この正月にみんなが初詣に行っているテレビを見ていて疑問に思ったんですけど、日本人は仏教なのになぜ神社へ行くんだろうか?と思い始めてから、いろいろな疑問が浮かびました。そもそもの神社の神様って言うのは何なんでしょうか? 誰が? いつ頃から発生して、どのように発展していったのでしょうか? 昔の戦国時代の歴史では、戦の前には神社の神様に祈願したそうですが、戦国の武将は神様を信仰していたんでしょうか? 友達に聞くと、神様を信じるしんとうは葬式をしないと言ってましたが、それでは、織田信長はお父さんが亡くなった時は葬式をしている(たぶん仏教)にもかかわらず、戦の前は確か熱田神宮に必勝祈願をしていますが、そのころの神社と仏教の関係はどうだったんでしょう。今でも、結婚式は神社の神様で、亡くなった時は寺で葬式をしていますが、何か変ですよね。信長の時代にも、現代のような使い分けをしていたんでしょうか? 神様の起源から現在にいたった変遷と仏教が混ざったような状態にどうしてなったのかがしりたいのですが、どなたか、教えてください。
断片的なことでも結構ですし、書籍やホームページの紹介でも結構ですのでよろしくお願いします。

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A 回答 (12件中11~12件)

全部には答えられませんが…(長いです。



まず
> 日本人は仏教なのになぜ神社へ行くんだろうか?
ですが、日本人が皆仏教徒なわけではありません。むしろ、今の日本人の(特に戦後生まれ以降の世代)大多数は実質的に無宗教といわれています。
ではなぜ神社に行くのか。それは、慣習だからです。(みんなが行くから。)
行事だけみれば、
初詣、安産祈願、合格祈願、神前結婚式など:神道行事
お盆、お寺での葬式など:仏教行事
クリスマス、チャペルウェディングなど:キリスト教行事
と、いろいろな宗教の行事が慣習になっているのがわかります。
複数宗教の行事が慣習になっているため、逆に特定宗教への関心が起こりにくく、結果、慣習だけの行事には見境なく参加するが、精神的な支えとしての実質的な宗教という点では、日本人の多くが無宗教になってしまった。というところでしょう。

> 神社の神様って言うのは何なんでしょうか?
神社によって異なります。天照大神だったり、大国主命だったり、スサノオノミコトだったり…はたまたお稲荷さんだったりもします。
このあたり、詳しくはホームページや書籍を探してみてください。
ちなみに、お寺だって、それぞれで祭ってある仏様は違いますよ。釈尊だったり、観世音菩薩だったり、弥勒菩薩だったり…

> 誰が? いつ頃から発生して、どのように発展していったのでしょうか? 
確か大和朝廷が成立した紀元5世紀ころから、存在の確認できる天皇一族が歴史に登場します。で、この天皇家の系図に関して、日本最古の書籍である「古事記」「日本書紀」などに書かれているのですが、そこで初代天皇「神武天皇」は神の子孫として書かれています。有名な大和武尊(やまとたけるのみこと)とヤマタノオロチの話しなど含め、日本神話の誕生です(厳密には書籍に書かれる前から伝承されていたわけですが、それがいつからなのかは、これら書籍がわが国最初の書籍である以上、文献を通しては確認できません)。
この神々を奉ったのが神社になります。
大和朝廷の拡大に伴って神話は全国に広がっていったと考えられます。

戦国時代のことには詳しくないので答えられませんが、恐らくその頃にはすでに、神道と仏教がごっちゃになって信仰されていたと思います。

余談ですが、古代(奈良か平安あたりだったかな?自信なし)に、当時の政府および宗教関係者が「神道の天照大神(神様のトップ)と仏教の大日如来(仏様のトップ)は実は同じ神仏の別の呼び名だったのだ!」と、神道と仏教を強引にくっつけようとする運動をしていました。
思うにこのころから、日本人のなかで少しずつ神道と仏教の区別が無くなっていったのだと思います。

その後、例えば明治維新の際「廃仏毀釈」運動により、仏教の市民権が奪われたりしましたが、すぐに撤回され、以降神仏とも、さらにはキリストも市民権を得、結果宗教行事が慣習として残ることになりました。
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この回答へのお礼

早速のお返事ありがとうございます。
grypsさんが言うように安土桃山時代より前は仏教による百姓一揆が多発していたと聞きます。秀吉時代が終わって家康の時には鎖国してキリスト教を弾圧したと思うんですが、そのため、江戸時代が終わって(多分江戸時代はみな仏教?)戦後までに、なぜ仏教は廃ってしまったのでしょうか?

お礼日時:2001/01/16 20:47

私の推測なんですが・・・


神道(神社)の祭神は、力を与えてくれる(貸してくれる)もの、
仏教(寺閣)の御仏は、導いてくれるもの、
という役割分担があったのではないでしょうか?
かかれておられるとおり、信長が必勝を祈願した熱田神宮の祭神はスサノオノミコトだったと思います。スサノオは、日本神話の怪力最強(暴れん坊)の神様です。
上杉謙信も、毘沙門天を祭り、自ら「毘沙門天の化身」といったそうです。
つまり、スサノオや毘沙門天の力を借りるというゲンかつぎの側面もあったのではないでしょうか?もちろん、それは家臣や領民に対するアピールの意味も会ったはず。
仏教は、一向一揆に代表されるように、「念仏を唱えていれば極楽へいける」という現在と未来(死後)へ導いて、死んで以後も苦しまない為のものといえます。
当時はいつ死んでもおかしくない時代でしたから、こういう心の安らぎが必要だったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

早速、ありがとうございます。
確かに、人間って所詮こころが弱いのかもしれませんねぇ。不安定な時代こそ宗教にのめりこむ要素があったのでしょうか? 毘沙門天はよくわかんないですけど、スサノウノミコトは生存したときから神様だったのですか?それとも死んでから? とても生存しているときからとは思えないんですが、もしかしてオウムとかと同じようなもの?

お礼日時:2001/01/16 20:37

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神道は日本独自の宗教であり、その宗教観や概念は他の宗教とは違うものがあります。
古来、日本には神道の元となった宗教があり、それと朝廷とが結びつき神道になったといえます。
しかし、仏教が日本に伝来し、神道と融合していきました。
平安時代頃から江戸時代までは、神道と仏教は区別がつかない程度まで融和していました。
明治維新になり、天皇の親政となって国家神道が確立し、神道は半ば国教化されました。
その後、敗戦により政教分離がなされ、現在の形態となったのです。

平安時代に定められた朝廷の法律みたいなものに、延喜式と言うものがあり、その中の第九巻に神名帳という章があり、朝廷が祀る全国の神社が記載されています。それを官社と言います。
官社には格付けがあり、「名神社」「大」「小」に分けられています。
その中で、「神宮」と書かれているのは、「大神宮」=伊勢と「鹿島神宮」「香取神宮」だけです。
また、「大社」と書かれている神社はありませんでした。
大社と言えば「杵築大社」=出雲大社のことと言われますが、それはもう少し時代が下がってからです。
なお、延喜式神名帳に記載された神社を「式内社」と呼び、2800社あまりが載っています。

明治新政府になり、神社は国家や府県が管理するようになり、神職は公務員となりました。
その中で、昔の制度に倣い、社格制をとりました。
国家が管理する「官幣社(大・中・小)」「国幣社(大・中・小)」「別格官幣社」と、府県が管理する「県(府)社」「郷社」「村社」と、格付けからはずれた「格外社」です。

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しかし、戦争に負け国家と神道は切り離されたため、戦後に各神社は社号をそれぞれが名乗るようになりました。
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よって、誰が「神宮」とかを決めているのかと言う質問に対しては、それぞれの神社が歴史的な背景を元に決めていると言うのが答えになります。
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なお、靖国神社・護国神社に関しては、別のところで回答が出ているので省略します。

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でも自分が実際、原付で走ってみて危険を感じることが一杯です。
自分の右横すぐを車やトラックが通るしねキープレフトしたら道路に段差や砂利、ゴミはあるし、スピード出したらこけそうだし。

法令を守っての走行として原付と自動二輪はどっちが危ないと思いますか?

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その気になれば原付のペースで走ることも出来ます。
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そして、応仁の乱を抑えられなかったことにより、完全に幕府、将軍の権力はなくなり、その時々の実力者が、自分の意向を世に広めるために、将軍の名前を使って命令をする、というような状態でした。
そのため、都合が悪くなると、将軍を退位させ、別の将軍を立てる、なんていうことも珍しくない状態でした。実際、足利義昭が将軍になる3年前には、義昭の兄である13代将軍・足利義輝が、近畿地方で一大勢力を持っていた三好氏によって殺害され、替わりに義栄が14代将軍として擁立される、ということまで起きています。

信長が義昭を将軍に添えたのも、理由としては同じです。
世の中に色々と命令などを出したいが、自分の名前で出すと周囲の大名たちの反発を生んでしまう。義輝を殺害して、義栄を擁立した三好氏と同じように信長も、義栄を追放して、義昭を擁立することで、義昭の名前を利用しようとしたわけです。
実際、足利義昭を将軍に添えてから数年で近畿地方における勢力を確立しました。
しかし、信長の力が伸びることに反発した義昭は、周囲の大名に対して信長を討って自分を助けよ、というような書状を出すなどしました。
信長としては、近畿地方をほぼ制した上に、自分の敵ばかりを作る義昭、室町幕府はもはや用無し。なので、追放し、幕府を滅ぼした、ということになると思います。

元々、室町幕府はあまり他の大名を統制できるような力を持っていませんでした。
そして、応仁の乱を抑えられなかったことにより、完全に幕府、将軍の権力はなくなり、その時々の実力者が、自分の意向を世に広めるために、将軍の名前を使って命令をする、というような状態でした。
そのため、都合が悪くなると、将軍を退位させ、別の将軍を立てる、なんていうことも珍しくない状態でした。実際、足利義昭が将軍になる3年前には、義昭の兄である13代将軍・足利義輝が、近畿地方で一大勢力を持っていた三好氏によ...続きを読む


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