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 知人の子供(小1男児)の仲の良い子の両親がエホバだそうです。
友人は子供を遊ばせたくないらしいのですが(怪我させたらと思うと!!!)子供同士は仲良しで、男の子ですから走り回っているそうです。
 少し前ですがお医者さんが一時的に後見人とやらになり無事手術したというニュースがありましたが、両親が体を張って輸血をさせず死亡した場合、両親は殺人罪にならないのでしょうか?

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A 回答 (9件)

質問に対する直接的な回答ではありませんが、この問題に関する根本的な解決策について記します。

 

   エホバの証人の輸血拒否に関するこの問題について彼らの信仰を批判したとしても、信仰の自由が保障されている以上彼らの考えは変化し得ないでしょう。ですから、彼らに対する批判によっては現状は何も変わらず、誰をも救うことにはなりません。ですから、患者を救うという観点からすると、これは「下策」と言わなければなりません。また、現在、未成年の子供たちに対する輸血に関して親権を停止し医療を優先させるなどの方策が検討されていますが、これによってたとえ命が救われるとしても、患者やその家族の尊厳、価値観、信仰に悪影響が及ぶことはやむを得ず、これは「中策」と言わざるを得ません。では、「上策」があるのでしょうか。あります。すでに欧米では無輸血医療が発達しているとのことです。エホバの証人は現代医学を否定・拒否しているわけではなく、むしろ積極的に活用したいと願っているようですので、彼らでも受け入れられる無輸血医療が開発されたことにより、彼らの命と信仰・尊厳が両方とも同時に救うことができるようになりました。

   エホバの証人はいわば「輸血の(宗教的な)アレルギー患者」ということができるでしょう。彼らは日本だけでも20万人以上います。医学界は医学的な仕方でそのような患者たちのニーズに応えるべきではないでしょうか。そのような無輸血手術という近未来的な先進医療は輸血に伴うリスク回避にも貢献し、エホバの証人だけでなく一般の人々にも恩恵をもたらすものです。かのエホバの証人の子供さんが亡くなった「大ちゃん事件」からすでに27年も経ちました。その間、医学界は何をしていましたか。繰り返しますが、医学界は医学的な仕方でこの問題に応えるべきです。現状の医療技術で満足していては現代医学の進歩はありません。日本においても無輸血手術が基本的な医療技術の一つになるなら、エホバの証人の輸血拒否に関するこの問題は完全に解決することでしょう。
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殺人罪にはなりません


憲法なども絡んできますが
世間は一般では輸血は当たり前だと思われていますが
輸血すれば絶対助かるわけではありません
下手をすれば感染症などになる可能性があります。
今の日本では代替として生理食塩水などが使われています。
言い方が悪いですが 言ってしまえば死ぬときは死ぬんですよ
輸血しようがしまいが
事実輸血してからある程度時間がたたないと血液としては効力はありません
現代の日本人は無知なのです
子供が死んだらそれはすぐ悪だという
実に単純じゃないですか。だから騙されるんです政府に
後半は関係ないことになってしまいましたが
社会学から見た中立の立場の人間の回答です
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過去に実際に体を張って輸血をさせずに死亡した例がありますが


殺人罪にはなりませんでした。
このへんの法律的な解釈は下の方々の回答を参考にして下さい。

ですが、エホバの証人は体罰がひどいことで有名です。
過去に体罰で死亡した例があり有罪となっています。
http://www.jwic.com/abuse.htm
エホバの証人の子育てはほとんど児童虐待に近い物がありますよ。
子供を叩くための専用のムチなどを持っていることが多いです。
ムチと言っても物差しであったりゴムホースであったり
ベルトであったりしますが、まず道具を使います。

私的には輸血の問題よりも体罰の児童虐待の方が
ひどい問題だと思います。
今度子連れの親子が訪問してきたら子供さんに聞いてみて下さい。
嘘をついたり悪いことをしたらお母さんやお父さんに叩かれるのって
本当なの?って。
ま、叩かない親もいるようですが、布教に連れ回すような
熱心な親ほど子育てにも熱心ですので体罰はしているでしょうね。

参考URLはエホバの証人のムチの問題について
被害者の立場から書いた物です。
ちょっと大げさに書いてある点もありますがウソは書いてないです。
参考にされて下さい。
ゾッとしますよ。
http://www.d2.dion.ne.jp/~majinbuu/muchi_1.htm

参考URL:http://www.d2.dion.ne.jp/~majinbuu/muchi_1.htm
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保護責任者遺棄についてですが、第二百十八条の第一項にこうあります。

「老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、三月以上五年以下の懲役に処する。」

この罪が適用された過去の例として、「幼児に十分な食事を与えなかったため餓死」、「生まれたばかりの子供を真冬のさなかに放置」、「介護の必要な老人を放置」…などです。


さて、エホバの証人の親は、子供に輸血を施すことを拒否することはありますが、医療行為そのものを拒否することはありません。そのような場合には無輸血の代替療法を依頼しています。(一例として、失われた血液を補充するための処置として、デキストラン、生理食塩水、リンゲル液、ヘタスターチなどの無血清の増量剤を受け入れます。)

この手の質問の場合、よく、「輸血しなければ死ぬといわれたらどうするのですか?」といわれますが、状況がそれほど深刻な場合、医者は、「輸血をすれば 必ず 助かる」などと保証することはありません。

それで、親が医療行為そのものを拒否するのではなく、「代替医療を依頼している」こと、医者が「輸血をすれば必ず助かると保証 できない こと」を踏まえますと、「保護責任者遺棄」の項目で述べている「生存に必要な保護をしなかった」に該当しない可能性が大いにあります。


ところで、「お医者さんが一時的に後見人とやらになり無事手術したというニュース」の件についてですが、この事例は、両親が子供の手術を拒み続け自宅に連れ帰ろうとしたというものです。(両親の主張によれば、「神様にお借りした体にメスを入れられない」ということですが、この主張はエホバの証人の考えとは異なりますので、この両親はエホバの証人では ない と考えられます。)
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もう10年近く前の話ですが、私の小学校の同級生(当時10代)が白血病で死亡しました。


その子の母親がエホバだったらしいので、輸血による治療を拒んだようです。 その後罪には問われなかったようですが、家庭環境はとても悪くなったようです。
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死亡した原因が輸血しなかったことではない(輸血しなければならなくなった何らかの事情、たとえば出血多量が死亡の原因です)以上、両親がその出血の原因を作ったのでない限り、輸血拒否そのものは殺人罪を構成しません。

他の方の回答にあるとおり、保護責任者遺棄致死が問われうる罪状となるでしょう。輸血拒否と死亡に、法律の上で直接の因果関係がないので未必の故意などが生じる余地もないということです。
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輸血をしなければ確実に死ぬことがわかっているような状態では、輸血をすれば確実に助かるとも限りません。


つまり本件の場合、輸血をすれば確実に助かること、死んだ原因は輸血拒否が原因であることを証明できなければ“未必の故意”による殺人罪で罰することは難しいでしょう。
このようなケースで未必の故意が認められたケースを知りません。
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 未成年者を、必要な医療措置をとらずに死に至らしめた場合、保護責任者遺棄致死罪に問われます。


 ただ、この場合宗教が絡みますので、信教の自由などとの兼ね合いで多少問題が複雑になります。子供が自分の意思でエホバの証人に入信していた場合であれば、輸血による治療はあり得ませんので、その場合輸血を拒否した両親が罪に問われることは無いでしょう。
 しかし自分の意思で入信したとはいえない幼児の場合は、両親が上記の罪に問われる可能性は十分にあります。
 まあ、それ以前に信仰を理由に子供を見殺しにする親というのも道徳的にどうかと思いますが……。
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どのような医療受けるかは国民の自由な選択です。

病院や医師を決める権利は国民にあります。手術内容に同意する、しないは国民の権利です。

輸血拒否といわれるのは親が手術同意書にサインしても輸血に同意しないだけのことです。
手術同意ないと麻酔医は麻酔かけないでしょう。医師はこれで麻酔かけて目が覚めなくても責任問われません。他人を傷つけたり死なせればふつうなら罪だが手術同意書あれば手術する医師は罪になりません。
(個別の過失あるときは別だが、あと知恵で嫌がらせ裁判例は多い。たいていの病院や医師はそのための保険に入っているから経済的実害はないが)

手術は医師の技術が高ければ迅速に手術できるから輸血不要もあります。個別の手術ごと事情は違うでしょう。病院や医師的には輸血管理するのは手間なだけで赤字になりそうなくらいだからそのまま手術すれば済む話なんですけどね(^^)

輸血させないのに体はる必要はありません。同意得ずに勝手な輸血したら医師の法律違反です。

この回答への補足

すみません・・・お医者さん側でなく・・・
 輸血が必要なのに親が拒否もしくは阻止し、結果子供が死んだ場合、親は殺人罪にならないか。という質問です。

補足日時:2007/03/12 18:55
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兄がエホバの証人の信者と結婚することになりましたが、両親は反対しています。それは、冠婚葬祭ごとが出来ない、輸血問題、子供が出来学校に入った際、行事に参加できないなど。そして一番の心配は、寄付金と称して財産をむしりとられるのではないかと言うことです。ネットで少し調べたところ霊感商法とかは無いようですが(無いですよね?)生命保険の受取人名義を『ものみの塔』にしたりするとか(強要ではないとは思いますが)彼女一人が信仰しているのなら構いませんが、親族に迷惑を掛けるようなことがあるのでしょうか?実際被害に合った方などいますか?

Aベストアンサー

以前エホバの証人の団体と関わったことがありまして、その経験から一言。
基本的には、エホバの証人の信者の方々は、団体外の人間との結婚はしません。
理由は、やはりこの宗教やそれに付随する様々な活動や理念(土日の布教活動や輸血問題など)に対して、なかなか相手やその家族にに理解されなく、問題が起きるからです。
なので、その女性の方は、あまりドップリと漬かったかたではないのかも知れませんね。
子供が行事に参加できないというのは、例えば運動会で騎馬戦に参加することはできません。
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Q一人で外食をする人を見るととても不愉快です。どういう育ち方をするとそんな人間になると思いますか?

一人で外食をする人を見るととても不愉快です。どういう育ち方をするとそんな人間になると思いますか?

TPOをわきまえないふるまいだと思うのですが、どういう精神状態の人たちなのか教えてください。

私は正直気持ち悪いし気味が悪いのでいなくなって欲しいといつも思ってしまいます。

※質問に対しての答えではなく批判はいりません。

Aベストアンサー

色々なケースが考えられますね。
私が思い付くところをいくつか。

①一人暮らしをしているが、
料理ができない、
料理するつもりがない、
調理器具がない、などなど。

この場合の家庭環境を考察すると
あー、料理を教わる機会が無い
興味を持つ機会もない、
そんな家庭だったんだね、
と言ったところでしょうか。

②基本、料理は一通りできるが、
今日は作りたくない気分、
自分では作れない物を
食べたい気分、
専門店で食べたい気分、
そんな心理状態だけど、
誘う人が居ない、なんて時。

これはそのまま心理状態ですから
説明を割愛しますね。

③上記②に付随して、
一人で食べるのは寂しいが、
(友人の都合がつかないなどで)
誘う相手が居ない。
でも、誰かと一緒に食べている
気分にだけでもなりたい。

そんな心理状態のとき。
ちと寂しいですが、
少数派では決してないはず。

④タクシードライバーなど、
基本的に一人で仕事をしている
方々が食事を摂っている。

しょうがないですよね。
勤務中だから家族を呼ぶ訳に
いきませんから。
心理も家庭も介在しませんね。

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などが考えられます。

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 出前でも取って
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の書き置きが…。
そんな、漫画によくある
シチュエーションが浮かびます。
きっと、そのまま大人になり、
食事は一人で済ますもの、
と言う概念が出来上がっている
若干切ない状況ですね。

また、家族で外食が当たり前の
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少なくないのかもしれません。


質問者様の年齢も性別も
私にはわかりませんが、
少くともこう言う家庭では
なかったんですね。
幸せな事ですよ。

だからと言って
不愉快に感じてはいけません。
誰にも迷惑はかけてないんですから。

色々なケースが考えられますね。
私が思い付くところをいくつか。

①一人暮らしをしているが、
料理ができない、
料理するつもりがない、
調理器具がない、などなど。

この場合の家庭環境を考察すると
あー、料理を教わる機会が無い
興味を持つ機会もない、
そんな家庭だったんだね、
と言ったところでしょうか。

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Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
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Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
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さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

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かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む


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