痔になりやすい生活習慣とは?

江戸時代の人はどのくらい旅をしていたのでしょうか?
先祖の墓参りの旅はあったでしょうし、お伊勢詣りなどが有名ですが、どのくらい移動の自由に制約があったのでしょうか。
身分によって旅が禁じられていたりしたのでしょうか。

松尾芭蕉のような旅人は結構いたのでしょうか。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (3件)

 時代劇の関所改めのシーンなどを見ますと、旅行の制約は大きかったように思わされてしまいますが、実際はそれほどでもなかったと思います。


 当時は歩くしか方法はなかったわけですから、相応の体力も必要で、また長距離を移動するには多くの宿泊を要し費用も嵩みます。ですからそのような物理的条件により、旅行は自然に制限されていました。
 関所としては、箱根関所が有名ですが、幕府の委託を受けて小田原藩が管理し、手形改めがきびしく行われていたようです。
 手形(往来切手)は身分証明と旅行目的を紙に記載したものですが、武士については藩が、庶民のものは町役人、村役人、お寺などが発行します。
 藩によっては、入ってくる人に独自の添手形を交付し、出るときにそれを回収するという厳しいところもあったようです。
 庶民の楽しみはお参り旅行でしょう。お伊勢さんのほかにも多くの寺社参詣、宗教登山、巡礼などがありました。名目は宗教信心のためということであっても、実際は物見遊山の人も多かったと思います。
 芭蕉のように奥の細道とまでは行かずとも、文人、絵描き、学者は方々出歩いていたようで、地方の裕福な旧家やお寺には、その記録が多く残っています。
 まあ、しっかりとした手形(往来切手)を持っていれば、我々が想像するより自由であったと言う感じがしています。でも手形は現在のパスポートと違って、偽造はし易かったでしょうね (笑)。
 余談ですが、今の観光地で土産物として売っている将棋の駒の形をした通行手形は実際にあったようです。武士が公用で旅に出る場合は「○○○○守家中」と書いた将棋駒形の木製往来切手を持って出たということがあったようです(全ての藩でということではないと思いますが)。
    • good
    • 0

 江戸時代の農民や町民は驚くほど旅をしていたようです。

家を空けて旅に出ている日数を計算すると、現代人よりも多いかも知れない程です。「趣味と贅沢と市場経済」をキーワードに検索すると、参考になるサイトがあります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

検索してみました。
現代人の海外旅行並みに当たり前のことだったのですね。

ありがとうございました!

お礼日時:2007/03/07 14:55

 NO.1です。

追加。
 大名の家族は人質の意味合いがありますので、江戸を出るのは大変だったと聞いています。
 それから、往来手形は発行する人の身元保証書的な性格がありますので、通常の庶民は概ねOKですが、書いてくれない人も存在したことは確かです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

箱根関所は小田原藩に委託されていたらしいですね。確か関所の頭は千五百石取りくらいの重職だったような気がします。
お寺が手形を発行するというのは意外な感じがしました。

ありがとうございました!

お礼日時:2007/03/07 14:57

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q江戸時代の旅の手荷物や衣類・食事などは?

お世話になります。

時代劇を見ると、江戸時代の旅装束・手荷物・衣類・食事は、かなり少ない様子です。即ち、

●笠、合羽程度を振り分け荷物で着たきりスズメ

で、手ぶらのようです。その他には、せいぜい杖くらいです。泊りは宿場なので問題なしとしても、こんな軽装で旅が続けられたのでしょうか?

よって、質問です。

Q1.着物の洗濯はしない?(乾かすひまがない・・・)
Q2.朝晩は宿屋で準備された?(食料事情は問題なし・・・)
Q3.昼ごはんはあった?(平安時代は、朝夕の2回だそうですが・・・)

特に、食料事情は重要で飢饉があるくらいですから、食料が不足している可能性がありますが、お金があれば食べるには困らない状況だったのでしょうか。また、荷物が少ないし、着の身着のままみたいで、不思議です。お遍路くらい荷物が限定されたのでしょうか?

ご回答をよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

東海道を例にとりましょう。
東海道では、男足で15日位。
女足では20日位。
これを念頭において・・・

>>Q1.着物の洗濯はしない?(乾かすひまがない・・・)

着物は1着。下着は2~3着・・・洗濯は道中の小川や池で行いました。そして、良く絞って油紙に包み持ち歩きました。


>>Q2.朝晩は宿屋で準備された?(食料事情は問題なし・・・)

大概は、旅篭での朝夕の食事でしたが、途中の茶屋などで団子や饅頭などで代用しました。


>>Q3.昼ごはんはあった?(平安時代は、朝夕の2回だそうですが・・・)

昼飯はヌキが多かった。しかし、前述のように茶屋などで団子を食べたり饅頭を食べたり煎餅を食べたりしました。


>>特に、食料事情は重要で飢饉があるくらいですから、食料が不足している可能性がありますが、お金があれば食べるには困らない状況だったのでしょうか。

やはり、「銭」が一番でした。
農村部では飢饉などで困ったことでしょうが、旅篭などでは、米の流通を銭の力で優先的に差し押さえていましたので、旅人にはあまり不自由なく往来できました。


>>また、荷物が少ないし、着の身着のままみたいで、不思議です。お遍路くらい荷物が限定されたのでしょうか?

江戸時代書かれた「道中案内記」によると・・・

着替えの衣類(着物1着・下着2~3着)、脇差(道中差、女は懐剣)、頭巾(または笠、女は市目笠)、三尺手拭、扇子、矢立(筆記用具)、鼻紙、草履(草鞋)、財布、道中記・・・などを小物篭に入れて包み、肩から振り分けにして持参すると良いと書かれてあります。

(よもやま話)
江戸時代中期(文化・文政の頃)になると江戸も繁盛するようになり、小旅行がもてはやされました。
箱根の関所手前までなら、「通行手形」もいらなかったので、自由に往来できました。
日帰りまたは1泊2日くらいの旅としては、
箱根七湯、江ノ島詣、鎌倉見物、金沢八景、大山詣、成田山新勝寺詣、秩父三十三箇所詣、日光東照宮参り、
などが人気でした。

また、関所でも「○○講中」と書かれた白い上着を着て、それらしき旅姿であれば、通行手形は不要でした。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

東海道を例にとりましょう。
東海道では、男足で15日位。
女足では20日位。
これを念頭において・・・

>>Q1.着物の洗濯はしない?(乾かすひまがない・・・)

着物は1着。下着は2~3着・・・洗濯は道中の小川や池で行いました。そして、良く絞って油紙に包み持ち歩きました。


>>Q2.朝晩は宿屋で準備された?(食料事情は問題なし・・・)

大概は、旅篭での朝夕の食事でしたが、途中の茶屋などで団子や饅頭などで代用しました。


>>Q3.昼ごはんはあった...続きを読む


人気Q&Aランキング