遣隋使 小野妹子が持参した国書に煬帝が激怒したものの、裴世清を日本に派遣してますよね。理由は隋が高句麗との戦争を控えていたからということです。私が知りたいのは、高句麗と隋がどこにあったかということなんです。学校の図説とか調べても唐の時代の東アジア地図は載っていますが、隋の時代のものがありません。↑の時代の地図をみて確認したいのです。どなたかサイトなどで地図があれば教えてください。お願いします。

A 回答 (1件)

隋は、現在の中国から台湾・チベット・東トルクスタン・内モンゴルを除いた地域を領土としていました。


高句麗は、現在の北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国地域を領土としていました。
詳細は、下記URLを参考にして下さい。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tsuka/map/02/ …
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Q遣隋使によってもたらされたもの

こんばんは。
聖徳太子が隋に遣隋使を送りましたよね。
遣隋使を送ったことによって、日本には何が入ってきたんでしょうか?

日中の関係を小論文で書かなければならなく、質問いたします。
よろしくお願い致します!

Aベストアンサー

遣隋使の目的は、東アジアの中心国・先進国である隋の文化の摂取もあったが、何よりも新羅・百済への影響力を維持するためには、隋との国交が必要であったからです。
http://www.infogogo.com/%E9%81%A3%E9%9A%8B%E4%BD%BF.html


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A3%E9%9A%8B%E4%BD%BF

http://www.ffortune.net/social/history/nihon-nara/kenzuisi.htm
http://www.inter-highschool.ne.jp/~s0201004/history/keigaisi.htm

Q遣隋使、小野妹子が国書を煬帝に渡した都市は。

607年(推古15年) 第2回遣隋使、小野妹子らは、「日出処の天子……」の国書を持参しました。
この国書を煬帝に渡した都は洛陽ですか、それとも長安ですか。
Webではどちらの説もありますので、お手数ですがWeb以外で教えていただきたいと思います。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

まあ、中国がこう言っているのだから仕方が無い事で。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/seian.rakuyou/24rakuyou/24rakuyou.htm

>Webではどちらの説もありますので、

覆したいなら中国へ飛ぶ。
研究したいなら図書館で隋書などを借りる。

Q派遣期間3年制度に関して

派遣の3年制度は派遣先により異なるので3年以上働ける方もいますが
仮に自分が今派遣社員として働いている職場が
3年制だがまだ働きたいなら一旦3年で退職し
再び派遣社員として雇ってもらう事は出来ないのですか?
案として考えているのが以下2つです。
(1)3年経過後に一日以上間を空けて再び派遣社員として勤務。
(連続で無ければ3年以上も可能なのでしょうか?)
(2)3年経過後に一日以上間を空け、別の派遣会社から派遣という形。
(連続で3年以上とせず、雇われる派遣会社も変える)

教えてください。宜しくお願いします。

Aベストアンサー

(1)可能です。
派遣の3年制限業務に関しては「クーリング・オフ期間」という制度があり
(同名の商品返却の制度とは名前が同じだけで別物の制度です)、
期間制限のある業務において3年間派遣社員を利用した後に、
その業務において他の派遣会社も含め全く派遣社員を利用しない期間を3ヶ月以上経れば、
その場合は以前の派遣利用期間は一旦リセットされ、また新たに最長3年間まで派遣社員を利用することが可能です。
http://www.pramax.co.jp/knowledge/coolingoff.html

(2)不可能です。
派遣先企業に対してはどこの派遣会社を利用したかに関わらず、「派遣社員をその業務でどれだけの期間利用したか」
という点のみで制限されるので、利用している派遣会社が1社だろうが100社だろうが、
累計で3年間を超えた場合はその業務で派遣社員が利用できなくなることに変わりはありません。
ただ、(1)のクーリングオフ期間を経た場合は、勿論再度の利用が可能です。

Q小野妹子は聖徳太子の国書を持って隋に行ってどうして生きて帰ってこれたのでしょうか?

小野妹子は聖徳太子の国書を持って隋にいって、どうして生きて帰ってこれたのでしょうか?
聖徳太子の国書は「日出る処の天子,書を,日没する処の天子に致す。恙なきや。」で始まっていますが、中華思想の強い中国の王朝では非常に無礼なものと考えられたと思います。特に強大な力をもった統一王朝の隋に行って、対等な関係を示す「天子」を持った国書差し出せば無礼者としてその場で殺されてしまうような気がします。
ところが現実には裴世清を伴い帰国し、聖徳太子の対等外交政策は一応成功しました。高句麗の脅威に対抗するため倭国と手を結ぶ必要があった等の説明を聞きますが、どうもそれだけでは「天子」という言葉の記載のある対等の国書を受け取った上裴世清まで使者として送った理由としては、彼らの中華思想の強さや何百年かぶりの統一王朝の隋の登場といった背景を考えると、説得力がやや弱いと思います。
聖徳太子や小野妹子は隋王朝内部にコネがあったり、彼らの弱みを握っていたのでしょうか? あるいは朝鮮半島出身ではなく、大陸出身の渡来人がブレーンとしていたのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。

598年の高句麗との戦いで大打撃を受けたことと、607年に高句麗が東突厥に同盟を持ちかけたことで、隋はかなりの緊張感を持たざるおえなかったのだと思います。

有史以来、争いの絶えない大陸で生き抜くには、かなりのリアリストでなければ無理なのであり、尊厳よりも時には実益を選ぶ柔軟さが必要なのではないでしょうか。
太子は、その絶妙なタイミングを見計らって、国書を送ったのではないのかな。


ご存知とはおもいますが、ブレーンとしては「秦河勝」が有名ですね。
まさしく大陸出身の秦氏です。

Q派遣社員と派遣アルバイトの違いはなんでしょう?

派遣社員と派遣アルバイトの違いはなんでしょう?
先日まで一ヶ月ほど派遣で働いていたのですが(同じ派遣先)、これが派遣アルバイトなのか派遣社員なのかわかりません。
そもそも派遣社員と派遣アルバイトの違いは何なのでしょうか?
派遣会社に登録して単発で一日働く、というようなものだと派遣アルバイトで契約期間があるものだと派遣社員ということになるのでしょうか?
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

派遣業者から派遣されていれば派遣社員
本業はあるが学費や生活費の足しにするための労働がアルバイト(副業)
派遣労働者とアルバイトが重なることもあり別なこともある
はっきりと区別できる物ではありません
学生が派遣業者に登録して学費稼ぎに働けば派遣労働者でありアルバイトでもある

Q遣隋使、小野妹子

名前は女っぽいけど、男なのは知ってますが。それはさておき、聖徳太子から派遣を任じられて中国へ渡った訳ですよね?言葉も分らない。中国の地理も分らないであろう使者が、どうやって時の皇帝もしくは主要と会えたのでしょうか?アポなしで行ったら、上陸した時点で異人扱い(異人だけど)で殺されたりするんじゃないでしょうか?詳しく教えてくださいm(__)m 。

Aベストアンサー

本論に戻って遣隋使、遣唐使の話ですが、最初の遣隋使は隋書の記録しかないので、二回目の小野妹子の場合についていうと、渡来人の通訳など数十人が同行し、多くの土産(貢物)を持参しました。  まあ朝貢とも見られます。   上陸し隋の役人に会い案内されました。   国書に問題があっても歓迎されるわけです。  のちに返礼の使者が日本に来ています。
どんな物を持参したか、のちの遣唐使の例では、銀500両、絹、木綿、麻の織物、瑪瑙、金漆、甘葛汁、椿油などの貴重品です。
これらは、留学生の滞在費のほか、持ち帰った貴重な仏典などの帰りの土産の代価とも見られ、一種の貿易で朝貢とはとけしからんと、目くじら立てることもないようです。
人数も733年の真人広成の時は総数590人、通訳、医師もおり相当する貢物は多額の費用になったでしょう。  海難で水没することも多く国の負担大でした。
砂金も贈られましたが、後期の遣唐使の話です。

Q請負契約、業務委託契約、派遣契約それぞれの違い

請負、業務委託、派遣業務それぞれの違いがいまいちはっきりしません。
私の解釈では
例えばビル立てるとしましょう。

請負契約では発注者がビルの完成を目的に契約するため、仮に請負者がどんなに失敗しようが、どんな合理化をして簡単に建ててしまおうが、結果(成果物)が出来上がれば、契約が履行されたものと考えられる。また、発注者はいかなる場合でも請負者への指揮命令権を持たない。

業務委託ではビルの完成を目的とせず、ビルを建設する作業自体を目的に契約するため、ビルが完成しなくても建設作業をおこなっていれば、契約が履行されたものと考えられる。
また、発注者はいかなる場合でも請負者への指揮命令権を持たない。

派遣契約ではビルを建設する作業をおこなうために人材を確保するのが目的なため、完成はおろか,ビルを建設する作業自体を履行しなくても問題はない。ただし、発注者は派遣労働者に対して指揮命令権をもつため、作業をするよう指示することになるため、その結果、その指示に従わなかった場合、契約が履行されていないと考えられる。

さらに掻い摘むと
請負はビルさえできれば手法は問わない(問えない)
業務委託はビルはできなくてもいいが、ビルを建てる作業はしなければならない。
派遣は発注者がビルの建て方、などを指示し、それに従わなければならない。

こんな感じ解釈していますがもんだいないでしょうか?(ここでは建設業における派遣は認められないなどということは無視していただいて結構です。成果物ををわかりやすく考えたかったのでビルとしただけなので)

請負、業務委託、派遣業務それぞれの違いがいまいちはっきりしません。
私の解釈では
例えばビル立てるとしましょう。

請負契約では発注者がビルの完成を目的に契約するため、仮に請負者がどんなに失敗しようが、どんな合理化をして簡単に建ててしまおうが、結果(成果物)が出来上がれば、契約が履行されたものと考えられる。また、発注者はいかなる場合でも請負者への指揮命令権を持たない。

業務委託ではビルの完成を目的とせず、ビルを建設する作業自体を目的に契約するため、ビルが完成しなくても建...続きを読む

Aベストアンサー

まず、「請負」「派遣」は法律用語であるところ、「業務委託」は法律用語ではないため、同列に並べて比較できるものではありません。
業務委託は取引用語のひとつであって、請負や派遣をも含めて使われることすらある、定義の一定しない用語です。そのため、法律で定義付けされている定義請負・派遣と比較しても、あまり意味がないのです。

請負・派遣と比較して意味があるのは、「委任(または準委任)」です。

民法の予定する請負の場合には、請負人は仕事の完成義務を負い、仕事の目的物に瑕疵があれば注文者の請求により修補義務を負います。また、注文者の指図も可能です(636条参照)。
したがって、お書きの事例でいえば、基本的には瑕疵のないビルさえできれば良いが、注文者の指図があればその範囲で従わねばなりません。

民法の予定する委任(または準委任)の場合には、受任者は委任事務を処理する義務を負い、委任の本旨に従って善管注意義務を負います。また、委任の内容としての指図もありえます。もっとも、請負との区分上、仕事を完成させる義務は負いません。
したがって、善管注意義務を果たしつつビルを建てる作業をしていさえすれば良い、といえます。

派遣は、労働者派遣法によるものであって、「派遣元事業主が、自己の雇用する労働者を、派遣先の指揮命令を受けて、この派遣先のために労働に従事させること」になります。究極の目的は、人の確保ではなく、労働への従事です。
したがって、派遣先である発注者の指揮命令に従う必要があります。

まず、「請負」「派遣」は法律用語であるところ、「業務委託」は法律用語ではないため、同列に並べて比較できるものではありません。
業務委託は取引用語のひとつであって、請負や派遣をも含めて使われることすらある、定義の一定しない用語です。そのため、法律で定義付けされている定義請負・派遣と比較しても、あまり意味がないのです。

請負・派遣と比較して意味があるのは、「委任(または準委任)」です。

民法の予定する請負の場合には、請負人は仕事の完成義務を負い、仕事の目的物に瑕疵があれば...続きを読む

Q楊堅の「楊」と煬帝の「煬」は何故漢字を一緒にしてくれなかったのですか? 一緒にしてくれたら覚えやすい

楊堅の「楊」と煬帝の「煬」は何故漢字を一緒にしてくれなかったのですか?
一緒にしてくれたら覚えやすいんですが
ややこしい

Aベストアンサー

煬帝は隋滅亡の原因となったことから古来「暴君」とされていて, そのために悪い意味を持つ「煬」の字をつけられた, ということになっている.

ただし煬帝の施策にはのちの「中国」の礎になったもの (大運河が著明) もあり, 「隋滅亡の原因となった」のは結果論ともいえる. また, 「煬帝」という諡号が次の王朝である唐の 2代太宗によってつけられたものであることから
・王朝交代の正当性を示す
・太宗自身が裏でいろいろやって帝位についたことを隠す
ために煬帝を貶める意図があるともいわれている.

Q全員が一斉に派遣抵触日を迎えるのですか?

すみません、詳しい方、教えて下さい。

私の働く店(販売)は、当初1名のみ派遣で、その後、
お店の売上があがる毎に、派遣社員の数が増えてきました。

その最初の1名の派遣社員が、もうすぐ抵触日(丸3年)を
迎えます。

そうなると、そこで働く全員(現在4名)が、一斉に抵触日を迎えるのでしょうか?それとも、1名が2名に増えた日が、2人目の起算日になるのでしょうか?

すみませんが、詳しい方、教えて下さい。

Aベストアンサー

最初に派遣で入った方の日付が派遣開始の起算日になります。        よって、後から入った方も抵触日は同じになります。            仮に最初に入った方が2005年の11月だとすれば、同じ業務をしている方は2008年の11月が抵触日にあたりますね。         雇用契約書に詳しい抵触日が記載されているのが一般的かと思いますが。   再度見直ししてみてはいかがですか?

Q遣隋使の国書

小野妹子は隋の煬帝からもらった国書を無くしてしまったと日本書紀にはあります。
しかしそれが本当なら小野妹子は何らかの処罰を受けそうなものですが、そのような事は何も書かれてありません。
そうすると実際は「無くした事になっている」というのが真相ではないかと思われます。
その場合
1.もともと国書はもらえなかったので存在していない。
2.国書はもらったが内容に問題があったか何かの理由で存在が抹消されている。
というような事が考えられます。
煬帝は「日出ずる処の天子…」という日本側の国書に激怒して、以後日本の使者は拒否すると宣言したはずなのに、返書を渡すというのは矛盾してるので1の方が可能性高い気がしますが、皆さんはどのように思われますか?

Aベストアンサー

本当に小野妹子が国書を紛失したなら
何らかの処分が科せられるはずでしょうが
業績をたたえられもっとも冠位の高い「大徳」に
なり次の遣隋使にも大使として派遣されています。
また、国書はもらえなかったということもありません。
返礼として官位は高くなかったようですが裴世清という
役人を使わしてます。
その時に朝廷に書をわたしており、これが国書と思われます。
内容は遠くから海を越えて来たことに対する労いとが書かれている友好的な内容です。
激怒した文章ではありません。
また、以前の倭王ではなく倭皇になっていることが注目です。
だから次の遣隋使の国書には「東の天皇より・・・」から始まります。
このことより隋の皇帝が激怒したのは「日出ずる処の・・」ではなく
天子と名のったところだと想像できます。
だから天子と名のったところを諌め、かつ最大限尊重して皇の称号を
使ったのでしょう。
小野妹子に渡されたのは国書でなく外交上の内々の訓告書だったと
思います。
だから紛失したことにしたのでしょう。


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