代倭王家)・神別(倭人貴族)・諸蕃(外人)」の3種に分類されています。
諸蕃とは大陸・韓半島から主に通商目的で来た商人などと、その諸蕃と倭人の混血子女が造る集合体で現在なら「華僑」に類似します。

新撰姓氏録による諸藩の分布は摂津・河内・和泉・大和・山城・近江で難波をとり巻く地域人口の多くは外国入植者で畿内の開拓もこの入植者が行ったと考えます。諸藩は秦・漢・高句麗・百済・新羅の系統からなり中でも「秦人(ハタビト)、漢人(アヤヒト)」が2大集団を形成していました。

唐・新羅と抗争状態に入り、何時来るとも解らない唐軍の侵攻に対抗するため倭人の諸国を統一して「7世紀後半」に国号を倭から「日本」とすることを契機にそれまで列島・韓半島・中国東北地方の(商用)共通用語であった「中国語百済方言」を捨てて、倭人の音を漢字に当てはめる新しい統一言語である「日本語の開発」が始ったらしいです。
この作業は「諸藩(帰化人)」を中心に進められたのは間違いありません。
例として
・日本最古の著書『日本書紀』のα群(14~21、24~27巻)は「正格漢文」を綴れる渡来唐人(続守言、薩弘恪)です。この(14~21、24~27巻)は中国語(漢文)の書籍なのです。
・紀貫之は『古今集』序で和歌の開祖は「なにはづに さくやこのはな ふゆごもり いまをはるべと さくこのはな」の作者である渡来人の王仁(わに)としています。
・『土佐日記』に日記は本来「男の漢文」で書くところだが「女だから日本語」で書いてみるという書き出しで始る。
・『竹取物語』、『土佐日記』、『古今和歌集』『万葉集』は新造日本語の先駆的な実験だったのです。

同様のことは明治期にもあって森鴎外・尾崎紅葉・夏目漱石などの作品を誰もが読んだ理由は新しい日本語の使い方を知る為であった訳です。

http://www.geocities.jp/yasuko8787/okada-hidehir …
・日本語は人造語

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1011.html
・岡田英弘『日本史の誕生』1994 弓立社

http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/chubun/ohno/wabun. …
・漢文は和文で読める?

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4121015029
・日本書紀の謎を解く

http://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/HOMPG581.HTM
・井上ひさし「国語元年」
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この回答へのお礼

詳細で専門的なご回答ありがとうございます。やはり2000年前となると不可能に近いんですね。想像するに、朝鮮半島から入ってきた言葉を当時の日本人(倭人)が見よう見まねで使うようになり、それが次第にその地方独自の言葉に発展していったのでしょう。それが日本語の起源のような気がします。当時の人たちがどんな言葉で、どんなイントネーションで話し合っていたかはやはり興味のあるところで、そこに古代のロマンがあるのだと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/07 23:29

古代日本は、平地が少なく生活面では、列島内の横との繋がりは非常に乏しかったと考えられます。

しかも、石器時代のスンダランドからの北上した旧モンゴロイドや、縄文期後期からの大陸からの新モンゴロイド、またカムシャッカからの移住など、方々からの人種が居たわけで、実際には、弥生時代の「日本の言葉」なるものもばらばらであったろうと考えられます。

>もし現代人が弥生時代にタイムスリップしたとして

とありますが、どの地域か?で、聞こえてくる言語も相当に違うでしょうし、また現代人には理解できないでしょう。明治時代あたりに書かれた文章見てふと思うのですが、我々は100年前の言葉さえも半分も理解できないのではないかと。
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少なくとも、ハ行の発音については



パピプペポ→フャフィフュフェフョ→ハヒフヘホ

と変わっていたと聞きます。
古代(平安はじめあたりまでと聞いたような)はパピプペポ、その後かなり近世までフャフィフュフェフョ(ファフゥフォと書くかも)だったようです。
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