何故悪いことをしてはいけないのか?

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A 回答 (18件中1~10件)

この問題は難しいですよね。


「悪いこと」は、その成員が属している社会的共同体によって決まる倫理なのか、それとも絶対的な倫理として決まるのか(宗教のように)、という時点でその位相も異なってきます。
また「してはいけない」はある倫理に基づく行動ですが、これも社会的共同体が慣習的に決めてきた行動的規範であるのか、あるいは絶対的な規範であるのか。
もちろん、社会的共同体というのもくせ者で、ある狭い地域か、グローバルな範囲かと、階層が変わるたびに倫理が変わることもあります。
またここではあえて「倫理」と行動的「規範」を分けましたが、規範も倫理の範疇の一つ(表現型の一つ)とも思えます。
結局、特に宗教的な背景が無ければ、それが絶対的な正しさを担保するできるものはないという前提で言えば、社会的共同体の一員であることに根拠を求めるしかないと思います。
子どもに答えるのであれば、これまでの暮らしの営みの中で、そのように決めてきた(意識的な決定があったにせよ、慣習的であったにせよ)ことで、皆がお互いによりよく生きられる、と考えたから、というところでしょうか。
もちろん、そうであるから、ある倫理が、ある個人の存在や利益を疎外してきたことは歴史の中に数々見受けられるところです。
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この回答へのお礼

なるほど。ここでは、ある倫理が、ある個人の存在や利益を疎外しうることを子供には言ってあげるべきですよネ?。

お礼日時:2001/01/17 11:30

なぜ、悪いことをしてはならないのか。


それは、悪さをすることによって他の人に迷惑、
または不幸を与えるだけでなく、
それが自分自身にもかえってくるからです。

「人生の結果=考え方×能力×熱意」という方程式を説く哲人がおられます。
「能力」と「熱意」は、ともに1~100までの点数があります。
従って、たとえ能力の低い人であっても、ひたむきで懸命な努力をすれば、
つまり熱意の点数が高ければ、頭のよいことを鼻にかけ、あまり努力をしない
人よりも高い点数が出てきます。つまり、素晴しい人生を築き上げることがで
きるわけです。
そこにもうひとつ「考え方」という要素が加わります。「考え方」にはマイナ
ス100からプラス100まで点数があり、人を恨んだり、そねんだり、妬んだり、
または自分さえよければいいというネガティブな考え方は、マイナスの点数に
なります。一方、物事を真正面から受け止め、明るく前向きに考えたり、利他
の気持ちで他にやさしく接したりするポジティブな考え方は、プラスの点数に
なります。

ここで、「なぜ悪いことをしてはならないのか」という質問に戻ります。
悪いこと────、たとえばそれを泥棒だとしましょうか。しかも、とても頭
のよい泥棒で、研究熱心だし、日々の体力トレーニングも怠っていない泥棒だ
としましょう。先の方程式で言えば、「能力」「熱意」ともに高得点の泥棒で
す。ところが、他人のものを盗んでやろうと考えていますから、「考え方」は
マイナスの点数になります。さあ、この泥棒の人生の結果は?
もちろん、能力、熱意の点数が高いだけに、大きな大きなマイナスの人生にな
ってしまいます。能力もチョボ、熱意もチョボのこそ泥は較べものにならない
ぐらいの。

私はこの方程式を人生の理(ことわり)だと信じています。従って、冒頭にあ
る答えをいたしたわけです。

なぜ、悪さをしてはならないのか。
それは、他の人に迷惑をかけるだけではなく、
それが自分の身にかえってくるから。

子供さんには、ウーム、なんと答えてあげたらいいでしょうね。

「悪さをすれば、友達がイヤな思いをするだけではないんだよ。
 それを神さまはちゃんと見ていて、
 今度は神さまが、おまえさんにバチを与えるんだ。
 恐ろしいバチが当たるんだ。
 そんなバチは当たりたくないだろ?
 だから、悪さをしてはならない」

てな感じになるのかなあ。

しかし、どういうことが悪で、どういうことが善なのか。善悪の基準や定義付
けも必要になってきますね。それは時代や環境、社会風土などによって変化す
るだろうから、最もシンプルで最もプリミティブな観点、つまり「人間として
何が正しいのか」というところで、色分けしなければならないのかもしれませ
ん。
たとえば、モノを粗末にしてはならないとか、人の悪口を言ってはならないと
か、生き物をむやみに殺してはならないとか、時代を超えても変わらない、普
遍的なものを善悪の基準に据えなければならないのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。なかなか思い切った考えですね。
>そんなバチは当たりたくないだろ? だから、悪さをしてはならない
しかしこれでは悪さをしてばちがあたらなかったとき子供はどう思うのかとか、子供のためになるのかという疑問もあるし、根本的に解決されないように思うのですが、、、

お礼日時:2001/01/21 20:52

善悪って、よく考えてみると人間の基準なんですよね。


人間の勝手な都合で決められているような物。
つまり自然界の絶対的真理とは余り関係がない。

善悪と言うよりは秩序に対する基準なのだと考えれば
理由付けにはなるかも知れません。
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この回答へのお礼

なるほど。ご回答ありがとうございます。「するな」とはいえませんね。

お礼日時:2001/01/21 20:27

3回目です。


>倫理が私達(倫理を体得した人)を苦しめる悪者になっているということのようにおもわれます。

倫理は悪者ではなく、よりよく生きたいとする時、自分を見つめ直す観点になります。どうでもいいという人に、倫理は必要ありません。

>悪人は、倫理を捨てた人たちです。

倫理を捨てなければならない原因があります。個々人によって違いがありますが、一般的に言えば、次の点にあると思うのですがどうですか。

今の社会は、自分のことを人にやらせることが認められ、それがよしとされています。金持ちになることを求めるのは、お金で自分の本来しなければならないことを、人にさせるためです。お金の奴隷。
人間が自由ということは、自分に由る。すなわち、自分の生き方は自分で作り、自分が欲しるものは自分で作り出すことです。他に頼る(共同とは違う)ことはすでに自由ということではありません。
自分のことは自分が行い、それ以上の生産物があれば、分け与えるそんな社会であれば、悪は生じません。悪を行えば、皆から相手にされなく共同作業に加われません。それこそ、一人で生きるしか方法がなくなります。

現在は、人に物事をやらせ自分は何もやらないという人が増え、その人達が社会的地位も高く、富が集中していると考えています。当然、奪うこと、楽をすること、人を傷つけることに鈍感になり、悪を行うことが生きがいになっている人が多くいます。

悪をしたら、生きていけないそんな社会の仕組みを作ることが大切ななのです。今の社会は、私から言わせれば、悪魔に支配された社会だと思っているのですが、言いすぎでしょうか。悪魔にならないと生きていけない、悪魔が有利になるシステムです。

この質問は、貴方が疑問として思っていることか、子どもに説得する方法を知りたいのかどちらですか。わたしは、貴方の疑問として答えています。
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この回答へのお礼

三回目のご登場ありがとうございます。
>この質問は、貴方が疑問として思っていることか、子どもに説得する方法を知りたいのかどちらですか。
両方です。もはや自分の疑問にもなっているので、、、
>悪魔に支配された社会だと思っているのですが、言いすぎでしょうか。悪魔にならないと生きていけない、悪魔が有利になるシステムです。
 大事なこと(子供の疑問)は、「何故そうなることがいけないのか」ということじゃないでしょうか。悪魔は悪を好みます。善人は倫理を好みます。何故、悪がいけなくて、善が優先しようとするのか?という点が疑問になっていると思うのです(少なくとも私の解釈で)。むしろ、もっともっとシンプルに考えていることでしょう。まさに表題のとおりですが、、、、
>倫理は悪者ではなく、よりよく生きたいとする時、自分を見つめ直す観点になります。
 その際の苦しみは代償ということですか?何かを得るときにだれしも無償がいいのではないでしょうか?
「よりよくいきる」の「よく」は倫理的に「よい」ということで、倫理的でない人も自分にとって「よりよく」いきようと、自分の価値観で行動するのは普通なこと思います。
倫理という一価値観が何故特別に普及されるようになったのか?これが、「私」の今の疑問ですね。はたして倫理を設定しなければ共同体の運営は難しいのか?むしろ、倫理的な人々の中では倫理的でない人は自分の価値観のみで行動できるので、より自由に生きれるはずです。したくないことはしなくてすむのではないでしょうか?その人はそれでも生じた自分でしなければならないことと、自分にしかできないことや自分のしたいことをしていればいいのです。
 話が「子供の疑問」から離れたように思いますが、私の今の考えでは、子供には、「世俗には「倫理」というものが一般に普及しているから、それをふまえて自分のしたいようにするのがいい。」というようなことを言うと思います。決して「倫理的になれ」とは言わないし、そうなるようにも仕向けません。自分の子供が(例えばですが)見返りもなしに川に飛び込んでおぼれでもしたら嫌ですから、、、、

お礼日時:2001/01/21 20:22

二回目の登場です。

前回の続きとして読んでください。

「何故悪いことをしてはいけないのか。」とは自分が問うているのですね。

大人の社会でも、よりよく行きたいと言う他の人の権利を侵害して、自分だけよりよく生きようとしている。まったくその通りですね。
今の社会は、皆が苦しみを受ける条件が揃っているのです。しかし、全ての人が罰せられているのかというと、そうではありません。悪いことをしていると自覚している人がやめよう、がまんしようという気持ちを持ったとき、心に平安があります。自分の権利が侵されても、相手は心の病気を持っている、罰せられている人だと考えれば、哀れみを持ち自分の心の中は平安です。

「悪に対してどのようにすればよいか。」と言うことをトルストイ研究会のサークルを作って考えようとしています。下記にアドレスを載せておきます。

参考URL:http://circle.excite.co.jp/club.asp?cid=m0900034
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この回答へのお礼

二回目のご登場ありがとうございます。{悪いことをしていると自覚している人がやめよう、がまんしようという気持ちを持ったとき、心に平安があります。}そうです、わたしたちは、、、。しかし、その不安(悪いことをするときの)は、倫理的な人において、その倫理自体が、良心の呵責が、私達にもたらしているものですよね。これではまるで、倫理が私達(倫理を体得した人)を苦しめる悪者になっているということのようにおもわれます。

追伸:「悪に対してどのようにすればよいか。」悪人は、倫理を捨てた人たちです。それが、悪とわかっている人達をとがめるのに、倫理を持ち出しても、それは無理な話です。なぜなら、彼らは一度倫理を考慮の入れたうえで倫理を選択しなっかった(倫理を捨てた)のだから。さらに言うと、さらに悪なのは(倫理にとって)悪いことと認識せずに(悪意なく)悪いことをする人でしょう。なぜなら、彼らには倫理が存在すらしてないのですから。しかし彼らは、最も幸せになりやすい立場です。他人を見捨てても(見捨ててるとも思ってない)苦しまないですむからです。彼らは、自分にとって大事な人や事だけ大事にすればいいのです。

お礼日時:2001/01/18 11:57

自信はありませんが。



「悪い事」と判っているなら、しない方が良いでしょう。
何故なら、その事で誰かが迷惑し、困るからです。

「迷惑し、困る誰かなんて知ったこっちゃない、少なくとも自分は
迷惑でも無いし、困りもしない。むしろ、気持ちがいい。」と思う
かも知れません。

でもね、自分がそれで納得しても、人間社会は多くの知らない人達が、
努力して組み立てられているのです。自分が好きな時にテレビを見るのも、
好きな時にジュースを飲むのも、飯を食うにも、本を読むのも、必ず、
知らない誰かが必死で働いているのです。その必死で働いている人達も、
家庭を持ち、家族に対して、「飯を食わせる」という責任を背負って
いるのです。自分の記憶を辿っても、三歳以下の記憶は無いでしょう。
しかし、三歳までの人間など、放っておけば簡単に死んでしまう、
無力な存在です。それを大人達が努力して生かしてくれたのです。
(当たり前の義務ですが・・・。)

さて、「悪い事」ですが、「悪い」と思えなければ、そこに境界線が
無いので、何をやっても構わないのです。しかし、さっきも言った様に、
それが「悪い事」であれば、誰かがその責任を負わねばなりません。
それが、自分であったり、親であったり、肉親の誰かであったり、
友人の誰かであったり。

知らない他人の迷惑は、無視できても、自分や自分の肉親、大切な友人
が、人生を棒に振る様な「悪い事」はしない方が良いって思いませんか?

「人生を棒に振る」って本当に情けないものです。それまで我慢に我慢を
重ねて、少ずつ何十年もかけて築いてきたものが、一瞬で無になるのです。
その時の気持ちを想像すれば、その「悪い事」がどれだけくだらないものか、
理解できます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>人生を棒に振る様な「悪い事」
つまり、何らか制裁を受ける(嫌な思いをする)かもしれないから「するな」ということですね。リスクをはかるように言うほうがいいし、善し悪しにかかわらず、子供には小さい間は何が危険かを教えて「危険だからするな」ということですね。何かしらごく一般でもされていることですが、わたしの答えとしては、悪いことは「してはいけなくはない」。小さい間の些細な体験で大きいリスクをはかれるように成長すればいいのですが。わたしはそのように成長できてませんから、、、

お礼日時:2001/01/21 21:24

「悪いこと」って言うのはね、


されると迷惑なんですよ。
社会生活が、円滑に進められない。
だからやってほしくないのです。

単純に言えばそういうこと。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。多数決と言うことですね?

お礼日時:2001/01/18 11:33

 他の方へのコメントに関してですが、僕の立場から考えを述べさせていただきます。



No.86095 atsuotaさん発言へのコメント
>「自分がされて嫌なことは相手にもしないようにね。」 というのが、感覚的に分
>かっている」状態に子供を育てあげるのは子供にとって幸せでしょうか?
 「幸せです」。それが分からない子に育つよりは。

No.86073 masmasさん発言へのコメント
>はたして、私達のように倫理を体得すること(良心のかせをえること)が、子供
>の幸せになるのでしょうか?
 「幸せになります」。良心の枷をまったく得ないよりは。

Caballeroさん、あなたは「子ども」というものを見くびっておいでのようです。
 「教育」というのは、多かれ少なかれ「先行世代による後発世代の教化」です。それは洗脳であり、マインド・コントロールです。有史以来、人間はずっとこれをやってきた。ですが、子どもたちは、人間は、その洗脳によって創造性を完膚なきまでに潰されてきたでしょうか? …そうでないことは、歴史が証明しているでしょう。
 子どもたちは、「先行世代の呪縛」を断ち切って自分たちの未来を作る力を持っています。もし、われわれ大人が、子どもたちに「倫理」「良心」という形で与える「呪縛」が、子どもたちを不幸にしてしまう、潰してしまうとお考えなら、それは「子ども」というものを不当に過小評価するものと申せましょう。ガキのパワーをなめちゃいけない。

 それから、「先行世代が何もしなくても、子どもは何の問題もなく育つ」とお考えなら、その考えも完全に間違っています。間違いなく完全に間違っています。
 「倫理」や「良心」を含めて、先行世代の知恵・知識は、子どもたちが彼ら自身のものを創造する上で不可欠の材料になります。それを与えないことは、人を裸で砂漠に放り出すのと同じことです。精神的な殺人行為です。

 この件に関しては、僕はしばらく黙ります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。{子どもたちは、「先行世代の呪縛」を断ち切って自分たちの未来を作る力を持っています。}しかし,はたして私達はその呪縛を断ち切ることができているのでしょうか?

お礼日時:2001/01/18 11:31

悪いことってのはね、してもいいんだよ。

援助交際も殺人も、本人が本当に正しいと思ってりゃやればいいよ。ただね、そういう事をすりゃあおまわりに追われるよ。それだけ。
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この回答へのお礼

回答ありがとう。やっぱりそう考える人って結構いますよネ。

お礼日時:2001/01/18 11:25

 masmasさん、atsuotaさんの御意見に賛成です。



 中学校の教員を目指す学生に、「援助交際している少女と、それを止めようとする教師」とか、「人を殺すことが何故いけないかわからない子と、教えようとする教師」という割り振りで、ロールプレイングのようなことを毎年やらせています。やってるうちに熱くなってくるのが楽しいです。はっはっは。…あ、失礼。
ところが、ですね…勝てないんですねえ、教師が…。(「勝ち負け」と言うのも変ですが)

 善悪の基準は、時代により地域により文化によって変わってきます。決して普遍的なものではない。「教えようとする側」は、確実な基盤を持つことができません。ちょっとやそっとの「根拠」は援交少女レベルの知性・語彙力でもカンタンに突き崩せてしまいます。実際、そうなんです。
 でも、かといって、大人が諦めてしまっては元も子もないわけです。現実の問題として、譲れないところは譲れない。大人として、絶対に引くことができない一線というのは、確実にある。ではどうするか。
 現場での実践的な問題としては、「理詰めで納得させる」のは不可能です。また納得させる必要もないでしょう。ある意味、「ダメなものはダメ」でいい。「強制」でいい。「押し付け」でいい。そう思います。
 でも、そこには「愛と情熱」が求められます。自分で書いてて赤面してしまうようなクサい言葉ですが、実際そうです。
 最初に「教師役の学生は勝てない」と言いましたが、後で援交少女役の学生に聞いてみると「ちょっとあぶなかった」(説得されそうだった、という意味)と言うケースがあります。そういう場合、教師役が理詰めで説得するタイプ「ではない」ことが多いのです。かといってまた、一定でもないのが興味深い。若さと勢いに任せて情熱的に語り、叱咤するタイプ…聞き7、しゃべり3くらいで接する冷静なタイプ…ある程度の共感を示しつつも優しく諭すお姉さんタイプ…など。一定ではありません。一定ではありませんが、その共通するところはと言うと、「まごころがおもてに出ている」という点以外には思い当たりません。「自分のことを本気で考えてくれている」ということが伝われば、それは何かしら心の中のスイッチを動かすことになるのだろうと思うのです。
 実際には、これでもダメな場合が多いでしょう。しかし、少なくとも、子どもの心に何らかの種を蒔くところまでは、何とかいきたいものです。その種をどう育てていくのかは、もう子ども自身の力になってくるでしょう。

 ただ、今は教師と子どもの関係で話をしたわけですが、親と子になると別です。親が子に対して「愛と情熱」を持つのは当たり前。それが、親と子という距離の近さ故ゆえに空回りしてしまうことが考えられます。効果がなかったり、逆効果になって、かえって傷を広げたり…。そこがまた、難しい問題です。
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この回答へのお礼

実体験をもとに書いてくれて、参考になりました。ありがとう。親が子に対して「愛と情熱」を持つのは当たり前。親が思う子どもにとっていいことと、子ども自身が思う自分にとっていいことは、しばしば食い違うものですね。

お礼日時:2001/01/17 15:35

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Q自殺することは悪いことですか? また、自殺と他殺の相違点は何ですか? せっかくの命を無駄にしてはい

自殺することは悪いことですか?
また、自殺と他殺の相違点は何ですか?

せっかくの命を無駄にしてはいけない、などの意見をよく耳にしますが、誰にも迷惑をかけずに死ぬのなら、個人の自由な気もしますし、、

わたしの意見は、「悪とは言えない」です。

例えば、この世を1つの学校だとして、
入学=誕生 卒業=80歳まで生きて死ぬ
いじめで不登校=他殺 自主退学=自殺
転校=火星へ移住(冗談です!)

などと定義して妄想してたのですが、
自主退学することを、いけないことだ、とは誰も言えないと思います。「いってしまったな」と、残された人達全体が、さみしい気持ちになったりするのは確かですが、
本人が、学校の外に何かを見出してやめていくことや、学校が嫌いだから行かないことは、本人の自由な気がします。

わかりづらい例えですみません。。わたしのなかの、自殺のイメージです。

こんな感じで、みなさんの自殺に対するイメージとか、ご意見などを聞きたいです。どうぞよろしくお願いします!

※ちなみに、私が自殺願望があるとかでは全くありません。

Aベストアンサー

ふたたびこんばんは。

回答とは言えない意見を述べさせてください。聞き流してください(苦笑)

「自殺」は「悪いこと」であるか?という設問の立て方よりも、「自殺」についての個々の考えを問うた方が、より広い意見を聞くことが出来ると思います。というのも、既に古代から、自分の意志による「自死」というものは存在しているのですから、人間存在と自死とは不可分のものと言っていいはずです。であるならば、「悪」とか「善」といった「価値判断」は後に何らかの理由で事後的に付けられたものでしかありません。

また先にも書きましたが、「自殺」という「緊急避難」の場があるという意識が人を救っているという事実があり、「いつでも死ねるのだ」という「自由の意識」が「生かしている」というパラドクスが存在する以上、自殺を悪であると断ずることは誤りでしょう。

「自殺」というのは、この一回限りの自己の存在を永遠に放擲してしまうという判断ですから、何故人はそのような判断をするのか?どのような時にそのような思いに立ち至るのか?という、自殺者の内面を推し量ることなしに、「公共の迷惑」であるかないかという、「自殺」の本質から外れた議論は無意味だと思います。

極端なことを言えば、その人がこれまで生きてきたために使われた人の労力・時間、或いは自殺で蒙った様々な損害・被害をすべて金額に換算して、その分を充分な補償金として支払えば何の問題もない。という結果が生まれそうです。しかしそれでは「自死」の問題をすべて「ぜにかね」というような、世俗的な価値に還元・回収して事足れりとしてしまうことになる。

哲学であれば、何故人は自ら死を選ぶのかを考えなければならないし、身近な人の死であれば、その死を悼みつつ、何故彼は、彼女は、死を選んだのかをそれぞれの胸の内で、われもまた、病むこと、悩むこと、貧すること、窮することを避け得ない、自死し得る存在として深く身に引き受けること、を思うべきではないのかと考えます。

ふたたびこんばんは。

回答とは言えない意見を述べさせてください。聞き流してください(苦笑)

「自殺」は「悪いこと」であるか?という設問の立て方よりも、「自殺」についての個々の考えを問うた方が、より広い意見を聞くことが出来ると思います。というのも、既に古代から、自分の意志による「自死」というものは存在しているのですから、人間存在と自死とは不可分のものと言っていいはずです。であるならば、「悪」とか「善」といった「価値判断」は後に何らかの理由で事後的に付けられたものでしかありま...続きを読む

Q質問はしませんので以下の文句に批評をお願いします。 現代人は何もかも受け入れなければ生きていけな

質問はしませんので以下の文句に批評をお願いします。


現代人は何もかも受け入れなければ生きていけない。生きる中でコンピュータのプログラミングのように操作され少しでもバグが起これば排除もしくは強制的に訂正される。そして所謂正しいものに従わなければならない。さもなければそれは人とみなされない。人はもはや自由意志の元には行動してはいけない。ある程度の範囲の中で与えられた個性を持って定められた行動しかとらない。まるでゲームのキャラクターですね。実に滑稽で哀れに思います。

Aベストアンサー

僭越ながら、ご批判申し上げます。
 はい、その通りだと思いました。
 人は有利に生きるために、「社会」なる互助システムを形成していっているのではないかと思います。それは、有力者に有利な「支配システム」なのかもしれません。
 権力者をも含めまして、そのシステム内においては、自分がどのように歯車として動くのかが問われるようです。そのシステム自体を改革・破壊することをも含めまして、どのように立ち回るかが「人の人生」なのかもしれません。自分の有利性・優位性・権威を作り上げていくことが自分自身において、社会的にも重要なのかもしれません。
 さて、私はそういう人の作った枠から少しだけ外れたような経験がございます。そこにも私という人間はいるのですからそれも「社会の中」なのかもしれません。そこも人間の支配は及んでいる「社会の中」なのかもしれません。ただとても自由だったように感じておりました。そしてとても危険だったようでもあります。
有利な生活と延命を望むのか。
自由な驚きに身を浸すのか。
それをリスク回避シミュレーションしてしまいますと、既に「枠の中」になってしまうのかもしれません。
さて、貴方は、どうしましょうか。

僭越ながら、ご批判申し上げます。
 はい、その通りだと思いました。
 人は有利に生きるために、「社会」なる互助システムを形成していっているのではないかと思います。それは、有力者に有利な「支配システム」なのかもしれません。
 権力者をも含めまして、そのシステム内においては、自分がどのように歯車として動くのかが問われるようです。そのシステム自体を改革・破壊することをも含めまして、どのように立ち回るかが「人の人生」なのかもしれません。自分の有利性・優位性・権威を作り上げていくことが...続きを読む

Q子供に、若者に「何故いけないのか?」「何故善いことなのか?」と訊かれて、答えることができますか?

仮に誰かに「何故○○はいけないの?」(人を殺すこと、ものを盗むこと、売春すること、自殺することなど)を訊かれた時あなたは答えることができますか?自信をもって?

わたしには答えることはできません。
何故それがいけないことなのかが、それが「違法であること」以上の理由を持たないからです。
そして「違法行為」であること、「犯罪」(Crime)イコール「罪」(Sin)だとは思えないからです。

わたし自身未だに「それら」が「悪」であるという説得力のある回答に巡り合ったことがありません。

あなたは何故語れますか?その根拠はどこで身につけたものですか?

同様に「遵奉行為」イコール「善」とも思えません。

わたしに確信を持って言えることは僅かです

「悲しむ人を傷つけてはいけない(特に精神的に)」

「あらゆる差別は許されない」

「正しい戦争も、間違った平和も存在しない」

「多数派と力を持つものはほぼ間違えを犯す」

そんなところです。

これらの根拠は「人は人を傷つける権利はない」という考えから来ました。

ただ、「相手が権力を持ったテロリスト(ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、毛沢東、或いはA、等を除く)」

仮に誰かに「何故○○はいけないの?」(人を殺すこと、ものを盗むこと、売春すること、自殺することなど)を訊かれた時あなたは答えることができますか?自信をもって?

わたしには答えることはできません。
何故それがいけないことなのかが、それが「違法であること」以上の理由を持たないからです。
そして「違法行為」であること、「犯罪」(Crime)イコール「罪」(Sin)だとは思えないからです。

わたし自身未だに「それら」が「悪」であるという説得力のある回答に巡り合ったことがありません。

あな...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは、blueさん。



>「何故○○はいけないの?」
:わたしならこんな風にスパッと答えるよ。「人間、してはいけないことなんてのは実はほとんどないのだよ、そもそも人間にできることなんか【ほんの少し】よりももっと少なくて【微々たること】ができる程度だからね、だから本当に◎◎がしたいのなら、ぢゃんぢゃんするのが善いんぢゃないかな。もし万が一ものすごく幸運だとしても人間120歳ぐらいまでしか生きられないからね、本当にしたい◎◎、後回しにしてるとその前に自分が死んじゃうかもしれないよ?だから本当に【自分がしたい◎◎】ってのは何なのか毎秒ごとに感じたり思ったり考えたり更新したりしておくのが善いと思ふよ。


ところでblueさんは【本当に自分がしたい◎◎は何?】と訊かれて、殺人とか窃盗とか強姦とか自殺とか答えますか。よく考えてしっかり考えてね。一緒にしちゃって申し訳ないのだけどblueさんやわたしなら、もしかしたら【自殺ならしますよ】とか答えそうだから苦笑しちゃうのだけど、でも上記の通り人間にできることなんかめちゃくちゃ少なくて、実は【死に・た・い】のではなく【生きた・く・な・い】のではないかしら、というと言い過ぎかもしれませんが生きるのが面倒くさい【だけ】なのではないかしら、そのやうな気がしているだけなのではないかしら、そのやうに錯覚あるひは曲解しているだけなのではないかしら、というと言いすぎかもしれませんが、でもまあblueさんもたぶん生きたいから質問しているのだしわたしも生きたいからしゃべってるんだと思ふ、たぶん。


>わたしに確信を持って言えることは僅かです
:はい、それでよいと思ひます、と自信を持って賛同します。くどくどしいのですが上記の通り人間にできることはめちゃくちゃ少ないのだし人間が知ることができ分かることができることなんか黄な粉一粒あるひは小麦粉一粒ぐらいのものです。確信を持って言えることなど【僅か】以下です。



>それが「違法であること」以上の理由を持たないから
:あ、うん。わたしは子どものころ草むらで立小便をしました、これ不法投棄および わいせつ罪ね。学校からの帰り道で蜜柑や柿や梨や林檎や苺を見つけるとたまに失敬して食べました、だって学校から家まで30分歩くと喉が渇くからつい、これ窃盗罪および不法侵入罪。電車に乗るときは最短距離の切符を勝って定期券で改札を通っていました、つまりキセルこれ詐欺罪。友達の家に遊びに行くときは必ずその友達の家の敷地内に入ってからピンポンしてました、これも不法侵入罪。





>同様に「遵奉行為」イコール「善」とも思えません。
:そうですね。たとえば【ボランティア】と聴くと【美しい行為である】と錯覚してしまいがちですが、【ボランティアを・す・る・こ・と・が・で・き・る!】ためには相当な犠牲が必要で、誰の世話にもならず、誰にも迷惑をかけずにボランティアをする、なんてのは無理でしょうね。



>悲しむ人を傷つけてはいけない
:いえ、大丈夫です。人間そんなにヤワだとお考えですか?悲しんで途方に暮れ涙を流している人をさらに傷つけたって許されますほとんどの場合。だいたいあなたも悲しみに暮れているときに傷つけられることなんかしょっちゅうでしょう?まあお互いさまですよ。オレは傷ついてボロボロになってもいいけれどあいつを傷つけてはいけない?そんなおかしな話は聞いたことがありません。




>あらゆる差別は許されない
:いえ、許されます。うまれつき、人それぞれ【違いがあるのが当たり前】だからです。





>人は人を傷つける権利はない
:少し添削させていただきます。人は人を裁く権利を持ちません。人はすべての人を人として扱わなくてはなりません。なぜなら自分が人だからです。また人は人を喜ばせる義務を持ちません。自分の喜びは人それぞれが自分で管理するからです。また人は誰に何をいつ話しても構いません。話してはいけない理由はないからです。






___________



今日はこれだけです。
とりあへず送信します。
気が向いたら続きを書きます。






___________




お願いがあります。気が向いたらで結構ですのでこちらに投稿していただけないでせうか。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9188485.html

こんにちは、blueさん。



>「何故○○はいけないの?」
:わたしならこんな風にスパッと答えるよ。「人間、してはいけないことなんてのは実はほとんどないのだよ、そもそも人間にできることなんか【ほんの少し】よりももっと少なくて【微々たること】ができる程度だからね、だから本当に◎◎がしたいのなら、ぢゃんぢゃんするのが善いんぢゃないかな。もし万が一ものすごく幸運だとしても人間120歳ぐらいまでしか生きられないからね、本当にしたい◎◎、後回しにしてるとその前に自分が死んじゃうかもしれないよ?だ...続きを読む

Q何もしないよりは、悪いことでもしたほうがましでしょうか。

何もしないよりは、悪いことでもしたほうがましでしょうか。

何の役にも立たない人間より、社会に悪影響を与えている人間の方がましでしょうか。

後者がましと思う方は、何もしないよりは何かした方が魂の成長につながるからなどの理由でしょうか、

Aベストアンサー

行為と言うものを仏教では三つに分けます

体の行為
言葉の行為
思惟の行為

この行為・三業をすべて沈めることが出来る方は
相当の人格の持ち主だと思います。
むしろ心が完成していると言ってもいいかもしれません^^

たぶんこういった意味合いでの質問ではないと思いますが。



悪いことを「迷惑なこと」と変換して回答してみますね^^

他の生命に迷惑をかけるより
依存状態でも他の生命に積極的に迷惑をかけないほうがいい
依存状態より相互依存でともに助け合うほうがいい
相互依存より完全自立で役に立つのみのほうがいい

と僕は考えました^^

と言っても我々は無知なわけで、
行為をすればどうしても迷惑がかかってしまう

しかし、それに怯え行為に躊躇するなら
相互依存の道は断たれ、現状維持すら難しく、徐々に迷惑がかかっていく

それに怯えず、まずは相互依存を目指し、行為をするなら
相互依存・完全自立への道が開かれ、徐々に成長していく

相互依存もしくは・完全自立を目指さない行為は
自他共に苦しみの元になる。

だから、失敗しながらも何度でも、
善き行いをし、相互依存・完全自立を目指す必要がある。

そのように思います^^

何かお役に立てれば幸いです

行為と言うものを仏教では三つに分けます

体の行為
言葉の行為
思惟の行為

この行為・三業をすべて沈めることが出来る方は
相当の人格の持ち主だと思います。
むしろ心が完成していると言ってもいいかもしれません^^

たぶんこういった意味合いでの質問ではないと思いますが。



悪いことを「迷惑なこと」と変換して回答してみますね^^

他の生命に迷惑をかけるより
依存状態でも他の生命に積極的に迷惑をかけないほうがいい
依存状態より相互依存でともに助け合うほうがいい
相互依存より完全自立で役に...続きを読む

Q弱いことは悪で、強いことは正義なのでしょうか?

弱いことは悪で、強いことは正義なのでしょうか?

Aベストアンサー

正義とはとても相対的な概念です。ある特定の国家、社会、宗教、集団だけにとって正しく正当性がある行いや事柄です。絶対的な正義というものはありせん。例えば、JASRACにとって著作権を保護する新法案は正義とされているがANONIMOUSという集団からしてみればネットでの情報流通の自由を阻害するという観点から新法案は非正義です。

善悪といった倫理的な価値観も正義同様に社会にとって絶対的善悪というものはありません。ある社会にとって善とされる事であっても、別の社会では悪とされる事はよくあります。


ある集団において弱いこと(弱い能力)が悪である例

駅伝チームAにとっての足の遅い走者

全員の走者の総合的な走力が競技の順位を決定するので足の遅い走者は駅伝チームAにとって悪だといえます。(前提として、この駅伝チームAの正義は、より良い順位を得ることにある場合とします)

しかし、駅伝チームBの正義が走力の弱い補欠の4年生を最後の花道として駅伝大会に出場させることにあるとしたら、走力が弱いこと自体は悪とはなりません。逆に、より良い順位を得るために、走力の弱い補欠の4年生を欠場させ、走力の強い1年生を競技に出場させることは駅伝チームBの正義からすると、悪となります。

走力の強い1年生は個人的な感情としては納得出来ないかもしれません。実力主義であれば当然自分が競技に参加出来ていたはずですから。その集団に帰属している人の倫理観とその集団が要請する倫理観にはこういったずれは頻繁に起こる事だと思います。

「弱いことは悪で、強いことは正義」ということが成立するのは「弱いことが悪で、強いことが正義」という前提ルールが適用されている社会、集団内においてです。したがって実力主義、利益至上主義が基本ルールである社会においては「弱いことは悪で、強いことは正義」 成立しやすいはずです。

また、「弱いことが悪で、強いことが正義」以外の価値が優先される集団においては「弱いことが悪で、強いことが正義」の倫理観は最優先されないはずです。

正義とはとても相対的な概念です。ある特定の国家、社会、宗教、集団だけにとって正しく正当性がある行いや事柄です。絶対的な正義というものはありせん。例えば、JASRACにとって著作権を保護する新法案は正義とされているがANONIMOUSという集団からしてみればネットでの情報流通の自由を阻害するという観点から新法案は非正義です。

善悪といった倫理的な価値観も正義同様に社会にとって絶対的善悪というものはありません。ある社会にとって善とされる事であっても、別の社会では悪とされる事はよくあります。

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