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今日、畑で雑草を抜いていました。雑草を抜くということは殺すということなんですが、できれば殺したくはありません。
雑草ももっと少なければ抜かずにほっとけるんですが、あまりに数が多すぎるために根絶やしにするつもりで対処しなければ作物に影響が出ます。作物を育てるということはその何百倍の数の生き物を殺すということでもあるのです。
そこで、

この地球は生物の密度が高すぎるのではないか。
なぜ殺さなければ生きていけないのか

生物学的、宗教的にはそれらしい答えもあるのでしょうが今ひとつ釈然としません。どなたか私を納得させていただけないでしょうか。
ちなみに、無除草栽培の方法を聞いているわけではありません。

A 回答 (45件中21~30件)

21です。

哲学カテは慣れていないんだけれど、でもわたしはあなたへの興味からつきあいます。死の愚鈍な部分のにおいのする文章を書かれますから。調和しそこねた人間のにおいというのかな。これは芸術家には必要かもしれません。死をとおした自分への問いそれだけなのだから。なぜ問うかは問いによく表れているのに、なぜ問うかを知りたいと思っている。

> 鉄や石にも命があるとすると生物の死とは何でしょうか。
ということを17世紀から考えたために、医学は発達しました。でなきゃ、ずっとまじないでした。生物の「生」は自分を守る免疫力があり、自分で治す治癒力があり、自分で増える生殖力があるとわかりました。死は生の停止です。
> 死体にも命があるという事になります。
知りませんでしたか。獣が食べ、鳥が食べ、ウジ虫君たちが食べるのはそこに命があるからです。死体を粗末にしてはいけません。
> なくなってしまう部分というのは何をさすのでしょうか。
命にたいするあなたの認識の一部分です。そしてなくならない部分とは、認識の別の一部分です。どんな生物にとっても、どんな文明、文化にとっても、どんな病人、職業にとっても。
> 精神の死と生命の死とは別物という解釈をするのでしょうか。
精神というものは便宜的な、文化的な、産物です。しかし、精神の徴をみとめることはできます。生命もまた、生命の徴をみとめることはできます。徴がなくなることを死と呼ぶのなら、野生の動物においてはまず同じ死です。原理主義めいたものにおちいってはなりませんね。死を観察する者は、原理をしつらえる者となってしまうのです。
> 地球はなぜ記憶を求めるのでしょうか。
求めてはいないでしょう。死があるから記憶が形成される、それだけのことでしょう。それが止まるときは生が止まるときでしょうね。更新力とでも名付けてみますかね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
記憶の形成は生物の意思でしょうか。或いは何者かの意図があるのでしょうか。そして生物の死の理由の主たるものは記憶の形成なのでしょうか。
古代思想と呼んでいいのでしょうか。それからすると私の疑問”なぜ殺さなければ生きていけないのか”はどのような回答となるのでしょうか。

お礼日時:2007/03/28 00:00

それにしてもshift-2007さんの求める回答があるのかどうか


そこに興味があります。
納得できないものは納得できない・・・ですか。
ひとつ質問があります。
あなたは今のこの地球あるいはすべての生命の姿、形をそのままに
ただただ、互いに殺しあうようにして維持していくようなシステムを
否定して、何故そのほかのシステムではだめだったのかと問うているのですか?それとも姿、形、あるいは地球とかそんなのはどうでもよくて
何かの存在の誕生がどうして苦痛を伴う食物連鎖のシステムをとったのか問うているのですか?
回答に対する返事を頂くのはうれしいですが、いまいち何に納得されて
ないのかわかりません。人間って進化の過程で生まれたので最初から
存在したわけではないじゃないですか。他の生命も然り。当然食物連鎖の中で形づくられた結果の存在です。
あなたがそれを否定するならもはや人間とか牛とかそういう存在その
ものが意味がないのです。ここはわかりますか?
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この回答へのお礼

たくさんの回答を頂いてそれに対してお礼を書いていたら、元々の質問はなんだっけ?という気分になりました。なのでもう一度初心に帰りたいと思います。

私は百姓です。
花や草や虫や鳥が好きです。
だからなるべくなら殺したくはありません。
しかし、生活のために作物を育てて、その過程で多くの命を奪います。
もちろん毎日の食事でも命あるものを口に入れなければなりません。
そうしなければ生きていけないし、人間を含め生物とはそのようにできているというのは十分理解しています。
一方で宗教的、社会的、道徳的に無益な殺生はいけないといわれます。
私も同感ですが、ここで矛盾が生じてしまいました。
命は大事といいながら、なぜ殺生をしなければ生きていけないのか。
宗教的、或いは哲学的な問いがここで生まれました。
私の質問は”命は大事といいながら、なぜ殺生をしなければ生きていけないのか”の一点です。

ご回答いただいた中には、だからこそ感謝が必要なのだという説明もありましたが、感謝すればそれでいいのか?無益な殺生というが、そもそも殺生を無益と有益に分けることができるのだろうか、などなど次々と疑問が出てきて、なおかつ生物学的な回答にも私が哲学的な不満をぶつけたために本来の疑問とは路線がずれてしまったようです。その結果、何が納得できないのか分からない、となってしまったようです。

もし、この質問を生物のカテでしていたら、wwoowwさんの回答で十分満足していたはずです。しかし、私の疑問は哲学的だと自覚したためにこのカテに載せた次第です。
それと、質問しておいてなんですが、生物密度の件は忘れてください。これは私の愚痴だということに気づきました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/27 23:16

自分は答えを持っているわけではないのですが、


一つ疑問に思うことがあったので、それを書いてみます。
その内容は、

人間が通常考える「食物連鎖」と、
それを見る意識が「死への恐怖」「罪悪感」「苦痛」などを持たないで見た場合の「食物連鎖」は、
はたして同じに見えるだろうか?

というものです。
これを書いた理由は、この解答しだいでは質問自体が無効になって
しまう可能性だってあるかもしれないと思ったためです。
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この回答へのお礼

いや、これは重要な指摘ですね。
おそらく科学者が「食物連鎖」をみる場合は純粋に科学の目でみてくれるだろうと思いますが、私がそれをみる場合、罪悪感は拭えないかもしれません。ただ、私の感情や感覚を脇においたとしてもなぜと言う疑問は残ると思いますので、まずは私の準備からということになるのでしょうか。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/03/27 13:20

こういうのは


意図的なんだね.
参加するに値しない.
捻じ曲げられて捉えられるのが落ちだな.

くわばらくわばら

この回答への補足

あれ?
名前変わりません?

補足日時:2007/03/27 21:16
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この回答へのお礼

すみません、
ご意見があるのであれば一つにまとめてもらえないでしょうか。ほかの方の回答が読みづらいんですよね。

お礼日時:2007/03/26 23:03

不思議と思うのは質問内容にある一定の支離滅裂さがある.


ということ
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臓器移植は


人間のできる最大のボランティアなんてのも
そういう意識の
提案かな.
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一分違いだな


腐った魂
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わたしはあなたに大変興味を覚えます。

命を奪う・・・・殺しを避けたい以上にその理由が知りたい、と下のほうのお礼でおっしゃっています。慈悲を凌駕する力は何か、という命題のようにも思えます。欲について、仏教の話はわたしよりご存知でしょうからいたしません。宇宙、むしろわかりやすく太陽であると答えたいと思います。ただ太陽は、与えるにしても奪うにしても不平等なので、ここにも命の安定を得ようとする欲がつられて生じることになりますが、これは本能。

慈悲を凌駕する力は何か、という問いでなければ、ギリシャ神話が答えてくれます。最初の黄金の時代にはミルクと酒が地を流れ、蜜が木からしたたり、種なく草花が育ち、何でも実りましたので、畑を作っていることがすでに何かの間違いです。

地球の生物の密度というのはわかるようでわかりませんので、
少し広げますと、生物、生物の死骸の蓄積と壊変による資源、鉱物、どれもが地球の密度に欠けてはならないものと思います。
古来、人はこれらのすべてに、「霊性」や「神」をとおして生命をみとめていました。
鉄にも、石にも、砂にも、水にも、燃える石である石油にも、気をふれさせる有毒なガスにも、動植物にも、生命がありました。
それらの生命としての属性は、「記憶」があるということに近いものです。
これは古代の宗教に広く汎っている観念で、たしかに人がかかわることによって「霊性」や「神」は生じましたが、
たとえ人が存在していなくとも、人を超越した「記憶」が、自然には刻み込まれているのだ、という感覚であろうかと思います。

ところで、お百姓さんをやっていらっしゃるので、わたしよりもお詳しいにちがいないのですが、太陽の作り出す循環節が、たしかに「記憶」として生物に刻み込まれております。
人も母の胎内に10ヶ月いたあと、太陽にしたがって良い季節悪い季節を生きねばなりません。体内の分泌物もそれにしたがって変化しています。
また、鉱物は非常に古い時代から、太陽に従って存在してきた地球の古老です。水や石油も気体もです。それらのあいだのバランスも変化を余儀なくされてきました。
太陽は、変化を強いて君臨しています。非力な地球上のものは、記憶を繋いで、かろうじてそれに抗っています。ほとんど、「記憶のシステム」として地球の生命は「意味」があるといえます。

近代的な生命の倫理では、生物の命の正体に焦点をあてました。有意義な発見が数多くありましたが、不老不死もなく、蘇生も無い以上、命は尊いものでありつづけています。しかしこの条件は揺らぎつつあります。

お百姓さんが雑草を殺しイナゴを殺し石を取り除きミネラルの含有量をいじらねばならないのは、太陽からの命令でもあれば、太陽への抵抗でもあります。
雑草は種(しゅ)の記憶を持ち、存在した意味も、枯れて朽ちる意味もあります。生えるべき土を選んで短いあいだ存在する運命を、覚え、受け継いでいます。
(しかし、季節にふさわしい作物を栽培するのと、季節をずらした作物を栽培するのでは、雑草や微生物たちの事情が違うかもしれません。)

人類の長い挑戦は、命を、地球の記憶と切り離す試みといえるのかもしれません。より安定した命を得るにはどうしたらよいかという人類の抵抗です。

とはいえ、命には、殺しても、なくならない部分があり、命を記憶と切り離すことはおそらく不可能なのですが、これは、なくなってしまう部分の重さ、尊さを介してしか、書き込まれていかない記憶なのでしょう。
太陽と、記憶のシステムとは、個人の死にも、大量殺戮にも、戦争にも関わることです。死をとおして、そのまわりに記憶が形成されるところに、無慈悲があります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
慈悲を凌駕するなんて崇高な精神は持っていません。生物の宿命としての殺生は今更否定しても仕方がない、であるならばせめてその理由が知りたいと思っているだけです。科学的根拠ではなくです。

鉄や石にも命があるとすると生物の死とは何でしょうか。死体にも命があるという事になります。なくなってしまう部分というのは何をさすのでしょうか。精神の死と生命の死とは別物という解釈をするのでしょうか。また、地球はなぜ記憶を求めるのでしょうか。

お礼日時:2007/03/27 12:45

神なんていないと思いますよ。


だから食物連鎖を選択したというような考え方自体が間違いでは。
広い宇宙で今現在地球にしか生物が確認されてないのは生物が生まれる
環境が地球しかないわけです。
そして、その環境から誕生する生物というのは互いを食することに
よってエネルギーに変換する生物でしかないわけです。
これは現状説明ですが仕方のないことです。
では何故仕方がないのか?
もし、そのほかのシステムで生物が発生し得るなら地球以外にも
生物が存在していてもいいはずでそれが確認できてない以上、この
食物連鎖以外で生命が存続し得る方法がないのです。
何故、方法がないのか?
あらゆる生命がそういう構造でできているからです。
何故、それ以外の構造がないのか?
ありえるならばもうどこかで誕生しているでしょう。
いまだに確認できていないのはそれ以外の構造がないからです。
では何故ないのか?
地球環境自体がそのような構造の生物以外誕生できないからです。
神が選んだんじゃないです。誕生するべくして今の生物は誕生したに
すぎないのです。だからいくつかの選択肢から今回はこの生物あるいは
このシステムでいこうかなと神が選択するのではないと思います。

例えば、酸素がない惑星で何故人は誕生しないのか?酸素を吸わなくても生きていける人間が最初から誕生してもいいのではないか?
という問いがあるとします。みんなは人体の構造上、酸素はなくてはならないものだとコメントするでしょう。そしてあなたはそれは現状を説明しているに過ぎないと反論するでしょう。
私は何故、神は人間は酸素を吸わないと生きていけない構造に創ったのかそれが知りたいのですというのでしょう。
でも、酸素がない他の惑星、あるいは宇宙空間どこをとってみても
生命が誕生している形跡すら確認されてないではないですか?
人間だけではなく雑草のような生命力が強い植物ですら宇宙に存在が
確認されていません。宇宙空間にちっちゃな宇宙草のようなものがあっても不思議ではないです。でも何もない。結局酸素がないと生命は生まれないし生きられない。生命とはそんなものなのです。
「神」が酸素なしで生きられる生命を誕生させることは不可能なのです。

結論からいうと頭の中では色んな形を創造できます。あなたのいうように殺しの上で成り立つ世界以外の形もありでしょう。
それが選ばれなかったのではなくそんなシステム自体が存在しえない
のではないですか?酸素に依存しない生命が存在しないように。

それでもやはり食物連鎖に頼る世界が疑問でしょうか?(何故酸素に依存しない人間が生まれないのか疑問でしょうか?)

ないものは選択できないというのが私の結論です。
そして本当にないかどうかなど私にわかるわけはないですが、現状、宇宙のどこにも生命の形跡がなく地球にのみ生命体が存在するということが根拠です。違う要素で誕生する生命体がいないわけですから。
それは現状の話でどこかにそんな生命体がいるかも知れませんよという
疑問があるのかもしれませんね。では何故どこかなのでしょうか?
そんな生命体がいるのなら地球から確認できる範囲に多少の痕跡が
あってもおかしくはないです。
疑問はどのような形でも発生しますが、存在しないものは存在しない
のです。現状であろうがなかろうが。
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この回答へのお礼

wwoowwさんの回答は私の頭を冷やしてくれますね。
神という言葉を使ったのは失敗だったかもしれません。私は普通の日本人ですので無神論者です。方便の為に神という言葉を使いました。それに、悪魔の証明のような屁理屈を言うつもりもありません。
ただ、wwoowwさんが存在しないものは存在しない、と言われるのと同じ様に納得いかないものは納得いかない、としか私には言えないのです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/26 23:01

2回目の回答です。


その前に余計な事ですが一言。

私は、shift-2007さんの質問、お礼、他の人の回答内容すべて読んで、はっきり分かりました。shift-2007のお望みの(そしてもっともお望みでない)答えが。

《やっぱり、神はあまり優秀じゃなかったんですよ。あるいは、残酷好きだったのです》

今の私にできる、最高の答えは、これだけです。
そして、これを拒絶しないでもらいたい。あなたは実に探究心忍耐のある人です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2007/03/26 21:18

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