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伊藤博文はどのような人物だったのでしょうか。
高校世界史選択で日本史やってないので、特に近現代史にとても疎いのですが、伊藤公の政治家としての功罪はどのような点でしょうか?

維新の志士のイメージがなくて、どうも文官的な印象があるのですが、実際はどういった人柄だったのでしょうか。

ご教授頂ければ嬉しいです。

A 回答 (1件)

明治日本国家の 演技者。


大久保利通がグランドデザインを作ったとすると、伊藤博文は、それを実際に動く明治国家として実演したものといえます。

大日本憲法を作るために、ドイツに行って勉強。自分の別荘に優秀な人間を集めて、作り上げました。

そして、最初の総理大臣。前例がないことを、やった人。

政党を政治に組み込むことを始めたのもこの人。

明治天皇に「女遊びはするなよ」と、軽口たたかれるくらい信頼されていたそうです。

そういったキャラクターだったために、保守派が毛嫌いすることも、平気でやれたのでしょう。

しかし、保守派が旧守して、在野や野党の人間の不満がたまるようなことを、率先して実施したために、明治国家は内部の問題を解決して前に進めたのだと思います。

日露戦争当時、伊藤はロシア提携派で、日露開戦に反対しておりましたが、ポーツマス会議に出る小村寿太郎(当然、反ロシア派)に「講和は厳しい条件となり、世間から袋打たたきになるだろうが、僕は支持するから」(というような事を言った)そして、国民感情として講和反対の大合唱の中(日比谷焼き討ちとかありました)ちゃんと、横浜港に、小村寿太郎を迎えに行っています。「お疲れ様」と。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私も少し検索してみましたが、無類の女好きだったようですね。しかし天皇に注意されるほどとは・・・
他の元勲と違ってほとんど蓄財することもなかったようですし、そういう意味では私利私欲のない人だったのでしょうか。今太閤ではないですが農民から公爵・総理大臣にまで上り詰めた人にしては意外な感じもしました。

しかし知れば知るほど、維新の志士というイメージが薄らいでゆきます。

お礼日時:2007/02/21 09:26

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