日本でのキリスト教は
織田信長は保護
江戸幕府(家光以後)は禁止⇒踏み絵等で弾圧
明治初期は禁止(五傍の掲示)で欧米の反発で削除
ですよね
どうして弾圧されるのですか?
仏教には身分があってキリスト教は身分が無く平等だから駄目だと聞きましたけど仏教も平等ですよね?
キリスト教派は大名などにも大勢いたのでは?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (5件)

キリスト教が植民地支配の先兵であることが分かったから


例:南米、フィリピン
    • good
    • 38

江戸幕府のキリシタン禁制は慶長17年(1612)、幕府直轄領での禁制、翌18年に、全国さらに外国まで広げたものですが、キリスト教禁令にはさまざまな要素があります。


 キリスト教布教当初から信仰が拡大するにつれ、キリシタン大名領では神社仏閣の破棄が行われました。そのことから民衆側からもキリスト教を邪教視する風潮がありました。同時に寺社の破棄は、日本の伝統的倫理観の破壊と恐れられたのでしょう。

 次に創造主の元の平等、つまり創造主の絶対性。つまり「創造主こそが万物の基準であり『善』である」ということでしょう。それが日本の封建領主の倫理観とは相容れなかった。欧州では支配者と創造主は同一であるという「神権政治」、そこから発展した、王の地位は創造主より授けられたものという「王権神授」という伝統的倫理観が土壌にあります。そのような倫理観がない世界(日本)に創造主の絶対性を重んじる思想は、主君・領主への忠誠より、創造主への忠誠を優先させます。このことが天下統一のさわりになると、豊臣秀吉は天正15年(1587)に禁教令を発します。 
 日本の封建制・伝統的価値観の破壊とみなされたことに関して、平等を説くことが「封建制の否定」に直結するとは考えにくいです。それでは当時の欧州では封建社会ではないとはいえないでしょう。また、仏教にも「皆有仏性」と、仏性の存在によって一切衆生の平等を説いていますが、そのことが封建制を否定する要因になったかといえばそうではない。「王法と仏法の冥合」は中世の日本史を知る上でも重要な課題です。
 さらには外交政策の面。徳川家康は和平外交を進めるため、当初は信仰を黙認していましたが、慶長5年、オランダ船リーフデ号漂着により、プロテスタントであるオランダ・イギリスと交渉開始。日本市場の拡大を図るため、ポルトガル・スペインの締め出しを計画。そこでカトリックへの不利な情報と中傷を行いました。つまりカトリック国の侵略的意図。信徒を利用した反乱計画などをは、当時の幕府としては「天下統一のさわりになると」いう危惧をより拡大させました。禁制により教会の破壊・宣教師の国外追放。信徒の東北・蝦夷地への放逐などが行われました。
 徳川家光はさらに厳しく禁制を行いますが、寛永14年(1637)の島原の乱による衝撃から、鎖国政策の徹底とキリシタン弾圧はより強固となります。
 カトリックの海外布教は、プロテスタントに対する対抗措置という面がありました。その点、海外布教を重視していないプロテスタント国とは幕府は貿易を行えたのでしょう。
 現代でも同様ですが、「自分たちの伝統的倫理観・秩序とは、全く異なる、あまりにも異質な思想」に対する嫌悪感。もしもキリスト教が日本人的な宗教観・倫理観・死生観・道徳観とさほど乖離がなければ、どれほど支配者が弾圧しようとも民衆は支持したでしょう。逆に言えばそれだけ支持を受ける思想は弾圧するよりも、秩序維持のために融和政策に転換するでしょう。そうではなく、神社仏閣の破棄や祖先祭祀の否定にみられる、自分たちの伝統的倫理や秩序の破壊に対する嫌悪感から禁教令に対して多くの民衆は受け入れ、解禁以後もキリスト教の拡大は進
まなかったことの意味は大きいでしょう。
また次のような意見もあります。

http://mltr.e-city.tv/faq22.html#08006
「まず、日本の場合、公認の宗教として神道と習合した仏教が存在し、土俗の信仰も、仏教+神道の枠組みの中に収まるため、特に新しい宗教が必要とされたわけではないこと。
 江戸初期のキリシタン弾圧と禁教の体験から、忌避感があったこと。
 明治以降のキリスト教が士族やインテリ層を中心に広まったため、土俗的信仰を容認せず、また現世利益を否定する傾向が強かったため、民衆の感情に訴えるところが少なかったこと、などです。

 韓国と比較すると分かり易いかと。
 朝鮮について言えば、李氏朝鮮では儒教が保護され、仏教は弾圧されていたこと。
 儒教が民衆救済の宗教としては機能しないことから、新しい宗教が求められていたこと。
朝鮮でのキリスト教は現世利益も肯定するような土俗的で大衆的な内容であったこと…などが朝鮮でのキリスト教の普及に繋がったというのもあるでしょう。
 これらのような要素が日本にももしあれば、日本でもキリスト教は大ブレイクしていたことでしょう」


 ただし、禁制も太平の世が長く続くことで形骸化していき、当初はキリシタン監視の意味でもうけられた寺請制度も、寺院側からすれば「檀家としての勤めを果たしていれば、裏でキリスト教を信仰していても黙認する」という事実もありました。領主も「良き領民としての勤め」を果たす限りは信仰も黙認状態でもありました。キリシタンであると暴露しても、領主の監督不行届と罰せられる危険性があったからです。
 現在でも「カクレキリシタン」の家では、寺院の檀家であり、神社の氏子であり、家には仏壇・神棚が祀られて、同時にカクレキリシタンである。その信仰体系は仏教・神道・民間信仰とキリスト教が混在した、いわゆるカトリック・プロテスタントとは異なる信仰形態ですが、キリスト教公認以後も、カトリック・プロテスタントに改宗せず、先祖が守ってきた信仰として「カクレキリシタン」として守り続ける家があります。

資料
『オラショ―魂の通奏低音 カクレキリシタン』(宮崎賢太郎・長崎新聞社)
http://www.nagasaki-np.co.jp/jigyoubu/book/kakur …

『カクレキリシタンの信仰世界』(宮崎賢太郎・東京大学出版会)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130104 …
    • good
    • 25

キリスト教が 植民地化の尖兵であったことに気づいたからです



教科書に書かれているような踏み絵など 極わずかの期間、ごく一部地域で行われただけです

弾圧などしなくても キリスト教は広まりません
その証拠に
質問にも書かれているように 明治初期にキリスト教を解禁しましたが、
それ以降今日まで 150年近くになりますが キリスト教の信者は極わずかです
弾圧が原因なら明治時代にキリスト教徒が爆発的に増えてもおかしくありませんが、現実は江戸時代と大差ありません

なお、キリスト教伝来時に入信した武将・商人のほとんどは、南蛮渡来の文物 特に硝石の入手が目的であったと言われています
    • good
    • 19

一度秀吉のバテレン追放令を読んでください。

当時の人の考え方がよくわかります。史料の日本語でわからないところがあればまた質問してください。
要するに、日本は八百万(やおよろず)の神のさきわう国、その神々の存在をまったく認めないキリスト教は邪教だというのです。当時のキリスト教(日本で布教されたのはカトリックです)には他の宗教を認める寛容さというものがなく、キリシタン大名の領地では神社仏閣の破壊、仏像の焼却が行われました。これは神道・仏教を信じる当時の敬虔な日本人には(身の毛もよだつ)恐ろしいことだったのです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%86% …
    • good
    • 13

天使と悪魔という小説を読んだことがありますが、善は悪でもあるのでしょうか。

 陰陽ですね。


あくまで私の得ている情報を元に書きますので、参考程度に読んでください。



キリスト教 特にカトリックは厳格な階級社会です。
教皇をトップにすえ、ピラミッドのような階級社会です。
(プロテスタントはそれに反発してできたので、万人司祭の考えが強い)



キリスト教が今のようになった元は、ローマが国教として認められたからですよね。
何故ローマ帝国はキリスト教を国教としたのか。
ローマの平和とはなにか。

小さな田舎町に本拠地を持った東ローマ帝国はやがてやがて地中海一帯を中心に巨大はローマ帝国を築きました。

侵略し吸収することで、同国とみなし、敵国にはならなくなるので、これがローマ帝国の平和としたようです。


肥えた土地を吸収することで、食料庫としていき、アフリカを征服することで、金銀財宝を得て巨大になっていった。
民が多ければそれだけ兵力は増すし、収入も増す。


この征服にはキリスト教が有効だったようです。
何故なら無力化するのに適した思想だから。
もう一つは、キリスト教の階級社会が広大なローマ帝国に皇帝の指令を伝えるのにとても便利だったから。
(各拠点にキリスト教の拠点があり、皇帝はその拠点に伝えるだけで、その下にいる信者にまで伝えることができた。
もともとは各拠点のキリスト教の偉い人はそれぞれが同じ地位だったが、やがてめんどくさかったのか、地理的に一番近いローマ区の偉い人にだけ伝達し、そこから各拠点の区に伝達されるようになり、結局ローマ区の偉い人が上になったらしいです。それに反発してできたのが、ギリシャ正教。)


早い話が、社長の決断は部長に伝えられ、課長、主任、平社員と伝わるり、指令を全社員にあっという間に伝えられるようなもの。

このキリスト教の階級社会を模範に現代の軍隊は作らているらしいです。
だから階級制度は、一人をボスを頂点としたピラミッド社会の統一に向いているわけです。



信長は、、、キリスト教に利用されたのではないかという見方もあります。
(信長と十字架)http://www.amazon.co.jp/%E4%BF%A1%E9%95%B7%E3%81 …

(坂本龍馬も海外の勢力によって操られ、用済みになった時証拠消しのため暗殺されたのではないかという説があります。)



信長は、最初はキリスト教を害の無いものとみなして擁護すらしていたようです。
ところが、南方勢力が中国大陸を征服するための基地として日本を自分達の植民地にしようとしているとみなし、そうはさせるかと弾圧に乗り出した。
(トロイの木馬みたいなもの)



だが、全国統一をしようとしていた信長と南方勢力の利害関係は一致することになり、また擁護に戻った。


そして用済みになった信長は暗殺され、南方勢力によりその首に据わらされたのが秀吉。

イエズス会のために立ち上がった信長は、イエズス会によって殺された。



イエズス会も暗黒の時代があり、スペインの征服を助けていた時期もあったようなんですね。
イエズス会は、教皇のシバリエ的な要素も持っていたし、キリスト教の中でも戦闘・あるいは諜報部隊としても活躍していた。
教皇のシバリエですから教皇のためなら命すら惜しまないという戦士だったわけです。


教皇と政治支配者は結託しており、スペイン政府の政策によりアジアはターゲットになっていた。
で、先兵としてイエズス戦士が日本に送り込まれた。
目的は中国征服だと思います。
そのための拠点が日本。(極東基地)



戦闘的な側面は裏で、表向きは慈愛の宗教ですから、この表向きの顔を利用して、キリスト教を布教するため、日本の古来よりある宗教を破壊する必要があった。
信長もキリスト教の影響を受け、神仏の破壊を一時期やったようです。
つまり日本の魂を破壊しようとしたってわけです。

信長はイエズス会の援助を受け、だんだん力をつけてきた。
そうなると、キリスト教が危険な集団ではなく、自分を助けてくれる集団だと思えてきて、また表の思想に感銘を受け、一緒に歩もうとしたようです。


が、用済みとなったとき、暗殺された。

このような恐ろしい側面に気づいた武将は、弾圧というより、日本を守るため、キリスト教を弾圧をしたのではないかと思います。
ただ、最初から弾圧したのではなく、騙されるな 別の顔を持っているから もうちょっとよく考えろ と促したとは思います。
確か信長は信者を殺さず、国外追放のみにしたこともあったんじゃないかと。
(これを迫害とみなすかは、どれだけ情報を持っているかで見方が変わってくると思います。)


表向きのみしか知らない洗脳された信者は、仏像破壊・武力主義を取り、中央に従わず、異国の勢力を援助する方向に向かい、国内は分裂をきわめていった。


分裂をもたらし、大量破壊兵器をもたらしたキリスト教を、善だとは思えなかったのではないでしょうか。
大量に人を殺す兵器を売りさばく集団は宗教ではなく死の商人だと思えるんですが。

結局 末端信者は表向きを信じて死んでいき、上の方は権力とお金により操られたのではないでしょうか。
これが階級制度の社会。
現代でもそうですよね。
下のものが切ることで、上が生きながらえる。
    • good
    • 25

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q江戸時代はなぜキリスト教はNGだったの?

日本は仏教が中心ですが、キリスト教信者もいます。キリスト教に篤い学校・老人施設・病院などもあります。
しかし、江戸時代はキリスト教は禁止されていました。キリスト教を信仰すると罰を受け、踏み絵などキリスト教信者を見つけては処罰という制度もありました。天草四郎を中心とした島原の乱も起きるなどしながらもキリスト教は禁止されましたが、隠れキリシタンも多数存在していました。
で、いったいなぜ江戸時代はキリスト教が禁止されていたのでしょうか???

Aベストアンサー

江戸幕府のキリシタン禁制は慶長17年(1612)、幕府直轄領での禁制、翌18年に、全国さらに外国まで広げたものですが、キリスト教禁令にはさまざまな要素があります。
 キリスト教布教当初から信仰が拡大するにつれ、キリシタン大名領では神社仏閣の破棄が行われました。そのことから民衆側からもキリスト教を邪教視する風潮がありました。同時に寺社の破棄は、日本の伝統的倫理観の破壊と恐れられたのでしょう。

 次に創造主の元の平等、つまり創造主の絶対性ですが、それが日本の封建領主の倫理観とは相容れなかった。欧州では支配者と創造主は同一であるという「神権政治」、そこから発展した、王の地位は創造主より授けられたものという「王権神授」という伝統的倫理観が土壌にあります。そのような倫理観がない世界(日本)に創造主の絶対性を重んじる思想は、主君・領主への忠誠より、創造主への忠誠を優先させます。このことが天下統一のさわりになると、豊臣秀吉は天正15年(1587)に禁教令を発します。

 さらには外交政策の面。徳川家康は和平外交を進めるため、当初は信仰を黙認していましたが、慶長5年、オランダ船リーフデ号漂着により、プロテスタントであるオランダ・イギリスと交渉開始。日本市場の拡大を図るため、ポルトガル・スペインの締め出しを計画。そこでカトリックへの不利な情報と中傷を行いました。つまりカトリック国の侵略的意図。信徒を利用した反乱計画などをは、当時の幕府としては「天下統一のさわりになると」いう危惧をより拡大させました。禁制により教会の破壊・宣教師の国外追放。信徒の東北・蝦夷地への放逐などが行われました。
 徳川家光はさらに厳しく禁制を行いますが、寛永14年(1637)の島原の乱による衝撃から、鎖国政策の徹底とキリシタン弾圧はより強固となります。
 カトリックの海外布教は、プロテスタントに対する対抗措置という面がありました。その点、海外布教を重視していないプロテスタント国とは幕府は貿易を行えたのでしょう。

参考
『国史大事典』(吉川弘文館)

 ただし、禁制も太平の世が長く続くことで形骸化していき、当初はキリシタン監視の意味でもうけられた寺請制度も、寺院側からすれば「檀家としての勤めを果たしていれば、裏でキリスト教を信仰していても黙認する」という事実もありました。領主も「良き領民としての勤め」を果たす限りは信仰も黙認状態でもありました。キリシタンであると暴露しても、領主の監督不行届と罰せられる危険性があったからです。
 現在でも「カクレキリシタン」の家では、寺院の檀家であり、神社の氏子であり、家には仏壇・神棚が祀られて、同時にカクレキリシタンである。その信仰体系は仏教・神道・民間信仰とキリスト教が混在した、いわゆるカトリック・プロテスタントとは異なる信仰形態ですが、キリスト教公認以後も、カトリック・プロテスタントに改宗せず、先祖が守ってきた信仰として「カクレキリシタン」として守り続ける家があります。

資料
『オラショ―魂の通奏低音 カクレキリシタン』(宮崎賢太郎・長崎新聞社)
http://www.nagasaki-np.co.jp/jigyoubu/book/kakure_book.html

『カクレキリシタンの信仰世界』(宮崎賢太郎・東京大学出版会)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130104020/250-7207972-6663457

江戸幕府のキリシタン禁制は慶長17年(1612)、幕府直轄領での禁制、翌18年に、全国さらに外国まで広げたものですが、キリスト教禁令にはさまざまな要素があります。
 キリスト教布教当初から信仰が拡大するにつれ、キリシタン大名領では神社仏閣の破棄が行われました。そのことから民衆側からもキリスト教を邪教視する風潮がありました。同時に寺社の破棄は、日本の伝統的倫理観の破壊と恐れられたのでしょう。

 次に創造主の元の平等、つまり創造主の絶対性ですが、それが日本の封建領主の倫理観...続きを読む

Qキリスト教って何で迫害されたんですか?

ローマの支配は宗教的にもとても寛容だったと記憶しているのですが、それなのにどうしてキリスト教は迫害されたのですか?
ネロ帝による迫害だけなら民衆の不満逸らしという気もしますが、迫害をしている皇帝はネロ帝だけではありません。ディオクレティアヌス帝もしていますし…。何かもっと理由があるような気がします。
中世ヨーロッパのカトリックの横暴を考えれば、確かに弾圧して然るべきだったのかもしれませんが、当時の為政者たちはそこまで見越して迫害していたのでしょうか。

Aベストアンサー

ローマ帝国では、帝国に反感を示さない限り、宗教には立ち入らない方針を貫いていました。
そのため、ローマ帝国内には、エジプトのイシス神が大ブームを引き起こしたり、オリエントのミトラ教が広く信仰されたり、ギリシャ哲学の流れを組むオルフェウス教などが広まっていました。
ローマによるユダヤ滅亡においては、ユダヤ人がローマに反抗したために起きた事件で、ユダヤ教を弾圧したわけではありません。
マニ教やイスラムの弾圧は、キリスト教がローマの国教となってからの話で、当時のローマ帝国には存在していませんでした。

その中で、キリスト教だけが絶えず迫害を受けていました。
これは、キリスト教が当時の貧民層に広がっていったためです。
従来の宗教が、現世の利益をもたらす事を説いているのに対し、キリスト教は、死後の安泰を求める宗教でした。
現世において苦境にある貧困層にとって、脱出できない現状を捨てて、来世に望みをつなぐキリスト教は、当時唯一縋れる宗教だったため、貧困層に広まっていったと思われます。

現世よりも来世に望みをつなぐ宗教は、当時の為政者には不都合なものでした。
死を恐れないキリスト教貧困者は、為政者のいう事を聞かず、反感や暴動などに簡単に参加する事になります。
こういった危険な宗教に対しては、払底的に弾圧して消滅させるか、体制内に取り込むかしかありません。
コンスタンティヌス帝以前は、弾圧し消滅させる方向でしたが、弾圧せせきれないほど大きくなってしまい、最後には体制内に取り込む事で、キリスト教をコントロールする事になります。

キリスト教の弾圧を行ったのは、
ネロ帝(64年)、ドミチアヌス帝(95年)、トラヤヌス帝(107年)、ハドリアヌス帝(118年)デキウス帝~ヴァレリアヌス帝(250年~260年)、ディオクレティアヌス帝(303年)が、年表に記載されています。

ローマ帝国では、帝国に反感を示さない限り、宗教には立ち入らない方針を貫いていました。
そのため、ローマ帝国内には、エジプトのイシス神が大ブームを引き起こしたり、オリエントのミトラ教が広く信仰されたり、ギリシャ哲学の流れを組むオルフェウス教などが広まっていました。
ローマによるユダヤ滅亡においては、ユダヤ人がローマに反抗したために起きた事件で、ユダヤ教を弾圧したわけではありません。
マニ教やイスラムの弾圧は、キリスト教がローマの国教となってからの話で、当時のローマ帝国には存...続きを読む

Q宣教師が日本人を奴隷として売り払ったのですか?

歴史に無知な者でございます。

今まで、聞いたことが無かったのですが、キリスト教の宣教師が日本人を奴隷として拉致・連行し、外国に売り払っていたという話を耳にはさみました。

これは歴史上の事実ですか?  
それとも、キリスト教嫌いの人が捏造した作り話なのでしょうか?

あるいは、キリスト教宣教師と緊密な関係を築いてた南蛮商人が独自に奴隷貿易を実施しただけで、宣教師は日本人の奴隷貿易には一切関与していなかったのでしょうか?

私が学校教育を受けた時代は、アメリカ人やキリスト教徒に遠慮しなければならない時代で、第二次大戦中に国際法違反で非人道的な原爆を投下したキリスト教徒たちを糾弾することもありませんでした。そんな時代の教育でしたので、キリスト教徒や南蛮商人が日本人を奴隷として輸出していたなど、キリスト教徒に失礼になる事実は教えてもらえなかったのかもしれません。

しかし、現在はアメリカによる占領は終わり、キリスト教を特別に崇める必要もない、自由な良い時代になりました。

今の時代になったからこそ、歴史の真実を知っておきたいと思います。

戦後の検閲教科書に書かれていない歴史の事実をご存じの方から、教えていただけるとありがたいです。

歴史に無知な者でございます。

今まで、聞いたことが無かったのですが、キリスト教の宣教師が日本人を奴隷として拉致・連行し、外国に売り払っていたという話を耳にはさみました。

これは歴史上の事実ですか?  
それとも、キリスト教嫌いの人が捏造した作り話なのでしょうか?

あるいは、キリスト教宣教師と緊密な関係を築いてた南蛮商人が独自に奴隷貿易を実施しただけで、宣教師は日本人の奴隷貿易には一切関与していなかったのでしょうか?

私が学校教育を受けた時代は、アメリカ人やキリスト教徒に遠慮...続きを読む

Aベストアンサー

16世紀の南蛮貿易というのは一般には

東南アジア交易圏に南蛮人も参加するようになった
と、ご理解ください。
南蛮人が来る前と来た後で交易の構造はそれほど大きく変わっていない。
商材として鉄砲が加わった
※ ちなみに日本にもたらされた鉄砲も西欧から持ってきたのではなく、東南アジアで製造されていたものがもたらされています。

人間を商材にすることは、世界中どこでも行われてきたことです。
この際に、人間を確保するのは現地の権力、交易の主体になるのは交易業者となります。
※ アフリカの奴隷貿易も人間確保はアフリカの現地権力です。

後期倭寇における禅僧の位置づけは、南蛮貿易におけるイエズス会士である。

ということで、他の方へのお礼の中の文章になりますが「まとめ」ということで書かれている文章に関して。

1.奴隷の調達は日本人がやっていた(奴隷狩り)。キリシタンは直接の奴隷狩りには手をださなかった。
※ 手を出さなかったのではなく、手を出せなかったと考えるのが妥当かと

2.奴隷売買は日本人の奴隷商人がやっていたことであるが、鎖国時代であったため国内売買だけで、輸出はできなかった。
※ 江戸時代に入って日本人の海外渡航禁止令がでるまでは、奴隷交易に参加していたと推測するほうが妥当かと。


3.日本人の奴隷商人から奴隷を購入したキリシタンの奴隷商人が独占的に日本人奴隷を貿易することができた。
※ この判断はできない。

4.世界各地のポルトガル人の街で日本人奴隷が観察され、レポートされているが、輸出された日本人奴隷の人数は定かでない。
※ メキシコはスペイン領ですので、ポルトガル人の街と限定する必要はないかと。

16世紀の南蛮貿易というのは一般には

東南アジア交易圏に南蛮人も参加するようになった
と、ご理解ください。
南蛮人が来る前と来た後で交易の構造はそれほど大きく変わっていない。
商材として鉄砲が加わった
※ ちなみに日本にもたらされた鉄砲も西欧から持ってきたのではなく、東南アジアで製造されていたものがもたらされています。

人間を商材にすることは、世界中どこでも行われてきたことです。
この際に、人間を確保するのは現地の権力、交易の主体になるのは交易業者となります。
※ アフリカの奴隷貿...続きを読む

Qキリスト教と植民地支配

過去の歴史をみるとアジアやアフリカにヨーロッパのキリスト教の宣教師が最初やってきてその後に植民地支配がはじまるとありますがわからないのはどうしてキリスト教の布教をしてから植民地支配がはじまるのでしょうか?別にキリスト教を布教をしなくてもいきなり侵略できるのにしなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

質問者の方は、「ヨーロッパ諸国は、キリスト教の布教の後に軍隊を送り、植民地にした」と言われていますが、宣教師などを送り込んだのは、カトリック諸国(スペイン、ポルトガル)であって、ブロテスタント諸国は行っておりません。

これは、当時のカトリックとプロテスタントとの宗教のおかれた状況の違いです。

当時のユーロッパでは、宗教改革の真っ只中で、カトリックは、ヨーロッパにおいて、その勢力を大幅に失いました。
それに対し、カトリック側は、イエズス会を中心として、反宗教改革を行います。
その一巻が、海外への布教活動でした。

ポルトガルの場合、まず交易船が現地に行き、現地の確認をすると、イエズス会の宣教師が向かいます。
その場所が、ポルトガルにとって有益な地と判断された場合、そこに拠点を造ります。
この場合、武力によるか、平和的に行うかは、相手しだいです。
ポルトガルの場合は、人口も100万人程度と少ないため、むやみに植民地を拡大せず、あくまで拠点支配にとどまります。
イントではゴア、中国ではマカオ、アフリカのモザンビークなど。

スペインの場合、コンキスタドールなどが、自分たちで勝手に金銀を奪い取るため軍隊を送り、その地を征服してしまいます。
スペイン王室は、その内の一定割合を王室に収める事を条件に、侵略を容認します。
そのため、スペインの植民地は、鉱産資源の豊かな場所がほとんどで、鉱産資源の無い場所や、交易に利点となる場所で無い限り、積極的に殖民を行っていません。
フィリピンの場合、フィリピンは、当時スペインの植民地だったメキシコの植民地で、中国とメキシコの航路確保のために占領しました。
スペイン軍にしても、軍勢は、コンキスタドールの私兵ですから、数百人が限度で、相手がチョットした勢力であれば、占領は不可能でした。

スペインが滅ぼした大きな勢力として、アスティカとインカがありますが、アスティカの場合、スペイン軍というよりも、反アスティカ部族(トルティカ族など)をスペイン軍が結集させ、アスティカを包囲し攻略しています。

インカにしても、当時インカ帝国では、アタワルパとルスカルが、皇位をめぐって戦争中で、ピサロとアタワルパが結び、ルスカルを倒して、インカ帝国に取り入ります。
その後アタワルパを捉え、インカを乗っ取ります。
インカでは、皇帝に権力が集中していたため、皇帝の名代として命令するピサロに反抗できず、のっとられてしまいます。

スペインにしろポルトガルにしろ、まともな国家を占領するだけの力は、当時ありませんでした。
それらを行うのは、イギリス・フランス、オランダといった諸国で、これら諸国は、キリスト教の布教には熱心ではなかったため、質問者のご質問のような事き有りませんでした。
(フランスの場合、カトリックが優位にたっているため、イエズス会などの布教が有りますが、これは占領されてからの話しです。

質問者の方は、「ヨーロッパ諸国は、キリスト教の布教の後に軍隊を送り、植民地にした」と言われていますが、宣教師などを送り込んだのは、カトリック諸国(スペイン、ポルトガル)であって、ブロテスタント諸国は行っておりません。

これは、当時のカトリックとプロテスタントとの宗教のおかれた状況の違いです。

当時のユーロッパでは、宗教改革の真っ只中で、カトリックは、ヨーロッパにおいて、その勢力を大幅に失いました。
それに対し、カトリック側は、イエズス会を中心として、反宗教改革を行いま...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Qなぜ日本ではキリスト教の普及率が悪いのか?

 ありきたりですが、気になるのでよろしくお願いします。もともと仏教だから、といった紋切り型の理由ではやはり説明できそうに思えません。まず、韓国の爆発的な普及、台湾や中国など。日本人はキリスト教の福音活動の話を聞こうともせず、はなから拒絶するのに対し、彼らは一応耳を傾ける傾向があります。これはオウム真理教などの影響もありそうですが・・・しかし、占いなどや細木和子は信奉できるというのも、不思議に思います。
 できる限り、感情的返答は避けていただきたいと思います。できれば、学問的に宗教社会学・哲学などの手法で、お答えをいただきたく存じます。

Aベストアンサー

 むしろ、何故、韓国や台湾でキリスト教が人気があるかを考えるべきです。

 各国に昔からある宗教というのは、支配者によって人々を支配するために利用され、そのように歪められた歴史を持っています。韓国や台湾では、歴史的に中国本土の支配者の圧政を受け、社会構造的に、国民は、伝統的な仏教は自分たちに何もしてくれなかった、自分たちを支配してきた、という思いが強いのではないでしょうか。従って、自分たちを、より自由にし平等に扱ってくれそうな、外来のキリスト教を理想化して期待しているのだと思います。

 しかし、西洋では、キリスト教は、実際には、当初(ローマ帝国時代)から支配者によって人々を支配するために創作され、歪められ、利用され、戦争の原因でもありました(現在も)。「三位一体」、聖母マリアの処女懐胎、最後の審判、も創作されたものですよね。

 日本は、国際法に反してキリスト教国のアメリカから原爆を落とされ、アメリカはそれをいまだに正当化しています。欧米のキリスト教では、非キリスト教徒の日本人を対等な人間と見ていないでしょう。・・・日本人にはキリスト教に対する不信感があります。そのような尊敬すべからざるキリスト教徒に自らなろうとは思わないのではないでしょうか。日本人は、キリスト教国の経済的な豊かさにあこがれているだけです。

 キリスト教は昔から福音活動に熱心ですから、日本人はその内容を皆おおかた知っていると思います。しかし、上述のように、キリスト教も、支配者によって人々を支配するために利用され、そのように歪められいますから、イエスキリストの教えが、どの程度、聖書にもとのまま残っているかは、分かりません。日本人はそのことを知っているのです。欧米のキリスト教の多くの研究者でさえ、聖書の大部分が事実でないと考えます。

 キリスト教の神を信じれば悪人でも天国に行くことができ、信じないものは善人でも地獄に落ちる・・・そのような、日本人の長い歴史にわたって体験してきた因果応報の法則に反し非常識で不道徳な教えは、日本人には通じないのだと思います。

 また、日本人は、元々、自然を崇拝し、多神教でしたから、人間のように嫉妬する尊敬できない絶対的唯一神に強い違和感を持つのだと思います。

 今や、ニューエイジの時代です。質問者様、キリスト教にこだわることなく、「プレアデス+ かく語りき」バ-バラ・マーシハニック(太陽出版)、「テオドールから地球へ」ジーナ・レイク(たま出版)、「シルバーバーチの霊訓」アンドゥーリー(潮文社)、「神との対話」ニール・ドナルドウォルシュ(サンマーク出版)をお読み下さい。日本において、なぜキリスト教が浸透しないのかを、より深くご理解いただけると思います。

 むしろ、何故、韓国や台湾でキリスト教が人気があるかを考えるべきです。

 各国に昔からある宗教というのは、支配者によって人々を支配するために利用され、そのように歪められた歴史を持っています。韓国や台湾では、歴史的に中国本土の支配者の圧政を受け、社会構造的に、国民は、伝統的な仏教は自分たちに何もしてくれなかった、自分たちを支配してきた、という思いが強いのではないでしょうか。従って、自分たちを、より自由にし平等に扱ってくれそうな、外来のキリスト教を理想化して期待しているのだ...続きを読む

Q穴吊り

穴吊りって如何いう拷問なんですか?

Aベストアンサー

徳川幕府がキリスト教を禁止したとき、信者にキリスト教を捨て仏教徒に戻るようにするため行った過酷な拷問のひとつです。地面に穴を掘り糞尿を入れ、信者を天井から逆さまに吊るして体半分を穴に入れ、引き上げては転向するか(転ぶか)どうか質問しました。南無阿弥陀仏を唱えれば許されたといいます。人間をそのまま吊るしたのでは血液が逆流して頭部に集まり、早く失神したり、死にいたるので、頭部に穴を開けて血を抜いたといわれます。又内蔵を痛めないように体はわら縄でぐるぐる巻きにしたそうです。この拷問で転んだのは日本人信者だけでなく、スペイン人神父も転び歴史に名を残しています。穴つりの刑は長時間肉体的、精神的苦痛を与えることにより人間の理性を奪い混乱に陥れて転ばせるのが目的だったといわれます。遠藤周作はこの転び神父を題材に「沈黙」という名作を書いています。

参考文献
切支丹時代    遠藤周作  小学館
南蛮のバテレン  松田毅一  日本放送出版協会
ペトロ岐部    松永吾一  中央公論社

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Q長崎県にカトリック教会が多い理由を教えて頂けませんか

表題の件に関して,Internet 上で調べてみようとしましたが,はっきりしません.Wikipedia の「キリスト教」によると,徳川時代「…多くの信徒や聖職者が逮捕・殺害された.長崎の一部等でわずかに残った信徒は隠れキリシタンとして…」という記述があるのですが,一部に残った信徒が他の県ではなく長崎県であったというのは,単なる偶然なのでしょうか.それとも,それが長崎県であったのは何か地理的,歴史的要因によるものなのでしょうか.例えば,長崎は鎖国が始まって以後,海外との唯一の窓口であったとか….この辺りの事情を教えて頂けないでしょうか….宜しくお願い致します.

Aベストアンサー

残念ながら長崎が鎖国中に海外との唯一の窓口であったことは全く関係しません。出島に来るのはプロテスタントのオランダ人で出島外に出ることは許されず、キリスト教関連の物も厳密に入荷チェックされていました。
それでは何故長崎に幕末、明治初期まで隠れキリシタンが残っていたのかというと、他の地方と布教のされかたで大きな違いがあったからです。他のキリシタン大名が大名だけがキリシタンになったのに対し、大村氏、有馬氏は領民全員をキリシタンに強制改宗させてしまったためです。
キリシタン摘発のための手段が五人組ですが、五人組全員がキリシタンだと摘発どころか逆に励ましあい、集落全体で信仰維持のための組織を作って、幕末の宣教師再来まで信仰を伝えることになりました。他の地方では五人組全員がキリシタンということはないので、摘発されるか、自分の心の内でひっそり信仰を守っていても次の代への信仰の伝承がうまくいかず自然消滅してしまいました。
ただし、有馬氏領内のキリシタンは島原の乱で全滅、大村氏領内のキリシタンも役人の目に付き易い場所は摘発されてしまったので、幕末、明治初期まで残ったのは、陸の孤島、絶海の孤島のような場所ばかりです。

残念ながら長崎が鎖国中に海外との唯一の窓口であったことは全く関係しません。出島に来るのはプロテスタントのオランダ人で出島外に出ることは許されず、キリスト教関連の物も厳密に入荷チェックされていました。
それでは何故長崎に幕末、明治初期まで隠れキリシタンが残っていたのかというと、他の地方と布教のされかたで大きな違いがあったからです。他のキリシタン大名が大名だけがキリシタンになったのに対し、大村氏、有馬氏は領民全員をキリシタンに強制改宗させてしまったためです。
キリシタン摘発の...続きを読む


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング

おすすめ情報