あなたがプラトン主義者と仮定して質問があります。もしあなたがプラトン主義者だとします。あなたは、日本社会にプラトンのいう「正義」を、また個々の人間、特に政治指導者の魂に「正義」を作り出すべく改革を行います。しかも、現在の「民主的」と言われる政治家や官僚たちを、今住んでいる洞窟の中から連れ出して教育し、「理想的な政治」を実現しようとします。あなたは、どのような改革をすべきだとお考えになりますか?改革案を一つ伺いたいです。

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A 回答 (7件)

課題が漠然とし過ぎていて答えにくい.



プラトンの国家という本を参考にすれば
政治家としての職.その使命はといったところからの意識改革を聞いているのでしょうか.それを今の政治に適用させて反映させられるかということですか?

質問と直接関係ないですが,
総ての民意を反映させようとする真の意味での民主主義はすでに日本において萌芽していた.
決して輸入されたものではないし,むしろ輸入されたものによって真の民主主義は破壊されていった.
そういう意味からすれば,対立する意見がお互い納得するまで話し合うようにすればいいのだろう.ディベートのような丁々発止で他の意見をさえぎって言いくるめるのを目的とするのではなく.
そして多数決で物事を決めていくのでなく.

本来の意味での談合という手法をとって.

それにはある一定の参加条件がある
心構えというか.
在り方というか.

お互いが納得できる一致点を見つけられる.
一番いい政治手法だろう.
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「民意の反映」を旨とすることと「住み良い国にしよう」というのは全く別の話ですからおっしゃられた通りの前提で議論することは出来ないでしょう。


只、「民意の反映」の観点から申せば今現在の日本は金銭的価値を至上のものとする方が大多数であり彼らの選んだ代表者は金銭的価値の至上を旨としている為、民意は十分に反映されていると言えるでしょう。
「住み良い国にしよう」とするのであればまず為政者サイドでない方々が「住み良い国にしよう」とさえすれば為政者サイドの方も協力せざるを得ないでしょう。
為政者サイドを教育する場合、問題となるのは「教育するのは誰であるのか?」ということだと思います。
「今住んでいる洞窟」から連れ出せば連れ出した所が新たな「洞窟」になること請け合いです。
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読み返して、ちょっと補足をしたくなりました。

stomachmanです。
 プラトン主義なんて非現実的だ、独裁的だ、という文脈だけで読まれてしまうかな、と心配になりまして。
 政治体制の最低ランクが武治。警察国家であり、占領軍統治であって言いなりになるしかない。その上が法治。何が正しいのかいちいちマニュアルを見なくちゃ分からないというアホの世界です。
 日本の法律がかなりいい加減であり、政治家が利権屋であり、裁判官が世間知らずばっかりでも、少なくともバブル時代前まで位は、借金は何としてでも返す。というようなモラルがあった。手形を落とさないと迷惑を掛ける、という配慮があった。それで世の中は回っていたわけで、正義=義治のレベルとまでは行かないまでも、今でも法治よりはもうちょっと上のレベルにあると思っています。
 キーワードは案外「恥」と「経済的豊かさ」かもしれません。
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質問の答ではないのですが。

。。

世の中で一番残酷・冷酷になれるのは、自分の正義を疑わないときだ。その正義が正しいと思えば思うほどその度合いはさらに高まる。

誰の言葉だっけ?
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現在の政治指導者はもちろん全員粛清です。

改造の余地はない。
未来の国民の教育が先ず必要であり、その中から施政者を出すしかありません。最低でも100年計画ですね。この「理想的な政治」が一種共産主義的な不安定さ(裏切りに弱い)という弱点を持っているために、警察国家・密告政治に堕してしまうのを避けるには、徹底的な価値観の刷り込みが不可欠ではないでしょうか。

*自信ありは冗談ですてば。
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 面白い問題提起です。

「答える」というより、一緒に考えてみたいという気持ちで考えを述べます。
「自分がプラトン主義者だったと仮定して」とのことですので、自分自身の思想信条は棚上げして、できるだけ「平成日本のプラトン」になりきるつもりで考えます。

 まず、学校を作ります。別に文部省認可でなくてもいいです。私塾ですね。学校名は「平成アカデメイア」とか(だっせー)。まあ何でもいいです。「大和民族国民精魂塾」とか、そういうのでも、別に。
 そこで学ぶのは、まず何といっても「イデア」です。歴史を超越して、永久に不動の真理たるイデア。これを把握しさえすれば、もうこっちのものです。誰が何と言おうと正しいのです。永久不変の真理を認識したのですから、歴史的状況がどうの、文化的差異がどうのといった議論はまったく関係ありません。私だけが、私たちだけが正しい。
 そして立ち上がります。まずは同志を増やさねばなりません。街に出ましょう。
「そこのキミ、いいカラダしとるの。どや、わしらと一緒に腐った日本を変えんか?」
とか何とか言いながら若者を募ります。反対する者がいたら論破しまくります。何と言ってもこっちが正しいのですから、必ず論破できます。泣いて許しを乞い、進んで仲間入りを申し出るでしょう。
 仲間が増えたら、とりあえず選挙に出ましょう。衆議院がいいです。なんとなく。
 政党名は「イデア真理党」。政策ヴィジョンは大胆に、「最終哲学者・イデア真理党党首・ozapanにすべての権力を!」と。なにしろイデアの認識者なのですから、ぜんぶ任せてOK なのです。
 Ozapanは演説します。
「国家のアレーテー(よさ)が君たちにとって何であるかではなく、国家にとって君たちのアレーテーが何であるかを問うてほしい!」…とか。(ケネディ・ファンの方、ごめんなさい)
 その他の選挙運動は歌と踊りが中心です。若い女の子を動員します。
 …でも、落選するかもしれません。しょせん、今の日本の愚民どもに、高邁なイデアの理想などわかるはずもないからです。
 だったら仕方ありません。モリとかいう低レベルな指導者しか戴けない国民は、その分だけ低レベルなのであり、そういう低レベルの国民はそれに見合った政治システムしか持てないのです。民主主義? ああ、なんと、愚かな。イデアこそが主であるのに。
 もうこうなったら武力闘争しかありません。もっともっと若者を集めます。
「そこのキミ、いいカラダしとるの。どや、わしらと一緒に腐った日本を変えんか?」
 武道の心得がある者や理科系の学生などは大歓迎です。前者は要人の拉致や暗殺に、後者は毒ガスや生物兵器の開発に携わってもらいます。その他の若者にはこう言います。
「死を恐れるな! 肉体は精神の牢獄である! 死において精神はイデアに帰する! 死を恐れるな! 劤求浄土! 厭離穢土! 進者イデア往生! 退者無間ハデス!」
 これでもう、死を恐れる若者はいません。彼らの我が命を省みない働きをもってすれば、かならず勝利します。
 そして、「最終哲学者・ozapan」を頂点とし、統治者階級、戦士階級、生産者階級と、整然と整理された国家が実現されます。史上初の、輝かしい、イデアの国です。アメリカが何と言おうと正しいのです。Noと言える日本です。ストライキは認めません。生産階級のアレーテーを損なうからです。戦士階級はイデアの敵と戦います。外敵はむろんのこと、内部に巣食う忌むべき敵とも戦います。
「隣の客はよく柿食う客だ? さては貴様、イデアの敵だな!」と、どんどん逮捕、投獄、処刑します。
 芸術家は不要です。すべて国外追放です。え? 天皇? そんなものはイデアとは全然関係ありませんので、廃絶です。

         *

 …とまあ、プラトンが現代に蘇ってやりたい放題やったら、もしかしたらこんなふうになるかなあ…。
 ようするに、ロクなことにはならんような気がします。
 プラトンの『国家篇』、別名「ファシズムの教科書」。…すぐれた認識も随所にあるのです…あるのですが、気をつけないと…。

p.s.これを読んだ方にプラトン研究者の方がおられれば、多分に偏見に満ちたものに見えることでしょう。もしよろしければ、プラトン政治哲学の評価すべき点をご教示ください。質問した方の利益にもなるかもしれませんので。
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やっぱりこれでしょう。


「理想の政治を行う方法は2つしかない。哲学者が執政者になるか執政者が哲学者になるかだ。」byプラトン
冗談のような回答で申し訳ありません。
実は歴史上1回だけ実現したことがあるのです。ローマ帝国の皇帝マルクス・アウレリウスです。
主旨から外れますがkatochanpeさんは、公平で英明な君主が統治する専制政治か、腐敗した民主主義かどちらを選びますか?私はどれほど公正な専制政治より、賄賂と不正が横行する民主主義に価値があると考えますが...
やはり日本の民主主義は米国から与えられたものであり、国民自らが血を流して闘い、勝ち取ったヨーロッパの民主主義とは違うと思います。自分が痛い思いをしていないだけに、また他人の犠牲の上に成り立っているだけに、余計に尊いこと。まずその事を国民が自覚する事からでしょう。国民が変わらなければ政治は変わりません。それが民主主義だと思います。
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Q【哲学思想・構造主義】今の主流は何主義ですか?古代ギリシャのプラトン(イデア)→ニーチェ(ニヒリ

【哲学思想・構造主義】今の主流は何主義ですか?

古代ギリシャのプラトン(イデア)→ニーチェ(ニヒリズム=虚無主義)→サルトル(実存主義)→構造主義→?

今は構造主義の時代?

もう構造主義は古い?

構造主義ってどういう思想なのか簡単に分かりやすく教えてください。

今の主流主流思想も教えてください。

どういう思想の流れですか?

思想の歴史の流れも簡単に分かりやすく教えてください。

Aベストアンサー

OKWaveのマルチポストの質問にも回答がついてゐましたとほり、流行を追ふことではなく、自分で考へること、それが哲学です。特別変つたことが述べられてゐるわけでもなく、部分にこだはるなとか、主体性を持てとか、生きる意味はむづかしいとか、現実ではつかめないすばらしい世界があるとか、そんな常識的に考へられることがいかにも高尚な思想であるかのやうに、もてはやされてゐるだけなのかもしれません。

Q新プラトン主義が三位一体論の形成に与えた影響について

キリスト教の三位一体論は新プラトン主義の強い影響の下に
形成された教義だという言及をよく目にします。
こういった言及はよく見るのでおそらく正しいのでしょうが、
【どのようなプロセスを経て】新プラトン主義が三位一体論の形成に影響を与えたのかがわかりません。
一者(ト・ヘン)、精神(ヌース)、霊魂(プシュケー)という新プラトン主義における三位一体が、
キリスト教における三位一体論に影響を与えた、らしいですが・・・。これは本当なのでしょうか?
できることなら、どなたか、信頼できるソースを教えてください。
そんなにむずかしいものでなければ、書籍でもかまいません。
よろしくお願いいたします。

参考として:こんなサイトにもいろいろ書いてあったのですが・・・。
http://www.geocities.jp/ch1kv/catholic.htm

Aベストアンサー

調べてみました。まったく、私の推測です。

325年・ニケア公会議で、アタナシウスの三位一体説が正統とされ、
451年・カルケドン公会議が、こう宣言しました。「神の第二位階・ロゴスが人になり、キリストになった」

『御言(ロゴス)は人となりき』(新約ヨハネ福音書1章14)に由来するのですが、これはまた、
新プラトン主義による、9層に重なる宇宙像
1神、2知性、3霊魂、4第一質量、5第二質量、6秩序世界、7天圏、8月下界、9鉱物・植物・動物
の、第2層:知性であって、第3層が聖霊。だと考えられます。

新プラトン主義vs三位一体説は、ここを基点として、
トマス・アキィナスが出るまで、すっかり神学・哲学が廃れていた西欧ではなくて、
ギリシア哲学を継承したイスラムと、東方キリスト教世界で、深く議論されて教義を確立したのでは?と考えます。

8~9世紀に、こんな↓論争があったそうです。
リンク貼りますが、読みにくいので、一部を抜粋しておきます。

>ネストリオス派、単性論派、皇帝派一カルケドン派一問のキリストをめぐる論争が、シリア教会のアブー・ラーイタの短篇の中に遺されている。

>ネストリオス派
>『私はキリストが二つの位格(shakhş)より成る〕と申します。〔すなわち、〕父とその性質(ţabī'ah)やあらゆる属性(şifah)において等しく、〔父から〕不断に生成され続けている位格と、様々な罪を除いてあらゆる人格を共有する、マリアから産み落とされた人間としての位格です。
>そしてキリストの名は、二つの位格のどちらかをおいて片方に帰属するものではなく、その両方に〔帰属する〕のです。ゆえに、キリストは神と人間という二つの性質を備えた二つの位格なのです。
>その証明は、〔このようです。〕我々は万物を見ますと、総じて必ず実体(jawhar)と偶有('arad)に分かたれますが、その分かたれたものは一般的('āmmī)なものか個別的(kh'āşş)なものかいずれかでなければなりません。既に我々はキリストが偶有ではないと合意していますから、〔キリストは〕すべからく実体であることになります。そして我々は、その実体が一般的か個別的かいずれかでなければならないと気付きます。
>もし仮に、神と人問とに別々に分かたれて〔その実体に〕付された名が一般的実体の仕方で付されたとしますと、キリストの名は父と子と聖霊を包含し、またすべての人間を包含しなければならないことになります。これがあり得ないことから、別々の名はそれぞれの位格そのものに付されたに過ぎないと証明されます。
>これは、〔キリストが〕神的実体と人的実体という二つの個別的な位格である実体〔から成ること〕を必然とするのです。』

>皇帝派
>『私はキリストが単一の位格であり、神性と人性の両性を〔有していると〕申します。ゆえに〔キリストは、〕神性において神であり、人性において人間であり、二つの異なる面から神と人問である単一の位格なのです。
>その証明は〔このようです。〕我々は既にキリストが唯一であり、ある性質において神、ある性質において人間であると合意しています。そして、ある性質において神である者は、ある性質において人間である者か、そうでないかのいずれかでなければなりません。
>もし仮に、〔その者が〕単一の位格であってその性質において神であり、その性質において人間でなければならない者ならば、これは我々の言説に〔他なりません。〕
>もし仮に、ある性質において神である者がある性質において人問である者ではなくかつある性質において神である者が無始の神の子であり、キリストはその性質において神であるならば、キリストは神の子ではなく、神の子はキリストではなくなります。
>これはキリスト教の立脚するところと矛盾します。』


ここ↑に出る『実体・偶有』とは、イブン・シーナ(アヴィケンナ)が受けつぎ、トマス・アクィナスに伝えた、ギリシア哲学です。
(井筒俊彦「イスラーム思想史」中公文庫1991、277頁)

結論として、451年・カルケドン信条から、三位一体説は新プラトン主義に拠っていたのだが、
それが、神学・哲学として深められたのは、8~9世紀ではないか?
(だから、5世紀までの歴史を見ても、新プラトン主義があまり出てこないのでは?)
と思うのです。

参考URL:http://www1.doshisha.ac.jp/~knakata/lecture1.html

調べてみました。まったく、私の推測です。

325年・ニケア公会議で、アタナシウスの三位一体説が正統とされ、
451年・カルケドン公会議が、こう宣言しました。「神の第二位階・ロゴスが人になり、キリストになった」

『御言(ロゴス)は人となりき』(新約ヨハネ福音書1章14)に由来するのですが、これはまた、
新プラトン主義による、9層に重なる宇宙像
1神、2知性、3霊魂、4第一質量、5第二質量、6秩序世界、7天圏、8月下界、9鉱物・植物・動物
の、第2層:知性であって、第3層...続きを読む

QC・S・ルイスはプラトン主義の影響を受けている?

ウィキペディアをのぞいてみると次のように書かれていますが・・・。

神学者としても著名で、『ナルニア国ものがたり』にもその片鱗が現れているような
新プラトン主義的な見解をラジオの連続講義でも披露。
スイスの弁証法神学者カール・バルトから、激しい反撥を受けた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/C%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9

プラトン主義的な宗教論を提唱したイギリスの神学者、C・S・ルイスとの論争は有名
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88

では本当に、C・S・ルイスはプラトン主義的な神学の持ち主だったのでしょうか?
それっぽいな、と思えるのは「キリスト教の精髄」の冒頭に登場する
自然法論もしくは道徳的証明ぐらいでしょうか?
他にも、ルイスの神学にはプラトン的な要素が含まれているんですか?
あるとすれば、どういったところがプラトン的なんでしょうか?
どなたかご回答よろしくお願いします。

ウィキペディアをのぞいてみると次のように書かれていますが・・・。

神学者としても著名で、『ナルニア国ものがたり』にもその片鱗が現れているような
新プラトン主義的な見解をラジオの連続講義でも披露。
スイスの弁証法神学者カール・バルトから、激しい反撥を受けた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/C%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9

プラトン主義的な宗教論を提唱したイギリスの神学者、C・S・ルイスとの論争は有名
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3...続きを読む

Aベストアンサー

新プラトン主義ってどんなのだろうと調べてみました。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/shinpi/sinpuraton.htm
『それの答えが「流出説」である。
 「一者」から流出した物は、遠ざかるにしたがって、次第に完全さを失ってゆく。結局、流出した世界はオリジナルの「一者」より、どうしても粗悪にならざるを得ないのである。
 我々の住む現象界、物質界が不完全なのはそのためである。

 これは、つまるところ、我々は感覚だけに頼り、物質的世界にはまり込み、堕落している状態にあることを意味する。
 結局、流出したということは、完全な存在である「一者」から、こぼれ落ちた存在だということだ。
 「一者」からの流出は、「ヌース(知性、精神、理性。イデアを認識するための理性的能力のこと)」から「魂」を経て、段階をふんで「質料(物質的な存在)」 に行き着く。「質料」の中でも一番最低の状態とは、「闇」であり、それは「光の欠如した状態」のことである。「悪」は、こうした欠如した状態の便宜上の呼び方である。
 我々は、こうした物質世界への「下降を喜ぶ」ことを止めて、「一者」へと自分を向上させねばならぬ。

人間の「質料」的な側面は、言ってしまえば肉体であり、欲望に染まることによって「悪」や「災い」を引き起こす。

 しかし、人間は本来は、天上的な存在であり、我々の「魂」の故郷はイデア界にある。よって、「魂」を解放してイデア界に帰り、そこからさらに「ヌース」へと高まり、ついには「一者」そのものと合一する。
 これが究極的な哲学の目標であるという。

 以上を考えれば、この新プラトン主義の内に、西欧のオカルティズム、神秘主義の原型が含まれていることが分かるであろう。』


で、日本のwikiでは、<新プラトン主義的な>となっていますが、英語版のwikiでは

http://en.wikipedia.org/wiki/C._S._Lewis

『His conversion had a profound effect on his work, and his wartime radio broadcasts on the subject of Christianity brought him wide acclaim. 』

という風に、キリスト教主義 というか キリスト教的見解 キリスト教的立場 に立った話をした となっています。


ナルニアは映画で見たことがあります。
北欧の神話を取り入れていて、おもしろいにはおもしろいのですが・・・

第一作目の<ライオンと魔女>の映画化を見て思ったことは、「ああ 善 vs 悪ね」です。

お決まりのパターン。

キリスト教は存在するために必須なものは悪の存在。
悪がいてもらわないと、自分たちは善だとならないとして、たくさんの悪魔を創造していった。
悪がいてもらわないと、自分たちが存在できないとして、侵略先の地元の人たちが崇拝していた神を、悪魔だとしていったんです。


で、ナルニアでは魔女が登場します。
この魔女は悪だからやっつけるってわけです。

エドマンド(アダム)は魔女の誘惑に負けて、裏切り者になったが、裏切ったエドマンドを引き渡すかわりに、アシュランを引渡し、アシュランは身代わりに殺されるが、復活するというお話。

イエスは、ユダの裏切りにより、全人類の罪を肩代わりして自殺、違った処刑されたというのが、キリスト教の主張です。

ルイスはキリスト教信仰だったので、そういう話を作ることができた。

トールキンとは違う路線。
トールキンの指輪物語は、プラトンのギュゲスの指輪で、もっと重厚な内容。
トールキンに馬鹿らしいと笑われるくらい稚拙な話が、ルイスのナルニア。

で、現存する最古の神話では、神々を生み出したティアマアトは最高権力を持っており、ティアマアトの息子は、父親を殺したばかりか、ティアマアトの最高地位を欲した。
キリスト教では、ルシフェルが同じように、神の地位を欲して落とされたとなっています。

で、ティアマアトは夫を殺したばかりか、最高地位まで欲するエアたちに対して、使者をボコボコにして返すんですね。
それで懲りればよかったのに、エアの息子のマルドゥクは勇敢にも立ち上がって、天空の神々はまっぷたつに分かれ大戦争をした。

これが後にゆがめられて、世紀末がやってきたとき神の側についた天使たちと、悪魔の側についた天使たちによる大戦争になるって話になった。(ヨハネの黙示録)

で、マルドゥクは苦戦するわけですが、大風を起こして、ティアマアトの口を閉じれなくして、その口に矢を射て殺し、彼女の肉体で天と地を作り、彼女が石版を与えたキングーの血と土をこねて、人間をティアマアトに勝利した側の奴隷として人間を作り、人間がティアマアトを裏切り倒したマルドウック側の奴隷であることを忘れないように、空に虹をかけた となっている。


裏切ったのは誰?
マルドゥックが裏切って初源の神を殺したわけで、その裏切り者が、敵側の血と肉体を使って、自分たちを崇拝する人間を創った、と現存する最古の神話ではなっている。

それが、どういうわけか、逆転しているのが聖書。

魔女を倒せ~ 自分たちを悪へと誘惑する魔女を倒せ、蛇を倒せ、悪魔を倒せ~ ってのがナルニア物語。


トールキンの場合、悪の誘惑は悪魔の仕業だと短絡的にしてはいない。


要するに神から流出して薄められたが、信仰して神のようになりましょうってのがキリスト教だが、キリスト教の言うことは、要するに裏切り者のマルヅゥクの奴隷になり、彼にかしずきましょうってことですよね。

プラトンは神は絶対的な神は人間の外に存在するとしている。
アリストテレスは、人間の中にあるとしている。
で、神話でいけば、アリストテレスの方が建設的な考え。
何故ならプラトンは、絶対的なものを知覚できない人は、知覚できる人の言う通りにすれば、間違いを犯さないとして、知恵者の隷従することを解いているが、アリストテレスは、自分たちの中に、善は存在しているので、自分たちの中の善を躍動させればいいとしている。
何も知恵者の言うことに、理解もなく従うことを強要していないのが、アリストテレス。

キリスト教は、人々から知恵を奪って隷従することを薦めた。
図書館を閉鎖し、聖書だけ読め、自分たちの言うとおりにしてさえいえばいいとした。
プラトン主義であり、ネオプラトンはそれをさらにオカルトっぽくしたものじゃないかと。

というわけで、ルイスのラジオの講演内容は探せませんでしたが、ルイスはプラトン主義+オカルト(神秘主義)である新プラトン主義だと思えるのは、ナルニア物語に片鱗が現れているというのは、正しいと思えます。

新プラトン主義ってどんなのだろうと調べてみました。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/shinpi/sinpuraton.htm
『それの答えが「流出説」である。
 「一者」から流出した物は、遠ざかるにしたがって、次第に完全さを失ってゆく。結局、流出した世界はオリジナルの「一者」より、どうしても粗悪にならざるを得ないのである。
 我々の住む現象界、物質界が不完全なのはそのためである。

 これは、つまるところ、我々は感覚だけに頼り、物質的世界にはまり込み、堕落している状態にあることを意味...続きを読む

Q政治の「三位一体改革」というのは比喩の自乗ですよね

前回の問答の続きです→http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8108381.html
小泉政権の時に行財政改革の名称として掲げられたものですが、これって比喩の比喩ですか?
というのは、前回の回答で「三位一体」自体が比喩とのことでした。
その比喩である宗教用語の「三位一体」を、政治家が政治用語に比喩として使用しているのだから比喩の自乗ですよね?

Aベストアンサー

その場合の「三位一体」がキリスト教用語のアレだという前提で答えれば、おっしゃるとおり比喩の比喩ということになりますが(「自乗」という表現もある種の比喩ですがこの場合は適切かどうか・・・それはともかくとして)、そもそも政治家が「他力本願」という場合も誤用が指摘されているとおり、宗教用語を政治など現実的な場で比喩に使うこと自体が疑問です。比喩として機能するには、その喩える言葉の意味が理解されていなければならず、喩えられる対象との類似性が明かでないと不適当ということになります。ダジャレとかでもそうですよね。曖昧だと白けこそすれ、けっして受けません。単純明快さが必要です。その点で「三位一体改革」という自民党さんのネーミングは感心しません。なぜなら、「三位一体」という言葉を大多数の国民が知らないからです。文字からわかったようで実はまるっきりわからないのです。単に三点セットという意味ではないですからね。「位」というのが問題なんです。
ちなみに「三位一体」という言葉を比喩に使ったのは小泉さんが初めてではないそうです。
〔「三位一体(さんみいったい)」は、もともとはキリスト教の宗教用語で、父なる神、子なるイエス・キリストと、聖霊の三者は同一であるというもの。地方財政について使われたのは、片山前総務大臣によれば、「三位一体というのは私が言い出した」(平成15年5月13日片山総務大臣閣議後記者会見の概要)とのことである。地方財政について公式の場で最初に使われたのは、平成14年5月21日の第13回経済財政諮問会議で、本間議員から「現在、財務省、総務省及び他省庁間で、補助金、交付税、税源配分移譲を含めてどのように改革するか利害が錯綜している。〕

参考URL:http://www.mof.go.jp/pri/research/discussion_paper/ron085.pdf#search=

その場合の「三位一体」がキリスト教用語のアレだという前提で答えれば、おっしゃるとおり比喩の比喩ということになりますが(「自乗」という表現もある種の比喩ですがこの場合は適切かどうか・・・それはともかくとして)、そもそも政治家が「他力本願」という場合も誤用が指摘されているとおり、宗教用語を政治など現実的な場で比喩に使うこと自体が疑問です。比喩として機能するには、その喩える言葉の意味が理解されていなければならず、喩えられる対象との類似性が明かでないと不適当ということになります。...続きを読む

Qアダム=スミスの正義論と法、経済、政治への見方の関係について教えてください。

アダム=スミスの正義論と法、経済、政治への見方の関係について教えてください。

Aベストアンサー

お邪魔します。
以前も同様の質問を見かけましたが、これだけの事を此処で書き込むのは容易ではありませんね。

アダムスミスに関しては、
『道徳感情論』水田洋 訳 岩波文庫 
の、下巻の解説が、よくまとまっていると思いますから、それ読んだ方が早いと思います。
あと、上巻の冒頭、「読者に」と言う簡潔な文章も参考になると思います。一般的に「国富論」が有名ですが、私は此方の方が好きですね。
失礼しました。


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