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 先日、教員免許取得に必要な「介護等体験」で養護学校に行ったときのことです。

 たまたま一緒だった知り合いとの会話の中で、私が「健常者」という言葉を口にしたとたん、その人が「“健常者”って言葉はダメだよ!」と言ったのです。
 もちろん私は、養護学校に通う子どものことを差別するつもりで「健常者」という言葉を使ったのではなく、そのことを彼に言いました。しかし彼は、「いや、“健常者”という言葉そのものを使うことが誤解を招くことがあるからいけないんだ。」というのです。
 確かに「健常者」という言葉は使い方を間違えれば差別用語になりえるかもしれませんが、それは「健常者」と言う言葉に限らないような気がします。(たとえば“目が悪いから眼鏡をかける”や“足が痛くてまともに歩けません”なども、受け止め方によっては他人を傷つける可能性があるようにも感じられます。さらにいえば、“子ども”は良いが“子供”はいけないなど、切りがありませんよね。)
 それゆえ、「健常者という言葉を使うこと自体がいけない」という理論には納得できなかったのです。
 もちろん、無難に、波風を立てずに介護等体験を終えたいのなら、このような言葉は使わないのが良かったのかもしれません。周囲の人間の神経を逆なでしてしまうかもしれない言葉は避けたほうが良かったかもしれません。でもこの程度のことで「ビビッて」いたら、(私の目指している)小学校教師なんて勤まらないんじゃないかなあ、とも思ったのです。
 ちなみにその場では、彼とケンカしたくなかったので、また一連のできごとがあまりに咄嗟だったので「あぁそうですね。すみません。」と謝罪しました(“謝罪してしまいました”と表現したほうが正確かもしれません。)。

 ぜひ皆さまの意見をお聞かせください。m(_ _)m
とりわけ障害児教育に関心のある方々からの回答をお待ちしています。

A 回答 (5件)

健常者と言う言葉は差別用語になると思います。


字の通り常に健康な者と書きますよね。
そうじゃない人間にとってこの言葉は傷付きます。
失礼ですが、そういう言葉の意味が理解できないようでは
子供の気持ちも汲み取れないんじゃないでしょうか?
子供って些細なことでも傷付くんですよ。
そして、その些細なことで一生心に傷を持つんです。
そういうことを児童心理学で学びませんでしたか?
また、その程度の言葉でビビってたらなんて言葉も使うべきではありません。
教師と言う物は生徒の鏡でなければならないのです。
また、貴方のことを考え注意してくれたのに、自分の意見が通らなく
常識的なことの判断が出来ない人が教師になるのはどうかと思います。
そういう方に子供を預けたいとは思いません。
貴方、将来自分の子供が出来て、何らかの障害があった場合
誰かにそういう風に言われたらどう思いますか?
貴方のような人は絶対私の子供にそんなことはないと思ってるんでしょうね。
教師を目指す以上、相手の気持ちに立って物事を考えるという姿勢を養った方がいいです。
それが出来ないのなら、人様の成長に携わる仕事はしないで下さい。
ましてや、教員と言う仕事には移動を伴う仕事ですよね。
障害児教育現場に勤務することもあるんですよ。
そういった学校に通わない児童もいてそういう児童がいるクラスを受け持つことだってあるんですよ。
そういう児童をもつ親はとても敏感になります。
それに、今は体だけでなく心を病む児童が多いことはご存知ですよね。
貴方が考えているほど教育現場は簡単な物ではありません。
教師の職業病に鬱病と言う病気が上げられます。
それほど、教師は神経を擦る切る仕事なんです。
保護者も気に入らなければ教師をつるし上げるんですよ。
責任転嫁してくる保護者なんて山ほどいるんですよ。
それらを覚悟して目指してください。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございました。m(。_。)m

>子供は些細なことでも傷付くんですよ。
>そして、その些細なことで一生心に傷を持つんです。
 この言葉に「目が覚めた」ような思いがしました。

>そういうことを児童心理学で学びませんでしたか?
 私は科目・「児童心理学」をまだ履修していないのですが、そのような「言い訳」が現場で通用するはずがありません。まずテキストや市販の参考文献をもとに、教師(を目指す者)としての「言葉遣い」についてじっくり考える機会を持たなければならないなと思いました。

 そもそも学校とは子ども達のためにあるものであって、決して教師や保護者のエゴのためにあるのではないですよね。その視点抜きに「私が正しい!」ではダメですよね。まず子どもを健全に育てる機関としての学校、そしてそこでの「支援者」として教師の存在があるのだという、ごくごく基本的な部分を見るための「視力」まで弱っていたのだなぁと思い知らされたような気がしました。

お礼日時:2007/02/08 12:00

差別ではないと思います。


また、自分が使っても良いと思えば、使えば良いし、周りに合わせたり、配慮したりする必要は無いと思います。

でも、それで良いんです。
人間も生き物、そこら辺の動物、植物と同じなんです。
強いもの、正常な個体が好まれ、駄目なモノは淘汰される。
仕方が無いことです。
(障害の全てが淘汰される対象には、なりませんが)

近年、差別用語を使わないとか「障害」と書かず「障がい」と書いたり表面上じゃ、平等、平等と言うけど、
あなたは、障害者と結婚する事はできますか?
教師のような職業なら、口では「健常者、障害者も関係ない」というかも知れませんが、あなたの体は受け付けませんよ。(生理的に体が拒絶反応すると思います)

もし、教師として障害児と接する機会があったとしても、「仕事」と割り切った方がいいかも知れませんね。
辺に色々考えないほうがいいですよ。
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この回答へのお礼

 ご回答いただきありがとうございます。なるほど。そういった意見も大切ですよね。

 「障害」を「障がい」と表記するのは、たしか福島県だったでしょうか?
 つまり、障害者と付き合うときの「心」が大切だということですね。

 柳沢厚生労働大臣の発言問題などを参考に、「人間としての尊厳」について考えていきたいと思います。

 「仕事と割り切っ」て小学校教師という職務を続けるのはとても悲しいことではありますが、多かれ少なかれ仕事を仕事と割り切るのは誰もが経験すること(しなければならないこと)ですものね。

 変に考えすぎないよう、しかしじっくりと向き合っていかなければならないことですね。がんばります。ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/12 11:37

「健常者」「障害者」というのは身体の機能の差を区別する便宜上の言葉で、差別するための言葉とは思いません。


区別、差異と言う概念があるからこそ、人はお互いを尊重し、お互いに補い合い、助け合うことができるのではないですか。
健常者というだけで傷つく子供がいるなら、それは言葉が悪いのではなくて、些細なことで傷つくような情操教育に問題があるのです。
私も難病や障害者の施設で仕事をしたことがありますが、確かに些細な言葉遣いに反応してクレームをつけてくる人はいました。
でもハンデを克服して社会で生きていき易くなることが目的なら、ハンデはハンデとしてありのまま受け入れ、必要に応じて健常者にサポートを求めることが大切なのだということを理解して貰うようにしました。
差異を認め合うからこそ対等な人間関係が築けるのです。
「傷つくから」と言う人は最初から障害を「差別されるもの」と思い過ぎです。
傷つかないように守って貰えることが当然の権利だと思ったままでは、その子供が生きずらくなるだけです。

質問者さまも、実際問題各方面からいろんなことを言われるてたいへんでしょうが、あなた自身に差別意識がないなら、多少の言葉使いが大きな問題となることはありませんよ
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この回答へのお礼

 回答をありがとうございます。

 人と関わるときには
・自己一致
・無条件の肯定的関心
・共感的理解
の姿勢を忘れてはならないと、カール・ロジャーズ(1902-1987)という人が唱えたそうですね。こういった「カウンセリングマインド」の概念についてしっかりと勉強しなければならないと思いました。

>「傷つくから」と言う人は最初から障害を「差別されるもの」と思い過ぎです。
 その通りだと思いました。、人それぞれに生き方や生まれてきて育っていくときの環境、人生を生き抜く前提となる条件や考え方が違うために、「些細な言葉遣いに反応して」しまう人がいるということですね。

 そして、自分に出来ないこと、人に助けを求めなければならない場面に出くわしたとき、自分自身のハンデを理解して認めているからこそ、適切に助けを求めることも可能になるのだ、ということですね。このことは、「私も視覚障害に近い人間だ」と先にfallen angelさんに申し上げたお礼の中での考え方と(若干受け止め方に違いはあるものの)密接に繋がっているといえそうですね。

 さらにいえば、二日間という短い期間の中で自分がどのように教育者を目指しているのかという姿勢をしっかりと理解してもらうことなくあのような発言をしていたのでは、注意してくれた人だけでなく、周囲の人にも不愉快な思いをさせてしまう可能性がありますよね。つまり、信頼関係を充分に築くことなく「暴言」を吐いた、ということにでもなるのでしょうか。
 いずれにせよ、言葉には気をつけないとトラブルの元になりかねないのはdorenさんの経験からも事実のようですね。注意したいと思います。

 ブッダ(仏陀)は「自分を苦しめず、また他人を害しない言葉のみを語りなさい」と説いたそうですね。これを自戒の言葉として覚えておきたいと思います。

お礼日時:2007/02/09 12:35

その学校では、一人一人「障害者」ではなく


>ただ一人の「人間」として教育したかったのではありませんか?(見て欲しかった?)

養護学校と言っても障害の重さは人それぞれ
軽い方だと質問者様の発した意味を判っている方もいます
その意味では
質問者様の発言は「TPO」に関しては、疎かだったかもしれません

>「ビビッて」いたら、(私の目指している)小学校教師なんて勤まらないんじゃないかなあ<
公立か私立を希望してるかはわかりませんか
>当事者の保護者に当たり軽率な発言ををすると後々問題になるよ
と言うも、あるのではありませんか?
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。m(_ _)m

>「TPO」に関しては、疎かだった
 その通りだと思いました。やはりそういった配慮なくして「教育」は語れない、「教師」を目指すこともできないのだということですね。

 ちなみに指摘をしてくれた人は、そこの養護学校の先生ではなく、私と同じ大学で一緒に学ぶ、私と同じく学校教師を目指している人なんです。言葉足らずですみませんでした。
 また、同僚からの指摘だったこともあって素直に耳を傾けることが出来なかったのかもしれないと反省しました。いずれにしろ、私の「軽率な発言」が「後々問題になる」までにOk waveで皆様から意見を聞くことが出来、また自分自身に軌道修正することができたことをうれしく思います。

お礼日時:2007/02/08 12:01

 個人の思いとしては障害者と区別する言葉として健常者という言葉に問題は無いと思います。


 しかし健常者の定義が曖昧の為に、差別用語と捉えられてしまうのだと思います。故に障害者の立場からは、差別用語に受け取れるのでしょう。
 もしも健常者の類の言葉を使えず障害者と区別できなければ、障害者への配慮(福祉サービス等)の判断ができなくなると思います。この事は障害者の方々にとってもマイナスですよね?
 実際障害者の方々全てが健常者という言葉に対して特別な差別感を持っているとは思いません。

 以前、近視も視覚障害に近いと、障害者の方に言われて経験があります。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。

 心理学的な視点はもちろん、社会学的、言語学的な視点からもアドバイスをいただいたような気がします。

 確かに一般的にいわれている「身体障害者」つまり体に不自由のある人でなくとも、体の弱い人や満足に外を走り回れない人もいますよね。私もメガネを手放せないくらいに視力が弱いので、そういう意味で「視覚障害に近い」人間だといえます。
 さまざまな立場にいる人に対してより良い関わり方の出来る教師になれるよう、これからも精進していきたいと思いました。

お礼日時:2007/02/08 11:59

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