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いつもお世話になっております。

三国志のなかで諸葛孔明が劉玄徳に授けた「天下三分の計」とはどういう意味なのでしょう?

天下三分の計とは天下を曹孟徳と孫仲謀と劉玄徳とで分けようという計ですよね?でもそれって、ただ群雄が割拠する事で計と言うものでなく必然的なものなのではないのでしょうか?

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A 回答 (5件)

下記のHPにも「天下三分の計」は全中国統一のための方便にすぎないことを説明しています。



参考URL:http://www.daito.ac.jp/~oukodou/tyosaku/tenkasan …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/26 08:06

確か大国を3つ作ることで、お互いに争いがしにくくなり、結果平和になるから。


そう高校の授業で習いました。
例…A B Cという国があってAがBに攻め込むとその間にCがAに攻め込    むことがあるから、A国はうかつに動けない。

そうすることで時間稼ぎをして国力を回復し、その後2ヶ国で協力してもう1ヶ国を倒しちゃおう・・・って感じの長期持久戦的基本戦略だったかと思います。

割拠させたら均等に力を分散できなくて、けん制効果が弱まってしまうので無意味。ほっといたらどこか強い国(忘れました)にやられちゃいそうだから、考えた案だったような。
ヤッパリ戦略なので計はないでしょうか。

なんにせよ大昔にこんなこと考えてた中国ってすごい。
日本は土器作ってたような時代ですからねー。ではでは
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2002/05/26 08:07

他にも戦略はあったかと思います。



ケイシュウを地盤として、魏と対抗するなり呉に全面戦争をしかけるなりでしょうか。
あるいは魏に屈服するとか。一時的に呉に屈服して魏に対抗とか。
辺境とは言えエキシュウを乗っ取り、呉と共同して魏に対抗という策はその中で積極的な策かなと。


いずれも群雄割拠という時代であれば有効な戦略でしょう。結果論的にみれば、既に安定した支配システムへと移行しつつあった時代でしたが、現在進行形な人々にとってみれば、そこまでの時勢を読み取るのは難しいものではなかったのではと思います。

例えば近代における(第二次大戦時の)日本の戦略思想も時代遅れな面があったと今にしてみれば分かりますが、当時の人にとってみればそれが最善だと思えたでしょうし。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2002/05/26 08:07

 いえいえ、天下三分の計は、立派な計略、しかも中国を武力で統一しようという大それた計略ですよ。


 実は僕も昔、soutennxpさんと同じ疑問を持って、ずいぶん調べたんですよ。
 当時、曹操の支配する中原は、政治・文化の中心地ではあったものの、黄巾の乱によって耕地は荒廃し、人口も激減していました。
 それに比べ、乱の影響の少なかった荊州・益州は人口が多く、特に荊州の人口と肥沃な耕地、豊富な人材資源は突出していました。
 強力な支配者のいない荊州・益州を支配下に置き、防衛を固めつつ国造りを行えば、国力において、蜀が、魏・呉を上回ることは確実だったのです。三国鼎立となればにらみ合いで時間稼ぎもしやすく、蜀は地理的に守りも堅い。最も劣っていた軍事力も、時間とともに三国の強国にすることが可能だったのです。
 国力の基本が人口だということは、シミュレーションゲームをやったことがある人なら、よくお解りでしょう。
 天下三分の計はそういう立派な計略ですが、残念ながら、多くの小説ではその意味が十分語られていないようですね。
 
 さて、天下三分の計が意味を為すには、荊州を領有することが絶対条件です。実力者の関羽がその防衛にあたりますが、敗戦により命を落とし、荊州を奪われてしまいます。天下三分の計はこの時点でとん挫したと言って良いでしょう。
 関羽には性格的な欠点があり、部下には優しいが、誇りと義理を重んじるために、しばしば同僚や上司と対立し、自分の判断を優先させました。諸葛亮はこの点を鑑み、特に優秀な軍師である馬良を参謀としてつけましたが、結局は馬良の助言を軽んじたために関羽は荊州防衛に失敗します。
 馬良からの報告を元に、荊州の太守を趙雲に変更できなかったのが、諸葛亮の失敗だったといえるでしょう。趙雲には関羽ほどの威信は無かったものの、充分な能力と、何より、命令の意味を良く理解し、確実に任務を遂行するという優れた点がありました。

 おっと、語りはじめるときりがないようです。
 このような答えでよかったでしょうか??
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/26 08:02

孔明が劉備に話した「天下三分の計」の意味とは、


『国力の少ない劉備が、いますぐに魏に戦いを挑んでも勝ち目ないと思われるし、呉に戦を挑んでも勝算は少ないよ。劉備が勢力を伸ばすなら西の地方で勢力を拡大するしか無い』と孔明は考えたらしいです。
そこで孔明は、『西の地方の益州を治める劉障と荊州を治める劉表は人間としての度量が小さいので上手く行けば国を奪える』ことになるはずと考えました。
『益州と荊州に劉備が新しい国をつくり、しばらく様子を見て、魏・呉と対抗して実力をつけてから戦争をして魏を滅ぼして、呉を併呑すれば天下統一も夢ではないよ』と劉備に説いたと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/26 07:59

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