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論語に「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者はおそれず」とあります。

他の2つは明解で良く分かりますが、なぜ、仁者はくよくよ心配しないで済むのでしょうか。
他人への優しさや礼儀正しさが、目前の問題事に対して、どう役立つのでしょうか。
人事を尽くしているので、心配する暇がないということでしょうか。
人事を尽くして天命を待てと云われても、現実に切実な問題が山積し、数多く失敗すれば、
やはり心配になってくるように思います。

できれば、実践の書である論語らしい説明をお願い申し上げます。

A 回答 (1件)

「憂:苦しいこと、つらいこと。


苦しいこと、つらいこと。 というのは、ほとんどが、自分自身がほしいあるいはそうあってほしいと思っていることが実現しないところから発生する心の問題ですね。 例えば、他人によく見られたい、彼女によく見られたい、いい評価をうけたい、あれがほしい、これがほしいい、でも当然誰しも全部は手に入らないんですね、そこで、苦しい、つらいとなるわけですね。求めても得られない苦しみ、現代流に言えば「執着の愛=ブッラクホールの愛」といえるものですね。 この「執着の愛=ブッラクホールの愛」の正反対の愛を「仁」というんですね。言い換えれば「仁=与える愛」ですね。ほしい・ほしいではなくあげる・あげるだから「苦しいこと、つらいこと」が発生するよすががないということですね。 だから、仁者は、執着(ほしいほしい)の愛なく、それによる憂いなし。
この仁(=与える愛)の前に知をおいているがすごいところですね、これは知恵がないと仁は十分に発揮できないということですね。例えば、愛はただ与えるだけでは他をよくはしないからですね。知恵と愛で接するところにお互いの向上があるという意味ですね。さらに、最後に「勇」ですね、いくら知恵と愛があれども最後は勇気ですよ、といっているのです。勇気なくば、知恵と仁あれども勝利うることあたわず。なんですね。 
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この回答へのお礼

ご教示大変ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/11 16:14

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