チャタレイ夫人の恋人で有名なD.H.ロレンスは、代表作「息子と恋人」など多くの作品で見れるように、かなり自伝的要素が含まれています。
そこで、質問なのですが、ロレンスのように、自伝的要素を多く含んだ作品を残した作家をご存知の方、お教え願えませんでしょうか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

まずはロレンスつながりで伊藤整『得能五郎の生活と意見』


以下思いつくまま
芥川龍之介『大導寺信輔の半生』
志賀直哉『和解』『暗夜行路』
島崎藤村『家』『新生』
井上靖『しろばんば』『あすなろ物語』
林芙美子『放浪記』
トルストイ『幼年時代』…
ツルゲーネフ『初恋』
スタンダール『アンリ・ブリュラールの生涯』
マゾッホ『毛皮を着たヴィーナス』
トーマス・マン『トニオ・クレーゲル(トーニオ・クレーガー)』
ジッド『一粒の麦もし死なずば』
サン・テグジュペリ『人間の土地』『夜間飛行』
ディケンズ『デイビッド・コパーフィールド』『オリヴァー・トゥイスト』
ヘッセ『車輪の下』
    • good
    • 0
この回答へのお礼

多数教えていただき、ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/13 08:32

サマセット・モームも「人間の絆」など自伝的小説を残しています。


http://www13.ocn.ne.jp/~m-room/maugham.html
    • good
    • 0
この回答へのお礼

サマセット・モームもそうなんですね!知りませんでした。ありがとうございます。

お礼日時:2007/02/13 08:31

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q作家・山崎豊子の作品で皆様の好きな作品を教えていただけませんか?

作家・山崎豊子の作品で皆様の好きな作品を教えていただけませんか?

因みに私は「不毛地帯」です

Aベストアンサー

『不毛地帯』『二つの祖国』『大地の子』ははまりました。

で、キムタク版の『華麗なる一族』の再放送で、
こんなに面白い話で、山崎豊子作品だったのかと(知らなかったので)
機会があったら読んでみたいと思っているところです。

Q小説や自伝、映画などにアスピリンが出てくる作品をご存知ありませんか?

 映画などでよくアスピリン(白い錠剤)が日常シーンで出てきますよね?それで興味を持って自分なりに調べているのですが、太宰治の作品に何点か表現として出てきたのは突き止めたのですが、その他にも「アスピリン」が文中やせりふに出てくる作品をご存知の方いらっしゃいますか?

Aベストアンサー

谷崎潤一郎の「細雪」に出て来ます
何時縁談があるかも知れないお嬢さまの顔にしみが出てお姉さんも本人も心配しますが医者からアスピリンの副作用ですと言われてやっと落ち着くと言う場面です
昭和13年ごろの話ですからドイツのバイエルの錠剤だったのでしょう

Q青空文庫に在命中の作家の作品はないのですか?

「著作権が切れた文学作品などを無償公開する「青空文庫」に1月1日、同日で著作権保護期間が終了した柳田国男や吉川英治、室生犀星ら12人の作品が公開された。」とのことです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130101-00000004-zdn_n-sci
でも私はかつで大江健三郎の「セヴンティーン第二部政治少年死す」をこの文庫で読んだ記憶があります。記憶間違いですか?

Aベストアンサー

 著作権が切れていれば勝手に収録できるというだけで、著作権者の許可があれば期間が切れる前でも収録できます。通りがいい名前だと片岡義男さんなどが一部の作品を許可しています。

http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1506.html#sakuhin_list_1

 作家一覧リストには大江健三郎さんはないようですので、別のところで勝手にアップされていたか有料版の電子書籍販売サイトだったのでは。たまにお試しセールやってたりしますし。

Q作家と作品内容などの覚え方

一般教養の勉強をしていますが、作家や作品が多すぎて、なかなか内容まで全部覚えられません。もちろん、全部、ちゃんと読むべきなのはわかっていますが、何か、覚え方があるでしょうか。窮余の策でお尋ねしています。

Aベストアンサー

「あらすじで読む日本の名著」という本があります。
「近代日本文学の古典が2時間でわかる!」だそうです。


http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%82%89%E3%81%99%E3%81%98%E3%81%A7%E8%AA%AD%E3%82%80%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%90%8D%E8%91%97%E2%80%95%E8%BF%91%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%8F%A4%E5%85%B8%E3%81%8C2%E6%99%82%E9%96%93%E3%81%A7%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B-%E6%A5%BD%E6%9B%B8%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E5%B0%8F%E5%B7%9D-%E7%BE%A9%E7%94%B7/dp/4806118206

Q作家と創作作品中の人物の関係。

よろしくお願いします。

質問の主題は、
小説等文学作品中の「書き手に依って生み出された人物」は、
書き手である作家にとっては「完全に理解可能、支配可能」な存在か否か?



「現実に存在している人間」は、誰にとっても(おそらく本人にとっても)
「不完全理解、支配不可能」な存在と思われます。
書き手にとって作品中の人物はどんな存在なのでしょう。。。

よく(かどうか、は分かりませんが。汗)創作について、
「人物が勝手に私の頭の中を行動して、私はそれを書き留めるだけ」と言うような言い方もあります。
この表現を見ると、
作家にとって作品中の人物は、現実世界の人間と同様、
「不完全理解、支配不可能な存在」となると思えるのですが、どうなのでしょう。。。

以前、と言うには隔たり過ぎた?中学生の頃、
ふと「物語の読み方に戸惑った」時期がありました。
読み手の私は、この人(=作品中の人物)をちゃんと理解しているだろうか?
文中には全ての行動が描かれているのだろうか?
描かれていない行動/時間があるとしたら、その「行動や時間」は存在しているのだろうか?していないのだろうか?
読み手もだけれど、書き手もこの人を完全に理解しているのだろうか?
この人の行動を全ての時間に置いて把握しているのだろうか?
そんな事が作品中とは言え、可能な事なのだろうか?。。。。

そんな事を悶々としばらく悩み、
結局「作品は作品世界の一側面に過ぎない」との視点に立って読む事に決着を見ました。
以来15年、読み手の「読み方」としては、間違っていない、と考えています。

では、書き手の立場ではどうなのだろう?とふと気になりました。
何かご存知の方、ご意見をお持ちの方、回答をお寄せ頂けると嬉しいです。

また、
このような課題を扱った論文、評論等ご存知の方もお教え下さると嬉しいです。
大学の文学部等では、このような講義もあるのかしら。。。
調べ方の糸口でも構いません。
よろしくお願いします!

よろしくお願いします。

質問の主題は、
小説等文学作品中の「書き手に依って生み出された人物」は、
書き手である作家にとっては「完全に理解可能、支配可能」な存在か否か?



「現実に存在している人間」は、誰にとっても(おそらく本人にとっても)
「不完全理解、支配不可能」な存在と思われます。
書き手にとって作品中の人物はどんな存在なのでしょう。。。

よく(かどうか、は分かりませんが。汗)創作について、
「人物が勝手に私の頭の中を行動して、私はそれを書き留めるだけ」と言う...続きを読む

Aベストアンサー

yukkinn66さん、こんにちは。

>小説等文学作品中の「書き手に依って生み出された人物」は、書き手である作家にとっては「完全に理解可能、支配可能」な存在か否か?

yukkinn66さんが取り上げられたのは、必ずしも「文学作品」に限った問題ではなく、制作者(書き手)がいて、自らの作品構想を実現すべく他者(外界の事物)に働き掛け、その結果として何か(作品)を作り上げたとき、制作者と作品とはどういう関係にあるか?という、ある意味普遍的、古典的な問題ではないでしょうか。

で、管見する限り、こういう問題をだれよりも鋭く意識して書いた小説家及び小説の典型例としては、アンドレ・ジッド『贋金つくり』、三島由紀夫『禁色』が挙げられそうな気がします。
いずれも、小説家が素材に働き掛け、それを媒介にして、いかに自らの構想(観念、理想等)を実現するか(=作中の人物を支配するか)をめぐる、小説家と素材との間の抗争、葛藤、駆け引き、馴れ合い、協力をテーマにしていると考えられます。

批評家では、ポール・ヴァレリーや小林秀雄が同様の問題をより鋭く意識しながら、ラディカルな批評活動を展開していたのではないでしょうか。
彼らは、いずれも自我などという妄想、幻想に取り憑かれつつも、良くも悪くも、このことを相対化しうる強靱な近代的知性、健全な懐疑精神を持っていたのだと思います。

「ぼくはひとりの小説家を登場人物として考え出し、中心人物にすえている。言うなれば、まさしく作品の主題は、現実がその小説家に提出するものと、彼がそれを材料にして創ろうと思つているものとの抗争なんだよ。」(『贋金つくり』)

これは、主人公の小説家エドゥアールが『贋金つくり』という前代未聞の小説の構想を友人の女性に話しているところの一節ですが、彼は自分の小説のテーマが、作者と現実(=素材)との対立葛藤それ自体にあると言いたいわけです。
ここでジッドがエドゥアールに課した問題は、とりもなおさず、小説家にとって作中の人物が「完全に理解可能、支配可能」か否か?という、yukkinn66さんがここで呈示なさった問題と基本的に重なり合うのではないでしょうか。

『ドン・キホーテ』以降、作者名の署名された近代小説では、程度の差こそあれ、主人公は作者の分身たらざるを得ないのでしょうが、だからと言って、その主人公は完全に作者の傀儡にすぎないかと問われれば、「いや、確かに半分は作者の血を承けた分身ではあっても、残りの半身は時代・社会の血を承けているはず」としか言いようがないと思います。
この点については、文学作品に限らず、音楽作品であろうと、美術作品であろうと、全く事情は変わらないのではないでしょうか。

さらに言えば、文学作品の読みを含めた芸術作品(制作物)の享受(鑑賞)全般においても、作品享受の時間中は、見る側と見られる側との間で、双方の支配と被支配とをめぐるある種のせめぎ合いが繰り広げられているのではないでしょうか。

例によって、yukkinn66さんの興味・関心の焦点から外れた回答になってしまいましたこと、お詫びいたします。

yukkinn66さん、こんにちは。

>小説等文学作品中の「書き手に依って生み出された人物」は、書き手である作家にとっては「完全に理解可能、支配可能」な存在か否か?

yukkinn66さんが取り上げられたのは、必ずしも「文学作品」に限った問題ではなく、制作者(書き手)がいて、自らの作品構想を実現すべく他者(外界の事物)に働き掛け、その結果として何か(作品)を作り上げたとき、制作者と作品とはどういう関係にあるか?という、ある意味普遍的、古典的な問題ではないでしょうか。

で、管見する限り...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報