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初めて質問させていただきます。よろしくお願いします。
最近ヨハネの福音書を読み始めたのですが、ラザロ復活のところが理解できません。
聖書では、病=罪の形式で書かれており、罪人は信仰によって救われるということはなんとなく分かりました。ところでキリストはラザロの病を「この病は死に至らない」と言いました。ここで“死に至る”というのは肉体の死ではなく、キリストのいう永遠の命を得ることができない“死”だと思うのですが、ラザロの病は死に至らないのだからこれは一般的な意味での病、肉体が滅びるだけの病ですよね。つまりラザロには信仰があるが、その肉体は物理的障害(ここでは病気)によって滅びたということです。
このように考えるとラザロの死はキリストにとって悲しいものではないはずです(ラザロは信仰によって救われるはずだから)。しかしキリストは、ラザロの兄弟マリアの「あなたがここにおいででしたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」という言葉を聞いて、嘆き、激し、涙してラザロを復活させます。
ラザロは既に信仰によって救われているのにどうして肉体を復活させなければならなかったのでしょうか。

A 回答 (7件)

別の視点からです。

(あくまで参考程度に)

ご存知のとおり、イエスの死後、沢山のイエス解釈が出ました。
それを二つの主流にわけると、一つがイエスの兄弟のヤコブ率いるユダヤ教の一つの派閥。
彼はエルサレム教会でイエスの教えを保持しました。

もう一つはイスラエル以外のローマ帝国に伝えた派閥。
派閥の党首はパウロ。後にキリスト教になりました。


イエスの教えを受け継ぐエルサレム教会は消えました。

今に伝わるキリスト教の開祖はイエスではなくパウロ。
彼の神学がキリスト教となりました。
新約聖書を理解するには、イエスではなくパウロを理解するしかない。

と、私は思うんですね。


当初、パウロは12使徒たちの保持したイエスの教えを迫害しましたが、後に劇的な改宗をし、そして裏切りました。
そのことによって破門されてしまいました。

パウロは相当恨んだでしょう。
怨念は未だに続いている。

日本に呪われる・祟られるという語彙がありますが、この意味は威力を失うという意味で元来使われていたそうです。
従って呪い殺された=権力・威力をそぎ落とされた。
呪いで人を殺した、という意味じゃあない。


パウロは祟ってしまったと思えます。
そして祟られたことで、イエスの教えを保持していたエルサレム教会は潰され、そればかりか「これがイエスの言ったこと」と改ざんされ、歪められたものが真実であるかのように後世に伝わってしまった。

すごい復讐です。
パウロなき後も怨念は消えない。 祟りは今も続いている。


と、前置きが長くなりましたが、ラザロの復活とは何か?

http://www.gyao.jp/documentary/ngc/
『禁断の聖書 キリストのライバル』を観ますと、その当時処女から生まれ、傷を癒し、死者を復活させた人はローマ帝国内にイエス以外に沢山いたようです。

パウロ派はこれにヒントを得て、習合して、利用して一人の人物がやったと物語を作ったのではないかと思えます。


ビデオを観てわかったことは、死者を復活させることができる人とされた人たちが存在していたこと。

では、死者を復活させるとは一体どういうことか?
死亡をした人を蘇生させることなのか?

ある本を読んでいて、ラザロの復活のところで、ラザロが捕まり生きたまま棺おけに閉じ込められ、イエスが奪回するため行動をしたという話が出てきました。

「ラザロ 起きて立て」

その前のところに、教会が意図的にある一文を加筆するよう指示する手紙が見つかったと書いてある。
その一文のせいで、まるでラザロが死んで棺おけに入れられ、そして助けにきたイエスが死者を蘇らせたかのようになってしまった。

残念ながら、教会が加筆するように指示した手紙が現存するのか、私は知りません。


つづいて、エッセネ派の死者とは。
宗教的に死んでいる状態の人をも指していたようなんです。

エッセネ派は破門するとき、死装束をつけさせ、死者として扱い、通常3日間洞窟に入れて埋葬したかのようにして、その後追放していた。

宗教を奪われたので死者。

信仰心がなくなった人も死者。

復活とは、信仰心を取り戻したこと。
権威・名誉を回復した状態のこと。

と私は推測します。


ラザロ=シモン・マグス。
上のリンクにある動画にも出てきた人物。

3人のゼロテ党員、シモン・マグス、イスカリオテのユダ、テウダ(バラバ)はナショナリストの蜂起を指揮していた。
ピラトはなにがなんでもローマに逆らうゼロテ党を率いるこのリーダーたちを捉えたかった。

シモンはクムランの洞窟に隠れたが、再び権力を取り戻すことが無いように破門されなければならなかった。

イエスはシモンの破門をヘレナから聞いた。
(ヘレナはシモン・マグスの愛人)

最初は何もできなかった。
だが、事件が起こり、アンティパスはアグリッパより優勢になったことで、シモンを釈放するように命令した。

いろいろあって、イエスはシモンを政治的には支持できなかったが、個人的な忠誠心は持っていた。
もし、イエスが暴動のリーダーのシモンを支持してしまえば、ローマと敵対することを支持することになり、後々困った問題を引き起こすことになる。
それを承知でシモンを助けた。

という内容を読んだことがあります。

ちなみに「人は皆罪人で、信仰のみが救える」という考えを持っていたのは、イエスではなくパウロ。

この回答への補足

いろいろ調べながら回答を読ませていただいていたので、それぞれの段落を細切れに解釈してしまい、お礼のところでトンチンカンなことを言っていました。
イエスがシモン・マグスを助けた出来事を、聖書でラザロ復活という風に書いたのではないか、ということですよね。
しかしなぜシモン・マグス復活でなくラザロ復活なのかと疑問に思い、シモン・マグスを調べていたのですが、どうやら彼はグノーシス主義者のようでした。グノーシス主義はキリスト教会にとっては煩わしい存在であった為、グノーシス主義者であるシモン・マグスの名を伏せたのかもしれません。
また、ラザロの名前の由来を調べた結果、ラザロはヘブライ語“エルアーザール”をギリシャ語化したもので、その意味は“神は助け給う”らしいです。ここでの“復活”というテーマに出来すぎなほどマッチした名前だと思います。
このようなことをふまえて考えると、キリストのこの逸話を残したいが、シモン・マグスの名前を表に出したくなかった者が(キリスト教会?)、シモン・マグスをラザロという名前で書き換えたということはありえる話かもしれません。

補足日時:2006/12/05 16:44
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この回答へのお礼

恥ずかしながらパウロのことあまり知りませんでした。なので前半部分のご回答も、とても興味深かったです。

>パウロ派はこれにヒントを得て、習合して、利用して一人の人物がやったと物語を作ったのではないかと思えます。

つまりパウロ派はパウロの神学を広める為にキリストを利用したというわけですね。


>教会が意図的にある一文を加筆するよう指示する手紙が見つかった~

ラザロが死んでいなかったら、復活もなにもないですね。
しかし教会がもし本当にそのようなことをしたのだとしたら、たとえ布教のためでも神への裏切りに他ならないですね。

>エッセネ派は破門するとき~

この考え方でいくと、ラザロはなんらかの理由で宗教を奪われたか、もしくは信仰心を失ったが、シモンのようにキリストに助けられたということですね。ラザロが信仰心を失うとは考えにくいのでやはりシモンと同じような状況であったのでしょうか。

余談ですがリンク先の動画がカクカクして正常に見れませんでした。たぶんパソコンがボロっちい所為です。興味深い内容なのでいつかは見てみたいです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/03 18:23

No.3.5です。



最初に「その部分は後世の人が加筆したところがある。」と書いたので、どの部分だったかあれから調べたのですが、見つけられずに今に至ります。

本をひっくりかえしても出てこないので、ネットで調べていてあるものを見つけました。

http://ha3.seikyou.ne.jp/home/tenryo/john_40.htm
【1節 【起こした】 ここに用いられている動詞《エゲイロー》は、もともと「起こす」をいう意味の動詞であるが、多くの場合神がイエスを死者の中から復活させた場合に用いられている。
それで、「復活させる」と訳される場合が多いが、ここではラザロは「復活した」のではないので、「起こした」という本来の意味を示す訳語にする。】

で、思い出しました。
ヘブル語には一つの語にいくつも意味があることを。

・<死>も<村>も同じ字で点を上に打つか下にうつかの違いだけ。
・<霊感>と<指示>と<幸福>は同じ字で、どの意味を取るかは翻訳者の判断にゆだねられている。
・<近く>と<上>は同じ文字。(例 湖の上を歩く、湖のきわを歩く)

ヨハネの福音書はヘブル語ではなくコイネー(その当時のローマ帝国内で使われていたギリシャ語の元)がもともと。

本当にそうでしょうか。


バラバラの文書の中から、どれを聖典に入れるか、一つの文書の中にどの順番にするか決めて聖書を編集した中心人物はエイレナイオス。
一つの福音書だけを信じるものを糾弾し、4つとも信じるようにと言った。
その彼は実はヨハネによる福音書がもっとも偉大な書だとしている。
確かにヨハネによる福音書は奇蹟話しづくしで、心をわくわくさせる書物です。
エイレナイオスはマタイによる福音書とヨハネによる福音書はイエスの直弟子で、彼らが目撃したことが書かれていると主張しました。
そして自分の主張を受け入れない者を異端反駁で徹底的に攻撃しました。

さて、こんな話があります。
ある人は聖書が難解で、なにを言っているのかわからず、牧師や教師や神学校の教授に聖書の意味を質問したところ、必ずこう言われたそうです。
「君 ただ読み続けなさい。そうしたら聖書が教えてくれるよ」

そのある人が言うには、「真実を言えば、人は死ぬまで聖書を読んでもヘブライ的文書の意味はわからない。」だそうです。

マタイによる福音書。
稚拙な文章で筆者はあまりギリシャ語が得意ではなかったからだ、と思われていますが、そうじゃあないようです。
ヘブライ的に書かれているから。
ヘブライ聖書の特徴は、「そして・・・そして・・・そして・・・そして・・・そして・・・」とまるで幼児が喋るような文章。

マタイによる福音書
「義のために迫害された人は幸いである」
「義」は誤訳。「救い」または「贖い」が正確。
「迫害」は誤訳。「追い求める」が正確。
訳しなおすと「救いを追い求める そのような者は幸いだ」
そしてその結果として未来にやってくると言っているのではない。


「こころの貧しい人は幸いである。天国は彼らのものである」
「悪に手向かうな」
これらも誤訳。 もっともっとあります。誤訳が。

その人はマタイによる福音書が何故難解なのか理由がわかった。
ヘブライ語的だから。
直訳しヘブライ語の持つ熟語をそっくりコイネーに移植しているから。
変えてはならないとされたので、そのままコイネーにしたようなんです。

日本語でも慣用句があり、直訳すると本来の意味が伝わらなくなるものがありますよね。

ヨハネによる福音書は確かに文学的に読みやすい。
編集されたからだと思います。
でも読者が読みやすいようにと、本来かかれていない文を親切にも加筆してしまったら。。。。
誤訳のあげくに湾曲となってしまう。


そのある人の書いた本を読むとイエスが言ったとされた言葉は、ラビ文学や死海文書の中の宗団独自の書に既に書かれている言葉だと気付きました。

大工のせがれがなぜ、宗教者しか読まないラビ文学や死海文書の独自の解釈を知っているのか・・・・・

イエスは大工の息子じゃあなかった。と思えるんですね。

覚えています? イエスの母マリアと洗礼者ヨハネの母は従姉妹同士。
洗礼者ヨハネの母エリザベトはアロン家。
父親ザカリアも祭司の家系。
洗礼者ヨハネは大祭司の家系だったんです。
当然神学校でバリバリに勉強していたわけです。

マリアの父ヨアキムは祭司。
そしてマリアとエリザベトは親戚。
どういうことでしょう。
ユダヤ教の宗教職は世襲制。今もそうです。
どうしてかというと神はレビ人のみがやっていいと定めたから。
そしてアロンを大祭司と定め、その子たちがひきつぐようにと定めたので、アロン家は大祭司の家系になったわけです。
現在苗字がコーヘン・コ-エン・コーハイムなどの人は大祭司の家系です。
実際DNAで調べると、今でもその神の掟を忠実に守っていたことがわかりました。


私はイエスはその定めを打ち砕こうとしたのか?
イエスも祭司系列だとすれば、上の問いは却下される。
イエスもレビ ひょっとしたら大祭司の家系だったのかもしれない。

ところが、神殿にいる大祭司や祭司たちは議会の人たちは、ローマが送り込んだ男の血が流れている。
神殿を建設したヘロデ大王、彼はユダヤ人ではない。
ローマ帝国が彼をユダヤの王とし、彼は自分に逆らう神殿の大祭司や祭司を殺し、自分に逆らわない人たちの中に政略結婚で自分の血を入れていった。
ヘロデ大王はローマと親密だったし、祭司たちと政略結婚により親戚になり、その祭司の家系で構成されているサンヘドリンもヘロデ家と親戚になったので、ローマ寄りだったわけです。

それで神殿の祭司は腐ってしまったとなり、自分達の国を乗っ取られたと怒って、暴動を起こしていたわけです。
それでサンヘドリンはピラトに自分達に逆らうものはかたっぱしから連れて来いといわれ、つぎつぎ処刑されていていたわけです。

ラザロ。あなたからエリアザルだと教えていただきました。
エリアザルはアロンの息子の名前です。
ということは、ラザロの遠い祖先はアロンで、ラザロはその末裔の大祭司の家系かもしれない。(北イスラエル王朝の)

彼は潰され権力をそがれた。
そしてイエスが助けた。
それを見た神殿祭司は、潰しきれなかったと自分達を脅かす勢力のリーダーのイエスを殺すことにした。

ちなみに、パウロもヘロデ家とは親戚。
だから、かたっぱしからしょっぴいて引き渡していた。

ヘロデ大王もパウロもトロイの木馬のように思えてきました。

ところで、その当時 死者が出た家の人は穢れたとされ、何日間かは清めのため篭らなければならなかったようです。
従って人の目に触れることもない状態のはずなのに、マリアは家を出て何人もの人に目撃されている。
しかも穢れの期間にイエスに肉体的に接触している。
当時 女性が一人で外を歩くなんてありえない・・・・。
ましてや女が夫以外の男に触れるなどありえない。
(イエスとマリアが夫婦ならありえるでしょうけど)
随分おかしな内容ずくしです。
恐らくこの部分は古来のユダヤの風習を知らない人によって創作されたものだと思えます。
やはり、ラザロは死亡してなどいなかった。と思えます。
もともとは死亡した人を生き返らせ、超常現象を起こしたという話ではなかったと思います。

最後の日に死んだ人も蘇り最後の審判を受け、清い人は天の国に住むというのを信じていれば、途中で生き返らせるようなことはしなかった。
イエスは「最後の審判の時にラザロは生き返り、永遠の至福に入りますから 安心しなさい」と言うべきじゃなかったのか。
ということで、やはり死亡した人を数日後に生き返らせたというストーリーは後世の捏造だと思います。
しかも教義に矛盾していると気づかない人の。
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この回答へのお礼

>ヘロデ大王はローマと親密だったし、祭司たちと政略結婚により親戚になり
>その祭司の家系で構成されているサンヘドリンもヘロデ家と親戚になったので、ローマ寄りだったわけです

ヘロデの血が混ざりローマよりになった司祭と、古来ユダヤ思想の司祭たちの間で不和が生じたわけですね。そして後者の中にラザロとイエスがいた。
そう考えるとイエスの方が専ら律法に従順なユダヤ教徒であり、イエスを磔刑にし、ローマに頭を垂れる司祭たちはローマを受け入れる為、異教徒に柔和な姿勢をとっていたと考えられます。
しかしこれは明らかに聖書に書かれる構図と正反対です。
これはどういうことでしょうか。
至らない頭で考えてみました。

政略結婚により腐敗した宗教と政治。イエスをはじめとするユダヤ思想の司祭たちはこれに耐えかねてヘロデとそれに従う司祭たちに反発、イスラエルを自分達の手に取り戻そうとした。
しかしそれが失敗し、イエスはピラトに引き渡され磔にされることになった。ラザロもきっと殺されてしまったでしょう。事態はこれで収拾したかに思えた。しかし、イエスに触発されたユダヤ人たちの間で司祭たちに対する不満が燻っており、いつまた第二のイエスが現れるかわからない状況であった。
そこでパウロは彼らのヒーローであるイエスの虚像を作り上げ、その思想を歪めた上で、それをキリストとして崇めるように仕向けた。これがキリスト教の誕生だった。
ここでイエスを英雄視していたユダヤ人と、ユダヤ教の教えを忠実に守るユダヤ人の間で対立関係の構図が出来上がり、ローマへの敵意を逸らしたのではないか。

…歴史もろくに知らないのに、ましてキリスト教の歴史など何も知らないのに妄想してしまいました。またトンチンカンなことを言ってたらすいません。

回答ありがとうございました。いろいろな考えがあって、しかもそのどれもが面白いので本にできそうなくらいですね。

お礼日時:2006/12/17 10:24

まず一番最初、クリスチャンの命題は「全世界に出て行ってすべての造られたものに福音を述べ伝えよ」そして罪人というのはイエスを信じていないすべての人に対して述べていることです。



救いというのはラザロだけではありません。
マリヤの不信仰を見て嘆き悲しんだ。イエスはラザロを復活させましたが、それを見たマリヤが信じた。
つまりラザロのためでなくマリヤのために復活させたと考えてはいかがでしょう。
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この回答へのお礼

>救いというのはラザロだけではありません。
>マリヤの不信仰を見て嘆き悲しんだ。イエスはラザロを復活させましたが、それを見たマリヤが信じた。
>つまりラザロのためでなくマリヤのために復活させたと考えてはいかがでしょう。

「あなたがここにおいででしたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」というマリアの言葉を見たときに、マリアの信仰は深いものだと思っていました。しかし肉体の死というものに対して愁嘆するマリアはまだどこかに僅かながらも疑念があり、それを完全な信仰に導く為の復活だった、ということでしょうか。そう考えると信仰というものは段階的であり、イエスを知るものは皆、完全な信仰と完全な不信仰(罪)の間のある段階にあるということに気付きます。そして聖書を読むと、イエスの奇跡を見たもの、聞いたもののうち完全な信仰に近いもの(マリアなど)はより信仰に近づき、完全な不信仰に近いもの(パリサイ人など)は逆に罪に近づいたように読み取れます。ということは奇跡は信じるものの為にあるということです。信仰がないものには奇跡は奇術のようなものにしか見えない。言い換えれば、奇跡が奇跡として見えるということは己の信仰が強いということの証です。イエスは死人を甦らすという驚くべき奇跡で、マリアの信仰の強さを自分に分からせたのかもしれませんね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/11 17:23

No.3です。



何度もすいません。
もう一つ思い出しました。

日本に穢れという概念がありますよね。
病気となった人は穢れたとされ、ライ病などの人たちは、穢れが集団に入って集団全体が穢れないように、集団から追放されました。
追放されたので死人みたいなものです。
彼らはと呼ばれました。

そして、穢れを清めることができるとされた人たちもいました。
と呼ばれるひとたち。
人と神の間の領域に住む人たちのことです。

悲田院では、集団から穢れたとして追放された人たちを保護しました。
もののけ姫でもエボシ御前が、悲田院のような集団を形成して、社会から追放された(死んだとされた)人々を蘇生(生かす)させている。


穢れとは、犯罪を犯した人たち以外、病気になっても穢れたとされた。


聖書に、目が見えない人、片足が萎えた人など出てきますが、果たして身体障害者のことだったのか。

トーラを曲解して真意を理解していない聖職者を、イエスたちは盲目と呼んでいなかったか。
自分で歩かず、台の上に座ってひきあげられ、民衆をその台の上から見下ろしながら、偉そうに説教を垂れているだけで、何もしない聖職者を、足が萎えた人と呼んでいなかったのか。


目が見えない人の目が見えるようにし、歩けない人を歩けるようにしたということは、どういうことなのか。


金持ちの家の前のライ病人ラザロという逸話話は架空の作り話か。
それとも何か事件があって、その時使った交渉の内容だったのか。


ラザロがシモン・マグスのことであれば、イエスがシモン・マグスの復権のために、自分が入っている集団の権力者にシモン・マグスの復権を交渉したことになります。

シモン・マグスはグノーシス的考えだったようですが、トマスの福音書を読むと、イエスもグノーシス的見解を持っていたように描かれています。

だからイエスはラザロ(シモン・マグス)の思想が穢れとされ破門されたとき、イエスは穢れを清めた。 つまりラザロを復活させた。

こう考えると、一連のエピソードが現実的にありえたと思えるのです。


日本で穢れたとされた人たちが、実際には死んでいなくて、ただ集団から追放されただけだったように、ラザロは追放処分が下されたが、実際に追放になったあと、復権したのではないかと思います。


蛇足ですが、、、
シモン・マグスはキリスト教の強敵だったとされるが、本当にイエスの弟子達にとって敵だったのか。

新約聖書は本当に12使徒の見解と一致しているのか。

ヘロデ大王はユダヤ人ではない。
ローマによりユダヤの王の冠をもらったので、ユダヤ人でもないのにユダヤの王になった。
ヘロデ大王は、たくみに政略結婚により神殿の祭司達の中に自分の血筋を混合させていった。
宗教と政治の両方に自分の血を入れることで、自分の支配下においていった。
従って神殿の宗教も議会も彼の意のままだった。

大王の息子はローマから王位をもらわなかったので、ヘロデ・アンティパスとは呼ばれるが王とは呼ばれなかった。

何故神殿の祭司達や議会がローマと仲がよかったのか、これでおわかりになったと思います。
それを民衆は知っていたので、神殿に鎮座する宗教支配者・政治支配者を良く思っていなかったわけです。

ちなみにパウロ。
ローマ帝国を自由に歩き回り、捕まっても何故か奇蹟の脱出を果たしている。
彼が捕まって輸送されるとき、すごい数の兵士が移送に同行した。
ローマは何故たった一人の犯罪者の移送に、何百人と兵士をつけたのか。
彼が逃げないようにしたのではなく、彼を護衛するため。

パウロもヘロデアン。 つまりローマと仲がいいヘロデ家とは親戚。
その彼がマグスの事を悪く書きこそすれ、ローマを悪く言うわけがない。

イエスは自分の後継者をペトロとしているとありますが、本当か?
別の話しによると、イエスが自分の後継者に指名したのは義人ヤコブだとある。

パウロはヤコブを殺害しようとし、死に至る致命傷を負わせることができなかった。
それで議会を動かしヤコブを殺させた。

これでパウロの野望を妨げる邪魔な石は消えた。
後はパウロの起こした思想が、ローマ帝国の国教となり、<他人の家を欲してはならない>などくそっくらえと、他国を侵略する道具に利用していった。


ところがユダヤ戦争が勃発する前に、地下にもぐっていた集団がペラに集結した。
そしてエデンの東に向かって出発した。

だから2千年前の西の端の穢れの思想が、東の端の国にも現れていた。

という解釈もあります。
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この回答へのお礼

wikipediaでも“穢れ”を検索してみたところ、
『穢れが身体につくと、個人だけでなくその人が属する共同体の秩序を乱し災いをもたらすと考えられた』
とあります。

>トーラを曲解して真意を理解していない聖職者を、イエスたちは盲目と呼んでいなかったか。
>自分で歩かず、台の上に座ってひきあげられ、民衆をその台の上から見下ろしながら、偉そうに説教を垂れているだけで、
>何もしない聖職者を、足が萎えた人と呼んでいなかったのか。

イエスのいた集団にとって彼らは穢れていたのですね。しかも彼らは社会的地位の高い人間であったため、穢れによる集団(民衆)への影響も強かった。

>ラザロがシモン・マグスのことであれば、イエスがシモン・マグスの復権のために、自分が入っている集団の権力者に
>シモン・マグスの復権を交渉したことになります。

このときシモン・マグスの所属していた組織が熱心党か、もしくはエッセネ派か、もっと違う他の集団だったのかは分かりませんが、エッセネ派にとって穢れは酷く忌避されたらしいですね。
或いはイエスが所属する集団から独立してシモン・マグスの思想を肯定することで結果的にその穢れを穢れでないものにした、ということも考えられるかもしれません。

いつも回答して下さってありがとうございます。ヘロデ大王の話、パウロの話も面白かったです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/09 23:15

No.3です。



>また、ラザロの名前の由来を調べた結果、ラザロはヘブライ語
>“エルアーザール”をギリシャ語化したもので、その意味は
>“神は助け給う”らしいです。

すごい! そこまで調べたんですね。
あのエルアザルですか!
これも肩書きか???

イエスはイエシュア(ヨシュア)であのヨシュア記のヨシュアと同じですよね。ヤハウェは救い という意味。
ヨハネだと<ヤハウェは恵み深し>

モーセが自分の後継者としたのがヨシュア。
アロンの息子はエルアザル。
ミリアムはアロン・モーゼの姉でマリア。

これらは肩書きだと私は思うんですよ。
日本の歌舞伎に襲名制度がありますよね。
あれと一緒だと思える。

従って新約聖書に登場する名前は、別名でも同一人物の人がかなり多いと思います。

イエスの本名がわからない。
まさか義人ヤコブでは?? と思ったりもしましたが、ヤコブも襲名の可能性があり、イエスと同一人物だったとしても、本名はわかりません。


>キリストのこの逸話を残したいが、

逸話話といえば、有名なのが姦淫した女を助けたというエピソード。
今調べていてわかったのですが後世の加筆の一つとして有名だそうです。
改悛した娼婦として宣教する際の広告に利用されましたが、<娼婦すらイエスにかかれば救われる>という奇蹟話のドグマが・・・。


>シモン・マグスの名前を表に出したくなかった者が
>(キリスト教会?)、シモン・マグスをラザロという名前で
>書き換えたということはありえる話かもしれません。

あくまで下記の内容は一説なので参考程度にしておいてください。
シモン・マグスは前にリンクに貼った動画(カクカクしてみれないと思いますが)に出てくる人物で、信者は彼の死後もずっと多数いたようで、かなり強力な派閥だったようです。(4世紀頃まで強かったみたい。)

彼の地位は西マセナのマギ派、あるいはサマリア人たちに領袖であり、ゼロテ党の実際上の扇動者であったメナヘム(ディアスポラのエッセネ派で、マギ派を創設)の後継者だった。
ペトロは彼と激しく対立し、シモンはペトロから聖霊を与える力を金で買い取ろうとしたと断罪した。
シモンはグノーシス派の宗団の指導者で、自分は神が受肉したものと言っていた。
彼の思想は自由化されたユダヤ教とギリシャ哲学と科学の混交という教えだった。

洗礼者ヨハネの死後、ヘレニストの権力が台頭すると、教父になり、常にゼロテ党の見解を持っていた。
AD50年頃はキリスト教の激しい敵となった。

シモンは「熱心党のシモン」「カナナイオスのシモン」として12使徒のリストにも現れている。
が、一番有名な偽名はラザロ。
死人から復活させられたラザロ、富める男の物語に登場するライ病のラザロ、そしてライ病人のシモン。
クレメンスの諸文献は、彼のことを魔術師(マグス)として紹介している。

マグスはイエスを真のダビデとして受け入れ、平信徒もレビ人として活動できるという見解を持っていた。
(イエスはレビ人の可能性があるけど・・・)
イエスはシモンを愛した。つまりアガペーと呼ばれた交わりの食事をシモンとした。
このようにイエスとマグスは個人的にとても親密で、ゼロテ党の活動において民衆を扇動したマグスが、その威力をすぐために破門されたとき、マグスをイエスが助けたため(ラザロの復活、恐らく地位の復活)、イエスがゼロテ党の見解を支持する側だという認識になり、政情不安になったとき、それがもとで、イエスも民衆を扇動している人とされ、ピラトに引き渡されることとなった。  のではないかと。


激動の時代だったので、権力がころころ移り、派閥の頭が力を失うと、今まで優勢だった人も一夜にして、天地がひっくり返るような状況に陥っていたようなんです。

という風に、その当時の情勢を知ると、いまいちわからなかったことが、ちょっとは見えてくるように思えます。

マグスもイエスがいなければ、新約に悪人として描かれることもなく、聖書みたいなものに聖人として奇蹟を行った人として名を残していたかもしれません。

バル・コフバ。彼は歴史に名を残しました。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ありませんでした。

>これらは肩書きだと私は思うんですよ。
>新約聖書に登場する名前は、別名でも同一人物の人がかなり多いと思います。

肩書きですか、ありそうですね。実際に使徒のなかでもタダイはユダとも呼ばれたりしていますからね。そういった肩書きは、例えばラザロなら、イエスに救われたという出来事があって、その後誰かにつけられたか、自分で名乗ったかしたのでしょうか。イエスの「ラザロよ出ておいで」という言葉が印象深く残っていたのですが、もしラザロという名前が後から付けられたものだとすると、イエスは少なくともそう言わなかったという事になってしまいます。ちょっと複雑な気分です。


>イエスがゼロテ党の見解を支持する側だという認識になり~

ラザロ復活の話は、ヨハネの福音書のみに書かれる話です。一般にヨハネの福音書の成立は他の福音書よりも後だと言われていますが、仮にそれが本当だとするとこの福音書の著者は何か特別に意図するところがあってこの話を入れたのだと考えられます(ラザロ復活がヨハネの福音書に書いてある通りに起こったのだとすると、このような重大な奇跡を他の福音書の著者達があえて書かなかったということは考えにくい)。実際、イエスがラザロを復活させたことをパリサイ人達が耳にしたことで、彼らがイエスを殺すことを決心したと聖書に書かれているので、物語上でも重要なところであることに間違いはないのですが、kigurumiさんがここで示された見解と合わせて見てみるとあまりに符合するので驚いています。
さて、ヨハネの福音書の著者がこの話を入れた理由ですが、


>イエスはシモンを愛した。つまりアガペーと呼ばれた交わりの食事をシモンとした。

色々調べていたら、ヨハネの福音書の著者がラザロではないか、という説があるのを見つけました。確かにこの福音書の著者はイエスの愛した弟子と言われており、イエスの愛した者としてラザロのことを書いてありますが…。
ヨハネの福音書の最初に(1章、9節)「世に来て人皆を照らす真の光があった」とありますが、暗い洞窟に閉じ込められていたラザロにとって、助けに来たイエスは光には相違ないはず…です。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/09 23:13

[ラザロは既に信仰によって救われているのにどうして肉体を復活させなければならなかったのでしょうか。

]
ですね。
イエス様が幾多の奇跡を人々に見せたわけは、伝道から3年しかこの世で教えを説かなかったからですね。そういう計画であったため、救世主としての証明を後世に残すためだったのですね。ラザロの復活もそのひとつですね。
例えば、イエス様が釈尊のように50年も教えを説く救世主であったなら、死んだ肉体を生き返らせることはしなかったでしょう。魂は死なないことだけを説いたでしょうね。釈尊は同じような状況でそのようにしてますね。
つまり、イエス様には時間がなかったということですね。そのようにご本人が計画されていただけなんですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>イエス様には時間がなかったということですね。そのようにご本人が計画されていただけなんですね

限られた時間の中で、人間を信仰へと招き入れる手段としてセンセーショナルな奇跡を使ったわけですね。

お礼日時:2006/12/03 18:21

> ラザロは既に信仰によって救われているのにどうして


> 肉体を復活させなければならなかったのでしょうか。

僕も聖書のその箇所を読んでみたのですが、そこには(特にヨハネの福音書
11章42節)、イエス自身がこの質問の答えとなることを言っているのでは、
と思いました(聖書の日本語訳は、著作権がある場合もあるので
ここに引用しないのですが、ご自分で直接確認してみてください。)

要するに僕は、そこにいあわせた人たちが、イエスが神様から遣わされた
ことを信じるように、ラザロを復活させたのだと考えたのですが、実際に、
45節には、その場にいた多くの人たちがイエスを信じたと書いてあります。

> ...ラザロの死はキリストにとって悲しいものではないはずです

僕には難しいことはわからないのですが、思うに、ラザロを(この世で)
失った人たちの悲しみや憤りを、心から同情できるところが、イエスの
画期的にすごいところではないか、と。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>イエスが神様から遣わされたことを信じるように、ラザロを復活させたのだと考えたのですが

確かに11章でそういったことを窺わせるキリストの言葉は42節以外にもいくつかありますね。4節の「神の栄光のため、神の子が栄化されるためである」や、15節の「ラザロは死んだ。わたしがあそこにいなかったことをよろこぶ。いなかったのはあなた方のため、あなた方が信ずるためである」などです。
徴としての奇跡という視点で見た場合、死人を甦らすということはそれを見るものにとって非常に効果的にはたらきそうです。

お礼日時:2006/12/03 18:19

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