出産前後の痔にはご注意!

私の娘の短大の先生の回答で著名な人の「死」に対する考えで・・ルソーが子供の死に対して「子供が死んだら・・また、子供をつくればいい。」と述べたと・・ときいて娘は驚いたそうです。

本当に、ルソーが子供の死に対して「子供が死んだら・・また、子供をつくればいい。」といつたのでしょうか?
教えてください。

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A 回答 (7件)

 言ったと思います。

ルソーに限らず、知識人であれば誰でも、取り返し
のつかない状態になった者に、それを何とか取り返すように、或いはその
状態を誤魔化す為の思弁を用いて説得したりはしないと思われるからです。

 言ってないとは思われません。彼は言葉を話す事ができましたから。
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ルソーというのは、決して貧困な下層階級に所属する者ではありません。生まれた時の社会階層は少し記憶に出てきませんが、若い頃から、その才能を買われて、中流または上流のサロン的教養の年長の女性に可愛がられ、その庇護を受けて、学問を研究した人です。

ルソーの立場は、見方を変えれば、若いツバメだったとも言えますが、別に、年長の女性が不倫とかの相手にしていたのではなく、力ある教養女性が、ルソーの思索力などを買って、(その他の要素もあったのでしょうが)、ルソーを庇護したもので、パトロネスとして、こういう関係はそれほど珍しいことではありません。

極貧階層出身だと、こういうチャンスもなかったはずなので、ルソーは、下層よりは少し上の庶民出身だったのだと思います。

>「子供が死んだら・・また、子供をつくればいい。」

というのは、残酷な考えに今では思えますが、西洋東洋に関係なく、ある程度普遍的な考え方でした。乳児死亡率が極端に高く、子どもが少し育っても、成人までに育つ子どもが半数もいなかった時代では、子どもの死は、西欧なら神様の定めとして、諦めるしかなく、神様が恵みで、また新しい子どもを授けてくれるだろう……というのが、普通の考え方です。

また、人類の総人口が、20世紀になってから爆発的に増えたのは、19世紀の増大の延長にもあるのですが、これは、医学や社会施設や制度の進展で、乳児死亡率が激減し、子どもが生き延びて成人する割合が非常に高くなった為です。

先進国では、乳児死亡率や、子どもの若年死は、20世紀半ば以降は、ほぼ、ゼロに近くなって来ます。しかし、20世紀でも、その前半は、西欧でも、子どもの若年死はかなりあり、日本でも、8人生んで、そのうち4人が生き延びて大人になり4人兄弟というような例は、半世紀前には結構ありました。

(日本で、いま、70歳、80歳以上の人で、四人兄弟、五人兄弟、あるいはそれ以上という人は結構多く、若い頃に死んだ兄弟も入れると、本当は十人兄弟だったなどというのも珍しくありません)。

夫婦の生む子どもが二人か三人になり、やがて二人か一人になって来たのは、先進国でも、ごく最近、二十年かそこらのことです。

人類の食糧事情とか生活事情が向上して、誕生した子供の成人までの存命率が上がったのは、紀元を過ぎた辺りからで、あるいはもう少し古いかも知れませんが、平均寿命も増加しました。西欧、インド、アフリカ、中国、東南アジア、日本も例外でなく、増大した人口は、戦争とそれに関連しての厄災で、また天災と飢餓で、多数が死亡して、バランスが強制的に取られていました。

中国などでは、周期的な大飢饉と、やむことない戦乱で、多数の人口が消えて行っても、なお、人口は、総体として、どんどん増えて行ったというのが実状です。

庶民の人権を守る思想や、子どもの権利を守る思想も法制度も何もなかったか、それに近い時代でした。西欧でも、東洋でも、生き延びる子どもが生き延びればよい、というあきらめよりも、もう少し進んだ考えがありました。

乳幼児の時に、死にかける子どもは、その時、医薬で助けても、後に成長途上で、結局死亡することが一般であったので、助けようと思えば助けられたかも知れない子どもでも、農民や庶民のあいだでは、死ぬべき定めだという考えで放置したというのもあります。

そういう身体の弱い子どもに手やお金をかけるより、もっと丈夫な子どもが生まれれば、それでよいという考えになり、別に親が、子どもを殺す訳でなく、自然に弱さ故に死ぬのですから、神様の思し召しだ、となるのです。

また、農村などの人口増大は、生きている者にとっても脅威であり、子どもが生まれても「間引く」などは、かなり一般的に行われていました。

(その他、都市でも農村でも、嬰児殺しというのは、ごく普通であったのです。避妊技術がほとんどなく、望まぬ子どもが生まれると、それを密かに葬るというのは、やむをえないことでした。そして、そういうことは一杯あったのです)。

社会が豊かになり、商工業が発展し、貨幣経済が生まれはしめると、庶民の生活レベルも上昇し、教養レベルもそれなりに上がって来ます。ここで、フランスを中心に「啓蒙思想」という考えが出てくるのですが、これは、西欧を通じて、あるいは欧州を通じて共通した社会の動きでした。

ルソーは啓蒙思想家である訳で、社会の旧制度(アンシャン・レジーム)を批判し、人間の平等性を訴え、子どもの権利を主張しました。『エーミール』という本は、いかにして理想的に子どもを教養人に育て、しかも人権思想を持った、社会の歪みで心が歪んでいない、「人間本来=自然(ナテューラ)」の存在である人間を育て上げるか、理念的な方法を説いたものです。

「人間本来=自然」において、社会階級などはなかった、人間は平等で、互いを愛し、自然を愛し、豊かな芸術的感性を持っていたというのが、ルソーの考えです。

しかし、人間は、その語ったり論じたりした「思想」と、その人の「生き方」が必ずしも一致しません。一致する人の方が珍しいのです。ルソーは、教養人として認められてからは、パトロン・庇護者もおり、結構裕福だったのです。

しかし、彼は複雑な性格の人で、自己のなかにある「性的倒錯」を、当時のキリスト教社会の常識に反して、『告白』のなかで、堂々と記し、これまた「人間本来」であり、「自然」であるという主張にもなるのですが、個人としては、かなり利己的な勝手な、ナルシスティックな人でした。

ルソーは、愛人に何人かの子どもを生ませますが、孤児院に入れたり、捨て子にさせたりと、自分の子どもに対する愛も、育てる意志も、そういうものは持っていませんでした。それは、育てるだけの豊かさがあったにも拘わらず、子どもを棄てさせたからです。

この理由には、ルソーの性格や人格上の何かの複合感情があったのかも知れませんが、事実は、実の子を、育てる財力があったにも拘わらず、イヌの子を棄てるように見捨てたということで、『エーミール』などで主張していたことと、実際に我が子にしたことが、あまりにかけ離れていたので、教養人のあいだでは非難する人が出てきます。

『告白』を書いたことで、ルソーは「大悪人」だという評価がイギリスなどではあり、フランスでも、道徳を無視する社会の破壊者で、「悪人」だという評価もあったので、ルソーが、自分の子どもを無慈悲に棄てたことは、彼を非難する材料にもなったのです(ルソーは、フランスから追放されたか、されかかったはずです。またはイギリスかどこかに避難したはずです。危険思想の持ち主として排斥されたのです)。

なお、子どもが死ねば、また生めばよい、というのは、当時の庶民一般の普通の考えですし、富裕な者も、貴族などでも、そういう考え方をしていました。

『旧約聖書・ヨブ記』の始まりと終わりの部分を見ると分かりますが、神はサーターンの勧告を入れ、ヨブに厄災を与えることにし、彼の息子娘などは皆死にます。また彼の財産も失われます。ところで最後には、神はヨブの義人であることを認め、また、彼には、前にもまして、多数の息子や娘が生まれ、財産も殖えます。

これを読んで、財産が回復するのはともかく、ヨブの息子や娘たちの「人権」を神は顧慮していないのか、という疑問を感じたことがあります。死んだ息子や娘が甦った訳ではありませんから、新しく、息子や娘が生まれたと云っても、これでは、何かおかしいのではないかということです。

こういうことが『旧約聖書』に載っていますし、中世・近世の西欧社会では、「子ども」の概念がなく、子どもの権利を守り、子どもを庇護するという思想もなかったので、死ねば、また生めばよい、というのは、それほどひどい考えでもなく、普通の考えだったのです。

ただ、子どもの権利や人権などを主張して、危険思想の持ち主とされたルソーが、行動で、おかしな矛盾することをして、利己主義者ぶりを発揮したので、批判に勢いを付ける、糾弾の声として、こういう非難になったのでしょう。

子どもが増えて、人口が増えると、戦争や厄災が起こって、人口をまた元に戻し、世のなかのバランスは維持されているのだ、というのは、「事実」だったのですが、それが神の秩序、天の秩序という思想が、東西で一般にありました。
 
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哲学でなくて.ドイツ文学の話しだから.マーいいですか。


>どういうことなんでしょうか?
ドイツ文学の根底に流れる考え方が
>子供は邪魔物
という考え方です。キリスト教とは.多少ずれた考え方(魔女思想など)があります。
元々キリスト教は.権力者(地域豪族+豪族の支援を受けている教会)による民衆支配の考え方を示しているものです。民衆には民衆の考え方が存在しています。
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ネットで検索してもそういった話は見当たらなかったので、


かってな想像です。

edogawaranpoさんも指摘していますが、当時のヨーロッパでは、
子供の死などめずらしいことではありません。
奥さんは落胆したでしょうが、それを慰めるためにそういったのではないでしょうか?
いつまでも死んだ子供に執着するのも不健康ですよね。

それにしても、キリスト教って「増えよ、満たせよ・・・」
を思想にしているのに、edogawaranpoさんの
「ヨーロッパ全体として「子供は邪魔物」という考え方が普及しているかと思います。」
というコメントは、どういうことなんでしょうか?
(反論でなく、単なる疑問です。)

うーむ、回答者同士の質問は禁止されていますが、
わざわざスレッドをたてるのも・・・と思いまして。
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たしか.ルソーはフランス人でしたよね.ドイツ人でしたか?。


当時.ルソー程度の低所得層は.子供を育てるだけの収入がありません。そのため.子供が産まれると.孤児院に預けます。
「孤児院」といっても.実状は.子供を預かり.1週間食料を与えず殺して.大きな穴の中に死体を投げ込む場所で.また.施設自体もけして大きな用地があるわけではありませんので.穴が死体でいっぱいになったらば.すぐ隣に新しい穴を掘り使用します。当然.すぐに掘り返すので.場合によっては腐りかけの死体が出てくるのです。死体臭が孤児院の付近一帯に広がり.ある種の特別な空間を構築しています。
ルソーは.たしか.3(2?)名の子供を孤児院に預けています。

つまり.当時ルソーの生きた時代の低所得者層全般に普及していた考え方です。
なお.ルソーは「子供を孤児院に預けた」として.同業者から批判を受けています。

ドイツでは「子供は親の生活を脅かす侵略者」という考え方が普及しています。おそらく.ヨーロッパ全体として「子供は邪魔物」という考え方が普及しているかと思います。なお.十分な所得がある家庭では生まれた子供は乳母に預けます。乳母が育て礼儀作法を教えて.その後に親元に戻るのです。ヨーロッパ文学における「乳母」と「親に会う」という意味については.日本の考え方と大幅に異なります。
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そんなにひどいことでしょうか。



鏡が割れてしまった、ならまた買えばいい、というのと同じことだと思いますが。それがごくごく自然なあり方ではないでしょうか。ルソーという人は自然に戻ることを主張したわけですから、言ったとしても別におかしくはないと思います。

現在の日本では、出生率が低下していますから、また子供をつくればいい、なんてことが言えますが、当時のヨーロッパに今ほどの医学があるはずもなく、また、衛生的なことも考えられておらず、子供が夭折する確率が非常に高かったのです。したがって、子供の死というのは、今の日本よりもずっと身近なものだったはずです。

もちろんルソーは男性ですから、出産の苦しみを知りませんので、こういうことを言うのは無責任と思われるかもしれません。しかし当時のヨーロッパで、女性の地位は高くなかったことから、これを現代の男女平等の観点から、「敵性思想」であると決めつけることはできないと思います。

思想というのは多かれ少なかれ時代と世相を反映しますので、その時代について考えることで、「この人そんな変なこと言ってたの?」と思うことはなくなると思います。

本来の質問の、「出典」ですが、今はちょっとわかりません。もしわかるようでしたら、また回答したいと思います。
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ルソーはエミール(でしたっけ?)を書いたわりには、本人は良くない男だった


と聞いたことがあります。

詳しく知っている方がいたらうかがいたいですね。
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赤ちゃん死亡したらまた作ればいいのになぜニュースになるのですか?
手間がかかるから?
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Aベストアンサー

これ、最近読んだ記事なんだけど、役に立つかも。http://gigazine.net/news/20170528-children-worthless-priceless/

Q言葉の意味「銀行は雨の日に傘を取り上げ、晴れの日に傘を貸す」

はじめまして。
松下電器の松下幸之助さんの言葉だと思うのですが、「銀行は雨の日に傘を取り上げ、晴れの日に傘を貸す」という言葉の意味を教えてください。
インターネットでいろいろ調べたのですが、どうも正確な意味を捉えているものがなさそうで・・・。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

幸之助さんの語録かどうかがわかりませんが、この言葉を引用してSe○buの問題を解説しているサイトがありました。意味的には同じことと思います。
検索で利用した言葉は「雨が降れば傘を」と「銀行」です。

参考URL:http://consul.club.or.jp/item/183

Qチャールズがカミラさんにこれほど惚れたのは何故?

イギリス王室の世紀の結婚式を拝見してました。
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ご覧になってたんでしょうか?
いつも疑問に思ってたのは何故美しいダイアナさんよりあの下品なカミラ
さんと長い間不倫を続け、愛を注いだのでしょうか?
男女間のミステリーを感じます。
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カミラはちゃっかりとイギリス王室の一員となってしまった。
カミラの前の夫が彼女は凄い床上手だと発言したのを記事で読んだ
事があります。
"君のタンポンになりたい”という信じられない言葉を盗聴されてしまった
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そこまでカミラを愛し続けたのは何故?相性?同じ趣味?価値観?
真面目に答えて欲しいです。

Aベストアンサー

真面目に答えます・・・。

カミラの曾祖母はエドワード7世(イギリス国王)の長年の公妾にして最愛の女性であるそうです。
そして更に遡ればリッチモンド公爵チャールズ・レノックスの血筋だとも言われてます。

充分に王妃としての素質はあったように思います。

ダイアナと結婚以前からカミラとは関係があったようです。(すでに最愛の人だったみたいですね)
何故、カミラを最初に王妃にしなかったのかまでは王室の事ですので分かりません。
ただ、チャールズ皇太子は伝統に対して抵抗したがるところが見え隠れする方みたいですが、伝統を破るほどの革新的な王子ではないそうです。

ダイアナは正直、自分の言いたい事を言う、好きな時に好きなことを楽しみといった自由人で強く、暖かい人情のある方だったそうです。
しかし一般的な母性はあるとしても極端に甘えさせてくれるなどの懐の深さはなかったようです。

チャールズの母であるエリザベスは王女だった為にチャールズに対して母として接する機会があまりなく愛情不足だったと思われます。
チャールズは気難しく理屈っぽい。正直さ、率直な振る舞いが特徴です。
伝統や格式を担う公人としては適役と思われます。

そして問題なのが、公人としてダイアナを妃にした事としかしダイアナは公人としてでは無く私人として愛して欲しかった事です。
ダイアナは彼を変えられると幻想を抱いてたのかもしれません。
ダイアナは言いたい事を言う性格ですので、キレて文句を言う日々が続いたのかもしれません。
しかし、チャールズはグッと考え込んで大事な事だけ発言するタイプです。
ですから元々の性格は真逆だったと思われます。
その為チャールズはダイアナに寄りつかなくなったのかもしれません。

もちろんダイアナは理屈を理解しようと努力をした事は伺えるのですが・・・理解は出来ても許容する事が出来なかったと思われます。

そしてカミラの場合は難しい理屈などは置いておきたい人のようです。
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ドロドロとした三角関係にあってもチャールズの事を理解しそして許容する事が出来る方のようです。

気難しい彼に対してデリケートな部分を刺激したりしない、とても尊重してくれる方だと言われてます。
そして最大の彼女の魅力は強い母性愛です。
愛する男性を子の様に慈しみ、命を捧げて生涯を守るほどの古典的な母たる姿勢を崩さなかった事と周りから何を言われても誇り高く、強い女性であった為にチャールズにとっては不可欠な女性だったのだと思います。

長くなりましたが、カミラとダイアナでは性格が真逆であることは一番の原因だったのではないでしょうか?
ただ、誰が悪いとかでは無いと思います。

私も最初は否定派でしたが、現在はお二人の関係を暖かく見守って差し上げたい様な心情です。

真面目に答えます・・・。

カミラの曾祖母はエドワード7世(イギリス国王)の長年の公妾にして最愛の女性であるそうです。
そして更に遡ればリッチモンド公爵チャールズ・レノックスの血筋だとも言われてます。

充分に王妃としての素質はあったように思います。

ダイアナと結婚以前からカミラとは関係があったようです。(すでに最愛の人だったみたいですね)
何故、カミラを最初に王妃にしなかったのかまでは王室の事ですので分かりません。
ただ、チャールズ皇太子は伝統に対して抵抗したがるところが見え隠...続きを読む

Qもうすぐ6歳の娘を施設に預けようと思っています

初めてこちらを利用させて頂くので、何かおかしいところがあったら申し訳ございません。


17歳の時に出産、娘が8ヶ月の時に離婚し、母子家庭で育ててきました。
小さい頃から私にあまり懐かず、他の大人のところばかり行く子供でした。
赤ちゃんの頃はとても可愛くて、面倒を見ていたのですが
大きくなるにつれてどんどん私の中の娘への愛情がなくなっていきました。

最近では、どうしてこの子がこの家にいるんだろう?と泣いてしまいます。


先日行われた運動会では、お遊戯の前後に並んでいた年中さん(娘は年長です)を
意味もなく突き飛ばすということを何度も繰り返ししていました。
前に立っていた女の子は「痛い!」という顔をするのですが、何度何度も突き飛ばすんです。
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明らかな嘘をついているんです。
お子様の運動会を楽しみに、ビデオ等に撮られていただろうに
そんな大切なビデオに写っているのが年長さんに突き飛ばされているわが子の姿だなんて、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです…。


私は先月、体調不良で倒れ、熱が42度まで上がってしまい、
体が動かなくなって父親に救急に運んでもらって入院となったのですが、
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点滴を24時間していた為、「お母さん針が刺さってるから痛いよ!やめて!」
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「病院だから、静かにしていようね」「わかった!」と私の父と約束してきていたようなのですが
何度「痛いからやめてほしい」「お母さんここままじゃ死んじゃうよ」
「隣で寝ている人に迷惑だからやめようね」と色々言ってみたりしたのですが一向にやめません。
後から聞いてみたら、「遊びたかったから」と…。


とにかく、悪いことには、
「なぜそれが悪いのか?」と順序立てて説明をしても、
ヤダ!だって!でも!したい!
最後には なんでや!!と逆切れ。


ちゃんと約束を守ったら、○○あげるよ!とご褒美で釣ってみても
言うこと聞かなかったら本気で叩いてみても
逆に怒らずにとことんやさしくしてみても
娘ちゃんが逆にされたら辛いよね?とか諭してみても
何をしても変わってくれないんです。

未だにおもらしもなおっていません。
(これはもう病気の一種だと思って、叱ったりすることはしていませんが…やはりそれも正直、私のストレスのひとつになります…毎日されるので…)



私が本当にしんどくても、私の為にと父親が買ってきてくれているジュースを全部飲んだり
本当に人の気持ちが分からない子なのではないかと思い、保育園に相談しても
先生は「保育園ではそんなことないんですけどねぇ」と言うんです。


思い切って職場の方に預けたことがあるのですが、(37歳と38歳の方で、お子様も3人います)
「正直に娘のことをどう思いますか?」と聞いたところ
「自分の娘だったら絶対イライラする」
「もし自分の娘だったら手をあげてしまう」と言われました。
(職場の方の配慮が足りないわけではなく、私が本当に悩んでいたので
正直に話してほしいという気持ちを汲んで頂いただけです)

また、私がいないことに調子づいてか、
職場の方の顔をパンチで殴ったりもしていたそうです。



私自身、人間が出来ていないと思います。
娘が産まれる前は本当に子供が好きで好きで、
早く子供がほしいと思っていましたが
娘を育てていくにつれて、世の中の子供全てがどんどん可愛くなくなってきてしまいました。

とにかく一緒にいるのが苦痛です。
本当に人間として駄目人間だと思います。
育児を一生懸命なさっている方が気分を害されてしまったら本当に申し訳ないです。

でも、自分なりにいっぱい頑張ってみて
色々試してみた結果、やっぱり娘も私のことを好きじゃないようにしか見えません。
この短い文章だけで娘の6年間は伝わらないと思いますが、
私はこの6年間で娘が母親である私を軽視していることを確信しています。
確かに子供なので、自分が一番なのは当たり前なのですが
その限度を超えているように思うのです。


とりあえず、一度数ヶ月離れたほうがいいと友人からアドバイスを受け、
父親もその意見に賛同してくれました。

数ヶ月離れてみて、私がいない生活を娘が望むのなら
そのまま施設に入れようと思います。

また、その数ヶ月の間に私の気持ちが万が一変わって、
もう一度娘とがんばってみようと思うかもしれない。。


数ヶ月の間一時的に子供を預かって頂くという施設はあるでしょうか?
無知で申し訳ございませんが、どうぞ宜しくお願い致します。

(母親は遠方に住んでおり、父親は仕事の時間が不規則の為預けることが出来ません。
また、友人等にもこんなとんでもない娘を預ける勇気はないです…
なので、施設という手段をとりたいと思います)、


読みづらい文章で申し訳ないです。
施設以外のことでも、何かご意見がございましたら是非、お聞かせ頂けたら嬉しいです。

初めてこちらを利用させて頂くので、何かおかしいところがあったら申し訳ございません。


17歳の時に出産、娘が8ヶ月の時に離婚し、母子家庭で育ててきました。
小さい頃から私にあまり懐かず、他の大人のところばかり行く子供でした。
赤ちゃんの頃はとても可愛くて、面倒を見ていたのですが
大きくなるにつれてどんどん私の中の娘への愛情がなくなっていきました。

最近では、どうしてこの子がこの家にいるんだろう?と泣いてしまいます。


先日行われた運動会では、お遊戯の前後に並んでいた年中さん(娘は年...続きを読む

Aベストアンサー

再度。

他の方のお礼欄を読みました。
検査に保育園の先生が反対されたのですね。

私も教員ですが、確かに、昨今のすぐに診断名を付ける風潮は好きではありません。
保育士さんの言う「一生レッテル」の話も、そういう例もあります。

しかし、と同時に、

医者ではない教員や保育士が、「検査するべき」「検査してはいけない」
などと言うべきではないとも思っています。

もちろん、集団の中で違和感を感じればそれを親御さんに伝え、
検査を勧めることはあります。
けれど検査をを強要したり、またその逆で、無理に止めたりすることは、
医者ではないのだから、やってはいけないことだと思うのです。

あくまで、
「検査した方がいいですよ」
「検査は必要ないと思いますよ」
この程度です。

今実際、親御さんは「困っている」わけです。
だったら、それを相談すればいいのだし、
保育園では全然問題ないという保育士さんの見解も、
お医者さんにそのまま伝えればいいのですよ。
園と家庭で見せる顔が違うなんてこと、よくあることですから。

お子さんと長い年月過ごすのは、親なのです。
最終的な責任を負うのは、お子さん自身、そして、親なのです。
教員や保育士など、一過性の責任者にすぎません。

だから、最終的な判断は、親御さんがすればよいと思うのです。

検査の必要性については、
他の保育士さんにも聞いてみてください。
検査についての考え方や、知識も、人によって様々です。

その保育士さんの意見は一つの意見として、
また別の方の意見も聞いてみると、参考になると思いますよ。

再度。

他の方のお礼欄を読みました。
検査に保育園の先生が反対されたのですね。

私も教員ですが、確かに、昨今のすぐに診断名を付ける風潮は好きではありません。
保育士さんの言う「一生レッテル」の話も、そういう例もあります。

しかし、と同時に、

医者ではない教員や保育士が、「検査するべき」「検査してはいけない」
などと言うべきではないとも思っています。

もちろん、集団の中で違和感を感じればそれを親御さんに伝え、
検査を勧めることはあります。
けれど検査をを強要したり、またその逆で、...続きを読む

Q子供の死の乗り越え方

内容に不快感を持たれる方がいらっしゃいましたら、申しわけありません。予めお詫び致します。

私は今年の初めに娘を突然亡くしました。前日まで元気でした。
おっぱいをあげてから寝かしつけたのは私です。娘は寝かしつけた1,2時間後に亡くなったようです。深い眠りについてしまった私は、翌日起きるまで、娘の異変に気が付きませんでした。主人も良く眠っていると思ったようで、朝早く、起こさないようにそっと出勤したようです。

発見した時、助からないのは一目で分りました。
冷たく硬直した体を必死で温めて、人工呼吸や心臓マッサージをしたり、動かしたらいけないのは分ってるのに、救急車が来るまで、何かせずにはいられませんでした。目の前にあるのは絶望でした。

警察の現場検証と司法解剖の結果、「原因不詳の死」でした。私は半狂乱で警察の方に「娘は私が寝かしつけました。だから私が殺したのも一緒です。なぜ私は裁かれないのですか?」そんなことを言ったように思います。殺したのか?と聞かれれば決してそんな事していません。

警察関係者、家族、友人誰一人として私を非難する人はいませんでした。非難されれば、それは、とても辛いことなので、感謝しなくてはいけないと思いますし、周りの温かさに随分救われました。なぜ自分は自分を許せないのでしょうね。自分を責める事で自分を守っているのでしょうか。かわいそうと思ってもらいたい、同情して欲しい・・・心の中ではそんな気持ちもあるような気がします。情けないですね。

警察では「現代の医学では解明できない数十万人に一人の割合で起こる原因不詳の死。事故死でも窒息死でも無く、乳幼児突然死症候群とも分類しがたい。8ヶ月で亡くなってしまった事、それが娘さんの運命だったと思います。」そう言われました。

沢山笑ってくれるようになりました。とっても元気にバタバタ手足を動かして、お名前呼ぶと、にや~として。でも、もう何もしてあげられません・・・もう会えません。一緒に桜並木をお散歩するのが夢でした。温かくてふわふわしてたあの子はもういません。娘があまりにも大きな幸せをくれたので、失ったものの大きさに押しつぶされて、泣いてばかりです。小さな小さな体に全身メスを入れられ、本当に最後まで良く頑張ってくれました・・・・。そして最後にかわいそうな事をしてしまいました。

ちなみに、主人は決して、私の前では涙を見せません。一緒にいる時は一生懸命笑わせよう、楽しくしようとしてくれます。でも、私は泣いたり、時に酷い事を言ったり・・・悲しませてしまう。主人が泣いたのを見たのは2回だけです。

これから先、お迎えが来るまで私は悲しみを乗り越えて、生きて行かないといけません。私一人ではどうしても悪い方向に考えてしまいます。皆様の経験談や悲しみの乗り越え方のアドバイスをお待ちしております。どうぞ、宜しくお願いします。

次の子供を作ったらと母乳を止めるために行った病院でも、警察でも言われました。
本当に次に子供を授かる事が出来たら、乗り越えられますか?

私の願いは娘にただ会いたいということです。ママを事を許してくれる?パパとママの事好き?聞きたいことが、話したいことが沢山です。

長文にお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

内容に不快感を持たれる方がいらっしゃいましたら、申しわけありません。予めお詫び致します。

私は今年の初めに娘を突然亡くしました。前日まで元気でした。
おっぱいをあげてから寝かしつけたのは私です。娘は寝かしつけた1,2時間後に亡くなったようです。深い眠りについてしまった私は、翌日起きるまで、娘の異変に気が付きませんでした。主人も良く眠っていると思ったようで、朝早く、起こさないようにそっと出勤したようです。

発見した時、助からないのは一目で分りました。
冷たく硬直した体を必死で温...続きを読む

Aベストアンサー

お嬢様の、18ヶ月の人生はとても輝かしいものだった事と思います。
素敵なお母さんお父さんに愛されて、幸せな一生だったと思いますよ。

私は初めての子(長女)を生後2日で亡くしています。
お腹の中で原因不明の難病にかかり、肺が育たず、しかし体はどんどん浮腫み続け。
医師から、これ以上お腹にいさせたら浮腫みで死んでしまうと宣告されました。30週で帝王切開しました。
けれど肺も育っていないため、呼吸(ガス交換)が出来ず、生後2日目の夜に亡くなりました。

原因不明。お母さんのせいではない。周りからそう言ってもらえて、頭で理解出来ていても、何かに責任を見出そうとせずにはいられないんですよね。だから、自分が悪いのだ、周りもむしろ私を責めてくれた方が私自身も気持ちのやり場が出来るのに、と思ってしまう。
どうかご自分を情けないなんて思わないでください。
私も自分の妊娠中の生活のあらゆる些細なことを責めました。あの時食べたあれがまずかったんじゃないか、あの時自分がしたあの行動のせいだったんじゃないかと…
だけど、私が自分を責める事を亡くなった娘が望むのか?と考えるようになりました。
娘はあらゆる検査で異常を出しませんでした。医師は特発性と言っていました。私にはそれが、娘の優しさのように思えてきました。「誰のせいでもないんだよ、だからお母さん、自分を責めないで。」と言ってくれている気がしたんです。
医師から「手術室から(生きて)出られないかも知れない」と言われていた娘、生まれた姿は全身浮腫みでパンパンでした。でも3日間も生きてくれたんです。
おかげで出生届も出せた。生前の写真も撮れた。ありがとう。呼吸が苦しい中よく頑張ってくれたねと娘を誇りに思っています。

今はそうとは思えないかも知れませんが、質問主さまも、亡くなられたお嬢様に対し、心穏やかに感謝の気持ちを心に満たす事が出来る日が来ると思います。長い年月をかけるかも知れませんが、きっと訪れると思っています。

長女を亡くし2年経ち、次女が生まれ3ヶ月になる今、思い返してみると私は周りに恵まれたと思います。
私も、家族友人みな温かい言葉をかけてくれ、責める人は誰もいませんでした。
長女の死を受け入れられず、お骨箱を抱っこしたり、はだけたおっぱいをあてたり、外出に一緒に連れていった事もありました。そんな私を、周囲は温かく見守ってくれ、気の済むようにさせてくれました。
納骨しろと言う人もおらず、住職さんも「幼くして亡くなった子はまだまだ両親のそばにいさせてあげて良いのですよ」と言ってくれました。
とことん向き合ったおかげで、私は気持ちを押し込める事無く、整理をつける事が出来たと思っています。
質問者さまも、周りのかたの温かさに救われておられるとの事。
同じ立場の者として、本当に良かったと思いました。
どうかたくさん、たくさん泣いて下さい。
そしてどうか、ご主人も気持ちのままに、泣きたい時は泣いて欲しいと願っています。
私の夫は「男は妻を支えなければならないのだ」と過剰に思い込んでしまっており、自分もお骨箱を抱き締めて泣きたいのを押さえ込んでいた為ほとんど泣かず、最近になって堰を切ったように号泣していました。私は夫の状態に気付けなかった事を悔やみ、以後「子供の親である立場として、夫婦は対等な立場なんだよ」と言葉をかけています。夫婦で肩を抱き合って泣くという事が大事だと気付かされました。質問者さまのご主人が、「自分が妻を支える為にも泣いてはいけない」と思わないよう願っています。

亡くなった我が子に会いたいですよね。
ほんとに会いたいです。そして娘と話がしたい。たまにテレビで、第六感にすぐれている外国の方が出ていますが、もしあのように、亡くなった家族と話せる人がいたら、ぜひ我が家に来て欲しい。…なんてありもしない想像をしてしまいます。


>本当に次に子供を授かる事が出来たら、乗り越えられますか?

私自身、いまだに自分が「乗り越えた」状態であるとは思えません(どういう状態になれば「乗り越えた」になるのか定義も曖昧ですし)。
ただ、確かに次女を授かってからは、より自分の今の生活を思いやれるようになりました。
長女が亡くなって間もなくは、頭の中は長女の事ばかり。家の事は何も手につかず、起こった出来事すべてを長女に結びつけ涙してばかり。
だけど日々暮らしていくうちに、やらなければいけない事(買い物、振込み、冠婚葬祭)に少しずつ目を向けられるようになり、涙の量が減っていき、生活に支障はなくなり。
そうしていくうちに、今後の生活に目を向けられるようになり、感情をコントロールできるようになり(小さい子を見ても激しく落ち込んだりしなくなる)。
そして次女を妊娠すると、今まで長女一色だった頭は長女:次女=50:50になり、妊娠生活を健康に過ごすことに頭を使えるようになり。
次女が生まれ、初めての子育てで頭がいっぱいになっている今、長女の事は大切な大切な思い出となって私の心の中にあります。

この過程を経た今、私は確かに今の生活にしっかり目を向けて過ごす事が出来ている。という事だけははっきり申し上げられます。

子供を亡くしたとき、次の子を作る時期は早すぎないほうが良いと聞きます。
次の子に亡くなった我が子を重ねず次の子として捉えられる自信がついた時が、次の子を作る時期なのだとおもいます。


長くなってしまい申し訳ありません。

最後に、参考になるかは分かりませんが、風呂敷に包んだお骨箱を子供だと見抜いた方(お骨を抱えて行った沖縄旅行で出会った、初対面の方)から、後日に頂いた言葉を貼りますね。


「娘さんはとっても笑顔が素敵でした!
本当は産まれる前に寿命でしたが、
あなたの笑顔が見たくて、がんばって産まれてきたってよ。
でも、すぐ亡くなって、お母さんが毎日悲しんでるのを見て辛かったみたいです。

だから、その日はあなたに笑って欲しくて沖縄へ!
念願の誰からも「愛される娘を夢見たあなた」に娘からのプレゼントです!

願いを叶えたのは娘さん。
そしてママの笑顔をありがとう!
最高のプレゼントをありがとう!と
私に笑いかけてくれました。

わかりますか?娘さんはあなたの笑顔が望みなんです。
「産まれて愛される娘」が彼女の望みではないのです。
優しいあなたの笑顔が好きと言ってましたよ。

で、伝えて欲しいと言っていたのはもうひとつ。
「もうすぐ新しい命がやってくるから、心配しないで!その子の為に笑ってて、もう少し待っててね」ってさ。」

お嬢様の、18ヶ月の人生はとても輝かしいものだった事と思います。
素敵なお母さんお父さんに愛されて、幸せな一生だったと思いますよ。

私は初めての子(長女)を生後2日で亡くしています。
お腹の中で原因不明の難病にかかり、肺が育たず、しかし体はどんどん浮腫み続け。
医師から、これ以上お腹にいさせたら浮腫みで死んでしまうと宣告されました。30週で帝王切開しました。
けれど肺も育っていないため、呼吸(ガス交換)が出来ず、生後2日目の夜に亡くなりました。

原因不明。お母さんのせいではない。周り...続きを読む


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