OCN光で最大124,800円おトク!

第2次世界大戦の日本が負けると明白になったときのソ連の参戦方針は
許されるべきではないと思います。
 日本国においては、そういう風土はけっしてないとはいいきれないが
そういうことは、しないでしょう。
樺太を取り戻すためと第1次世界大戦で国内が革命がおきアメリカの
仲介でやむなく敗戦した・・・。
 卑怯なことであるから、ゆるせない。
北方領土なんとかでなく千島列島や昔の江戸時代の領土まで取り戻す運動をすることが大切と思います。
右翼思想家でもないですが、きたんなきご意見をお聞かせ願えませんか。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (5件)

許されるべきでないと質問者さんが言われる事を、旧日本国が行った例を2つ挙げます。


第一次大戦でに日英同盟を理由にドイツに宣戦布告し、三国干渉で掠めとられた中国のドイツ利権を簒奪した。英国は欧州への派遣・参戦を要望しており、領土拡大に繋がる青島等への局地的侵攻には難色を示した。結局日本は今回のイラク派兵の様に、後方任務としてマルタ駐留軍を派遣したのみで、孤立した中国のドイツ軍相手に殆ど戦闘無く占拠を行い、その利権引継ぎを中国に要求し後の日中戦の火元を作った。
ロシア帝国の崩壊とその後の共産支配に関し、同国と同盟関係にあった英仏は「反共・東部戦線維持」を目的に日本に派兵を要請した。日本も当初はためらっていたが、各国が派兵し米国も参加した事で急遽シベリア・樺太に派兵した。当初から白色政権樹立で満州国的傀儡政権による支配地拡大を目論んでいた日本は、その後他国が撤兵して2年以上派兵を続けた。

この回答への補足

ありがとうございました。
近代において、ベトナム戦争、イラク戦争においても日本の
対処の仕方は???と思えなくもありません。

補足日時:2007/01/16 14:54
    • good
    • 0

?????????????


「樺太を取り戻すためと第1次世界大戦で国内が革命がおきアメリカの仲介でやむなく敗戦した・・・。」
この一行が特に意味不明です。
何を言いたいのでしょうか? 
日露戦争の復讐と捉えているのなら近視眼ですね。
スターリンの世界戦略を完全に見落としている。

あと国際外交の場というのは、俗に伏魔殿といわれ、
嘘や裏切り、陰謀が渦巻くのが”普通”です。
卑怯というそういう次元ではなくて、仁義の通じない世界。
泣き言をいったり、怒ってもだめです。
松岡のようなキレるタイプは一番外交官にむかない。

それにそもそも日本は、宣戦布告なき戦争を二回も意図的に起こして
全面戦争に突き進んだわけであって、軍部が起こした”事変”は、
不法であって卑怯そのものでしょう。
ソ連のやった国際法規無視はダメで、日本のは黙認というならおかしいでしょう。
日本ではそういうことはない、と思っているようですが
実際にはすでにやってたわけです。
これでもわかるように国際外交の場に正義なんかありません。
白黒はっきりしている世界じゃないんです。

”江戸時代の領土まで取り戻す運動”って
1875年の千島樺太条約を無視するってことですか?
それはソ連の日ソ不可侵条約破棄と同じことじゃないですか。
しかもそれだと戦後にフルシチョフと合意した
四島返還案も放棄することになるし、
今からロシアと全面戦争をしようというのに等しい。
さらに考え方によっては日本固有の領土だけの返還を認めた
サンフランシスコ平和条約にも矛盾するから
戦後すべての外交をひっくりかえすような大無理ですよ。

ちなみに江戸時代の支配地域を領土と主張するのは
韓国が歴史的には独島は自領だと主張するのと同レベルで、
(帝国主義の時代に確立された)国際法の基準に外れています。
だから逆に言えば、そういう無理をひとつ通すと、
様々な国が同じような主張をして収拾がつかなくなるということです。

きたんなきご意見ということなら、頭を冷やすして、
歴史の経緯をもうちょっと自分でしらべることですね。
”思いて学ばざれば則ち殆うし”という古い教えの典型のように思えます。

この回答への補足

ありがとうございました。
千島列島については、頭の中に段階的にちゃんと入ってなく
第2次世界大戦で一どきに全て日本がとられたと思い込みをしておりました。
質問が、筋道をとおしてでなくいきどおりだけの質問となってしまったことは大変失礼をいたしました。
 

補足日時:2007/01/16 14:42
    • good
    • 0

何故あなたはソ連(ロシア)だけを目の敵にしているのですか?


ドサクサ紛れで日本に宣戦布告したブラジルなど中南米各国や昨日の友だったはずのイタリアは卑怯ではないのですか?

戦争とはそういうものです。

日本がそういうことをしない?
では戊辰戦争時の久保田(秋田)、新発田、三春はどうなのですか?
米沢も形勢不利となったら色部長門に全責任を押し付けて降伏し、会津・庄内を攻撃しているんですよ。
    • good
    • 0

> 日本が負けると明白になったときのソ連の参戦方針は


> 許されるべきではないと思います。

日本から見たらそうでしょうね。でも日本以外の国でそれを批判する国がありましたか?あなたやわたしが許さなくてもロシアは何とも思いません。

> 日本国においては、そういう風土はけっしてないとはいいきれないが
> そういうことは、しないでしょう。

日本がするかしないかと旧ソ連がしたこととは無関係ですね。

> 樺太を取り戻すためと第1次世界大戦で国内が革命がおきアメリカの
> 仲介でやむなく敗戦した・・・。

多分、日露戦争のことを言ってるのでしょうが、もう少し勉強しましょう。

> 北方領土なんとかでなく千島列島や昔の江戸時代の領土まで取り戻す運動をすることが大切と思います。

エトロフまでの北方領土が、江戸時代の日本領ですよ。
そこから先が樺太の共有権と交換に(千島樺太交換条約)明治期に手に入れた領土です。

というわけで、忌憚のない意見を言うなら、やはりもう少し勉強する必要があるということですね。
    • good
    • 0

終戦直前というのは、今だから言える事ですが、日ソ不可侵条約を一方的に破棄しての参戦ですから卑怯といえば卑怯です。

そして戦勝国として北方領土を分捕っています。
ただ、他の連合国からみれば、独ソ戦でドイツをたたいた点は無視できません。
敵の敵は味方というやつです。
「カチンの森の惨劇」についても最初ドイツの仕業にしようとしていました。ドイツは国際赤十字に調査を依頼し、事実が明らかになっていますが、先の理論であからさまにソ連を非難する事は出来なかったようです。
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由は?

先日、池上彰さんのテレビ番組で「第2次世界大戦のソ連の戦死者は2000万人を超えている」「その恐怖からスターリンは、隣国を共産国にした」ということを知りました。

日本の太平洋戦争での戦死者は300万人くらいと聞いてますが、日本の戦死者と単純に比較できるのかどうかわからないのですが、日本の7倍の戦死者の数には、とても驚きました。

第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由をお教えいただけましたら助かります。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。
そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。

ジューコフは、

1 ソ連軍は弱い

2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない

3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる

ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。
さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。目的達成が勝利なら、なおよし、です。

そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、

最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、

まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、

そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、

味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。

装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。
なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。
また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。

この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭...続きを読む


人気Q&Aランキング