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 大人の人が、若者に対して「情けない」と言う心理は、ルサンチマンの心理でしかないか否か、が答えていただきたい質問です。
 最近の若者は情けない、と言われます。しかし、そんなに情けないことはいけないことでしょうか。頑張って生きてきた大人の人は、ゆるりと生きている今の若者に対して、ただ憧れているだけのような気がします。
 確かに、大人の人が努力してきたおかげで豊かになったし、それは大事なことだと思います。ただ、それだけではないのではないのでしょうか。お金持ちでなくても幸せは感じられるし、最低限のことをしていれば世界は終わったりしない。豊かになって救われる命もあるかもしれないけれど、今の大人を見ているとそのような他人の為に努力しているとは思えないんです。
 僕が考える、大人の人が若者に対して「情けない」と言う心理は以下。昔は嫌なことでも努力させられました。一方、努力すると褒められました。そんな状況が昔にあって大人の人は努力してきました。そんな他人の評価にこだわり続けたり、嫌なことをしてきた自分を納得させるために、自分の好きなように生きている若者をけなして安心する。ただそれだけのこと。努力することそのものの価値、伝えたい価値があるのなら「情けない」と言うことによってではなく、その伝えたい価値を語りだせばいい。それをしないのは、若者を否定して自分を肯定して安心したいだけなのではないか。

大人の人が若者に対して「情けない」という心理はルサンチマンでしかない、という考えに対しての意見を述べていただきたいと思います。
(僕は若者です)

A 回答 (24件中21~24件)

まずはじめに私は本格的に哲学を学んだことが無いので哲学的用語を


理解していません、ですがネットで検索できる程度のことを
10分ほど探して見ました。

その結果ルサンチマンであるか否かと言われるとルサンチマンではないと
いう見解です、理由としてはルサンチマンという用語自身が奴隷的な
従属を強いられている弱者が強者(支配者)に対する羨望・怨念・憎しみ
であるとありました。

その前提で言いますとまず第一に質問者さんの言われる「大人」は
「若者」に対して「従属的」な関係であるという前提が必須になります。
ですが現在の日本の中で世代間による支配・従属的要素は
見受けられないと考えます。

明治時代などの夫婦のあり方や資産家と労働者の関係、また年長者から
年少者への関係は従属を強いる風潮があったではないかと推察しますが
現在には「支配的」というほどの関係はほぼなくなっているのでは
ないでしょうか。

そもそも奴隷心理や労働闘争の関係に対して使われてきた言葉だと
理解しておりますので今の日本にそこまでのものがあるようには
思えません。

ましてやこの前提条件は年少者が年長者に対して支配的な地位を持って
いると言う前提が必要になります、私の考えでは現在日本には支配的な
世代間の関係は薄れているしましてや年少者が年長者を支配するという
関係は無いと考えています。
ゆえにそれが前提になる羨望や憎しみは無いと考えております。

>ゆるりと生きている今の若者に対して、
>ただ憧れているだけのような気がします。
これに関してはある意味の羨望と妬みがあるかもしれません
自分たちよりも楽をして生きている者たちへ、自分たちが持ち得なかった
スタートラインが優遇されていることへの羨望は否定しません。

この言葉はもっと単純に「いまどきの若い者は」という言葉と同義だと
思います。この言葉自身は1000年以上前の文献に出てくるぐらい
使い古された言葉です、多分質問者さんが50年ほどすれば逆の立場で
言っているでしょうね。

しかしそれとルサンチマンは全く異なるものと理解します。
なぜなら何らかの層が別の層を支配的な関係性で結びつくという
群衆的な関係が必要になると理解しています。
質問者さんの言われるルサンチマンとは
そもそも何を指しているのでしょうか?

この回答への補足

僕はそれ程哲学は知らなくて歴史的な背景とか本当の定義を知らずにこの言葉をつかったので、このつかい方で間違っていたら、すいません、というより、恥ずかしいです。
この言葉をつかわずに質問を書き換えると「大人が若者に「情けない」というとき、若者に憧れているけどそういう価値観を持つことができない自分を納得させているだけではないか。」ということです。僕には他の理由が思いつかないので、それを聞きたいと思って質問しました。

補足日時:2007/02/11 22:05
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「情けない」と言う言葉が


大人から若者に発せられるシチュエーションの多くは
質問者さんの言うところの
「伝えたい価値」を伝えようと
色々試みた挙句に理解してもらえず、
最後に「情けない」って感情が残った場合ではないでしょうか?

「情けない」と言う言葉が発せられるシチュエーションで
最も多いのは親から子に対してではないかと思います。
(私が今まで経験した中で、ですが・・・)
「情けない」と言う感情(言葉)は
自分の期待に沿う形にならない場合に
最も多く使用されるのではと私は考えています。
ですから、「ルサンチマンでしかない」と言われると
そういう感情で発せられる場合もあるだろけど、
むしろ少数では?と思いますね。

例えば、大人が
「日本は資源がない国だ、人が唯一の資源である。
だから教育に力も入れなきゃいけないし、
若者にもっと頑張って欲しい」
てな事を言って若者に頑張ってもらおうと説教をしたところ
「自分たちが努力させられたからって
 俺たちにもその価値観を押し付けられてもなー。
 ゆるりと生きている俺たちが本当はうらやましいだけなんだろう」
と返されたら、後に残る大人側の感情はやはり
「情けない」
となるのでは・・・てことです。

この回答への補足

例で挙げられている若者はひどいと思います。こいつは、たぶんめんどくさいから大人に取り合っていないんでしょう。何も考えていない。
でも、事実として「別に努力しなくてもいい」ということが言えるのならば間違っているわけでもないとも言えます。若者もある程度は働かないといけないことは知っています。
ここで「情けない」と言ってしまう大人は、努力をしなければいけないことを論証できない自分を棚上げにしているような気がします。

補足日時:2007/02/11 22:07
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否、ですね。

【でしかない】とは思いません。
要員の一つではあるかも知れませんが、それだけじゃないでしょう。
向上心がなく現状維持で満足というのは情けないと思いますよ。
情けない人間として生きるもその人の自由だから批判はしませんが、情けないか否かと言われればやはり情けないと思うし。

逆に質問の理論だと、何もしないことへのいい訳にしか聞こえてきません。

この回答への補足

そうです。何もしないことへの言い訳なんです。向上心がなくてもいいじゃん、現状維持でいいじゃん、っていうことを言っていてもいいんじゃないかということを僕は言っています。
それでゆるりと生きることが何故「情けない」と言って否定されなければいけないのか。
若者もある程度は働かないといけないのは知っています。でも、何故そのゆるりと生きることを否定されなければいけないのか。誰にも迷惑をかけていないし、それだけでは足りないのだと言える論理を、屁理屈ではない論理を僕は聞きたいと思っています。

補足日時:2007/02/11 22:25
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 難しいことは判りませんが、簡単に言って私(45)も若い時に大人にそう言われて育って今が有ります。

心理と言うより居われたことに見返して今があるので、皆そう言われて乗り越えてきたんだぞ的な感じでしょうか。

 的外れかな・・・。

この回答への補足

乗り越えてきた自分を誇らしい思うのは、「努力」に充実した感覚があったということでしょうね。それを僕は疑いません。

補足日時:2007/02/11 22:56
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