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鴻門の会は、項羽に劉邦方の曹無傷が密告したことが原因で呼び出されたわけですが、劉邦はこの危機を脱し、自陣へ帰り曹無傷を打ち首としました。
ここで疑問です。何故曹無傷は密告した後、項羽の陣へ逃げ込まなかったんでしょうか?
先日、久々に読んでいてとても気になりました。
お暇なときで結構ですので、回答お願いします。

A 回答 (3件)

曹無傷は左司馬の役にあったと記されています。


司馬とは、馬をつかさどるとの文字通り、軍事の役職なので、かなりの兵を預かっていたでしょう。
となれば、項羽軍との決戦時に寝返るのが、戦後の立場を有利にする上で当然の行動ではないかと考えます。密告した程度では目に見える功績になりません。
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この回答へのお礼

功績を挙げて寝返り出世を望んだあげく、項羽がバラシてしまったんだからちょっとかわいそうですねw 
回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/01/20 11:22

要するに


史記の項羽本紀の鴻門の会の場面というのは、
人物の性格をあらわすエピソードなんです。
特に項羽がどういう人間かというのがこの話の
主眼になってます。
これは紀伝体という書き方のお約束といっていいでしょう。

項羽はまず曹無傷の中傷を簡単に信じるなど
猜疑心が強い人間であることがわかります。
次に范増の劉邦を暗殺せよという案をあっさり承諾するほど
残忍であり、帰順した相手を殺そうと考えるほど不義です。
さらに劉邦に詰問されると、あっさりと曹無傷に責任転化するほど
無責任で愚かだとわかります。
考えに一貫性がなく、明らかに敵意がある勇壮な樊噲を絶賛するなど
能天気でもあり、范増が最後にぶちきれるように
天下の大事を語る人物ではないことがはっきりするわけです。

曹無傷は使者をつかって項羽陣営とコンタクトを図っており、
そもそも劉邦が無事に帰ってくることは無いだろうし、
知られてもいないと思ったと考えるのが自然でしょうね。
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この回答へのお礼

なるほど、確かに項羽の特徴があの一連の流れにでていますね。
分かりやすい回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/01/20 11:19

項羽が密告者の名前を鴻門の会でしゃべってしまったわけですが、こんなこと普通はあり得ません。

曹無傷は劉邦のところに潜むスパイとして本来有用に使えたはずで曹無傷もそれを期待していたはずです。ところが、信じられないほどうかつなことに、項羽は曹無傷の名前を言ってしまい、その結果当然曹無傷は成敗されます。こういうのを見たらだれも項羽に密告などしなくなります。
項羽ははじめは圧倒的に有利な立場でしたが、この後もこういうミスを重ねに重ねて最後は逆転されます。所詮天下を取る器ではなかっということです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
項羽のミスだったって事ですね。

お礼日時:2007/01/20 11:16

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