戦後から1960年代の日本文学について
勉強したいと思っています。
文学史的な概論や時代状況を勉強するに、
適した参考書を教えてください。

それとはべつに個別で
幸田文の位置づけについて知りたいのですが、
なにか良い本はないでしょうか。
どのような作家に影響を受けたのか、
などを知りたいです。

よろしくお願いします。

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A 回答 (7件)

#4です。



たしかに、個別の作家について調べていく事のなかでも、その作家を取り巻く文学史的状況を把握していくという事は幅広い知識を要求されるので、大変かと思いますが、それでも作家が定まっているのであれば、それら作家のの作家論をいくつか読んで、そこに出てくる用語、文献を足がかりに根気良く調べていくのがよいかと思います。一応わかる範囲でアドバイスさせていただきます。

幸田文については、#5の方が詳しく説明されている通り、文壇の大きな流れからは少し離れていると思います。

吉村昭と山本周五郎についてですが、これは、
>戦後から1960年代の日本文学
という括りで調べるのは大いに意義のあることかと思われます。

というのも「戦後から1960年代の日本文学」の歴史とは、一面で言えば、日本経済の発展に伴って出版コマーシャリズムが文学において勝利を収め、「純文学」のあり方が大きく変質した歴史であると言え、彼らはこの流れの中で文学的変遷を経ていっているからです。

戦後すぐの文学は、戦前からの流れを受け、総合雑誌(「文藝春秋」「世界」「改造」「中央公論」など)、新興出版社の文芸雑誌(「人間」「風雪」「群像」「個性」など)、戦前から続く文芸雑誌(「新潮」「文學界」「文藝」など)が純文学作品を掲載し、再び文藝復興の様相を呈していました。

一方で、探偵小説や、時代小説は、それぞれ探偵小説雑誌、講談雑誌などでまさに大衆文学として読者に受容されていました。戦前からこの時期までは大衆文学と純文学は棲み分けがなされていたと言えます。

しかし、1946年に創刊された「小説新潮」、および1947年に創刊された「日本小説」が、旧来の自然主義文学とはことなる、強いストーリー性を持った作品を多く掲載し、成功を収めます。これが、いわゆる「中間小説」です。当初「文藝春秋」の別冊として講談雑誌的性格をもって始められた「オール讀物」もこれに追随し中間小説誌となります。

この中間小説誌が、大衆文学作家を多く起用し、消費者に広く受け入れられ、朝鮮特需を背景に出版業界の消費拡大を牽引しました(1950年代初頭)。そうして、大衆文学が「売れる」文学となる一方で、純文学は徐々に「売れない」文学となります。(あるいは、「中間小説」という言葉に象徴されるように、大衆文学と純文学のボーダーレス化が指摘されるようになります。)これは、「週刊新潮」などの週刊誌の創刊によってさらに加速することとなりました。

一方、1956年に芥川賞を受賞した石原慎太郎の「太陽の季節」が一代ブームとなったのを受けて、純文学内部でさえ、「売れる」「売れない」という基準がはっきりとするようになっていきます。
このような中で、自然主義的・私小説的な「売れない」文学のシェアは制限され、「文学者」「文藝首都」あるいは「早稲田文学」「三田文学」といった非商業的文芸雑誌や同人誌が、純文学者の活動の場として機能するようになります。同人誌の隆盛(勿論非商業的な隆盛ですが)は1970年代前半まで続きますが、オイルショックによる紙不足の影響を受け、1970年代に大きな打撃をうけることとなるのです。

前置きが長くなってしまいましたが、吉村昭に関しては、1966年の「戦艦武蔵」が出世作と言われますが、それ以前には、上記「文学者」において長く同人活動(純文学活動)を続けています。「文学者」には奥さんの津村節子、瀬戸内晴美(寂聴)などがおり、この3人は、小田仁次郎の「Z」という同人誌にも参加しています。特に先日亡くなられたばかりですので、新しい文献で回顧録、追悼談のようなものが手に入るかと思います。(「文學界」の追悼特集が充実していたかと記憶しています。)

また、山本周五郎は、戦前から活動していましたが、初期はやはり、講談雑誌を中心とする大衆文学雑誌での活動が長かったかと思います。その後、中間小説雑誌の隆盛に乗って人気作家となっていく意味では上記に挙げた流れの典型と言えます。こういった観点からは、十返肇の「「文壇」崩壊論」(参考URL)に具体的例として山本周五郎の名前があげられています。

蛇足かもしれませんが、これ以降(1970年代以降)の純文学の更なる変質については柄谷行人の言うような左翼の衰退による文学の役割の終わり(近代文学の終わり)ではなく、あくまでオイルショックから立ち直りバブル景気を迎える事によって出版コマーシャリズムがさらに加速したという流れが重要ではないかと私は考えます。

参考URL:http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/toga …
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この回答へのお礼

返答ありがとうございました。
簡便な流れがつかめて
調査の出発点として
参考になりました。

お礼日時:2007/03/05 09:05

#4です。

連続で申し訳ありませんが、訂正です。


>こういった観点からは、十返肇の「「文壇」崩壊論」(参考URL)に具体的例として山本周五郎の名前があげられています。

確認したら、“山本周五郎”の名が出てくるのは「批評家の空転」の方でした(参考URL同じ)。失礼しました。

参考URL:http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/toga …
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お礼欄にありました個別の作家について回答します。


あげていらっしゃる三人の作家の方は、いずれも「文学史」の文脈で扱うのはむずかしい作家である、といわざるをえません。
ですから、調べるとしたら、個々の作家研究という形になると思います。

まず、この三人のなかで「大衆文学」の作家という分類にあてはまるのは、山本周五郎だけでしょう。わたしはこの方面に関する包括的な研究書については知識がありません。
山本周五郎に関しては、とくに個人史という側面から木村久邇典がまとまったものを数多く(『山本周五郎 横浜時代』『人間 山本周五郎』など。内容は未見のため不明です)出していたように思います。奥野健男にも『山本周五郎』という評論があります。
加えて、昨今の読書感想文のような「あとがき」とはちがって、新潮文庫版の山本周五郎の個々の作品の巻末解説は、木村久邇典始め、『青べか物語』では平野謙、『虚空遍歴』では奥野健男など、かなり充実した内容になっています。それを丹念に集めていくだけでも、ある程度の知識は得られることと思います。

つぎ、幸田文ですが、この人は、作家を志して文学者の道を歩んでいった人ではなく、晩年の露伴に寄り添い、父・露伴の身辺や言行を記すことから書き手となっていった人です。したがって、文学史的に「だれの影響を受けた」「何の系列に属する」という評価がしにくい人である(影響を受けたというと、露伴、ということになるのでしょうが、露伴自身がまた文学史的に位置づけにくい人でもあります)。ほとんどの文学史のなかでもふれられていないと思います。
関連書というと『幸田文の世界』(金井景子・小林裕子・佐藤健一・藤本寿彦編 翰林書房)ぐらいしか知りませんが、これはエッセイあり、批評・論文あり、といった性格のもので、まとまった論考ではありません。

ただ、近年、幸田文はその文章・文体について注目されているのではないか、という印象を受けます。
おそらくその嚆矢となったのは、ドメニコ・ラガナの『日本語とわたし』(文藝春秋社)ではないかと思うのですが(これは私見)、この本の中で、イタリア系アルゼンチン人であるラガナが日本語で幸田文の『流れる』を読もうとする。ところが「このうちに相違ないが、どこからはいっていいか、勝手口がなかった」という文章が理解できなくて、悪戦苦闘するさまを描いた部分があるのです。
わたしは日本語・日本語論のなかで、『日本語とわたし』のこの部分がさまざまな本の中で引用されているのを、軽く十回は目にしました。そのくらい、主語を持たない日本語の特殊性を端的に示す文章と言える。
ほかにも擬態語の使い方、描写を含め、この方面からのアプローチは多いのではないかと思います。

吉村昭に関してはまとまったものを読んでいるわけではないので不明です。

以上、参考まで。
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この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます。
図書館にアクセスしにくい状況にあるので
だいたいの事情を知りたかったのですが、
おおまかに分かりました。
ドメニコ・ラガナの話はたいへん面白く読みました。
どうもありがとうございます。

お礼日時:2007/02/19 19:24

平野謙には『昭和文学史』(1963 筑摩書房)、『わが戦後文学史』(1972 講談社)がありますね。



基本的には、「近代文学」と「新日本文学」という二つの雑誌に拠った人々がいて、アプレゲール、戦後派(第二次)、第三の新人と呼ばれた人々がいて、短かったけど無頼派とか新戯作派とかよばれた人々がいて、鎌倉文士を中心とする古参の人々がいて、そうして大衆文学の隆盛があるみたいな事が“主流”の戦後文学史で、そのへんは、実は『日本近代文学大事典』(1977 講談社)を使って、個別に調べていったり、「戦後文学」の項目を引いたり、4巻(新聞・雑誌編)の戦後文学に関わるものを眺めていったりしたほうが、1冊の「文学史」を読むよりも、実は勉強になるのかなぁと思います。

その上で、#1や#3の方が挙げられている近代文学派の人や、あるいは吉田精一や中村光夫などの書いた「文学史」を読んでみたりすれば“主流”は押さえられるかと思います。

でも、もしそういう“主流”の歴史を一通り勉強されたら、以下のような本も読んでみてください。

野口冨士男『感触的昭和文壇史』(1986 文藝春秋)
高見順『昭和文学盛衰史』(1958 文藝春秋)
和田芳恵『ひとつの文壇史』(1967 新潮社)
巌谷大四『瓦板戦後文壇史』(1980 時事通信社)

作家や、評論家だけではなく、編集者や、同人誌の人々が支えていたのが戦後文学であるというのも、知っておくべきかな、と思います。特に上二つは必読かと。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
戦後文学のなかでも、とりわけ以下の3人について
調べる必要があります。
幸田文、吉村昭、山田周五郎。
いただいた回答の中では大衆文学の範疇に入る
のか(勘ですけれど)、と思います。
大衆文学に絞ったような参考書をご存知でしたら
教えてください。

お礼日時:2007/02/16 19:21

戦後文学というと、やっぱり、雑誌『近代文学』の人たちのものが一番でしょうね。



『近代文学』といえば平野謙、本多秋五、埴谷雄高、荒正人、佐々木基一、小田切秀雄・山室静ですが、そのうちの平野、本多、荒、佐々木のものが著作も多く内容も濃いようです。
本多秋五のは(『物語戦後文学史』は私も名著だと思っています)すでに出ていますので、私からは平野謙を。

平野謙全集第十巻『文藝時評I』新潮社
これは、昭和21年から昭和36年までの文芸時評のすべてをまとめたもので、時評なのでナマナマしいのですが、逆に戦後文学を時系列的に眺めやすくなるものと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
平野謙が時評のなかで幸田文に
ついて触れているかどうか、
もしご存知でしたら教えてください。

お礼日時:2007/02/16 19:17

No.1ですが、著者の名前の表記を間違えました。

「本多秋五」が正しいです。
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戦後文学については下記の本が名著の誉れ高く、これをお読みになるのがよいと思うのですが、残念ながら版元品切れになっています。

図書館で探すか、書店の棚、古本屋で探すしかないようですね。
本田秋五著「物語戦後文学史」全3冊(岩波現代文庫)
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/26/4/260106+.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2007/02/16 19:15

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よろしくお願いします。

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 戦時中に限って回答させていただきますが,
http://mltr.free100.tv/faq08n.html#06064
http://mltr.free100.tv/faq08f02.html#02329

から纏めますと,以下のようになります.

 1940年の時点では,米の年間消費量1200万トン.
対して,国内総生産量は900万トン,つまり,差し引き300万トンは不足し,タイやインドからの輸入,朝鮮,台湾からの移入で賄っていました.

 外米輸入に必要な貨物船は,1万総トン級(今は10万総トンとかありますが,当時はこれくらいの規模が最大級)のものでも,単純計算で300隻必要になります.

 1945年には米の備蓄量は僅か3.8日分まで落ち込んでいます.
 これは移送に使用する船が悉く撃沈されたためでもあります.
 また,B-29によって日本列島近海には機雷が撒かれ,船舶の通行を妨げます.
 B-29による海上封鎖用の機雷投下は,昭和20年3月から始まっています。
 5月から本格化した機雷投下は,終戦まで続けられ、12.000個が敷設されました。

 この効果はすさまじく、終戦までに喪失した日本商船は総計890万総トン(2.534隻)に上りますが、その内訳は
*潜水艦 54.7%
*空母機 16.3%
*海軍および海兵隊機 4.3%
*陸軍機 10,2%
*機 雷 9.3%
*海難事故等 4%
で、実質わずか4ヶ月ほどで一割近い戦果を達成しています。

 関門海峡は繰り返し敷設され、いくら掃海しても間に合わない状態でした。
 瀬戸内海全体でも被害が出てますし,
 佐世保・舞鶴も封鎖されています。
 博多・仙崎・敦賀・七尾・伏木・新潟・酒田・船川など、日本海の主要港が主な標的で、八戸が最後に掃海完了となりました。

 また,機雷散布以外にも,灯台や気象観測所のような航路標識にも攻撃をしたりと,地味ながら確実に効く通商破壊戦を仕掛けました。
 これらのお陰で船舶輸送は殆ど麻痺、資源採掘地では輸送できない資源が山積みにされ、工場は殆ど操業できない状況に陥ります。
 モータリゼーションがあまり発達していなかった当時の日本にとっては致命的で、このまま戦争が続けば冬を越せない地域が出るという試算が出ていました。

 これらの結果,日本人の主食とされた米の生産は,1936~40年の五カ年平均(1,098万トン)を100とした場合,45年には60(660万トン)に下がり,この傾向は他の農産物でも同じでした.

 ちなみに,主要蛋白源である水産物(鮮魚,塩乾魚)にしても45年には39年の65%(198万トン)まで落ち込んでいます.
 これは,それを捕る漁船が海軍に徴用され尽くしたところにもありましたが.

 戦時中に限って回答させていただきますが,
http://mltr.free100.tv/faq08n.html#06064
http://mltr.free100.tv/faq08f02.html#02329

から纏めますと,以下のようになります.

 1940年の時点では,米の年間消費量1200万トン.
対して,国内総生産量は900万トン,つまり,差し引き300万トンは不足し,タイやインドからの輸入,朝鮮,台湾からの移入で賄っていました.

 外米輸入に必要な貨物船は,1万総トン級(今は10万総トンとかありますが,当時はこれくらいの規模が最大級)のものでも,単純...続きを読む

Q文学部で現代日本文学作品だけを学ぶのは無理?

文学部進学を選択肢の一つに考えている高校生です。

文学部に進学したら現代日本文学作品を学びたいと思っています。昔から小説を読むのが好きで、古典作品よりも、明治以降の作品(さらに言えば、例えば村上春樹さんのように今リアルタイムで執筆活動をされているような作家さんの作品)の方にに学問的な興味も寄っています。大衆文学でも純文学でも。自分が読んで育ってきた時代のものを研究したいという気持ちが強いです。
ちなみに志望校については、京都大学の学風に大変惹かれており、今のところそれ以外を考えたことがありません。

しかし、その文学部について調べていて引っかかる点が少しありました。
他の大学もそうだと思うのですが、国文学は文学部の中でも「東洋文化系」という大きなくくりの中に属していますよね。
その東洋文化系の必修科目や専門科目は、
・中国・韓国語・サンスクリット語などの外国語
・中国古典文学・漢文・国語古典文学・インド古典文学
がほとんどという印象でした。
国語学や国文学もありますが、それ以上に外国語や他国の古典文学の授業がかなりを占めていると思います。
さらに国文学の授業でも、古典文学だけを扱うのが文学部の一般的常識だと聞きました。これは本当なのでしょうか。
教授の研究テーマを見ていても、現代日本文学を専門にしていらっしゃる方がいらっしゃいませんでした。
京大以外の国立大も軽く見てみましたが同じような印象を持ちました。

これは、大学の文学部に進学しても現代日本文学を本格的に学ぶことはあまりできず(卒論を除く)、他国のものを含む古典文学・外国語ばかりということになるのでしょうか?

古典文学も外国語も嫌いではありませんが、現代日本文学をあまり学べず、そちらにウェイトがかなり寄っているなら、他学部に進学して独学で文学を学ぶ方が幸せなのかなぁという気がして迷っています。
文学部で現代日本文学作品だけを、とまでは言いませんが、少なくともそれを専攻にしていると言えるようにはなりたいのです。
それが無理ならば、現代日本文学を学びたいという人が、古典文学や外国語をやる意味って何でしょうか?

文学部に在籍経験のある方や、その辺の事情に詳しい方の回答を頂けたらと思います。些細な情報でもかまいません。よろしくお願いします。

文学部進学を選択肢の一つに考えている高校生です。

文学部に進学したら現代日本文学作品を学びたいと思っています。昔から小説を読むのが好きで、古典作品よりも、明治以降の作品(さらに言えば、例えば村上春樹さんのように今リアルタイムで執筆活動をされているような作家さんの作品)の方にに学問的な興味も寄っています。大衆文学でも純文学でも。自分が読んで育ってきた時代のものを研究したいという気持ちが強いです。
ちなみに志望校については、京都大学の学風に大変惹かれており、今のところそれ以外を...続きを読む

Aベストアンサー

 こんにちは。「文学が好き」と「文学を学ぶ」では「文学」というもののスタンスが異なることにお気付きでしょうか。そして「文学が接している領域」がどこまで及ぶか、をお考えになったことがあるでしょうか。高校生を含めての受験生にとってはいささか失礼かと存じますが、敢えてこのような問いを返させていただきます。
 口幅ったい言い方かもしれませんが、「文学」を人間の精神的な営みと理解するのであるなら、それが関わる範囲は「人間が関わる全ての領域」と規定することも可能で、それは社会学や法律学、政治学などの社会科学はもとより心理学や哲学といった思想系、時には人間が対象として観察している自然科学分野にまで及びます。そしてそうした全てをひっくるめた歴史にも脚を踏み入れねばならないことも普通です。
 「小説を読むのが好き」と仰る質問者からすれば、近代以前の作品は「小説」ではないのかもしれません。けれど『蜻蛉日記』や『更級日記』も解釈次第では「小説」でもあるとの事実を忘れてはならないでしょう。両者は共に「私小説」です。それは「私に降りかかった事象」を私の目線で見たこととして「自己対象化」の要件を完璧にクリアしていることによります。
 この要件を近代以後の作品に適用してみるならば、漱石、竜之介、そして公房や由紀夫、健三郎といった作家全てにあてはまることにもなります。
 こうしたことを考えてみると、最初の質問である「文学を学ぶ」とはどの様な意味を持ってくるといえるでしょう。そして具体的な内容はどの様な言葉として説明することになるでしょう。ここまで来た時、一先ずの定義を示すこともできます。少なくとも「文学なるもの」を研究対象とする時にしか、この言葉を使うことが出来なくなるとの話です。
 恐らく今後もノミネートされることはあっても村上春樹さんがノーベル賞を受賞することもないでしょう。それは文学が時空を越えて数多くの人と感動や認識を共有することで認められているからとの「文学の存在理由」との間でかなりの隔たりがあることも作用しています。
 『青が消える』が普遍の問題を扱っているといえるでしょうか。この作品をどの様な視点からターゲットとして観察することができるでしょうか。少なくとも僕には公房と類似するテーマを扱いながら彼の一連の作品を凌駕するとも考えられません。春樹が書いているのは「僕にとっては大切なもの」が他から見れば「さほどの意味はないもの」であるとの描写に留まっている点で、公房の足下にすら及ばない。だからどうしたの?で終わってしまうほどの作品ともいえます。
 質問者は「同時代の作家を対象とした」と肩に力を入れて力説していますが、戦後そして1945年以前の作家が同時代の空気を採り上げていないとの考えならば、それは大間違いともいえます。彼らは全員「自分の目線」とのフィルターを通じて社会そして世界を観察し、それを「言葉」として再び世界に放ち、読者(研究者も評論家も)に投げ返してきた、「社会とは…」「世界とは…」「私とは…」そして「これら私を取り巻くものと私の関係は…」との形で。
 少し厳しい言い方になりますが、質問者は「文学」を全く知らないといっても過言ではありません。公房が海外でF.カフカやS.ベケットさらにはA.カミュ、健三郎がG.グラスなどとの同時代の観察者として考察の対象になっていることをご存知でしょうか。またなぜ和歌や俳句に関する研究で外国の研究者の方がより本質的な部分にまで切り込むことができるのか考えたことがあるでしょうか。
 芭蕉の旅は西行の旅と重なる部分が数多くあります。清少納言や兼好の言葉には李・杜、白居易をはじめ多くの言葉がちりばめられてもいます。これはなぜでしょう。それを読む人からすれば、まさに現代の言葉でもあるからです。雪降る朝の光景が「香炉峰の雪」を想起させると清少納言が感じたから、それを言葉にしたのであり、そうした姿をペダンティックと評するのも一つの解釈です。けれどもそれは「清少納言という人物像に対する評価」であり「『枕草子』に対する評価」とは異質なものといえます。
 どうやら質問者は「大学で学ぶ」ことを勘違いしている可能性も多分にあります。専門の教員がいないから学ぶことができないとなれば、質問者の文学に対する姿勢は常に受け身といえ、そこから何を引っ張り出すかとの最も大切な作業を放棄することになります。このような生半可な姿勢では理論構築のない分野とはいえ、何を求めるかとの自らが立てた問いに対する答えを見つけることは到底叶わないともいえます。
 「京都大学の学風に惹かれる」とはあっても、文学部に学風は無関係です。京大文学で「学風」と呼ばれるのは歴史学での「内藤史学」や哲学での「西田哲学」といった「研究スタイル」や「アプローチ視角」での特色です。老婆心ながら誤解されませんように。
 なお「日本文学科」や「国文科」が対象領域として扱うのは必ずしも古典だけではありません。近代以後、「第三の新人」と呼ばれる作家までは対象範囲に含まれます。志望選択をする以前に少なくとも、近代文学史の概要程度は頭に叩き込んでおいていただきたいですね。それが常識ですよ。

 こんにちは。「文学が好き」と「文学を学ぶ」では「文学」というもののスタンスが異なることにお気付きでしょうか。そして「文学が接している領域」がどこまで及ぶか、をお考えになったことがあるでしょうか。高校生を含めての受験生にとってはいささか失礼かと存じますが、敢えてこのような問いを返させていただきます。
 口幅ったい言い方かもしれませんが、「文学」を人間の精神的な営みと理解するのであるなら、それが関わる範囲は「人間が関わる全ての領域」と規定することも可能で、それは社会学や法律学...続きを読む

Q戦後の日本の農業政策はどうあるべきだったのでしょうか?

後継者がいない、採算が合わない、温暖化によるじわじわとくる被害など農家を取り巻く環境に明るい兆しが見えてこない中、なぜ衰退してしまったのだろうと疑問に思います。特に専業農家は往々にして倹約した質素な生活をし、隣近所で美味しさ収穫量を競いあい、人によっては一日の労働時間まで隣と競い合うといったように一生懸命働いて来たのは事実です。農水省や政治家の体質に問題があるのはやっとマスコミで取り上げられ、浄化されつつあると思いますが、体質以外にどういう政策がどのようにまちがっていてどうあるべきだったかが知りたいです。あと、回答者様のこれからどうすればいいかといった建設的な意見、理想を教えていただければと思います。もちろん長文でも大歓迎です。

Aベストアンサー

次のように考えています。

1.戦後、アメリカで生産された過剰な小麦を政策上受け入れ消費させるため、日本の食生活を、半ば強制的に欧米化を進めたこと。(例 学校給食のパン等)

2.農家の自立を目的に折角農地改革で自作農を多く作り出したるのに、1.の結果米余りが発生し減反施策を続けることとなったこと。

3.このことで作付け面積が減り、機械など固定経費が多く占める農業経営者にはわずかな補助金を加味しても確実に減収となったこと。

4.この経過を知らない消費者は、米を作らず補助金を受ける農家は楽をしていると短絡的に考え、農家の窮状に理解を示さない考え方が一般化したこと。

5.3と4から農家に生まれても好んで農業に従事せずサラリーマンを本職とし、農業は副業扱いとする第二種兼業農家を大量に産み出したこと。

6.従事する時間が短い副業化に対応するため、小規模であってもより機械化が進み、ますます採算が合わないものになってきた。(機械化貧乏)

7.こうしたことを続けて3~4十年経過し、5のサラリーマンを本職に副業として農業を行っていた人すら六十代を迎え高齢化してきたこと。さらに彼らの子どもの世代になると副業ですら従事する魅力のないものになっていること。

いまここ↑

他の問題点
ミニマムアクセス米と言ってアメリカを始め多くの国からたくさんの米を輸入していたことは、ごく最近汚染米の問題が出るまでは国民の多くが知らなかったことで、食の安全に危惧する消費者だけでなく、米余りだからと減反を強られていたのに実は他国から米を受け入れていたからだと知った農家の中にも政策に不信感を抱くようになった。

解決への考え
圃場整備による一区画面積を拡大することにより機械化の効率を高めることや個人による経営でなく組合による大規模経営耕作が必要なことは従来から言われてきていることですが、根本的には戦後の農政が農家や消費者のためのものでなく、弱腰外交のしわ寄せが農政にきているのが最大の原因であり、消費者や農家を含め国民の立場にたった外交施策と農業施策が一番と考えます。

次のように考えています。

1.戦後、アメリカで生産された過剰な小麦を政策上受け入れ消費させるため、日本の食生活を、半ば強制的に欧米化を進めたこと。(例 学校給食のパン等)

2.農家の自立を目的に折角農地改革で自作農を多く作り出したるのに、1.の結果米余りが発生し減反施策を続けることとなったこと。

3.このことで作付け面積が減り、機械など固定経費が多く占める農業経営者にはわずかな補助金を加味しても確実に減収となったこと。

4.この経過を知らない消費者は、米を作らず補...続きを読む

Q高校3年の受験生です。 日本大学文理学部英文学科はどのようなことを学びますか? 文学についてが多いの

高校3年の受験生です。
日本大学文理学部英文学科はどのようなことを学びますか?
文学についてが多いのでしょうか?

Aベストアンサー

日本大学文理学部英文学科の公式サイトを調べてみてください。
開講科目が紹介されていますから、その科目名から、だいたいの推測がつくのではないでしょうか。

なお、大学では、学科の専門科目以外に教養科目などの履修もありますので、学科の開講科目だけが大学で履修するべき科目ではない、というのは覚えておいてください。

Q婦人会!!!

婦人会に、みなさん入ってますか???
なぜ入らないといけないと思いますか?

Aベストアンサー

婦人会ってなんですか?
何年か専業主婦やってますけど、そんなもん聞いた事ありません。

Q文学を勉強するところは大学の文学部しかないのでしょうか?

文学を勉強するところは大学の文学部しかないのでしょうか?専門学校みたいなところはないのでしょうか?
おしえてください!

Aベストアンサー

文学の何を学びたいのですか? 創作でしょうか? 作品研究でしょうか?
結論から言えば、No.2 の方が仰るように、やる気さえあればどこででも学べます。

大学の講義というのは、あくまで初学者が入って行き易いな道を用意している
だけで、これが無ければ学問は出来ないというものでは全くありません。
学問を一から本を読んで独学で始める、というのが少々効率が悪く、
挫け易いんですね。そういう最初の一歩が必要なのであれば、大学の受講生
になると良いかと(モグリでもいいけど)。教養科目なんか受けないてよいし。
放送大学という手もありますしね。

大学生にしたって、講義のイントロダクションが終われば、自分で本を読んで
学ぶんです。自然科学の場合、実験などはさすがに自分では出来ないでしょうが、
人文の場合、大学でしか出来ない勉強なんて、学芸員の実習などといった
特殊なものを除けば、殆どありません。大学の講義レベルの内容は、
すべて本で出ています。


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