ウェズリーの宗教とお金について教えてください。明日までに論述しなければなりません。どうかお願いします。

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A 回答 (1件)

 ウェズリーって、何?

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Qバハーイー教という宗教の教義が文章だけ見ると大変魅力的な宗教に見えます。 ①上記宗教に関して魅力的な

バハーイー教という宗教の教義が文章だけ見ると大変魅力的な宗教に見えます。
①上記宗教に関して魅力的な点、問題点。
②世界を良くする、人の心を善くする教えはバハーイー教以外にありますか。宗教でなくても構いません。
未熟な私に教えて頂けますでしょうか。
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

誰に何を聞いても無駄・・

自分で その宗教に入り 自分の目で確かめて 初めて解かる事・・

宗教を嫌いな人は 唯・・ 批判が目的なのだから・・

Q宗教的な,余りに宗教的な,ハイブリッド

朽ちることのない宝を,天に積み上げることを知る皆様
こんにちは.

二元的な考え方について考えてみました.
たとえば,『人間と自然』『心と体』『文化と文明』
などのように,それぞれの概念が分別され,区分が厳密に
なり,さまざまな二元論が提唱されるようになりました.

この,区別がはっきりするという事によって,区別された
ものどうしが,区別の裏で,より深くかかわっていること
にも気づきます.これが,ハイブリッドという考え方の基
になっております.(ボクの場合です)

そこで質問です.
宗教的立場から,これとこれは区別されてはいるが,
相互の親密さを考えると,ハイブリッドであると思われる
宗教上の《もの》《こと》は,あるのでしょうか?

よろしくお願いします.(´ω`;)

Aベストアンサー

GA_CK_UNさん、こんにちは。

>宗教的立場から,これとこれは区別されてはいるが,
>相互の親密さを考えると,ハイブリッドであると思われる
>宗教上の《もの》《こと》は,あるのでしょうか?

すぐに想起されたのは、「煩悩即菩提」、「生死即涅槃」、あるいは「色即是空 空即是色」といった命題でして、いずれも表層的、形式論理次元では「区別されたものどうし」であるにもかかわらず、同時に「区別の裏で,より深くかかわっている」点で、一種逆説的な真理を直截に表現しているように思われてなりません。

Q伝統宗教と新興宗教と外来宗教

宗教に抵抗のある人でも、除夜の鐘の音を聞くのも不愉快、初詣にもいかん、お盆もやらんという人は少ないと思います。
多くの人にとって伝統宗教は「宗教」のカテゴリに入っていないのではないかと感じられます。
特異な存在である宗教として意識されるのは新興宗教と、外来の宗教であるキリスト教やイスラム教ではないでしょうか?
伝統宗教とそれ以外は意識の上で何が異なるのでしょうか?
またいかなる伝統宗教も開祖の時代は新興宗教であったはずですし、逆にいえば今現在の新興宗教も何百年も先まで残っていれば
伝統宗教として扱われるようになるでしょう。
また今は日本の土着宗教のようになっている仏教も本来は外国の宗教でした。
新興宗教や外来宗教はいつなにをもって伝統宗教に転ずるのでしょうか?

Aベストアンサー

マイナーがメジャーになるきっかけは、やはり支配者の決定じゃないでしょうか。


古来 人間はモノを創造していた。製作していた。


今のように大型量販店で、できあいのモノを買うのではなく、自ら作っていた。


各地で特産ができて、自分たちには無いものを、自分達独特のものと交換していた。
無いなら作ればいい から 作らずに品物を手に入れる方法として物々交換をしていたわけです。


そういうわけで、創造から今では人間の特性は消費に進化したわけです。


従って今では、創造をするモノになるより、創造されたものを大量消費するモノの方が圧倒的多数。
創造する人はマイナー。


キリスト教を例にとると、人々はいい宗教だからと 自らの自己決定で選んだわけではない。


学校には制服があるじゃないですか。
学校に自ら作った服を着ていかず、既製服を着ていきますよね。
それと同じように、時の支配者が創造したというか、ミックスした宗教を、被支配者階級に「これを着なさい これ以外は学校では着てはいけません」というように、「これを信仰しなさい。これ以外の信仰はしてはいけません」となったわけです。


どうして支配者は、キリスト教を選んだのかというと、被支配者の頭を上げさせないため。
押さえつけて支配者に服従させるため。

という側面と、集団を一つの宗教だけ信仰させることで、統一し纏め上げることが容易になるから。
散らばっている羊より、固まっている羊の方が、扱が容易ですよね。


ぜんまい仕掛けのおもちゃみたいなもの。
創造者、支配者、そして設計者でもあるその者の思い通りに、宗教を使えばできてしまう。

それに気づいたローマ皇帝たちは、だからキリスト教を使用して、領土を拡大することに成功したわけです。



従って、どの宗教が集団のメジャーとなるかは、支配者が利用価値があるとして使用するかどうか次第。


考えてみてください。
「あれは敵だ」と戦争を支持する者の息子は、決して戦場にに行くことはありません。
人々は国のため、神の正義のため という言葉によい知れ、奮起させられるが、決して支配者の息子が戦場の前線で国のため、神のためと戦うことはありません。
つまりその宗教の価値があるとしているのは、それがすごい物だから信仰すべきだとしているのではなく、自分の世界を拡大するために利用価値が大いにあるとしたから。
だから利用価値があるから支配者は利用することとなった。
利用しても成功しなければ、利用しないまでです。



神の正体とは、人間であり民を支配している者。
その者が利用価値があると選択した宗教が、メジャーになるわけです。


人々はその者が創造した商品を大量消費することに楽しみを感じる。
大量消費からブランドとして、価値を付加するわけです。

ブランドの誕生は、支配者が使用するようになってから、ブランドとして名が通り、高い値で取引される。

手作りで、職人が作るわけだが、人々の関心は、それを消費することであって、メーカーのように創造・製作することを楽しみたいからではない。
信仰とは消費と同義語。



仏教だって支配者が選択したからだし、神道だって支配者の都合で各地に伝わっていったわけですし。

人々は被支配者が決めた服を着て(消費して)喜んでいるだけ。



物を作っていた時代から、交換になり、消費がはじまり、大量消費になり、創造に興味はもたず、今はブランドに興味を持つようになったという人間の進化の過程を、宗教に置き換えて考えてみました。

人間の特性を知れば、解ける問題ですね。
そして人間の特性を知った人は、利用し勢力を拡大していった。
気づき利用したことで、自分が中心となる王国を築けた。

マイナーがメジャーになるきっかけは、やはり支配者の決定じゃないでしょうか。


古来 人間はモノを創造していた。製作していた。


今のように大型量販店で、できあいのモノを買うのではなく、自ら作っていた。


各地で特産ができて、自分たちには無いものを、自分達独特のものと交換していた。
無いなら作ればいい から 作らずに品物を手に入れる方法として物々交換をしていたわけです。


そういうわけで、創造から今では人間の特性は消費に進化したわけです。


従って今では、創造を...続きを読む

Qカルト宗教とそうではない宗教はどう違うのか?

カルト宗教とよばれるからには、それ相応の理由があるのだろう。
が、宗教に興味もなく知識もない僕には、すべて同じに見えます。
統一教会の友人もいますが、頭も良くて礼節もわきまえています。
エホバの証人の知人もいますが、みんないい人です。

同じキリスト教であるのに、カルト宗教とよばれるのは、中世の
異端審問みたいに、権力者が自分らの意に沿わないものたちを、
迫害しているように思えてなりません。
みなさんどー思いますか?

Aベストアンサー

 ANo.15
 私はそう思います。オーム真理教は知りません。
 そういう欺瞞をどう克服していくかが私たちではないでしょうか。しかし、カルト的になるがそれは地上的存在と経験をどう超越するかの問題だと存じます。
 以下はご参考:全ては夢、画像だと私たちのSelf-Realization Fellowshipは教えています。
 (http://www.yogananda-srf.org/)

Q宗教は人を救うものであり、人が宗教を救うのではない

  
洋の東西を問わず、なぜ宗教は斯くの如く腐敗し堕落したのか。
キリスト教は奇跡を説くカルトであり、
世の仏教と坊主たちは戒名料をせしめることだけに奔走し、
イスラムはジハードを掲げては自爆テロに明け暮れ、
ヒンズーはカーストを掲げてはインド中でレイプ事件ばかりを起こしているではないか。
いったい人の道は何処へ行ったのか。
本来の宗教は人を救うためにあるはずであるが、これらの腐敗し堕落した既製宗教は人によって救われたいと願っているのではないのか。
如何に腐敗し堕落しても信仰の自由さえ説いていれば人が救ってくれると考えているのではないのか。
何か本末が転倒したように感じるのは果たしてこの私だけであろーか。
 
 

Aベストアンサー

宗教は人を救いません。人も宗教を救いません。

宗教とは、人がどうあるべきかを教えてくれる教科書でしかないのです。

その教科書をどう受け取るのかは人それぞれです。

ですから、正解などもしかしたらないのかもしれません。

絶対悪・絶対善というものは、それこそ神にしかわからないことでしょう。

ただ個人的にいえば自分を救うのは自分という神であるし、人を救うのは人という

神ではないかと私は考えます。

けして組織を作ることではなく、ましてやなにか偶像を崇め奉ることにはなんの

意味もありはしないと思います。

そういう意味では、あなたの言う彼らもずれているし、失礼ながらあなたの考え

方もずれているのではないかと・・・。


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