プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

 大人の人が、若者に対して「情けない」と言う心理は、ルサンチマンの心理でしかないか否か、が答えていただきたい質問です。
 最近の若者は情けない、と言われます。しかし、そんなに情けないことはいけないことでしょうか。頑張って生きてきた大人の人は、ゆるりと生きている今の若者に対して、ただ憧れているだけのような気がします。
 確かに、大人の人が努力してきたおかげで豊かになったし、それは大事なことだと思います。ただ、それだけではないのではないのでしょうか。お金持ちでなくても幸せは感じられるし、最低限のことをしていれば世界は終わったりしない。豊かになって救われる命もあるかもしれないけれど、今の大人を見ているとそのような他人の為に努力しているとは思えないんです。
 僕が考える、大人の人が若者に対して「情けない」と言う心理は以下。昔は嫌なことでも努力させられました。一方、努力すると褒められました。そんな状況が昔にあって大人の人は努力してきました。そんな他人の評価にこだわり続けたり、嫌なことをしてきた自分を納得させるために、自分の好きなように生きている若者をけなして安心する。ただそれだけのこと。努力することそのものの価値、伝えたい価値があるのなら「情けない」と言うことによってではなく、その伝えたい価値を語りだせばいい。それをしないのは、若者を否定して自分を肯定して安心したいだけなのではないか。

大人の人が若者に対して「情けない」という心理はルサンチマンでしかない、という考えに対しての意見を述べていただきたいと思います。
(僕は若者です)

A 回答 (24件中1~10件)

 難しいことは判りませんが、簡単に言って私(45)も若い時に大人にそう言われて育って今が有ります。

心理と言うより居われたことに見返して今があるので、皆そう言われて乗り越えてきたんだぞ的な感じでしょうか。

 的外れかな・・・。

この回答への補足

乗り越えてきた自分を誇らしい思うのは、「努力」に充実した感覚があったということでしょうね。それを僕は疑いません。

補足日時:2007/02/11 22:56
    • good
    • 0

否、ですね。

【でしかない】とは思いません。
要員の一つではあるかも知れませんが、それだけじゃないでしょう。
向上心がなく現状維持で満足というのは情けないと思いますよ。
情けない人間として生きるもその人の自由だから批判はしませんが、情けないか否かと言われればやはり情けないと思うし。

逆に質問の理論だと、何もしないことへのいい訳にしか聞こえてきません。

この回答への補足

そうです。何もしないことへの言い訳なんです。向上心がなくてもいいじゃん、現状維持でいいじゃん、っていうことを言っていてもいいんじゃないかということを僕は言っています。
それでゆるりと生きることが何故「情けない」と言って否定されなければいけないのか。
若者もある程度は働かないといけないのは知っています。でも、何故そのゆるりと生きることを否定されなければいけないのか。誰にも迷惑をかけていないし、それだけでは足りないのだと言える論理を、屁理屈ではない論理を僕は聞きたいと思っています。

補足日時:2007/02/11 22:25
    • good
    • 0

「情けない」と言う言葉が


大人から若者に発せられるシチュエーションの多くは
質問者さんの言うところの
「伝えたい価値」を伝えようと
色々試みた挙句に理解してもらえず、
最後に「情けない」って感情が残った場合ではないでしょうか?

「情けない」と言う言葉が発せられるシチュエーションで
最も多いのは親から子に対してではないかと思います。
(私が今まで経験した中で、ですが・・・)
「情けない」と言う感情(言葉)は
自分の期待に沿う形にならない場合に
最も多く使用されるのではと私は考えています。
ですから、「ルサンチマンでしかない」と言われると
そういう感情で発せられる場合もあるだろけど、
むしろ少数では?と思いますね。

例えば、大人が
「日本は資源がない国だ、人が唯一の資源である。
だから教育に力も入れなきゃいけないし、
若者にもっと頑張って欲しい」
てな事を言って若者に頑張ってもらおうと説教をしたところ
「自分たちが努力させられたからって
 俺たちにもその価値観を押し付けられてもなー。
 ゆるりと生きている俺たちが本当はうらやましいだけなんだろう」
と返されたら、後に残る大人側の感情はやはり
「情けない」
となるのでは・・・てことです。

この回答への補足

例で挙げられている若者はひどいと思います。こいつは、たぶんめんどくさいから大人に取り合っていないんでしょう。何も考えていない。
でも、事実として「別に努力しなくてもいい」ということが言えるのならば間違っているわけでもないとも言えます。若者もある程度は働かないといけないことは知っています。
ここで「情けない」と言ってしまう大人は、努力をしなければいけないことを論証できない自分を棚上げにしているような気がします。

補足日時:2007/02/11 22:07
    • good
    • 0

まずはじめに私は本格的に哲学を学んだことが無いので哲学的用語を


理解していません、ですがネットで検索できる程度のことを
10分ほど探して見ました。

その結果ルサンチマンであるか否かと言われるとルサンチマンではないと
いう見解です、理由としてはルサンチマンという用語自身が奴隷的な
従属を強いられている弱者が強者(支配者)に対する羨望・怨念・憎しみ
であるとありました。

その前提で言いますとまず第一に質問者さんの言われる「大人」は
「若者」に対して「従属的」な関係であるという前提が必須になります。
ですが現在の日本の中で世代間による支配・従属的要素は
見受けられないと考えます。

明治時代などの夫婦のあり方や資産家と労働者の関係、また年長者から
年少者への関係は従属を強いる風潮があったではないかと推察しますが
現在には「支配的」というほどの関係はほぼなくなっているのでは
ないでしょうか。

そもそも奴隷心理や労働闘争の関係に対して使われてきた言葉だと
理解しておりますので今の日本にそこまでのものがあるようには
思えません。

ましてやこの前提条件は年少者が年長者に対して支配的な地位を持って
いると言う前提が必要になります、私の考えでは現在日本には支配的な
世代間の関係は薄れているしましてや年少者が年長者を支配するという
関係は無いと考えています。
ゆえにそれが前提になる羨望や憎しみは無いと考えております。

>ゆるりと生きている今の若者に対して、
>ただ憧れているだけのような気がします。
これに関してはある意味の羨望と妬みがあるかもしれません
自分たちよりも楽をして生きている者たちへ、自分たちが持ち得なかった
スタートラインが優遇されていることへの羨望は否定しません。

この言葉はもっと単純に「いまどきの若い者は」という言葉と同義だと
思います。この言葉自身は1000年以上前の文献に出てくるぐらい
使い古された言葉です、多分質問者さんが50年ほどすれば逆の立場で
言っているでしょうね。

しかしそれとルサンチマンは全く異なるものと理解します。
なぜなら何らかの層が別の層を支配的な関係性で結びつくという
群衆的な関係が必要になると理解しています。
質問者さんの言われるルサンチマンとは
そもそも何を指しているのでしょうか?

この回答への補足

僕はそれ程哲学は知らなくて歴史的な背景とか本当の定義を知らずにこの言葉をつかったので、このつかい方で間違っていたら、すいません、というより、恥ずかしいです。
この言葉をつかわずに質問を書き換えると「大人が若者に「情けない」というとき、若者に憧れているけどそういう価値観を持つことができない自分を納得させているだけではないか。」ということです。僕には他の理由が思いつかないので、それを聞きたいと思って質問しました。

補足日時:2007/02/11 22:05
    • good
    • 0

 質問の背後には、「大人は若い時努力を強いられたが今の若者は好きに生きている」という考えがあるようですが、それがまず間違っていると思います。

今の大人も若い時には、当時の大人に白い目で見られていました。学園運動に身を投じたり、フォークソングやロックに耽ったり。
 勿論、今の大人は社会に出てから頑張ったが、若者は就職もせずフリーターになって社会の足を引っ張っている、と考える人もいるでしょう。しかし、時代が違います。昔は高度成長による人手不足で就職もしやすかったが、今のフリーターの多くは就職氷河期に就職できず、今も新卒でないため職が見つからない人達です。こうした人達を「情けない」と見下すのは、単に時代が見えていないだけです。

 今の若者を羨むのではなくて、昔の自分を棚に上げているだけです。

この回答への補足

昔の自分を棚上げにして、大人は何をしたいのですか?

補足日時:2007/02/11 22:53
    • good
    • 0

>向上心がなくてもいいじゃん、現状維持でいいじゃん、って



これは矛盾します。
現状を維持するには、年を取るごとに、よりレベルアップする努力が必要です。
努力、克己禁欲によって自己を相対化させる中でないと、主体性を形成させることができません。
    • good
    • 0

いやいや、お若い。

30半ばの自分から見ても、うらやましい限りです。

価値観、というものはそれ自体は証明不可能なものですから、個々人がその人生における実体験から確立してゆくものであって、個々人の実体験の違いだけ、価値観も多様なものであるわけです。
ですが、それだけに、個々人が体験していないがゆえに気づかないこと、というのも多数あるのです。その意味において、酸いも辛いもかみ分けた年配者のほうが、「価値観」というものにおいてはそれがそれだけ多くの「実体験」に基づくものですから、そのぶんの確かさはあります。

年配者が若者に対して批判的に見たり、その価値観を否定することがままあるように、若者もまた、年配者を批判したりその価値観を否定したりするものです。
あなたのいうところの、「現状維持でいいじゃん」「別に努力しなくったっていいじゃん」「誰にも迷惑をかけていないし」というのは、現代に限らず、若い世代が抱きがちな価値観です。今、若い世代を「情けない」と言っている人たちにせよ、若いころはそんなことを言っていた人も少なくないでしょう。

とかく若い人は、自分ひとりで生きていると錯覚しがちです。若いうちは「努力しなくても生きてゆける」のは、その人以外の誰かが、その人の分も努力しているからであり、そういうことにとかく若い人は気づかないということです。一言でいうなら、「まだまだ青い」のです。
でも、人はいつまでもそんな甘い幻想には浸っていられません。若い人もいつか、己の無力を思い知り、人の恩を知り、人と人とが支えあい生きている今の世の中に気づいてゆきます。大人がいくらそういうことを言ったところで「奇麗事」とか「勝手な価値観」とか、「若さへの羨望ゆえ」とかいって切り捨てていたそういうことに気が付いたとき、人はある意味「大人」になってゆくわけです。
もっとも、自分たちがそうであったということは、本人たちも忘れてゆきます。ですから、年配の人たちも自分たちがそんなだったときを忘れて、若い人たちが自分勝手に生きてゆく様を見て、「情けない」と思うわけです。もしくは、重々承知していても、あえて若者を発奮させたくていっていたりもします。

私も、今の若い人たちにはできるだけ早く、そこに気づいて欲しいと思います。ですが、いくらその反例を挙げたところで、成功、失敗の双方において実体験がまだまだ希薄な若い人には、なかなか理解できないことです。「努力をしなければいけないことを論証できない」のはあたりまえで、これは論証されることではなく、悟ることです。時間だけが解決してくれますが、たしかに、昔の人に比べて、最近の若い人たちはそれに気づくのが遅くなったのではないかとは思います。その理由はいろいろあるでしょうが。

まとめると、年配者が若者を「情けない」と思うのは世の常だし、またそれを「若者を否定して自分を肯定して安心したいだけ」とか「ルサンチマン」というような言葉で切り捨てようとするのもまた、世の常です。もっとも、年配に反発するのも若者の特権なれば、それもまた善哉。世の中はそうやって、良くなってゆくのでしょうから。

情けないといわれて腹が立つなら、「なにを、お前らにこんなことはできねぇだろう」というようなことをして見せるのもまた良し。そこをこらえて年配の言うことにしたがってみるのもまた良し。ですが、せっかくの若さを、年配へのそういう愚痴で浪費するのであれば、それこそもったいないことです。(それこそ、年配への若者の怨念、ルサンチマンといえるかも知れません)

あなたの若さを、大事にしてください。まぁ、老婆心というやつですが。

この回答への補足

僕も自分のことを若いなあと思います。僕は、何も、知らない。

でも、大人の人が言いたいことは何となくは分かります。いろんなことを経験してきて、大切にしたい思い、充実した感覚を伝えたいのだろうというのも分かるし、僕はそれを伝えたいと思ってくれるのはありがたいとも思います。
でも、その伝え方として、それそのものを言う言い方でなくて、何故「情けない」という言い方、若者を否定する言い方でもって言わなければいけないのか、ということを知りたいんです。努力することが素晴らしいことを言いたいのなら、「努力は素晴らしい。実際努力してきてよかった。だから若者は努力するべきだ。努力を知らない若者は可哀想だ。」などと言えばいい。それを「情けない、若者はダメだ」と言って若者を切り捨ててしまう言い方をするのは何故か。その差は何なのか。
 努力のほうに若者を向けたくて言っているのかもしれません。でも、少なくとも僕はその言い方に健全ではないものを感じ取ってしまいます。それは怨恨ではないか、というのが質問の意図です。
僕は中学校のとき結構強い強豪の厳しい部活に入っていました。その中で努力はやっぱり素晴らしいものなのだと思いました。大人の人から言わせれば足りないかもしれませんが、本当に何かを一生懸命やると気持ちが良かった。でも今の僕の母校のその部活はそれなりにやってる普通の部活になってしまっています。でもそんな後輩達に「お前らは情けない」なんて言いたくない。何だか可哀想な気がしています。何かを一生懸命るという、気持ちいいものを知らないから。
僕の言う努力が足りないもので、大人はもっと崇高な境地にいるのかもしれません。でも少なくとも、今の僕は、子供、母校の後輩に「情けない」なんて言いたくない。そのものの意味を伝えたい。

補足日時:2007/02/13 11:49
    • good
    • 0

No4です、ご回答ありがとうございます、私も少し大人気ない


質問をしました事お詫び申し上げます。

さて改めてご質問の
>大人が若者に「情けない」というとき、若者に憧れているけどそういう
>価値観を持つことができない自分を納得させているだけではないか。
と言う事への回答ですが、その側面を否定はしません。
前述の回答でも申し上げましたがやはりスタートラインが
優遇されている者へは年代関係無しに羨望はありませんか?
はじめて投資をする人が2人いて初めから潤沢な資金を譲り受けた人を
自己資金ゼロから始める人がうらやむのは自然ではないでしょうか?

ですがあくまで一側面であって「情けない」と思えてしまう部分も
否定できないと思います、それはNo6さんも言われている
現状維持には膨大なエネルギーが必要であると言う事実です。

同じ体験をしなくてもいいが過去を知ると言う必要はあります
出なければ現在の経済や科学技術がブラックボックス化してしまいます。

私もきちんとした資料を持っていないので確たることは言えないのですが
かつて技術立国と言われた日本ですが理工系へ進む若手の方が減ってきて
金融系やサービス業へ進む方が増えているように見受けます。

事実、製造業は労力の割りに収入が伸び悩む業種ですしマスコミや
広告代理店・金融系やコンサルタントは労力以上に収入の伸びが
大きい業種と考えております。

ゆえにそういう方向性に流れるのはやむを得ないとも思えますが
肝心要の実体経済の底を支えている数um単位の分かる旋盤工や
0.1umの汚れが許されない半導体装置の溶接をする職人が
いわゆる2007年問題、団塊世代の大量退職でいなくなり後継者不足が
大きな問題と化している事は事実憂慮すべき事実です。

新しい世代の人たちは前世代の人たちが培ってきたものを維持するために
全く別のものを同じレベルまたそれ以上のものを再度ゼロから
作り上げないと維持できないのです。

例えばトヨタは自社内の基幹システムの全体が分かる人間が誰一人
いないと言う事実を解消するために全てのシステムを捨てて
全社のシステムを全て捨てて300億の資金を投資して再構築したと
言う話も聞きます。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/OPINION/2006 …

「維持する」と言う事の重みを知れば安穏としていられないと感じます。
>最低限のことをしていれば世界は終わったりしない。
その最低限の事のレベルがあまりにも低いレベルだから情けないと
なるのではないでしょうか、自分たちが前世代の遺産でまた
前世代が現役でいるからこそ維持できているのであって自分たちで
維持しているわけでないと言う事実を理解していない事への焦燥と
やるせなさが「情けない」という言葉に表れているのだと理解します。

参考URL:http://itpro.nikkeibp.co.jp/a/biz/2007nen/07nen0 …

この回答への補足

僕が言葉を間違えました。
現状維持でいいじゃん、というのでもないんです。別に現状維持もしなくていい。堕ちるとこまで堕ちればいいとも思っています。日本は少なくとも今のように世界でトップクラスでいなくてもいい。
世界でトップクラスでいようとすることで何が起こってきたか。豊かになりはしたが、このすさんだ日本は何なのか。意味の無い物でも沢山売りさえすれば日本がトップクラスでいられた。豊かさを否定したりは僕はしません。でも豊かさを、豊かさしか見ないで努力するいるのはおかしい。
豊かさが達成されたとしても言われているほどの充実感はない。それは豊かさをを追求して、努力しなくなった子供達に「情けない」と言って情けない子供を承認することを拒絶して、結果、何も考えずに努力する大人を再生産してきたことによってではないか。
努力すること「そのものの意味」を、大人は語るべきだ、と思います。むしろ大人はこのことを言っているのだとも思います。でもそれを受け取る子供達は何も考えずに努力してしまう。僕自信が前まではそうだったから、そう思ってしまいます。

<自分たちで維持しているわけでないと言う事実を理解していない事へ
<の焦燥とやるせなさが「情けない」という言葉に表れているのだと理
<解します。
大人も自分のコミットしている価値や事実に不安があるから「情けない」と言うのは納得です。自分より情けない子供に情けないと言って安心する。確かにこれは憧れ(ルサンチマン?)ではないですね。

補足日時:2007/02/13 10:35
    • good
    • 0

shun6066さん独自の状況を強引に一般論にしてませんかね つまり仕事上で先輩おじさんに「近頃の若いもんは情けないなあ」と言われ、ムカッときて ほかに言い方があるだろ・・の状況ですかね



良い悪いなんかのジャッジなんかどうでもよく、その意地悪おじさんを改心させることもまず無理です つまり自分を変えてスムーズに世渡りするのか一番。

その意地悪おじさんの長年蓄積してきた秘伝を頂戴する為に、少しは彼を尊敬し、仲間に入り仕事や付き合い方を盗んで覚えることです 若いあなたが彼を追い越すのに時間はかからないと思いますよ。

この回答への補足

 僕がこの質問をしたのはご指摘の通り先輩おじさんにムカッときて、他に言い方があるだろ、と思ったからです。
 僕が大人にムカついているのはもしかしたしたら、自分が大人のような価値観から抜け出せない自分であることを知っていて、そんな自分から抜け出せない自分が嫌になっているからこそなのかもしれません。そうだとしたら、まあ、見下すというと言い過ぎですが大人の言うことから適切な距離を取れるように自分を変えると楽になれるような気がするし、彼らの良い部分を聞き入れることができるかもしれません。

補足日時:2007/02/13 10:18
    • good
    • 0

No4&No8です、No9さんへの回答を参照させていただきました。


一般的事象としての質問として捕らえていましたが質問者さんの個人的な
経験に対しての事だったのですね。

ではより簡単な話です、質問者さんの言われるように「情けない」
と切り捨てた先輩は確かによりもっと適切な言葉があったでしょうね。
その意味ではその先輩はあまり大人として成熟しきっていない
もしくは今時の若者の意識を高揚させるのには精神論的なものが
あまり価値を持たなくなっている事を理解できていないだけでしょう。

昔の人なら反骨精神と言うか、たたいて・追い込んで反発心から
成長を促すと言う形でしたが、今はほめて・おだてて伸ばさないと
やる気を失ってしまうと言う人が多いというだけでしょう。
深く考えすぎです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

sach127さんのこの解答を見ていろいろ考えて初めてぐっと来ました。
大人の人は若いときに若者を奮い立たせる為の方法として「情けない」ということを言われてきて、実際自分が大人になって何かを若者に言うときに「情けない」という言葉しかもっていない、という一つの答え。

今の若者は大人とは別のところにいるというか、怒られても気にしないみたいなところがあって、「情けない」なんて言ったところで僕みたいな頑張らなくてもいいじゃんなんて言う奴が出てきてしまいます。
伝えたい思いがあるのだったら大人の人はもう少し言い方を考えた方が良いですね。

お礼日時:2007/02/13 21:23

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!