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1、天皇家は百済系の血が濃いという話を聞いたことがあります。
具体的にどう濃いのかを調べてみたら、全然濃くなかったのです。逆に薄いくらいでした。
天皇家に入っている百済系の血は、たった一人だけです。
桓武天皇の母親が百済王族の末裔の帰化人(国籍は日本人)の「高野新笠」だけです。
具体的に人物を調べてみると、天皇家に血を分けた百済系帰化人は「高野新笠」一人だけでした。
それなのに、どうして世間では「天皇家は百済系の血が濃い」と言う俗説を言う人がいるのでしょうか?

2、百済王族の末裔の帰化人の「高野新笠」は生きている間は皇后として認められていませんでした。(死後、皇后となる。)
生きている間に皇后と認められなかったのは異例です。
これは、当時の帰化人の扱いの低さを物語っています。(実際、大和朝廷内での帰化人の扱いは低かった。)
当時の人々が「百済系帰化人の末裔などは国籍は日本人でも、皇后として認められない」という行動をとった証拠でしょう。
「高野新笠」の夫と息子は天皇です。
「高野新笠」が皇后と認められない理由は他に何かありますか?

3、桓武天皇の父であり、「高野新笠」の夫である、白壁“王”(のちの光仁天皇)は、天皇を継ぐ立場ではありませんでした。
当時、天皇を継ぐ可能性がある者は“親王”を名乗ります。
“王”は一応、皇族ですが、天皇を継ぐ可能性は低いです。
白壁“王”はまさか天皇になるとは、夢にも思っておらず、また周囲も白壁“王”が天皇になるとは思っていなかったので、百済系帰化人の「高野新笠」との結婚を認めたのではないでしょうか?
そして、天武系皇族が度重なる粛清で途絶えたために、天智系の白壁王が62歳という高齢で天皇になった。
仕方なく、(血の問題で)天智系の白壁王を天皇になったとしても、百済系帰化人の「高野新笠」を皇后として認めるわけにはいかない。
当時の人々はそう考えて、「高野新笠」を皇后として認めなかったのではないでしょうか?

4、「百済が滅亡した時に、大和朝廷は多数の百済系王族を帰化人として受け入れたから、天皇家は百済系の血が濃いのだ」と言う人がいます。
果たしてそうでしょうか?
百済系帰化人は最初は一応、それなりの地位(貴族など)を与えられましたが、百済系帰化人はすぐに人民に降下しました。
大和朝廷が百済系帰化人に関東に土地を与えて移民させた話などが残っています。
当時の大和朝廷には、資金的な余裕もなく、例え貴族でも天皇から血が離れていけば臣籍降下します。
具体的には、在原業平などがそうです。
在原業平の父は平城天皇第一皇子の阿保親王。母の伊都内親王は桓武天皇の皇女です。
在原業平は平城・桓武天皇の孫にあたります。
祖父が天皇でも臣籍降下するのに、百済系帰化人がいつまでも貴族でいたというのは間違いです。
従って、「百済が滅亡した時に、大和朝廷は多数の百済系王族を帰化人として受け入れたから、天皇家は百済系の血が濃いのだ」というのは間違いでしょう。
具体的に天皇家に血を分けたのは「高野新笠」一人だけですので。
いかがでしょうか?

5、天皇家がどこから来たのかは諸説あり謎です。
元々、大和に住んでいた者なのか?九州から来たのか?中国から来たのか?朝鮮半島から来たのか?
(私は九州から来たと思っています。)
中国歴史書に書いてあるのは、「百済は支配層と民衆の言語が違う」、「百済の住民の多くが漢人や倭人」、「倭人が頗る多い」
(百済王族は最初は扶余姓を名乗り、しばらくしてから“余”と1文字に略した。余豊璋など。)
例えば、朝鮮半島の百済の王族(扶余族=騎馬民族)が日本を支配したとしたら、それは騎馬民族征服説になります。
(扶余族は、中国三国時代に満州に住んでいた民族で、万里の長城より北、南は高句麗に、東は挹婁に、西は鮮卑接する範囲に住んでいた。)
私は騎馬民族征服説などと言うトンデモ説は信じていません。
ここで天皇家は朝鮮半島から来た=騎馬民族征服説を論ずるのはやめておきましょう。
※「騎馬民族征服説は正しいから天皇家は百済系の血が濃いのだ」という理由なら、申し訳ないですが回答はご遠慮して下さい。

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A 回答 (14件中1~10件)

No.3ですが、ちょこっと横槍入れます。



No.6,10,11の方が、No.11で

>歴史には多くの記録がありますから、先に自分の中で結論を決めて
>おいて、それに都合の良い資料だけをピックアップしたのでは、どんな
>結論にも導けます。

と発言していますが、私に言わせれば

>奈良時代に日本の貴族階級に加わった外部の血としては、百済が最大と
>結論付けてほぼ正しいと言えるのではないでしょうか。

という意見について、十分な資料の裏付けもない中で、その結論に導こうとしているところは、かなり作為的なものを感じます。

百済滅亡後、百済から多くの遺民が日本に渡ってきたのは事実ですが、同じ頃、日本にきたのは百済出身者だけでなく、新羅や高句麗出身者もかなりいました。
そして彼らの多くは、当時は未開の地が多く残っていた日本各地に移住しています。
高麗神社・百済神社・新羅神社などの名前をもつ神社が、日本各地に点在していることからも、そのことは十分うかがえます。


No.3で考察したように、私はむしろ奈良時代においては、百済出身者は政権から冷遇されていたのではないかと考えています。
しかし、古代においては百済だけでなく、新羅や高句麗からも日本への移民は来ていたのですから(国を無くしたという点では、高句麗も同様の立場)、百済だけでなく他の国からの多くの移民がきていたはずです。

その中で、百済出身者だけが日本の貴族階級に食い組んでいったというのは、推測にしかすぎないと思います。
むしろ、政権を握っていた天武天皇が親新羅派とすれば、政権近くに食い込む機会が多かったのは、新羅出身者であることも十分考えられます。

天智天皇の子孫であった光仁天皇が、百済王家の血をひく女性を娶ったのは、祖先の天智天皇が親百済派だったという縁からきたと考える方が自然かと思います。

私もかなり推測に推測を重ねた考察をしていますが、どちらにせよしっかりとした歴史資料、もしくは考古学的な発見が無い限り、当時の貴族社会において百済出身者の血が多く混ざっていたというのは、単なる仮説にしかすぎないと思います。
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この回答へのお礼

横槍は大歓迎です。
私も当時の貴族社会において、百済出身者の血が多く混ざっていたというのは、単なる俗説にすぎないと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/10 18:30

混ぜっ返す様で申し訳ないですが、An.07へのお礼にある『韓国人留学生が「天皇家は百済系の血が濃い。

日王(天皇)は百済人の末裔だ」とうるさく言うので、調べてみたのです。』というのがきっかけなのであれば、日韓ワールドカップの前の年の、天皇誕生日にあたっての記者会見で、現天皇が「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されている事に、韓国とのゆかりを感じています。」と発言したのが、韓国の一部のマスコミで、話を膨らませて報道され、それが、その留学生の記憶に、誤った形で残っているだけだろうと思います。(そこらへんの事情は、参考URLをご覧下さい。)だいたい、(おそらく)15百年近く続いている家で、特定の『外国』の『血が濃い』状態になる為には、相当な回数の「特定の外国人との婚姻」が繰り返される事が必要で、そんな事は史料には書いていないし、実際、『血が濃い』と思っている人は、まずいないと思います。実は「話を膨らませた」韓国のマスコミでも、そこまでは言っていません。(よかったら、参考URLの内容のうち、事実のみを、その留学生に伝えたらどうでしょう?まぁ、言っても無駄かも知れませんが・・・。)
ですから、騎馬民族征服説のように、天皇家や豪族が、丸ごと朝鮮半島から来たという仮説に立たない限りは、どういう理屈を使っても「天皇家は百済系の血が濃い」という話にはなりません。ご自身で「騎馬民族征服説は持ち出さずに…」と最初に縛るのなら、確認するまでも無く、答えは最初から明白ですから、質問はもう締め切られても宜しいのではないでしょうか?

尚、細かい事ですが、J-Textにある日本書紀(国史大系本)の巻六の垂仁天皇三年の項には「新羅王子天日槍来帰焉」とありますけど…。
http://www.j-texts.com/jodai/shoki6.html

ところで、ANo.10へのお礼に「皇后として認められなかったのは、下級貴族出身だからか、百済系帰化人なのか、その2つが条件かもしれませんね。」とありますが、これまで回答された方は「そもそも、皇后を出せる家系じゃない」と仰っているだけで、私もそれが正解だと思います。随分「渡来系だったから、皇后になれなかったかも」という点に拘られているようですが、そう推測する根拠は、なんでしょうか?

参考URL:http://www.find.takushoku-u.ac.jp/jousei/chousen …
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この回答へのお礼

神功皇后は久米一族の姫であり、神功皇后は「武甕槌之命」の末裔である説が有力らしいですね。
高取山の頂上に武甕槌之命を御祀りした神社があります。
それが、歴史では神功皇后は、新羅の王族の末裔という事になっています。
何でこんな明らかな改竄・捏造が行われたのか理解できませんでした。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/10 18:28

 たびたび投稿しているので、論が細切れになって論理展開が分かりにくくなって、誤解が生じているようです。

以下に論旨を整理します。

4.で質問者さんは、
「百済が滅亡した時に、大和朝廷は多数の百済系王族を帰化人として受け入れたから、天皇家は百済系の血が濃い」と言う仮説を否定しています。(この仮説は、日本人のルーツ・血脈を論じた本で時々目にする説です。実際に天皇の陵墓を発掘して、DNA鑑定したことはないのですから、仮説という認識でいいと思います。)
 
 質問者さんが、この仮説について成り立たないと考え、その根拠として、

A.祖父が天皇でも臣籍降下するのに、百済系帰化人がいつまでも貴族でいたというのは間違いです。

B.貴族社会から家系が消滅したから、血脈は消えている。

 Aと言う認識からBという推論をして、この推論が正しいかどうかの回答を求めています。

 尚、私個人としては「百済系の血が混じっている」程度の認識で、決して濃いとは思っていませんが、濃い・薄いは個人の感じ方の問題で、数パーセント混じっていれば、濃いと感じる人もおり、薄いと思う人も居るでしょう。言葉の感じ方の問題になってしまうので、質問者さんの推論の是非についてのみ答えることに限定しました。

A.の質問者さんの事実認識は、私は間違っていないと思います。というより、全くの大正解とでも言うべきものだと思います。
 日本の古来からの大豪族である大伴氏、名門の橘・紀氏など多くが消えてしまい、天皇の血統である源氏でさえ藤原氏の前に圧倒されています。その藤原氏も権力の中枢にあった系統である藤原北家、基経系の藤原道長の子孫が繁栄し、特に忠通の系統のみが五摂家として朝廷の中枢を独占しています。当然帰化人としての「家系」は貴族社会からかなり早く消滅したと思います。

B.の家系が消滅したから、血統も消滅したと言う推論は、遺伝学的に言って明らかに間違いですから、この推論で提示された仮説を否定することは、不可能であると述べました。

 帰化人系の国母(天皇の母親)が「高野新笠」一人であるのは、日本の正史の記載からみて多分間違いありません。ただ日本人国母の祖先に帰化人が居なかったとすることはできません。
 特に男系であった日本貴族社会の場合、女系の記録が残りにくい上、上級貴族は複数の妻を持つ習慣があったので、中・下級貴族からも妻を迎えることが普通であった以上、もし下級貴族に外部の血が混入したとしたら上級貴族にも意外と早く到達する(たぶん数世代)のは、遺伝的事実と言えます。

 ですから、質問者さんが論拠として上げている二点をもって、この仮説を否定するのは遺伝学的に考えて無理があると指摘しているわけです。

 また、「朝鮮系の血が」と言う仮説ではなく「百済系の」との指摘ですから、その部分についてコメントするにあたって、正史の記述による亡命の受け入れについて、私の論旨のポイントである「女系」に重点を置いて検討しました。検討内容を述べます。
 
 婚姻前の100パーセント(これらの数字は観念的なものです。百済系でも少しは新羅の血が混じっている可能性は大いにありますから)百済系の女性が日本人貴族の妻となって生まれた子供は日本人として扱われますが、50パーセント百済の血が混じっています。
 それに対して、帰化人男性が日本人の妻を娶り、その娘が日本人貴族と結婚して生まれた日本人は、外来の血が25パーセントになります。
 ですから、大勢の未婚女性が貴族社会に流入したと思われる記述が唯一正史に残っている百済を第一に考えたわけです。

 もし百済系でないなら?それはたぶん新羅系と思います。奈良朝において使節がやってきた記載がありますし、随行してきた有能な実務家が日本に残った可能性は否定できません。(唯、この場合妻子を帯同してくることはあまり考えられません。日本人の妻を持つケースの方がかなり多いと考えます。)一度には少数でも回数を繰り返せば増えてきますが、帰化女性が直接婚姻するより血が薄くなるので、百済の場合より多い数の帰化を考えねばならず、可能性はかなり低いと思います。

後は細かい部分について。
 日本各地に移住した朝鮮系の人々は多数居たとの指摘は、全くその通りで、その事実に対しては全く同様の認識です。
 ですが、質問の「天皇家の血統」については、検討すべき影響を与えていないと考えています。

 国が滅亡したのは高句麗も百済も同じですが、高句麗は敵国であった期間が長く日本国内の貴族階級と友好関係がなかったのに対し、百済は友好国として日本の貴族階級と百済の王朝は深い関係を持っていたのはご存知と思います。正史に百済貴族の亡命を認め、貴族としての位を与えた記載がありますが、高句麗滅亡時にはありません。
 百済に日本軍が援軍として送られ、その引き上げとともに百済の貴族が日本に渡ってきたわけでが、大規模な移動手段・護衛があったわけで家族・女性もかなり安全に移動できたわけです。
 また、距離も高句麗よりはるかに近いですから、百済貴族の大量亡命があったが、高句麗の貴族の亡命は、個人的散発的なものだったと考えて全く問題ないと思います。

「日本の貴族階級に亡命貴族が食い込んでいった」とは、考えていません。まして「百済系のみが」とは全く考えていません。
 この点については質問者さんと全く同意見で、百済系だろうと、新羅系だろうと帰化人が、家系として「日本の貴族社会に食い込んでいった」というような事実は全く知りませんし、そのような認識もありませんから、そういう趣旨で書いた部分はありません。

 以下の類推は、質問者さんの4の質問について、直接係わり合いはありません。「百済出身者だけが日本の貴族階級に食い組んでいった」と言うことに対する、私の個人的認識を示します。

 百済系帰化人が、日本の中で日本人社会と血の交わり絶ったコロニーを形成したため、百済の血統と百済の家系が結びつく形で残ったとは考えにくいとい思っています。
 むしろ、生き残りのために必死の政略結婚(貴族社会の常識と言えます。)が行われ、朝鮮語が母語である一世、親が朝鮮語で子育てしたかもしれない二世以後は、百済帰化人貴族社会は急速に崩壊して、二百年もたたずに家系は帰化人でも、日本人と混血した地方豪族となり、政略結婚した一世・二世の帰化人女性の血は日本の中央貴族社会に同化(=遺伝子の状態として存在し続ける)してしまったと考えています。

 日本の王朝が百済人貴族に位を与えたとはいえ、朝廷の職を与えられたわけではないのです。ですから、経済的基盤を完全に失い失業の状態なのです。
 ですから、貴族階級に食い込むなどというものではなく、当座の生活の維持と、今後の生活基盤を作るため、土地の開墾の権利や奴婢を手に入れる目的で、娘に貴重品を持参金として持たせ、手工業の技術を提供し、そのような開墾の許可や労働力を保障する力のある中央貴族と繋がりを強固にしようとしたはずです。
 貴重品の売り食いでは、いずれ破綻します。持ち込んだ貴重品がなくなり、技術が一般化してしまうまでに、少なくとも地方豪族としての経済基盤が作れなければ一族は崩壊します。中央貴族の妻となった姉妹が居れば、兄弟も暮らしている土地の地方豪族から妻を得ることが容易となったでしょう。(経済基盤・政治基盤のない亡命帰化人貴族に娘を嫁にやるような、中央の中・下級貴族はほとんど居なかったと思います。政略結婚で自分より上位のものと繋がりを持ちたいが普通なのですから。また、帰化人同士が結婚しても経済基盤・政治基盤がない状況は何等改善されません。)
 
 多分、婚姻によって日本人貴族社会と結び付けなかった一族は、数代もせずに庶民に落ちていき、結局混血していったと思います。
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 歴史的資料に対する読み方の基本を無視していますね。



 歴史には多くの記録がありますから、先に自分の中で結論を決めておいて、それに都合の良い資料だけをピックアップしたのでは、どんな結論にも導けます。

道長の家族について
 貴方の提示された資料で、藤原盛子(三条天皇尚侍)・七男:藤原長信(1014-1072)の母親はどなたですか?
 母、藤原時姫の父親は藤原仲正ですが、母親はだれですか?
 妻の倫子の母は藤原朝忠女の穆子ですがではその母は?

宇多天皇の家族について
女御:橘義子 の 母はだれですか?
女御:橘房子 の父母はだれですか?
更衣:源貞子 の母はだれですか?
更衣:徳姫女王 の父母はだれですか?
更衣:藤原保子の母は誰ですか?

 これを調べると、歴史人名辞典などでも「~と言う説もある」「~とも言われている」とか、「と言われているが定かでない。」などの記述が多くなって、如何に記録に残りづらいかが実感できますし、下級貴族が多くなって、母系の血が下級貴族から上級に流れているのが分かります。

 尚、日本の皇室に亡命百済王族・貴族のDNAが混じっていたとして、それが何か問題なのでしょうか。当時の日本社会が寛容であったこと、百済亡命王族・貴族から感謝されたであろうことが問題なのでしょうか。

 百済を滅ぼした新羅(最初の朝鮮統一王朝。朝鮮も中国に倣って儒教化したため、歴代王朝は新羅の国家統治の正統を受け継いだ形式を取っています。)の伝統を意識する韓国人から、1000年以上経っても彼らの敵であった亡命百済人を受け入れたことに、クレームがついているのでしょうか?

 人間は親しく付き合えば混血するもので、それが自然な人間の心の流れです。
 歴史上、混血・異集団の流入を認めて強国になった例はありますが、人為的民族純血主義をとって大成功した例は、記憶にありません。
 民族の理念的純血主義は、世界の歴史の中では戦乱の原因になるだけで、平和をもたらしたことはありません。
 近年でも、ユーゴスラビア紛争による戦乱・ルワンダのツチ族・フツ族の内戦・虐殺などいくらでも例があります。
 
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 誤解があるようなので。



 貴方の書き出しておられるのは天皇の家族についてです。天皇についての記録は当然日本の国の公式記録である正史に記載されます。私が指摘しているのは貴族の妻ですよ。

 上級貴族の妻について記録があるかということです。例えば6人の娘を天皇の妻にした上級貴族中の上級貴族、有名な藤原道長の妻は何人居てその母親が誰か分かりますか。摂政関白太政大臣となり栄華を極め、栄華物語など彼を主人公にした物語まで残っており、研究資料が山ほどある天皇を凌ぐ政治権力を握っていた人の妻の母親についてです。彼の子供についてさえ、どの妻の子か明確な資料をご存知ですか?

 記録に残っている貴方の指摘された天皇の妻たちについて、その父親の名を記載されていますが、では母親はどなたでしょうか?
 例えば、あなたのあげておられる宇多天皇の妻9人について具体的にその母親は、どなたですか?菅原道真など有名な記録の多く残る人の娘などの場合以外、母親の記録がどれだけありますか?全て記録に残っていますか?国史に記載される天皇の場合でさえ、この状況なのです。
 宇多天皇の妻の場合、父親でさえ中級貴族出身の妻がいます。母親が下級貴族出身である可能性はかなり大といえます。

 上級貴族ほど多くの妻を娶りますし、男女の出生比率はほぼ1対1です。妻の血は上に上っていく事実を否定できますか?

 また、200年も経つと混血が進み、生物学的遺伝と文化的家系は全く意味が異なってしまいます。貴方の指摘強調しているのは単に父親の家系がどうかということで、血の濃さとはほとんど関係が有りません。

 遺伝について詳しくないとの理由で、遺伝学を無視した論を展開するのは無意味です。文系であろうとなかろうと、生物学的遺伝について述べたいなら、先ず遺伝の基礎から勉強し直すべきです。

 また政略結婚は貴族社会の常であることは常識です。百済系帰化貴族が、娘を数も多い日本人貴族に嫁がせず、百済系帰化人の間で婚姻を繰り返すこと自体ありえないと言っていいでしょう。(少数の家族間の婚姻は遺伝的劣勢形質を顕在化します。)更に、帰化当初の不安定な時期には、政治的基盤獲得のため日本人貴族と婚姻関係を必死で結ぼうとしたはずです。当然、見返りに百済から持ち込んだ貴重品・技術・文化を婚姻相手の家に提供するわけですから、混血が急激に進んだはずです。ですから、同じ日本人でも庶民より貴族階級のほうが、百済の影響が濃いと言えます。

 また、百済滅亡時以前にも日本と友好関係にあった百済人の日本への帰化は徐々に行われています。

 奈良時代に日本の貴族階級に加わった外部の血としては、百済が最大と結論付けてほぼ正しいと言えるのではないでしょうか。

この回答への補足

藤原道長の家族構成

父:藤原兼家
母:藤原時姫(藤原仲正女)
妻:源倫子(964-1053)(左大臣源雅信女、母は藤原朝忠女・穆子)
長女:藤原彰子(988-1074)(一条天皇中宮)
長男:藤原頼通(992-1074)(摂政・関白)
次女:藤原妍子(994-1027)(三条天皇中宮)
五男:藤原教通(996-1075)(関白)
四女:藤原威子(998-1036)(後一条天皇中宮)
六女:藤原嬉子(1007-1025)(後朱雀天皇東宮妃)
妻:源明子(964?-1049)(左大臣源高明女・盛明親王養女)
次男:藤原頼宗(993-1065)(右大臣)
三男:藤原顕信(994-1027)(入道前右馬頭)
四男:藤原能信(995-1065)(権大納言)
三女:藤原寛子(999-1025)(敦明親王女御)
五女:藤原尊子(1007-1084)(源師房(頼通の養子)室)
六男:藤原長家(1005-1064)(権大納言・御子左家の祖)
妻:
女子:藤原盛子(三条天皇尚侍)
七男:藤原長信(1014-1072)
妻:藤原儼子(?-1016)(太政大臣藤原為光四女)

当時、藤原氏からは
東三条院詮子
皇后遵子(頼忠の娘で円融天皇の皇后)
中宮定子
の三人が皇后として出ています。

宇多天皇の妻9人の記録は詳細に残っていますよ
皇后の藤原 温子を詳しく説明します。
[皇太夫人]:藤原 温子..872~907
.<号:中宮・東七条后・七条后>
父:関白太政大臣 藤原基経
母:操子女王(式部卿 忠良親王の女)
[夫との血縁関係]:再従兄(6親等)・・・父基経の母、乙春の姉妹、沢子の孫
888(17才) 宇多天皇(22才)に入内、更衣(10月)、女御宣下(11月)
891(20才) 父・基経没
893(22才) 正四位下より正三位に昇叙(1月)
896(25才) 東宮敦仁親王(醍醐天皇)の生母胤子死去に伴い、その養母となる
897(26才) 宇多天皇退位、醍醐天皇即位,皇太夫人に冊立
898(27才) 五条宮より朱雀院に移る,「朱雀院女郎花合」を宇多上皇と共催する
....... 中宮職に賜る恩典の一部辞退を申し出る(4月)
902(31才) 屏風歌を紀貫之に詠進させる
903(33才) 東七条宮に移る
905(35才) 出家する(5月)
907(36才) 崩御〔6月8日〕
(宇治木幡の宇治陵に葬られる)
所生の皇子女
890~ 910.. 均子内親王(敦慶親王室)
(養子)醍醐天皇
宮廷での女官:伊勢(歌人)
*晩年に東七条宮(亭子院)に住んだため、東七条后・七条后と称されます。
.宇多天皇即位の翌年入内し女御となりました。均子内親王を生むが皇子はなく、藤原胤子の所生の敦仁親王が立太子しました。しかし関白の娘として重んじられ、胤子の死により東宮敦仁親王の養母となり、その即位により皇太夫人に冊立されました。
.宇多上皇と「朱雀院女郎花合」を共催するなど、その宮廷は華やいでいたようです。また女房には歌人の伊勢がおり、『古今和歌集』に伊勢の哀悼歌を載せるほか、『伊勢集』に温子との贈答歌や哀悼歌を伝えています。

補足日時:2007/02/28 23:40
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この回答へのお礼

あなたは主張は「上級貴族の妻は名前すら残っていない」ですが、
上級貴族の妻は(ましてや天皇の妻になるような娘は)詳細に残っているのが事実です。

下級貴族の間では、あなたの言うように日本人の下級貴族と百済系帰化人(=下級貴族)で混血が進んで、百済の血が薄くなり、何年後かに人民に降下したと考えられます。
桓武天皇は天武系に子供が存在していたなら、そのまま臣籍降下していたでしょう。
没落した天智系の白壁王と下級貴族の百済系帰化人の「高野新笠」の娘ですからね。
しかも、「高野新笠」の祖先は200年前に帰化して、日本人と混血も進んでいるでしょう。
それなのに皇后として認められなかったのは、下級貴族出身だからか、百済系帰化人なのか、その2つが条件かもしれませんね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/28 23:40

5、天皇家がどこから来たのかは諸説あり謎です。

 元々、大和に住んでいた者なのか? 九州から来たのか? 中国から来たのか? 朝鮮半島から来たのか?

私は朝鮮半島ではないかと思います。 その根拠は万葉集です。 巻一の雄略天皇の歌は有名です。

篭(コ)もよ み篭(コ)もち ふぐしもよ みふぐし持(モ)ち 此(コ)の丘(ヲカ)に 菜(ナ)採(ツ)ます児(コ) 家(イヘ)きかな 名(ナ)告(ノ)らさね 虚(ソラ)見(ミ)つ 山跡(ヤマト)の国(クニ)は 押(オ)しなべて 吾(ワレ)こそ居(ヲ)れしきなべて 吾(ワレ)こそ坐(マ)せ 我(ワレ)こそは告(ノ)らじ 家(イヘ)をも名(ナ)をも (巻一)

雄略天皇が野原で花を摘む乙女に恋をし、名を聞いた歌であると高校時代の歴史の時間に学びました。 万葉集は古代人の牧歌的な愛を歌の賛歌である。 これは日本人の多くは持っている万葉集に対するイメージだと思います。

ところが、これを古代の朝鮮語で読むと、愛の賛歌ではなく、即位宣言となる。 そうなると、これは立派な歴史書となります。 

万葉集が恋愛賛歌なのか、歴史書なのか、その帰結はわが国の古代史の解釈を根底から覆すほどのインパクトをもたらすものです。 

雄略天皇は鹿狩りと称しては。軍隊を編成して、ライバル達を葬り、権力を掌握した策士と聞いています。 野原で美しい乙女に愛を打ち明ける朴訥さはとてもイメージ出来ません。
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この回答へのお礼

>これを古代の朝鮮語で読むと、

古代朝鮮語は郷歌が17首(もしくは21首)しか残っておらず、解読されていないのが現状です。
解読されていない古代朝鮮語で読むなどは不可能です。
今のところ、古代朝鮮語は解読できてないのです。

例えば、江戸時代の日本語が解読されていないとして、松尾芭蕉の俳句が17首だけ見つかったとましょう。
その17首から日本語を解読することはできますか?不可能ですね。
今のところ、古代朝鮮語は解読不可能なのが現状です。

余談ですが、その郷歌17首を発見したのが京都大学の日本人教授なのですが、
「郷歌を発見したのは日本人だよ。」と韓国人留学生に言うと、不機嫌な顔になりました。
日本人の世話になるのは嫌だ!みたいな感じでした(笑)

朝鮮半島からか、中国南部の長江周辺から来たのか、九州南部から来たのか、謎ですね。それが歴史の面白いところです。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/28 23:55

ANo.7です。

ちょっと気になったもので、補足しますね。

質問者さんの仰せの「天皇家に血を分ける」というのが、歴代天皇の
女系での近親者(母とか祖母とか)のことを指すなら、百済系帰化人と
しては仰せの通り「高野新笠」が唯一と言っても良いと思います。
ただ、天皇に限定せず皇族の妻となって子を儲けた、ということにな
ると、事情は変わります。例えば、ANo.7でも触れましたが、桓武天
皇の後宮には百済(王)氏と思われる女性が何人かおり、子供もいます。

以下、本朝皇胤紹運録によると、
太田親王  母は百済教仁
駿河内親王 母は百済貞香、教徳の女
良峯安世  母は百済永継
ものの本によるとこの他にも居たようですが、原典が確認できない
ので省略します。
ただ、いずれにしても、これら百済(王)氏の出身と思われる女性か
ら生まれた皇子女の後の世代から、次世代の天皇家に通婚したとの
記録も見つかりません。絶対にないとは言い切れませんが、このこ
とが「天皇家は百済系の血が濃い」ことの理由にはならないことも
明白です。
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この回答へのお礼

suicyoさんには感服します。本当に詳しいですね。

確かにそうです。
当時の記録は詳細に残っており、桓武天皇の後宮には百済系帰化人と推測される女性が何人いて、子供もいます。
しかし、その子供が次世代の天皇家に通婚したという記録はありません。
天皇家に通婚した女性は記録に残るので、その子供たちはしばらくして人民に降下したのでしょう。
度々ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/01 00:28

1・4・5について


他の方からも指摘されている通り、日本人自体が北方・南方からの
混血だとされています。で、天皇家(の先祖)が誕生した当時、仮に
天皇家とその他の日本人とは血が違うということがあったとしても、
その後の通婚で混血が進みます。結局、天皇家とその他の日本人と
の間に血の違いを求めるのには無理があります。
(遺伝子の問題ではなく、男系での血の継承のみを「伝統」として
問題とするなら、別の議論が成り立ちますが‥)
百済系の血が濃いというのは、何をもって「濃い」と判断するのか、
私にはわかりません。強いてあげるのなら、桓武天皇の後宮に百済
(王)氏が何人かいるのが眼に留まる程度です。天皇家に限らず、日
本人の総体として百済系の血が濃いという証拠でもあれば、話は別
ですが‥

2・3について
ANo.1さんが既に仰せられていますが‥以下、蛇足。
歴史時代というか、神話の時代以降は、皇后になれる身分は限られ
ていました。最初は王(皇)族のみ、その後藤原氏や橘氏にも門戸開
放?されますが、以後も近世まで、中宮を含め皇后になれるのは上
級貴族出身の女性だけです。高野新笠の生家は桓武天皇の外戚とい
うことで高い位を贈られますが、もともと皇后になれる身分ではあ
りません。
当時の帰化人の扱いの低さがどの程度のものか、私には分からない
のですが、仮に帰化人の扱いが良かったとしても、王(皇)族や藤原
氏と肩を並べるということは無理だったと思いますね。
当然、夫と息子が天皇であっても皇后・中宮になれなかった皇妃は
他にいくらでも例があります。また、例外としては、徳川秀忠娘の
後水尾皇后和子という例があります。でも、徳川家の権勢を見れば、
むしろ例外とは言えないですね。
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この回答へのお礼

詳しい説明をありがとうございます。

例えば、天皇家が中国南部の長江周辺から来た集団だったとしても、日本で生活している間に混血が進み、他の日本人と同じようになるということですね。
当時、皇后になるのは天皇家や上級貴族(藤原氏)など身分は限られていたので、下級貴族である百済系帰化人の「高野新笠」が皇后になれなかったのは当然だということですね。

韓国人留学生が「天皇家は百済系の血が濃い。日王(天皇)は百済人の末裔だ」とうるさく言うので、調べてみたのです。
詳しい説明をありがとうございました。

お礼日時:2007/02/28 09:33

4.について


 集団の遺伝子保存について、高校の生物(選択で知らない人も多いのでしょうか?)でも学びます。
 
 奈良・平安時代の貴族階級のような集団から、世代が進むにしたがって中・下級貴族の遺伝子が失われていき、上級貴族の遺伝子のみが貴族階級に広がり、更にその時の上級貴族の遺伝子のみが残っていくということを繰り返すと、上級貴族(皇族を含む)の遺伝子は種類が少なくなっていって単一化し、劣性遺伝子が隠されずに身体的異常が多発します。

 現実にはそのようなことは起こっていませんし起こりません。遺伝子はなくならないのです。
 家名の残る父親のみを見て、全体を判断するからそうなります。遺伝的には男女同じ重さなのです。

 具体的に言うと、上級貴族は複数の妻を持つことが普通であったのに対し、生まれる子供の数の男女比率は同じなのです。ですから数人の妻を持つ上級貴族の男子は中級貴族の妻を多く持ち、中級貴族は中・下級貴族の妻を多く持つことになります。
 家名の残らない母親を中心に見ると、遺伝子の流れは上に向かっていきます。

 この父親と母親の遺伝子を対等に見ると、どのような集団からも基本的には遺伝的性質は失われずに保存されるのです。そして、保存の過程で混ぜ合わせが進行します。
 外国人を日本の貴族階級として受け入れたなら、考える以上に貴族階級の中で急速に混血が進んだと思われます。亡命百済人同士が結婚するよりも、日本人と百済人が結婚することのメリットの方があったと思われるからです。
 百済人にとって、娘が日本人貴族の妻となることは、一族の生活基盤の安定につながります。日本人貴族にとっては外来の技術・文化を手に入れることで朝廷内の出世の助けになったでしょう。双方共に有利な話です。上級貴族の妻の名前さえ記録に残らない時代ですから、母方の祖母に帰化人が居たとしても記録にはほとんど残りません。
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この回答へのお礼

文系ですので、理系の遺伝子の話は苦手です(笑)

>上級貴族の妻の名前さえ記録に残らない時代

それは間違いです。名前は残ります。名前が残らないのは下級貴族だけです。

弘文天皇の家族構成は
父:天智天皇
母:宅子娘
兄:建皇子
弟:川島皇子
弟:志貴皇子
姉:大田皇女(夫:天武天皇)
姉:持統天皇(夫:天武天皇)
妹:明日香皇女(夫:忍壁皇子)
妹:新田部皇女(夫:天武天皇)
妹:御名部皇女(夫:高市皇子)
妹:阿閇皇女 元明天皇(夫:草壁皇子)
妹:山辺皇女(夫:大津皇子)
妹:大江皇女(夫:天武天皇)
妹:泉皇女
妹:水主皇女

宇多天皇の妃と子供は
女御(皇太夫人):藤原温子 - 藤原基経女
女御(贈皇太后):藤原胤子 - 藤原高藤女
女御:橘義子 - 橘広相女
女御:菅原衍子 - 菅原道真女
女御:橘房子
更衣:源貞子 - 源昇女
更衣:徳姫女王 - 十世王女
更衣:藤原保子 - 藤原有実女
尚侍:藤原褒子 - 藤原時平女

敦仁親王(醍醐天皇)
斎世親王(三品兵部卿)
敦慶親王(二品式部卿)
敦固親王(二品兵部卿)
均子内親王(敦慶親王妻)
柔子内親王(六条斎宮)
敦実親王(一品中務卿)
依子内親王
君子内親王(斎院)
誨子内親王(元良親王妻)
孚子内親王
季子内親王
ほか源順子(藤原忠平夫人、実頼母)など子供多数

このように名前は残ります。
その中でたった一人だけ百済系帰化人の「高野新笠」が天皇家に血を分けています。

「高野新笠」の祖先は200年以上前に帰化した「百済太子淳陀」だと日本書紀には記されています。
200年前というと今日を基点とすると江戸時代です。
200年以上もの間、日本に住んでおり、あなたの言うように日本人と混血を進んで、百済の血も薄くなった。
200年という長い時間が経て、混血もしているのに、「高野新笠」は皇后として認めなかったというのは、(理由は、高野新笠が百済系帰化人だから)明確な血の区別が行なわれていた証拠でしょう。

希少な百済系帰化人と結婚するのは珍しく、多数いる日本人貴族の中で結婚が行なわれたと考えるのが自然でしょう。
あなたは当時の日本人貴族の数がかなり少ないと勘違いしているようですね。
あなたが思っているよりも、当時の日本人貴族は多数いますし、百済系帰化人は少数ですよ。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/28 10:13

ちなみに、神功皇后に(伝承どおりであれば)新羅の血が入っているというのは事実です。


アメノヒボコはもと新羅の王子でありその曾孫が、菓子の神とされるタヂマモリ(多遅摩毛理、田道間守)であり、次ぎの代の多遅摩比多詞の娘が息長帯比売命(神功皇后)の母、葛城高額比売命です。

この回答への補足

(訂正)アメノヒボコは朝鮮半島から来たかもしれなが、“百済”の王子ではない。

アメノヒボコは朝鮮半島から来たかもしれなが、“新羅”の王子ではない。
に訂正します。

補足日時:2007/02/28 09:17
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この回答へのお礼

私がANo.2に言いたかったことを詳しく説明すると、
神功皇后がアメノヒボコの末裔とは記しています。
しかし、日本書紀にアメノヒボコは新羅の王子だとは記していません。
日本書紀どころか、「アメノヒボコは新羅の王子だ」と明確に記している史料はないですよ。
「アメノヒボコは新羅の王子かもしれない?」という推測の域は出ていないのです。
それなのに、ANo.2は「日本書紀によれば神功皇后は新羅王子の天日槍命の血が入ってる」と、日本書紀に「アメノヒボコは新羅の王子だ」と明確に記してあるようなことを書いた。
だから、嘘はいけませんよと書いたのです。
理解して頂けたでしょうか?

個人的には、アメノヒボコは朝鮮半島から来たかもしれなが、百済の王子ではないと思います。
倭人の勢力が住んでいた朝鮮半島南部(任那)から来た人物だと思っています。
任那があった場所で倭人の神が祭られている土地があるらしいので、近い内に行く予定です。
わざわざありがとうございました。

お礼日時:2007/02/28 09:16

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Q天皇家は渡来人だったという説の根拠を教えてください。

天皇家は渡来人だったという話を聞いたことがあるのですが
その説の根拠とはどういったものでしょうか。

ご存知の方、教えて下さい。

また、その説について意見があれば
それも教えていただけると嬉しいです。

Aベストアンサー

DNA鑑定でも日本人に朝鮮半島系の人が多いというのは立証されています。
渡来人はほとんどが朝鮮半島から渡ってきた人たちのようです。
中国から渡来したと自称している人もほとんどが朝鮮半島からの渡来人だったというのが歴史学者の見解です。
ちなみに15~20%という数字の根拠はわかりませんが、これも歴史学者の言葉です。
渡来人が日本創世のときに果たした役割はとても大きかったそうですよ。

日本書紀などにのるスサノオ伝説が天皇=渡来人であることを暗示しています。
スサノオは高天原を追放されて出雲に来ます。
高天原=朝鮮半島だと言われています。
「神武東征」は九州から奈良、近畿地方への遠征だと言われています。
天皇とその側近の貴族達は九州からきたと思われるのでそうであれば、ほぼまちがいなく渡来人の血はひいているでしょう。

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q【天皇家は朝鮮人の血が濃いという嘘】

【1】天皇家は百済系朝鮮人の血が濃いという話を聞きました。
具体的にどう濃いのかを調べてみたら、全然濃くなかったのです。逆に薄いくらいでした。
天皇家に入っている百済系の血は、たった一人だけです。
桓武天皇の母親が200年前に来た百済王族の末裔の帰化人(国籍は日本人)の「高野新笠」だけです。
200年前に帰化して、日本人と混血を繰り返した人物は朝鮮人でしょうか?日本人でしょうか?
例えば、自分の友人に江戸時代の1800年に日本に来た朝鮮人がいたと仮定します。
その朝鮮人の末裔は200年間も日本人と混血を繰り返しました。
そして、その末裔と職場・学校で知り合います。
その人は朝鮮人ですか?日本人ですか?

天皇家に血を分けた百済系帰化人は200年前に日本に来て混血を繰り返した「高野新笠」一人だけです。
それなのに、どうして世間では「天皇家は百済系の血が濃い」と言う俗説を言う人がいるのでしょうか?


【2】百済王族の末裔の帰化人の「高野新笠」は生きている間は皇后として認められていませんでした。(死後、皇后となる。)
200年前に帰化して混血を繰り返したのに、生きている間に皇后と認められなかったのは異例です。
これは、当時の帰化人の扱いの低さを物語っています。(実際、大和朝廷内での帰化人の扱いは低かった。)
当時の人々が「百済系帰化人の末裔などは国籍は日本人でも、皇后として認められない」という行動をとった証拠でしょう。
「高野新笠」の夫と息子は天皇です。
「高野新笠」が皇后と認められない理由は他に何かありますか?


【3】桓武天皇の父であり、「高野新笠」の夫である、白壁“王”(のちの光仁天皇)は、天皇を継ぐ立場ではありませんでした。
当時、天皇を継ぐ可能性がある者は“親王”を名乗ります。
“王”は一応、皇族ですが、天皇を継ぐ可能性は低いです。
白壁“王”はまさか天皇になるとは、夢にも思っておらず、また周囲も白壁“王”が天皇になるとは思っていなかったので、百済系帰化人の「高野新笠」との結婚を認めたのではないでしょうか?
そして、天武系皇族が度重なる粛清で途絶えたために、天智系の白壁王が62歳という高齢で天皇になった。
仕方なく、(血の問題で)天智系の白壁王を天皇になったとしても、百済系帰化人の「高野新笠」を皇后として認めるわけにはいかない。
当時の人々はそう考えて、「高野新笠」を皇后として認めなかったのではないでしょうか?


【4】「百済が滅亡した時に、大和朝廷は多数の百済系王族を帰化人として受け入れたから、天皇家は百済系の血が濃いのだ」と言う人がいます。
果たしてそうでしょうか?
百済系帰化人は最初は一応、それなりの地位(貴族など)を与えられましたが、百済系帰化人はすぐに人民に降下しました。
大和朝廷が百済系帰化人に関東に土地を与えて移民させた話などが残っています。
当時の大和朝廷には、資金的な余裕もなく、例え貴族でも天皇から血が離れていけば臣籍降下します。
具体的には、在原業平などがそうです。
在原業平の父は平城天皇第一皇子の阿保親王。母の伊都内親王は桓武天皇の皇女です。
在原業平は平城・桓武天皇の孫にあたります。
祖父が天皇でも臣籍降下するのに、百済系帰化人がいつまでも貴族でいたというのは間違いです。
従って、「百済が滅亡した時に、大和朝廷は多数の百済系王族を帰化人として受け入れたから、天皇家は百済系の血が濃いのだ」というのは間違いでしょう。
具体的に天皇家に血を分けたのは「高野新笠」一人だけですので。
いかがでしょうか?


【5】天皇家がどこから来たのかは諸説あり謎です。
元々、大和に住んでいた者なのか?九州から来たのか?中国から来たのか?朝鮮半島から来たのか?
(私は九州から来たと思っています。)
中国歴史書に書いてあるのは、「百済は支配層と民衆の言語が違う」、「百済の住民の多くが漢人や倭人」、「倭人が頗る多い」
(百済王族は最初は扶余姓を名乗り、しばらくしてから“余”と1文字に略した。余豊璋など。)
従って、天皇家は朝鮮半島から来たと断定するのは不可能です。

【1】天皇家は百済系朝鮮人の血が濃いという話を聞きました。
具体的にどう濃いのかを調べてみたら、全然濃くなかったのです。逆に薄いくらいでした。
天皇家に入っている百済系の血は、たった一人だけです。
桓武天皇の母親が200年前に来た百済王族の末裔の帰化人(国籍は日本人)の「高野新笠」だけです。
200年前に帰化して、日本人と混血を繰り返した人物は朝鮮人でしょうか?日本人でしょうか?
例えば、自分の友人に江戸時代の1800年に日本に来た朝鮮人がいたと仮定します。
その朝鮮人の...続きを読む

Aベストアンサー

【5】についてでしたら回答したいと思います。

・天皇はやはり九州から東にこられたのだと思います。

だって古事記や日本書紀にかいてありますもん。
高天原の天照太御神の子孫が高千穂に降りてこられた・・・って。

だいたい祖先から伝えられた神話を、あんなのは作り話だといって信じない日本人はひねくれすぎと思います。
ユダヤ人なら聖書に書かれたことを、イスラム教ならコーランに書かれたことを信じていればいいのではないのでしょうか?

タイムマシンで見てくるわけでもないのに、昔の事をはっきり断定できるわけありません。
【天皇家は朝鮮人の血が濃いという嘘】も、なんとかして天皇の権威を落としたろーという悪意を持った人の嘘だと思います。捏造だってできるでしょうし・・。

古事記や日本書紀以のことが作り話なら、聖書でもコーランでも昔の書物ならなんでも信憑性に限界があります。
むろん誇張や年代でも、つじつまが合わないこともいっぱい出てくるでしょう。文字や写真など記録するものの無かった時代ですから。

むしろ我が国の歴史はそのくらい古いという事を誇りたいと思います。
祖先が愛する子孫のために嘘を代代言い残しますか?
(昔の学者、平泉澄氏の本はそのへんの事が書いてあります)

極端な結論になりますが、

神話どおりに、天から神様の子孫が高千穂に降りてこられて、東へどんどんこられ、日本列島を一つにまとめた大和という国を建てて、首都が奈良あたりであった。その一族が代代の天皇家である・・という回答で、日本人なら立派に世界に通用する回答であると思います。        以上です。

【5】についてでしたら回答したいと思います。

・天皇はやはり九州から東にこられたのだと思います。

だって古事記や日本書紀にかいてありますもん。
高天原の天照太御神の子孫が高千穂に降りてこられた・・・って。

だいたい祖先から伝えられた神話を、あんなのは作り話だといって信じない日本人はひねくれすぎと思います。
ユダヤ人なら聖書に書かれたことを、イスラム教ならコーランに書かれたことを信じていればいいのではないのでしょうか?

タイムマシンで見てくるわけでもないのに、昔の事を...続きを読む

Q天皇家・藤原氏・蘇我氏の出自について

私はよくインターネット等で天智天皇は百済の王子の翹岐王だったとか
蘇我氏は名前が渡来系っぽいから百済人や藤原鎌足は豊璋だとか言っている人を見ます
そこで疑問があります。

まず、いくら王子だからとはいえ日本の属国であった百済の人間が
まして国外追放されて亡命してきた翹岐王や人質としてやって来た豊璋のような人間たちが
頑張ったとしても、朝献をする国の外国人が日本のトップである天皇や
その側近に成れるものなんでしょうか?
名前を隠して入れ替わろうにも周りも馬鹿じゃないんだからバレて入れ替われないでしょうし
普通は周りの人間が大反対してそんな地位にはなれないんじゃないでしょうか?

倭が391年以来、海を越えて襲来し、百済や新羅を破って服属させてしまった。 (広開土王碑)
新羅百済は倭を大国と崇めた (隋書81巻東夷倭国)
新羅の4代目国王の昔脱解は日本人 (三国史記 新羅本記)
百済の王が王子を人質として倭国に送る (三国史記 百済本紀)
新羅は倭国に奈勿王の子未斯欣王子を人質に送る。 (三国史記 新羅本紀)

Aベストアンサー

『日本後紀』延暦二十三年四月二十七日条の和朝臣家麻呂薨伝に、「蕃人入相府、自此始焉」(渡来系の人として公卿になったのは、家麻呂が最初である)とあります。
桓武天皇の母方のコネで、渡来系氏族からようやく中納言や大納言に昇ることができたわけです。

ましてや律令制以前の世襲的に職掌の継承が行われる時代であれば、渡来人は差別を受けて、高官に昇ることはほぼ無理です。マエツキミ(のちの参議にあたる議政官)クラスでも、秦河勝ら数例しかありません。彼らは、基本的には技術官僚として貴族層に搾取される側の人間でした。
外国人が天皇に成り代わるなんてのは不可能です。

インターネットでそういったトンデモ説をご覧になり、疑問を持たれたとのことですが、みんなが皆、疑いを持つとはかぎりません。高校の日本史ですらまともに勉強してこなかった人や、おもしろければなんでもいい人、思想的に偏っている人など、さまざまな人たちがいます。

そういった、インターネットで見かけただけで、あっさり洗脳されてしまいそうな人もいるのですから、教えて!gooのようにネット検索の上位にヒットする場でこのような質問をされるのは控えていただけないでしょうか。
知らずに一生を終えるであろう人にまで興味を持たれて、トンデモ説が広まってしまいます。
無視が一番です。

『日本後紀』延暦二十三年四月二十七日条の和朝臣家麻呂薨伝に、「蕃人入相府、自此始焉」(渡来系の人として公卿になったのは、家麻呂が最初である)とあります。
桓武天皇の母方のコネで、渡来系氏族からようやく中納言や大納言に昇ることができたわけです。

ましてや律令制以前の世襲的に職掌の継承が行われる時代であれば、渡来人は差別を受けて、高官に昇ることはほぼ無理です。マエツキミ(のちの参議にあたる議政官)クラスでも、秦河勝ら数例しかありません。彼らは、基本的には技術官僚として貴族層に搾...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q近親相姦で生まれる子供は血が濃いので生涯になりやすいと聞きますが、これ

近親相姦で生まれる子供は血が濃いので生涯になりやすいと聞きますが、これは法律で禁じるほど重大欠陥ですよね。では、医学的な見地から言うとその血が濃いとはどういうことでしょうか?何となく血が濃くなることは分かるのですが、濃いとはどんな欠陥ですか?

Aベストアンサー

遺伝子の中には「劣勢遺伝子」と「優勢遺伝子」と言うのがあります。

ある種の劣勢遺伝子はそれと対になっている優勢遺伝子が一緒になっている時は、遺伝子が発現しませんから、その劣勢遺伝子に起因する先天的な病気は出ません。

もちろん、その劣勢遺伝子を持っていない場合は、その劣勢遺伝子に起因する先天的な病気は出ません。

運悪く、その劣勢遺伝子が2つとも揃ってしまうと、その劣勢遺伝子に起因する先天的な病気を持ったまま生まれます。

優+優=先天的な病気が発現しない
優+劣=先天的な病気が発現しない
劣+優=先天的な病気が発現しない
劣+劣=先天的な病気が発現する

遺伝子は「対」になってますから、遺伝子の同じ位置に同じ劣勢遺伝子が並んでしまった時だけ、遺伝病を持って生まれるのです。

他人同士が性交渉して生まれた子は、遺伝子の同じ位置に同じ劣勢遺伝子が並んでしまう確率は、かなり低いです。

しかし、遺伝子の配列がかなり似ている近親同士では、遺伝子の同じ位置に同じ劣勢遺伝子が並んでしまう確率がかなり高くなります。

この「遺伝子の同じ位置に同じ劣勢遺伝子が並んでしまう確率がかなり高い状態」を「血が濃い」と言います。

例えば、遺伝子の特定の場所、合わせて3ヶ所が「脳が無い状態で生まれる劣勢遺伝子の場所」だと仮定します。

この3ヶ所に

劣:劣
劣:劣
劣:劣

と言うのがピッタリ揃った時だけ、無脳症で生まれてきます。

ある兄妹(親が同一なので、遺伝子が似ています)が、

兄    妹
劣:劣 劣:劣
劣:優 劣:劣
劣:劣 劣:優

と言う遺伝子を持っていた場合、この兄妹が子供を作ると1/4の確率で「脳が無い子供」が生まれます。

このように、近親相姦では「普段は表に出て来ない遺伝子が表に出てきてしまう確率が高い」のです。

遺伝子の中には「劣勢遺伝子」と「優勢遺伝子」と言うのがあります。

ある種の劣勢遺伝子はそれと対になっている優勢遺伝子が一緒になっている時は、遺伝子が発現しませんから、その劣勢遺伝子に起因する先天的な病気は出ません。

もちろん、その劣勢遺伝子を持っていない場合は、その劣勢遺伝子に起因する先天的な病気は出ません。

運悪く、その劣勢遺伝子が2つとも揃ってしまうと、その劣勢遺伝子に起因する先天的な病気を持ったまま生まれます。

優+優=先天的な病気が発現しない
優+劣=先天的な病気が...続きを読む

Q天皇家の御先祖

天皇陛下が、かつて天皇家の御先祖が朝鮮半島の御出身であるとおっしゃったことがあると聞きました。私もそのような御言葉があったようにかすかに記憶しています。


現在の皇室、宮内庁は、そのようなお考えのお立場なのでしょうか。(朝鮮の方々に対する差別意識が日本には根強くありますが、この質問に関しては差別問題は抜きというローカルルールを遵守願います。)

Aベストアンサー

俗に「ゆかり発言」といわれるものですね。宮内庁ホームページに公開されています。

平成13年12月18日 天皇陛下の記者会見での宮内記者会代表質問

問3
世界的なイベントであるサッカーのワールドカップが来年,日本と韓国の共同開催で行われます。開催が近づくにつれ,両国の市民レベルの交流も活発化していますが,歴史的,地理的にも近い国である韓国に対し,陛下が持っておられる関心,思いなどをお聞かせください。

天皇陛下
私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html


一人の天皇の母親が朝鮮半島の百済王家の子孫であるというだけであり、これをもって天皇家の先祖が朝鮮半島の出身だというのは、あまりにも杜撰な議論です。

私の記憶に間違いなければ、これは韓国が「ゆかり発言」を恣意的に解釈して「日本の天皇が朝鮮半島出身を認めた」などと報道したものが日本に逆輸入されたのではなかったかと。

俗に「ゆかり発言」といわれるものですね。宮内庁ホームページに公開されています。

平成13年12月18日 天皇陛下の記者会見での宮内記者会代表質問

問3
世界的なイベントであるサッカーのワールドカップが来年,日本と韓国の共同開催で行われます。開催が近づくにつれ,両国の市民レベルの交流も活発化していますが,歴史的,地理的にも近い国である韓国に対し,陛下が持っておられる関心,思いなどをお聞かせください。

天皇陛下
私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記...続きを読む

Q安曇族の起源を教えてください。

信州の安曇地方に住み着いた安曇族は福岡の糟屋郡からやってきたといわれていますが、糟屋郡の地名を探してもあずみ、あづみの地名がありません。
どこにいた人たちなのでしょうか?
なにをしていた人たちなのでしょうか?
どうして安曇野に移住したのでしょうか?
現在わかっている範囲で結構ですが、是非知りたいと思い投稿しました。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>どこにいた人たちなのでしょうか?
ネットで百科@Home(世界大百科事典)によれば、
発祥地とされる「筑前国糟屋郡阿曇郷」は現在の「福岡市東部」のようです。
なお、都市ゆえに市町村合併・行政区画変更・住居表示実施・区画整理などによる町名変更の変遷もあるでしょうから現在町名・字名のみに基づく検索には無理があると思います)

>なにをしていた人たちなのでしょうか?
古代日本を代表する海人族・安曇氏(阿曇氏とも記す)。その本拠地は北九州の志賀島一帯、遠く中国まで交易をし、海部(あまべ)を支配して勢力を誇った有力な豪族。水軍ゆえに、あちこちに移住しその勢力を拡大。
筑前国糟屋郡安曇郷(福岡県)、伯耆国会見郡安曇郷(鳥取県)、美濃国厚見郡厚見郷(岐阜県)、三河国渥美郡渥美郷(愛知県)・・・。いずれも、海人・安曇族の住みついた地とされ、「アヅミは、阿曇・安曇・厚見・厚海・渥美・阿積などと表記され、足跡は瀬戸内海を経由し阿波、淡路、播磨、摂津、河内、近江などに及び、琵琶湖西側には安曇川の地名を残しているようです。

>どうして安曇野に移住したのでしょうか?
既にご存知かもしれませんが、こちらのサイトなどは如何でしょうか?
http://www.valley.ne.jp/~ariakehs/Azumi-zoku/azumi.html
門外漢なので見当違いならm(_"_)m

参考URL:http://www.valley.ne.jp/~ariakehs/Azumi-zoku/azumi.html,http://www.valley.ne.jp/~ariakehs/

>どこにいた人たちなのでしょうか?
ネットで百科@Home(世界大百科事典)によれば、
発祥地とされる「筑前国糟屋郡阿曇郷」は現在の「福岡市東部」のようです。
なお、都市ゆえに市町村合併・行政区画変更・住居表示実施・区画整理などによる町名変更の変遷もあるでしょうから現在町名・字名のみに基づく検索には無理があると思います)

>なにをしていた人たちなのでしょうか?
古代日本を代表する海人族・安曇氏(阿曇氏とも記す)。その本拠地は北九州の志賀島一帯、遠く中国まで交易をし、海部(あ...続きを読む

Q奈良のナラは韓国語のナラ(国)という意味ですか?

知り合いの朝鮮人が言っていました。
『奈良のナラは韓国語のNARA(韓国語で“国”)という意味だ。
つまり、百済人が古代日本を植民地支配していた証拠だ。
倭人は百済人の奴隷だった。
韓国の学校教育で習った事実だ。』
と言っていました。


(1)奈良のナラはどういった意味ですか?

(2)百済人という人種は存在したのですか?
うろ覚えですが、昔に読んだ本で「中国の正史に百済には中国人と倭人が住んでいて、支配層は扶余族だった。」と書いていたような。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

奈良という地名は、万葉集など少なくとも1300~400年は遡れますよね。しかしその時代の朝鮮語(所謂、古代朝鮮語)は「分からない」というのが常識になっています。なぜなら、その当時の発音を記した史料が残っていないからです。
日本では、平仮名がまだ発明されていなかった時代に、本来表語文字である漢字を表音文字として使用するという、ウルトラC(万葉仮名)によって当時の発音を記録しました。幸運にもそれが現代まで残っているので、当時の発音を知ることが出来ます。
しかし、古代朝鮮語という言葉の発音は、残らなかったのかそれとも最初から記録しなかったのかは分かりませんが、現代まで残っていません。韓国の方は決まって「それは秀吉が…」と言いますが、実際のところは??です。
つまり、「なら」という言葉は、その言葉が生まれた時代の言葉で比較しないと意味がないということです。いくら現代の言葉で発音が似ているとしても、それでは後出しじゃんけんに近いもので、正しい比較方法ではありません。
ですので、控えめに言って「分からない」、先述の書き込みを参考にして普通に言うと「違う」というのが正しいかと思います。

韓国の教科書、特に歴史教育の精度はかなり怪しい部分もありますので注意してください。

奈良という地名は、万葉集など少なくとも1300~400年は遡れますよね。しかしその時代の朝鮮語(所謂、古代朝鮮語)は「分からない」というのが常識になっています。なぜなら、その当時の発音を記した史料が残っていないからです。
日本では、平仮名がまだ発明されていなかった時代に、本来表語文字である漢字を表音文字として使用するという、ウルトラC(万葉仮名)によって当時の発音を記録しました。幸運にもそれが現代まで残っているので、当時の発音を知ることが出来ます。
しかし、古代朝鮮語という言葉の...続きを読む

Q天皇は朝鮮人という主張する人の考えの原点は何?

先日、別件で質問したところ、今の?天皇陛下は朝鮮人だ等という
質問の趣旨と関係ない回答が寄せられ、人を馬鹿にするな等、おおよそ見当の付かない
罵倒を掛けられました。

何でそんなに起こっているのか。皆目見当が付きません。
そもそも、天皇陛下は朝鮮人・コリアンなどという根拠も理解しがたいものがあります。

自助努力で調べたところ、このサイトにも過去にそんな質問が寄せられていました。
1.日本書紀にて朝鮮人と思われる人の血が入っていると書かれている

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6617838.html

または、検索エンジンで調べると
2.明治天皇が二人いて、本物と偽者(朝鮮人)がすり替わっている
 側近の日記と外国人来客者の日記に登場する明治天皇が似ても似つかないため、
 二人居たとされているようです。

などがそれらの根拠なのかな?と推測しています。

1.については、事実の確認しようもなく、そうであったとしてもかなり昔のことであり、
仮に、今後皇太子殿下が国際結婚されたとしてその子は日本人ではないと言えません。
日本国籍を有しており、日本人ですから、皇位継承者であると思います。

2.については、私が側近だったらなら、まだ若い明治天皇を外国人に会わせて
何かあってはいけないし、当時の尊皇攘夷の観点から、
もしくは、日本が小国と思われないような観点から、
わざと強そうな影武者(偽者)を立てて引き合わせるということもしたかも知れないと思うのです。
または、外国人が天皇なんだからという思い込みで実際に会った中で一番強そうに思えた人間を明治天皇と勘違いしたということも考えられますよね。

また、これらのことはどうも小説家?の人が本にしたり、DVDにしたりと、
布教活動しているようです。私は見てませんが。

本というと、従軍慰安婦の問題でも日本人元軍人がさも事実のような暴露本を出し、
韓国内でも発売されて問題化しました。でも、これは後にウソであったことを作者本人が語っていますし、古墳からウソの土器などが出土したとか、最近では、iPS細胞を使って人間の手術をしたというようなウソを付く人は後を絶ちません。

信じるか信じないかは本人次第なのかもしれませんが、
明確な歴史的根拠をご存じの方、宜しくお願いします。

先日、別件で質問したところ、今の?天皇陛下は朝鮮人だ等という
質問の趣旨と関係ない回答が寄せられ、人を馬鹿にするな等、おおよそ見当の付かない
罵倒を掛けられました。

何でそんなに起こっているのか。皆目見当が付きません。
そもそも、天皇陛下は朝鮮人・コリアンなどという根拠も理解しがたいものがあります。

自助努力で調べたところ、このサイトにも過去にそんな質問が寄せられていました。
1.日本書紀にて朝鮮人と思われる人の血が入っていると書かれている

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6617838...続きを読む

Aベストアンサー

1については、すでに他の回答が出ているとおり、、『続日本紀』(『日本書紀』ではありません)の桓武天皇の母が武寧王10世の孫にあたる高野新笠記述されていること、これが根拠と考えられます。
このレベルの混血で朝鮮人と考えるのは、論理の飛躍という次元を越えています。論理的な思考は望めないでしょう。
2については知見がありませんが、1のこの状態ですから2はさらに根拠が乏しいことでしょう。
どちらにしても、まともな思考の末至った意見ではないでしょうから、相手にするのは時間の無駄です。根拠を示さず、自分の意見だけ押しつける人間は無視したほうがよいかと。

補足のブログですが、「大内家という藩があった」という一文だけでまともな歴史知識がないことが明白です。「この長州藩に朝鮮部落にさせられてしまった元・大内家が混ざっているんでしょう。」と根拠のない推測に推測を重ねていたり、田布施町に朝鮮部落があったと記述しているのに、田布施町出身者を朝鮮部落出身と拡大解釈していたり、1と同レベルあるいはそれ以上の論理飛躍が甚だしい内容ですね。肝心の「大室寅之助=顔の黒い大男」についてどこにも書かれていませんし。
そもそも、滅亡した大内氏の子孫の村を朝鮮部落と想定しているようですが、おそらく根拠は大内氏は百済聖明王の子孫を自称していること。これって高野新笠よりはるかに後の世代です。一滴でも渡来人の血が混ざっていれば朝鮮人という思考回路のようですね。。
願わくばこのような破綻した妄想に騙される人が少ないことを祈ります。
脱線して失礼いたしました。

1については、すでに他の回答が出ているとおり、、『続日本紀』(『日本書紀』ではありません)の桓武天皇の母が武寧王10世の孫にあたる高野新笠記述されていること、これが根拠と考えられます。
このレベルの混血で朝鮮人と考えるのは、論理の飛躍という次元を越えています。論理的な思考は望めないでしょう。
2については知見がありませんが、1のこの状態ですから2はさらに根拠が乏しいことでしょう。
どちらにしても、まともな思考の末至った意見ではないでしょうから、相手にするのは時間の無駄です。根拠...続きを読む


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