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GHQ最高総司令官マッカーサー元帥は日本滞在6年間の間、東京から一度も離れず、また日本人の友人を作らなかったと言われていますが、彼にそのような行動を起こした理由が何かあるのでしょうか。

A 回答 (6件)

 白人だからとか、軍人だからとか一般論で片付くような人物ではなさそうです。

まず、秀才が集まる陸軍士官学校を開学以来2番目という成績で卒業し、史上最年少で将官になり、また陸軍参謀総長になった超エリートであったこと、さらにこういう人にありがちですが、孤高を好み、異常に自尊心が高かったといわれています。
 彼は1937年に一度帰国しただけで、それ以後解任されるまで15年間、一度も母国の土を踏んでいません。ルーズベルト、トルーマン、アイゼンハウアーなど歴代の大統領との不仲も有名です。要するに、日本だからというのではなく、もともと人付き合いも、旅行も不得手だったわけです。
 こうした貴族的性格は、彼の後輩で庶民的なアイドルであったアイクと著しい違いです。マックは畏怖されたものの人望がなく、どちらかというと凡庸であったといわれるアイクは敬愛され大統領に担ぎ出されました。
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この回答へのお礼

彼の性格による所が多いということですね。

ご回答ありがとう御座います。

お礼日時:2007/01/03 21:45

直接の答えではありませんが、占領軍司令官時代のマッカーサーは「日本人の精神年齢は12歳だ」と言い放ちました。

これを聞いた日本人は悔しくて悔しくて仕方がなかったのですが、戦争に負けたので「やむを得ないか」と諦めざるを得なかったそうです。
ただ、欧米人と親交を持つと、マッカーサーの発言はなんとなく分かるような気がします。欧米人は「自分のことは自分でやる」のが常識です。また、自分の要求はきちんと自分で言うことも彼らの常識です。「空気をよめ」ってのは、彼らにとってはひどくイラつくんですよね。また、自分の身にかかる火の粉は自分で払うのも常識です。
だから、私は戦後すぐの日本人の精神年齢が12歳なら、現在の日本人の精神年齢は6歳くらいなんじゃないかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうござおます。

お礼日時:2007/01/03 21:50

日本人を怖がっていたのは確かです。



彼はタバコは吸いません。ですが日本人のほとんどが彼はコーンパイプを咥えていたのでヘビースモーカーと思っています。

あれは歯が震えていたのをごまかすためだったそうです。
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この回答へのお礼

>日本人を怖がっていた・・・。
私も以前からそう思っていました。
日米開戦はどこの地域でも激戦でしたからね。
コーンパイプの事は知りませんでした。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/01/01 13:36

マッカーサーに限らず、白人は基本的に有色民族を人間とは思っていません。




軽蔑しているのではなく、家畜のように思っているのです。

家畜だから人格など認めていないが、有用なので大事に扱うのです。

だから、言うことを良く聞いておとなしくしていれば面倒を良く見ますが、反抗すればひどい罰を加えます。

広島、長崎の原爆も日本だから使用したのであって、
ドイツに対しては降伏が長引いても決して使用しなかったでしょう。

戦後の面倒見の良さも、自分たちに都合の良いおとなしい家畜だと見込んだからなのです。

白人は口ではうまいことを言うが、本心は有色民族に対して常に優越意識を持っているということを忘れてはいけません。
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この回答へのお礼

白人共通の特徴ということですね。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/01/01 13:15

マッカーサーは、乃木将軍を崇拝していましたし、


天皇との親交も厚く、日本人に対しても理解を示していたそうです。

天皇を処刑した場合暴動が起き、
今の10倍の駐留軍が必要になるだろう。

マッカーサーに大統領並みの決定権は全く無いのですが、
事を慎重に運ばせる結果にはなったと思います。

東京から一度も離れなかったのは、親子2代に渡ってフィリピンから追い出された深い傷が関係あると思います。
また、上層部とも(軍部、大統領共に)険悪であったようです。

アメリカ人が嫌いだったのではないでしょうか?

フィリピンに戻り、恥をぬぐった。
今度は、前進する事により、親子2代の傷を癒した。
しかし、親までは前進出来ない。すり替えた癒しでしかない。

朝鮮戦争。初戦の大敗走。
ソ連製のジェット戦闘機ミグの出現でB-29も切り札と言えるカードではなくなっていました。
朝鮮半島で核の使用を提唱。
マッカーサーの作戦の失敗を期待する上層部の人間も相当数いたようです。

遂に
勝手な台湾訪問で台湾の独立を認めるような発言をし、解任。
政治家としての道すらら閉ざしてしまいます。
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この回答へのお礼

激動の一生だったのですね。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/01/01 13:13

東京から離れたがらなかったのは


マッカーサー個人の権威主義的性格から、
日本人の友人を作らなかったのは
占領軍の最高司令官としての分別だと思います。
もともとマッカーサーは
フレンドリーなタイプではないので
普段どおりだと思います。
フィリピンでもそんな感じです。
単にこういう個性というだけでしょう。
ま、だいたい軍人とはこういうものです。
好き嫌いとかいうような個人的感情は
極力、持たないようにするものです。
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この回答へのお礼

マッカーサーの性格と軍人共通の特徴ということですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/01 13:11

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