プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

民間の会社だったら、自分の社旗社歌を確信犯的に侮辱する社員はおそらくクビもしくはそれに近い処分になるでしょうが
いやしくも公務員として親方日の丸でメシを食っている人間のくせして
日の丸君が代に確信犯的に反対するのはなんか矛盾しているんじゃないか?と思うのですが。
もちろん私立校には各校独自の方針があるでしょうから宗教観などの観点から学校の方針として日の丸に反対しようと何らかまわないと個人的に思います、
ただ、アジア侵略のシンボルだからとかいろいろ言い分はあると思いますが、自分の雇い主のシンボルがどうしても気に入らないなら公務員辞めればいいのに、辞めてから文句言えよと思います。
もっとも日の丸に反対してもせいぜい注意・戒告の処分程度で、クビにされて職を失うほどのきつい処分にされるとまでは思ってないから反対できるんでしょうが。
民間の感覚とのズレを感じてしまいます。

公務員のくせになまいきだぞ と感じます。

できれば公立校で勤務されている方のご回答がいただければと思います。

A 回答 (20件中1~10件)

>せせら笑われ、ののしられることが、もしかしたらあるかもしれないなどと考えてみたことはあるのでしょうか?



多くの反対派表明教員は、自分の主張に自信を持っています。
同時に、厳しい処分に苦しめられています。
子ども達が理解してくれて励まされることもあります。
逆に、子ども達に十分理解されずにつらい思いを抱いた経験も珍しくありません。
ですから、この御質問には「考えざるを得ない場合が多い」と回答しておきます。


反対の理由も、そして反対することによる苦難も、現在の大きな政治の流れにつながっています。

「日本の戦争責任を自覚するのは国益に反する」という主張が近年無視できない支持を得ているように感じます。
中国を刺激してまでの靖国参拝、教育基本法の改訂、憲法改定への動き、などなども合わせて考えると、今の政府が歯止めなく軍国化しようと動いていることはまちがいないと考えています。

すべての日の丸君が代反対派が全く同じ事を考えるわけではないことはあらかじめ申し上げておきたいと思います。
また、メディアでは過激な方々だけを取り上げて否定的に報道するケースが多いように感じます。

その上で、あえてわかりやすく反対派教員の心情を代表させるならば、次のようなことでしょう。

 平和が続いて、自分たちの教え子にあたる後の世代から
 「非常識きわまりない最悪の世代だったな!!」と言われるなら、
 それは喜ばしいことである。
 今、戦争に向かって進んでいることを
 広く知ってもらうことができないことはつらいことである。
 そして、反対意見を表明する者が少ないばかりに、
 「何故戦争に自分たちから巻き込まれていったんだ!」
 と責められることは何としても避けたい。

「子どものため」が言い訳に聞こえるという方々は少なくないのでしょう。
しかし、それが当たっている場合だけではないということは御理解いただきたいと思っています。
生徒・保護者への強制の始まりはそれを物語っていると考えていますが、いかがでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
反対されている方の信念や趣旨はよくわかりました。
その平和に対する想いはリスペクトすべきものと感じました。
わたしの表現で不快な思いさせ大変申し訳ありませんでした。

もう一点だけ質問させていただきたいのですが、反対派の方はもし
日の丸がドイツのように新たな国旗となり、「さくらさくら」などの
だれが聴いても心地いいみなが歌いたくなるような、万人うけする国歌に変更され、戦前の象徴である日の丸と君が代が、新国旗国歌に変更されたとしても、国旗国歌は国家に対する忠誠心を植えつけるものとして反対するのでしょうか?
これは反対派の方でも意見が分かれるところかもしれませんが
回答者さまのご意見をいただければと思います。

以下はわたしの個人的なまとめとしての考えなのですが、人間あるいは社会心理として、誰でも人は、自分の属する組織に帰属心というか自分の属する学校や職場、サークル、会合などを良く思いたいという心理はあると思います。
たとえばわたしは自分の大学の校旗の色や、校歌がすごく好きで、飲み会などで仲間たちとよく口ずさむことがあり強い愛校心があります。
たしかに国家という巨大組織に求心的に帰属心を持たせることは危険な面があるというのは歴史が証明していますが、いまの日本は中国や韓国から戦時の戦争犯罪を詰問され、政治団体など特殊な人間を除き、一般大衆は愛国心をおおっぴらに表明することはなんとなく引け目を感じるあるいはカッコ悪いという表面的な意識があり前であまり人前で表立って愛国的な言動・行動はしないのではないかと思います。ただ、愛国心・自分の国を良く思いたいという隠れた潜在的にある日本人の意識は、人間の社会心理のうえでは、どうしても止めることができないではないかなという感じがします。

お礼日時:2007/03/13 06:13

反対派の多くは信念を持ってとかと言うものの、本当に信念があれば公務員の身分を離れ行えばよいことであり、給与を貰いながら自分勝手な振る舞いをするのは信念などとは到底言えるものではありません。


在野に下る覚悟もなく、首にならない程度に自分の思想をパフォーマンスするような教員に教育を行う資格自体あるとは思えません。

「教え子を戦争に行かしたくない」と言う考え方も、平和理想主義の戯言に過ぎません。
この考え方を、勝手に正しいものと思い込み教育を行おうとするのは、一部間違った教師のエゴに過ぎません。
幕末から先の敗戦までの歴史を読めばわかると思いますが、幕末から明治・大正にかけてに比べ、昭和期に入ってからはそれ以前の相次ぐ勝利に欧米同等の強国になったことに自惚れてしまったことと、軍部も含めた官僚主義が問題であったことがわかるはずです。

幕末においては、佐幕派も勤皇派も行き着くところは同じであり、自分達の国を外国に支配され植民地化されないためにも、対抗できうる強い国を作らなくてはという考えによるものでした。
このため新政府が樹立した後、旧佐幕派であっても優れた人材は登用し強い国づくりを行って行ったのです。
これが可能となったのは、藩・民間を問わずに教育に力を入れていたおかげです。
この当時(明治初期)の日本人の識字率は文献によってずれがあるものの、50%~70%台(東京70%台、ロンドン・パリ市内が10~20%台)と非常に高く、これにより多くの書を通して海外の技術を取り入れて行くことが出来ました。
しかし、この当時の教育機関は道徳や教養、知識は教えていましたが思想を教え込むものではありませんでした。
(思想を教えていたのは、道場や私塾の一部)
もし仮に、当時の教育機関で「教え子を戦争に行かしたくない」などと言っていたら今の日本はどうなっていたでしょうか?

明治から大正にかけては、明治政府樹立において最前線で戦った人々が、あるものは官としてあるものは民として国力の強化を実践してきました。
戦前より残る大企業の多くは彼らの努力によって生まれたものです。
私学の慶応・早稲田も幕末に活躍した両名により設立されています。
明治後半の日露戦争においても、国を守る大切な戦いであったといえます。
「皇国の興廃、此の一戦にあり。」と東条が打電したとおり、当時世界最強であったバルチック艦隊に敗れれば、満州からの補給路を立たれるばかりでなく、ロシアに植民地化されかねない状態であったのです。
この時代では、反戦を主張する人も居ましたが、別に逮捕されることもなく他国と比べても許容範囲は広かったといえます。

教育を始め国全体がおかしくなっていったのは昭和に入ってから、特に昭和14年の経済統制、治安維持法の成立からです。
幕末から明治初期にかけて活躍した人々がこの世を去ったあたりから軍部が暴走し始めたのです。
国語の教科書でも「ススメススメ兵隊ススメ」となったのもこの年からになります。
つまりは敗戦までの約3年間の間に問題があったわけです。
この時代に治安維持法のある中で、戦争に反対した教員は自らの命よりも思想を大切にしていたわけであり、今のパフォーマンスだけの教員とは大違いではないでしょうか。

大変長々と書いてしまいましたが、これらの歴史を振り返ってみても、明治から使われている日の丸や君が代が侵略戦争の象徴であったとは到底いえません。
今の初等中等教育では、幕末から大正期にかけての歴史をあまり教えないのも、この部分をしっかりと教えてしまうと、日の丸・君が代を一部の教員が拒否することが単なるパフォーマンスに過ぎないことが露見することを恐れてなのではないでしょうか。
逆に自分達の思想を押し付けたいがために、昭和14年から敗戦にかけてを熱心に教えていると考えられます。
言い換えれば一部の教員による歴史の私物化です。

教育で一番重要なことは、「物事を考え自分の力で判断できる能力を身につけさせるための知識と教養を与えること」です。
思想や政治に関しても、幅広く様々な考え方があることを教えた上で、教えられた生徒たちが卒業後、自分の考えで思想や政治について判断出来るようになればよいのです。
昭和期の約3年間の時代に問題だったのは洗脳教育であり、今の反対派の教員は同じ事をているのです。
軍部が暴走したときもそれ以前の日本の道徳心が薄れていた時代ですが、将に道徳心が興廃してきた今と同じ状態です。
思想の押し付けという間違った教育による弊害が今に現れています。

自分に自信の無い人は、人間関係において上手く人付き合いが出来ないのと同様に、自分の国に誇りを持てずにいるような国民ばかりの国が他の国と上手く付き合っていくことは出来ません。
自分自身に誇り自信を持っているからこそ、相手を認め対等に付き合っていくことが出来るのです。
今の教員は日本は過去に悪いことだけをし、国旗・国家はその象徴であると教え、次世代に対して、自分の国に誇りや自信を抱けない教育を行っています。
国の指導を無視するとかの次元で済む問題ではありません。

私自身は教員ではありませんが、代々教育に携わってきた家系であり、家訓は「教育こそ次代に残せる財産である」とし、「自ら考え決断出来るようにすることこそが教育である」とあります。
昭和期以降の近親であれば祖父、叔父、叔母、従兄弟など多数が公立小等中等教育の教員、大学の教員をしておりますが、祝日には日の丸を門扉に掲揚する人は居ても、卑しくも否定するような人は居ませんね。
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この回答へのお礼

詳細なご回答ありがとうございました

お礼日時:2007/03/24 19:00

 いわゆる団塊ジュニア世代の私立の教員です。

かなりのRESがついておりますね。それだけ大きな関心を集める有意義な質問をされたということだと思います。

 「国が経営している公立学校においては国の求めるものに服従すべし」という意見はごく当然のものと考えます。

 しかしながら、公立教員が国家・国旗を否定的に捉えることにも一定の意義を認めたいと思います。

 確かに学校制度が導入される過程を考えても学校の存在は国の発展のためという点は否めず、国の方針にしたがって運営されるのが筋でしょう。しかし、学校教育をどのような視点で捉えるかによってそれぞれ主張するところが異なるのではないでしょうか。

 まず学校教育をどのように捉えるかには法的な見地を離れると様々意見があります。
私見ですが、
1)社会(国)が要求する人材の輩出
2)社会(国)に盲目的的に服従することなく社会を変えていく人材の輩出

 もちろんクビを覚悟ということでは比べられませんが、例えば民間の会社の内部告発は会社に不利益を与えますが、大いに評価される場合も多いです。 これは社会に生きる個々人の良心にしたがって行われることです。公立の教員が上で述べた2)の立場に立ち、1)に反することをすることはある程度許されるのではないでしょうか。

 そこで、国旗・国歌問題がこれにあたるかどうかについてです。

 国旗・国歌問題が「教え子を戦場に送るな」というメッセージを発しているかについては現在では社会的な支持を得ているかどうかについては疑問です。しかし「教え子を戦場に送るな」と戦後強く願った教員達がいたことは忘れるべきではないと思います。しかし、純粋なこの願いは団塊の世代が通過した左翼思想の流行・日教組に利用されてしまった部分があり、「教え子を戦場に送るな」というよりは、むしろ今日では左翼的なもの・日教組的なものに対する嫌悪感の対象となってしまっているような気がします。

 また、国歌・国旗に対する態度はあくまで象徴的なものであるはずなのにそこだけに一生懸命になり、今後きたるべき戦争をいかに避けていくかということに対してビジョンが伴ってないように見えることも見逃せません。

 それでも国旗・国歌否定を続ける教員がいるのは、
○「教え子を・・・」をいう願いを後の世代まで受け継いでいかなければならないという純粋な気持ちから
○戦争のない平和な社会を築くのに効果があると信じているから(これ以外の方法を知らない)
○日教組の存在をアピールしたいから(少数派?)
だと思います。

 私は起立しますし、国歌も歌います。
 なぜならば、戦争を避けて平和な国を築くには、「諸外国と論理で渡り合える論理的思考を育てる」ことがもっとも効果的であると考え、学校教育において力を尽くすべきことであると考えているからです。

 また、国歌を歌うことが愛国心なのか、諸外国に理解を得るためには国歌を控えるのが愛国心なのかもまた議論の余地があると思います。

 ドイツとの比較はよく行われますが、ナチス(ヒットラー)率いる国家は敗戦とともになくなってしまったので、戦争責任・戦後のあり方等について同列に考えることはできません。
 
 今日のナショナリズムの高まり等、手っ取り早く理解したい場合は
http://www.tbsradio.jp/miyadai/popup.html
の12月22日分等聴いてみてはいかがでしょう。

 長文になり申し訳ございません。
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この回答へのお礼

非常にわかりやすいご回答ありがとうございました。
下に回答いただいた反対派の教員の方々にも、信念があって
自らの良心から強制に反対しているのがわたし自身もよく理解できました。レッテルを貼るのではなくやはり相手の言い分にも耳を傾けることも大事ですね。

ただ反対派の方に今一度あえて苦言を言わせてもらうなら、卒業式の国旗国歌をめぐって金きり声をあげてヒステリックに反対しているのは見苦しいと思います。

例えはまたヘンですが、レストランで店長と従業員がお客の面前で大ゲンカしているようなものではないでしょうか。接客係として一番お客に近い従業員が「お客さん聞いてよ!店長のやり方はけしからんでしょう!?店長なんて本社の言いなりで上からあれこれ指示してくるだけなのに!」と怒声交じりでお客にくどくどグチをこぼしたり、あるいは同意を求めたりしているようなものではないでしょうか。お客のなかには「そりゃ店長が悪い!あんたの言いぶんが正しい。オレもいっしょに文句言ってやるよ!」という者もいるでしょうが、たいていの人は何事か?とあっけにとられてどん引きなのではないでしょうか。大きな雑音が入って気分わるい、もうせっかく料理を味わおうとしてるのに台無しじゃないかと思うのではないでしょうか。
ケンカするなら厨房でなるべく客の前で聞こえないようにやってほしいものです。

クラスのホームルームで生徒たちに自らが反対している理由を説き、
生徒たちも反対するよう煽動するほどではないにしても実際生徒も先生の言い分に説得力を感じて一時的に感化されて先生といっしょに反対運動してしまう生徒もいるようですが。ある程度大人になってもの心がついて同級生どうしで昔話をして卒業式の話になったとき、「あの先生って卒業式のとき、日の丸と君が代にヒステリックになって反対しててヘンな先生だったよな あの先生ってサヨクだったんだな 」という話になるのが最近の世の流れなのではないでしょうか。2chなどをはじめとしてサヨク的なものに対する嫌悪感が、自身の学生時代に卒業式などで日の丸と君が代をめぐって先生がモメて唖然とした思い出がある若者にとってはいっそう強くなっているのではないでしょうかね。

お礼日時:2007/03/15 22:02

>新国旗国歌に変更されたとしても、国旗国歌は国家に対する忠誠心を植えつけるものとして反対するのでしょうか?



ある程度民主的な手続きで定められたものなら、反対する理由はありません。
新国旗国歌を主張している日の丸君が代反対論者は多いと思います。

あくまで、侵略戦争のシンボル・諸外国への無反省・近未来の戦争参加の足がかり、という点が日の丸君が代を「全員に強制する」ことに反対する理由です。

軍国主義が好きな人が君が代を歌うことを反対する権利はありませんし、「君が代を歌おう」と呼びかけることを反対する権利もありません。
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この回答へのお礼

たびたびのご回答ありがとうございました。
Ama430様からのご回答をいただけて自分自身も考えさせられました。
この手の質問をすると、反対派の方の意見を聞きたいと言っているにも関わらずお呼び出ないのにたいていいわゆるネットウヨの方ばかりが回答してくるだろうと思っていましたが、反対派の方がどう思っているのか、なぜ反対しているのかを素直に聴くことができてためになりました。感謝しております。

個人的には国旗としての日の丸はすでに世界から完全にシンボルとして定着してしまっているのでこれを、イメージを覆す別のデザインとして変更するのはなかなか難しいのではと思っていますが、ある意味で国歌の君が代という賛否両論あるがどちらかといえば反対派の論拠のほうが合理性や説得力があるように感じます。
Ama430様からのご意見などをうかがってふと思ったのが、
ある意味で、曲調、歌詞、歴史的経緯の面などで君が代というなんとなくあまり好きになりにくい歌を国歌にしていることである意味でバランスがとれているのではないかな?と思いました。
というのは愛国心を巧みに鼓舞するような国歌も国家への忠誠心や熱狂的なナショナリズムに結びつく危険性があるように感じるので、さほど
好きでもないし歌いたいとも思わないいまの君が代のほうが、国歌の面から冷静さを保たせている面で逆説的に実はメリットもあったりしているのかも?と思いました。

お礼日時:2007/03/13 20:40

日の丸君が代の強制は、国歌国旗法の制定の際に、「強制しない」という国会答弁が繰り返されたにも関わらず行われていることから、法律違反の疑いがあります。


昨年秋に「強制は憲法違反」の判例も出ました。

平成天皇自身が「強制は良くないよ」と東京都の教育委員に苦言を呈しているくらいです。

今の日の丸君が代強制問題は、単に昔の戦争へのスタンスを論じているだけではなくて、これから日の丸君が代を軸に新しい戦争に突き進むかどうかの問題であることは反対論者にほぼ共通の認識と思います。

地域によっては「服務規程が強化され国旗国歌に反対するとクビ!」という状況が始まっています。
保護者・生徒にも起立斉唱が義務づけられ、生徒が起立しないと担任が処分対象になるというケースもあるようです。

現行の憲法や改訂前の教育基本法の立場は、「政府のための教育」ではなく「子どものための教育」をしなさい、ということです。
その立場であれば、子どもを戦場に送らないために教員が教育委員会や文部科学省に逆らうのは、むしろ当然の使命なのです。

「卒業式に日の丸反対でギャーギャーいう先公がいてカッコ悪かったな」という生徒の反応はあり得ると思います。
ですから、強硬な反対行動だけが君が代反対の方法ではないのでしょう。

けれども、メディアの報道の印象とは逆に、強制反対を表明できない教員は増加していると思います。
「多くの生徒の命に関わる問題」という認識を持った少数の教員が、なりふりかまわぬ抵抗を示したとしても、それを全面的には否定できないし、「なまいき」という言い方は当たっていないと思うのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
下に書きましたがわたしは生徒への強制は反対です。
ただ反対派の公務員である先生方の主張でよくある「生徒のため」というのが言い訳じみて見えます。

生徒のため、生徒のためといいつつそれを口実に生徒を盾にして自分たちがイヤなものに反対しているように見えます。
これも矛盾を感じてます。

わたしは日の丸は好きですが、たしかに君が代の歌詞や内容には矛盾を感じますし、歌いません。
私は小中高と公立でした。高校のとき世界史の教師が左巻きで卒業式の君が代斉唱のとき着席していたのが印象的でした。
しかし日の丸の国旗が卒業式の最後の登校のとき校門の前に掲揚してあったとき、「あっ、国もわたしたちの卒業を祝ってくれてるんだな」と素直にうれしく思いました。わたしの感想って間違っていたんでしょうか?
左巻きの人からすれば、「国はおまえらの卒業なんて祝ってもいねえよ。ただ形式的に押し付けてるだけだよ!」という理屈でしょうが
わたしは公立校の最終的な経営者・ボスである国がささやかに、卒業おめでとう のメッセージを送ってくれているように感じました。

わたしは思うのですが、反対派の公務員の教師は、反政府、反国家で凝り固まって、自分たちの印象操作にも関わらず先入観にそまっていない多数の生徒たちが率直にどう思っているのかというのを考えたことがあるのでしょうか。当の生徒がどう思っているのかなんて気づかず反対を絶叫するだけでは生徒だけではなく、世間一般の人の感覚や理解も離れていくだけだと思います。
はっきり言わせてもらうと小市民のわたしからしても、ああいうセンセイたちって頭おかしいんじゃないの?と感じてます。

反対派の教師は、戦前の人間を戦争犯罪の極悪人のように語っていますが、逆に自分たちが自分たちの教え子にあたる後の世代から「おまえらの世代は、卒業式や入学式で当の生徒が本当はどう思ってるかなんておかまいなしに、反国旗国歌にさせようと洗脳しようとしたり、独り善がりの正義で日の丸をおろしたり君が代反対を叫んだりして世間から大ひんしゅくを買った非常識きわまりない最悪の世代だったな!!」せせら笑われ、ののしられることが、もしかしたらあるかもしれないなどと考えてみたことはあるのでしょうか?

お礼日時:2007/03/12 02:03

なんだか国旗・国家反対のみなさんは「強制(強いてやらされる)」ってことにこだわってるだけみたいですね・・・


職員会議で決まったことや法律や条例、仲間内で決めたことは当該社会のルールであって、そのルールは当該社会のメンバーに強いる(「強制する」)ために作られたんですよね?

同意するルールを自主的に守るのはいいけど、同意できないルールを守らなければならないのは「強制」だと言っているようです。

皆で決めたことは守りなさい! って学校では子供たちに教えるのですよね?・・・ それを先生が卒業式の現場で何だかんだ言って混乱させるのって、授業中にじっとしていられない子供が遊びだして授業が混乱するのと同じですよね。
だからいまの学校は・・・って言われるのですよ! 
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2007/03/15 22:10

公立高校で英語を教えています。



 私は個人的には入学式、卒業式で日の丸、君が代に対して起立や斉唱を強制することには反対です。ですが、職員会議でいろいろ議論し、学校の最高責任者である校長がそのように決めたことに対して、起立しなかったり、斉唱しなかったことはありません。個人的には日の丸、君が代に対しては肯定的な考えを持っていますが、だからと言って強制的に他の人にも従わせようとも思いません。

 最終的に責任を取る校長が判断したことに従わない教師は処分があっても仕方のないことだとは思いますが、他のことについては弱腰の教育委員会が、日の丸、君が代だけ強気に推し進めている姿勢については問題があると思っています。

 質問者様は公務員(教師)=怠け者、生意気な奴という固定観念があるようで、ここでの質問という形をとった公務員(教師)に対する差別的な発言に対しては非常に不快です。
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この回答へのお礼

発言については申し訳ありませんでした。
まじめに勤務されている先生方を怠けものや生意気とは全く思っていません。教師という仕事は素晴らしい仕事で誇りを持てる仕事だと思っています。
じつはわたし自身も教師を目指してた時期がありましたし。
ただ、生徒を自分の反日の丸の世界に引きずりこもうと仰々しく反対と騒いでる先生を見るとそのエネルギーや時間をもっと別の学習指導やイジメ問題やなど根源的なことに傾けてほしいと思ったまでです。

誤解されるとイヤなので弁解しますがわたしは必ずしも
日の丸・君が代賛成派ではないです。
イデオロギー的な面で日の丸反対派教師を批判しているのではないです。
下にも書きましたが、押し付けがましいことは嫌悪の元だと思っています。日の丸を好きになれ!と強要してせまっても好きになれるわけがありません。
ただ、民間の感覚との比較で、公務員特に教職の方の雇い主の親方に対しての行動が矛盾しているのではないかと感じます。

教育委員会が日の丸君が代を推し進めようとするのは文科省などのお上からのお達しがあるからだと思いますが、これはやむをえないのではないかと思います。公立校の最終的な運営主体は親方日の丸の日本国だからです。雇われている身なら、経営主の顔を少し立ててやってくれといわれるのはある程度は仕方のないことなのではないでしょうか。

お礼日時:2007/03/11 01:11

公務員の人権については特別権力関係理論があります。



参考URL:http://www.nurs.or.jp/~academy/hogaku/c218.htm
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ANo.9さん


国歌国旗肯定派は思いやりが足りないという点について反論いたしますが、例に出された東亜という言葉、これは単に東アジアという意味であって内容そのものに問題があるわけではないでしょうが、戦争中の大東亜共栄圏とか大東亜戦争など、戦争をイメージさせるということで社名を変更したということですよね。利益追求が第一である民間企業ならば、悪いイメージを持たれる(可能性が少しでもある)言葉は避けようとするのは当然のことだと思います。別に変えることはないんじゃないか、と思っていても、実際に乗客数が伸びなかったら困りますからね。
 ですが国としての根本に関わる問題は別物だと思います。周辺諸国と言っても主に中国、韓国、北朝鮮を中心とするアジア諸国のことでしょうか。もしも彼らから、「日本」という国名は、侵略された悲惨な歴史を思い出すから変えてくれ、と言われたらどうするのでしょう。そこで国名を変えることが思いやりになるのでしょうか。
 もしも国旗、国歌が、戦争のためだけに作られたものであれば、廃止すべきだとは思いますし、強制されたら嫌ですけどね、もっともっと長い歴史の中で作られてきたものですし、戦争を意図して作られたものでもないのですから。昔のドイツのハーケンクロイツとは意味合いが違います。日本の国旗国歌を肯定したからと言って、戦争を美化しているわけではありませんし、周辺諸国を侮辱しているわけでもありません。大切なのはこれを理解してもらうことであって、やみくもに否定することではないと考えます。
 実際、国民の総意で国旗、国歌が変更になる、というならそれは構わないと思いますよ。ですが国民の過半数が支持、特に国旗については支持率も非常に高いという統計も出ています。そんな中、国旗国歌の問題でドタバタしている日本という国は、外国から見ると滑稽ではないでしょうか。
 本当の意味での思いやりは、国旗国歌を否定し死滅させることではないと思いますけどね。
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民間にもぬるま湯に浸かっている人間もいれば、公務員でも身を張って仕事をしている人間もいます。

公務員と民間の相違論を決定付けるような議論は不要だと思います。

教え子を戦地に行かせたくない⇒教え子だけでなく全国民を戦地に送りたくない⇒そのために良い国を作ってその象徴として日の丸、君が代を大切にする

このような考え方が必要なのではないでしょうか?

過去を忘れ去るのではなく、日の丸、君が代の元に天皇陛下万歳!と叫んで死んでいった若者が沢山いたことを深く胸に刻み込んだ上で・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2007/03/11 00:52

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