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浮世絵の番組を見まして、意外だったのが、フランスはすごく関心を示していて、大量に買い込んでいるんです(アメリカも後年そういう傾向を示していたと思いますが)それはおそらく一例でして、このジャポニズムブームを可能ならしめたのは、国の芸術政策も大きいのでしょうが、一般庶民的志向も、より異国趣味な物を求めたいという傾向から来ているのではないでしょうか。ですので、東洋、中東、アフリカなど世界文化を、貪欲に吸収していた?あるいは、「日本」に異常な関心を示していたのでしょうか?

こういう傾向が、ドイツでもイギリスでもイタリアでもなく、フランスに顕著であったという事の理由は、どういうことがあるのでしょうか。

A 回答 (4件)

浮世絵のフランス絵画への影響が、学校教育(歴史や美術)でも


大きく取り上げられています。これは日本の伝統美の一面にしか
スポットをあていないと考えております。

桑の樹皮を柿の樹液で固めて作られる型紙(着物などの柄)をご存知でしょうか???
これらが1890年前後に、既にロンドンの有名なLiberty)で
パリでは、日本人経営の商店Hayashiで販売されていました。

絹織物都市リヨン(後に横浜と姉妹都市)の同商人 Emile Leroudier や
東洋美術商のドイツ人Siegried Bingは、その収集家として有名ですし
ベルギーの実業家Adolphe Stocletは、あのクリムトに小紋の柄で食堂を作らせました。

このように、日本美は、フランスに限らずヨーロッパ
全体にに広く影響を与えていたと、お考えになるのが
宜しいのではないでしょうか。
(ちょと日本びいきかも、この点は割り引いて下さい)

最後になりますが、この場をお借りして
前回クラリネットで、拙文の行間を巧みに読み取り
情景を巧みに浮かび上がらせてのご理解に感謝です。
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この回答へのお礼

浮世絵はやはり一側面に過ぎませんか。
工芸繊維の分野でも、似たような拡張はあったのですね。
なかなかそういう風に公正に調べるのが大事ですよね。

クラリネットに関してはお世話様でした。

お礼日時:2007/04/01 14:14

ドイツやイタリアではバロックやバチカン(ローマ)の文化が幅を利かせています。

彼らは強い権威を持っていたので、異国文化の流入は難しかったでしょう。一方イギリスは、インドやエジプトを持っていたので、異国文化としては植民地から安く輸入できます。そうなるとフランスが安く輸入できるのは日本だったのかもしれません。
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この回答へのお礼

いろいろな条件が、フランスに有利だったのですね。

お礼日時:2007/04/01 14:11

#1の方の指摘に追加するなら…



1867年のパリ万博に初めて日本(幕府、薩摩藩、佐賀藩)が出店
日本人による日本文化のお披露目があったことも関係があるかも。

http://www.janjan.jp/culture/0407/0407197008/1.php
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この回答へのお礼

これは結構インパクトあったのかもしれないですね。
やっぱり文化と言うとヨーロッパだったでしょうから。

お礼日時:2007/04/01 14:10

王権が強くて金がいっぱいあったので、ルネッサンス以降の芸術をうまく引き継げたことが大きいと思う。

。これでパリが芸術の都として興隆した。
一方で音楽はパッとしなかったのは面白いけどね。いまだにウィーンやベルリンに比べても弱いし。

浮世絵は、フランスの画家ブラックモンが1865年に陶器の包み紙になっていたのを仲間に見せてまわって流行したというね。
江戸時代の終わり。この時期ってアメリカは南北戦争やっていて、あまり日本にタッチできなかったんだよ。そういうことも影響してると思う。
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この回答へのお礼

やはり、金がありましたね。
幕末期の重要な時期にアメリカを出し抜けたと言うのはあったでしょうね。

お礼日時:2007/04/01 14:09

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