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よく、病気になると健康のありがたさが分かると言います。確かにそうなのですが、健康のありがたさを理解するのに病気になる必要があるでしょうか。
また、平和を語るときにも戦争が出てきますが、平和を理解する為には戦争が必要でしょうか。戦争を使わずに平和を理解することはできないでしょうか。
大人になれば知識と経験で理解した気にもなりますが、子供達にはどのような伝え方があるでしょうか。反対物を用いずにそれを理解させたいと思います。

A 回答 (5件)

おっしゃるように、大人の場合でも「>知識と経験で理解した気に」なっているだけ、ということが殆んどではないでしょうか。


健康に対する病気、あるいは死。
平和に対する戦争。
一人の人間がどちらの方向にも向かい得るという事実があるにも拘わらず、これを理解し得ないのが実際のところでしょう。
体験することが理解につながる近道であることは確かでしょうが、戻ってこれない道である可能性も当然あります。
「>反対物を用いずに」本質的理解をしてもらうには、本人の『想像力』しかないのではないでしょうか。

健康というものがあるわけではなく、病気あるいは死は常に同居しているものである、という事実。
ただ、わずかに健康という要素が優位になった状態でバンラスが取れているだけにすぎない、という事実。
戦争によって他人を殺すということは人間を殺すということであり、それは取りも直さず人間である自分も殺されて不思議はない存在であることを(無意識的に)認めることになってしまう、という事実。
他者を傷つけることによって自らの無意識に兆すやりきれなさ、から逃げていては根源的な精神の安らぎは得られない、という事実。

伝えることは可能かもしれませんが、それが子供達の血肉となり彼ら彼女らの生命力のベクトルとして働き得るかどうかは疑問に思います。
理解したと【思うこと】と、心底【納得すること】は似ているようで全く違うものだからです。
環境からのあらゆる刺激に対して言えることでしょうが、
人は自らの感性や思考によって獲得したものしか信じないでしょうし、それに従って行動することもできないでしょう。

大人の役目は、真実を獲得するための(あるいは模索するための)手段として極めて重要な役割を果たす想像力の芽を伸ばせるよう、
芽の上に重石を乗せたり、筋違いの矯正によって萎縮させたりしないようにすることではないか、という気がします。
無論、しつけが不要という意味ではありません。
  
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この回答へのお礼

中庸ということの難しさを痛感します。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/02 09:31

こんにちは。



「健康」・「平和」の「ありがたさ」を「学ばせ」「理解させたい」ということですが、
まず、何かを「認識」するということは、すべて、何かとの比較によってのみ可能です。
目の前に転がっている鉛筆が「鉛筆である」と認識するためには、
それが、コップやフォークや紙や・・・ではない、というように、
他のものと区別することによって、それが「鉛筆である」と認識しています。
このようにして、さまざまな物・事に、名前が付けられています。

次に、「健康と病気」は、2つの別々のものではありません。
「平和と戦争」も、「幸福と不幸」も、2つに分けられるものではなく、
ひとつの連続体の中で、つながっているものです。
「山と谷」「白と黒」「右と左」のようなものです。
「山と谷」の間には、8合目や5合目や2合目が存在します。
「白と黒」の間には、無数のグレーが存在します。

先ほど申し上げたように、目の前にいる馬が「馬である」と認識するためには、
それが、犬や猫や花や草や・・・ではない、という具合に、他のものと区別しています。
さらに、馬の、「頭」と「しっぽ」を分けて考えるとします。
でも、「頭」も「しっぽ」も、馬です。
もし、「健康」「平和」「幸福」といったものが、馬の「頭」で、
「病気」「戦争」「不幸」といったものが、馬の「しっぽ」だとしたら、
「馬」にあたるものは、何なのでしょう。
その、「馬にあたる何か」を分かりやすくするために、個人個人が、各自で、
「健康」とか「平和」とか「病気」とか「戦争」・・と名付けているのではないでしょうか。

>子供達にはどのような伝え方があるでしょうか。
:何を伝えたらよいか、というご質問に対しての回答になってしまいますが、
まず、周囲の大人たちが、それらを2つに分けて考えることをやめ、
そして、周囲の大人たちが、各自で名付けた「健康」「平和」という状態の中にいることを
喜んでいる姿・感謝している姿を見せるのが良いのではないかと思います。

ここからは余談ですが、「病気」「戦争」はたいていの人にとって「不快」ですから、
それらを「避ける力」は、子どもたちが勝手に育てていくのではないかと思います。
むしろ大人がするべきことは、それらを「避けること」「避けなさいと教えること」よりも、
それらの状況が訪れたときに、「自分はその不快を抱えることができる」・
「自分はその状況に対してどうしたらよいか考えることができる」という
安心感・自信を与えることではないかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。二元論で分かった気になっていてはだめですね。ご縁があったらまたよろしくお願いします。

お礼日時:2007/03/02 09:28

平和という概念は戦争という概念が無いと成立しません。


男と女の違いを片方の性無しに説明しようとしても説明できるはずがないのと同様です。例えば男性の説明を子宮が無いとか、骨格や筋肉が大きいとか、そういうのは女性との比較でしかないわけで、一切の比較対象が無い状態で何かを定義することは不可能ですよ。解剖学的な見地からの人体の構造というものを理解することは出来ても、それは人体構造の理解でしかなく、男性の理解ではないのです。

ただし女性の気持ちが100%理解できなくても、ある程度の理解は様々な方法で可能です。生理のつらさなどを心底理解するには実際に女性になるのが一番ですし、根本的にはそれしか方法が無いのですが、何も遺伝子レベルで性転換を行ってまで理解するものでもありません。文献やら体験談やらそういったものから想像力を働かすしかないでしょう。
平和の有難さを理解させることは重要ですが、それを理解させるために、戦争を行わなければならないというような暴論は聞いたことがありません。ただ、深い理解を得るためには幅広く知識や経験談に触れるということは重要だと思います。
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この回答へのお礼

概念化された平和は本当の平和ではないのかもしれませんね。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/02 09:30

>子供達にはどのような伝え方があるでしょうか。



普通であることの幸せを伝えるのは難しいことですね。
おっしゃることはとてもよく分かります。
病気になってたくさんの時間やお金を使ってよくなっても
元々の状態に戻っただけで、何を得たわけでもありません。
しかし、そのときにはじめて普通に生きることのすばらしさ
や幸せを実感します。多くの人がそのことは語っています。
カネや名誉ではない、ごく普通の暮らしをすることがどんな
にすばらしいことかと。

で、私の意見ですが、ことさらに健康や平和であることの幸せ
を教えることはないと思います。私たちは身をもって学ぶまで
もなく、日々、北朝鮮やアフガニスタンの人々の悲惨な状態を
見て知っています。そのたびに、青い鳥のように自分の幸せが
実は自分の足元にあることを気づかせてくれます。
その上で、自分の恵まれた境遇や恵まれた平和な時代なのだか
ら自己実現のためにがんばりなさい、と励ましてあげたらどう
でしょうか。NGOやNPOの仕事に関心が向けば、世界の悲惨を解決
する手助けができることに自分の手を差し伸べるような人間に
育ってくれるかもしれません。
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この回答へのお礼

この質問をする際に、言葉を超えた理解という物について考えていた部分もあります。言葉は不便なことも多いですよね。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/02 09:35

【病気になると健康のありがたさが分かると言います。

確かにそうなのですが、健康のありがたさを理解するのに病気になる必要があるでしょうか】
>解釈が違います。病気にならないと解らないという意味ではなく、病気になると健康だったことのありがたみをより実感出来るという意味です。

【平和を語るときにも戦争が出てきますが、平和を理解する為には戦争が必要でしょうか。】
>同様です。

何事もなければそれが当たり前だと思い込んでしまうから、解り易くする為に一定基準を設けてるだけで、比較物などなくとも理解は出来ます。
実際僕は戦争も経験してませんし、大した病気にもなったことありませんが理解してます。
比較物があった方がより大きく感じれるというだけです。

だからそのものだけの説明でも子供にだって解ります。
体験しない以上、知識としてしか理解出来ないのは大人も子供も同じです。
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この回答へのお礼

おっしゃる通り人間は感覚に頼っている部分が大きいですね。知識を超えた理解があるのではないかと思い質問させていただきました。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/02 09:42

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