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音楽とは音(波)とリズムの集合体というのが私の認識ですが、何故、人はそれに感動したりするのでしょうか?

音(音楽)次第で、悲しくなったり、嬉しくなったり、楽しくなったり…。
実に不思議です。

どうぞ、よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

こんにちは。


音楽といいますのは、元々ひとの心を動かす目的で作られたものです。
心が動くというのは神経系に反応が発生するということです。心の動きを司る神経系には、視覚や聴覚から得られる知覚刺激に対する「反応規準」というものがあり、我々動物は、この反応規準に従い「反射」や「情動反応」を発生させます。そして、この神経系の反応規準には、我々人間が生まれながらに持っている「人類共通」の遺伝的な決まりがあります。基本的には、「報酬刺激」を与えてやれば「快情動」が発生し、「嫌悪刺激」であれば必ず「不快情動」が発生します。このルールに従って音楽を組み立ててやれば、人間の心はその通りに動くということですね。
「済んだ音は美しい」
「軽快なリズムは心地良い」
「赤い色は鮮やかだ」
「緑色は心が安らぐ」
「左右対称は安定感がある」
全ての芸術は、このような人類共通の要素を組み合わせることによって作られます。ですから、それは万国共通であり、作曲家や演奏家は、これによって自分の意志を相手の心に伝えることができるわけですね。

音楽とは「高揚感をもたらす奏音」と定義されます。
音には「音程」「音色」「音量」といった要素があり、音楽はここに「時間的変化」が加わります。そして、この音の三つの要素と、その時間的な変化によって我々の心に高揚感、即ち「心の動き」をもたらす条件には次のようなものがあります。
「低い音から高い音への変化」
「小さな音から大きな音への変化」
「単純な音色から複雑な音色への変化」
「ゆっくりとしたリズムから速いリズムへの変化」
「一定時間内にバランス良く現れる変化」

我々の「情動反応」には「快情動」と「不快情動」の二種類しかありません。では、これでどうやって音楽を楽しめというのでしょうか。ですから、「音の変化」によってその快・不快を揺さ振ってやれば良いわけです。
大概の楽曲は、主題に始まって次第に変化し、サビの部分ではより変化が大きくなり、再び元に戻りますよね。このとき、我々の心の中には以下のような変化が発生します。
「安心―注意―不安―緊張―安心」
変化が複雑になると注意力が高まります。そこで、与える刺激をどんどん強くしてゆきますと、今度は不安を通り越して緊張感を覚えます。この緊張感が高ければ高いほど最後の安定感が大きくなり、「ああ、素晴らしかった、感動した!」ということになります。

「音色(音質)」といいますのは「周波数の倍音構成」によって決まります。
音程といいますのは音の周波数です。例えば「ラの音(A3)」というのは440Hzという「正弦波」ですが、通常、音というのはこのような純粋な正弦波だけでは存在せず、様々な周波数が混ざり合っています。この混ざり合いの構成が440Hzに880Hzといった「倍音関係」の場合は音程の識別が可能です。
我々の耳には、この倍音構成が単純で正弦波に近いものは「済んだ音」に聞こえ、複雑なものは「豊かな音」に聞こえます。これは他の動物にも言えることですし、当然のことながら全人類に共通の反応です。同じ周波数の「ラの音」でも、フルートとバイオリンでは音色が違うのはこのためですね。そして、更に倍音が複雑になりますと、今度は耳障りになり、仕舞いには音程の判別できない「雑音」になります。我々はこのようにして「済んだ音」「ふくよかな音」「耳障りな音」を判別しています。良い音は「報酬刺激」、耳障りなものは「嫌悪刺激」として処理されるわけですね。

「音程」といいますのは「音の周波数」ですが、音楽ではこれを「音階」に整理して使います。
「音階の解明」は古代ギリシャの数学者ピタゴラスに遡ります。まず、二つの音の「周波数比」が二倍の関係にあるものは同様に響き合う「オクターブ」であることが判明します。このあと、周波数比が「4:5」「2:3」といった整数倍であるものは美しく響き合うことが分かり、それぞれの音の整数倍関係にあるものを選んでゆきますと、それがオクターブを十二分割する「音階」となりました。つまり、「音階」といいますのは元々人間の耳に心地良く響き合う音を並べたものです。これによって、ひとの心を動かすためのルール・法則が生み出されたわけですね。
この音階というルールに従って音の時間的変化を組み合わせますと、我々はそこに「調性」というものを感じ取ることができます。ですが、これがルールに従わない不規則なものである場合は、この「調性」を捉えることができません。調性を感じられないということは、どのように心を動かしたら良いか分からない、即ち、我々はそれを音楽として理解することができないということになります。

長調や短調といった調性の違いは和声を構成する「音の周波数比」によって決まります。
長調を表す和声は二つの音の周波数比が整数倍関係にある「長三度」であるため、非常に安定した明るい響きに感じられます。これに対しまして、短調の「短三度」では半音が加わるため、整数的に割り切れない不安定感が発生します。我々はこの不安定感に対して「哀愁」「悲しみ」を感じ取ります。
心地良い響きに高揚感を味わうのは動物として当たり前のことですが、わざわざ「不安」という要素を作り出し、それによって架空の悲しみを体験するというのは、それは人間の思考が高度であるからです。更に、7度、9度、13度と周波数比が複雑になりますと、不安を通り越して「緊張感」が発生します。モダン・ジャズでは専らこのような演奏が多用され、我々はそれを適度な緊張感として楽しむことができます。このように、本来生得的には受け入れられない刺激を受け入れようとするならば、それには「学習」が必要です。このため、ジャズは知的な音楽とされています。

このような、ジャズやクラッシクのように、人間の知的欲求に基づいて高度に進化してきた音楽に対し、我々の動物としての生得的な欲求に従って自然発生的に生まれてきたのがアメリカ黒人のブルースです。
主音に対しまして整数倍の第4音が演奏されますと、我々は整然とした安定感と共にそこに調性を感じ取ります。やがてそれが第五音に展開しますと、その調性における大きな変化として注意力が高まり、緊張感が発生します。この緊張感をピークに元の主音に解決するならば、我々はいやがうえにもこの上ない安定感を獲得することになります。このような音程の変化を12小節でワンセットに纏めたものを「スリー・コード」といい、ブルースの基本的な演奏スタイルとなります。そして、これは誰の心にも上記のような高揚感を発生させる音楽の基本設計図のようなものです。ですから、哺乳動物であるならば脳の構造はみな同じなのですから、原理的には、イヌやネコでもブルースは理解できるはずなんです(ちょっと無理かな?)。

クラッシクではこのようなものは長年の歴史の中で研究が成されていました。ですが、これが別なところでも自然発生的に生み出されたのは、それは誰が聴いても心地良いからです。このため、アメリカ黒人のブルースは瞬く間に世界中に広がってゆきます。そして現在、クラッシクと民族音楽を除くならば、このようなブルースの演奏スタイルを取り入れていない現代音楽は世界中にひとつもありません。何故ならば、これこそがひとの心を動かすための必殺技であるからです。我々が音楽に心を動かすのは、そのための要素が巧みに組み合わされているからなんですね。

私はアマチュアのブルース・バンドで長年ピアノを担当していました。ブルースは単純で面白くないというひともいますが、私に言わせれば、これに反応しないのであれば人間じゃありません。事実、我々が普段耳にする音楽は、ビートルズもストーンズもJPOPも、全てがブルースを原点に作られたものです。そして、そこには世界中の誰もが心をときめかす音楽の要素が濃縮されています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
大変参考になりました!
これほどの長文、さぞ書くのも大変だったでしょうに…。

仰る通り、音楽をかけると犬や猫もやってきたり、小鳥が突然家の回りに集まりだしたりと、どうやら動物もちゃんと「音楽」を理解できるようです。
特に鳥類の中にはメスの気を引く為に、演奏までやる種類も存在するようです。

快感(心地よさ)についても、仰りますようリズム(または音階)の美しさ(整然さ)が重要なわけですが、面白いのは美しいだけではダメで、緊張や不安といったストレス(?)による快感(?)も必要で、そういった「負の部分(?)」も含めた美しさが必要とされるようです。

私は音楽に詳しくないので専門的な事は言えませんが、感動には人間の記憶といった様々な要素は当然、関係しているとは思います。
深みのある人生を送った人は、当然感動の度合いも違うと思います。
しかし!、そうでなくとも、何というかそういうのに関係なく「もっと深いところから、何か強烈で巨大なものが心の奥から溢れてくるような」そんな衝動を音楽は与えます。
これが実に不思議でなりませんでした。

私の昔の音楽教師もジャズは音楽の基本だと仰っていました。
よくジャズを好んでかけていましたが、ジャズは仰るとおりほとんどの音楽家が勉強されているようですね。
整然としたリズム(音階)がある(法則)は以前から科学で証明されていますが、面白いのはそれにそって作曲したからといって、必ずしも人々を感動させられるわけではない、という点です。
むろん、ほとんどの楽曲は多かれすくなかれ、法則を踏襲しています。
ただ、中にはその法則から外れている(ように見えるだけで、他の法則を踏襲しているか、もしくはまだ発見されてない未知の法則があるのかもしれませんが)ものもあるようで、まだまだ音楽(人間の肉体の方かもしれませんが)には、奥が深いんだなと感じました。

本当にありがとう御座いました。

お礼日時:2007/04/07 14:37

以前TVでやっておりましたが生物の脳の中には自然界の基本音を聞くとそれに対応する感覚を感じるようすり込みが行われていて(生物は地球よりずっと若いので当たり前だが)命を長らえるのに必要な音を聞き分けるのだと言うことです。


皆様に比べ味も素っ気もありませんが、物事は解析的に考えていくと無味乾燥な原因にぶち当たるものだと思います。
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この回答へのお礼

>物事は解析的に考えていくと無味乾燥な原因にぶち当たる
さぞすごいものがあるに違いない…と思って蓋を開けてみれば、「なあ~んだ…」という繰り返しがある意味、科学ではないかと私も思います。
しかし、私は皆が「なあ~んだ」と思っている事でも、常に疑問と不思議にとらわれる事があります。

例えば、料理。
もう、「ただの化学反応」であり、「脳の電気信号」である事は分かっていますが、「それ自体」が私は不思議でなりません。
あの「濃くのある深い味わい」「これ程までに人を幸福にさせる味」など、何故このようなものが存在するのか?
これはどこから来るのか?

ある意味、もう、これは科学ではありませんね(^_^;)
むしろ、私が必要としている分野は「哲学」なのかもしれませんが、科学とはそういった人間の興味と疑問から始まり、そしてそれを身近に感じさせる事ができるもの、だと私は考えています。

ありがとう御座います。参考になりました。

お礼日時:2007/04/07 14:48

人間の肉体には聴覚があり、神経組織があって、音(空気振動)を電気信号等に変換して、最終的に脳に伝えていますよね。

そこでは信号の強弱や時間に対する変動の様子などが得られます。でも、その信号によって何が感動するか?ですね。
たとえば、車がガソリン満タンになろうと、満腹感で幸福を感じるわけないし、機械が潤滑油をさされても気持ちよいと感じるわけでもないですね。いくら機械にセンサーを増やして、常にベストコンディションをコンピュータが把握できるとしても、感じる主体がありません。SFの「地球爆破作戦」に登場するコロサス、ガーディアンのコンピュータたちは自意識をもって世界平和のためにトンでもない決断を下すのですが、現実にはそんなことは無いですね。

結局、感動する信号があるとしても、それを受けて感じる主体が必要なんです。それがこのジャンルでは違和感のある単語の「魂」あるいは「霊」です。

肉体から得られる情報は、この魂が感じています。じゃあなぜ、曲を聴くと魂が感動したり、あるいは不快を感じたりするか?それは解りません。魂の構造がどうなっているのか?は、まだまだ現代科学の手が出ない世界ですから。
とりあえずは、生まれてくる前に生活していた霊界での感動した記憶が魂に刻印されているのではないでしょうか?

まあ、素直な目でみれば、小さな卵からヒヨコが生まれたり、種子が巨大な大木に成長するのも不思議なことです。人間の誕生それ自体も不思議です。科学はこの「不思議」を探求して、その仕組みを解明します。が、あまりにも「不思議」が大きすぎて、どうやって手をつけていいか解らない分野は放置プレイあるいは非科学のレッテルを貼ったりして誤魔化していますね。まあ、下手に手をつけて確立した自分の専門分野が揺らぐのは誰しもイヤですからね。

この疑問を持ち続けて研究して、なんらかの成果が出せれば、ノーベル賞ものではないでしょうか?
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この回答へのお礼

脳の構造によるものなのか、それともそれ「以外の何か」が存在するのか。
最近の研究では、「脳と心は別である」という結論に達したようです。
ただし、「脳と心は非常に密接でもある」わけです。

やはり、まだまだ人間にはブラックボックスが多数存在するようですね。
ありがとう御座います。

お礼日時:2007/04/07 14:05

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