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日本文学の、写実主義と自然主義の違いがよくわかりません。
写実主義は明治初期に坪内逍遥が提唱して二葉亭四迷が確立したものですよね?
自然主義は明治末期より田山花袋などの私小説的なものをいうみたいですが、なんだかどっちも人間の心理とか真実とかを描き出すことには変わり無いと思うんですが・・。
主義というだけには何か決定的なものはないのでしょうか?ただ単に時期が違うというだけなんでしょうか?日本の自然主義はヨーロッパのものとはまた違うなどあるみたいですが・・。
便覧見ても人に聞いてもいまいちしっくりこなくてしこりを残してます。

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A 回答 (4件)

 実は僕も疑問に思いまして、調べてみたことがあるんです。


 本当に、疑問に思われても無理もないことだと思います。というのは、明治の文学史を見てみると、ひっじょーに奇妙なことが起こっているからです。
 まず、写実主義の方は、おっしゃるとおり、坪内逍遥の『小説神髄』に始まり、二葉亭四迷の『浮雲』を本格的な出発点とする流れです。言文一致が特徴ですね。文字通り、現実を描写するという意味で写実的でした。
 で、自然主義にいく前に、浪漫主義という流れがあったのをご記憶でしょうか。雑誌『文学界』を拠り所に、北村透谷や初期の森鷗外らが活躍しました。その『文学界』の創刊当初のメンバーに、あの島崎藤村がキッチリ顔を見せているのです。彼は、浪漫主義抒情詩人として出発していたのでした。これがハナシをややこしくする元なんです。つまり…日本においては、自然主義というのは、写実主義からではなく、浪漫主義から派生したと言える部分がある、ということです。ヨーロッパとは全然ちがう経緯を辿っている。そのため、「自我」であるとか「内面性」であるとか、そういう浪漫主義的要素を多分に引きずることになりました。
 さらに、日本における自然主義の出発点をなした、藤村の『破戒』、これがまた問題なんです。
 ヨーロッパにおける(つまり、もともとの)自然主義は、写実主義の客観的描写姿勢を受け継ぎつつ、より科学的・実証的・体系的に現実を捉えようとする、実験的な文学様式でした。現実を、あるがままに、しかも、歴史的状況や因果関係や社会全体の中での位置付けも視野に収めて、現実のナマの姿を浮き彫りにしよう…みたいな。
 で、『破戒』なんですが、まず、被差別部落問題を背景としている点に、上記の意味での自然主義の特徴を認めることができます。一応。あくまでも、一応。
 ところが、作品全体として見ると、明らかに焦点は主人公・瀬川丑松の内面的苦悩に置かれています。被差別部落問題は、ただ単に「背景」でしかなく、作品を通してこの問題の核心を追究しようという姿勢は、もうぜーんぜん見られない。つまり、本来の意味での自然主義文学としては、要件を十分に満たす作品ではなかったのです。
 にもかかわらず、『破戒』は発表当初から「自然主義小説」として宣伝されてしまった。おまけに、小説としての完成度が高かったことから絶賛を浴びた。大成功を収めた。…これが、皮肉なことに、日本における自然主義文学の方向を決定してしまったのです。社会的視点を欠いた自己告白的小説が「自然主義だ」ということになってしまった。藤村自身が、「いやー、実はねー、自然主義って、ほんとはこうなんだよ」と、ちゃんとフォローするような仕事をしてくれていればよかったかもしれませんが…やってないんです、結局。
 こういういきさつで、要するに、日本では写実主義も自然主義も、中身に大したちがいはないんです。強いて言えば、自然主義の方は、「浪漫主義混じり」のせいで内面描写に突っ走ることになり、自己告白が露悪的な方向に傾きがちになった点に、写実主義との違いがあるでしょう。写実主義の方にも露悪的なものはありましたが、どちらかというと、「現実って、こんなに厳しくて悲惨なんだよ」という、現実世間の描写でしたから。

 どうでしょ? これで、「しこり」、消えます?
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございました!何を隠そうせっかくの皆さんのお答えが自分の知識不足のせいでわからず、文学史を片手に何度も繰り返してみましたらなんとかしこりとれました。日本の自然主義・写実主義ってほんとややこしいですね。
つまりは自然主義のはき違えというか、転向者である藤村の叙情性のある表現が抜けきらず、その後の自然主義という認識にも影響を与えたわけですよね。かつ、社会的な事情でも主義の形が変わっていった・・。
元々の自然主義は人間を使って社会の真実を描こうとするもので、目撃や告知の文学というはずが・・・。日本ではいつの間にか告白の文学になり、書く価値のあるもの=隠されているもの=人間の醜悪面・・という形になっていったんですね。
うーん、文学は密接に社会と絡まっているんですね。というか近代文学史はほぼ日本史にですね。。勉強不足です。ありがとうございました。

お礼日時:2001/01/18 00:45

 写実主義と自然主義は全く違います。


 自然主義は田山花袋が言うように、作家自らの醜い「現実」を赤裸々に描いたものです。
 写実主義はロシア文学に詳しい二葉亭四迷が坪内逍遥の言ったことを更に実践として立派に発展させたもので、物語を創作していく中で、人間の「真実」に迫ろうとしたものです。
 従って、自然主義は、後発であるにも関わらず、現代の週刊誌・ワイドショー文化のようなグロテスクにして安直な露悪趣味なものに日本文学を変形させてしまいました。写実主義は、正当な形では継承されなかったわけです。
 二葉亭四迷は自然主義が出たことに対してとても残念に思い、「平凡」という最後の長篇小説の中で、批判しています。二葉亭四迷以外にも、自然主義に対して批判的だった作家は反自然主義と呼ばれ、夏目漱石や森鴎外などがそうです。
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この回答へのお礼

四迷が自然主義の登場に批判的な態度をとっていたとは知りませんでした。それで四迷は途中で筆を折ってしまったのでしょうか。逍遥の弟子の島村抱月が自然主義だと読んだので、つい、四迷もむしろ肯定的で口を出さなかったのかと勝手に解釈していました。教えていただいてありがとうございました。

お礼日時:2001/01/18 01:00

 先のお二人が素晴らしい回答をされていますので、御参考程度に・・・。


 角川「類語新辞典」によると、
「自然主義:十九世紀の自然科学思想を文学に導入しようとするゾラらの試み。日本ではこれを浅薄に模倣し、無理解・無解決をかかげる独自の道をたどり私小説に転じた」
「写実主義:現実を模写し、再現しようとする立場。浪漫主義の空疎を批判し、平凡なものをありのままに描こうとした。のち自然主義に含まれる」
とあります。
 私はこの説明を読んでから、OZAPANさんの回答を拝見して、なるほど、と思いました。お役に立てたでしょうか?
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この回答へのお礼

なるほど。ですね。この文を読んで頭で整理できました。むしろ写実主義が自然主義に飲み込まれているんですね。
しかし、この流れをみていると敵の敵は味方・・のような感じを受るのは私だけでしょうか(笑)。ありがとうございました!

お礼日時:2001/01/18 00:48

OZAPANさんの補足になります。

参考には加藤周一の「日本文学史序説」をお薦めします。たしか明治期に自然主義論争が起きて、森鴎外は論敵に「自然主義は、観察的な科学の論述なのか」といったようなことを述べていたと思います。心情のありのままの暴露と、科学的な因果関係(近代ですから)のどちらが「自然」なのかというのは、今日的問題でもあり、enaryさんは、どうお考えでしょうか。
私は四迷に自然主義を感じます(自我と事実の緊張関係)。むしろ花袋に情緒的なしみったれを感じます。文体は感覚として四迷=江戸、花袋=明治のように思います。
とはいえビクトル・ユーゴ-が浪漫主義かつ自然主義と思います。
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この回答へのお礼

手元にある本によるとHTsumakuraさんの仰るとおり自然主義の「自然」は「自然科学」からきているそうなんですね!
うーん、難しいです。どちらが自然ではないとは言い切れないし、表現の問題にも思えますが。。「日本文学史序説」教えていただいてありがとうございます。知識不足な者ですいませんでした、是非参考にさせていただきます。

お礼日時:2001/01/18 00:47

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Q反自然主義とは

文学で、反自然主義とは写実主義のことですか?

Aベストアンサー

要するに自然主義のアンチはすべて反自然主義です。それ自体で自立し、確立している理論ではなく、さまざまな方向からのアンチがある幅の広い概念です。

自然主義の「自然」というのは、自然科学の自然です。科学の時代といわれる19世紀は、遺伝や進化、実験医学といった新概念が一世を風靡していました。その自然科学の理論にもとづいて、人間を科学的に認識・実証しようとしたものが自然主義なのです。
その自然主義の特徴には、人間(または人間社会)の卑小性、無理想、無解決、技巧的には客観描写(観察・分析・実験)があげられます。

ヨーロッパでは、まず古典主義(昔が良かった派)の一派から反自然主義の口火が切られました。象徴主義やロマン主義です。これらは神秘、象徴、唯美などに傾倒し、やがて世紀末文芸に移行していきました。これがヨーロッパの反自然主義です。要するに物語のもつワクワク・ドキドキ、笑い、不っ思議ぃ~、まぁキレイ、などの情緒感を文芸からなくしたくなかったのです。

日本では、この西洋的反自然主義の並びとして、雑誌『明星』があげられます。与謝野鉄幹や晶子たちですね。この雑誌は反自然主義の論文を数多く掲載し、まさに反自然主義の拠点ともいえるものでした。このようなロマン主義が日本では狭義の(本来の)反自然主義だと考えられます。この流れは『白樺』にも引き継がれます。武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎などです。

また、日本には広義の反自然主義というものがあります。これはどちらかというと「反」というより、非自然主義というべきものです。これらには硯友社(尾崎紅葉、山田美妙など)、漱石や芥川の小説、新感覚派(川端康成、横光利一など)、新心理主義(伊藤整)などがあります。しかし、これらは世界的には反自然主義とはいえません。

さらに、日本では反リアリズム・反私小説を反自然主義というばあいがよくあります。前者はリアリズムと自然主義を混同したことにより誤りです。
私小説は、日本の自然主義が科学精神と相交わることは少なく、事実尊重と告白を特徴としたためにエッセイのようなスタイルに傾斜していった、日本独特の小説です。これに対抗する流れが起こるは当然といえば当然でしょう。「四畳半フォーク」と「はっぴいえんど」の対置と考えればわかりやすいでしょうか? (ちと古い?) 日本ではむしろ、このような文脈(反私小説)で語られることが多いと思います。

要するに自然主義のアンチはすべて反自然主義です。それ自体で自立し、確立している理論ではなく、さまざまな方向からのアンチがある幅の広い概念です。

自然主義の「自然」というのは、自然科学の自然です。科学の時代といわれる19世紀は、遺伝や進化、実験医学といった新概念が一世を風靡していました。その自然科学の理論にもとづいて、人間を科学的に認識・実証しようとしたものが自然主義なのです。
その自然主義の特徴には、人間(または人間社会)の卑小性、無理想、無解決、技巧的には客観描写(観察...続きを読む

Q白樺派、とはなんですか?

久しぶりに小説でも読んでみようかな、と思いました。
中学生の時読んだ、武者小路実篤の「友情」が、
とても好きだったので、実篤について調べたところ、
彼は、白樺派の作家であることが分かったのですが、
その白樺派とはいったいなんですか?
調べてはみたのですが、難しい言葉ばかりで、
ちょっと理解できませんでした。
簡単な言葉で、説明してもらえると嬉しいです。
また、同じ白樺派の同人作家たちの作品は、
実篤の作品に共通するところがあるのでしょうか?
「友情」のような作品に再び出会いたいので、
もし良ければ、本の紹介、してもらえると嬉しいです。
アドバイス、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

白樺派は、みもふたもない言い方をしてしまえば、金持ちの子で、いつまでもニート的生活を大学で送っていた、おめでたい人たちの集まりです。だから、彼らの作品は楽観的すぎるとか社会性がないという批判が出てくるのですね。Wikipediaにある、白樺派が「自然主義にかわって大正時代の文学の中心となった」とは、自然主義文学が人間の暗い側面や社会悪などをも描く傾向があるのに対し、白樺派はおおらかな人間賛歌だという対比構造になっていることを指摘しているのです。

白樺派の私小説というスタイルに決定的影響を与えたのは、哲学者ルソーの「告白」。文学と言えば、子供向けの昔話や、英雄物語や、勧善懲悪物や、サロン文化を背景とした甘ったるい恋愛物などしかなかった時代に、突如としてルソーが自伝というジャンルを「告白」で確立、本国フランスでもかなりの物議をかもしました。何せ、人生の中で犯してきた悪行も告白しており、実は露出狂だったとか、生まれた子供を孤児院の前に捨てたとか、そんなことまで書いてあるのです。白樺派はそれを、「そんなことまで告白できるのはすごいことだ」と受容したわけです。

白樺派が好きな人には、「告白」はお奨めです。「告白」こそが、白樺派の私小説というスタイルの原点です。ただし、白樺派は、ルソーが単なる文学者ではなく万能の人であり、フランス革命を支えた社会思想家でもあることは、ほとんど意識しているように見えません。逆に明治までさかのぼると、社会思想家としてのルソーを正当に評価している人もいます。いずれにせよ、ルソーは「告白」を世に放った文学者であり、「むすんでひらいて」を作った音楽家であり、「エミール」を書いた教育論者であり、かつ、フランス革命の理念を作り上げた社会思想家でもあるのです。その影響の一部が、思いもかけないところで白樺派に及んでいるというわけです。

白樺派は、みもふたもない言い方をしてしまえば、金持ちの子で、いつまでもニート的生活を大学で送っていた、おめでたい人たちの集まりです。だから、彼らの作品は楽観的すぎるとか社会性がないという批判が出てくるのですね。Wikipediaにある、白樺派が「自然主義にかわって大正時代の文学の中心となった」とは、自然主義文学が人間の暗い側面や社会悪などをも描く傾向があるのに対し、白樺派はおおらかな人間賛歌だという対比構造になっていることを指摘しているのです。

白樺派の私小説というスタイルに決定...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q日本文学における「近代的自我」って、わかりやすく言うとどういうこと?

いまいち、ピンときません。近現代の日本文学を理解する上では必須の概念のようですが。たとえば、封建時代には無かったこういう考え方が、明治以降の思潮として生まれた…というような具体例をふまえて、わかりやすく教えていただけませんか。素人にわかるようにお願いいたします。

Aベストアンサー

明治以降、戦前までの、あるいは現代にいたるまでの日本の文学を貫く大きな主題を「近代的自我の確立」として見ていく、というとらえ方があります。

大雑把に言うと、
西洋近代社会の根本には、近代的自我があった。
それに対して、封建時代を続けていた日本には、近代市民社会というものは存在しない。そして、その核となる近代的自我もない。明治に入って、外圧によって開国を余儀なくされ、西欧列強に植民地化されないために、社会は急激な近代化を遂げた。

けれども、それは、西洋のように、近代的自我が自然な発達段階を経て成熟し、それと軌を一にして市民社会も成熟した、その結果としての文明ではないわけです。
そのギャップを埋めようとして、なんとか個人の内側に「自我」というものを確立しようとして苦闘した、一連の作家がいる、という考え方です。

ではヨーロッパの近代をささえた「自我」とはなんなのか。

これをまた考え始めると、大変なのですが、ここでは簡単に、「わたしとはなんなのか(わたしはなぜわたしなのか、わたしと他者はどうちがうのか、といった一連の質問も含みます)」という問いを立て、それに答えていくこと、としておきます(もし自我とはどういうことか、に興味がおありでしたら、宮沢賢治の作品を自我という観点から読み解いていく見田 宗介『宮沢賢治―存在の祭りの中へ』 岩波現代文庫が大変おもしろく、参考になるのではないかと思います)。

ヨーロッパ社会では、キリスト教の強い支配と、封建的な身分関係のなかにあって、ひとは、社会からも、神からも自由で独立した「わたし」を想定してみようとも思わなかった時代から、近代に入って、自我が哲学の中心的な問題となっていきます(ヨーロッパ社会の中で「個人」という意識がどのように確立していったか、ということに興味がおありでしたら、作田啓一『個人主義の運命』岩波新書を。この本は手に入りにくい本ですが、非常によくまとまっています)。

近代社会を構成するのは、ひとりひとりの市民である。そしてその市民は「自我」を有している。これがヨーロッパの近代を支える思想であり、ヨーロッパの近代文明を裏打ちしているのは、その思想であったわけです。

さて、上でも言ったように、ヨーロッパでは百年~二百年の期間を経て成熟していったところへ、日本は一気に追いつかなくてはならなくなってしまった。

文学も、それまでの戯作文学のように、楽しみのためだけに読むようなものではダメだ、西洋の芸術観に基づいた新しい文学が生まれなければならない、と、そのように考えられるようになった。そうやって、明治二十年代に入って、新しい文学が起こってきます。

その代表的な作品が、二葉亭四迷の『浮雲』、あるいは森鴎外の『舞姫』です(『舞姫』に関してはhttp://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=993639で回答しているので、もし興味がおありでしたら、ご覧になってください)。

両者とも、知識階級の青年を主人公にしています。
主人公は、どういうふうに生きたらいいか考え、悩み、自分が良いと信じる生き方と、社会の現実が相容れないことに悩みます。
つまり、現代までつながってくる問題が、明治二十年代に、初めて登場したのです。

この二葉亭や鴎外がここで提出した問題は、そののち、鴎外自身や漱石によって深められ、あるいは明治四十年以降からは私小説という表現形式をとって現れたりもします。

その現れはさまざまだけれど、いずれも、社会のなかで生きる「わたし」は、社会から独立した存在である、それゆえに、社会とは相容れず、みずからの理想を、社会のなかで体現することもできない、その「わたし」は、いったいどう生きていったらいいのだろうか、ということを、日常生活のなかに描き出そうとするものだった。そういうものが、日本の近現代の文学であった、と概観することもできるわけです。

非常に大雑把に書きましたが、「日本文学における近代的自我の確立」と言ってしまうとずいぶんたいそうなことのようですが、その内容は、そうしたものである、と考えて良いのではないでしょうか。

明治以降、戦前までの、あるいは現代にいたるまでの日本の文学を貫く大きな主題を「近代的自我の確立」として見ていく、というとらえ方があります。

大雑把に言うと、
西洋近代社会の根本には、近代的自我があった。
それに対して、封建時代を続けていた日本には、近代市民社会というものは存在しない。そして、その核となる近代的自我もない。明治に入って、外圧によって開国を余儀なくされ、西欧列強に植民地化されないために、社会は急激な近代化を遂げた。

けれども、それは、西洋のように、近代的自...続きを読む

Q「以降」ってその日も含めますか

10以上だったら10も含める。10未満だったら10は含めない。では10以降は10を含めるのでしょうか?含めないのでしょうか?例えば10日以降にお越しくださいという文があるとします。これは10日も含めるのか、もしくは11日目からのどちらをさしているんでしょうか?自分は10日も含めると思い、今までずっとそのような意味で使ってきましたが実際はどうなんでしょうか?辞書を引いてものってないので疑問に思ってしまいました。

Aベストアンサー

「以」がつけば、以上でも以降でもその時も含みます。

しかし!間違えている人もいるので、きちんと確認したほうがいいです。これって小学校の時に習い以後の教育で多々使われているんすが、小学校以後の勉強をちゃんとしていない人がそのまま勘違いしている場合があります。あ、今の「以後」も当然小学校の時のことも含まれています。

私もにた様な経験があります。美容師さんに「木曜以降でしたらいつでも」といわれたので、じゃあ木曜に。といったら「だから、木曜以降って!聞いてました?木曜は駄目なんですよぉ(怒)。と言われたことがあります。しつこく言いますが、念のため、確認したほうがいいですよ。

「以上以下」と「以外」の説明について他の方が質問していたので、ご覧ください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=643134

Q明治文学と大正文学について

明治文学と大正文学の違いについて教えて欲しいです。小さなことでもいいのでお願いします。

Aベストアンサー

日本文学は時代に繁栄しています。
なので日本史で明治時代~大正時代をみるとわかりやすいですよ。

明治文学…西洋文化をとりいれ、小説等の基礎をつくった。
大正文学…基礎が固まり応用へ。個性的な作家が多い。

明治時代は試行錯誤しながら、小説とかを書いていたけれど
その試行錯誤のおかげで基盤ができた。代表作家:尾崎紅葉、幸田露伴、島崎藤村、森鴎外、夏目漱石他

その基盤の上で大正時代は、いろいろな作家がいろいろなスタイルで作品を書く。
代表作家:芥川龍之介、志賀直哉、川端康成、梶井基次郎他

本当に簡単だけれど。。。

検索キーワード
「明治文学」「大正文学」「違い」「相違点」
などなど、いろいろ調べてみてください。まだまだ調べる事ができます。
頑張って!

Q太宰治と志賀直哉の確執について

最近太宰治の「如是我聞」を読んだのですが、その中で太宰が志賀のことを名指しでけちょんけちょんにけなしていました。
ウィキペディアで調べたところ、太宰が最初に「津軽」の中で志賀を批判し、それに立腹した志賀が太宰をけなす発言をし、だんだんエスカレートして遂に「如是我聞」が発表されたということらしいのですが、この対立の経緯について詳しく知りたいのです。
参考になる書籍やHPがあったら教えてください。また、上に書いたこと以外のことをご存じであれば教えてください。お願いします。

Aベストアンサー

こんにちは

太宰は「津軽」で、蟹田町に行った時に旧友達が太宰を囲んで宴を開いてくれた
時のことを書いています。その中で、当時、大作家として名を馳せていた"五十
年配の作家"(志賀直哉と名指しはしてないが「神様」と呼ばれている、と書い
たことで明白)について聞かれ、人の悪口を言って自分を誇るのは甚だいやしい
ことだが、と前置きしながらも、世間も文壇も、その大作家を畏敬に近い感情で
評価していることに、一種、腹立たしい感情を持っていたのか、彼の作風を厳し
く批判しています。きっと志賀直哉自身にというより、彼に象徴される世間の偏
った高尚趣味(と太宰は思っている)若い作家達の彼へのとりまき、へつらい、
に嫌悪感を抱いていたのかもしれません。(やっかみも少しはあったかもしれま
せん)(^^) それを読んだ志賀直哉が、座談会の席上で仕返し(?)に
太宰の作風をけなすなどしてバトルが始まったようです。

でも、私は、ことの発端は、有名な、太宰と井伏鱒二との確執のような気がします
。井伏は太宰が故郷青森から上京した時から頼っている文壇の先輩であり、私生
活でもいろいろと面倒をみてもらっていた作家です。太宰は候補になっていた第
一回芥川賞を逸したり、その後もあの手この手で受賞の依頼をするなどしても
(川端康成におねだりの手紙を書いたりしていますね)思うように行かず、また
女性問題等でもトラブルがあるなど、徐々に生活に行き詰まりを感じ、
薬物中毒に陥ったりしていきます。
井伏も当時は貧乏作家で、さほど将来を嘱望されるような作家ではありませんでした。

そんな中、井伏が「ジョン萬次郎漂流記」で直木賞を取りますが、
その作品に盗用が見られるとし(後に大傑作とされる「黒い雨」にも盗用
論争)それに嫌悪した太宰が、井伏批判、そしてその背後にある文壇、世間、そ
の象徴である"老大家"の志賀直哉批判、と日頃の不満が発展し、たまりにたまったうっぷんを
はき出すように、意を決して「如是我聞」を発
表するに至ったのではないでしょうか。
遺書には「井伏さんは悪人です」とありますね。

「如是我聞」で太宰は「その者たち(老大家)の自信の強さにあきれている。
……その確信は……家庭である、家庭のエゴイズムである」などと言ってますが、
私は、津軽の名家に生まれながら真の家庭的愛情に恵まれなかった太宰の本音が
そこに伺えるかなぁという気がしています。

「如是我聞」は、死ぬ数ヶ月前、心中した山崎富栄の部屋で、
新潮社の編集者、野平健一が口述筆記し、死後に発刊されていますね。

参考文献といえるかどうか判りませんが、「ピカレスク」(猪瀬直樹・小学館)
にはとても興味深いものがあります。

私見ですが書いてみました。

こんにちは

太宰は「津軽」で、蟹田町に行った時に旧友達が太宰を囲んで宴を開いてくれた
時のことを書いています。その中で、当時、大作家として名を馳せていた"五十
年配の作家"(志賀直哉と名指しはしてないが「神様」と呼ばれている、と書い
たことで明白)について聞かれ、人の悪口を言って自分を誇るのは甚だいやしい
ことだが、と前置きしながらも、世間も文壇も、その大作家を畏敬に近い感情で
評価していることに、一種、腹立たしい感情を持っていたのか、彼の作風を厳し
く批判しています。き...続きを読む

Qたらしめるの意味を教えて下さい!

国語の教科書で見たんですけど、「たらしめる」ってどういう意味ですか?教えて下さい。

Aベストアンサー

「たる」(たり)+「しめる」で「たらしめる」です。

「~たる」は、「~である」の意味。
「~しめる」は、「~させる」の意味。

つまり、
「たる」+「しめる」で
「そのようなこと(存在)にさせる」という意味になります。

たとえば、

「わが社を世界のトップたらしめる。」
 =(わが社を世界のトップ企業にする)

というような使い方があります。

Q「あくまで」「あくまでも」の意味

「あくまで(飽くまで)」「あくまでも」という副詞の意味ですが、辞書をひくと「物事を最後までやりとおすさま・徹底的に」とあります。例文も「あくまでもがんばる、あくまでも主張を貫く」などとあります。

しかし、よく話の中で「あくまでも個人的な考えですが・・・」「あくまでも噂です」「あくまで一例です」「あくまでの話しです」などという風に使われます。このような文章中では「徹底的に」という意味ではないと思うのですが、どうなのでしょうか。

Aベストアンサー

あくまでも、という意味の「徹底的に」という所から転じて、「完全に」とか「中途半端ではなく(どこまでも)」という様な意味合いも持っています。


「あくまでも個人的な」
完全に個人的な

「あくまでも噂です」
=「あくまでも噂[に過ぎません]」
完全に噂に過ぎません

「あくまで一例です」
=あくまで一例[に過ぎません]」
完全に一例にすぎません

「あくまでの話です」
・・・すみません、この用法は聞いた事がありません。

Qロマン主義についての質問です

ロマン主義とはなにか、またその担い手たちはどういうふうにロマン主義的なのかを教えてください。
長文になっても構わないので、なるべく詳しく教えてくださればとても有難いです。

Aベストアンサー

ロマン主義(ロマンティシズム)は、18世紀末から 19世紀前半にかけてイギリスやドイツ、フランスを中心に、ヨーロッパ各地で広まった文学・芸術・思想上の自由解放をめざした流れで、それまでの合理主義への反発から、古典主義の形式の枠組みを破壊して、自由な表現を追求しようとした文芸運動です。

そういった流れの中で、それまで既成の社会体制への反抗や自然への逃避、情熱と絶望的な恋愛や、自殺志向、不合理、神秘主義等、完全なる自我の解放を主題として、心の欲求を感性のままに表現しました。

このヨーロッパでの芸術運動は,基本的には産業革命やフランス革命をへた、激動期のヨーロッパ社会の思想表現でしたが,その性格は各国における社会的・文化的状況の差によって、かなり異なっていました。

※以下、各国別に人名を挙げて、それぞれの作品傾向等を書こうと思っておりましたが、何故かキーボードの調子が悪くなってしまったことで、ここまで書いただけで疲れ果ててしまったので、大変申し訳ありませんが、主な人物を挙げるだけで、今回は勘弁してください。
ごめんなさい。

哲学:ドイツ観念論
文学:ワーズワース、バイロン、シェリー、ゲーテ、ルソー、ユゴーetc.
美術:アングル、ターナー、ゴヤ、ドラクロアetc.
音楽:メンデルスゾーン、シューマン、ショパン、ベルリオーズ、リスト、ワーグナー、マーラー、リヒャルトストラウスetc.

日本では浪漫主義と呼ばれ、
森鴎外、北村透谷、島崎藤村、与謝野鉄幹、与謝野晶子等が有名です。

※本当に、中途半端でごめんなさい。
何故か、急にキーボードの反応が異常に悪くなってしまい、キーを何回も叩かないと入力出来なくなってしまいました。
あぁ~、修理かなあー?

ロマン主義(ロマンティシズム)は、18世紀末から 19世紀前半にかけてイギリスやドイツ、フランスを中心に、ヨーロッパ各地で広まった文学・芸術・思想上の自由解放をめざした流れで、それまでの合理主義への反発から、古典主義の形式の枠組みを破壊して、自由な表現を追求しようとした文芸運動です。

そういった流れの中で、それまで既成の社会体制への反抗や自然への逃避、情熱と絶望的な恋愛や、自殺志向、不合理、神秘主義等、完全なる自我の解放を主題として、心の欲求を感性のままに表現しました。
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