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ですか?
また、生まれたのは西暦元年の何月何日何曜日ですか?

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A 回答 (3件)

初期キリスト教の上層にいた人が残した記録によると、70歳近くまで生きたイエスを見た(会った?)と残っていますが、没がいつなのかの記録は教会史にも残っていません。



13日の金曜日が不吉とされたのは、複数説がありますがNo.1さんの言う説が一番強いようです。

金をテンプル騎士団から借りて栄華を誇っていた皇帝は、その借金を踏み倒すために、テンプル騎士団に冤罪をきせ、それに教皇が同意して、いきなり逮捕して拷問をして、無理やり嘘の供述をさせようとした。
その日が1307年10月13日の金曜日だった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%B3% …


生まれたのはユリウス暦3月1日。(ルカ1:56)
イエスが規則通り生まれる月だったのが9月(15日)。
ヨセフがフライングして、抑えきれずセックスをしてしまったので、規則より半年も早く生まれてしまい、正当ではないので後継者にするかしないかでおおモメした という説もあります。
ちなみに9月は一年で一番聖なる日とされていた。
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キリストの死んだ日ははっきりしておらず


AD29年~AD36年頃とされています。
特にAD30年4月7日、AD33年4月3日が様々な資料から有力だと
されています。

ちなみに聖書の記述では
『アルタシャスタ王の第二十年、ニサンの月』です

またキリストが13日の金曜日に死んだとされているのは、
広く知られていますが俗説で正しくありません。
キリスト教では金曜日を受難の日としているので金曜日に
処刑されたのは確かなようですが日付は指定していません。
なぜ、その日が不吉な日とされているかには諸説あるのですが
フィリップ4世がフランス全土においてテンプル騎士団のメンバーを
一斉に逮捕し弾圧したのが1307年10月13日の金曜日だったからという
のが有力とされています。

誕生日はBC8年~BC2年頃とされておりこれも確定していません。
ちなみに12月25日はローマのアウレリアヌス帝が指定した太陽神
の誕生日でキリストのものではありません。
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Qイエス・キリストの死亡日はいつですか?

イエス・キリストの亡くなった日は何年の何月何日でしょうか?
処刑された日のことです。
13日の金曜日であったのは作り話だという話を聞きましたが。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

聖書『ネヘミヤ記』第二章1節に「アルタシャスタ王の第二十年、ニサンの月」と書かれておりますがはっきりはせず、処刑されたのは、西暦30年4月7日金曜日と推定されています。

Q西暦はイエス・キリストの生まれた年を0年(基準)としていると聞くのですが、実際は

西暦はイエス・キリストの生まれた年を0年(基準)としていると聞くのですが、実際は
紀元前4年頃 に生まれたそうです。 なぜ違っているのでしょうか?

Aベストアンサー

暦の最初ほど現代に意味のないものはないんですよ。

まず現在のグレゴリオ暦は1582年に制定され、それ以前のユリウス歴はシーザーが紀元前45年に制定しました。この間にキリストが生まれた訳で、暦が先にあるのです。

そしてユリウス歴が間違ってずれるからグレゴリオ暦に改良されたので、ずれます。
wikiによると
>1900年3月1日から2100年2月28日までのユリウス暦とグレゴリオ暦のずれは13日となる。
だそうで、大幅にずれます。

西暦紀元を0年から始めずに1年からはじめてしまった。
前年は紀元前1年ですから、1年空白ができます。

さらに年齢は、満年齢と数え年があって、0歳と1歳からはじまる。

西暦をカウントしはじめたのが6世紀。当時のローマ歴を遡って聖書に忠実にカウントして歴史考証をしなかったのです。
で、1000年もたったグレゴリオ暦の計算を始めた頃に、本当は紀元前4年から7年頃じゃね?と気づいたんですが、教会の記録を新たに全部書き直すのは無理なので、キリストの生まれた年よりも残っている記録のほうが大事なのでそのままになりました。

暦の最初ほど現代に意味のないものはないんですよ。

まず現在のグレゴリオ暦は1582年に制定され、それ以前のユリウス歴はシーザーが紀元前45年に制定しました。この間にキリストが生まれた訳で、暦が先にあるのです。

そしてユリウス歴が間違ってずれるからグレゴリオ暦に改良されたので、ずれます。
wikiによると
>1900年3月1日から2100年2月28日までのユリウス暦とグレゴリオ暦のずれは13日となる。
だそうで、大幅にずれます。

西暦紀元を0年から始めずに1年からはじめてしまった。
前年は紀元前...続きを読む

Qイエスキリストはどうして処刑されたのですか?

イエスがなにか変なことをしたがために処刑されたのでしょうか?

Aベストアンサー

一応、主流となっている説です。

まず、イエスはユダヤ教徒であったことを理解してください。
また、ユダヤ人はローマの支配下にあった事も頭に入れておいてください。

当時のユダヤ教は主に2つの派に別れていました。
議会派(サドカイ派)と民衆派(ファリサイ派)です。
議会派の人々は、その権力の基盤がローマに服従することによっていたので、ローマ人の顔色ばかりうかがっていました。(この意味ではユダヤの王ヘロデも同じ)
そんな彼らを、批判していたのは民衆派ですが、彼らは彼らで「戒律主義」に走っていました。

そんな中に現れたのは、洗礼者ヨハネ(十二使徒のヨハネとは別人)とその教団でした。
彼らは、そんな議会派や民衆派の事を激しく批判していました。
そこに現れたのがイエスでした。
彼は、洗礼者ヨハネの主流2派の批判には納得していました。
しかし、完全には洗礼者ヨハネの言うことに納得は出来ませんでした。
そして、修行をするウチに「救世主(キリスト)」として目覚めていきました。(ただし、イエスは自分では「私は救世主だ」とは言ってません)
そして、ユダヤの各地を遊歴して弟子を得ていきました。

やがて、イエスの主導する勢力はだんだんと大きくなり、その影響力は洗礼者ヨハネをも超えていきました。
また、洗礼者ヨハネはヘロデ王も批判していたので彼に捕まり処刑されてしまいました。

ここに来て、主流2派にとってはイエス派の勢力を無視出来なくなってきました。
特に、議会派の人々はイエス派の人々が反乱を企てローマが怒るのを恐れました。
また、付き従っていた人々の中にもイエスが「救い=ローマからのユダヤの解放」をしてくれないので不満が募ってきました。
そこで、紆余曲折を経てイエスをとらえました。
しかし、イエスを裁判で罪にしても死刑にする権限はユダヤの議会にはありませんでした。
そこで、ピラトの元に行き
「イエスはユダヤの王を名乗り、ローマへの反乱を企てた。死刑にすべきだ」
と言いました。
ピラトはイエスの事を調べましたが、嫌疑不十分であるとして「ユダヤの事はユダヤで決めよ」と言い、ヘロデ王に任せました。(ヘロデ王は、イエスの故郷ガリラヤの支配者でした。)
ヘロデ王もイエスを取り調べましたが、やはり「罪」は無いと言い、ピラトに送り返しました。

ピラトは、「罪が無い」と言っているにもかかわらず、ユダヤの人々は「死刑にせよ」と要求します。
このままでは反乱になると恐れたピラトは、人々に取引をもちかけました。
当時とらえられていた「殺人犯」と「イエス」どちらかを「死刑」とし、どちらかを解放しようと。
「どちらを解放するか?」
とのピラトの問いに、人々は「イエスを十字架に」と叫びました。
この結果、「殺人犯」は解放され、イエスは十字架に架けられることになりました。

と、以上が大まかなイエス処刑の経緯です。
つまり、議会派の人々はローマを恐れる余り、民衆はイエスが「神の国」と言ってるわりには「ユダヤをローマから解放」してくれない事への不満のため、イエスは十字架に架けられることになったのです。
しかし、イエスは一言も「ユダヤをローマから解放する」とも「私は救世主です」とも言っていません。(救世主については、弟子には言わせてましたが、、、。)
そして、イエスのいう「神の国」はあの世の事だったのですが、民衆は理解しませんでした。
結論としては、議会派の人々による「冤罪(ローマに反乱を企て、ユダヤの王を僭称した罪)」に、民衆がイエスを「誤解」していたために議会派の人々の提案(扇動)にのった結果、イエスは十字架上で死んだのです。

余談2・イエスが言った一番良い言葉なのに、キリスト教ではあまり実戦されてない言葉に「皇帝のモノは皇帝に、神のモノは神に」があります。
このことからも、イエスはローマへの反乱の意志はなかったと推測できます。

一応、主流となっている説です。

まず、イエスはユダヤ教徒であったことを理解してください。
また、ユダヤ人はローマの支配下にあった事も頭に入れておいてください。

当時のユダヤ教は主に2つの派に別れていました。
議会派(サドカイ派)と民衆派(ファリサイ派)です。
議会派の人々は、その権力の基盤がローマに服従することによっていたので、ローマ人の顔色ばかりうかがっていました。(この意味ではユダヤの王ヘロデも同じ)
そんな彼らを、批判していたのは民衆派ですが、彼らは彼らで「戒律...続きを読む

Q紀元前と紀元後をなぜ分けるの?

タイトル通りの疑問なのです。当たり前すぎなことなのかもしれませんが、教えてくださいお願いします。どういういきさつで分ける必要になったのでしょうか?
またいつから分ける様になったのですか?

Aベストアンサー

つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれた年を紀元とすることにしました。
これが、現在我々が使っている西暦の始まりです。
何故西暦0年が存在しないかと言うと、西暦が作られた6世紀半ばのヨーロッパは、まだ数学が発達していなかったためか、「0」の概念が無かったのです。
そのため、「西暦0年」ではなく、「西暦1年」から始まったのです。これは平成0年がないのと同じですね。
だから、紀元1年より前の年をあらわすには、0がないので当然ながらマイナスを使えず、「紀元前」とするしかないわけです。
この西暦は、まず教会で用いられ、それがヨーロッパの一般人に定着するのはそれから数世紀経ってからで、 実際に世界的に使われるようになったのは、18世紀になってからです。
日本に至っては、明治以降、つまり19世紀に入ってから、やっと使い始めました。

つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれ...続きを読む

Qイエスの誕生日はいつ??&十字架

イエスの誕生日はいつなんでしょう??
西暦元年に生まれているって本当ですか??
ヘロデ王が死んだのが西暦前4年になってますからおかしいと思うのですが。(2才以下の男子を殺したはず。そして逃げた)
あと、12月25日って本当ですか??
イエスが生まれたとき、野宿していた羊飼いたちが、やってきて伏して拝んだって確かあったような気がしたんですが・・・。
野宿したら死にませんか??あと馬小屋寒くて死にませんか??

あとイエスが架けられた木が十字架って断言できるのですか??
勝手な意見ですけど、両手首と足首を釘でうちつけられるとしたら、十字架では物理的に体を支えられないとおもうのですが・・・。

あまり詳しくないので詳しいかたお願いします。

Aベストアンサー

まず生まれた場所ですが、ユダヤ教の預言で「救世主はベツレヘムで産まれる」と決まっていました。つまり、ベツレヘムで生まれてくれないとそれは「公式の救世主」とはいえないのです。そういう決まりですから。キリスト教はその名の通りイエスをキリスト(救世主)としていますから、キリスト教がキリスト教である限りイエスはベツレヘム生まれということになります。
そもそも新約聖書のいわゆる四大福音書はイエスの死後30年から90年くらい経ってから成立しています。新約聖書としてまとまったのは3世紀くらいになってからで、教義が固まるまでに何百年もかかっているんですね。
史実に基づいたイエスの生涯は、ナザレに生まれて大工をやっていましたが30歳過ぎて突然出家し、教えを説いて大ブームを呼びましたが世間のバッシングにあって無実の罪で処刑された、というものです。
しかし、教義としては母マリアは処女で妊娠し、ベツレヘムで出産して東方の三賢人(これがいったい何を意味するものなのかが不明なんだそうです)がへへーっと拝んで、一度エジプトに逃れてイスラエルに戻って、出家して伝道して誤解されて処刑されて復活した、というのが「キリストしてのイエス様の生涯」です。

12月25日については、元々は冬至のお祭りだったものがイエスの誕生日として転化したもののようです。世界中どこでも冬至のお祭りはだいたい盛大にやります。というのも、冬至を境に日照時間は長くなります。これが太陽の復活を意味するものなので、どこでも盛大に祝うのです。
欧米では、イエスの本当の誕生日は3月だという説も盛んなんだそうです。ただ、それは何か史実的根拠に基づくものではなく、占星術での3月生まれであるうお座が献身的とか他者への共感というふうにいかにもキリスト様向きの性格と判断されているので、そういう意味のようです。

また、十字架にかけた際ですが、よく絵画などでは手の平に釘を打たれているのが多いのですが、実際の処刑では手首に釘を打ったそうです。肘から手にかけての腕の骨はトウ骨と尺骨というふたつの骨で構成されています。このふたつの骨の間に釘を打ち込めば骨にひっかかって体を支えることができます。なお、最近の研究ではどうやら十字架にはお尻を乗せる台のようなものがついていたようです。実はこれをされると体が無理な位置にねじられるのでかえって受刑者は苦しむのだそうです。映画「最後の誘惑」ではそれに基づいて再現されていますが、キリスト役の俳優はあまりの苦しさ(もちろん、釘は打たれていません)に数十秒十字架にいるだけで息をするのも辛くなったそうです。

ついでに、本当に十字架にかけられたのかどうかは実のところはっきりとはしていません。ユダヤ教の記録によると、ちょうど紀元1世紀あたりで「自称救世主を名乗った男が大衆を惑わせたので絞首刑にされた」と残っているそうです。ただし、これがイエスのことかどうかは不明です。

まず生まれた場所ですが、ユダヤ教の預言で「救世主はベツレヘムで産まれる」と決まっていました。つまり、ベツレヘムで生まれてくれないとそれは「公式の救世主」とはいえないのです。そういう決まりですから。キリスト教はその名の通りイエスをキリスト(救世主)としていますから、キリスト教がキリスト教である限りイエスはベツレヘム生まれということになります。
そもそも新約聖書のいわゆる四大福音書はイエスの死後30年から90年くらい経ってから成立しています。新約聖書としてまとまったのは3世紀くらい...続きを読む

Qイエスの生涯について・・・

『イエスの生涯』についてレポート用紙1枚にまとめるように言われたのですが、はっきり言って1枚にうまくまとまりません。入れなければならない重要な事柄ってなんですか?

Aベストアンサー

 
レポート1枚が、どれぐらいの長さか分かりませんが、次のような風に書けばよいでしょう。

1)誕生

イエスは、乙女マリアから生まれた。父は名義上ヨセフであるが、本当の父は「聖霊」である。天使ガブリエルが、マリアに処女受胎を告知して、イエスが、偉大な人になると告げた。

2)公生涯の始まり-洗礼と試練

イエスは成長し、悩みを持った。彼は、神への悔い改めを語っていた、洗礼者ヨハネの弟子となり、ヨハネから洗礼を授かった。その時、天からの声を聞き、イエスは自分が「神の子」であることを知った。

イエスにはなお迷いがあった。彼は荒野にでかけ、さまよいつつ考えた。悪魔が現れ、わたしを拝みなさい、あなたを地上の王にしてあげよう等誘惑したが、イエスはそれを退け、40日の荒野での試練で、自分の使命を自覚した。

3)宣教の開始

イエスは、「悔い改めよ、ときは訪れた」と述べて、神の審判の日が近いことを宣言すると共に、悔い改めるにはどうすればよいかを教えた。

イエスの教えに納得する人が現れ、イエスは、病人などを癒した。人々は奇跡の人とイエスを信じ、その噂は広まった。イエスには、また弟子ができた。

イエスは、奇跡を起こしつつ、弟子たち、信者たちに、様様な教えを、たとえばなしによって語った。イエスの信者たちは増えて行った。彼らは、イエスこそ、救世主(メシア)ではないかと信じた。

4)パリサイ派の妨害

イエスは、人間の平等を語り、律法は人のためにあるのだと教えた。イエスの信者は、社会の底辺の人々が多かった。

パリサイ派は、ユダヤ教の敬虔な信者でエリートであったが、イエスについて反感を抱いた。賤しい人と親しく交わるイエスはいかがわしいと彼らは考えた。また、律法を破るイエスの行為を非難し、イエスに難問を出したが、イエスは、それに対し素晴らしい回答をしたので、パリサイ派もかなわなかった。

5)イエスをメシアとする人々の期待

イエスは、人々からメシア(救世主)であるといよいよ信じられた。メシアは、ユダヤ人の王国を築き、かつてのユダヤ人の栄光を再現し、ローマからの政治的独立を実現する人だと人々が信じていた。

ローマからの独立運動を考える人たちが、イエスに接近し、信者となり、イエスに政治手的な救世主を期待した。

パリサイ派は、自分たちが侮辱されたと考えていた。イエスを打ち破らなければならないと彼らは考えた。

6)イエスのエルサレム入城・陰謀・最後の晩餐

イエスは、陰謀のあるのを承知で、エルサレムに入城する。人々は、熱狂し、メシアがユダヤの独立を実現するのだと信じ期待した。

パリサイ派はイエスを排除するため、ユダヤの支配階級であるサドカイ派と共謀し、イエスをわなにかける計画を立てた。彼らは、イエスの弟子ユダを銀で買収し、イエスを裏切らせることとした。

イエスは、陰謀を知っており、自分の運命を知り、弟子たちに、自分の死後の教えや布教を語り、最後の晩餐を弟子たちと共にする。イエスはその後、ゲッセマネの苑に行き、神に祈る。

7)イエスの逮捕と裁判

イエスが神への祈りを終えると共にユダが現れ、イエスは逮捕される。サドカイ派の大祭司はイエスを尋問するが、イエスは何も答えない。

イエスを死刑にしようと考えていた敵対者たちは、イエスをローマ総督ピラトの元に連れて行く、ピラトは、ローマに対する反逆者とは思えないと判断するが、サドカイ派の圧力に屈し、イエスに死刑判決をくだす。

8)イエスの死

人々は、イエスの弟子たちも、イエスに失望し、あるいは恐怖でイエスを裏切り、イエスから去り遠ざかる。イエスは十字架を自分で背負い、ゴルゴタの丘に至り、そこで、十字架にかけられる。

イエスは、「神よ、神よ、なぜわたしを見捨てられるのか?」と言い、そして死んだ。イエスの死後、奇跡が起こり、ローマの百人隊長は、「この人は、本当に神の子だった」と言った。

9)イエスの復活

イエスの遺体は、信者に引き渡され、洞窟に一時的に葬られた。しかし、三日後、信者の女たちが、見に行くと、イエスの遺体はなくなっていた。

その後、イエスは小数の弟子たちの前に姿を現し、わたしは亡霊ではない、生きたイエスであると述べた。弟子たちは信じ、イエスはその後、天へと昇って行った。

以上の9項目でしょう。長い場合は、短く書き、短い場合は、長く書けばよいでしょう。
 

 
レポート1枚が、どれぐらいの長さか分かりませんが、次のような風に書けばよいでしょう。

1)誕生

イエスは、乙女マリアから生まれた。父は名義上ヨセフであるが、本当の父は「聖霊」である。天使ガブリエルが、マリアに処女受胎を告知して、イエスが、偉大な人になると告げた。

2)公生涯の始まり-洗礼と試練

イエスは成長し、悩みを持った。彼は、神への悔い改めを語っていた、洗礼者ヨハネの弟子となり、ヨハネから洗礼を授かった。その時、天からの声を聞き、イエスは自分が「神の子」で...続きを読む

Qイギリス王室は何処から来たの?

 イギリスの王室は過去に絶えてしまい、オーストリアから迎えた人たちだという話を聞いたような気がするのですが、本当なのでしょうか?
 本当だとしたらどんないきさつで今の王室の人たちが選ばれたのでしょうか?また、イギリス国民は見んな知っているのでしょうか?

Aベストアンサー

 
  イギリスの王室は、過去何度も絶えています。この場合「家系が絶えた」というのは、王家の継承者が、正統な継承権を持つものとしていなくなったという意味です。
 
  歴史的に有名なエリザベス一世はテューダー王朝最後の女王で、テューダー家は確か、ヘンリー七世の時、前の王朝の断絶を受けて王位につき、テューダー王朝を創始したはずです。
 
  しかし、エリザベス一世処女女王は、後継嗣子がいなく、その兄弟姉妹も近親も正統な王位継承権を持つ者はいなくなったので、1603年、エリザベスの崩御と共に、スコットランド王国国王ジェームス六世を、イングランド王国国王として迎え、ここで、スコットランドのステュアート家の後継者である王を迎えたので、イングランドの王室は、テューダー王家からステュアート王家に変化するのです。ジェームス六世は、イングランド王位継承権を持つ、スコットランド女王メアリーの息子で、メアリーはイングランド王位を主張して、エリザベス一世に処刑されているので、メアリーの息子ジェイムス六世にイングランド王位継承権があり、彼がエリザベスの後を襲って、イングランド王になり、「イングランド王国国王ジェイムス一世兼スコットランド王国国王ジェイムス六世」となたのです。
 
  スコットランド王国とイングランド王国は、同じ人物を王とする別の王国で、1707年、アン女王の時、両王国は統一して、グレート・ブリテン王国になります。
 
  ステュアート王家は、名誉革命で、1688年ジェイムス二世が王位を追われ、フランスに亡命した後、ナッソー伯爵兼オレンイェ公爵オランダ総督ウィーレム三世が、その妻で、スチュアート王家出身のメアリーと共にイングランド兼スコットランド王位についたのですが、メアリーの方が王位継承第一位であったので、王家はステュアート家のままで、この二人の後を継いだアン女王が1714年に崩御すると、後継者がいないので、血縁を過去に遡って、ドイツのハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィッヒを、グレート・ブリテン国王に迎え、ゲオルク・ルートヴィッヒが、グレート・ブリテン王ジョージ一世となります。
 
  ジョージ一世は、同時にハノーファー侯ゲオルク・ルートヴィッヒでもあり、王家が、ここで「ステュアート家」から、「ハノーファー家」に変わります。
 
  グレート・ブリテン王国国王は、以降、ハノーファー選帝侯を兼ねていますが、1801年、グレート・ブリテン王国は、アイルランドを併合して、グレート・ブリテン及びアイルランド連合王国となり、当時のジョージ三世(ハノーファー侯ゲオルク三世)は、グレート・ブリテン及びアイルランド連合王国(以下「連合王国」)国王となります。また、ハノーファー選帝侯家は、公家になり、やがて王家になります。
 
  1837年に、連合王国王位を継いだ、ヴィクトリア女王は、1901年まで在位しますが、彼女の崩御の後、王位を継承したのは、ヴィクトリアと、そのクイーン・コンソートのザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルバートのあいだに生まれたエドワードで、1901年エドワード七世即位と共に、家名を、ハノーファー王家から、「サックス=コーバーグ=ゴータ家」に変えます。
 
  連合王国の王家は、1901年からは、サックス=コーバーグ=ゴータ王家です。しかし、1910年にエドワード七世から王位を継承したジョージ五世は、1914年、第一次世界大戦において、ドイツと戦争状態になった為、王家名を変え、サックス=コーバーグ=ゴータ王家から、ウィンザー王家に名称を変更します。
 
  それ以降、現在まで、ウィンザー王家の名で、連合王国王家は、現国王エリザベス二世で、英国を統治しています。
 
  イギリスの王家と言っても、11世紀のノルマン・コンクエストで、プランタジネット王家が英国王となったと言っても、この時のイギリスは、イングランドであって、まだ、ウェールズは独立国で、ウェールズ大公が君主であり、イングランド王国国王ウィリアム一世は、ノルマンジー公爵を兼ねていました。プランタジネット家のジョン失地王は、その名の通り、北フランスのノルマンジーの領土を失い、それ以降は、英国王とは、イングランド王のことでした。
 
  プランタジネット家以降は、何らかの意味で、王家と血縁を持っていた人物が、先の王家が断絶すると、新しいイギリス王家を創設した訳で、色々な王家が、イギリス王位につき、やがて、イングランド王国は、ウェールズを併合して、イングランド+ウェールズのイングランド王国となります。
 
  更に、スコットランド王国とも王国合併して(併合ではありません)、グレート・ブリテン王国になったことは以上に述べた通りです。そのグレート・ブリテン王国が、アイルランドを併合して、グレート・ブリテン及びアイルランド連合王国になったのも以上説明した通りです。この後、南アイルランドの26州が、1922年にアイルランド自由国(1949年にアイルランド共和国に改名)として独立して、北に残った6州が、連合王国に留まったので、イギリスの国名は、グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国となっています。
 
  >本当だとしたらどんないきさつで今の王室の人たちが選ばれたのでしょうか?また、イギリス国民は見んな知っているのでしょうか?
 
  上に説明したように、王家の正統後継者が絶えると、その王家の血縁の別の家が王位につき、新しい王家となって継承されて来たということです。イギリス国民は、少なくとも普通教育を受けた人は、自国の歴史ですから、みな、概ねのことは知っているはずです。細かいことは、日本人でも、日本の歴史をよく知らない人がいると同様に知らないかも知れませんが。別に秘密でも何でもないので、調べれば、すぐ分かります。
   
  >ハノーファー家
  >http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/people/hanover.html
  

参考URL:http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/people/hanover.html

 
  イギリスの王室は、過去何度も絶えています。この場合「家系が絶えた」というのは、王家の継承者が、正統な継承権を持つものとしていなくなったという意味です。
 
  歴史的に有名なエリザベス一世はテューダー王朝最後の女王で、テューダー家は確か、ヘンリー七世の時、前の王朝の断絶を受けて王位につき、テューダー王朝を創始したはずです。
 
  しかし、エリザベス一世処女女王は、後継嗣子がいなく、その兄弟姉妹も近親も正統な王位継承権を持つ者はいなくなったので、1603年、エリザ...続きを読む

Q12月13日はキリストの命日!?

親から12月13日はイエスキリストの命日と教えられたのですが、これって本当でしょうか?確か25日がクリスマスで、クリスマスはキリストの復活祭ということは覚えているのですが...。誰か教えてください。お願いします。

Aベストアンサー

ちょっと違うと思います。
12月ではなく、13日の金曜日にイエス・キリストが磔刑につけられたので、13日の金曜日は忌みの日とされ、キリスト教では13という数字も嫌います。


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