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長曾我部氏は秀吉全国制覇の直前に、四国全土を統一しますが秀吉に敵対したため、勢力を失います。
換わって蜂須賀、山内が土佐、阿波、讃岐を支配することになりますが、このころの長曾我部、蜂須賀、山内の勢力交代について簡単にご説明いただけませんでしょうか?

[補足]
資料検索して、それぞれの歴史はある程度わかりましたが、3者間の関係というのがいまいちピンと来ません。なるべく3者の相対関係という形で解説いただけると有難いです。

A 回答 (4件)

>ところで長曾我部は、この後(土佐を取り上げられた後)どうなったのでしょう?



関ヶ原で所領を失なった長曾我部盛親は、京で書を教えていました。旧臣たちも近くに住んで面倒を見ていたらしく、大阪入城の際には三百人ほどの人数だったようです。
大坂の陣の折は、多数の旧臣が土佐から大坂城に入りました。山内家の監視が甘かったのは、邪魔者たちを厄介払いしたかったのでしょうか。
大坂落城の際に盛親は脱出しますが捕らえられ、死罪となりました。(遠島ではありません)
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この回答へのお礼

補足欄からの再質問に、4日経っても書き込みがないので、自分で調べ、そろそろ締めようかと思っていました。

わたしの調べたところでは、盛親は「浪人」とあったので、普通の浪人をイメージしていたのですが、300人もの取り巻きを抱えた浪人というのは凄いですね。
うまく行けば、四十七士以上の美談になったかも知れませんね。

有難うございました。

お礼日時:2007/04/12 15:31

今から10年ほど前に「知っているつもり」という番組で「岡田似蔵」についての特集でやっていたのですが、それによると長曾我部氏は豊臣方につき、関が原の合戦で徳川軍に敗れた後に所領を失い島流しになり、その後山内氏が長曾我部氏に代わって土佐を治めたとの事です。



山内氏は長曾我部氏の家臣達に農民よりも低い身分をつけたそうな・・
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秀吉の中国攻め以降


伊予:小早川メイン
讃岐:仙石、十河
阿波:蜂須賀
土佐:長宗我部

この後は、現地の直接交戦ではなく、中央権力による所領替
その間、伊予の小早川が筑前へ仙石は九州征伐の失態で没収

関ヶ原後
大きくは、土佐が長宗我部から山内へ。
※ 別に長宗我部VS山内の戦いがあったわけではない。

直接交戦がなく、中央権力による所領替えなので、三者間の相対関係というのは無い。

この回答への補足

>秀吉の中国攻め以降

「四国攻め」の間違いですね?

補足日時:2007/04/10 16:13
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この回答へのお礼

「相対関係」というのは「力関係」という意味ではなく、だれそれが、どこそこを治めていた時に、だれそれはどこそこを治めていた、というふうな位置関係(年代的な・・・)のことです。

誤解を招く表現ですみませんでした。

お礼日時:2007/04/10 22:59

長曾我部氏は確かに四国征伐により土佐1国に領地をされてしまいますが、勢力を失うまでにはなっていないようです。

このときに蜂須賀氏が阿波を与えられ、小早川氏が伊予を与えられます。仙石氏、十河氏が讃岐を与えられます。
実際に蜂須賀氏が勢力を失うのは関が原の戦いにより、西軍に味方し土佐を取り上げられてからです。このときに土佐に入ってきたのが山内氏です。
蜂須賀氏は当主であった家政がどちらにも出馬せず、軍勢だけ西軍に出しながら、嫡子至鎮を東軍に参加させ所領安堵を勝ち取りました。このときに至鎮に当主が交代します。
長曾我部氏は起死回生をはかり大坂の陣で大阪城に入りますが、敗れて遠島になります。

この回答への補足

>実際に蜂須賀氏が勢力を失うのは・・・

「長曾我部」の間違いですね?

NHKドラマで、長曾我部に代わって、土佐に入ってきた山内が一領具足を相手に苦労する様が画かれていましたね。

ところで長曾我部は、この後(土佐を取り上げられた後)どうなったのでしょう?
「大坂の陣で大阪城に入城・・・」という以上、ある程度の力は温存していたと考えられますが・・・?

補足日時:2007/04/10 16:22
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