緑の革命について簡単に説明しているページがありましたら教えて下さい。

A 回答 (3件)

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これはどうでしょう。



参考URL:http://journeytoforever.org/jp/seeds.html
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 下記URLを、参照してください。



参考URL:http://www.brl.ntt.co.jp/paclic14/Info/Stat/HTML …
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Q緑の革命の具体的方法とは

多くの貧困層をすくった緑の革命について質問です。
緑の革命ではジベレリンという植物ホルモンの活性を弱める遺伝子を導入することにより、背が低く風に強いイネを作ることに成功したようですが、具体的にこの遺伝子導入にはどういった手法がとられたのでしょうか?
植物への遺伝子導入にはアグロバクテリウムを用いた方法が有名ですが
この方法でも同じことをすることが可能ですか?
教えてくださいm(..)m

Aベストアンサー

緑の革命はバイオテクノロジーを利用したものではないと思います。
継続して今でも新しい品種を作出しているでしょうから、近年はバイオを使っているでしょうが、緑の革命の基本は品種間の交配だと思います。
結果として解った事がジベレリンの多少や効果ではないでしょうか。

イネの品種IR8などは雄性不稔を利用したものだと思いますし、コムギの生産量増大に貢献したのは、日本の「小麦農林10号」です。
http://www.afftis.or.jp/senjin/nou.htm
http://www.nihon-u.ac.jp/nunews/koho/kh489-03.htm
稲塚権次郎氏は権利を主張せず、要望されたら種子を世界に出していたと聞きます。

http://www.rada.or.jp/database/home4/normal/ht-docs/member/synopsis/020140.html

参考URL:http://agrin.jp/hp/q_and_a/gaikoku_breed.htm

Q第一次生産革命の次に第二次生産革命と言うのがあるのですか

 人類が農耕を始めたのを第一次生産革命と言うのは知っています。では、第二次生産革命はどういうものだったのか教えてください。また、第三次生産革命、第四次、第五次、・・・・というものがあるのですか、それはどういうものだったのか教えてください。

Aベストアンサー

 第一次生産革命
 農耕:自然界が生産する食物の枠を超えて、人間の数が激増。

 第二次生産革命
 産業革命:人口という労働力の枠を超えて、物品の生産が激増。

 定説として認められているのはここまで。

 一部の人の間で仮説として
 第三次生産(?)革命
 情報革命:人間の肉体的能力の枠を超えて、情報の生産が激増。

Q緑の革命とは?

緑の革命について簡単に説明しているページがありましたら教えて下さい。

Aベストアンサー

下記のページをご覧ください。

http://shiba.iis.u-tokyo.ac.jp/member/old/yamamoto/food/neogree1.html

http://gillnet.lab.nig.ac.jp/~komunet/index02/2d.html

http://econgeog.misc.hit-u.ac.jp/excursion/00bengal/column/hyv.html

Q革命前夜ってやっぱり革命前夜だと意識されてたの?

革命前夜って、革命が来るって雰囲気があったんでしょうか?
明治維新の前は、明らかに幕府の権威は落ちてましたけど、
当時の人は幕府が倒れる、なにか新しい政権ができるとか感じていたのでしょうか?
フランス革命や、ロシア革命なんかではどうだったんでしょう

最近ではソ連崩壊や、天安門事件なんかは革命に近いと思うんですけど
あの頃は興味無かったのであんまり覚えていません、革命が来るって雰囲気だったんですか?

革命なんて経験したこと無いのでわからないのですけど、その時代の人は何か感じていたのでしょうか?

Aベストアンサー

革命を起こす側は、革命前夜と考えるでしょうが、体制側は、そうは思わず単なる暴動だと思うでしょう。

フランス革命やロシア革命も、革命が始まった時点では、単に暴動としてしか理解していなかったで゜しょう。
しかし、体制側が軍を国民に向けた時点で、国民の不満が爆発し、一挙に革命に突入してゆきます。
国民が動き出した時点で、革命側は、革命前夜と認識するでしょうが、体制側は、その時点でも単に暴動の大きなものとしての認識しかないでしょう。

また歴史的に誰かが意図的に革命を起こそうとして革命が成功した事例はありません。
国民の間に不満が溜まり、それが自然爆発して革命が成功するパターンばかりです。

ソ連崩壊は、ゴルバチョフの監禁、ソ連軍のロシア大統領府包囲により、一挙にソ連崩壊へと突き進みました。
その1日前までは、革命前夜の様相は有りませんでした。
モスクワ市民が自らエリツィンの篭る大統領府の防衛に立ち上がりだした時、革命を意識しだしたでしょう。

天安門事件は、学生達に北京市民が応じなかった段階で失敗です。
国民全ての怒りではなく、当時の進歩派学生達の運動に留まった事が原因でしょう。
日本の安保闘争と同じで。

革命を起こす側は、革命前夜と考えるでしょうが、体制側は、そうは思わず単なる暴動だと思うでしょう。

フランス革命やロシア革命も、革命が始まった時点では、単に暴動としてしか理解していなかったで゜しょう。
しかし、体制側が軍を国民に向けた時点で、国民の不満が爆発し、一挙に革命に突入してゆきます。
国民が動き出した時点で、革命側は、革命前夜と認識するでしょうが、体制側は、その時点でも単に暴動の大きなものとしての認識しかないでしょう。

また歴史的に誰かが意図的に革命を起こそうと...続きを読む

Q『緑の革命』(グリーンレボリューション)って・・・?

一般に言われている『緑の革命』(グリーンレボリューション)とは『貧困の削減』が目的と聞きましたが、実際に貧困はなくなったのでしょうか?もし変わらないとすれば何が原因で失敗したのですか?よくわからないので教えてください。

Aベストアンサー

「何故世界の半分が飢えるのか」スーザン・ジョージ
著、朝日選書257の第5章緑の革命が比較的詳しく述べています。
 簡単に言えば、より多くの実をならせる植物を育て、収穫を増やすことであり、そのような品種がつくられ、特に低開発国に広められていったことをさします。
 公式には1943年に始まり、メキシコでは1967年までに小麦の収穫が3倍に、トウモロコシが2倍になりました。フィリピンでは米の品種改良が行われ成功しました。多収穫品種の米と麦はメキシコ、インド、パキスタン、トルコなど多くの国に広まりました。気候に恵まれた地方では50%もの増産になりました。
 ところが新品種は多量の水、肥料、除草剤を必要としました。殺虫剤、散水器、乾燥機も必要だった。多国籍企業は、こうした資材、器具を途上国に販売し、ときには必要以上のものを売りつけました。
 水が多量にある地域では増産は成功しましたが、それができたのは資金力のある大土地所有者だけで、資金力のない農民は借金で首が回らなくなりました。つまり貧富の差が増大しました。途上国では元々一部の人だけが大きな土地を持っていましたから、農地改革を伴わない農業技術だけの改良では貧困を救うことはできなかったわけです。
 また、土地にあっていない多収穫品種は一時的には増産になっても、多量の肥料、農薬、さらには灌漑の失敗などで土地を荒廃させ、再び減産になることもありました。
 緑の革命の失敗は、多国籍企業の金儲け主義、地域にあった農業の無視、土地改革などの社会制度を改革をなおざりにしたことなどが原因でしょう。
 

「何故世界の半分が飢えるのか」スーザン・ジョージ
著、朝日選書257の第5章緑の革命が比較的詳しく述べています。
 簡単に言えば、より多くの実をならせる植物を育て、収穫を増やすことであり、そのような品種がつくられ、特に低開発国に広められていったことをさします。
 公式には1943年に始まり、メキシコでは1967年までに小麦の収穫が3倍に、トウモロコシが2倍になりました。フィリピンでは米の品種改良が行われ成功しました。多収穫品種の米と麦はメキシコ、インド、パキスタン、トルコ...続きを読む

Q市民革命と産業革命

いつもお世話になっています。

「☆市民革命→自由権・平等権の獲得」

「★産業革命→資本主義経済→貧豊の差が拡大→人間らしい生活を求める声→ワイマール憲法」

の2つなのですがいつも社会の先生がこのようにお書きになられるので良く分かりません。
2つについて解説教えてください。
宜しくお願いいたします。

Aベストアンサー

 No1の方の説明は、かなり不適切かと・・・

 市民革命については、かなりあっていると思いますが、産業革命については、共産主義革命と勘違いなさっているように思います。

 簡単に歴史の流れを言うと

 中世には、経済が農業主体で人々はあまり移動しませんでした。政治は領地の主である封建領主の連合体に支えられた国王が、領主=貴族の代表として国を統治していましたが、国王の力はそれほど強くありませんでした。

 時代と共に社会が生産力を増し、領地の範囲を超えた物資の流通が始まり、十字軍がその動きを加速しました。商業・手工業で富を蓄積するものが増加し、宗教改革(新教=富を蓄積した新興富裕層、旧教=封建領主が主体)で宗教戦争が勃発、封建領主の力が衰え、絶対王政が始まりました。

 絶対王政は、力を失いつつある封建領主の代表である王が、新興富裕層(経済的に豊か=国王への上納金・税金を負担)の支持も得て、新旧のバランスを取るかたちで成立しました。

 市民革命=絶対王政の崩壊
 実力をどんどんつけ続ける新興富裕層(新勢力=特権なし:どこでも自由・平等に商売が出来るのを歓迎)が、領主層(旧勢力=特権の保持:特権が力の元)の力を凌ぐようになり、富裕層だけの政権を目指すようになり、領主の代表である王を排除しました。

 市民革命の結果、民主政・立憲君主制による、社会が成立します。

 この頃、イギリスで産業革命が始まります。(市民革命の遅い国では、産業革命によって富裕となった人々が市民革命を起こします。)
 今まで物の生産は人力であったものが、水力(水車による機械生産)・蒸気機関(石炭という動力の利用)による機械生産に変わっていきます。これが産業革命です。(ですから、産業革命は政治の言葉ではなくて、経済用語です。)

 産業革命によって、富裕な人々はますます豊かになり、お金が社会を動かすようになります。これが資本主義社会です。

 資本主義社会では、お金が資本となり生産手段になりますから、お金のある人はますますお金持ちになります。お金持ちの人の作った工場で働く人は、貧乏なまま。

 マルクスという人は、「そこで、貧乏な人たちが怒って革命を起こし、資本家を追い出して工場を労働者のものにしてしまう。」と考え、その革命を共産主義革命と名づけました。

 ところが、資本家の方でも労働者の福祉政策を色々行い、革命が起こらないような方策を採りました。これが修正資本主義という考え方で、ワイマール憲法には、これらの福祉政策を受ける基本的な権利があると規定されました。

 結局、共産主義革命は、資本主義の発達が未熟なロシアや中国でしか起こらず、マルクスの想定した「資本主義の充実した生産設備」をほとんど持たないまま、政権が誕生しました。そして新たに成立した政府が、資本家に代わって労働者を搾取し生産設備を作る社会が出来上がりました。また、悪平等が労働者の生産意欲を失わせることとなりました。

 この結果、ソ連は崩壊・中国は資本主義化して現在に至っています。

 No1の方の説明は、かなり不適切かと・・・

 市民革命については、かなりあっていると思いますが、産業革命については、共産主義革命と勘違いなさっているように思います。

 簡単に歴史の流れを言うと

 中世には、経済が農業主体で人々はあまり移動しませんでした。政治は領地の主である封建領主の連合体に支えられた国王が、領主=貴族の代表として国を統治していましたが、国王の力はそれほど強くありませんでした。

 時代と共に社会が生産力を増し、領地の範囲を超えた物資の流通が始まり...続きを読む

Q今所得格差が問題となっています。所得格差は高齢化していることが要因であ

今所得格差が問題となっています。所得格差は高齢化していることが要因であるという考え方があるようなのですが、なぜ高齢化が進むと所得格差が生じるのでしょうか?

Aベストアンサー

クラス会で卒業後10年、そう30代前半に会った時、大企業入社、出世頭、年収300万円。一方の”落ちこぼれ君”は塾の講師で年収200万円。この時点で所得格差1.5倍。

その後、25年経ってもうすぐ還暦を前にして再会。
大企業君は倒産した航空会社を退職したが、再就職先はなく、雇用保険日額7,700円x360日分。塾の講師は株式上場し、取締役に就任し、今や年収が5000万とか。給与、役員報酬以外にも株式配当が相当あるそうです。
この時点で、格差25倍。

高齢化とは卒業後数年という若い世代の比率が減少し、60歳前後の世代の比率が増加していることです。
格差の少ない世代が減少し、格差の大きな世代が増加しているのですから、合計して、格差が大きくなっているのです。

60歳以降の格差はもっと激しくて、病院を引退して開業医になった先輩はノンビリやって年収2000万円。
その他大勢は再就職先も無く、年収=0に近い。
所得格差はこの時点で数100倍になっていますね。

Qピューリタン革命と名誉革命

ピューリタン革命と名誉革命

来年度受験予定の高校2年生です。
世界史でどうしてもわからないところを質問させてください。

ピューリタン革命の前、ステュアート朝のジェームズ1世・チャールズ1世は「イギリス国教会」を強制し、旧教徒やピューリタンを弾圧したと習いました。

名誉革命の前の王政復古では、チャールズ2世・ジェームズ2世は「旧教」を強制したと習いました。

そこで質問なんですが、

1)ステュアート朝はスコットランドの王家のはずなのに、ジェームズ1世たちはどうして「イギリス国教会」を支持したのでしょうか?

2)逆にチャールズ2世たちは、先代が「イギリス国教会」を支持していたのに、どうして「旧教」に路線変更したのでしょうか。

このあたりの事情をご存知の方がいましたら、回答お願いします。

Aベストアンサー

イギリス国教会って何よ?
イギリスがローマ法王を含めた宗教の権威から独立する道具です。
旧教徒とは大陸のフランス王家なり神聖ローマ皇帝なりローマ教皇に心情的に近い。
イギリス王がイギリス国教会を強制するのはイギリス王家の完全な手下になれということ。
イギリス国教会の最高権力者はイングランド王です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E5%9B%BD%E6%95%99%E4%BC%9A

1)ジェームズ1は、イングランドでの権力確立のためにイギリス国教会のこのシステムを使った。

2)ジェームズ2はフランス育ち
当時の欧州政治はフランスのルイ14世につくか、対向するか?という選択であり、議会はフランスに敵対することを選択して、王はフランスとの協調を選んだ。

Q所得格差を是正する財政の働きってなんですか?

所得格差を是正する財政の働きってなんですか?

Aベストアンサー

 経済学を習ったわけではないのですが・・・。

 日本では所得に対する税金(つまり所得税)には累進課税という制度がとられています。累進課税とは、所得が大きい人ほど税率が高くなる税金の制度のことです。
 当然、所得が低い人には税率が低くなるわけです。

 では財政とは?財政とは政府が行うお金の流れのことです。所得税などの税収を含む政府の収入、福祉や社会保障などを行う支出。税額は所得が高い人は多くなります。そして福祉や社会保障を享受する方は所得が低い人が比較的多いわけです。

 つまり「所得格差を是正する財政の働き」とは所得が大きい人から小さな人(所得格差)へ政府(税収や社会保障等=財政)を通して富を再配分すること(是正)です。

Qフランス革命は共産主義革命?

フランス革命は共産主義革命だったのではないでしょうか?
1793年~94年の恐怖政治はジャコバン派独裁政権で旧ソ連や中国の共産党と被るのですが…。
また、民主党はフランス革命を再現しようとしたんでしょうか?
フランス革命の精神は自由、平等、博愛ですが、博愛を友愛に変えればフランス革命の精神と被りますし…。

Aベストアンサー

そのような分析をする学者もいるようです。

フランス革命で唱えられた自由、平等、友愛の言葉は、近市民社会や民主主義の根本思想になりました。しかし恐怖政治が行った反革命分子の粛清は、日を追うごとに残忍になっていき、遂には正当な裁判をせずに即刻処刑されるようになりました。

共産主義が取り入れたのは「革命」の理念いうより、自分の主張を成し遂げるためには殺戮を厭わない恐怖政治の「手法」だったようです。スターリンや毛沢東が学んだのは「血の粛清」という合法的に同胞を殺戮する方法です。

因みに「恐怖政治 (Reign of Terror)」は「テロリズム」「テロリスト」の語源になっています。


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