私は中国での日本語科の大学生です。
  今は日本文学を勉強しています。去年の夏休みからいろんな日本語の文章を読んでいて、でも、いくつかの文章は作者がいったい何の考えを文章に表しますか。それに困っています。
   豊島与志雄の「初秋海浜記」
   黒井千次の「水泥棒」
   遠藤周作のの「海と毒薬」
   井上ひさしの「いとしのブリジッと・ボルドー」
   堀辰雄の「赤ままの花」
   国木田独歩の「忘れえぬ人々」
   小倉郎の「日本の耳」
どなた手伝ってくれませんか?
お願いします。

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A 回答 (1件)

こんにちは。

私は学校の先生でも、現役の大学生でもないのですが、難しい科目に取り組んでいるようですので、少しでもお役に立てればと思いました。
まず、各作品の主旨(作者の考え)ですが、作品名をネット上で検索すると、関連サイトが出てきますので、それで主旨がつかめる場合があると思います。『海と毒薬』ですと、ウィキペディアがトップにでてきました。また、この作品は映画化されています。その視点からも主旨を探れると思います。もしも、すでにネットで調べておりましたらごめんなさい。
後は、作者のエッセイ本や随筆集を読んでみる。意外に作品について語っていることが多い気がします。古本屋さんは名著の宝庫ですよね。
また、手に入るかどうか分かりませんが、日本の中学、高校で教科書と共に配布される『国語便覧』という資料集があります。これは近現代の日本文学、詩歌、漢文などを文学史の形式でまとめたものです。代表作には解説がついてます。古本屋さんにあれば、一度見てみてください。
本来ならここで作品の主旨を述べられたらかっこいいのですが、すみません。
勉強、がんばってください。応援しています。
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この回答へのお礼

 先生、どうもありがとう。私がネットで探したけど、黒井千次の「水泥棒」、井上ひさしの「いとしのブリジッと・ボルドー」のあらすじはありません。
 今は中国にいます、日本語はまだ上手ではありませんが、上記の作品のあらすじが教えられば幸いです。

お礼日時:2007/04/05 19:39

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Q遠藤周作「海と毒薬」実際に人体実験が行われたのは九州大学?

この事件は新聞報道もされたらしいのですが、
九州大学で正しいでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。

報道記録についてはわかりませんが、九州大学医学部で正しいようです。

1945年5月から6月にかけて本土空襲で捕虜となったB29搭乗員若干名を、九大医学部の一部において、西部軍監視のもとに軍事医学上の実験材料とした事件という事です。(下記URLをご参考までに…。)

参考URL:http://www.coara.or.jp/~itoshima/endo.html

Q堀辰雄の「風立ちぬ」について

今、大学のある講義の夏休みの課題として出されているレポートがありそれをしている最中です、最後の大詰めに今回の事を入れようと思っているのでご協力をお願い致します。

堀辰雄の「風立ちぬ」で読者に一番言いたい事は何なのでしょうか?
講義中に教授が仰ったとは思うのですが、馴染めない作品だったので頭に入れる事が出来ませんでした、よく分かりませんでした。
おそらく「風立ちぬ いざ 生きめやも」の部分だったと思うのですが、どう言う意味なのでしょうか?
大体「生きる」を意味するとは思うのですが。

*別に投げ出して質問している訳ではありません。
 自分なりに少しは解釈しています。
 皆様のご協力を本当にお願い致します。

Aベストアンサー

「生きめやも」=め→意思助動詞のむ、やも→反語の助詞
「さあ 生きようか、生きまいか」という意味ですね。

節子だけではなく私も生き続けることに不安がある。さあどうしよう? というような意味ではないかと思います。ただし、「いざ」という語感により「生きていくぞ」という意思も感じられないわけではありません。

全体とのつながりは、

・婚約当初の庭、節子「私、なんだか急に生きたくなったのね…」と言って「あなたのお陰で」と付け足す。

・サナトリウムで、私「…私がそれをこの女と供にしているからなのだ、、といふことを私は確信していられた。」

・最後、冬のK村、私は「鎮魂歌」を読みながら、こんな寂しいところにいられるのも「みんなお前のお陰だ」と考える。

以上、これらのことから、節子の生前はささえあっていた。しかし、私は節子の死後も節子の愛に支えられている。風の中で「生きめやも」と漠然とした意思は、いまやはっきりとわかったのだ。

というような感じですかね。

Q堀辰雄の『風たちぬ』

日本語学習者でございます。

ある教科書に堀辰雄の作品、『風立ちぬ』の紹介がありました。

『ヴァレリの詩「海辺の墓地」中の一句「風立ちぬ、いざ生きめやも」から表題をとった中篇小説』
と書いてありますが、
それは日本の古文かな?と思ってて調べたら、全句の翻訳が見つかりました。
でも、古文を勉強したことがありませんので、文法的にはいまいちわからないのです。

『風立ちぬ』ってなぜ「立ちぬ」なのか、みたいなことまで知らないぐらい古文についてまったく知識がない私に、
その詩の意味を説明していただけませんか。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

堀辰雄の
「風立ちぬ、いざ生きめやも」の部分を説明すればよろしいのでしょうか? 

・風立つ: 風が出てきた。
「立つ」とは、その時に、風が一回だけ、さあっと通り過ぎたというものではなく、今まで静かだった辺り全体に、風が吹き始めたという感じです。

・(風立ち)ぬ: 完了・強意の助動詞終止形。
動詞が示す動き(ここは風立つ)が完了したことを示します。

ということで、「風立ちぬ」は「風が立った」とか「風が出てきた」などと考えればいいと思います。

・いざ: さあ、いよいよだ
「さあ、でかけよう」にくらべて「いざ、出発」と「いざ」を使うと強い意思を感じるようになります。

・(生き)め: この場合は意思の助動詞「む」の已然形
 意思:生きていこうか
 「可能」ととれば「生きることができるだろうか」になります。しかし、ここは意思でしょう。

・(生きめ)やも: 反語の助詞
「~か、いや~ではない」

ということで、「いざ生きめやも」は「さあ、生きていこうか、いや死のう」という意味になります。

しかし、出典である堀辰雄の「菜穂子」の内容からいけば、「生きていこうか、生きていくまいか、いや生きていくぞ」という意味の方が合っています。大学では、「文法と解釈」を考える題材としてよく取り上げられるようです。

ちなみに、もともとのヴァレリーの詩は、
「風が立った、私たちは生きようとしなければならない」といような意味です。この意味であれば、読者が望む形で「菜穂子」の内容ともピタリ合致します。しかし、堀辰雄はそう書かなかったわけです。「なぜでしょう?」というのがポイントになるのでしょうね。

この問いには正論はあっても正解はないと思います。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1600841

堀辰雄の
「風立ちぬ、いざ生きめやも」の部分を説明すればよろしいのでしょうか? 

・風立つ: 風が出てきた。
「立つ」とは、その時に、風が一回だけ、さあっと通り過ぎたというものではなく、今まで静かだった辺り全体に、風が吹き始めたという感じです。

・(風立ち)ぬ: 完了・強意の助動詞終止形。
動詞が示す動き(ここは風立つ)が完了したことを示します。

ということで、「風立ちぬ」は「風が立った」とか「風が出てきた」などと考えればいいと思います。

・いざ: さあ、いよいよだ
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Q遠藤周作の記述に関して

「魅力あるもの、キレイな花に心を惹かれるのは、誰でもできる。だけど、色あせたものを捨てないのは努力がいる。色のあせるとき、本当の愛情が生まれる。」

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『愛する勇気が湧いてくる本』ではないでしょうか?
「愛とは苦しみを通して他人と結びつくこと。
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Q 遠藤周作氏のご子息 龍之介 の命名由来

 最近、作家の遠藤周作氏が、ご子息のお名前を龍之介と付けたことを知りました。
 カトリック信者だった遠藤氏と、死の床でキリスト教を否定する文章を書き続けていた芥川龍之介では、こと宗教に関する限り正反対の立場だったと思います。
 非常に違和感を感じました。

 どなたか、遠藤氏がご子息に龍之介と名付けた理由をご存知の方はいらっしゃいませんか?
 また、そのことについて記述のある文章を、ご存知ありませんか?

 なお、ウィキの遠藤周作の項目には、下記のような記述があります。

長男 龍之介
芥川賞受賞にちなんで龍之介と命名。2007年6月よりフジテレビジョン取締役。父周作との子どものころの約束は3つあり「うそをつかない。ともだちを裏切らない。弱い人間を馬鹿にしない」だった。また会話は、敬語を用い、周作からは含みを残す言い回しや比喩を用いた表現を常としたとの回想がある。

 また、遠藤周作文学館、遠藤周作学会のHPも見てみましたが、おそらく、回答できそうも無いと思いました。

 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

pinaisa-la さん、こんにちは。

遠藤周作がご子息の名を「龍之介」とした真意については知るよすがもありませんが、彼の芥川をどのように評価していたかについて、

>カトリック信者だった遠藤氏と、死の床でキリスト教を否定する文章を書き続けていた芥川龍之介では、こと宗教に関する限り正反対の立場だったと思います。

と捉えるのは、やや表層的すぎるかもしれませんね。

もちろん、遠藤周作は正真正銘のカトリックでしたが、狭義のバチカンの教義の信者というよりも、人間の愚かさや弱さを慈愛をもって凝視することこそが、むしろカトリックのより深い教義なり、神髄なりにかなうはずと信じて疑わなかったのではないでしょうか。
だから、晩年に近づくにつれ、浄土真宗やアジア思想に接近したり、その延長線上に『深い河』を執筆することになったのではないでしょうか。

ご存じのように、芥川の切支丹物の中には、「お吟」という、棄教をテーマにした好短篇がありますが、遠藤はこの小品を絶賛しておりますし、代表作『沈黙』にしても、芥川の「お吟」に通底するテーマが認めれると言っても決して過言ではないような気がします。
その意味では、芥川がキリスト教に抱いていた、一種二律背反的、憎悪愛的な思いは、実は遠藤のキリスト教観とも微妙にかなり重なり合うところがあったのではないでしょうか。

ということで、想像を逞しうするなら、遠藤周作は芥川の人間的脆弱さを、ほかでもなく自分自身の問題として引き受けて生きていたからこそ、「龍之介」の名をご子息のために譲り受けようとしたと考えられなくもないような気がします。

pinaisa-la さん、こんにちは。

遠藤周作がご子息の名を「龍之介」とした真意については知るよすがもありませんが、彼の芥川をどのように評価していたかについて、

>カトリック信者だった遠藤氏と、死の床でキリスト教を否定する文章を書き続けていた芥川龍之介では、こと宗教に関する限り正反対の立場だったと思います。

と捉えるのは、やや表層的すぎるかもしれませんね。

もちろん、遠藤周作は正真正銘のカトリックでしたが、狭義のバチカンの教義の信者というよりも、人間の愚かさや弱さを慈愛をもって凝...続きを読む


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