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夫に失望している妻が妊娠し、生れてくる子供に異常に愛情をそそぐ。一方、夫は最初に診てもらった病院で想像妊娠と言われたため妊娠が信じられず、生れてきた子の姿も見えない。(ラスト付近で子供の感触がしたようですが...)

この作品を何度読んでも、子供は本当にいたのかどうかがわかりません。いわゆる「言わんとすること」もあまりよくわかりません。
みなさんはどういう解釈でお読みになっていますか?
星新一さんは「言わんとすること」を考えるのは無意味だとおっしゃるかもしれませんが、どうもスッキリしないので、是非教えていただきたいです。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

あえてどっちともとれる読後感にしたのがおもしろさの一つ・・・


では解答になりませんか?。

いた、とも考えられますよね。
誰にも見えなかった、母親だけは信じた、最後夫も感じることができた。

いなかった、とすると・・・その子供は未来の姿だったのかも?
夫が子供を感じ、存在を信じ、夫婦の心が通じ合うことで
将来本当に子供ができ、姿が見えなかった子供と本当に出会う・・・。

そんな解釈(想像?)も出来ると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>あえてどっちともとれる読後感にしたのがおもしろさの一つ・・・
確かにそれもあるかもしれませんね。

ただ、夫婦間のみならず、夫側の医師(想像妊娠と診断)と妻側の女医(出産まで行う)の意見の食い違いまで描かれてるのが、釈然としないのです。夫婦も含めた男女の心の通じ合いのむずかしさをあらわしているのでしょうか....

お礼日時:2007/01/05 16:30

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