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戦前と戦後の教育制度の違いについて教えてください

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A 回答 (3件)

教育内容についての違いはさておいて、制度上の一番大きな違いは戦前の学校制度が複雑な複線であるのに対して、戦後はいわゆる63制という単線であることです。


戦前と言っても時期によって多少の差異がありますが、基本的には6年制の尋常小学校が義務教育になります。それを卒業した後は色んな線に分かれますが、中心となるのは中等学校(中学校、工業学校、商業学校、高等女学校、家政女学校など)で、その上に高等学校→大学とあるのがいわば王道です。
それ以外に中等学校へ行けない、行かない人のためには2年制の高等小学校がありました。そして高等学校と平行する高等教育機関としては各種の専門学校、師範学校などがありました。また私立では大学予科というのがありまして中等学校卒業後すぐ入学することが出来ました。
留意すべきは戦前には時期、地域にもよりますが、中学校へ進学する者は限られており、ある意味ではその地域のエリートであり、ましてや高校、大学へ進学する人は超エリートといってもいい存在でした。
戦後は6334の単線化となりましたが、例外として新制度の大学に昇格するには資格不足の専門学校は暫定的に2年制の大学として残し、そのうちに解消するはずが図らずもその後恒久化し、短大として今に残っています。それと、昭和30年代末、時代の要請から5年制の高等専門学校が開設されたのが63制の例外として存在します。
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この回答へのお礼

とても参考になりました!!!
引用させてもらいレポート制作しました。

お礼日時:2007/02/22 18:43

餅は餅屋です。

まず文科省のサイトへ行って、下記のページを読んでください。それでも分からないところがあったら、質問してみてください。詳しい人が回答するでしょう。「戦前と戦後の教育制度の違い」という大きな括りで「教えてください」だけでは、横着な感じを受けます。

学制百年史(文科省)
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz19 …
学制百年史 資料編(文科省)
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz19 …
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この回答へのお礼

すいませんでした。
サイト参考になりました。
今後気をつけます。

お礼日時:2007/02/22 18:45

戦前=複線


戦後=一本線

これが大きな違い。
戦後は、小学校 中学校 高等学校 大学
戦前は、小学校修了段階で、高等小学校や中等学校、商業学校などの選択肢があり、商業学校から高等商業もあった。
師範学校も、現在の大学内の教育学部ではなく、別ラインで存在した。
全く別ラインとして、軍人育成制度もあった

ということでしょうかと
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この回答へのお礼

早い回答ありがとうございました

お礼日時:2007/02/22 18:42

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Q戦前の義務教育

こんにちは。
戦前と戦後で義務教育はどのように異なるのですか?
敗戦後教育当時の狙いは一体なんだったのか?
教えて下さいよろしくお願いします。

Aベストアンサー

質問が2つあるのですね。

上の質問は、文科省のサイトが端的にまとまっています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05082301/017.htm

解説としては↓のサイトがわかりやすいです。
http://www.tastytables.net/history/

2番めの質問は↓
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317737.htm

「敗戦後教育当時の狙い」というのは「敗戦当時の教育の狙い」と読み替えますが、一言で言えば「民主化された日本を作るための基礎教育」ということでしょう。

軍国主義、家族制度、財閥制度、国家神道、小作制度、天皇崇拝といった戦前の価値観が全て解体され、新しく憲法が制定され、日本は民主主義国家となりました。そうした日本の基礎教育で、最も重要とされた事は、「戦前の価値観を子どもたちから排除する」ことでした。

あたらしい憲法のはなしという、小冊子があります。当時の教育の雰囲気が伝わってくるつくりになっています。青空文庫で挿絵付きで読めますのでご覧になってはいかがでしょうか。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html

質問が2つあるのですね。

上の質問は、文科省のサイトが端的にまとまっています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05082301/017.htm

解説としては↓のサイトがわかりやすいです。
http://www.tastytables.net/history/

2番めの質問は↓
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317737.htm

「敗戦後教育当時の狙い」というのは「敗戦当時の教育の狙い」と読み替えますが、一言で言えば「民主化された日本を作るための基礎教育」ということでしょう。

軍国主...続きを読む

Q戦前の教育制度について……

突然すみません。

今、本を読んでいて気になったのですが、
尋常小学校を出たら、進学できる余裕のある家の男の子は旧制中学、女の子は女学校に行く
というのが当時の一般的なコースだったのでしょうか?
また、尋常小学校を出たら、他にどのような学校に行くことができましたか?
旧制中等学校とか、旧制高校とか、いろいろあってよくわかりません(*_*)
わかるかた、教えてくださいm(__)m

それと、それぞれの学校に入学する年齢、卒業する年齢も、合わせて教えてくださいm(__)m

よろしくお願いします(__)

Aベストアンサー

 二年制の高等小学校があります。こちらは今の中学校の前身ですが、基本的に就職する人が対象で、英語授業は基本的にありませんでした。中には中学受験に失敗して浪人している人が予備校代わりに通っていた例もあります。入学試験は無く、基本的に無料だったからです。

 旧制中学は時代にもよりますが基本的に五年制の中等学校です。ただし、四年終了時に上級学校に進学することも可能でした。中学校は進学を目的としていますが、今の専門高校に相当する工業学校や商業学校には進学を考慮しない三年制もあります。師範学校を卒業すると小学校の教員免許を取得できました。

 上級学校は旧制高校と、専門学校、大学予科があります。旧制高校は今の大学教養課程に相当するもので、東大にその名残があります。専門学校は今の私立大学の大半が相当し、専門教育を行います。大学予科というのは特定の大学に進学することを目的とした過程で、大学の一部とみなされていました。

 旧制高校卒業後は大学ですが、今とは違い三年制です。


 これらは時代によっても異なり、今と違って複線式と言って多くの過程が存在します。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E5%88%B6%E6%94%B9%E9%9D%A9

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%88%B6%E5%AD%A6%E6%A0%A1

 二年制の高等小学校があります。こちらは今の中学校の前身ですが、基本的に就職する人が対象で、英語授業は基本的にありませんでした。中には中学受験に失敗して浪人している人が予備校代わりに通っていた例もあります。入学試験は無く、基本的に無料だったからです。

 旧制中学は時代にもよりますが基本的に五年制の中等学校です。ただし、四年終了時に上級学校に進学することも可能でした。中学校は進学を目的としていますが、今の専門高校に相当する工業学校や商業学校には進学を考慮しない三年制もありま...続きを読む

Q戦前戦中戦後。人々の暮らし

大日本帝国の人について興味あります。
司馬遼太郎の坂之上の雲は呼んだことある方いますかね?教科書にしてもいいくらいだという人もいるくらいで、どんなことが書かれていますか?当時の人の暮らしぶり、考え方など知りたいです。
戦前、戦争とは関係ない人々の普通の暮らしぶりはどんなでしたかね?何を考えどう生きていたのですかね?特に教育勅語を学んだ世代の人生観、今の若者をどう思うかを知りたいです。
戦後、メーデー、安保闘争など日本人は今のように去勢されておらず元気いっぱいでした。当時の人の考え方、暮らしぶり、将来への不安と期待など知りたいです。あ、米国の奴隷になったり、米ソ冷戦に巻き込まれて再び戦地となる不安はなかったのですかね?
各地に海外移住された方もいるときいてます。どのような思いで日本を離れたのですか?
よろしくお願いします

Aベストアンサー

戦前生まれの後期高齢者です。

まず、司馬遼太郎の著書は作者の思い込みや作り事、独特の推察などを網羅している一つの作文だとしてお読みになったほうが良いと思いますよ。

歴史は作られるって本当。

いつの間にか老舗になっていたり、何代も続いた家柄ですや、此処は勤皇の志士が隠れたところですだとか、まあ念入りに地図まで掲げて。現在はまやかしが多いけれど戦前はあくどい商売人と言えどもそう云う誇張はしなかったように思います。

戦前とは言え大正時代の人たちの生活は非常に楽天的なものだったと思います。(従兄弟大正生まれ90歳余曰く)

昭和の初期でも都会では幼稚園はスクールバス。映画もダンスホールも、フランス料理も今あるものは全て溢れ返ってました。

水洗はごく一部で近郊の百姓が肥を汲みに来て御礼の大根なりを置いていくのが都会でも普通の事でした。

また、戦前はそこそこ金を持っている連中でも借家が普通で、余程の事業家や成金、爵位のある家系以外は全て借家。

土地の有力者・・・例えば豪農や代々の庄屋などは家屋敷がありましたが。
家を買うという発想はほぼありませんでしたね。

腰弁(サラリーマン)の出社は歩くのが原則で交通費を貰って電車に乗るというような事は大正の初期までは無かったと従兄弟は申しております。

一家団欒、一家そろって食事と云うのも精々戦後の事です。
商家なら手の空いた人から食事をしますから。

一家の主のお膳は(おかずもご飯も)全て妻子とは別、同じ膳では食べません。主の食事が終わってから妻子の食事。(今ならよめはんに殺されるかも)

子供と大人の世界は完全に区別。

ネットは当然、普通の家に電話もありません。(うちの電話探ってみると最初に置かれたのは大正7年でした。)

戦後初めて白黒TVが発売された時TV一台の値段で当時40坪くらいの家が一軒買えました。

戦後宝くじは一等10万円。一枚10円。小さな家なら買えた。

終戦の年、すぐにアイスキャンデーを作って売ってました。一本1円。

不味いガムやチョコレートは昭和23年頃だったかに。

当時、バスやタクシーは電気自動車が多かった。充電はどうしていたのか??ですが。

従兄弟の戦前の中学校の教科書を見ると(電気技術書)きちんとテレビの写真と技術解説が載っています。

私たちがよく読んでいたのはヘッセ、Tマン、メリメ、シュトルム。

哲学をやっている連中はこんなの読みません。

明治の文学はほぼ濫読、南総里見八犬伝まで手を出した奴も居ます。

映画は手当たり次第。戦前の名画も戦後公開されましたから。
最初のアメリカ映画は確かユーコンの叫びだったかと。

普通の人にとっては戦前の、支那事変や日露戦争の結果に一喜一憂していたのは今と人たちの野次馬的な処と変わりはありませんし、人間の常として考えが楽なほうへと傾いていたのも事実です。

今と違って身分社会(出自によって社会的地位が決まる)ですから、例外はあるとしても(例えば爵位のある人や軍需産業などで大金を得て社会に還元したいと地方の優秀な男子や子女を養子として、或いは書生として住まわせて立身の道をつけてやるなど)、ほぼ人は生まれた時に取るべき道は決まっていた社会です。

で、各自それなりに、政治や軍事は・・・そんな難しい事は誰か偉い人がすることであって私たちには関係の無い事、其れよりも毎日の生活や楽しみが先決・・と云うのが本音だったでしょう。

メーデーや安保闘争など・・私の考えですが今の団塊の世代の初期の人たち(昭和22年生まれ以降)は肝心の小学校の教室も教員も足らず、抑留から引き上げてきた共産主義に洗脳されたような代用教員に習った結果が、戦前の身分社会の不条理に気づき労働者とブルジョワジーの対立と云う形で爆発したものだと思っています。

団塊の世代が愛用した歌声喫茶で歌われている歌って労働歌やロシア民謡などソ連に関係したものばかりですよね。

確かに農村部では(戦前は長男が後を取り、次男以下は出て行くか良くても他の農家の婿養子になるかで、軍隊が出来ると米の飯が腹いっぱい食えるとばかり召集どころか争って志願した人が多いのが現実で、後に赤紙で召集される頃は兵役忌避の脱走者も多かったようですね。

でもねぇ、戦時中食べるものが無かったとは云いますが金さえ出せば何でも買えたのです。(結局は金があるかどうかで決まるのかも)

徳川無声の戦時日記を読めば東京空襲時でも牛肉の配給(食糧は物価統制令で自由に売買が出来無い、主食の米などは各戸に割り当てで配るのを配給制と云います。違反者は投獄。外食は外食券が無いと出来なかったけれど、店は知り合いには出来る限り物を提供していた。)があったと記述されていて驚きます。

海外へ移住された方は明治以前から沢山居ますので戦前の暮らしのごく一部の現象に過ぎないと思っていてください。
これに関しては色々本が出版されているので図書館でお読み下さい。

明治中期生まれだった私の母親など若い頃毎晩ダンスホールで踊っていたと。(写真が残ってますわ)

慶応生まれの祖母なんか刺身が好きで良く無理難題を。でも結構手に入ったのですよ。

果物も、ケーキも、菓子も巷に溢れ返ってましたし戦争が始まっても暫くはまだフランス映画など上映してましたしね。

学童疎開はしてましたが食べ物に不自由だった事は有りません。
(場所によるのでしょうけれど)

戦争が始まっても一般の人の生活が急に変わる事は有りませんでした。

東京や大阪名古屋の空襲にあった人たちは大変だったでしょうけれどね。
一般の庶民にとって将来の事などは戦争の行方は心配しても身の振り方までは考えられなかったと思います。

進駐したアメリカ兵が抵抗されゲリラにでもやられるかると緊張していたのに拍子抜けと、戦後隣に住んでいた大佐が笑いながら話してくれました。

昭和20年代は内憂外憂が一般の人には全く感じられなかった時代。
20年代終わりにはアメリカ文化がど~~っと。

圧巻はジャズ。ベニーグッドマン、JATP、サッチモ、ハリージェームス、ライオネルハンプトンetc。飯を惜しんで東京へだら(普通)の夜行で14時間かけ学区をサボって聞きに行った。

新宿あたり焼け跡がまだ板囲いしてありまだ戦争浮浪児も居た時代。

昭和34年まだ国道一号線は舗装なし。トヨタのクラウンの前身トヨペットスーパーがこなれてきて試乗に行きました。

クッションは板バネ。遠出でしてバネが折れて挙母市(今の豊田市)で修理をするはめに。

閑話休題

今時ああだこうだと大げさに言われている面は何事に付けても大いにあると思います。

大正、昭和の話を書いた本は沢山出ていますが、その前に矢田捜雲の江戸から東京へや生方敏郎の明治大正見聞史の一読をお勧めします。
もう少し前の幕末の世人の暮らしや出来事などは鹿島萬兵衛の江戸の夕映をぜひお読み下さい。

教育勅語の内容は素晴らしいものですから私たちは否定しません。
まだ同級生は200人以上が健在ですし、何時もわいわい集まっていますが1年先、3年先の心配をする輩はいませんねぇ。
其れより100年先どうなっているかの議論に口角泡を飛ばすほうです。
戦前、戦中、戦後を冷ややかな目で見てきた世代ですのでなるようにしかならんと物事を割り切ってます・・が多い。(^^)/

取り留めの無い文、乱文で失礼しました。

戦前生まれの後期高齢者です。

まず、司馬遼太郎の著書は作者の思い込みや作り事、独特の推察などを網羅している一つの作文だとしてお読みになったほうが良いと思いますよ。

歴史は作られるって本当。

いつの間にか老舗になっていたり、何代も続いた家柄ですや、此処は勤皇の志士が隠れたところですだとか、まあ念入りに地図まで掲げて。現在はまやかしが多いけれど戦前はあくどい商売人と言えどもそう云う誇張はしなかったように思います。

戦前とは言え大正時代の人たちの生活は非常に楽天的なものだったと...続きを読む

Q戦前の学制について

NHKの朝のドラマを見ていると、中学校、師範学校、女学校、八校、上野の音楽学校、帝大などの学校が出てくるのですが、戦前の学制について詳しくないのでよくわかりません。
どなたかわかりやすく説明してください。

Aベストアンサー

戦前の教育制度は、上から見たほうが分かりやすいです。

官立(国立)、公立の学校を基準にしますと、

大学ランク:帝国大学、東京商科大学、医科大学など
高等学校ランク:高等学校、大学予科、高等専門学校、高等師範学校、女子高等師範学校、陸軍兵学校など。
中学校ランク:中学校、師範学校、高等女学校、専門学校、陸軍幼年学校など。
義務教育の尋常小学校

となっていました。

戦前の学業優秀、学資十分な子供は、例えば下記のコースをたどりました。
東京市立 麹町尋常小学校→東京府立 第一中学校→官立 第一高等学校→官立 東京帝国大学
高等学校から帝国大学に進学するのは、原則として無試験でした。

一方、家が貧しくて小学校に行くのがやっと、という子供は、例えば下記のコースを経れば、最終的には前記の裕福な子供と同じ学歴を得ることができました。
尋常小学校→高等小学校→師範学校→高等師範学校→帝国大学
師範学校は授業料が無料でした。戦前の貧しい少年は、師範学校に行って小学校訓導になることをまず目指していたようです。小学校教師になれば、少なくとも「食って行けない貧困」とは絶縁し、自分の子供にさらに上の教育を授けることができますから。2代かけて社会的上昇を果たした親子を何例か知っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%AB%E7%AF%84%E5%AD%A6%E6%A0%A1
師範学校卒業者が高等学校を受験し、エリートに合流することも可能だったはずです。

陸軍将校を志望する子供は、下記のコースが理想でした。
尋常小学校→中学校→中学1年修了で陸軍幼年学校→陸軍士官学校→陸軍将校に任官
この場合、幼年学校に入った時点で官費となり、貧しい子供にはやはり魅力的だったようです。

20年ほど前に法務大臣を務めた秦野章氏は、警察官僚のトップの警視総監から政界に入った人ですが、家が貧しかったために下記の経歴を経ています。
小学校→今で言う大検に合格→私立 日本大学の夜間部卒業→今で言う国家公務員一種試験合格→内務省官僚→戦後に警察官僚
まともな学校に通えなくても、努力すれば帝大卒のエリートと同様に扱われることが可能だった、という実例です。

戦前の教育制度は、上から見たほうが分かりやすいです。

官立(国立)、公立の学校を基準にしますと、

大学ランク:帝国大学、東京商科大学、医科大学など
高等学校ランク:高等学校、大学予科、高等専門学校、高等師範学校、女子高等師範学校、陸軍兵学校など。
中学校ランク:中学校、師範学校、高等女学校、専門学校、陸軍幼年学校など。
義務教育の尋常小学校

となっていました。

戦前の学業優秀、学資十分な子供は、例えば下記のコースをたどりました。
東京市立 麹町尋常小学校→東京府立 第一...続きを読む

Q戦前と戦後の政治の比較

日本の戦前の政党政治~と、戦後の政治の主な違い(比較)は何なのでしょうか?

民主的な政治は、戦前の政党政治でも多少はされていると思うのですが、度合いが全然違うのでしょうか?

Aベストアンサー

戦前には、日本にも華族(貴族)制度があり、庶民院(下院)と貴族院(上院)による二院制でした。戦後、日本は貴族制度を廃止したはずなのに、二院制を続け、衆議院(下院)と参議院(上院)を持っています。世界でも例の少ない制度で、貴族制度もない、連邦国でもないのに、2つの議会があり、その権限が、ほぼ、対等というのは珍しいケースです。いわゆる「ねじれ国会」は、日本の外では、ほとんど見ることが出来ないでしょう。ねじれ国会の本質は、下院(衆議院)は上院(参議院)に対して、内閣総理大臣の選出、参議院で否決された法案も衆議院の3分の2の賛成で再議決可能、内閣不信任案の提出権くらいしか優位性を持っていないのに対し、厚生労働省が出し渋っている年金記録の実態を明らかにする国政捜査権や、公的組織人事における両院の権力は、衆参でまったく互角であることにあります(だから、日銀総裁がなかなか決まらなかったりするのです)。

内閣総理大臣の権限が強化されたことも、戦後の制度改正のポイントです。戦前には、総理大臣は、内閣の全大臣のまとめ役程度の権限しかなく、陸軍大臣が暴走して戦争を止めることが出来なかったことを反省し、内閣総理大臣がいつでも防衛大臣を罷免する権限を持つようになったことも重要項目といえるでしょう。

戦前には、日本にも華族(貴族)制度があり、庶民院(下院)と貴族院(上院)による二院制でした。戦後、日本は貴族制度を廃止したはずなのに、二院制を続け、衆議院(下院)と参議院(上院)を持っています。世界でも例の少ない制度で、貴族制度もない、連邦国でもないのに、2つの議会があり、その権限が、ほぼ、対等というのは珍しいケースです。いわゆる「ねじれ国会」は、日本の外では、ほとんど見ることが出来ないでしょう。ねじれ国会の本質は、下院(衆議院)は上院(参議院)に対して、内閣総理大臣の選...続きを読む

Q戦時中の教育制度について

昭和十六年~終戦までの教育制度について教えてください。
(1)国民学校初等科(6年)と国民学校高等科(2年)は義務教育でよろしいでしょうか。
(2)国民学校初等科を卒業後すぐに青年学校に入学することはできたのでしょうか
(3)国民学校尋常科と中学校の違いを教えてください
(4)高等科を卒業して師範学校へ進もうとした場合、高等科卒業後に2年間の「予科」を経てから師範学校入学となるようなのですが、この「予科」とは何なのでしょうか。現在の予備校のようなものですか?つまり浪人生?

Aベストアンサー

参考URLに国民学校令がありますので、詳しくはそれを見てください。また、参考URLからのリンクで師範学校令や中学校令を見てください。
(1)条文からはそうなります。
(2)青年学校は普通科、本科などに分かれていたようです。普通科は尋常小学校卒業で入学できたので、初等科卒で入学できたと思われます。しかし、国民学校令施行後の青年学校についてはよく知りませんので確証はないです。
(3)国民学校に尋常科はありませんでした。尋常小学校が国民学校初等科に替わったので、初等科のことではありませんか?
(4)予科は予備校ではありません。師範学校の一部です。師範学校には本科と予科があり、中卒だと本科に直接入学できましたが、高等科卒だと予科に入学してから本科に進学することになります。

参考URL:http://www.geocities.jp/nakanolib/rei/rs16-148.htm

Q卒業検定に落ちた人!

卒業検定に落ちた人!
(ペーパー試験じゃなくて、実技の方)

どの理由で落ちたか教えてください。
あと10日程で、卒業検定です。
参考にさせてください。

Aベストアンサー

一般的なことは,皆様が書かれている通りです
自分は一発合格でしたが
私の卒業した学校であった,変わったエピソードがあります
参考まで

交差点手前でで一台のトラックが止まっていたのですが
検定車5台の内,先頭の運転手が信号待ちと判断
トラックの後ろに停止,残り4台も同様に停止しました
ところが,トラックは信号待ちではなく
交差点近くの電話ボックスで電話する為に停車していただけだった
検定者は誰も気付かず教官に指摘された
ところが,車間距離が近すぎて,免許所持者なら切り返しで
抜けられるところ,未熟なため列から抜け出せず
全員が100点原点で不合格になった(実話ですよ)

ポイントは状況判断ミスと走行不能による検定中断になったため
一般的なことは皆様書かれているようなことで
おそらく,質問者様もある程度予測できていることも
あると思います
上のような,予測不可能な事態に巻き込まれたとき
如何に判断して抜け出せるかだと思います

運とか,こういう場面に出くわす確立とか
ありますが,平常,冷静を保つことが大事です!!

一般的なことは,皆様が書かれている通りです
自分は一発合格でしたが
私の卒業した学校であった,変わったエピソードがあります
参考まで

交差点手前でで一台のトラックが止まっていたのですが
検定車5台の内,先頭の運転手が信号待ちと判断
トラックの後ろに停止,残り4台も同様に停止しました
ところが,トラックは信号待ちではなく
交差点近くの電話ボックスで電話する為に停車していただけだった
検定者は誰も気付かず教官に指摘された
ところが,車間距離が近すぎて,免許所持者なら切り返し...続きを読む

Q論述式の回答の書き方のご指南ください

もうそろそろ、定期試験の時期なのですが、
大学の試験ってけっこう論述問題が多いことに驚きました。高校のころは、まったくと言っていいほど論述問題がなかったので、どうやったらいいのか、ホトホト困ってます。
いろいろ検索サイトでHITさせたり、ここでも過去の質問を見たりして参考にしています。

そこで、今一度、皆様の論述式の回答の書き方を教えてほしいのです。どうかご指南よろしくお願いします。

Aベストアンサー

当方、大学生です。
書きやすく、いい評価になるのは、
1.一番最初に結論を書く。
2.それについて理由や説明を挙げる。述べる個数も宣言する。
3.最後に結論をもう一度書いて締める。

例えば、「キリスト教における愛について書け(テキト-な課題です。汗)」だとしたら、

「キリスト教における愛とは○○だと言える。
 それについて、3つの観点から述べる。
 まず第一に、~~。第二に、~~。最後に~~。
 以上の事由から、キリスト教における愛は○○だと言える」

…というかんじです。この形式で書ければ、まず悪い評価は取らないでしょう(形式の点では)。

できたら、授業中に先生がおっしゃったこと(本にはない具体例とか)や、参考図書から得た知識を交えたりすると、「ちゃんと授業聞いてますよ、ちゃんと本読んで勉強してますよ」とアピールできて、なおよしです☆

がんばっていきましょう(^^)

Q戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍人、民間人合わせて310万人の人が死亡し、都市面積の30%が消失したと言われています。
しかし、310万人の死者は一見多いように見えますが、1億人の人口から見たら3%で、97%の国民は生き残っているわけです。
また、国土が焼け野原になったと言われますが、都市面積の70%は無傷だったわけです。

これらのことから見ても、当時の国民で、肉親や親戚に死亡した人がおらず、空襲も受けなかった人はかなりの数がいるはずです。
その中でも、農村部に住んでいる人であれば、食料にも不自由せず、普段通りの生活をしていた人も多くいたと推測されます。
もちろん時代が時代ですから、派手なパーティーをやったり、観光旅行にでかけたりということはできなかったでしょう。
しかし、戦後世代の人が教わったような、日本中が地獄絵と化したというのはちょっと大げさなのではないでしょうか。

当時は情報も統制され、日本がどんどんやられているというような情報は入って来なかったでしょうから、いずれ自分たちも攻撃を受けるというような危機感もなかったと思われます。
当時の国民の、少なくない数の人たちが、実は普段通りの平和な生活を送っていたと推測されます。
戦時中、実際にこのような普段通りの平和な生活を送っていた方の体験談を聞かせていただけませんか。
また、そのようなことを紹介したサイトなどがあれば教えて下さい。

なお、私が聞きたいのは「戦争中、普段通りの生活をしていた人の話」であって、「そんな人はいない」とか、「そのような質問は不謹慎だ」というような回答はお断りします。
質問の趣旨を理解した上で回答をお願いします。

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍...続きを読む

Aベストアンサー

 母は田舎にすんでいたので、まったく戦争の影響はなかったそうです。
確かに統制品は手に入りにくかったらしいですが、食べるのにはまったく困らなかったそうですよ。
 よく、都会から食べ物を分けてくれって人が来たらしいです。

 父は逆で都会で生活していたので疎開をしました。
疎開には、集団疎開と縁故疎開ってのがあるんです。
中でも悲惨なのが集団疎開です。学校の力関係が24時間中です。いじめっ子はずっといじめ、いじめられっこはそれこそ現代で言うイジメなんかと比較できないほど酷かったらしいです。

 また、縁故疎開っていうのも、ようするに都会のこじゃれたガキが、自分の親戚をたよって田舎に疎開するんです。すると、もちろんその子のキャラにもよりますが、めちゃ人気者になった人もいたみたいです。

Q教育実習時期について、怒られました

少し長くなりますが、聞いてください。

私はいま大学4年生です。

今回地震の影響で、就職活動が大幅にずれ込んでしまい、6月に選考開始となりました。

6月には教育実習が控えていたので、心配になりましたが、私の大学には教育実習に対応した相談窓口がありません。

そこで大学のキャリアセンターに問い合わせたところ、
企業か、実習高校に連絡して事情を話してみるしかないと言われました。

その時はまだ、3月中でしたので、就職活動は6月開始ということはまだ未定で、とりあえず採用活動は中止・延期ということだけが発表されており、いつから開始されるかは未定とのことでした。

実習高校の教育実習期間は、一年前の時に内諾書をもらいに行く段階で、6月と9月のどちらかを選べるといわれていたのですが、私は卒業論文に支障が出ると困ると思ったことに加えて、当初の予定では就職活動は4月ごろに内定が出て終了しているはずだったので、教育実習に影響はないと思い、6月を選びました。

3月中に、私の担当の先生の方に電話をかけ、
企業の採用開始時期が地震の影響で6月にずれ込んでしまい、教育実習とかぶってしまったのですがどうしたらいいかと相談しました。

その時に、できたら後日直接お伺いして、直接お話をしたいと考えていました。

すると、教科主任の先生の電話を代わられました。

その際、私はもし可能であれば、大変申し訳ないのですが教育実習の期間を9月に変えてもらえないかとお伺いしました。

失礼にあたるのはわかっていましたが、教職免許も今まで頑張ってきた分しっかり取りたいと考えていたので、お願いしました。

わたしとしては、企業と高校に、早い段階からアプローチしておいたほうが迷惑が掛からないのではないかと考えた結果でした。

その電話先でかなり怒られましたが、職員会議にかけるので、連絡を待っていてほしいと言われました。

しかし、いつまで待っても一向に連絡が来ないのでこちらから問い合わせてみたところ、
再び電話口でかなり怒られ、実習期間は9月に変更してもらえたのですが、
後日高校に来る日時を指定され、一方的に電話を切られました。

怒られた内容は、一回目も二回目もだいたい同じようなものでした。

教育実習は本来、高校のボランティアで行っているもので、実習生の都合にいちいち対応していられない

このような場合キャンセルするのが当然なのに、普通は変更は認められていない

先生になる気もないのに中途半端な姿勢で臨まれては迷惑

だいたい電話一本で済ませようとするのがおかしい

企業にもお願いしたところずらしてもらえても実習期間内でした。

私は初めの電話は、相談のつもりで電話をしました。
地震で、どうしたらいいのか全く分かりませんでしたが、相談できるところもなかったので電話をしました。

そこで主任の先生に突然電話相手が代わり、時期の変更などを聞いてみたところ話が進みました。

直接行くつもりでしたが電話だけで話がすんでしました。

連絡を待つように言われたのでかけなおしてみたところ怒られましたが、
私はキャンセルしたほうが迷惑になるのではないかと考えていたので、時期の変更意外に思いつきませんでした。地震という非常時だったので、何か措置を引いてくれるのではと、少し期待していました。

教員になるつもりはありませんが、
途中まで本気で先生になりたいと思ってきました。しかし在学中にやりたいことが見つかったので、民間企業を志望する結果となりました。
しかし今まで大変な教職課程を受講してきた身として、しっかりと免許を取りたい、という気持ちがありました。

電話一本で済ませるつもりもなかったのでとても不本意でした。

加えて高校の時の先生に怒られるというのは、とても精神的ダメージが大きく、来週に実習校に呼び出されたわけですが、とても気が重いです。

私が悪いのはわかります。
周りの友人は、この非常時なんだから高校が地震に合わせた対応をしてくれてもいいんじゃないかと言ってくれますが、本来ならば、実習期間の変更はとても失礼です。

しかし怒られている内容がなんだか腑に落ちなくてもやもやしています。
なんだか気持ちがまったく伝わっていなくて残念な気持ちになりました。

それに職員会議にかけられた以上、先生方の周知の事実なので、実習中の風当りはとてもきついのではないかと思います。

私の取った行動は間違えだったのでしょうか。
大学には相談機関がないので、いまとてもつらいです。

またこれからどうしたらいいのか、とても気持ちが落ち込んでいます。
実習に行きたくないですが、これ以上迷惑もかけられません。

来週高校に行くと思うと気が重いです。
なにかアドバイスがあればおねがいします。

少し長くなりますが、聞いてください。

私はいま大学4年生です。

今回地震の影響で、就職活動が大幅にずれ込んでしまい、6月に選考開始となりました。

6月には教育実習が控えていたので、心配になりましたが、私の大学には教育実習に対応した相談窓口がありません。

そこで大学のキャリアセンターに問い合わせたところ、
企業か、実習高校に連絡して事情を話してみるしかないと言われました。

その時はまだ、3月中でしたので、就職活動は6月開始ということはまだ未定で、とりあえず採用活動は中止・延期とい...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

…高校側の応対は客観的に見て非常に納得の行くものですね。
むしろ受け入れてもらえてよかったと思います。

あなたとしては地震や就活のことがあり
また「別に初めから電話で済ませようとしてたわけではない」という気持ちも
分かります。
ただ、相手にはそれはわかりませんよね。

社会人になるってそういうことなんですよ。

あなたの中ではやはり、色々な面で
「仕方ないじゃん」という甘えがあったと思います。
それを相手が汲んでくれてもいいだろう…という甘えです。
それは学生時代の特権です。
教育実習を迎え入れる高校も、あなたを学生としてではなく
「ちゃんとした社会人になれるか」という観点で見ています。
こういう場合に「そうだね、じゃあしょうがないよね~」という対応だったら
むしろあなたを社会人として見ていないということですから
「そういうナアナアの対応には憤慨してもいい」というくらいの気持ちで
これからはやっていかなければなりませんね。

高校側はあなたに本当に良い勉強をさせてくれたと思います。
これが社会人の一発目の洗礼だと真摯に受け止めて
言い訳はせず、非は認め、一生懸命実習には取り組む
それしかないと思います。
あなたの実習期間を見て、高校の先生方もまた色々考えられることがあるでしょう。
大丈夫ですよ。

どうか頑張ってください。

こんにちは。

…高校側の応対は客観的に見て非常に納得の行くものですね。
むしろ受け入れてもらえてよかったと思います。

あなたとしては地震や就活のことがあり
また「別に初めから電話で済ませようとしてたわけではない」という気持ちも
分かります。
ただ、相手にはそれはわかりませんよね。

社会人になるってそういうことなんですよ。

あなたの中ではやはり、色々な面で
「仕方ないじゃん」という甘えがあったと思います。
それを相手が汲んでくれてもいいだろう…という甘えです。
それは学生時代の特権で...続きを読む


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