A 回答 (3件)

この前テレビでもやってましたが、



記者会見の席上でいつから国外に出る規制を緩和するのかという質問を受けた
東独政治局の担当高官が、資料を見誤って
「Ab sofort !(直ちにだ!)」と言ったそうです。

それを通信員が打電し、世界へと広まり、東西ドイツ国内へもそのニュースが
広がっていきました。

ベルリンの検問所に東の人が殺到したのは1989年の11月9日のことで、
検問所の係官はテレビを見てなかったが、殺到する市民を見て、「暴動だ」
と感じましたが、あまりの数に恐れをなし、ゲートを開けちゃったそうです。

堰を切ったように行き来する東西ドイツ市民。結果的には追認状態で
壁が崩壊したというような話ですね。

最初は酔ったような感動の中で西側でも統一大歓迎ムード一色だったものが、
やがて酔いが醒め、これからの東の復興の為には多大な負担があるを意識し
始めて徐々に空気が変わっていったのです。

政治的な背景は別の方にお願いします。

参考URL:http://www.din.or.jp/~a_ohno/pages/DeuTop.htm
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下記URLに壁崩壊の経緯について詳しく記述されています。


要約すると...
東ドイツは共産党一党独裁国家で国民は政治に対する不満をもっていた。1989年5月に同じく社会主義国のハンガリーがオーストリアとの国境の鉄条網を撤廃した。東ドイツ国民の多くが西ドイツに逃れる為、ハンガリーに入国し、この国境を越えていった。ハンガリー政府は国境を不法に越えていく東ドイツ市民に対し何の対応もとらなかった。こうして、ベルリンの壁の意味がなくなり、さらに東ドイツ国内で自由化を求めるデモが多発し、ついに東ドイツ政府は西ドイツとの国境を開放したのでした。

参考URL:http://www.cablenet.ne.jp/~taka-non/mauer0/mauer …
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冷戦の終結。

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