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A 回答 (7件)

ポルポトはフランス留学中に、植民地主義を徹底的に憎むようになりました



白人がカンボジアでバカンスを送っていることも海外企業が国内に店舗展開していることも憎み、海外から来たものを全てをカンボジアから無くすことを目指したわけです。

大昔カンボジアにはクメール王国という世界でも類をみない大帝国が存在しました。
ポルポトは共産主義を用いてこの時代に戻ることを夢見ました。

国民全てが差異のない国民となり、国のために農産物を生産し
党の指導のもと国民を教育しなおし理想的な社会主義国を作ろうとしました

まじりっけのないカンボジアを作りたかったのです。

しかし、日本でも分かるように、中国に影響を受けていない日本の文化などありませんし
近代、においては欧米などにも日本は強い影響を受け、日本の純粋な文化など、既に日本の文化ではありませんね?


ポルポトは海外から入ってきた言語や文学や思想、科学までも生産性のないブルジョア的な物であるとし革命前にそれらに携わっていた知識人を虐殺したのです。




しかし、こんなトンデモな思想を国民はなぜ許したのでしょうか?
クメールルージュは当初それほど大きな勢力ではありませんでした。

それはアメリカのカンボジアに対する大規模な爆撃がキッカケでした。アメリカは二次大戦で日本に投下した三倍もの爆弾をカンボジアに投下し60万人もの人々をころしました。
結果、農業国であったカンボジアの90%以上の農地を破壊してしまったのです。

23万トンの米を輸出していたカンボジアは、それ以降28万トンの米を輸入するようになりました。

そして、「白人社会と決別し、人の手を用いた農業の国になること」を説いたクメールルージュは革命に成功する結果になります。この流れは(映画)キリングフィールドにも良く描かれています。



社会主義国に共通するのはトラウマです。
強いものによって蹂躙された強烈なトラウマは人々に革命を起こさせ
その国の黄金時代を取り戻そうと激烈な愛国心をもった独裁者が支配国とは違う手段でそれに対抗しようとする。



それが社会主義国というサークルのような関係です。
親に反抗する不良が暴走族仲間とつるむような感じですね。

同じアジア人の国ですが、国によって白人の扱いは全然違う
少なくともこの時代はね。

戦後日本はとても幸せな国です。
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スターリンは、何故自国民を虐殺したのでしょう?


毛沢東は、何故自国民を虐殺したのでしょう?
金日成は、何故自国民を虐殺したのでしょう?

後世、真実を知らない我々が勝手に理屈を論じても
意味があるでしょうか?
ただ、いえる事は、何れも共産主義者だということです。
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沢井鯨の「P・H・P」はフィクションなんですが、カンボジアが舞台の小説で非常におもしろかったです。

その中にポルポトのこともあり、事実ではないかもしれませんが、毛沢東がポルポトを操作し、大量に殺戮させ、挙げ句の果てに少なくなったカンボジアに余った中国国民を輸出し、実質乗っ取りをするといったことが書いてありました。あり得そうなことだと思いました。
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この回答へのお礼

あり得そうな事ですか。。。
怖い世の中ですね。。。
有難うございました!

お礼日時:2002/05/23 06:11

毛沢東思想にのめりこんで、「文化大革命」で知識人が弾圧されたこと「造反有理」みたいなことを、自分が中心にやってみたくなったのでしょうね。


最初に弾圧されたのは、やはり、知識人だったといいます。

いっぺん「道」を踏み外すと、「あれもこれも」とエスカレートするんでしょうね。独裁者は、権力が大きくなるにつれて、自らの気に入らない者を次々弾圧していくものです。
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この回答へのお礼

憧れの毛沢東と同じ事をやりたかった、というのはありえない話ではないですね。
でも本当にそんな理由で何百万とも人を殺せるのか。。。
まぁ本人はそんなに死んでいるとは知らなかったのかもしれませんが。。。

有難うございました!

お礼日時:2002/05/23 06:10

いろいろと憶測で語られているようですが、本人が亡き今となっては、真相は闇の中のようです。



参考urlをご覧ください。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/3077/su …
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この回答へのお礼

参考URLはよくまとまっていてとても興味深い文でした。
そうですか。真相は闇なんですか。
本当に分からないですよね。。。
有難うございました!

お礼日時:2002/05/23 06:08

意外にこの理由は謎とされていてはっきりとした理由が発表されていないんです。



ただ、私が昔読み聞きしたのをまとめると、、、

ポルポトはベトナム戦争でアメリカがカンボジアも含めて攻撃して暴れまわっていたのに反対して共産主義グループを作ります(クメール・ルージュ)、でベトナム戦争後に彼らの手によってカンボジアはのっとられます。

ポルポトは権力にものをいわせて、町の人間を地方へ強制移住&労働させて国力を増大させようと計画したのです。

しかしながら無茶苦茶な目標をかかげていたので、結果は当然のごとく失敗しました。

ポルポトはここで責任を認めずに、「我々の国の内部にスパイや反乱者がいる。だから失敗したのだ」とわけのわからんことを言い出したのです。そして幹部であろうと一般市民であろうとあやしいところがあったら片っ端から捕まえて処刑場送りにしたのです。

この虐殺は国の隅々で行われました。しかもその「敵」だと判断される理由がとんでもなく「レストランで皿を割った」「牛にえさを十分与えていない」「米がたくさんできない」「政府の陰口をたたいた」などめちゃくちゃな理由でです。まさに中世の魔女狩りと同じです。

こんな理由ゆえに毎日何百人、何千人もの人がわけのわからない理由で処刑場送りにされ殺されたのです。
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 ユートピアを求めて、自国の共産化を進めた結果、国家は破滅をしました。

ポルポトは、内部に反逆者がいるとして、徹底的に調査をして虐殺をしたようです。詳細は、下記URLを参照してください。

参考URL:http://www1.jca.apc.org/aml/9910/14461.html
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