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大和という言葉を「大」が「やま」、「和」が「と」と読めるとは思えないのですが、何故「大和」と書いて「やまと」と読むのか、「やまと」という発音に「大和」という漢字を当てはめたのか、何故そういうことになったのか、日本人として根本的な疑問です。

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A 回答 (6件)

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この回答へのお礼

ありがとうございました。
山門、山処、邪馬台国、すっきりしました。

お礼日時:2007/01/21 12:00

魏志倭人伝などに出てくる「邪馬台」国ですが、普通は「やまたい」と読みます。

しかし、「やまと」と読めるという説があって、当時の日本では自分の国を「やまと」と言っていたのではないかというのです。

それはともかく、奈良時代以降には確かに日本は「やまと」です。これが「大和」と書かれるのは、「倭→和→大和」と漢字表記が変化したためで、他の方が言われるように当て字です。当て字に理屈を言っても通りません。なぜ「七夕」を「たなばた」と読むのか、「七」は「たな」か「夕」は「ばた」か、と文句は言えません。

なお、「邪馬台=やまと」説には民間歴史学者の古田武彦氏は反対しています。そもそも魏志では「邪馬台国」ではなく「邪馬壹國」ですが、通説では「邪馬臺國」が原文だったのを「邪馬壹國」と書き間違ったのだろう、として修正しています。古田氏は修正に反対しています。

しかし、魏の後の南北朝時代になると「邪馬臺國」という表記が現れることは事実で、古田氏もそのこと自体は認めています。ただし、当時の発音では「邪馬臺」は「やまたい」であって「やまと」ではないと言います。古田氏によると「邪馬台」は「やまと」と読めるので、日本で略字に書き直してしまったのが「邪馬臺=やまと」説の源だとします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。かなりすっきりしました。

お礼日時:2007/01/21 12:03

あくまで参考程度なのですが、、、




倭→大和

ヤウマトを漢字に当てはめたから という説があります。


ヤは日本語でもヘブル語でも神を意味する。
ウマト ヘブル語で民族という意味。

すなわち神の民。

京都にある大辟神社、 大辟は中国語発音だとダヴィ。
平安京 ヘブル語に直すとエルサレム。

聖徳太子 本名 うまやと。 うーーーーん。
アブラムが神から祝福を受けて名前にh(神)がくっついた結果、あぶらハむ になった。
うーーーん。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。古代の日本にユダヤ人が渡来していたということでしょうか。

お礼日時:2007/01/21 12:07

ひとつの仮説というほどでもありませんが。


昔の場所で飛鳥や大和などがありますね。

名前は忘れてしまいましたが有名な国語の先生が言っていました。

もともと「あすか」や「やまと」という地域に漢字表記はなかったそうです。
その地域の様子などから漢字をつけただけとのこと。
わかりやすく説明すると・・。


飛鳥(あすか)→アスカは飛ぶ鳥がビックリして落ちるほど賑わっている街だから「飛鳥」となった。とのこと。

大和も同じように地域の様子から漢字を当てられたらしいです。
どのような理由かは覚えていませんが(答えになってませんねorz)参考までに;
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
先に発音があって後から漢字をはめるということのようですね。

お礼日時:2007/01/21 12:09

漢字の意味を捉えて、山を「やま」、川を「かわ」と読むことにしたのと同じと思います。



中国側が使った漢字である「倭」を、意味を捉えて「やまと」と読むことにしたのだと思います。後に、何らかの(日本側の?)意図で「倭」ではなく同じ読みの「和」という字を用いることにしたようです(8世紀の養老律令で大和という用字が初めて使われたようですが、なぜ字を変えたかはっきりしたことはわからないようです)。国名に「大」をつけることは漢字文化圏では普通に行われてきたことです。「大漢」「大韓民国」など。
「和(やまと)」でもいいところですが、何となく「大和(やまと)」と書くのを普通としたのではないでしょうか。
漢字1文字だと文章の中で、国名だとわかりづらいとかもあるでしょうしね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なるほど国名に「大」を付ける点納得です。

お礼日時:2007/01/21 12:13

これについては、しっかりとした定説がないようですね。


簡単に言ってしまうと当て字のようですが。
いろいろな説があるようですよ。

例えば、大和とは道教における理想郷のことで「やまと」に大和と言う文字を当てたのは本邦において地上の理想郷を創り出そうという予祝行為であるとだったり、盟主の部族の地名だったとか・・・。
あげだしたらキリがないようですが。^^;

これだけは確かですが、
「やまと」は元々「倭」と書いていたようですが、「倭」と通じる「和」の字に「大」をつけて「大和」と書くよう定められたそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
お蔭様でかなりすっきりしてきました。

お礼日時:2007/01/21 12:14

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大和をダイワともヤマトとも言いますが、本来の意味はどういう意味なのでしょうか。特にヤマトと読んで日本国に意味に使われているように思いますが、その由来が知りたいです。

Aベストアンサー

とりえず他の地名同様、当て字であることはまちがいありません。

もともと日本に「文字」はありませんでした。
漢字は中国からの輸入品です。

「やまと」は今の奈良県。山の中ですね。
「と」は「長門」「瀬戸」等、海や山の境界の地名に使われます。
(「麓/ふもと」や「港/みなと」の「と」と同様)
素直に漢字表記すると「山戸」といったところでしょうか。

これとは別に大昔、日本のある国の王が、
中国に王を認める印を貰いに使者を送りました。

中国人「ところでお前の国では『自分の国』をなんと言う?」
使者「はぁ、『わがくに』ですが」
中国人「んじゃ、命名。漢字で『倭国』ね。」

この『倭国王』の「印」の持ち主が中国が認めた正式な「国王」
なので日本を支配した奈良の朝廷は自国に「倭」の字を当てました。
馬鹿にした名前(倭=ちっぽけな)とは分かっていたんでしょうが、
「正式な国名」ですので。

後に大宝律令を発した時に各国の地名を「好字2文字」で
表記するよう、お触れを出します。
例)森の中の「木」の国→「紀伊」に変更
やまとも「倭」→「大倭」やがて「大和」になったと。

聖徳太子のころから「和」の字は内乱の後に出てきます。
そこに込められているのは先人の戦のない世への願いなんでしょうね。

とりえず他の地名同様、当て字であることはまちがいありません。

もともと日本に「文字」はありませんでした。
漢字は中国からの輸入品です。

「やまと」は今の奈良県。山の中ですね。
「と」は「長門」「瀬戸」等、海や山の境界の地名に使われます。
(「麓/ふもと」や「港/みなと」の「と」と同様)
素直に漢字表記すると「山戸」といったところでしょうか。

これとは別に大昔、日本のある国の王が、
中国に王を認める印を貰いに使者を送りました。

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Q日本の名前の由来

日本という名前はいつ、どのようにつけられたのか教えてください。

Aベストアンサー

もともと、日本には名前がありませんでした。弥生時代の日本列島には
いくつかの勢力が存在しており、中国はこれらの勢力をひっくるめて倭と
呼んでいました。日本の勢力もこれに対応し、自分たちの国を倭と呼んでいました。

7世紀初頭の遣隋使において、「日出ずる処の天子が書を日没する処の天子に致す」
という書き出しで始まる親書を送っています。「日出ずる処の天子」とは
単純に「東」を意味するものとするのが一般的ですが、倭という呼び名を
嫌がって作った呼び方とも言われています。というのは、倭という漢字には
「従順」「矮小」といった意味が含まれていて、見下された呼び方だからです。
結果として、自分たちを「日出ずる処」、隋を「日没する処」と表現して
しまったために、倭国は「無礼者」と怒られ、その時の使者(小野妹子)は
処罰されそうになったようです。

その後しばらくは倭国と呼ばれ続ける日々が続いていましたが、701年の
大宝律令によって正式に「日本」という国名を名乗る事になりました。
ここで何故「日本」と名乗ったか、という問題が起こるのですが、残念ながら
それを明らかにする文献は存在しないようです。日本の歴史書として有名な
日本書紀も8世紀に成立しており、既に国名が日本に変わった後なので、
そのあたりの記述が存在しません。ただ、「日出ずる処の天子」が
「日本」に変わったのだろう、という見方は一致しているようです。

もともと、日本には名前がありませんでした。弥生時代の日本列島には
いくつかの勢力が存在しており、中国はこれらの勢力をひっくるめて倭と
呼んでいました。日本の勢力もこれに対応し、自分たちの国を倭と呼んでいました。

7世紀初頭の遣隋使において、「日出ずる処の天子が書を日没する処の天子に致す」
という書き出しで始まる親書を送っています。「日出ずる処の天子」とは
単純に「東」を意味するものとするのが一般的ですが、倭という呼び名を
嫌がって作った呼び方とも言われています。というの...続きを読む


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