またまた質問です。エピクロス派の生と死についての説明がのっているサイトや、これについてのくわしい説明がありましたらていきょうおねがいします。

A 回答 (2件)

http://www.ne.jp/asahi/village/good/epikuros.html
基本的なことは、ここで十分でしょう。しかしながら、簡単な説明こそ理解するのに時間をかけるべきです。「快楽」との関連で「死」を考えるときに、果たして死は何物でもないでしょうか?むしろ最高の「平安」であるとはいえないでしょうか?未だ現にない「死」を思い煩う必要がないというだけではなく、「生」が何物でもないのなら、寧ろ「死」こそが要求されないのは何故なのでしょう。
 快楽主義、厭世主義、老荘思想との関係も考えるべきでしょう。
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stomachmanはルクレチウスから入りました。

岩波文庫にあります。書名は忘れた。
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QソクラテスVSエピクロスの問答を夢想してみる。

ソクラテス→エピクロス
肉体的快楽を精神的快楽より勝ると考えるのは無知のなせる業である。
その点で、肉体的快楽を寧ろ「苦」と考えるようになるためには「無知の知」が必要である。
「快楽」と「知」はリンクするものなのだ。
こんなことをソクラテスはエピクロスに言ったりするでしょうか?
御回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

言ったりするかしないか、という質問にピントを絞ります。
とすると、答はどちらかというと否定的になります。
それも、ソクラテスとエピクロスが根本的に時代が違う人だからというような理由でもなく、ソクラテスという人物はプラトンなどが脚色しているからというような理由でもありません。たらればだからくだらないとも言いません。

ソクラテスは誰彼ともなく捕まえて議論するような人であったというのが本当ならば、まずエピクロスにいきなりこうだと突きつけることはないと思います。最初にエピクロスがどのように考えているかを聴取した上で、それに反駁するのが彼の流儀ですから。
では、エピクロスは、肉体的快楽を精神的快楽より勝ると考えているのだということを導き出さなくてはならないのですが、いかにも世間で誤解されそうなエピクロス像による判断であって、エピクロスは実際はそのような主張をしていません。

エピクロスの私生活は確かにねーちゃんに言いよりまくっていたようですし、それは事実だと思いますが、その私生活をことさらにバッシングしたのが対立派閥のストア派の人達です。そして、このストア派の連中があることないこと言ったおかげでエピクロスの教説に実際触れたこともないのにエピクロスはしまりのない快楽主義で堕落している、と人々が近寄らなくなってしまっているのです。
以前もエピクロスが唯物論者だからダメだとか言っている人がこのサイトにいましたが、全くの無知で、彼はデモクリトスの論を継承する原子論者ではあるものの、霊魂についても語っていますから唯物論ではありません。また、無神論だとかいう人もいますが、この人もエピクロスが神について語った箇所を全く読んでいないのです。

さて、エピクロスはどのように考えていたか。
身体の健康と魂の平静さが至福なる生の目的、と主張しています。
身体の健康が肉体的快楽であり、魂の平静さが精神的快楽だとするならば、エピクロスは両方を同様に大事なものとしているのです。
だから、ソクラテスがもし「肉体的快楽を精神的快楽より勝ると考えるのは無知のなせる業である」と言ったら、「そうだね。両方大切だね」などと言いかねない。そうすると、ソクラテスは精神的快楽の方を上に見なしたい論客ですから、これはちょっと困ると思うのです。

ソクラテス「でも、肉体的快楽は苦ではないかね」
エピクロス「苦のこともあるが、苦でないこともあるよ」
ソクラテス「少しでも苦があればそれは苦ということにならないかね」
エピクロス「どうして苦痛にばかりこだわるかね。快楽は確かに第一の善であると私も考えている。しかし、快楽であればなんでも貪るようなことはしないよ。快楽のために多くの不愉快なことが結果として起こるようであれば、あえて快楽を得ようとしない。それに、苦痛だって悪いときまったものでもないんだ。苦痛を長時間耐え忍ぶことが大きな快楽を我々にもたらすなら、多くの苦痛の方が快楽よりすぐれていると私は思うよ」

そうなんです。
エピクロスは欲望の塊の人じゃないんです。
快楽についてつきつめて考えればこそ、むしろ質素な精神で生きた人です。
「快楽とは、一部の人たちが(われわれの説に)無知であったり、またこれに同意しなかったり、あるいは誤解して考えているように、放蕩者たちの快楽や、(性的な)享楽のなかにある快楽のことではなくて、身体に苦痛のないことと、魂に動揺がないことに他ならないのである。というのも、快適な生活をもたらすのは、酒宴やどんちゃん騒ぎをひっきりなしに催すことでもなければ、少年や女たちとの(性的な)交わりをたのしむことでもなく、また魚その他の贅沢な食事が差し出すかぎりのものを味わうことでもなくて、むしろ、すべての選択と忌避の原因を探し出したり、また、極度の動揺が魂を把えることになる所以のさまざまな思惑を追い払ったりするところの、醒めた分別こそが、快適な生活をもたらすのである。」(ディオゲネス・ラエルティオス「ギリシア哲学者列伝」第10巻)
わずかなパンと水で充足する人になれと言ってたようですよ。

ソクラテス「しかし、そのことに気づくためには<無知の知>が必要なのではなかったかね」
エピクロス「<無知の知>というより、私の場合は思慮が必要だと説いて回っているんだよ」
ソクラテス「思慮」
エピクロス「そう。思慮だ。知識を愛する哲学よりも、思慮だ。ここから総ての徳が生まれる」
ソクラテス「なるほど。あなたの中では快楽と知はリンクするものなのだね」
エピクロス「疑うまでもなくだよ」

無理に会話に織り込むとこんな感じになるわけですが、ソクラテスはデマに惑わされる人ではないですから、エピクロスの主張を聞いた上で、ご質問のようなことはあえて言わないのではないでしょうかね。
ソクラテスの考えと(世間に誤解されている姿でなく真の)エピクロスの考えはかなり近いように、(エピクロスを奉じる)私には思われるんですが。
(もし私が強引にソクラテスとエピクロスを意図的に近づけようとしているという批判があるならば、それは甘んじて受けますが)

言ったりするかしないか、という質問にピントを絞ります。
とすると、答はどちらかというと否定的になります。
それも、ソクラテスとエピクロスが根本的に時代が違う人だからというような理由でもなく、ソクラテスという人物はプラトンなどが脚色しているからというような理由でもありません。たらればだからくだらないとも言いません。

ソクラテスは誰彼ともなく捕まえて議論するような人であったというのが本当ならば、まずエピクロスにいきなりこうだと突きつけることはないと思います。最初にエピクロス...続きを読む

Q視聴派と読書派。読書派で頑固である私の兄について。。

皆様は視聴派ですか?読書派ですか?
私は、ごく中立派なんですが、読書派である私の兄について話したい事があるのです。

二つ上の私の兄は、今は無口で生真面目で、タレントや俳優などテレビに出ている人達が誰一人好きになれないため、テレビは殆ど見ないで、殆ど本や新聞ばかり読んでいるみたいなのです。
兄が読む本は、先ず赤川次郎さんの小説などベストセラーな物に始まり、他には、立花隆さんの評論や、他に民俗学や難しそうな思想史の本ばかり買い漁っては時々読んでいるそうで、テレビは見ないみたいです。
私の兄は、普段は結構ニヒル且つ、物事に無関心で、テレビとかはチャラチャラしていてどうにも嫌だと言っているようですし、増してもう一つ、大きな固定観念があるようです。
私のその兄が興味を持っている芸能人や有名人は、ZARDなどあまりテレビに出ていないアーティストか、声優、作家ぐらいしかいないそうなのです。
ドラマにしろバラエティに映画にしろ、テレビはチャラけていそうで好いてはいない模様です。

ここでその、兄が自分に焼き付けた固定観念についてです。

・「ダラダラとテレビばかり見ている人より、本をしっかり読むんでいる人の方が勤勉ではないか。」

・「満足に漫画や雑誌以外の本を読まないでテレビばかりダラダラ見ている人の方が不真面目で軟派でアホっぽいだろう。そういう場合が多いのではないのか。」

これも、最もでしょうと私も思いました。↓
・ "テレビばかり見る事を「ダラダラとテレビばかり見ている。」「ダラダラと漫画ばかり読んでいる。」とは言うが、字ばかりの本をしっかりと読む事を、「ダラダラと本を読む。」なんて言わないだろう。" 

・"昔、ダラダラとテレビばかり見て本を読んでいなかった頃、勉強もしていなかった頃は、親や周りから「もっとしっかりと本を読もう。でないと賢くならないぞ。ためにならないぞ。」と言われていたため、今はしっかりと本ばかり読んでいるため、テレビを見る余裕など無い。「読んでいないあの時、読めよと言われたから、読んでいる」んだ!!"
こんな感じになっていますね。

あと非社交的で、恋愛など形の無いものは信じない、半ニヒリストと言う感じですね。

兄は糞が付くほどの真面目になってからと言うもの、反面頑固になられている模様ですね。

それから、「漫画やドラマではいつも、本を読まずに漫画やテレビばかり見ている人物が、不真面目なでアホキャラである事が定番。
今日いつや図書館でじっと読書ばかりしている人がインテリで、テレビばかりダラダラと見ている人でインテリは聞かないがな。」と兄は言いますが、私もそう思います。

質問は二つですね。
兄の固定観念が必ずしも正しいと思われますか?


皆さんはテレビと本、どちらが好きですか?


兄は「あの時ちゃんとしろと言われたから、やっているんだ!!」
「テレビを見ない人の事を『あほちゃうん。』とか言っていた奴がいたが、絶対可笑しいだろ。テレビ派で本を読まない方が能天気なんじゃないのか。」
と言いますね。
でも私は兄は別に間違ってなどいないと思います。
兄は、普通の文科系の大学に入ったとは言えど、毎日ちゃんと勉強をする事を忘れない、とても真面目な人です。
しかも、勉強するようになってから、きちんと本や新聞も欠かさず見るようになりました。

しかし、「偏らないようにする」事が大切であると考えますね。料理番組とかで作り方を紹介する場合に、画像も無しでは、活字、知識だけでテクニックは学び取り難いですもんね。

自分の世界に入り込んで出て来ないようなインテリでノイローゼになって問題や犯罪を起こしてしまうような人よりは、多少は馬鹿にされてもそれはジョークとして受け入れ、チャラらけている感じの人の方が断然良くて無難ですよね。^^

皆様は視聴派ですか?読書派ですか?
私は、ごく中立派なんですが、読書派である私の兄について話したい事があるのです。

二つ上の私の兄は、今は無口で生真面目で、タレントや俳優などテレビに出ている人達が誰一人好きになれないため、テレビは殆ど見ないで、殆ど本や新聞ばかり読んでいるみたいなのです。
兄が読む本は、先ず赤川次郎さんの小説などベストセラーな物に始まり、他には、立花隆さんの評論や、他に民俗学や難しそうな思想史の本ばかり買い漁っては時々読んでいるそうで、テレビは見ないみた...続きを読む

Aベストアンサー

>自分の世界に入り込んで出て来ないようなインテリでノイローゼになって問題や犯罪を起こしてしまうような人よりは、多少は馬鹿にされてもそれはジョークとして受け入れ、チャラらけている感じの人の方が断然良くて無難ですよね。^^


革命を起こした人や、社会の風潮を変えた人って、とにかく学生時代 多読ですよね。

昔は権力者は力もってたので、支配者の思想に直接講義するより、ペンでその支配者の思想を否定する文学作品を作り遠まわしに批判をするという戦術を取り、国民にも目を覚ませと遠まわしに訴えていたようです。

ある宗教は拡大するとき、図書館を閉鎖したり、信者に家にある本を全部燃やさせたんですね。
そして聖書(おっと どこの宗教かわかってしまいました。笑)のみ読むように強制していたそうです。
国民に選択肢を与えなかったわけですね。
宗教と支配者が一致団結して、国民を牛耳っていた時代があった。


その宗教が生まれだした頃は迫害されていましたが、その理由は、政府が市民をコントロールするのが難しかったから。
彼らは文盲や知識の無い人たちを、信者としてどんどん獲得していったんですね。
お金持ちの子息は学校に行けて、学問を与えられ、それによって支配階級になれたが、それはほんの一部の人たちで、多くは貧乏で学問に触れる機会さえなく、支配者のために身を粉にして働いて一生貧乏だった。
その子供も同じく、支配階級に入れず、貧乏で終わっていた。

その文盲で知識を持っていなかった人々が、初めて宗教により智恵というものを与えられた。

どうなったか。
支配階級が畏れていたとおり、政府に対して反逆しだした。
各地で演説をやって眠っていた人々を起こしてまわった。

こりゃたまらんと支配階級はその宗教信者を迫害しだしたわけです。
社会不穏を起こしていたので、消火にあたったわけです。


でも、実はそれも結局はご主人が変わっただけで、奴隷のまま。
それは革命ではなくクーデタ。
でも自分達は革命を起こしたと思っていた。


中国でかつて知識人を迫害し、西洋文学の本を持っていたら、犯罪者として捕らえていたことがあったそうです。
理由は上と同じこと。
知識こそ悪ってわけです、支配者にとってみたら。
支配者のみ知識を独占するべきだって考え。


現代は、、、テレビは麻薬。
国民になるだけ娯楽番組を見てもらい、覚醒しないで、眠りこけて笑っていてほしい。
幻を見せて酔って眠りこけていただき、政府がなにやっても、気にしない国民であって欲しい。
悪事に「おかしい」と気づかないでいてほしい。
知識が無ければ気づきにくい。

というわけで、ちゃらちゃらした番組を見て、ゲラゲラ笑って眠りこけている人が多いほど、国のトップはとても楽なわけです。

ある意味それも間違いじゃない。
ソ連なんかはペレストロイカが起こったため、今でも立ち直れないんですから。



>料理番組とかで作り方を紹介する場合に、画像も無しでは、活字、知識だけでテクニックは学び取り難いですもんね。

料理番組は見ないですね。
なぜなら、味も匂いも満腹マンも画面だけでは味わえないから。
色は見れますが、料理番組を見ることは食事をすることじゃない。
俳優が食べて「すばらしい」といい、オフレコで「あんなまずい料理はもう食べたくない。仕事じゃなきゃ食べれない」なんて、視聴者知ることないですから。
料理番組は見る娯楽であって、食べたわけじゃないんだから。

第一 「そんな食材どこから手に入れるんだよ。それを自分で作ると一体いくらかかると思ってんだよ。 王様じゃないんだから、一食にそんなに大金かけられない。もっと家庭にある香辛料使えよ」って思います。


新しい料理は人から口頭で聞いて、言葉により料理を習得します。
雑誌に料理のレシピが書いてあり読むことはありますが、作りません。

口頭による言葉や文字だけで料理が作れるか?
はい。
料理を作ったことがあれば、言われただけでイメージが頭に出てきます。
基本手順は知っているので、ポイントを言葉で言ってもらえればわかります。

雑誌に料理のレシピが文章で乗っていますが、自分との違いの部分だけ読みます
でも実際作るとき、文章読みながらはしません。
もうイメージが頭の中にあり、手順が頭に入っているから。

革命を起こす人が、本を見ながら革命を指揮したり、演説の時 文章を見ながら読み上げませんよね。
(日本は公式の場での発表の時、読み上げるという変な風習がありますが。)
思想がもう頭の中にイメージとして入っているので、質疑応答もサクサクいえる。
「その質問に答えるには、○○○の本の確か、、、」って本をまさぐって演説する人いません。



>皆様は視聴派ですか?読書派ですか?

私は、、、両方ですね。
フランス映画などは、言葉じゃなくしぐさで表現するので、答えを言葉で言ってくれないので、何回も観れる。
アニメにしても、作者の思想が現れるので、哲学者○○の思想が入っている、とか気づいて興味深く鑑賞します。

バラエティー番組も、結構高度で、ボケとつっこみで、笑いを誘う演出ですよね。
シナリオを書く人がいて、それを暗記して、あとは演技でいかにおかしく話すか。
シナリオは漫才のどっちかが作る場合もあれば、他の人がシナリオを作り、漫才師がそれを暗記して、何度も打ち合わせをして発表する場合もある。

間が大事ですから、との間の取り方に一方が失敗すると激怒するらしいです。
視聴者をいかをめぐって、口論となり殴り合いもするそうです。
人を笑わせるために、殴り合いもするのだから、すごいですよね。

そんなことは知らず視聴者は、発表された作品を見て、ゲラゲラ笑うわけです。

仕掛け人たちが作り上げるイメージの世界通りになっていく。
ところで仕掛け人の黒幕って誰でしょうね。
そんなこと考えていたら、ポルノ女優は演技しているって言われて興ざめするようなもので、「演技じゃない」って思わないと観れないようなもので、、、

ちゃらちゃらしているのは実は演技だって言って、漫才を文学的 あるいは民俗学的に分析して内容を伝えると、お兄さん「なかなかやるな」と対等に思ってくれるんじゃないかと。
でもそうなると、もう漫才は笑って観れなくなる。

片目はつぶり、片目はあけているのが、一番いいと思います。

>自分の世界に入り込んで出て来ないようなインテリでノイローゼになって問題や犯罪を起こしてしまうような人よりは、多少は馬鹿にされてもそれはジョークとして受け入れ、チャラらけている感じの人の方が断然良くて無難ですよね。^^


革命を起こした人や、社会の風潮を変えた人って、とにかく学生時代 多読ですよね。

昔は権力者は力もってたので、支配者の思想に直接講義するより、ペンでその支配者の思想を否定する文学作品を作り遠まわしに批判をするという戦術を取り、国民にも目を覚ませと遠まわ...続きを読む

Qエピクロスについて

エピクロスについて詳しい本やホームページはないでしょうか?

Aベストアンサー

http://www.logico-philosophicus.net/notes/Epicurisme.htm
http://www.chikumashobo.co.jp/special/marx/
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~asuda/res/mm1.htm
田中実「原子論の誕生・追放・復活」
ギリシャ哲学を研究しているのですか?

Qギリシャの哲学者・エピクロスに詳しい方へ質問です。

いつも楽しく拝見させて頂いています。

"Eat, drink, and be merry, for tomorrow you die"
(食べ飲み楽しめ、明日君(たち)は死ぬ)
という言葉があります。

この言葉に対して、ギリシャの哲学者・エピクロスだったら、
どのように答え、対応するでしょうか。
できましたら彼の思想の説明、及び、その答えがどうしてでたのか、その理由も一緒に教えて下されば幸いです。

よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

エピクロスが肯定した欲求は、自然で必要な要求だけです。
”Eat, drink, and be merry...”
は言外に、”よく食べ、よく飲み”という意味が含まれていますよね。
なので、
エピクロスなら、
「一時的な快楽にうつつを抜かし、その快楽がのちのちにもたらす、不健康など大きな不快(楽)の存在に気づいていない。バカな奴らだ」
と、鼻で笑うんじゃないでしょうか。
エピクロスは、放埒で享楽的な生き方を否定しているので。

彼のめざした《アタラクシア》は、そうした快楽とは無縁の、心の平安のことです。
エピクロスは、いわゆる快楽主義者・エピキュリアンではないです。

Qエピクロスについて。

とある本を読み、エピクロスについて興味を覚えました。
快楽主義と言えば響きが悪いですが、私の理想です。
詳しく知っている方や、書籍・HPがあれば、教えてください。

Aベストアンサー

エピクロスに興味をお持ちになった方がいらっしゃって、嬉しい限りです。
エピクロスは実に誤解を受けやすい哲学者です。
もし「快楽主義」という言葉から、セックスなど官能的な快楽にふければいいんだ、というイメージからエピクロスに興味を持たれたのなら、それはまず差し置いて考えた方がよいです。どうもフロイト同様に猥談じみたものと見なされがちなところがありますので。

私はエピクロスを大いに評価しています。
プラトン(ソクラテス)から始まってニーチェで崩れた「善悪」という尺度が、まだ今の世の中にも根強いですが、世界を変えるとしたら、エピクロスの主張に耳を傾けることからはじめなければいけないと思います。
まず自分を正義とおき、他を悪とする……といった前提自体、おかしいんですから。
No.2さんの中傷もなかなかのもので、いかにも善悪二元論的です。

さてさて、エピクロスの文献ですが、エピクロス本人の書いた多くの作品はほとんどが散逸しています。ただ、その中で、一部が後代の哲学者の研究者ディオゲネス・ラエルティオスの「ギリシア哲学者列伝」の掉尾に多く掲載されています。

エピクロスはデモクリトスの原子論に影響を受けました。ざっとこんなことです。
無からは何も生まれない、何も無にはならない。過去も未来も宇宙は現にあるがままであって、宇宙は物体と空間(空虚)のみからなる。宇宙は無限であって、その中で物体も空間も無限である。物体は原子に分割できる。原子はすべてが同一形状というわけではない。原子の運動はその形状や大小を問わず等速で、思考の働きなみに素早い。その原子の動きで衝突や反発が起こることによって物体が形成し、原子間の密度が物体の硬軟になったりする。

そこから話は心理学(霊魂論)に発展します。
霊魂も物体であるとエピクロスは言います。物体には2種類あって、みずから結合するものと、みずからでは結合できないもの……霊魂は後者になります。霊魂は肉体によって保護されていて、その保護されている間は感覚が作用します。霊魂が肉体を離れると当然感覚もなくなりますね。
さて、感覚です。あらゆる物体の表面からはたえずエイドーロンというものが放射されていると言います(エイドーロンとは、姿・像・映像といった意味です)。このエイドーロンが肉体の器官を通って霊魂に到達すると、感覚を呼び起こすというのです。現代科学とはいまいち食い違っていますが、昔のギリシアでここまで考えられていたとはと思うと、すごいことだと思います。
さて、感覚は知識の唯一の源泉で、感覚による知覚はすべて真である、ということを言います。それならば人間は誤ることがないはずなのですが、それは、精神(知性)が感覚のとらえる範囲を逸脱して臆説を立てるからだ、というのです。
上のディオゲネスによると、真理の標識は「感覚」(アイステーシス)、「表象(先取観念)」(プロレープシス)、「感情」(パトス)であるとエピクロスが語ったとされています。

さて、それなら、善悪の問題はどうなるのか。当然感覚によります。
ここからが倫理の分野になります。
快(ヘードネー)こそが幸福な生活の出発点、原理(アルケー)にして到達点、目的(テロス)であると断言します。なんというか、人は本能的に快を求めるからですね。
ただし、エピクロスは、目先の快にとらわれて、その数倍のわずらいを呼んでしまうことには注意しなければ、と言います。何か、快適な生活のために環境破壊のしっぺ返しを食らいそうになっている現代の私達に、ぐさっとくる言葉ですね。
快について正しい見解を導くのは、正しい生活であって、快く生きるためには賢くすこやかに正しく生きることだ、という風に言います。
エピクロスの説く快とは、積極的な享楽(例えば利己的なものであったり)ではなく、むしろ苦痛がない状態のことです。
となると、理想の幸福の状態は、外界から煩わされない、情熱とか欲望から自由になった心の平静不動なありさまです。この「アタラクシア」という理想状態は、いわば悟りの境地ですね。
そのためには公共の生活から引きこもることを勧めました。引きこもりを社会悪とする現代からするとおやっと思うところですが、まあ仙人の修行だと思うことですね。そこで死や神々に対する恐怖を克服することだ、と説きます。

何か宗教じみていますが、マルクス主義と大いに違うのは、エピクロスは無神論ではなかったということです。ただし、普通に人間が考える神とは違います。神は中間界(メタコスミア、インテルムンディア)に住んでいて、人間を煩わせたり人間に煩わされたりすることはない、と言います。この神々の発するエイドーラ(映像)を心静かに受け入れることによって、人間は神々の静謐さを得ることができるとしています。賢者が神の姿に似るのはこのためだ、とか言っていますね。

ニーチェが神は死んだなどと言いましたが、こういうエピクロス的な神は死ぬとは思えませんね。実際、私自身エピクロスから離れていろいろ悩んでいたのですが、心の平静が訪れて、後になって「ああ、これがアタラクシアか」と思うようになりました。まあ信じてもらえないでしょうからどうでもいいんですが。

エピクロスに興味をお持ちになった方がいらっしゃって、嬉しい限りです。
エピクロスは実に誤解を受けやすい哲学者です。
もし「快楽主義」という言葉から、セックスなど官能的な快楽にふければいいんだ、というイメージからエピクロスに興味を持たれたのなら、それはまず差し置いて考えた方がよいです。どうもフロイト同様に猥談じみたものと見なされがちなところがありますので。

私はエピクロスを大いに評価しています。
プラトン(ソクラテス)から始まってニーチェで崩れた「善悪」という尺度が、まだ...続きを読む

Q長老派と会衆派の違い

長老派と会衆派の違いを教えてください。

Aベストアンサー

長老派も会衆派も、カルビン主義をかかげる教派です。
その違いは、ウエストミンスター信仰を掲げる教派が長老派で、認めない教派が会衆派です。

会衆派がウエストミンスター信仰協約を認めないのは、その中の長老支配を認めないためです。

長老派、会衆派、聖公会(イギリス国教会)、改革派教会(オランダなどのカルビン派教会)は、互いに関連しあったいます。

宗教改革後、スコットランドに大陸のカルビン派が入り、イングランドにスコットランドのスチュアート朝の王朝が成立すると、イングランドにカルビン派の教派が入り込みます。
カルビン派の考え方が、イギリス国教会に入り込むと、イギリス国教会の宗教改革が、いかにも中途半端と感じられる人々が急増します。

その人々が、ピューリタンと呼ばれる人々です。

イングランド王となったスチュアート朝のチャールズ1世は、スコットランドのカルビン派を弾圧しますが、逆にピューリタン革命となってしまいます。
このピューリタン革命の時に、ウエストミンスター議会で提唱されたのが、ウエストミンスター教義で、その中の長老支配を認めるか認めないかで紛糾し、認めた人々の教派を長老派、認めなかった人々の教派を会衆派と言います。
イギリス国教会は、両派に加え、カルビン主義をそもそも認めない人(聖公会)との3分割された事になります。

ピューリタン革命では、会衆派が力を持ち、ピューリタン革命へと突き進みます。

長老支配とは、信徒代表による教会運営を行う事で、信徒は、信徒代表に従う事が義務づけられています。
会衆派は、それに反発し、信徒一人一人が何者にも信仰を強制されないフリーチャーチを目指したための対立でした。

現在ピューリタン諸派として、会衆派、バブテスト、アナバブテスト、クエーカーなどがあります。
また、ピューリタンとはされませんが、ピューリタン的教義の教派として、メソジストがあり、メソジストから分派したペンテコステ、ホーリネス、セブンデイズなどのアメリカ発祥の教派も、ピューリタン以上にピューリタン的教派になっています。

長老派も会衆派も、カルビン主義をかかげる教派です。
その違いは、ウエストミンスター信仰を掲げる教派が長老派で、認めない教派が会衆派です。

会衆派がウエストミンスター信仰協約を認めないのは、その中の長老支配を認めないためです。

長老派、会衆派、聖公会(イギリス国教会)、改革派教会(オランダなどのカルビン派教会)は、互いに関連しあったいます。

宗教改革後、スコットランドに大陸のカルビン派が入り、イングランドにスコットランドのスチュアート朝の王朝が成立すると、イングランド...続きを読む

Qみんながエピクロス派になれば

みんながエピクロス派になれば、世界は平和になると思いませんか?
快楽主義ばんざーい!!
アタラクシアを目指しましょうっ!!

Aベストアンサー

No4です。

>小さいグループ作って、隠遁生活を送りたいですなー。

お疲れでしょうか(^^;


人間の、自然の欲求は開放系ですので欲求を叶えるための行動が続きます。
いわゆる社会貢献ですね。

幸福とは誰かに必要とされること。

相手が個人でも社会でもいいですが、何らかの貢献が人間には必要となります。

押し付ける訳ではないですが、隠遁生活は自身の本来の欲求と逆行してしまうと思います。
閉鎖は、反エントロピーがおきて衰退します。
人生の終末、集団の終末に向かう方向性です。

疲弊して隠遁したい人もでるでしょうが、基本は欲求を叶えるために
イキイキと生きることが目的ではないかと思います。

自己の欲求を知ると、結果はそうなると思いますが。
それがアタラクシアを目指すと言うことになると思います。

閉塞感のない社会ができるといいですよね。

Q会衆派と長老派の違いは何ですか

会衆派(組合派、Congregationalist)と長老派(Presbyterian)の違いがよくわかりません。両方とも Calvin派で、共に牧師を頂点として意思決定する仕組みを持っている、のですか?また、長老イコール牧師、という理解であっているでしょうか?

Aベストアンサー

長老派の事、会衆派の事、イギリス国教会の事、イギリスの歴史などを、再度見直してみました。

一部私の方に、勘違いがありました。

会衆派は、長老派からの分派ではなく、そりまでのカルビン派が、ウエストミンスター教義を受け入れるか受け入れないかで、長老派と会衆派に分裂したようです。
ただ、それまでのカルビン派は、基本的に長老支配を行ってきましたので、実質的にカルビン派は、長老派といってよいと思いますが、正式に長老派を名乗るのは、これ以降のようです。

ピューリタン革命時、当初はチャールズ1世とスコットランドのカルビン派との戦いで幕を開け、その戦いの勝利から、議会派は、カルビン派主導になっていたようです。
この当時の国教会派は、王党派に中心を置く一方、国教会改革派が、議会派に属していたようです。

そのため、ウエストミンスター教義は、カルビン派主体で進められたようです。
一方それに反対したのが、ロバートブラウンらで、彼らの集団を、会衆派と言ったそうです。

この時ウエストミンスター教義(特に長老支配)を受け入れたのが、長老派と呼ばれ、長老支配を受け入れず、各教会の独立性を叫んだのが、会衆派の始まりのようです。

当時の会衆派は、現在のカルビン主義の会衆派と、再洗礼派的なバプテスト、クエーカーなども含まれており、独立した教会(フリーチャーチ)の原則で合同していましたが、その後路線の対立から、分派していったそうです。
会衆派、バプテスト、クエーカーなどをピューリタンと呼びます。

長老派においての長老の件ですが、牧師は、教師長老の一部で、全てではありませんでした。
実質的な運営は、信徒長老によって行われているそうで、信徒長老の数は、教会の数より多くなっていました。
各教会から、数人の信徒長老が選出され、その人たちにより、運営が行われているそうです。
当然教義に関しては、教師長老の指導を仰ぐ事もあるようです。

長老派の事、会衆派の事、イギリス国教会の事、イギリスの歴史などを、再度見直してみました。

一部私の方に、勘違いがありました。

会衆派は、長老派からの分派ではなく、そりまでのカルビン派が、ウエストミンスター教義を受け入れるか受け入れないかで、長老派と会衆派に分裂したようです。
ただ、それまでのカルビン派は、基本的に長老支配を行ってきましたので、実質的にカルビン派は、長老派といってよいと思いますが、正式に長老派を名乗るのは、これ以降のようです。

ピューリタン革命時、当初...続きを読む

Qストア派とエピクロス派の入門書を教えてください

ストア派とエピクロス派哲学の入門書を教えてください。

自分で探した中では下記がよさそうだと思ったのですが、何しろ高いので、もっと安くて入門向きの本があれば、と思い質問させていただいています。

ヘレニズム哲学―ストア派、エピクロス派、懐疑派
A.A.ロング
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4876986134/

要望として、ストア派やエピクロス派の歴史的展開などよりも、その論理と内容が知りたいです。
「ストア派はこういう公理から始まり、こういう論理によってこのような結論を導いた」というものです。

例えば、下記ページのような感じです。
http://science.jrank.org/pages/9169/Epicureanism-Epicureans-Stoics-Compared.html

1.自然に対する見方
ス:第一の自然な本能は自己保存である。自己保存から理性の価値が導かれ、そこから徳に特別な価値が置かれる。
エ:第一の自然な本能は快楽である。快楽と徳は不可分である。

2.感情について
エ:パトスを消滅することは必要ではない。喜びに満ちた生活に必要な欲望はほんの数種類であり、それらは容易に満たされる。アタラクシアの状態においては、欲望を避けない。しかし同時に、欲望を満たせないことで悩まされもしない。
ス:パトスは消滅させるべきもの。

エピクロス派の人間の心は「かき乱されていない」
ストア派の人間の心は「かき乱すことができない」

3.徳の役割について
ス:幸福になるためには徳だけで十分であり、徳は理性から直接に導かれる。
エ:快楽を徳に結びつける。しかしそこから幸福は導かれない。 むしろ、合理的な人間は、快楽の最大の形はアタラクシアであると考える。 そしてアタラクシアの状態で行われる行動とは、幸福な者の行動である。この者は平静であり、平静を感じるだけの理由をもっている。


なお、私が持っている知識はせいぜいこの程度で、大学等で講義をとっているわけでもなく、単に好奇心から知りたいだけです。
よろしくお願いします。

ストア派とエピクロス派哲学の入門書を教えてください。

自分で探した中では下記がよさそうだと思ったのですが、何しろ高いので、もっと安くて入門向きの本があれば、と思い質問させていただいています。

ヘレニズム哲学―ストア派、エピクロス派、懐疑派
A.A.ロング
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4876986134/

要望として、ストア派やエピクロス派の歴史的展開などよりも、その論理と内容が知りたいです。
「ストア派はこういう公理から始まり、こういう論理によってこのような結論を導いた」というもの...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

ネットでしたら、
http://plato.stanford.edu/entries/stoicism/
http://plato.stanford.edu/entries/epicurus/
http://www.iep.utm.edu/epicur/
あたりを閲覧すれば、よろしいのではと思います。
とくにスタンフォード大の哲学百科事典は充実しています。
これを有効に活用できるのならば、わざわざ、本を買う必要はないと思います。
英語で構いませんよね。

書籍の方は、
出隆, 岩崎允胤訳 『エピクロス : 教説と手紙』(岩波文庫, 1959)ISBN 4003360613
ディオゲネス・ラエルティオス 『ギリシア哲学者列伝(下)』(岩波文庫, 1994) ISBN 4003366336
あたりが参考になるのではと思います。

Qマタイ福音書は律法用語派、ヨハネ福音書は律法否定派

マタイ福音書は律法用語派、ヨハネ福音書は律法否定派という認識でよろしいのでしょうか?

Aベストアンサー

マタイは律法の完成という側面で描かれており、イスラエル的です。
この世が終わるまでトーラの一字一句たりとも消えることはない とイエスが言ったとされ、イエスがユダヤの律法=この世の全てだと考えていたことになります。


マタイ書が稚拙なことから、マタイはギリシャ語があまりうまくなかったからだろうとされていましたが、どうやら変えてはならないという制約があり、それで直訳してギリシャ語にしてしまったため、意味のわかりずらいマタイ書になってしまったという新たな見解があります。

ヘブライ語に戻す作業をしている人がいて、その人の研究を読むと、確かにマタイ書は、律法重視に思えます。




ヨハネは先在のロゴス・神の子イエスという側面で描かれている。
イエス像は魔術師として書かれている。
これはヘレニズム文化に取り入るとき、理解しやすいように、ヘレニズム文化の特徴を生かしてイエスを紹介したからじゃないかと思えます。

ヨハネ書は反律法が書かれていたという印象は無いです。
律法に言及していないという感触を持ちます。
律法に言及していない=反律法 とはならない。

私の印象ではヨハネ書はオカルト系。
おぞましいという意味ではなく、ある意味グノーシスっぽいから。
神秘主義的な匂いがして、秘儀を極めようとした人たち 霊的なものを求めた人たちによって書かれた という印象を受けます。

だから奇跡話がこの書には多い。
水の上を歩くなどの表現は異教の神秘主義者たちがやっていたとされたことだったし。
ただし、天地創造の前ロゴスが母なるものの深淵を漂っていた ということにひっかけてもいると思えます。
私はこれを読んで受胎を想起しましたが 笑。
(卵子の周りを無数の精子がウロウロしていて、鍵を持った精子のみに扉が開き、その精子が中に入ると扉が閉じますよね。ロゴスとは精子のことだったのか!? とか笑ったりしましたが、古代の人は受胎の神秘を知っているほど高度に発達した文明を持っていたのか! とかは思いません。偶然だと思うし。)



マタイ書はパレスチナ、ヨハネ書はシリアで成立した という推測もある。

マタイは律法の完成という側面で描かれており、イスラエル的です。
この世が終わるまでトーラの一字一句たりとも消えることはない とイエスが言ったとされ、イエスがユダヤの律法=この世の全てだと考えていたことになります。


マタイ書が稚拙なことから、マタイはギリシャ語があまりうまくなかったからだろうとされていましたが、どうやら変えてはならないという制約があり、それで直訳してギリシャ語にしてしまったため、意味のわかりずらいマタイ書になってしまったという新たな見解があります。

ヘ...続きを読む


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