パンクラチオンという言葉を聞いたことはあるんですが、
なんとなく歴史等に関係がある、という事意外よく知りません。

何か『古代の格闘技』という事も聞いたような・・・
もし、そうならどのような技術体系かという事も教えていただけると
うれしいです。

誰かご存知の方いらっしゃいませんか~。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (3件)

パンクラチオンはギリシャ・ローマ時代の格闘技で、元々は奴隷どうしを死ぬまで闘わせるものでした。

そして、古代オリンピック競技の一つとして行われていたものですが、死者や重傷者が続出することから、競技種目から消えてしまったものですネ。
現代のレスリングの原形となっています。丁度、古代日本の相撲が殺し合いであったように、パンクラチオンも普通の格闘技となったのですネ。
2004年のアテネ五輪では競技として復活するようですが、昔のように裸で試合をするのかは分かりません。
以上kawakawaでした
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ふえ~、古代とはいえ、オリンピック競技だったことがあるんですか!

しかも、それが2004年に(原型のままかどうかは判らないとはいえ)
復活するとは。

今後が期待されますね。

kawakawaさん、ありがとうございました。

お礼日時:2001/01/15 20:07

myeyesonlyさんがおっしゃってたプロレスの「パンクラス」について。



1993年に、船木誠勝・鈴木みのるらの若手選手が創設した新団体がパンクラスです。
団体名の由来は、パンクラチオンの様に常に緊張感の溢れる試合を目指してですが、同時に「ハイブリッド・レスリング」を標榜し、常に他の格闘技のエッセンスを取り入れながらも、単なる戦いではなくプロレスとしての華・観客を魅せるということも重視しています。
初期は、試合開始数秒で決着する「秒殺」が一種の売りでしたが、現在ではじっくりと「魅せる」試合も行なわれているようです。

以上。参考まで。

参考URL:http://www.so-net.ne.jp/pancrase/
    • good
    • 0
この回答へのお礼

『パンクラス』については少し知っています。
でも、『パンクラチオン』にちなんだ名前だったとは知りませんでした。

『初期は、試合開始数秒で決着する「秒殺」が一種の売りでしたが、現在ではじっくりと「魅せる」試合も行なわれているようです。』

これも、知りませんでしたね。最近ではそうなんですか。

昔、船木が10秒程で勝利したのを見て『こんな試合もあるのか』と
びっくりしたのを覚えています。
(たしか、グラウンドでのフロントネックロックだったような)

drunkさん、ありがとうございました。

お礼日時:2001/01/16 20:35

歴史に関係があるパンクラチオンということでしたら、多分、古代ローマなどでやってた、奴隷同士を戦わせて貴族などが見物する競技の事だと思います。


ルールといえば、相手が死ぬまで戦うことで、武器は何でも使用可だったと思います。
取り立てて技術体系というものはなく、奴隷個人がそれぞれ独自に技術を磨いて生き残る為に研究したことでしょう。
なんたって、研究を怠れば即、死が待っているのですから、研究や工夫も半端じゃなかったと思います。

ですから、何とかの何流とかいうのとはちょっと違うと思います。

なお、現在、プロレス?だったかなんかにそのような名称の団体?競技?かあるようですが、こちらは私には判りません。
誰かレスをお願いします。m(__)m
    • good
    • 0
この回答へのお礼

競技自体の名前だったんですね。

奴隷同士の、相手が死ぬまでの闘いとは・・・・

武器も使用可とは知りませんでした。
(しかも、「何でも」とは!)

myeyesonlyさん、ありがとうございました。

      ※         ※       ※
ちなみに、タイトルが「パンクチオンってなんですか?」になっていて、
ちょっとお間抜けでしたね。 (^^;)いや~

お礼日時:2001/01/15 14:01

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q古代文字の発音、古代音楽の音について

古代の文字というと、ヒエログリフや突厥文字などがありますが
ウィキをみるとたいていラテン文字による転写が書かれています。
そこで思ったんですが、すでに滅んだ文字なのになぜ「発音」がわかるのでしょうか?
古代の音楽。
たとえば今様などが楽譜に残されていても、文献に書かれていてもそれを再現することは不可能に近いと思います。
そういう「音」がわかる学問があるのでしょうか?

Aベストアンサー

No.2です。すみません、間違った表現があったようなので訂正です。
“ウィキペディアはリンク禁止”と書いてしまいましたが、勘違いのようでした。
以前は私もバンバン、リンクを貼っていたのですが、最近続けて何処かで駄目だと書かれた記述を見かけたので…。

でも、気になってもういちどウィキペディアのサイトで確かめたら、問題ないようです。そそっかしくて済みません。
ご存じかとは思いましたが、そのままにしておくのも心残りだったので再投稿しました。

なので、今回は古代音楽や楽器について、リンク先を紹介させていただきます。

【古代の音楽】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD

こちらでは、中国河南省で発掘された当時演奏可能であった紀元前6000年頃のタンチョウの骨からつくられ世界最古の笛や、またシリアのウガリットから出土した約3400年前の粘土板から世界最古の歌の記録が見つかり、音階が研究されたり、同じく前1800年頃の粘土板からも楽譜と見られるものが発見されており、再現を試みられたことなどが記述されています(試聴先のリンクもあります)。


また、以下のような記述もありました。(原文のまま)

古代ギリシア時代の完全な形の音楽が残存している。「セイキロスの墓碑銘」は最古の完全な楽曲のひとつであり、クレタ島の作曲家メソメデス(2世紀)による3つの完全な形の賛歌が残っている。 他には断片的であるが古代ギリシアの音楽が伝えられており、それらは悲劇、エウリピデスの演劇オレステースのためのコロス(コーラス)、ソフォクレスのアイアコスから器楽曲などである。

――以上のことから、古代の楽器そのものの音を再現したり、メロディーを再現する学問は存在すると言うことだと思います。


>そういう「音」がわかる学問があるのでしょうか?

音楽考古学というのではないでしょうか。本も出版されています。
http://www.amazon.co.jp/%E5%9F%8B%E3%82%82%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%A5%BD%E5%99%A8%E2%80%95%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%A0%B4%E3%81%8B%E3%82%89-%E7%AC%A0%E5%8E%9F-%E6%BD%94/dp/4393930169

No.2です。すみません、間違った表現があったようなので訂正です。
“ウィキペディアはリンク禁止”と書いてしまいましたが、勘違いのようでした。
以前は私もバンバン、リンクを貼っていたのですが、最近続けて何処かで駄目だと書かれた記述を見かけたので…。

でも、気になってもういちどウィキペディアのサイトで確かめたら、問題ないようです。そそっかしくて済みません。
ご存じかとは思いましたが、そのままにしておくのも心残りだったので再投稿しました。

なので、今回は古代音楽や楽器について、リ...続きを読む

Q【古代史・考古学・エジプトの謎】「古代エジプト文明の時代に奴隷は食べ物と塩が支給されていた。奴隷はお

【古代史・考古学・エジプトの謎】「古代エジプト文明の時代に奴隷は食べ物と塩が支給されていた。奴隷はお金を貰えないと言うのは誤りで塩を売ればお金に換金できた」

ここで不思議なのは「塩」が通貨だったこと。

塩って海水を撒いて、天日干しで乾けばアホでも塩は取れたわけですよね?

ということは、塩の作り方さえ知っていれば、アホなエジプト人を雇って重労働させて、ほら、塩が給料だ。と言えば喜んで働いた。

なぜエジプト人はバカで塩は誰でも作れたのに過酷なピラミッド建設にお父ちゃんが出稼ぎに出て汗水垂らして働いて疲れて塩を舐めたら給料が飛ぶような働けど働けど楽にはならないことをしたのでしょう。

ピラミッド建設に参加せずに、近くの海で海水を木で樽を作って汲んで蒔けば、自分は国王になれたのに。

なぜ当時のエジプト人は塩の作り方を知らなかったのでしょう?

国王はタダで手に入る塩で金を採掘させたり、重い石を持たせたりして黄金とピラミッドを手に入れた。

どんだけ当時のエジプト人はバカだったんだろう。

塩作りなんかエジプトの国王が密かに自分で作ってたわけじゃなかろうに、奴隷に海水を汲ませて撒かせていたはずなので奴隷は塩の作り方を盗めたはず。

奴隷村に戻って、今日、俺、塩作ったんだぜ!!

俺、塩の作り方知ってるんだぜ!!

と言えば、奴隷村を出て、自分たちで塩田を作れば、お金を作れたってことですよね。

不思議でならないエジプトの謎だわ。

【古代史・考古学・エジプトの謎】「古代エジプト文明の時代に奴隷は食べ物と塩が支給されていた。奴隷はお金を貰えないと言うのは誤りで塩を売ればお金に換金できた」

ここで不思議なのは「塩」が通貨だったこと。

塩って海水を撒いて、天日干しで乾けばアホでも塩は取れたわけですよね?

ということは、塩の作り方さえ知っていれば、アホなエジプト人を雇って重労働させて、ほら、塩が給料だ。と言えば喜んで働いた。

なぜエジプト人はバカで塩は誰でも作れたのに過酷なピラミッド建設にお父ちゃんが出稼ぎ...続きを読む

Aベストアンサー

「サラリーマン」の「サラリー」と食べる「サラダ」が同源なのはご存知?

そして, そんなに簡単に「塩」ってできるものなの?

Q日頃から疑問に思う事があります。 日本には古代から中世頃までの時代に石造りの建築物がほとんどないか、

日頃から疑問に思う事があります。
日本には古代から中世頃までの時代に石造りの建築物がほとんどないか、少ないと思います。
世界を見れば西洋は言うに及ばず東南アジア インド
中国 中東に至るまで夥しい石造建築が残っています。
この差は文化の違いと言うだけではない根本的理由があるように思うのですが皆様のお考えをお聞かせください。
単純に外国に比べ加工に向く石が少ないとかなんでしょうか?
知ってる方いらっしゃいましたら宜しくお願いします。

Aベストアンサー

No.7回答者phjさんの回答は、素晴らしいと思いました。
住宅や建築物の構造などが地域によって違う理由は、単純ではなく、いろいろ複合した結果だろうというのは、そうだろうなと思いました。

ただ、地震の多少は、建築上石造り/石造りでないとはあまり関係ないのではないかと思います。
地震の分布図を見ても、日本特有の主要な理由にはならない感じがします。
http://www.asahi.com/articles/ASK1L6SR9K1LUHBI03W.html
温暖湿潤な地域の住宅は、だいたい、柱と梁によって構成される木造構造が多いようです。
日射が強い地域では壁を厚くして屋内の温度を低く保つ構造が多いようです。大きな石造の建築物に入ると確かに体感的にひんやりするのです。
しかし、こうした住宅を作る地域の環境条件では、石造やレンガにするか、壁構造にするか、柱と梁で作るかは、決まらない・あまり関係がないと思います。
半地下のような堀り込んだ建築をする地域も多いし、過密というか水平方向よりも垂直方向に住宅がぎしぎしと詰まった地域も結構多いです。 海外旅行のパンフレットをみても、建築には地域差が多いのがわかります。
地球海沿岸は樹木が建築用材に向いてないように思います。多少はそれが関係しているのかもしれませんが、もしも住宅は木造という意識が強くあれば、なんとかそうした植林をしていたと思います。 意識が向いていれば、遠くからでも調達してくるのが人類の歴史です。
12世紀のロンドンで大火が相次いで発生し、「各戸は必ず家の境に、厚さ0.93m、高さ4.88mの防火用煉瓦壁を設け、屋根は街路に面して切妻にし、直接防火壁のうえに葺きおろし、瓦葺とすること」という法令がでて、石造りの家が増えたそうです。日本では、応仁の乱での京の町、江戸時代の江戸の町は大火があり、関東震災では、東京市(15区)住家全潰1.2万棟、焼失約22万棟、死者の総数約6.9万人の95%は火災によるもの、横浜市住家全潰が1.6万戸,焼失6.3万戸と、被害対策としては火災対策がポイントなのに、基本的には木造が続きました。 火事がやばいとレンガや石造りが増えるというような単純な考えを、世界に広げることはできません。
石は冷えると思いますが、ヨーロッパでも木造が多い地域は結構あります。木造が多いと言われる北欧やロシアでも石造の住宅は多いし、ドイツでは木造が観光名所にもなっています。
http://unohideoblog.seesaa.net/article/108110538.html
日本が中国文化を朝鮮半島経由で入手したのは明らかで、寺院建築や宮殿、都城も、これを導入しています。レンガ造建築は、文明開化のショーウインドウのような誇示のために造られているのですが、古代の新羅、百済、隋、唐などから技術導入し肩を並べるだけのものだと誇示したのと似ています。
今でも、高級住宅地とか言われる地域は、その地域で似た構造や外観を持っていることが多いです。 
建築物、住居も、文化の大きな要素であり、自分たちがある勢力をもつものであること、他とははっきりと違うものであることを示す重要なものです。
だから○○様式の建築というのが世界中で、どの時代にも、身分や格式、階級などを示す形であるのです。伝統的構造の住宅というものがあるのも、その様式から逸脱しないで建設するし、格違いの他の人々や集団にはそうした構造や様式で建築することを認めないというようなこともあるのが、建築物の重要な性質です。
宗教というか、信仰というか、アミニズムのようなことも、建築に関係しています。神の依り代のようなもので考えるような思考が多いと、石造やレンガ作りではちょっとな、、という気分になるでしょう。 仮寓一時滞在処のような作り方がしっくりするのかもしれません。遷宮するから木造、支配者一代ごとにあるいは同じ支配者でも何度か拠点を移動するから木造なのではなくて、石造りしたくなかったから、その支配者の頭にすり込まれている宮殿や宮殿構造のイメージが、木造のある特定の様式の範囲から脱することができなかったから、そうした構造が続いたのだと思います。
基本的には戦闘や斬り合いがなかった江戸時代でも武士が帯刀していないとならなかったのと同様で、その社会での文化がある階級集団と他の階級集団とに対して要求している様式の強制が、住宅の構造、高さ、門のあるなしにも関係してくるのだろ思います。

高層マンション群の地域、広大な敷地をもつ住宅地の地域、安価なマンション地域、安アパート地域、雑然とした木造住宅地域、バブル時代にできた新興住宅地と、結構住宅の構造が違います。 社会の中での階級、階層意識をその時代の中で外見的に表現するようなものが、住宅の構造や色使いなどにはっきり出てきます。
この差は文化の違いと考えるのが、一番現実的だと思います。

No.7回答者phjさんの回答は、素晴らしいと思いました。
住宅や建築物の構造などが地域によって違う理由は、単純ではなく、いろいろ複合した結果だろうというのは、そうだろうなと思いました。

ただ、地震の多少は、建築上石造り/石造りでないとはあまり関係ないのではないかと思います。
地震の分布図を見ても、日本特有の主要な理由にはならない感じがします。
http://www.asahi.com/articles/ASK1L6SR9K1LUHBI03W.html
温暖湿潤な地域の住宅は、だいたい、柱と梁によって構成される木造構造が多いようです。
日...続きを読む

Q古代人的感覚

古代人は、常ならぬ自然現象に対して、神秘=神=祭事、というような思考法とか行いでしのいできたのでしょうか?

Aベストアンサー

 自然への憧れと恐れが古代宗教の元になったと推測されているようです。その自然物一つひとつに霊魂が存在するというのが、古い形の宗教だったようです。
 日本にある『日向』=太陽信仰のひとつの形ですが、古代エジプトなど太陽信仰は世界中にありますね。『大神山神社』のように山そのものを信仰する形もありますね。
 同様に強い動物への憧れとその動物との同化・一体化も宗教の形となっています。現代の人類とは全く異なる系統の人類であるネアンデルタール人は「熊の頭」を飾っていたという説も発表されています。お隣の朝鮮半島の建国神話は熊と人との結婚が描かれていますし、アイヌの人達の「熊祭り」もその形の宗教ですね。
 次いで自然神と人とのお使い番として鳥とか狐等が信仰の形になることもあります。神社の鳥居の古い形には、実際鳥がとまっていたいたとされますし、東南アジアのアカ族や朝鮮にも似た形が残っています。
 では代表的一神教キリスト教はどうして出来たかというと、キリスト教のルーツはユダヤ教です。この地域の民は集落毎に違う神を祭るタイプの多神教でしたが、エホバの神を信仰する集落がクニを統一する過程で宗教もユダヤ教に統一されたというのが真相のようです。ユダヤ教⇒キリスト教⇒イスラム教は同じ神を信仰していますが、実は「絶対神」などではなく、部族間の争いの結果であるわけで、その争うという性格は現代になっても続いています。人は賢いが愚かな存在でもありますね。
 

 自然への憧れと恐れが古代宗教の元になったと推測されているようです。その自然物一つひとつに霊魂が存在するというのが、古い形の宗教だったようです。
 日本にある『日向』=太陽信仰のひとつの形ですが、古代エジプトなど太陽信仰は世界中にありますね。『大神山神社』のように山そのものを信仰する形もありますね。
 同様に強い動物への憧れとその動物との同化・一体化も宗教の形となっています。現代の人類とは全く異なる系統の人類であるネアンデルタール人は「熊の頭」を飾っていたという説も発表され...続きを読む

Q古代ローマに詳しい方・・・・・

古代ローマ人の識字率とはどのような水準にあったかが知りたいです。お願いします。

Aベストアンサー

明確な回答になってなくて申し訳ないのですが、ヒントとしては支配階級の人口を調べるとある程度推測できた筈です。
現在そのようなデータを調べる術が思いつかないのですが、インテリの比率が判ればある程度判ると思います。

*小説「クオ・ヴァディス」のどこかに凡その数字があった気がするのです、、、3万人とか、30万人とか?

http://www.jipdec.or.jp/chosa/hakusho2001/soron-fulltext.htm
 コミュニケーション感覚の変化
ローマ時代になると征服した国々の書物がローマに集まり,書物を読む層はやや広がりをみせるが,
基本的には聖職者や貴族に限られていた。すなわち,彼らが,ローマにおける知識の保有者だったのである。
また,ギリシア文明の影響で,教養に満ちた書物を読むことが支配階級に広まった。
エリート貴族達は,邸内に書庫を設け蔵書を増やした。さらにこの時代にはギリシア語に代わり[ラテン語]の書物が作られ始める。
そして何より大きな進展は,紀元1世紀頃にそれまでのパピルスを原材料とする巻子本から,羊皮紙などを用いた冊子本に
書物の形状が変化したことである。冊子本は巻子本に比べて製作時間が短縮でき,かつ表裏に文字を記すことができるため,
原材料も少なくて済み,安価に書物が製作できるようになったのである。
その結果,ローマ時代に書物を読む人は相当増えたと思われる。

しかし,ここで注意したいのは,「読む」という行為が現代のわれわれが認識している「読む」行為と同じではなく,
声を出して,そして書物の内容によっては身ぶり手ぶりを加えて文字を読んだということである。
読書は,健康に役立つ運動の一種であるとも記されているほどである。
ローマ時代には,書物に記される内容も歴史や哲学,宗教的な内容だけではなく,詩や劇作など広がりを見せている。
ただ,この後順調に読書の習慣は普及していくのかというとそうでもない。
3~5世紀頃,社会全体でみると識字率が低下したといわれている。
その明確な原因はいまだ解明されていないが,一説には識字率の増加を上回って人口が増加したためではないかともいわれている。

明確な回答になってなくて申し訳ないのですが、ヒントとしては支配階級の人口を調べるとある程度推測できた筈です。
現在そのようなデータを調べる術が思いつかないのですが、インテリの比率が判ればある程度判ると思います。

*小説「クオ・ヴァディス」のどこかに凡その数字があった気がするのです、、、3万人とか、30万人とか?

http://www.jipdec.or.jp/chosa/hakusho2001/soron-fulltext.htm
 コミュニケーション感覚の変化
ローマ時代になると征服した国々の書物がローマに集まり,書物を読む...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報