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北原白秋の
君かへす麻の敷石さくさくと
雪よ林檎の香のごとくふれ
の背景とか鑑賞とか教えてください!!
URLだけでもいいのでお願いします!!

A 回答 (4件)

私個人の見解です~



君かえるではなく、かえすは夫の元にかえす切ない気持ち

さくさくとは他の人の説明とおり

雪に対して、淋檎を持ってきたのは、白と赤のコントラストです。

淋檎の香のごとく降れは、足跡を雪で消して不倫の証拠隠滅してくれと叫んでいるようです。また証拠は消しても君の香りはそのまま残してほしいと願う甘酸っぱく、複雑な心境をもののみごとに表現しています。

私がこの短歌をはじめて読んだとき、一晩寝られないほど感動しました。
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この歌は北原白秋の代表作ですが、中でもオノマトペ(擬音語、擬態語)を効果的に使った歌として有名であり、短歌入門書のオノマトペの項目には必ずといっていいほど例示されています。



「君」は当時人妻だった松下俊子。白秋は姦通罪でその夫から訴えられてしまいます(この歌の発表時は拘置所の中にいました)。
だから、二人で会った後に「君返す」となるのです。
本当は帰したくないのに、愛する君を夫のもとへ返すのですね。
寒い雪降る朝に女性を一人で帰さなければならない理由がそこにあります。
本当は傍にいてずっと守ってあげたいのだけれど、夫のもとへ返さなければならない。そんな私の代わりに雪よ、甘く優しく彼女を守ってあげて欲しい…とこういう意味です。

林檎は冬の代表的な果実なのでこの歌でも用いられたのでしょうが、林檎って甘みの強い果実ではなくてほのかに酸味がありますよね?
その甘酸っぱい林檎が、許されない愛を際立たせています。
甘いだけの愛ではないわけです。
禁じられた果実(林檎)→禁じられた愛へと読み手の想像は広がります。

が、何と言ってもこの歌が讃えられるのは「さくさくと」というオノマトペでしょうね。
君が敷石を踏む音、雪を踏む音を表現すると同時に、君がさくさくと歩く音しか聞こえない辺りの静寂さを見事に表しています。
白秋が「雪よ、林檎のように降ってくれ」と願ったその雪を、白秋の思いを受け止めるようかのように彼女は「さくさくと」踏んで帰るのです。(さくさく、は林檎をかみ締めるときのお決まりの擬態語ですね)
許されない愛、でも二人の間の確かな愛情を感じさせる歌ですね。
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 白秋が松下俊子という人妻と恋愛をしていたころの歌。

彼の代表作です。当時は姦通罪がありましたので、白秋はこの恋のためのちに監獄に入ることになるのですが、けっきょく俊子さんとは後年結婚しています。
 「君かへす」というのは、あなたをわたしのもとから帰らせる、ということ。「朝」ですから、二人が一夜いっしょに過ごして、そのあくる朝、何かの事情があるのでしょう、どうしても俊子を家に帰らせなければならない。そこがふつうの恋愛とは違って、切ない、という含意があります。
 同時に白秋は王朝の和歌をよく勉強していましたから、自分たちの朝の別れを後朝の別れに重ねあわせる意図もあるのだと思います。王朝人のように、わたしは朝あなたに別れなければならない、ということ。
 「雪よ林檎の香のごとくふれ」についてはいろいろ解釈がありますが、具体的に「林檎の香」が「雪」と何か共通点があるということではないと思います。ただ「林檎の香」の清新で芳醇なイメージを「雪」に重ねあわせて、そういうふうに降る雪に満たされて、この別れが華やかに彩られてほしい、という作者の願いをこめたものではないでしょうか。
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Q北原白秋の歌について

北原白秋の「昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の薮を出でて消えたり」という歌の訳や読み方など、できれば具体的に教えてください!!!

それと、「蛍」が消えたあと作者の目に残ったものとは何だったのでしょうか?

Aベストアンサー

 
白秋は、独特なリリシズム(叙情性)の世界を築いた詩人です。彼のリリシズムには、中国的というか、純日本的というか、日本・中国というような文化での「東洋的叙情性」があります。とりわけ、中期の「水墨集」(という名前だったはずです)のなかの作品には、中国人を主人公にして、静謐な、繊細な、しかも雄渾な作品があります。

このうたに関して言うと、「水墨集」のなかの作品に感じるのと同じような、繊細で、静謐で、無為自然を尊ぶ、雄渾なリリシズムが感じられます。

>昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の薮を出でて消えたり

(ひるながら かすかにひかる ほたるひとつ もうそうのやぶを いでてきえたり)

孟宗の藪とは、竹の種類に「孟宗竹」というものがあり、孟宗竹の藪という意味です。

わたしとしては、孟宗竹が鬱蒼と茂る林のなかでのできごとと考えると、幽玄さがまし、リリシズムが一層深みを持つようにも思いますが、「藪」とうたっていますから、それほど大きな茂みではないでしょう。

>昼日中であるが、孟宗竹の茂みのなかの薄暗がりのなかで、幽かに、光を放っている何かがある。それは蛍ではないか。一匹の蛍が薄暗がりのなかで光を放っているのである。ああ、自然とは、このように偉大で幽玄なものかと、幽かな光の蛍を眺めていると、蛍は藪から飛びだし、昼の光のなかに出、蛍の光も見えなくなってしまった。

「かすかに」には、「かすかに」「微かに」「幽かに」と主に三つ表記法があります。原作で、「幽かに」を使っていたとすれば、蛍の光が、単に「弱い光」だという事実だけでなく、そこに「幽玄」を垣間見たという作者の心理が述べられています。

薄暗がりのなかで、玄妙な幽かな光を放っていた蛍。昼の光のなかに入ると、蛍の光も見えなくなってしまった。自然とは、玄妙で不思議なものである。

「幽かに」というような言葉遣い、また「孟宗竹」という、いかにも中国の仙人が隠棲する仙境を思わせる言葉。たまたま、白秋が、こういうことを経験した、出会っただけかも知れませんが、それをうたに詠むというのは、これらの情景に、作者が感銘したということでしょう。

昼の光は「陽」であり、薄暗い藪のなかは「陰」、「陰」のなかの幽かな光である蛍は、「陽」で、「陰」のなかで「陽」は、幽かに姿を示すが、大いなる「陽」のなかでは、溶け込み、透けて消えてしまう……無為自然的な幽玄のリリシズムのように感じます。

>「蛍」が消えたあと作者の目に残ったものとは何だったのでしょうか?

なお、薄暗さをうちに持つ藪と、昼の光に満ちる、蛍を溶かし込んだ昼の情景の対比でしょう。蛍の光が溶け消えた、昼の光が、目に残ったとも言えますが、同時に、「陰」である、孟宗竹の藪もまた、目に残っていたはずです。
 

 
白秋は、独特なリリシズム(叙情性)の世界を築いた詩人です。彼のリリシズムには、中国的というか、純日本的というか、日本・中国というような文化での「東洋的叙情性」があります。とりわけ、中期の「水墨集」(という名前だったはずです)のなかの作品には、中国人を主人公にして、静謐な、繊細な、しかも雄渾な作品があります。

このうたに関して言うと、「水墨集」のなかの作品に感じるのと同じような、繊細で、静謐で、無為自然を尊ぶ、雄渾なリリシズムが感じられます。

>昼ながら幽かに光る蛍...続きを読む

Q北原白秋の短歌(照る月の…)について

北原白秋の短歌、

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の解釈など、この短歌に関することなら何でもいいので教えていただけませんか?
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ご存知の方はよろしくお願いします。

Aベストアンサー

童謡作家として有名な北原白秋の和歌としては有名な作品です。

「照る月の冷(ひえ)さだかなるあかり戸に 眼は凝らしつつ盲ひてゆくなり」

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Q若山牧水 白鳥は・・の訳について

白鳥は「哀しからずや」の「哀しからずや」はどう訳せば良いのでしょうか。
できれば、入試問題的な解答をいただきたいのですが。

Aベストアンサー

 
  牧水の元の歌はひらがなだたような気もするのですが、漢字で「哀」を使っていたなら、それは「悲」の場合の「かなしからずや」とはニュアンスが違います。そもそも、同じ「かなし」が、何故、「哀し・悲し・愛し(かなし)」に漢字で書き分けるかと言うと、元の言葉に複数の意味・ニュアンスがあって、それを表現するための工夫で、自覚的に文章を書いている人は、それぞれに意味やニュアンスを区別して使っているはずです。
 
  「悲哀」は、「かなしみ」ですが、「悲痛+哀切」というような感じで、決して、「かなしい+かなしい」の二重重ねではないはずです。(悲哀、悲痛、哀切で、人によって把握が違うかも知れませんが、明らかにニュアンスが違っています。みな、同じ「かなしい」ことだと言えば、乱暴でしょう)。
 
  しらとりはかなしからずや → 白い鳥は、悲痛ではないのだろうか
  しらとりはかなしからずや → 白い鳥は、哀切ではないのだろうか
 
  これは、意味やニュアンスが違っています。「悲痛」というと、しらとりを見て、心が、どういう理由か「痛む」という感じで、かなり感情で辛いものがあります。「哀切」というと、心に痛みがあるかも知れませんが、それを詩的に受け止めるというか、ある程度客観化し、距離を置いた感じがわたしにはします。(悲痛は、「私が悲痛」で、哀切は、「何かが哀切」です。大ざっぱですが)。
 
  白き鳥よ、あなたは何と哀切なことか、空はこんなに青く、海はあんなに青いのに、空からも海からも離れ、ひとり孤独に漂っていることか。

  (そのように、わたしの心も、哀切のなか、漂泊の思いに満たされる……)。
 
  これは、わたしの解釈ですが。
 

 
  牧水の元の歌はひらがなだたような気もするのですが、漢字で「哀」を使っていたなら、それは「悲」の場合の「かなしからずや」とはニュアンスが違います。そもそも、同じ「かなし」が、何故、「哀し・悲し・愛し(かなし)」に漢字で書き分けるかと言うと、元の言葉に複数の意味・ニュアンスがあって、それを表現するための工夫で、自覚的に文章を書いている人は、それぞれに意味やニュアンスを区別して使っているはずです。
 
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Q白秋の『桐の花』の歌について

厳密には文学の範疇ではないのかもしれませんが……


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君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとく降れ

多くの解説書では姦通罪の際の獄中詠であるとあり、僕もその意見に左袒するものです。
ただ、その解釈のあとに「収監中、面会に来た俊子を獄中から送り帰すときの心情」ということを書いてあるのを時折目にします。

獄中詠であるとすると、相手の松下俊子女史は特にお咎めなし、すなわちシャバにいるのでしょうか?当時の姦通罪は決して女性を保護するような法令ではないような気がするのですが……
それとも、獄中詠ではあっても光景自体は獄中ではなく後朝の別れを歌ったものなのでしょうか?

Aベストアンサー

歌集『桐の花』において、この歌のある「春を待つ間」の章は、明治43年3月頃から、同年9がつの青山原宿移転を挟んで、44年2月に木挽町に移った頃までが載っており、更に細かくは「III(3) 雪」の項に分類されていることからして、青山での晩夏における隣家付き合いが恋愛の発端でもある経緯から、明治44年春の作と思われます。

一方、京橋に移り住んでいた白秋のもとに恋人俊子が走ったことから姦通罪で告訴された明治45年7月6日時点以降の歌は「哀傷篇」の「III(3)」には次のような歌があります。

志みじみ涙して入る君とわれ監獄(ひとや)の庭の爪紅(つまぐれ)の花

最初に女が馬車から降ろされ、続いて男囚群の一番最後に白秋が飛び降りようとしたが、紐で数珠つなぎに繋がれているため躓きそうになった。その時に見た爪紅の花や、その無様さを俊子に見詰めれていることに気付いたことなどを「やっこらさのさ」といった言葉と共に、悲しみ極まった挙句の「面白き」印象として記してもいます。

裁判は7月16日で、その結果は慰謝料300円を支払って免訴となっています。結局2週間ほどの未決監滞在だったようです。
その後については、俊子との再会と結婚は大正2年4月だが翌夏には離別、、大正5年5月から大正9年5月の間は江口章子と、大正10年4月には更に佐藤菊子と結婚しています。

セカンドソースやネット風評に惑わされず、まずは原典を愉しみましょう。
「桐の花 : 抒情歌集」東雲堂書店(大正2年)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907273
参考:「日本の詩歌 9 北原白秋」(中央公論社)

歌集『桐の花』において、この歌のある「春を待つ間」の章は、明治43年3月頃から、同年9がつの青山原宿移転を挟んで、44年2月に木挽町に移った頃までが載っており、更に細かくは「III(3) 雪」の項に分類されていることからして、青山での晩夏における隣家付き合いが恋愛の発端でもある経緯から、明治44年春の作と思われます。

一方、京橋に移り住んでいた白秋のもとに恋人俊子が走ったことから姦通罪で告訴された明治45年7月6日時点以降の歌は「哀傷篇」の「III(3)」には次のような歌があります。

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