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第二次大戦が始まった時の状況と当時の指導者達の戦争に対する見通しを教えて下さい。

先の大戦が始まった時、日本とアメリカの経済格差が

GNPで10倍、鉄鋼生産量で20倍であったと 聞きました。

自分でDATAを当たったわけではなく、このサイトから得た聞きかじりの知識です。

細かい数字はどうあれ、日本とアメリカの経済格差は大幅な開きがあったと思われます。

この様な状況で当時の指導者達は本当に日本の勝利を確信して開戦したのでしょうか?

先の大戦では多くの若者を中心として市民の犠牲者が出ました。
開戦するのに相応の理由をしり、自分自身納得したいです。

私は1理系の人間です。高校時代は日本史は履修したのですが、怠け者でテスト前に一夜付けですませた口です。

今更そんなこと自分で資料を当たれ!!!
と怒られそうですね。

とすればどのような資料を当たればよいか教えて下さい。
宜しくお願いします。

A 回答 (21件中1~10件)

猪瀬直樹氏の著書に『昭和16年夏の敗戦』がある。

 総力戦研究所というシンクタンクが創設され、対米戦争についてシミュレーション研究を課題に与えられた。 研究員は各省庁の若手が一時的に派遣されている。 この研究所の結果はこれまで明るみに出ることはなかった。 猪瀬氏の著書で始めて明るみに出たことになる。 

実は私の父も満州国の参事官としてこのプロジェクトに参加しており、満州国を代表して参加した方々とは終生兄弟同様の付き合いがあった。 

大戦の始まる半年の前に研究報告は『敗戦』を明確に結論して、非戦を進言している。 誰が見ても、結論は同じだった。 それがどうして開戦になったのか。 だからこそ東京裁判の被告となったA級戦犯の責任は大きいといわざるを得ない。 
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この回答へのお礼

回答有り難うございました。

貴重な本を紹介して頂き有り難うございます。

研究報告は『敗戦』を明確に結論して、非戦を進言している。 誰が見ても、結論は同じだった>>>>

でも喧嘩を始めちゃった。私は正直、とてもじゃないがこの様なリーダーにはついて行けません。

有り難うございました。

お礼日時:2006/12/20 12:10

 開戦前夜の状況については他の方々の論説に譲ることにして、経済政策面から戦争に至る経緯を述べたい。

まず最初に言っておかなければならないが、私は「あの戦争は仕方がなかった」といった「運命論」や「鬼畜米英の言いなりになるわけにはいかなかった」といった「感情論」は大嫌いである。それは思考の停止だ。よく他のサイトで「ハル・ノートを突きつけられれば、どんな小国でも銃を取る」といったセリフを振りかざす者が散見されるが、では本人に実際にリヒテンシュタインやモナコ公国の為政者に対し「ハル・ノートみたいなのを突きつけられたら、絶対に勝てない相手と分かっていても堂々と宣戦布告するのか?」と糺したらどうなるか・・・・といったことに考えが及んでいるのかというと、いささか心許ない(苦笑)。

 日本が無謀な戦争に突入したきっかけはハル・ノートということになっているが、その前段にABCD包囲網がある。言うまでもなく大陸での欧米諸国との利権争いが遠因だが、そのまた背景にあるのはブロック経済だ。ではブロック経済とは何か。要するにあれは世界恐慌を乗りきる方法として開始されたものである。それならば世界恐慌とは何か。ひとことで言って、世界的な需給不均衡である。では、どうして需給ギャップは生じたのか。その背景にはアメリカをはじめとする当時の先進国が外需(植民地需要も含む)依存を高めていたことがあげられる。そういう状態の中で第一次世界大戦が終わり、その荒廃から回復していない各国の購買力が追いつかず、大幅な需要不足に陥ったというわけだ(まあ、農産物がダブついていたせいもあるが ^^;)。このため資本主義諸国は排他的な広域経済を構築し、自国製品の販路を確保しようとした。日本もまた新たな市場を求めて大陸進出攻勢を強め、それが欧米諸国との軋轢を生んだことは周知の事実。

 ここで注意しなければならないのは「需給ギャップは外需で埋めなければならない」という強迫観念だ。すでに植民地をあっちこっちに持っていた「ドイツを除く欧米諸国」が国際市場をブロック化して外需の確保に努めようとしたのは、まあ理解出来る。しかし、遅れてきた帝国主義でしかない日本がブロック経済化に追随しなければならない道理など存在しなかった。需給が均衡していないのなら、均衡するように持って行けば良かったのだ。それは何も無理な大陸進出という危ない橋を渡る必要はなかった。内需で十分ペイ出来たのだ。貯蓄性向の高い日本人の国民性を利用して、国債発行による有効需要創出をおこなえば、国内ベースで需給は均衡する。「対外進出」という禁じ手なしに経済的独立を達成しておけば、各国と緊張状態に陥ることはなく、ABCD包囲網など「別世界の話」になっていたはずだ。

 とにかく、あの戦争の原因は経済政策の失敗に尽きると思う。第一次大戦後にすでにアメリカの景気がおかしくなってきているのに、大蔵省が金輸出解禁を断行。さらに鈴木商店や台湾銀行の経営破綻にともない不良債権処理を推進し、財政的には緊縮基調を取ったため、たちまち金融恐慌が発生。これが軍事インフレと為替ダンピングによる輸出昂進を狙った「市場開拓」という大義名分を振りかざした軍部の無謀な大陸への進出を止められなくなる素地を作ってしまう。

 要するに、トレンドがデフレにある中で、さらにデフレ推進政策をやってしまった政府の経済的無知ぶりが「間違った戦争(負け戦)」の引き金を引いたのだ。ちゃんと適切なマクロ経済政策をやり、大陸での領土を切り捨てるほどの思い切った方策をも見据えた内需てこ入れを敢行すれば良かったのだ。特に朝鮮半島なんぞに莫大な資本投入をおこなう必然性など微塵もなかった(これこそ、無駄な公共事業の典型)。いくら尽くしてやっても全く感謝されないどころか「日帝うんぬん」と今でも日本を憎悪の対象にしている者達など、最初から放っておけば良かった。ソ連の属国になり、奴隷民族と成り果てる方が彼らの「身の丈に合った」結末であったろう。

 それに、もし当時の日本が朝鮮や満州を手放せば、いったいどこと戦争する必要があったというのだろうか。「太平洋の覇権を狙ってソ連が日本本土を侵略する」という筋書きぐらいしか考えられないが、そうなるとアメリカが黙っていないはず。可能性としては低い。

 で、トピ主さんの「第二次大戦、日本は本当に勝てると信じていたのですか?」という質問に対する回答だが、おそらく為政者の多くは「勝ち目はない」と感じていたのだろう。しかし、彼らとしては「引っ込みが付かなくなった」のだと思う。その大きな要因になったものは世論ではなかろうか。マスコミが「鬼畜米英何するものぞ」といったスローガンを連呼したことによって、国民の間に好戦気分が盛り上がり、政治家として正常な判断が出来なくなった側面もあるかもしれない。

 さて、戦後日本はこの「先の戦争の教訓」を活かしているのか・・・・残念ながらそうではない。間違った経済政策をゴリ押しした小泉みたいなのが長期政権を維持したところを見ても、全然なっていない。2005年の衆院選でも、マスコミが「郵政が国営であることが悪い。抵抗勢力が悪い。とにかく○○が悪い」と煽れば、後先考えずコロッと自民党の怪しげな経済原則無視の「改革路線」とやらに賛同を示す国民性である。このままじゃ日本はまた戦争に負けるだろう(経済における「戦争」ではすでに負けている感がありますけどね)。
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この回答へのお礼

回答有り難うございました。

経済という新しい側面から説明して頂き、とても斬新でした。

精神とか誇りとか美学とかを最初に言われても、正直私のような人間にはピントはずれなのです。それらは最後に多くの要素の一つとして表現してほしい物なのです。

先の大戦は経済という客観的な尺度で十分説明可能なのですね。

もし当時の日本が朝鮮や満州を手放せば、いったいどこと戦争する必要があったというのだろうか>>>>

すごいアイデアですね。残念なことに、その策を進言出来る人間がいなかったと言うことなんですね。

もし命を張ってその策を進言する人間がいたらおびただしい数の若者や市民の命が奪われることが回避出来たかも知れませんね。

仮にそういう人間がいれば、私はその人にこそ日本を本当に守ろうとする精神とか美学を感じてしまいます。

だって誰にも理解されなくても日本を守るために明確なビジョンを持っているなんて、かっこよすぎますもん。美学だと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/20 11:57

簡潔に言うと、日本民族の誇りを守る為に戦ったのではないでしょうか。

分が悪いとは分かっていても相手に屈し、いままで築き上げてきた民族の誇り、精神(嫌いなようですがお赦しを)を永遠に失うことになってしまうのなら例え刺し違えても戦いを挑む事に大きな意味がある。
例え負けても誇り精神は残る。このような考え方は基本的に個々の民族が持っているもので、今も昔も世界中で変わりないと思うんです。小国が列強大国に戦いを挑むのは現在でも行われていませんか?特に珍しい事ではありません。
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この回答へのお礼

回答有り難うございました。

例え刺し違えても戦いを挑む事に大きな意味がある>>>

今の私にはどう説明されても理解困難なようです。

例え負けても誇り精神は残る>>>

大多数の人はそのように考える物なんですか。まだまだ私はそのような境地に至るまで時間がかかりそうです。もしかしたらその境地に達しないまま終わりそうです。

有り難うございました。

お礼日時:2006/12/20 12:04

確か、今年の7月か8月の「オール読み物」に阿川弘之が書いていたのを思い出しました。

 戦後、某元中将に聞いた話と言うことでしたが、日本(軍)が第二次世界大戦でコテンパンに敗れるに至った最初の原因は、日露戦争にたまたま勝って、日本人が日本は世界の強国になったと錯覚したことだと言うような話だったと思います。日露戦争のときも、露西亜との国力は大きく開いており、日本海海戦でたまたま勝利したものの、それ以上戦争を継続すれば、大きく体力に勝る露西亜に敗れていたであろうところ、英国と言う当時の超大国と同盟を結んでいたこと、又米国が時の氏神で間に入ってくれたことで、形だけは日本が勝利したと言うことになったわけですが、第二次世界大戦の際は、日露戦争での英・米の役割を果たしてくれるところはありませんでした。日露戦争での日本人の錯覚がその後の軍国主義への流れを生み、皆さんが書いておられるように、欧米列強の感に障ることとなり、結局負け戦へと追いやられたのでしょう。
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この回答へのお礼

回答有り難うございました。

他の方の回答を見ても客観的に勝つ可能性は無かったようですね。

にたまたま勝って>>>

どうやら2匹目のドジョウにかけたみたいですね。

個人的には2匹目ねらいの一か八かの勝負にはとてもついて行けません。

有り難うございました。

お礼日時:2006/12/20 11:29

本当に勝てると思っていた人はいなかったと思います。

なのに、なぜしなければならなかったのかというと、せざるを得なかったからです。

その理由は、ペリー来航から始まります。厳密にいうともっと以前から始まります。そして、その当時の世界情勢なども複雑に絡み合っています。ですから、大局的な視野が必要だと思います。そうすると、日本とアメリカが戦争するのはある意味運命だったのだと思えます。

ただ、直接の理由はアメリカによる石油の禁輸です。これは中国利権への対立などが原因ですが、日本にとっては石油の一滴は血の一滴と言われていました。そして日本は交渉を重ねましたが、初めからやる気満々だったアメリカにとって交渉は単なる時間稼ぎで、最後はいわゆる「ハル・ノート」という最後通牒を突きつけ、日本は開戦に踏み切りざるをえませんでした。当時の米大統領ルーズベルトは、「私は宣戦はしない。私は戦争を作るのだ」と言ったそうです。

資料ですが、私の手元にあるのは、小林よしのりの「戦争論2」、第15章、日本はなぜ戦争をしたのか? に詳しいです。あとは、林房雄の「大東亜戦争肯定論」も良いみたいです。題名に引かれないでくださいね(笑)。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。

アメリカの巧妙な挑発に日本は乗ってしまったという感じですね。

アメリカのほうが喧嘩上手だったということなのでしょうか。

有難うございました。

お礼日時:2006/12/19 13:06

戦争をなぜしたのかというのは見方によってずいぶん変わる話ですが、一番大きいのは軍部の独走があったことのようです、実を言うと戦争の原因になったアメリカ等の包囲の原因は、満州の植民地化に対する反対だったのですが、その実態はアメリカは満州のあたりがほしく、分け前をよこせという外交のシグナルだったのですが、日本は軍事独裁体勢になっていたので、外交的な判断というものを一切せず、もしくはできない状態にあったため、戦争になったというのが実態だったようです、



つまり本来外交解決を図るよう圧力をかけてきたことに対し、日本は軍事独裁体制だったので、日本は機転が回らず、でたらめな戦争に突っ込んでしまったのが真相だと私は思っていますが、別の見方というのもあるとは思います。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。

日本は軍事独裁体制だったので、日本は機転が回らず、でたらめな戦争に突っ込んでしまったのが真相>>>>

civilian conttrolの重要性はこういうところにあるのですね。

有難うございました。

お礼日時:2006/12/19 12:54

直接の原因は石油です。


日本は石油が出ない上、植民地も殆ど持っていなかったので石油を他国からの輸入に依存していました。それを止められたので日本はあと半年で石油がなくなってしまう状況まで追い詰められました。
半年後丸裸になって戦わずして負けるくらいなら、戦おうというのが当時の判断だったそうです。(瀬島龍三談)
アメリカとの戦争を避けるための努力はギリギリまでしていましたが、アメリカは取り合ってくれなかったみたいです。ちなみに、開戦は12月ですが、12月の太平洋は荒れるので戦争を考えた時ベストの日取りは9月頃だったらしいのです。つまりベストの日取りを逃してもなお和平の可能性にかけたくらいの努力はしていたというわけです。

太平洋戦争についての資料はここが簡潔に纏まっているんじゃないですかね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3% …

ちなみに日本が戦争を仕掛けた直接の原因は石油ですが、アメリカがなぜ石油を止めたかというと日本と対立していたからです。なぜ日本と対立していたかといえば、中国利権の取り合いです。その対立が何時生まれたかといえば日露戦争です。
それまで日米関係は非常に良かったのですが、日露戦争後日本はアメリカから恩を受けた(国家予算3年分の金を借りた)にも拘らず満州利権を独占しました。日米関係はそれ以来一変します。
まあアメリカなんかに介入されたら満州を乗っ取られてしまうという危惧はあったのでしょうし、裏切られたからといって、あそこまで追い詰める必要はなかったと思いますが、日本から仁義を破ったのは事実だと思います。
詳しくは↓をどぞ
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe1 …

つまり日米開戦当時は既に『詰み』に近かったのでアレコレ言っても他にやりようがなかった面が強く、余り意味がありません。むしろ、なぜそんな状況に追い詰められたかを考えた方が意味があると思います。
私はゆっくりゆっくり破滅への道を歩んでいった結果がパールハーバーであり、原爆投下なのだと思います。そして破滅への道に歩を薦めたのが日露戦争の後だと思います。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

アメリカとの戦争を避けるための努力はギリギリまでしていました>>>

知りませんでした。日本史でそう習ったかどうか、あやふやです。

日米開戦当時は既に『詰み』に近かったので>>>>

そうなんですか。始まりではなく終わりだったのですか。

資料を多数紹介していただき有難うございます。

お礼日時:2006/12/19 12:47

当時の帝国主義下では、極論すれば「列強国になるか植民地になるか」の二者択一でした


(スイスやタイのような中立国は例外)。
日本は、有史以来、一定の独立を保ってきました。少なくとも、植民地的支配を受けた事はありません。
まして、他の列強国による植民地支配を知らないはずはありません。
死ぬのも地獄ですが、人間としてさえ扱われる事なく「生かされる」のは、ある意味で死ぬ以上に地獄でしょう。
陸軍軍人の事はよく知りませんが、海軍軍人には「勝てない」と考えた人は結構いました。
しかし、開戦が決まったからといって辞職したりする事なく、その後は黙々と任務を果たしていきます。
これは、決まった以上は国民を奴隷にさせるわけにはいかないという強い意志の表れでしょう。

死ぬ地獄もそうですが、生き長らえる事による地獄も考えてみましょう。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。

死ぬ地獄もそうですが、生き長らえる事による地獄も考えてみましょう>>>

考えて見ます。

有難うございました。

お礼日時:2006/12/19 12:36

>自分の尊厳を守るために私自身は死ねるかも?知れませんが、当時の日本人が全員国の尊厳こそが個人や愛する家族の生命より大切だと思っていたのか?



国家の尊厳と言うより、人としての尊厳といったところでしょうか。当時の常識から考えたら、戦争に負けたら奴隷同然の植民地にされるという認識でしょう。日本列島が「日本国」ではなくなると言うことです。それが帝国主義と言うことではないでしょうか?
ルーズベルトの語録にも「黄色人種は人と猿の中間に属する動物である。」という話があったというくらいですから、「日本人は黄色い猿」というぐらいにしか考えていなかったでしょう。戦後も日本人の蔑称として「イエロー・モンキー」という言葉が使われていました。

ご質問者はこうした質問をされるには、もう少し当時のことが書かれた書籍を読まれてからの方がよいかと思います。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。

もう少し勉強してみます。

お礼日時:2006/12/19 12:32

No.6です。



> 戦争しなければ300万人餓死するか・しないか分からない様に感じるのですが…

現在の置き換えてみましょう。もし海外から経済制裁を受けて食料輸入が止まり、工業製品を売りようがなくなったらどうなりますか?国民の6割が飢え、その一部は餓死することになるのです。
当時の推測では1000万が失業と判断されていました。農村は壊滅状態にあり満州に活路を見出すしかない状況でした。
(日本の土地では6000万人しか養えません)

> 個人の生命が守られる事より数段も重要な物なのですね。

あなたは何故、日本語を使うことができ、美味しい食事にありつけるのですか?日本という国があるからです。それが国体です。国体が維持されることによって個人の生命は守られているのです。いまのイラクを見てください。国が崩壊したため国民には生きる道すら無くなっていませんか?


> 私は軟弱者で絶対負けると分かっているけんかはしたくありませんが…私のように考えるのが少数派?

もし、強者に折れることによってその人の奴隷状態になって生き地獄が続くとしてもその状態の方が良いのですか?それよりも戦って殺されるかもしれないが相手を刑務所に放り込むか死刑に追い込んだ方がよくありませんか?

考えてみてください
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この回答へのお礼

説明補足していただき有難うございました。

お礼日時:2006/12/19 11:55

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